十年前の「噂の真相」四月号を読んだ(その2)

 たしかに浅田彰の発言には、そんなことは黙ってればいいのに、と思うのもある。そこは省いて、必要な部分を。

中森 東は浅田さんが編集委員を務める『批評空間』が売り出した批評家なんだから、もうちょっと教育したら。それとも、個人的に迫ったけど、ふられたとか(笑)。
浅田 いや、あれはおニャン子のおっかけで自宅まで行ったような本物のおたくだよ。それに、僕としては過保護に近いくらい面倒を見たつもり。柄谷は「父」だから、「面白いから書け」と言うだけで、書いたものは読まない。それは「父」としてはいい態度じゃない? で、僕はいわば「兄」として意見を言って、デリダラカンジジェクの線に近いとか言うからそれは逆なんじゃないかって言ったら、逆であるという本ができたわけよ。それをあれだけ褒めたんだから、本が出た後、批判する権利はあるよね。ところが、ちょっとでも批判的なことを言うと、ヒステリーの発作が起こるわけ。「こんなに頑張ってるボクをなぜ褒めてくれないの」って。「エヴァ」に出てくるひ弱なガキと同じ。
中森 付き合いきれなくなったんだ。
浅田 彼の方がぼくらを敬遠しだしたわけ。で、今まで年上に褒められようと思って書いてた(って言っちゃうのがすごいけど)のは間違いだった、これからは年下に向けて書く、と。しかし、その後で年上に褒められだすと……。
中森 筒井康隆とか。
浅田 筒井に褒められたら文庫の解説を書き、山崎正和に褒められたら感謝してサントリー学芸賞をもらい……。褒めたら喜ぶバカだってわかったから、蓮實重彦も褒めるし加藤典洋も褒めるし。

 「ラカンジジェクの線」ってところである。10/01/11 に書いたように、ラカンジジェクの「手紙の理論」は「必ず宛先に届く」という話なのだ。まだ詳しく検討したわけではないのだけど、次のように考えるとすっきりしそうだ。もともと浅田式投瓶通信は浅田の発想であり、東浩紀はもともと浩紀式投瓶通信を考えていた。浅田が「面倒を見た」ことによって浅田式投瓶通信が注入され『存在論的、郵便的』が仕上がった。けれど、結局のところ、東浩紀にはなじまぬ思想だったので、時期がたつにつれて薄れていった。「面倒を見た」ことについては、他の座談会でも確認できる。「トランスクリティークと(しての)脱構築」(「批評空間」一九九八年七月)から浅田の発言を。

僕の記憶では、東さんは、最初は、デリダの問題設定とジジェクの問題設定とのあいだに共通点があるから、そのへんを突っ込んで考えてみたいと言われたんだけれども、僕は、ラカン−ミレール−ジジェクというのは主体の否定神学とでも言うべきものの最終形態であり、デリダはそれに対する抵抗において捉えるべきだろうと言ったら、現にそのような論文になってしまった。

 『郵便的不安たち』で読める。残念ながら『郵便的不安たち#』として文庫化された時には削除されてしまった。