ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

論文ごっこ?

「早く論文書いたら?もったいない」と今回も言われましたけれど、本音を言えば、あまりやる気がないのです。すっかり志気が落ちてしまっているからです。日本語では特に書きたくない!だって、私のテーマは、英語論文では、早いところで1970年代にもう出ている内容ですし、単に日本が遅れているだけなのに、後から追っかけておいて、この歳になって「私の業績」なんて、とても恥ずかしくてそんなこと言えません!いくら何でも、そんな厚かましい....。世界キリスト教情報などにも、既にストックがあります。マレーシアと国交のないヴァチカンにも、報告が毎年行っていると聞いています。

そういえば、ドイツの大学で旧約学の博士号を取得された教授が、数年前に全く同じ事を言われました。「あそこに私の名前が載っているけれど、本当は、やりたくない!」おとなしい感じの先生なのに、嫌悪感丸出しの調子で強くおっしゃったので、よく覚えています。

第一、今から書いても、忙しい現代では、じっくりと読んではもらえないだろうし(←実際、某大学や某所でそんなことがありました)、もしも、聖書学や聖書翻訳を知らない人や、意図的に辛辣なコメントを寄せたがる人から、変なコメントが来てぐったりと意気消沈したとしたら、その時の精神的疲労は、誰が責任とってくれるんでしょうか?証拠のために苦労して集めた資料も、「誰も読みませんから不要です」と返ってきた時には、もう資料を燃やしたくなりました。(←「まともなジャーナルならそんなことはないですよ」とおっしゃった先生がいましたが、これまでの私のごく限られた経験では、多分それは海外になると思います。)

第二に、バカみたいに時間のかかる割には話が単純過ぎて、発表すればするほど、こちらの知能も低く見られるのは当然としても、あまりにも屈辱的過ぎます。しかし、その原因は、そもそもどちらにあるのかと言えば、マレー・ムスリム当局の執拗な抑圧と干渉です。たったそれだけのことを正確に論証するのに、これほど時間がかかったということは、池田裕先生が私に書簡でおっしゃったように、それほど「問題は本質的で重要であるということではないでしょうか」。

ただし、英語で書くなら、少なくとも、海外のキリスト教関係者やマレーシアの神学院や教会指導者層は喜んでくれるでしょう。私の論文の一つは、シリコンバレーにある3000人の合同メソディスト教会の礼拝でも引用されたことがあります。後で知ってびっくりしましたが、見ている方は見ていてくださるのですね。(そこの主任牧師が、80年代にイバン人伝道に関与し、現在はリーダーとなっているあるイバン人クリスチャンが、海外の大学で修士号を取得できるよう助けたそうです。)狭い大学の中で、「論文、論文」「業績、業績」とえらそうに言ってみたところで、世間の人は「今の大学って成り上がりが多くてねぇ。昔のように学問的じゃないのよ」と…。(←イスラエル旅行でご一緒した年配の女性が、私におっしゃいました。よく聞く話です。)

今回の発表後、インドネシアムスリムも聞いてくれたと報告したら、マレーシア神学院のスタッフが、「それはよかった。ペーパー送ってくれる?これからも、よい仕事を続けてください。何か書くなら、テーマを教えてね。こちらが持っている参考文献を送るから」と書いてきました。当事者の現実感覚から来る切実な問題ですから、私の書くものでも、何らかの資料に使ってくださったなら、その方がかえって報われた気持ちになります。私の母校も含めて、わけのわからないことを言う競争的な大学環境より、よっぽど精神衛生上よろしいかと思うのです。ほとんど奉仕精神ですが、不思議なことに、その方が内側から喜びと前進の気持ちが湧いてきます。

どの国であっても、聖書翻訳はいつまでも記録に残ります。どんなに政府が抑圧をかけ、聖書を燃やしたとしても。マレーシアでは、独立直後にマレー語聖書分冊が燃やされたそうです。海外の神学ジャーナルにちゃんと書いてあります。しかし、残りの分冊の一部は、きちんと日本の銀座にある聖書図書館に保管されているのです!数年前に東京外大の共同研究員をしていた頃、部分複写して入手しました。

キリスト教が嫌いな人でも、無宗教だという人でも、こういう話を聞けば、諸手をあげて当局に賛成するという気には、普通ならないのではないでしょうか。2003年のイバン語聖書発禁の時も、2001年9月11日の同時多発テロの余波がまだ濃厚に残っていたためもあり、国内の非ムスリムはもちろんのこと、海外からも、「聖書に真実が書かれているかどうかはさておき、それを決めるのはムスリム当局ではなく、イバン人自身だ」という批判が寄せられました。通常は、人道的見地からも、そういう反応になるかと思います。

口頭発表の目的は、大学の先生方に事実そのものを知っていただくことです。専門外の人にはすぐに通じる話ですし、いい先生なら「知らなかった」と正直におっしゃいますが、専門家や学者を称する人の方が、かえって妙な理屈をつけるので困難です。それに、「それは宗教の問題ではなく、民族の問題だ」とか、「経済格差の問題だ」「抵抗の問題だ」などというすり替えもなされます。「もっと上手に表現すべきです」とも。お気持ちはわかりますが、もういい加減、いつまでも繰り返さないでください。事実を知ったとしても、なおかつ、「マレーシアは暴動も発生していないし、経済が発展しているからうまくいっている」と言い切れますか。私は、某大学の某研究会で、何度かそれを目の前で言われたのですよ。

こういう点で、今の大学と教会に対して、非常に幻滅し、落胆しています。

ここで、財団法人日本クリスチャンアカデミー機関誌はなしあい』(2005年1/2月号・第461号)から、理事長シュペネマン・クラウス先生の巻頭のことばを転載させていただきます。

「対話とテロ」(p.1)


「日本クリスチャンアカデミーの理念を象徴する「対話」の概念には長い歴史がある。その概念をはじめて用いたのは、18世紀ヨーロッパにおける啓蒙主義者である。当時、ヨーロッパでは近代化が始まり、自然科学の発達とともにキリスト教への批判が生じた一方、宗教の多様性が意識されるようになった。単独の宗教、哲学大系、学問のみが「真理」を所有することが求められず、「対話」によって「真理」が探究されなければならないと考えたのは啓蒙主義者の重要な発見であった。その後、対話の概念は民主主義的法治国家論の基礎となり、第二次世界大戦後、ヨーロッパ社会の諸種の葛藤を解決する方法となった。キリスト教的な立場から社会的責任を果たすため、戦後ドイツで設立されたアカデミーはその概念を基本的方法論として受け入れた。(中略)最近、対話の概念の意味が問われるようになってきた。現在、ドイツの人口の9パーセントは永住権を持つ外国人であり、その過半数イスラームの信徒、特にトルコ系住民である。20年後、EU内のイスラーム系住民の数は4千万人にのぼると想定されている。イスラームは近代以前の、啓蒙主義の時代を体験していない宗教である。


イスラームの中で、未だ少数派であるテロ事件を引き起こす過激的グループの扱いは、現在、法律および政治の問題になっている。それを背景にした真の問題はトルコ系住民をどのように地域社会で受け入れるかという点である。そのためにトルコ系住民とキリスト者との対話を試みている教会がもう既にある。しかし、その対話の試みはほとんど失敗に終わっている。その理由は、自らの絶対性を強調するイスラームは対話の必要性を認めないばかりではなく、キリスト教にとって重要である人間の自由と平等を拒否する傾向があるからだ。(中略)


外国人、特にイスラームの信徒が少ない日本にとっては、それは遠いヨーロッパの問題かもしれない。しかし、ヨーロッパの現状を見て、日本のアカデミーは対話の意味を改めて見直す時が来ていると思う。対話は価値多様化された現代社会の諸問題を解決するための重要な方法である。対話の前提には、真理の観念と認識の限界への洞察がある。カール・バルトは神と信仰を厳密に区別し、神は絶対完璧だが、信仰と神学は人間の業として不完全であると強調した。その立場に立つキリスト教は他の宗教や学問との対話を求める。その際、他の宗教や学問が対話を求めないと、どうなるだろうか。(後略)」

数年前、シュペネマン先生から、ドイツでの宗教間対話に関するお話をうかがったことがあります。教会にトルコ系ムスリムの二世や三世などが来て、クリスチャンと対話を始めるのですが、お聞きしていると、内実が何ともすさまじく、やり切れません。
例えば、パウロ書簡を取り出して、「女は教会内で黙っていなさいと、ここには書いてあるのに、ドイツの教会では女性が人前で指示を出している。これはキリスト教の教えに従っていない!なんでだぁ!!」などとやり出すのだそうです。これを聞いただけで、私など早々に退散したいぐらいです。あまりにも聖書釈義史というものを無視した話で、時間が一気に(いわゆる表面的な俗説上の)中世以前に戻るような感触です。
それにもかかわらず、日本では、「ヨーロッパはなぜ、ムスリム移民を受け入れないのだろうか」などという論調が、大学教授自ら、テレビでも大学でも大まじめに開陳されます。(一体、正気なんでしょうか)と画面を見ながら、呆れ返ってまともに見続ける気分になれません。しかし、現実にヨーロッパでは人口変動が急激に起こってきており、衰退した教会も大学人も、到底、その使命として逃げるわけにはいかないのです。良心的な知識人であればあるほど、非常に苦悩しているそうです。

ムスリム多数派地域ではクリスチャンが遠慮がちに共存しているという事実は、昔からよく知られたことです。ユダヤ教徒も同じでした。日本人ムスリムだって、自分でこっそりと声を潜めて私に言いました。「クリスチャンが遠慮しているんじゃない?」と。ですが、なぜ、日本のマレーシア研究では、「それは、妥協による政治形態をとっているからだ」とか「不平等を設置することで安定した社会を築いているのだ」とか「区切ることで共存している」とか「国外ネットワークで発散している」という説明で満足しているのでしょう?本当にイライラさせられる話です。ムスリムが現今の世俗化した世界にディレンマを感じているならば、共存している非ムスリムだって、逆の意味で、それ以上にイライラしているのです。それに付き合ってきた私も、もうこの辺でいい加減にしたいというのが、本音中の本音です!

去年、神戸でカトリック大阪大司教からヨハネ福音書の講義を受けていた時のことです。ちょうどその数日前に、レーゲンスブルク大学でのベネディクト16世の発言問題が起こり、大司教が何とおっしゃるか、密かに楽しみにしていました。さすがはこの池長潤大司教さま、講義を早めに切り上げて、ご自分からさっと「この度の教皇さんの件では、私も困っているんです」とおっしゃいました。「教皇さんともあろう方が、何という不手際を。教皇の地位にある方は、一言一言、すべてチェックされているんですよ」「あんなこと言ったら、ムスリムは怒りますよ」。

ところが、その後のお茶の時間に、居残った何人かの方達と、私が持参したカトリック中央協議会のニュースとベネディクト16世の講義全文の和訳を回し読みしていたところ、大司教がポツリと、「ムスリムとの対話は時間の無駄だ。彼らはああいう人達なんだ」「しかしドイツ人ですねぇ。はっきり言いますね」と本音を漏らされました。アフリカのあるムスリム地域では、シスターが殺害された、とも。皆、顔を見合わせて重く沈黙するばかりでした。

静かに落ちついた暮らしの方が、よほど自分に納得のゆく充実した人生になるかと思っています。その中で、じっくりと良書を読みながら、書くなら英文で、当事者のお役に立ててもらえる信頼性のある資料を、コツコツと丁寧に作っていきたいと考えています。日本軍占領期のお詫びも兼ねて、マレーシアのキリスト教史の資料構築に参画できるなら、望外の喜びです。