【入門書】澁澤ワールドへご招待

いつの時代でも、上の世代の人間は、若い人たちに向かって「〜を知らないの? ダメだなあ」なんてことは言うもので、これまで、私も散々に言われてきました。でも、段々と、そう言われる立場から、言ってしまう立場へと逆転してきていることに気づくことが多くなりました。
学生さんたちと話していると、職業柄、よく「〜を読んだことある?」という質問をします。たぶん読んではいないだろうと思って尋ねることもあるのですが、そういう少し意地悪な意図もなく訊くこともあります。もちろん、「読んでますよ」ということを期待して。ところが、そんな尋ね方をした作品を読んでいないどころか、著者の名前さえ知らないということがわかり、驚くことがたびたびあります。例えば、澁澤龍彦
ある世代まで、少しでも文学、しかも幻想文学やファンタジーに興味がある、ただ少し斜に構えたような学生であれば、フランス文学の澁澤、ドイツ文学の種村季弘、イギリス文学の由良君美といえば、ジャンルを超えて必ず読んでいたように思います。少なくとも、読んでいないなら、読んだふりをしていたような。この三人は、いわゆる表側の王道の文学史からは外れながらも、それでも面白い文学の紹介者としてはもっとも信頼が置かれてきた研究者たちといえるでしょう。
その中でも、澁澤といえば、著作全集だけでなく、翻訳全集までもが出版されている大物。しかもエッセイのほとんどを河出文庫で読むこともできます。今でもサブカルチャー(というか、現在では王道になってしまっていますが)のまさにスーパースター!と思っていたのですが…。学生のみなさん、読んでいない、どころか、「誰ですか?それ」という反応がほとんどです。「う〜む」と考え込んでいました。
実は、私、イギリス小説、しかも王道とされるオースティンやブロンテ姉妹などを中心に研究していますが、澁澤フリークなのです。地方にいた頃から、関東に移ることがあれば鎌倉で暮らしたいと常々考え、そして今ではかなり無理をしながらも鎌倉に暮らしています。それは、鎌倉が澁澤に縁のある場所だから、というミーハーな理由が大きいのです。本当は北鎌倉に住みたかったのですが、諸々の事情でそこまではうまくいきませんでした。当然、伝説の小町の家や北鎌倉の有名なお宅へこっそりと澁澤詣でに出かけました(ミーハーですみません…)。ただ、数年前から、矢川澄子も読み始めたこともあり、ちょっと微妙にはなってきましたが、それでも澁澤ワールドへの憧れは確固としたままです。全集・翻訳全集のほか、澁澤関連本はほとんど集めており、すべてをゆっくりと読み直すのが老後の楽しみです。それだけのためにも長生きしたいと思っています。
そこで、常々、何か澁澤のものを紹介したいと思ってきました。ところが、読者を選ぶようなところがあり、まったく澁澤ワールドを知らないで、いきなりエッセイや小説などを読んでも、その面白さがよくわからないかも、と躊躇していたところ、下記の本が出版されました。

<ヴィジュアル版> 澁澤龍彦 ドラコニア・ワールド (集英社新書)

<ヴィジュアル版> 澁澤龍彦 ドラコニア・ワールド (集英社新書)

澁澤家にあるオブジェの写真に、関連する澁澤の文章を抜粋して添えられたもので、有名な「澁澤家の娘」と名付けられた四谷シモンの少女人形をはじめ、まさに澁澤ワールドを満喫するための入口を案内してくれるものとなっています。この本を眺めて、何か感じることのある人は、次には、例えば『夢の宇宙誌』や『胡桃の中の世界』(ともに河出文庫)を読んでみるといいかもしれません。
夢の宇宙誌 〔新装版〕 (河出文庫)

夢の宇宙誌 〔新装版〕 (河出文庫)

胡桃の中の世界 (河出文庫)

胡桃の中の世界 (河出文庫)

院生時代にお世話になったシェイクスピアの先生が、あるとき、「信頼できる批評家をひとりでも見つけておくと、何か考えるときに随分と楽になるよ」とおっしゃっていたのが今になってよくわかるようになりました。天才であれば自力でやっていけるのでしょうが、普通はそうはいかないでしょう。私の場合、困ったときに、思考の枠組みを提示して助けてもらう批評家のひとりが澁澤です。
みなさんも、騙されたと思って、一度、本書を手に取ってみてください。興味があるのはイギリスだからなあ、なんて決めつけずに。きっと、これまでは知らなかった世界が拡けていくと思います。知らないと損をすることがありますが、澁澤ワールドもそのひとつではないでしょうか。