ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

まじめなエイプリル・フール

今日から4月。エイプリル・フールですが、例によって私は、何もしません。いつも通りの生活(参照:(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080401)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080402)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100407))。
昨日、古い邦訳論文を複写したものを国会図書館から送っていただき、PDFに作ろうとしたのですが、案外に、日本語文という縦文字は、操作が面倒なのだということにも気づきました。何度やっても、ページが英文風になってしまうのです。仕方なく、お手数ながらも、先方に操作していただくしかありません。それ以上に、日本語が読める(人が近くにいるかどうか)という点も不明なのですが。
先方の望みというのか頼まれ事というのは、「自分の書いた文章が日本語になるのを見たい」ということでした。1980年代半ばに、奨学金を得て日本にしばらく滞在されていたので、かなり後になった今、懐かしく思い出されているのでしょうか。
一方、よく考えてみると、最初はちょっと軽率というのか、安易な思いつき程度に声をかけられたのかもしれません。私にご指名があったのは確かですが、「もしできないなら、誰か他の人を紹介してくれないかな」などということでもありました。「自分には、日本語スタッフのようなリソースは持ち得ていないから」との由。その割には、しばしば日本を(良くも悪くも)譬えに出されるという....。一方的な片思い的な思い入れみたいな愛着を、日本に対してお持ちなのかしらと、最初から感じていました。
逆にいえば、もしかしたら、ご自身が断られる確率が増えたのかもしれないということの証左でもありましょう。傷つかないために、まずは声を軽くかけてみて、相手の出方次第で、要求を出してみる、という。しかし、前から少し気になっていたのは、社会言語学的な戦略がほとんどできていないな、ということ。やはり、文献だけで研究しているタイプだな、と。
だからこそ、正論なのに、世の中では通りにくい面があったのでしょう。それと、既に世の中は、より複雑化し、人々の情報接触率も格段に変化したのにもかかわらず、依然として、昔ながらの思考パターンから抜け切れていない部分も垣間見られます。
ここ一連の自分なりの試行錯誤やさまざまな模索を通して、日本って、表面的にはダメなところが目につくけれど、案外、自分が思っているほどには底力がなくもないんじゃないかなって思いました。イスラーム研究にしても、先方は、ご自身の英語、フランス語、アラビア語能力および若い頃の旅行経験、最先端の情報に触れていた中年までの体験などに、相当自信をお持ちのようですが、一方、日本は日本で、いろいろな面で、既に米国の下請け子会社ではなくなっているのです。私が粘りに粘ってごねていた間、そこを読み誤ったかなと、ご自身も気づき始められたようです。
日本政府の基金で、トルコ語ペルシャ語アラビア語の各地元紙の翻訳データベースを東京外大が作り始めたのは、しばらく前のこと。私も、メーリングリストを申し込み、受諾されました。本当は、マレー語かインドネシア語も入れていただきたいところですが、情報の質で言えば、英語でも間に合ってしまっているので、恐らくは、実現しないのかもしれません。
ともかく、グローバル化および全世界的なイスラーム復興については、専門家の叡知を仰ぎつつも、各人が草の根レベルでも意識を高め、よりよい方策および実践を考えていく必要がありそうです。