* 母への哀悼文
 昨日の朝方2時半頃だったか、恐ろしく生々しい夢をみた。ーそのショートショートとは
《 居間でウトウトしていると、突然、立派な袈裟を着た僧侶が部屋に入ってきた。
 ハッとし夢から覚め、何だと思った次の瞬間、全身ねずみ色の姿が現れ出た。そこで、恐怖でパニック、
悲鳴と共に思いきり蹴飛ばした、と同時に目覚めた。その時、実際に上布団を蹴っていた。≫
 隣に寝ていた家内は、気づかなかった。 時どき家内に、「夢か何かで魘されていて煩い!」と、文句を言われて
いたが、成るほど!坊様と、ねずみ色の影の二重構造の夢とは面白い!お迎えが近いのか? 何だろう! 
 その前日の小学校の同期会で、同級の悪ガキだった男が、「数ヶ月前に切腹をした。片足、いや両足が棺桶に
入っている。80歳までは生きれると思っていたが・・」と、死の恐怖に怯えていたことを思い出した直後の夢。
「他人事でないぞ」という想いが、この物語として夢になった、か。 三年前の節目から、同級会の度に嫌味を
言われたが、三度目に「この男、危ない!(節目の傷口を蹴り上げたため)」と直感したが、案の定、こういう
カタチになった?。 意味ある偶然だが、「危ない!」と思ったことは確か。 更に辛辣なのが何人もいるが、
しっかり元気でいるから、これ、あと講釈の理屈付け。 夜半にみた夢は、それを注意にきた坊様と解釈すると、
筋が通るが・・ 「自分の傷口を、傷ついた他人の血で洗うと、毒がまわるから気をつけろ!」という注意か。
この年齢になれば、「どの道、直ぐに死ぬのだから!」 少し早いか遅いかの差でしかない。
 ところが、この下書きを終え居間に戻った昨日の夕方、家内が、
『明日、お母さんの命日、知っているの』  さて母の墓参り、般若心経をあげにいくとする。 
そういえば、二日前のこの随日で、母のことを書いていた。 この二つの文が、そのまま、母親への供養。 
私にとって両親はベストの親に恵まれたと感謝している!
・・・・・・
4574,  二代目のスポーツ自転車 ースポーツ自転車の勧めー5
2013年09月24日(火)
   * 二代(台)目のスポーツ自転車
 注文していた電動アシストのクロスバイク(自転車)が、一昨日、自転車専門チェーンの「あさひ」に届いたと
連絡があった。4年間乗ったマウンテンバイクについで二台目のスポーツ自転車になる。まずスピードがマウンテン
より2倍近く出るのがよい。これで何が変わるか楽しみだったが、単純だが、一時間のポタリングの周遊範囲が
自動的にスピードに比例し二倍になった。 なるほど人間と同じで、機能に制約されていたのである。
人間も知識と情報により左右されるのと同じ。もっとも乗る前から、コースをどこにしようか考えてはいたが、
実際に走ってみると見えてくる。信濃川の土手の二つの大橋一周から、土手の下にある河川敷のコースも見つけ
走ることにした。当面は、秋という季節柄、一時間から一時間半から二時間とすると三倍の距離、走ることになる。
連休と物珍しさもあるが、朝夕、買った当日と昨日、二時間走ってきた。乗り心地はMTB(マウンテンバイク)は、
小回りがきいて、軽く、目線が地面に近いローラースケートという感じだが、クロスバイクは、ズッシリとして、
目線が高く、スピード感がある。今までレースタイプにスイスイ追い越されていったが、今度は、追い越す方に
移行するが、4年間、MTBを乗ってきた者にとって、大きな違いになる。欠点は、一時停車の時、つま先立ちに
なること。 しかし、スポーツ自転車の基本は、つま先立ちになるまでサドルを上げることというから、一週間位の
訓練で身に付きそう。こぎ出す前は、男またぎでなく、女またぎがスポーツ自転車の基本。停車の時は、一度、
サドルから前に腰を外し、両脚を地面につけるのが基本。そう言われればTVで見ていると、そうである。
 これで二種類のスポーツ自転車を持ったことで、ポタリストか、ペダリスト?の仲間入り。一応、自転車愛好家と
自認できる。ところで、買う気になって、スポーツ専門店の売り場に入ったのと、冷やかしとでは違って見えてくる。 
自転車初心者コースの本を読んだこともあるが、それにしても種類が豊富である。
 店舗だと、大たいの店が、メーカー品だと一割引、ネットでは二割引になる。 ネットで買うのと、店舗で
説明を受けた一割の差は何か?というと、自転車にまつわる情報の差であった。そこで、店舗で一割のサービスを
受けることにしたが、それだけの情報とサービスはあった。旧来の自転車屋は、パンクやブレーキの修理を必要と
する、土着の商売。地元の長岡では、20〜30年前まで100軒あった店が20軒に激減したという。
自転車本体が、スーパーや、HCの攻勢で、売れなくなったため。「あさひ」の店頭は、殆どが見本陳列で取り寄せが
ベース。 その分、多くの見本がある。 あと冬季間まで二ヶ月、まずは距離を走らなくては! 元気のうちである。
・・・・・・
4199, 呪いの時代 ー15
2012年09月24日(月)                          
   * 「ほんとうの私」という幻想からの脱却      「呪いの時代」内田樹
<実は私たちは「ほんとうの私」という幻想に縛られている>というドキッ!とする説が、ここで書かれている。
 誰の心の奧にも理想と現実のギャップが潜んでいる。それが何時の間にか、理想の自分が「ほんとうの自分」
という幻想になり、それが「正味の自分」にとって替わっていたとしたら・・ 何だろう何時も独り呟いている
「本当の自分とは?」 ーその辺からー
≪ ・・その「幻想的なオレ」が、ある日、何かを呪ったのである。呪いの標的となったものは、具体的なものや、
 誰かでなく、妄想し、『本当の自分』が所有するべきもの、占めているべき地位を不当に簒奪している誰かである。
その呪いは、何時の間にか現実の力を持ってしまい、破壊の塊になってしまう。破壊の力は現実の身体に根拠を
持つ限りそれほど害にはならない。攻撃が破壊的になるには、それが身体を離脱して「幻想」レベルに達したとき
なのです。だから、私たちにとって喫緊の問題は、妄想的に構築された「ほんとうの私」に主体の座を明け渡さず、
生身の、具体的な生活に捉えられた、あまりぱっとしない「正味の自分」こそ主体としてあくまで維持することです。
しかし、そのぱっとしない「正味の自分」を現代日本のメディアは全力を挙げて拒否し、それを幻想的な
「ほんとうの自分」に置き換えようと私たちに促しつつけている。 ≫
 ▼ この文章から思いたってくるのは、 <「ほんとうの私」は実は幻想。周辺に見られていると思っていた
 「正味の自分」が、自分の実像でないか?>である。社会に出て、それぞれの世界で生きてきて、常に
「ほんとうの私」という幻想が「正味の自分」を見ていた覚えがある。それが私を突き動かしてきた。しかし、
このようにコペルニクス的なドンデン返しの真理を突きつけられると、根こそぎ人生を考え直さなければならない。
そのため、神は老後の期間を与えたのだろう。話は少し変わるが、土曜の午前中に家族の外見変身をテーマにした
番組がある。家内が見ているので、自然と見るようになった。変身願望の家族、特に主婦に、番組が美容とブランド品
の服飾で変身させ、あたかも、本当の貴女は少し手を加えれば美しいのですよ!と幻想的セレブの家族を演出する。
見る方も、本人たちも、その着せ替え幻想を楽しむバレエティ。それはそれで良いが、少し豊かになり背伸びをすると、
 その幻想世界と現実世界が入れ替わってしまう。森林(現役)に住んでいる内は良いが、一歩サバンナに踏み入れると
正味の自分に向き合わざるをえなくなる。その時、私たちは「ほんとうの私」という幻想に縛られていた自分に気づく。
(それさえ気づかない人が多い)それと同じことが、総中流社会から総下流に幻想が移行しつつある日本である。
バブル崩壊後、国民の過半数が実質、預金ゼロになるなど総下流化の様相。その怒りが呪いになっている。
「ほんとうの私」という幻想こそが、悪魔の正体。呪いは、自滅につながる。なる程、呪い呪われの時代である。
これが当分続くとしたら、正味の自分の心のシェルターを用意すべきか。その正味の自分も幻想?
 ・・・・・・
3834, ツール(道具)について考えてみる ー1
2011年09月24日(土)
 電動アシスト自転車を使い始めて二年になるが、その日から日常が変わってしまった。足馴しに自転車で自宅から
20分ほどの信濃川の長岡大橋から大手大橋を一時間ほど一周したが、自動アシストのためペダルのストレスが半減。
そのためか信濃川一周のポタリングが快適であることに気づいた。 空気が新鮮で、野鳥が多く飛び交い、川幅が広く、
流れが緩やか。そこから見る360度の視界がまた良い。川向こうから街中に向かう長岡大橋の上からのパノラマは
ライン川の風景に決して劣らない。それと何より、自宅の生活圏から一歩外に出た開放感が良い。自宅近くの栖吉川を
30年近くウォーキングをしてていたが、丁度その頃に工事で遠回りをしないと何時ものコースを行けないこともあり、
切り替え時だった。 以来、12月から3月を除いた連日、信濃川周辺のポタリングは日常生活の大きな柱。
新たな手段が生活を変えてしまった。10年前にパソコンをものにする最後のチャンスと必死の思いでパソコン教室に
通いだし、このHPを立ち上げた。それ以来、パソコンとネットが生活の核になっている。 過去を振り返ってみて
学生時代に残した日記が、当時のままを記憶として残してくれている。「書くこと、書き残すことの秘儀」というか、
その価値を数十年後になって読み返して気づいたこともあって、一日一文をHPに書き残すことにし、それが現在も
続いている。事業のためとか、自己顕示欲のためでなく、「いま、ここ」を書き出すこと、書き残すことの価値を
知っているからこそ続いている。日々の痕跡を残すために、ブログほど便利なツールはない。そのためには開き直りと、
公開の結果のマイナスの危険を承知した上に、それ以上の何かの利点を直感しているから書き続けている。 要は、
道具が逆に、行動、習慣を決めてしまうのである。 道具というと聞こえは悪いが「ツール」というと、納得する。
 ・・・・・・・
3469, 基本的信頼
2010年09月24日(金)
 人間には二種類ある。 基本的信頼が強い人と、基本的不信の強い人である。それは「自分だけは大丈夫」という
原初的な感覚につながっている。 何時も言っているが、身近に幼児期に両親の愛情がタップリ入っている人がいる。
その過剰は自分は特別の存在という感覚が強い反面、非常に精神的に強い側面がある。乳幼児は非常に無力で、
助けてくれる人を必要としており、基本的信頼が満たされていると「世界は自分を大切に扱ってくれる人がいる」
という感覚を得ることが出来る。 この感覚は人格の一番奥底に存在する安心感、自己信頼感を形成をする。
この感覚が強ければ強いほど何かが起こっても何とかなると考えられ、自分の希望は叶えられるという全能感を
得ることが出来る。基本的信頼を与える存在は、母親か母親的存在で、子供を自分のように愛せるかどうかで、
この感覚が左右する。E.エリクソンによると、「基本的信頼感の獲得」という乳児期の発達課題は、良質な母性的
養育関係を通して達成される。「自分は見捨てられていない」「ここにいていいんだ」「自分には価値がある、
受け入れられている」という基本的な信頼感を、乳幼児は求めているのである。片親の子供は就職に不利というが、
企業も経験的に組織人として基本的信頼がベースにある人を選択するのも、こういう事情がある。
それは人間的な温かみとして表出している。これだけは、隠そうとして隠せない。その意味で両親の素質と
相性は大きく子供に影響している。とはいえ、兄・姉を見ていると同じ環境で育っても大きく違う。
それは、両親との相性が大きく左右している。そうこう考えると、多人数の姉・兄の末っ子で両親に特に愛された
実感があるだけで充分に恵まれていた。過剰の愛情は「我がまま」という副産物もついてくるが。
今日は母の命日で亡くなって14年になる。
・・・・・・・・
3094,久々にジョーク −2
2009年09月24日(木)
 * 三つの願い
 愛猫と二人暮らしの八十歳の老婆。天気がいいのでベランダで椅子を揺り動かしていると、足もとにランプが落ちて
いるのに気づいた。それを拾い上げ、ほこりを払っていると、ランプのの口から煙がふき出して魔法使いが現われた。
魔法使いは老婆に向かって語りかけた。「わたしをこの世に出してくれたお礼に、あなたに三つの願いを叶て差し
上げましょう」 言われるまま老婆は願いことを口にした。「若い娘に戻りたい」魔法使いが呪文を唱えると、
老婆は見る見うちに若い女性に変身した。 魔法使いにうながされて老婆は答えた。「大金持ちになりたい。
使いきれないくらいの金のある大金持ちになりたい」老婆はたちまち宮殿の前にたたずむうら若い女性になっていた。
三⊃目の願いをうながされて、老婆は告げた。「この猫を八ンサムな王子に仕立てて欲しい」魔法使いが呪文を
唱えると、宮殿を背にしたうら若い女性の横に八ンサムな王子がにこやかにたたずんでいるではないか。
その夜、宮殿の寝室から老婆のため息がもれてきた。 「ああ、おまえさんに去勢なんかしなければよかった」
  〜〜
  「三つの願い ジョーク」で検索をしたら、多く出てきた。面白いのをコピーしてみる。
《 ある男が、森で妖精に出会った。妖精は言った。「どんな願いでも、3つだけ叶えてあげましょう。
 願いを言ってごらんなさい」 男は表情も変えずに答えた。「…私は、叶えてもらう願い事は一つだけでいい」
妖精は、これほどまでに心の綺麗な人間は今まで見たことがない、と驚いて答えた。「よろしい。あなたのたった
一つの願い事を言ってごらんなさい」 男は答えた。「何回でも願い事を叶えられるようにしてくれ」 》
(字数の関係で中間カット、2012年09月24日)
・・・・・・・・・・・
2729, 議論に絶対負けない法 −物語の力- 4
2008年09月24日(水)
 「議論に絶対負けない法」 −4      ー読書日記
   ー物語の力ー
 物語を作るとは、争点に対して依頼者側の有利になるストーリーの筋書をつくることだ。その筋たての準備に、
可能な限りエネルギーを入れなければならない。それを著者は全米で一番忠実に実行してきたので、全米一位の
弁護士になったのである。これは全てのことに言えることだ。言葉の力は恐ろしい、言葉の中から光ってくるのは
真実である。以下の部分も、短い文章の中に、人生の要点が書いてある。議論の方法などではない、人生の生き方、
人生の筋書つくりと、それに対する努力の重要性が解りやすく書いてある。
 p−172 法廷内でも法廷外でも、夕食を食べながらでもコーヒーを飲みながらでも、どんな場合であっても、
議論は一つのストーリーに変えることができる。議論には、そう、三匹の子ぶたへの家の同じように骨組みがある。
 (字数の関係で中間カット、2009年09月24日)
・・・・・・・・・・
2007年09月24日(月)
2365, ウィーン・コンサート、それが何!              ヾ(´∀`o)+。 オハヨウ    
 ウィーンに在住の哲学者などというと、えらく格好良く聞こえるが、この哲学者にかかれば、何てことはない。
(字数の関係で中間カット、2008年09月24日)
・・・・・・・・・
2006年09月24日(日)
2000, 継父               (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。この随想日記2000回と重なるところが不思議である。
早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院まで
オシメをすることがなかった。痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。始めは時々切れてはつくが、
その回数が増えてくる。マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた悪口・陰口が始まる。
心が腐っていくのが手に取るように解る。マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。
亡くなって一月後になって、「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。
両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。第二次大戦直後に
生まれたが、あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・ ところで母の命日なので供養として、
母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。そして、それが長男・次男の死の間接的な死の
原因になってしまう。この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて「自分の主催している会で
話して欲しい」と依頼があったが、断ってしまった。20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で
話すには自分が出来てなかった。その時、是非話しておけばと悔いが残っている。母が幼児の頃、父親が母の兄と
姉を残して亡くなった。(奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。
3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった)家が商売をしていたので残った母の母
ー祖母は男後家をもらうしかなった。そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。
そこで何が起こるだろうか?この設定は、言わずもがなの結果になる。 義父による実子との差別と、
徹底的な虐めである。3人の末であった母に、特に虐めがいったという。それが母のトラウマになってしまった。 
さて墓参りだ!  ーつづく          
 ーー
書いた後に気がついたことだが、ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー)
 次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。  (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!             
・・・・・・・・
2005年09月24日(土)
1635, 「イヴの七人の娘たち」
 ーまずは、この本の概略を書いてみるー
DNA研究から明らかになった事実としてヨーロッパ人のルーツが7人の女性「イヴの七人の娘たち」
にいきあたり、さらに現存人類は、全世界で33人の女性先祖に絞られるという。
(字数の関係で中間カット、2009年09月24日)
・・・・・・・・・
2004年09月24日(金)
1270, 母が亡くなって、まる八年!
 ー命日に, 母の魂に捧げるー
今日の9月24日が母の命日である。まる八年経った。遠い昔のような気がする。
今でも夢に出てくるが、その頻度は少なってきている。母の優しさは、誰にとっても共通である。父の真の厳しさと、
母の優しさの深さを知るのは、自分がその年齢になって初めて解るものだ。世界広しといえども、母は一人である。
そして、ただ無条件で愛してくれたのは両親だけである。親の愛こそ、神の愛に勝るものである。
真実の愛は、親の愛がその原点にある。愛は力である。内面の強さは突詰めてみると、親の愛が基盤になっている。
キリストの愛も、最後まで見守っていてくれた母マリアの愛の反映である。人間形成は、10歳までの家庭構造と
それを取り巻く環境ー条件でほぼ決まってしまうが、その中で母の役割は非常に大きい。
 ー命日ということで、母のことを少し話してみるー
母は特異な家庭環境の下で育った。 兄一人、姉一人の三番目に生まれた二年後に、実父が亡くなってしまった。 
そこで祖母は、(後妻でなく)後夫をもらった。その後、後夫の子供が4人生まれた。後夫は当然のことながら、
前夫の子供を徹底的に苛めた。特に一番幼い母が、その対象になった。祖母は後夫の手前、守ることも、
直接的な愛情を注ぐことができなかった。そのトラウマが母の一生を通してついてまわった。
子供に対する扱い方(直接的愛情のかけ方)を全く知らなかった。ただ厳しく当たることしか自分の体験がなかった。
それが長兄、次兄が不幸を向かえるキッカケとなってしまった。その結果、重度のノイローゼになった。
私が7〜10歳の時である。立ち上がるのに5年もかかった。その時、心臓が四分の一壊死してしまった。
(亡くなった後の解剖で分かった)その苦悩・苦痛の中から、神様のような優しさを持つようになった。そして強さも。
その環境の中で育った兄姉は、それぞれが何らかの神経症が残った。 どの家庭も、色いろな事情はあるものだが。
特に、戦争下を通り抜けてきた世代には。 さあ墓参りだ!             23日 6時半ー    
・・・・・・・・・
2003年09月24日(水)
903, 「仏像の不思議!」
 随想日記で多くの不思議について書いてきたが、仏像の不思議について書いてみる。ー度、書いた可能性があるが。
20年前のことだが、家内の実家の会社で毎年、倉庫でお客を集めて「お祭りを兼ねた展示会」を開いている。
 (字数制限のためカット 2013年9月24日)
・・・・・・・・・
529、人の一生

  • 2002年09月24日(火)

仏教説話でよくきく内容だが、怪獣?に追われて古井戸の紐につたわり下りようとすると、
・上からはその動物が覗?込んでいる。          ・周囲の岩から蛇が首を出して狙っている。
・下には大蛇が大口を開いて、落ちてく
  (字数制限のためカット 2013年9月24日)
・・・・・・・・・
[157] 自殺  2001/09/24 09:49 NoName
 ホテルオープン後10年で初めて自殺が出た。やはりくるべき時がきたかというのが実感であった。
 (字数制限のためカット 2010年9月24日)

つれづれに

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  今日のYoutube

 今日は母親の19回目の命日。 前日の夕刻、家内に言われるまで
全く忘れていた。 いや、23日の御彼岸さえ忘れていた。
 夜半、「正装をした坊様が、居間に突然、入ってきて驚いた夢をみた」が、
彼岸も、翌日の母の命日を忘れていたことに対する、潜在意識からの
呼びかけというところか。 
 で、近くのスーパーで花を買って、墓参りをしてきた。



・・・・・・
2365, ウィーン・コンサート、それが何!
2007年09月24日(月)
              ヾ(´∀`o)+。 オハヨウ    
ウィーンに在住の哲学者などというと、えらく格好良く聞こえるが、
この哲学者にかかれば、何てことはない。
ウィーンに着いて早速、夫婦喧嘩をして妻に首を絞められたとか、
ウィーンの新年のニューイヤー・コンサートに日本からの即席の「お嬢様」が
アホづらをして参加しているとか、辛らつである。
(こういう露悪者に好感を持てるのは自分がそうだから?)
新年にNHKが放送するところから、それが恰も知的なハイソサエティー
雰囲気をもたらすからである。
しかし日本が思うほどオーストリア人は音楽には興味をしめしてない。
確かにオーストリアの観光コースにツアーで行くと、毒気に当てられ、
何か音楽音痴は自分だけのように思うが、現実は一部マニアの道楽でしかないと
中島がいうから確かなのだろう。
以前、北スペインに行ったとき、同行者が次の旅行は
「ニューイヤー・コンサートに行く予定になっていて、これで二回目」と聞いて、
ハイ・ソサエティーの話と思い込んでいたが、話を聞けば趣味の一つでしかないし、
度々行くほどの事でもないことが解った。
そんなものでしかないが、といって趣味なのだからケチをつけることもない。
しかし新年に限り、私もそのコンサートの番組だけは観ているが、
新年の荘厳な雰囲気は素晴らしい。

 「狂人三歩手前」 ー中島義道
 ー妻との壮絶なバトル、くたびれ果てたー
--
2001年から2002年にかけて、クリスマは家族(妻子)が住むウィーンで過ごし、
三人が別々の日・帰国してお正月は日本で過ごした。
妻子は四年前の四月からウィーンに住んでおり、
ユーフシア大陸を互いに往復する生活が恒例化している。
 ・・・中略
12月24、25日そして二十六日(聖シュテファノの日)とカトリツクの祝日は続く。
昨年は興味本位で妻にしっかり付いて教会に行ったが、今回は縦の木に飾りつけをして
すぐに、カトリックについて妻と激論になり、「そんなに俺の管理をするな!」
と私は怒鳴りはじめ、やがて「別れよう」と提案すると、妻が突如私の首を締めようとし、
それに無我夢中で抵抗し……というような派手な喧嘩が勃発。
夜になって落ちついてきて、「あなた、教会に行きますか」と誘われたけれど、
憎らしいから「いや」と答えて、そのままベッドに横たわっていた。
その後、くたびれ果てて、三日間私は家でポーッと寝ていたのだ。
いつも、ウィーン到着後、妻との平和共存は三日ともたない。
十七歳の息子は、こんなゴタゴタにはもう慣れっこで、ひとりで勝手に行動しており、
二十五日に一足早く日本に帰ってしまった。
ウィーンのAIS(アメリカンインターナショナルスクール)十一年生なのだが、
ウィーンが嫌いで、休みごとに帰国していいという条件で、彼の地に留まっている。
授業は当然全部英語だが、ドイツ語とフランス語も取っている。
ドイッ語はまあまあのようだが、フランス語はダテに取っているようで、・・・中略

妻は正月準傭のため二十八日に発ち、私自身は十二月三十日、ユーロへの切り替えの
二日前に帰国した。・・・中略 
元日の晩は、楽友協会での小澤征爾の指揮によるニューイヤーコンサートをTVで観る。
我が国のとくにインテリどもはこのニューイヤーコンサートが涙が出るほど
好きなようなので「真実」を伝えると、殆どのウィーン人はこれをTVでさえ観ない。
ヨハン・シュトラウスなど、まして小澤征爾などどうでもいいのだ。
ちなみに、国立歌劇場に入ったことがある人は、全ウィーン人口の五パーセント以下
だと聞いたことがある。ウィーンにテレビのチャンネルは二十以上あるが、
クラシック音楽番組は全チャンネルを通じても一週間に一度だけである。

そういえば、私の留学時代だから二十年以上も前になるが、
ニューイヤーコンサート会場で面白いハプニングがあった。
タキシード姿の若い男が二人、突如舞台に上がり全裸になったのだ。
アレアレという間に取り押さえられたが、何でもゲイ差別反対のデモンストレーション
だったとのこと。国立歌劇場の大統領主催の舞踏会には、わが国からも一夜漬けの
「お嬢様」たちがアホヅラで参加しているらしいが、ここでもその当時場内で
爆弾騒ぎがあり、まもなく紳士淑女たちの頭上に「こんな差別的な舞踏会反対ー」
という垂れ幕がスルスル降りてきた。健全なことである。

ーー
それにしても好きだよね! こういう みもふたもない話。
              ε(*´・∀・)з゛βуё βуё"
・・・・・・・・・
2006年09月24日(日)
2000, 継父
                (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ~
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。
この随想日記2000回と重なるところが不思議である。
早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。
5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院までオシメをすることがなかった。
    
痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。
始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。
マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた
悪口・陰口が始まる。心が腐っていくのが手に取るように解る。

マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。亡くなって一月後に
なって「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。

 両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。
戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。第二次大戦直後に
生まれたが、あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・

ところで母の命日なので供養として、
母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。
そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。
この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、
「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、断ってしまった。
20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で話すには
自分が出来てなかった。 その時、是非話しておけばと悔いが残っている。

 母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。
(奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。
3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった)
家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。
そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。

そこで何が起こるだろうか?この設定は、言わずもがなの結果になる。
義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。
3人の末であった母に、特に虐めがいったという。
それが母のトラウマになってしまった。
                     ーつづく
 さて墓参りだ!
 ーー
 書いた後に気がついたことだが、
 ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー)
 次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。
               (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!             
 ・・・・・・・・
 2005年09月24日(土)
 1635, 「イヴの七人の娘たち」

ーまずは、この本の概略を書いてみるー
DNA研究から明らかになった事実として
ヨーロッパ人のルーツが7人の女性「イヴの七人の娘たち」
にいきあたり、さらに現存人類は、全世界で33人の女性先祖に絞られるという。
アフリカが起源なので、アメリカインディアンとか日本人は、「辺境」になる。

我々はどこから来たのか? の鍵を握るのが、DNAである。
DNAは我われの中にある古代世界からの旅人といえよう。
人類は皆、20万年前のアフリカ女性「イヴ」の子孫であるといわれている。
6億5000万人にのぼる現代ヨーロッパ人の母系祖先は7人の女性に分類できるが、
この女性たちに名前をつけると、
アースラ、ジニア、ヘレナ、ヴェルダ、タラ、カトリン、ジャスミン
それぞれが、「別の時代に、別の場所」で生活を送っていた女性たちである。

ミトコンドリアDNAには、
・母親からしか受け継がない、
・遺伝子の組み換えが起こらない という2大特徴がある。
このミトコンドリアDNAをたどっていけば、ヨーロッパ人の誰もが、
自分の祖先を知ることができるのである。
また人類の歴史―― 我々はネアンデルタール人の末裔なのか、
         それともクロマニョン人の末裔なのかを知ることができる。

ミトコンドリアDNAは二万年に一つの割合でランダムに突然変異を起こしている。
そのため、DNA配列の違いから何万年前に分岐したのかがわかるのである。
ホモ・サピエンスの歴史が遺伝子に記録されていった道筋について語っている。
誰もが人類の歴史を遺伝子の中に秘めていて、その歴史は、はるか昔の祖先から、
実質的になんら変わることなく受け継がれてきたDNAパターンの中に含まれている。

人間の細胞はすべて、長年の旅を乗り越えてきたもの、つまり遺伝子を運んでいるのである。
そして、本書はユーモアをもって現代ヨーロッパに潜伏する人種差別主義を批判している。
我々は、祖先をたどっていけば誰もがつながっているのである。
遺伝子の立場からみると、遺伝子自ら生き残るために、
人間いや生物の体を使っているという見方もできる。

以前TVで、
日本の女性が「何十代か前の母を一にしたウクライナの女性に会いにいった内容」
を放映していた。DNAの解明から偶然見つかったという。
宇宙も含めて、科学は無限に広がる未知の世界を解明している。
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「イヴの七人の娘たち」( ブライアン サイクス 著 ) ソニーマガジン
 
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2004年09月24日(金)
1270, 母が亡くなって、まる八年!

ー命日に, 母の魂に捧げる
今日の9月24日が母の命日である。まる八年経った。遠い昔のような気がする。
今でも夢に出てくるが、その頻度は少なってきている。
母の優しさは、誰にとっても共通である。父の真の厳しさと、
母の優しさの深さを知るのは、自分がその年齢になって初めて解るものだ。

世界広しといえども、母は一人である。
そして、ただ無条件で愛してくれたのは両親だけである。
親の愛こそ、神の愛に勝るものである。真実の愛は、親の愛がその原点にある。

愛は力である。内面の強さは突詰めてみると、親の愛が基盤になっている。
キリストの愛も、最後まで見守っていてくれた母マリアの愛の反映である。
人間形成は、10歳までの家庭構造とそれを取り巻く環境ー条件で
ほぼ決まってしまうが、その中で母の役割は非常に大きい。

ー命日ということで、母のことを少し話してみるー
母は特異な家庭環境の下で育った。 兄一人、姉一人の三番目に生まれた二年後に、
実父が亡くなってしまった。 そこで祖母は、(後妻でなく)後夫をもらった。
その後、後夫の子供が4人生まれた。後夫は当然のことながら、前夫の子供を
徹底的に苛めた。特に一番幼い母が、その対象になった。
祖母は後夫の手前、守ることも、直接的な愛情を注ぐことができなかった。

そのトラウマが母の一生を通してついてまわった。
子供に対する扱い方(直接的愛情のかけ方)を全く知らなかった。
ただ厳しく当たることしか自分の体験がなかった。

それが長兄、次兄が不幸を向かえるキッカケとなってしまった。
その結果、重度のノイローゼになった。
私が7~10歳の時である。立ち上がるのに5年もかかった。
その時、心臓が四分の一壊死してしまった。(亡くなった後の解剖で分かった)

その苦悩・苦痛の中から、神様のような優しさを持つようになった。
そして強さも。その環境の中で育った兄姉は、それぞれが何らかの神経症が残った。
私が癒し系の話題が多いのも、その神経症系を乗りこえるプロセスで
多くの本を読んだからだ。いやそれより、面白いこともあったが。

どの家庭も、色いろな事情はあるものだが。
特に、戦争下を通り抜けてきた世代には。
   さあ墓参りだ!   23日 6時半ー        
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2003年09月24日(水)
903, 「仏像の不思議!」

 随想日記で多くの不思議について書いてきたが、仏像の不思議について
書いてみる。ー度、少し書いた可能性があるが。
 20年前のことだが、家内の実家の会社で毎年、倉庫でお客を集めて
「お祭りを兼ねた展示会」を開いている。
お祭り・騒ぎ大好き人間として、時々レジャーを兼ねて遊びに行っていた。
初めて行った時のこと、地元の古道具屋の出店で仏像などを売っていた。
多くの道具の中で、気になった象牙の仏像があった。
精巧な彫りでかなりのモノであった。
 半分冷やかしで値段を聞いたら40万円という。
冗談で、15万円といったら、怒ってしまった。
「気が変わって値を下げるなら、家内の実家に置いていってください。
お金は後で送金しますから」」といって別れた。
買う気は全く無かったのだが、少し惜しい気持ちになっていた。
ところが数日後、その仏像が請求書と供に会社に直接送ってきた。
そこまで下げるとは思ってなかったのでビックリした。
 しかし気に入った仏像であったので、実際のところ嬉しかった!
何げなく仏像の台座の下を見て、背筋が凍る思いであった。
家内と同じ「恵子」という作家の名前が掘ってあったのだ。
たまたま一緒にいた人も、その話を聞き、その仏像を見て青くなった。
「霊気が漂っている、すぐにお寺に収めた方がよい」と忠告をしてくれた。
確かにその仏像には、霊的な不思議な念が入っている感覚があった。
しかし、今でも自宅にあり「家内の守り本尊」?として大事にしている。
いくつかの偶然の一致が重なっただけの話だろうが、それにしても不思議な
出来事であった。ただ数珠が地震で倒れた際に欠けてしまったのが残念である。
商品価値は三分の一だろう。 仏像といえば子供の頃、父から聴いた話がある。
父が以前「高村光雲」の仏像を買ったら、家で不幸があったという。
「いわく付き仏像」と聞いていたが、半信半疑で気楽に買ったという。
気味が悪くなって、すぐ売ったという。
ところが、それを売った家でも、不幸がおきて即転売したという。
「仏像は気をつけて買わないと駄目である」と聞いていた。
 -しかしこの仏像は悪い因縁モノでなく、守り本尊のようである。
仏像は彫師や、拝み手の念が入っている。
不思議なことがおきても何も不思議ではない。

 若い時は、不思議ということは殆ど無かった。
しかし、歳を重ねれば重ねるほど、不思議の経験を多く積むようになった。
不思議としか思えないことが、あまりにも多くあった。
生きていると、思いの他の経験がドンドンおきてくるのだ。
そして、そこに不思議な深い経験をする。 これが人生である。

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529、人の一生
- 2002年09月24日(火)

仏教説話でよくきく内容だが、
怪獣?に追われて古井戸の紐につたわり下りようとすると、
・上からはその動物が覗?込んでいる。
・周囲の岩から蛇が首を出して狙っている。
・下には大蛇が大口を開いて、落ちてくるのを待っている。
・しがみついている紐を鼠が齧っている。
・怪獣は現実。
・周囲の岩から首を出している蛇は、四苦八苦などの病気悩み災害。
・下の大蛇は死。
・鼠は歳月ー死への。
・紐は生命。
人間の一生を例えた仏教説話である。
これからみると仏教は暗い不安な宗教ともいえる。
また井戸は内面ー孤独ともいえる。
≪こういう喩えのストーリは如何であろうか?》
ー熊に追われ井戸に逃げ込んだら、そこは酒の涌く井戸であった。
鼠や蛇がそこにいて、酒で酔っている。好みの美人もそこで酔っている。
この際自分も飲んでみたところ、その酒の美味いこと。
あまりに美味いので飲みすぎて泥酔してしまった。
ふと外をみると追いかけてきた熊ー現実もいなくなっていた。
それまでの記憶をすっかり忘れて外にでると、いないはずの熊に食べられてしまった。
これ、酒で失敗した男の話でしかないか? 何回熊に食べられた事か???!

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[157] 自殺  2001/09/24 09:49 NoName

 ホテルオープン後10年で初めて自殺が出た。
やはりくるべき時がきたかというのが実感であった。
まだありありと憶えている、警察が呆れていたいたことを。
「確認に来たあまりに冷たい旦那と舅の態度を。」
‘表象’を見ただけだからその2人のことを責める事ができないが。

 まずは神主を呼んで御祓い、その後1週間客を泊めず閉鎖。
その後私が泊まる。さすがかなり酒を飲んで、酩酊状態で泊まった。
そのバスで(亡くなっていたバスに入ったが、怒りでそのドアを殴りつけた。
その跡は今でも残っている。今でも新潟で泊まる時は7割がたその部屋である。
ヤクザとか危ない客(私もそうか)が来るとその部屋に泊めるという。

 そして5年後再び自殺、そしてその2年後から毎年1人出ている。
朝7時前電話があると、ああまたか!ヤクザの脅しか自殺かと!
最近ヤクザのそれはほとんどなくなったが。
「ヤクザは自動的にに3秒で‘暴力団担当’と‘機捜’と‘駅前交番’に電話する事が
マニュアル化してあるからだ。これは彼らは情報で解っているから絶対にこない。」
間抜けな流しのそれが来るが、すぐ青い顔をして出て行く。
今はもう止めた。最期の部屋に泊まって戴いて有難うと思うようにしている。

 自殺の方法とその事情は当事者として詳しく警察から聞くことができる。
そして、それぞれの人生の深遠さに身も竦むことがある。
見事な死にかたにバスタブにシーツを敷きその後、
お湯を一杯溜め睡眠薬ウイスキーを飲んで溺死。
もし死にたくなったら一番よい方法ではないか。