ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ミラン・クンデラを読む 《続々》

昨日のように、トーマス・マンについて書くと、いかにも前現代作家といった風情を感じるのですが、皆様はいかがでしょうか。
というのも、このところ、ミラン・クンデラの作品を読み続けていて、抒情性からの脱却、共産主義批判と反全体主義パラドックス、冗談とシニシズム、虚偽と犠牲、暴力、忘却と笑い、誤解と幻滅、などをキーワードとする、いかにも「現代的な」(いや「ポストモダン的な」(?)←あまりこの用語は好きではありません)テーマを考えさせられるからです。聖書やキリスト教神学に関する軽い考察めいたものも含まれていて、ますます興味を持ちました。
今は、『生は彼方に≪新版≫西永良成(訳)早川書房1978年初版/1995年改訂第1版)に入っています。しかし、おもしろいですね、クンデラ氏は。あまり世の中の流行を追うのは好きではなかったのですが、さすがはフランス在住チェコ人の人気作家だけのことはある、と思いました。あたかも、孤立していた自分の感覚が広く世間とつながったような感触です。うん、なるほど。
というわけで、早速、近所の図書館に行って、『不滅』『笑いと忘却の書』『別れのワルツ』を予約してきました。楽しみです。
You Tubeという便利なツールのおかげで、ミラン・クンデラ氏の1968年のインタビューを見ることができます。他にも、フランス市民権を取得した時の挨拶なども見てみましたが、一番好きなのは、やはりこのインタビュー。白黒画面なのも、時代を反映させていて大変いいですし、何より、風船をふくらませた空気椅子のようなものにゆらゆら揺れながら座っている、若かりし頃のミラン・クンデラ氏の落ち着いた語り口やはにかんだような表情が素敵です。ただ、残念なのは、フランスのテレビ番組のため、当然のことながら全部フランス語で語られていて、肝心の1968年も、旧ソ連侵攻前なのか後なのか、「プラハの春」について何と語っているのか、あるいは語っていないのか、まったく見当がつかないことです。どうやら『冗談』について語っているらしいのですが。どなたか、翻訳テクストをご存じでしたら、ご教示いただけませんでしょうか。
昨日は、たまたま目に留まったグラスゴー大学のJan Culik博士のクンデラ概説を英語で読みました(http://www2.arts.gla.ac.uk/Slavonic/Kundera.htm)。専門外なので、この概説書がどういう位置づけにあり、どのような意味を持つのかはわかりませんが、少なくとも私にとっては、チェコ語あるいはフランス語から翻訳された日本語版で読んだクンデラ作品について、英語で解説を読むということは、自分なりの読後感を確認する上で貴重な経験だと思いました。ただし、正直なところ、英語で読んでも日本語で読んでも、細部やニュアンスはともかく、私が理解した範囲内では、意味がそのまま伝わっているらしいことが判明しました。換言すれば、日本語翻訳者が書いている内容は、日本から見た独自の視点を新たに提示するというよりも、日本語を通して向こうの情報をこちらに移しているということです。
それはともかく、どうやら、ミラン・クンデラ氏は、各言語に翻訳された自分の作品にはご不満が多いようで、フランス語翻訳を自分で作り直すことまでしたとか。日本の翻訳者にも、底本の確定版を指示して、再度、一人の訳者が統一して翻訳し直すような要求をしたそうです。
チェコには戻らないものの、深い郷愁をお持ちのようです。チェコは、従来から、小国ながらも文化水準が高いと言われ、そのことに非常に誇りを持っている人々が多く、ついでに、日本のチェコ語習得者にも、同等のプライドの高さが垣間見られるのだそうです。だとしたら、翻訳にもあれこれ注文をつけたくなるのも、当然の成り行きかもしれませんね。
ミラン・クンデラ氏が、セルバンテスを評価していたと前述の英文概説で読み、早速、遅ればせながらも『ドン・キホーテ』を牛島信明(編訳)岩波少年文庫版(1987/1992年 第11刷)で借りてきました。実は、スペイン語が趣味でかれこれ20年以上も独習してきたにもかかわらず、お恥ずかしいことに、まだセルバンテスをまともに読んだことがなかったのです。セルバンテス研究でスペインの大学から博士号を取得された清水憲男先生が、ラジオ番組で「実は、スペインでは、ドン・キホーテを最後まで読み通した人が案外いないんです」と驚いたようにも嘆くようにもおっしゃっていたのを学生時代に聞いた記憶がありますが、考えてみれば、かの源氏物語だって、日本人の中で、果たして何人が、最初から最後まで原文で読み通したことがあるでしょうか。たいていは、ダイジェスト版のようなさわりの部分だけ知って満足し、話の種に引用しているというようなケースが多いのではないかと思います。
と、言い訳めいてしまいましたが、同時多発的に、セルバンテスミラン・クンデラを読んではおもしろがっている最中です。これも花粉の時期だからこそ、です。元気だったら、もっと外でも活動していなければなりませんから。あ、そうそう、清水憲男先生の『ドン・キホーテの世紀』も予約に入れておきましたよ。
音楽については、苦手なバルトークに挑戦してみました。
・『バルトーク/ルトスワフスキ 管弦楽のための協奏曲パーヴォ・ヤルヴィ(指揮)シンシナティ交響楽団2005年
・『バルトーク ピアノ協奏曲 第1番2番3番ピエール・ブーレーズ(指揮)+クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)シカゴ交響楽団+レイフ・オヴェ・アンスネス(ピアノ)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団+エレーヌ・グリモー(ピアノ)ロンドン交響楽団2005年

パーヴォ・ヤルヴィエレーヌ・グリモーの組み合わせで、大阪のフェスティバル・ホールの演奏会を堪能したことが懐かしく思い出されます(参照:2008年5月30日付「ユーリの部屋」)。

好奇心があるから、いろいろと読んだり聴いたりする意欲がわくわけで、二十代の頃は、正直なところ、この歳になって自分がこんな風になれるとも思っていませんでした。周囲の直言を鵜呑みにして、二十代以降は、記憶力も体力も落ちて、何かと下降するのだとばかり思い込んでいましたから。小学校と学部時代には、比較的、本を読んだ方かとは思いますが、中学高校の間は、とにかく学校の課題と部活とピアノの練習に明け暮れて、ほとんど本が読めませんでした。恐らくは今、その頃の埋め合わせをしているのだろうと思っています。