ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

日本を理解してくださる西洋学者を

それにしても、翻訳著作権について(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120405)、充分には法を知らなかったのに、直感的に咄嗟の判断で、英語メールで「第二次著作権」と書けたのには、我ながら驚いています。
そして、相手側の「先生」が、さすがに日本独自の込み入った法体系に、それなりの「敬意」を払ってくださったからこそ、面倒なことは避けたいという判断に至ったのではないでしょうか。もし、(その程度なら、こちらの手の内にある)と思えば、何とか手続きに入れなくもなかったからです。そこは、第二次大戦で無謀な戦いを闘い、真珠湾攻撃が今でも話題に上りやすい米国とはいえ、一国の独立と安寧について、中東諸国の事例で痛感されているだけに、日本に対しては、(他の思惑もあるだろうとはいえ)好意的でいらっしゃるのではないかとも思いました。作戦練り直し、といったところでしょうか。
よく考えてみれば、社会言語学などで議論の的になりやすい「英語支配」問題についても、だからこそ、日本語のように、1億2千万人以上が用いているとはいっても、英語に比して圧倒的に言語市場の限られているような言語については、翻訳権でしっかりと保護しておかなければならないことが、今回、よくわかりました(参考:世界における日本語の相対的な地位確保の問題についての示唆は、2008年12月15日付「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081215)を参照のこと。さらに、社会言語学的な興味深い考察としては、ロリアン・クルマスことばの経済学Florian Coulmas, Die Wirtschaft mit der Sprachehttp://www.amazon.co.jp))。国会図書館の担当の方、どうもありがとうございました。大変に勉強になりました。
しかし、イスラエルヘブライ語の急速な「復権」の事例を見てもわかるように、結局のところ、形式的な「平等」ではなく、その言語で表現される内容の質的な意味が重要な価値を持つということ、これは、生存競争の激しい動物的な人間社会の、やむを得ない側面ではあると思います。ですから、これからは情報の価値がますます高まる社会であると言われるように、その価値を少しでも高めていくために、単に言語表現の量を数の上で増やすのではなく、質が厳しく問われていくのだろうとも予測しています。とはいえ、ガラパゴス現象という流行語から察せられるように、単に高技術で繊細で高品質を保っているつもりであっても、相手がそれに価値を置かなければ(あるいは、その価値がわからなければ)商品にはなり得ないのです。そこが難しいところだろうと思います。

それと同時に、独立社会の法治国家としての在り方についても、ほんの少しだけ、考えさせられました。マレーシアを長年勉強していて、うんざりするようなことも多いけれども、やはり、マレーシアの人々が、他者による支配から自立し、自分達の土地を自分達で治めたいと願ったというのは、お隣のインドネシアと比べて、かなり程度が落ち、時期も遅れたとは言え、その含意するところは、結局のところ、こういうことなんだろうな、とも思いました。繰り返し、マレー語復権イスラームに絡めて議論したがるのも、客観的な事実がわかっているだけに、より感情的で心理的なものから来るのだろうとも、こちらは承知しています。残念なのは、その実現性において、この厳しくテンポの速い競争社会では、質実共に花咲くことがなかなか難しそうだという現実にあるのでしょう。
もう一点、付け加えさせていただくならば、上記の「先生」が口を酸っぱくして書いていることの一つに、「ムスリム移民は西欧社会に流入しても、法を遵守しないで自分達の思うがままに、西洋の自由の権利や人権保障を行使する」という主張があります。それはもっともなことで、それに絡めた殺害事件などが、現に発生しているからです。何年も前に、ミュンヘン大学神学部の教授が来られて、某大学でドイツ語講演をなさいましたが、その時の、確か質疑応答でのことでしたか、「新たに住みついた国で、その国に元々あった法を守れないようなら困る」という(当時の雰囲気としては)思い切った、しかし的を射た発言が聞かれました。つまり、ムスリム移民がさまざまな理由で西欧に住むようになったならば、西欧の法律を遵守してほしい、ということです。それは、恐らく、近い将来の日本でも、いえ、現に既に日本社会のある一部で同様の問題が発生しているようですから、充分に耳を傾けるべき発言だったと思います。
それに、今回の一連の出来事から改めて痛感しているのは、保守であれリベラルであれ、自国に批判的なのは思想および言論の自由ではあるものの、その内容如何では、自国民の枠を超えた、国に対する忠誠に疑念を抱かされるような言動では、他国の人々からも信頼されることはないであろうという厳然たる事実についてです。つまり、「先生」が米国人であることを誇りにされているように、私だって、小さな国であり、ささやかなつましい暮らしを営んでいる者であっても、この古い歴史を持つ日本という島国を、誇りにしているのです。歴史を振り返れば、第二次大戦という誤った進路を国の指導者が愚かにも採用したことによって、多大なる犠牲を作り出し、また自らも被らなければならなかった時期もあったとはいえ、概ね、周辺諸国の人々には恨みがましいことではあっても、国内だけを見つめるならば、何と幸運に恵まれたラッキーな国だろうと思うのです。だからこそ同時に、土地なき人々、土地を理不尽に追われている人々に対する深い関心を持ちつつも、安易に事実に反して感情で流されることなく、現実的に考えていく必要があろうかと思います。また、自分のアイデンティティの根がしっかりあればこそ、どの国々や民族に対しても、同等以上の敬意を自然と払えると思うのです。これは、抽象的な概念ではなく、この歳まで生きてきた私の実感です。

話を元に戻しますと、ですから、その「先生」がムスリムに対して、はっきりと「西洋に住むなら、西洋文化を守れ」と主張しているならば、まずはその「先生」ご自身が、どこにおいても、穢れなき法遵守を実践していなければならないわけです。米国では問題がないとしても、日本国の法律では問題になることがあります。それがために、私の方から(それは先方の問題であって、私の関知しないこと)と黙認するのではなく、「もしかしたら、これこれの問題が発生するかもしれませんから、そうなさりたいならば、一応のお手続きを」と示唆できたのは、問題回避のためにも必要だったかと自負しています。というのは、日本語で読める資料の中で、従来から、残念なことに「先生」の活動内容に対する種々の非難や批判があり、その一部に、他国の翻訳についての悪口が含まれているのを知っていたからです。不必要な火の粉は予め払いのけておくのが、大人の知恵でもありましょうか。
さて、昨日は「ケンぺルさん」でしたが、今日は、最近、日本国籍を取得された「ドナルド・キーン先生」に触れさせていただければと思います。キーン先生のことは、2012年2月1日付「ユーリの部屋」でも少し言及させていただきましたが、もともと、国文学科の学部生だった頃から、新聞記事を集めたり、関連文献を読んだりして、敬愛しておりました。ただ、まさかこの時期に及んで、「日本人」として余生を日本で過ごそうとされるだろうとまでは、当時、予想だにしておりませんでした。
今朝の朝日新聞be on saturday 記事です。

・「自分の魂を使っている」。


・「ほかの人がやっていない、新しいものを見つけることに喜びがある」。


正岡子規は「自分は英語がまったくダメだと、しつこいまでに随筆に書いていた」が、実は「当時の資料を丁寧に読んだら、かなりよくできたことが分かりました」。


・「独自の感性で、ほかの研究者があまり目をとめることのなかった事実に光を当て、まだ、だれも触れたことのない人間像を浮かび上がらせる」。


・「学問は一生のものです」。


・「話をしているうち、いつの間にか、被災した人たちへの愛情で胸がいっぱいになりました。自分はそうした人々と共に生きたいと。大きな体験でした」。


・「気質的に日本に合っていると感じることも大きいです。一つが日本の礼儀です。物を買えば店員が必ず『ありがとうございます』と言う些細なことから、人と人のつき合いにも表れています」。


・「ロックフェラーセンターを買っていたバブル時代の日本よりも、今の日本の方が、役目があると思っています」。


・「日本の世界的な評判は、戦争に負けたために非常に上がりました」。


・「当時の常識では日本が立ち直るには50年以上かかると言われていました。しかし、私はそうは思わなかった。この国は遠からず甦ると」。


・「あらゆる可能性が一つの国民の中にあるということです」。


・「全体が好戦的というわけではなく、美しい芸術もつくっていました」。


・「文化にしても、戦前は、中国のまねに過ぎないという考えが一般的でした。しかし、今そう思う人は一人もいません。日本には外国にない、素晴らしい文化がある」。


・「今回、これだけの災難に見舞われながら、落ち着いた行動をとり続けた日本人への尊敬は、再び高まっています。私は日本が立ち直ることに疑問を感じていません」。


・「新しいものを、たちどころに消化して自分のものにする柔軟性です」。


・「驚いたのは、その変身ぶりです。西洋料理を進んで食べ、あご髭、口髭を蓄えた泰然とした姿へと変貌する」。


・「何より人間に興味があります。劇的な時代に、何を考え、何を恐れ、どういう風にして変わっていったのか、もっともっと知りたい」。

クローデルのように(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111223)、このように言ってくださる西洋人学者を、我々は心から感謝すべきことと思い、大切にお教えを継承し発展していけたならばと願っています。