行方昭夫『英語の発想がよくわかる表現50』

 勉強に行き詰ったときとかに精神のリフレッシュをするために新書をよく読んだ。かつては新書の種類も少なく、フォローしやすかったし、また出る新書には毎月のように話題作があって、新刊が出るのが楽しみだった。今は平積みになっているだけでも半端じゃない数があり、暇なときは宝探しな気分でワクワクするけど、疲れも吹っ飛ぶという作業ではなくなっている。祭りで横浜に帰るので車中でめくろうと新書を物色。ジュニア新書にあったこの本を購入した。前に読んだ『英文快読術』がめちゃめちゃ面白かったからだ。

英語の発想がよくわかる表現50 (岩波ジュニア新書)

英語の発想がよくわかる表現50 (岩波ジュニア新書)

目次

I 英語らしい英語 日本語らしい日本語  
 Waterは水じゃないの?/英語は「大」から「小」へ/退屈なのは誰のせい?/流行語や新語にとびつくより etc
II この英語はどう訳す?  
 コンテクストは大事!/イディオムは化合物/まだ辞典に出ていない表現/辞典の訳語はどう使う? etc
III 小さな違いに注目  
 「思う」のいろいろ/おおげさな言い方/andのいろいろ/ofは「の」だと思い込まないで etc
IV 文全体の姿に気をつけよう  
 句読点で意味が変わる!/省略されているのは何?/仮定法は仮定だけではない!/挿入構文に慣れよう/翻訳の手作業は続く etc
V さらに意欲のある人のために  
 名文の徹底理解/さまざまな英語/多読のすすめ

 昔の英語雑誌には、英語の勘所、落とし穴、ワンポイント・レッスンなどが、エピソード満載のエッセイみたいにして書かれたものがたくさん載っていて、それがめちゃめちゃ面白かった。そう語る著者は、とっておきの失敗談、「キター!」と叫びたくなるような体験談などを交えながら、一章一つ、英語らしい発想の勘所を説明した上で、核心を一度みたらガツンと来て容易に忘れない英文にして章末にリストアップするという基本構成で提示している。モチーフとなっているのは、『和文英訳の修行』の500の短文で、英語発想のエッセンスが凝縮された英文を暗記することで、英語を読んだり、書いたり、教えたりすることの骨格ができたということであって、このことは『快読術』にも書いてあった著者の基本的な方法論だと思う。『修行』のほうは修行というだけあって、しゃにむな訓練が不可欠なわけだけど、そのような修行の意味をわかりやすく説いた本だということができるかもしれない。
 たとえば、「大から小」というのは、「He struck me on the head.」みたいに、「ぼくをぶった」→「あたまを」みたく大雑把にゆって絞込みをかけるという発想があるなどと説明し、『快読術』で「語順どおりみてゆくこと」などとして論じてあったことを感覚的に理解できるように工夫してある。しかも、類例を挙げつつ、最後はラフカディオ・ハーンの文章なども交え、丁寧に説明を行い。章末に四個の英文が掲げられ、さあ覚えろ!ということになるわけだが、これがストンと記憶に定着しやすくなっている。前に「読みほどき」としてブログで論じた「ofの格」の話なども、Ⅲで論じているが、リンカーンのゲチスバーク演説などを例にし、高校時代の先生の理路整然とした説明などを交えながら説明し、発想の勘所が身にしみるような単純な英文を提示しまとめている手腕には驚く。Ⅳで論じている無生物主語の話、仮定法の話、挿入構文などの話題は、かなり高度な論文を読む技術論ともなるものだと思うが、悪魔のように説明が上手いのでぶっ飛ぶ。英英辞典を使えなどという類の本ではなく、英和辞典は重要、英文法も重要と説き、コミュニケーション重視の英語教育に一石を投じるかたちになっているのも、「読めるけど・・・」の世代には痛快なものがある。あてくしは、ろくに読めもしないけど・・・。w
 アマゾンのレビューに「例文は全部で57あります。通し番号を付けるくらいのことができないわけはないと思うので、それならタイトルの50っていうのはまやかしっていう気がする。残念!!」とあったのには笑いますた。すげぇ。数えている人がいるんだね。もう一つのレビューは、私といっしょで説明の上手さに感嘆しています。社会学でも誰かが、同じようなものを誰かジュニア新書で書けばいいと思う。もちろん高校生でも読めるように。

-+-SPEED GRAPHER-+-

 暑い。起きて耳鼻科で点鼻薬をもらいブランチ。暑い。仕事がはかどらない。最近録画するようになった『SPEED GRAPHER』をみながら、ボーっとしていたら、『あぶない刑事』がまたまたつくられ、『まだまだあぶない刑事』ということで上映されることになったことを知る。ごぞんじ、まだまだもっこ館ひろしと、でかべやではややひねった芸風みせはじめた柴田恭平の共演。すっかり親ぢになった2人がどんなアクションをするのか。「あの時代」をおくったものには、めくるめく一夜のひと盛りの饗宴の記憶をたぐりよせ、我が身に重ね、さまざまな思いをめぐらせるのではないだろうか。バブルのこぼれにあずかって、ちょっとイイ服を着て、美味しいものを食べ・・・という生活のスタイリッシュな象徴としては、なにもトレンディードラマだけではなく、かっこいいアクションもあったんだなぁとしみじみと思う。浅野温子からなにから、サイキックなひねりは微塵もなく、底抜けにぶっ飛んでいた。そんな記憶のかけらの一片として、デュランデュランの『グラビアの美少女』があり、プロモで定評のあったゴドリー&クレーム作品によってやばい饗宴のデカダンスがウルトラポップに表現されていて、しかもカメラのシャッター音がトラウマのように残響し、とてもかっこいい余韻を堪能することができる。それをモチーフにした作品には、潜在的な期待があったと思うのだが、あざといまでにみごとな作品化をしてみせたのが、『-+-SPEED GRAPHER-+-』であると思われる。

 HPには、年齢層は高くとり、30〜40代の潜在的なアニメファンを掘り起こすと、制作モチーフ意図が明言されている。「だからといって、マニアックなものではなく、高尚な思想や哲学を声高に掲げるのではなく、あくまでエンターテイメントとしての作品作りを目指します」というのもよくわかる。『攻殻機動隊』などは、鬼かっこいいが、むずかしいというか、ちょっと理屈がうるさいという声を、ヲタクでない人々からはよく聞く。こね回す理屈ではなく、映像からダイレクトに伝わってくる感覚的なかっこよさと、若干の浪花節みたいなものがあると、通俗的ながらわかりやすいという気がする。浪花節は偽悪がすぎるよなぁと思っていたら、HPには「アクションとファンタジーと人間ドラマ、現実と非現実、日常と非日常のはざまで織り成す物語」とあり、それを「大人の童話」と括っている。なるほど・・・と得心した。アニメなど語る資格もない私なのであるけれども、親ぢの一人としてなにかゆうのも悪くないんじゃねぇかということで、ちょっとだけ話してみたいと思う。
 状況設定も狙い澄ましたものであるように思う。「バブル戦争から十数年」たった時代設定。「世界は富める者と貧しき者の二極分化が急激に進」んでいるという社会認識。そして「富める者はひたすら己の欲望と快楽を求め、東京はその欲望を満たす快楽都市と化した」という現実を一方で見据えている。

 斜陽の一途をたどる東京の中で、あだ花の様に咲く現代のソドム「六本木」。その中で、その存在をまことしやかに噂される秘密社交場。実は巨大コングロマリット「天王洲グループ」が生み出す第二次バブルの中心地であり、政治、経済、学術、芸能等、各界において日本を牛耳るセレブリティのみが出入りし、互いの秘密を共有している

というファンタジーを対置する。やばいくらいに、計算された設定だと思った。これはやっぱし、パチンコCRエヴァンゲリオンで初号機が「くぉ〜くぉ〜」とジラースもぶっ飛ぶようなもの悲しい声で泣きながら、攻撃目標を引き裂いてゆくようなりあるとも違うし、またその先にある、勝ち組だけが享受できる制御、忍耐、欲望全開のドラマと、こぼれた者の喪失感すら喪失してしまったようなリアルとも違う、もしかしたら、あのときみたいに、こちとらですらちょっとおこぼれにあずかれるかもみたいな期待もありつつ、他方で病気やトラウマなリアルも盛り込まれていて、しみるなぁ〜みたいな。
 必殺技「写殺」こそが、「グラビアの美少女」が主題歌たる所以のものだと思うし、連続するシャッター音というモチーフを象徴するものであると思うのだけれども、なんか北斗の拳みたいじゃないなどと思いつつ、みてみると非常にスタイリッシュで(・∀・)イイ!!と思いますです。昨日のはタイガーマスク仕様?などと思ってしまいますたが、もちろんそれにとどまるものではありませぬ。でもやっぱくりかえしみるのは、出だしの「グラビアの美少女」のところ。一カ所(銃を舐めるところが)アレかなぁと思ったけど、気のせいかもしれない。ちょっとフルクサスっていいますか、トリップ気味の映像マジックは、非常にすばらしいものであると感じますた。これからは、やっぱ団塊の世代がはまりまくるようなものができないとあかんのではないかなどとも思ったりもしたのですが、なつかしさと、かっこよさがいいバランスで、深夜にもかかわらず、録画しているにもかかわらず、みてしまうことも多いのであります。
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