ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

物事の両面を見ること

今日の午後は、何とか用事を切り上げて、最終日となったシャガール展を見に、一人で京都四条の高島屋まで行ってきました。朝日メイトのおかげで、無料で入場できたのはよかったのですが、少し時間切れで、最後の何点かは、三名ほどいらした警官の方達の「もう閉めますので」の掛け声に合わせて、早々と退散するはめになってしまいました。それにしても、結構、人が入っていたように思います。時間帯から中高年が中心でしたが、それでも、熱心に見入る人々がほとんどでした。
記念として、二枚ずつシャガールの絵画の葉書を買いました。例によって、メモをとりながら見ていたので、時間があれば、またこのブログで書ければと願っています。(シャガールについては、2009年7月1日・7月5日・7月7日付「ユーリの部屋」をご覧ください。)

神戸新聞http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/0004972259.shtml


お礼言えたら… 亡命ユダヤ人、神戸での写真発見 


 第2次世界大戦中の1941年、ナチスの迫害を逃れて亡命先に渡る途中、神戸に一時滞在していたユダヤ人たちを撮影した写真が見つかった。その中で最年少のマーシャ・レオンさんは81歳になり、米ニューヨークに暮らす。「神戸の人々はとても親切にしてくれた。一緒に写っている日本人にお礼を言えたら」と話している。


 写真は、フリーライターの北出(きたで)明さん(68)=東京都=が亡命ユダヤ人の来日について調べる中で今年3月、レオンさんから提供された。


 ポーランドワルシャワにいたレオンさんはナチスに追われて母親とリトアニアへ逃げ込み、約6千人のユダヤ系難民を救ったとして知られる杉原千畝(ちうね)・駐リトアニア領事代理が発給したビザを入手した。モスクワからシベリア鉄道に乗ってウラジオストクに行き、船で福井・敦賀へ。41年2月、神戸に到着した。「約200人いた親戚は、みんなドイツ兵に殺された。神戸は、そんな経験の後では楽園のようだった」と振り返る。


 神戸では山本通(神戸市中央区)にあったロシア人の家に滞在。当時10歳で、簡単な日本語を覚えたレオンさんは「元町の大丸百貨店へ行ったり、近所の女性に着物を見せてもらったりした」という。


 今回見つかったのは、同年6月、母親や他のユダヤ系難民と公園を散歩中、カメラを持っていた日本人に声を掛けて撮影してもらい、後日届けられた2枚の写真。難民は当時、カメラを持ち歩くことが禁じられていたため、神戸で写した唯一の写真だという。


 その後、レオンさん親子はカナダ入国のビザを取得。同年7月に横浜港から日本を離れた


 北出さんは「杉原千畝だけでなく、ユダヤ人亡命に尽力した日本人は多数いた。神戸でも地元の人々との温かな交流があったことがうかがえる」と話す。調査結果を本にまとめ、6月に出版予定という。(神谷千晶)

(2012/04/14 11:19)

という記事を偶然見つけたのですが、一方で、次のような記事も読みました。

http://www.kobe-np.co.jp/rensai/cul/126.html

「神戸・ユダヤ人難民1940―1941」出版 日本女子大金子教授
  2004/01/20

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 ナチスの迫害を逃れたユダヤ人難民のうち、四千数百人が神戸を経由して他国へ渡り、生き延びた―。日本女子大教授の金子マーティン氏がその史実を検証し、「神戸・ユダヤ人難民 1940―1941」を出版した。当時の神戸新聞を主な資料として、戦時中の日本政府がとったユダヤ人対策や中継地・神戸での難民の様子をつぶさに伝えている。(平松正子)
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仮の安住地 史実を検証/神戸新聞を資料に


 金子氏は一九四九年英国に生まれ、五六年に初来日。ウィーン大大学院で学んだ。専門は少数民族への差別問題で、三年前から神戸のユダヤ人難民について調査してきた。これまで在阪紙に基づく論文しかなかったことから、地元の神戸新聞に注目したところ、「驚くべき内容が次々に出てきた」という


 まず目につくのは、神戸にあった日本唯一のユダヤ人組織による“戦争協力”の記事。「ユダヤ人協会が皇軍遺族に一千円寄付」(三七年十月十五日付)「皇軍必勝を祈り、ユダヤ人が祈願祭」(四一年十二月二十二日付)。一方で「在神ユダヤ人がドル買ひに暗躍」(三九年五月三十日付)「ユダヤ人の密輸」(四〇年三月二十一日付)などの記事もある。


 ユダヤ人難民についての最初の報道は三九年一月十五日。「ユダヤ人お断り 神戸港でも昨年の暮から上陸禁止」との見出しが躍る。しかしその後、難民らはシベリア経由で敦賀から神戸へ続々流入。四一年二月二日には「祖国なき人々…仮の安住地神戸へ四千人」とある。同月十八日には彼らの姿を「青い帽子に青いオーバー、精力的体躯…子供たちが物珍らしさうにじつと見入る」「二人の若い青年が力強い握手!…追はれの身が異境で味ふ友情!」などと伝えている。


 「ユダヤの論調は当時の新聞に共通する。国際都市・神戸でも、ユダヤ人難民と市民が直接触れ合えなかっただろう。差別というより接し方が分からないまま、無意識に隔たりができているのは今も同じ。私自身も含め、差別意識は誰もが持っている。それに気づかなくては」と金子氏。


 本書は、現代日本の問題点も指摘する。例えば、世界経済をユダヤ人が牛耳っているというビジネス書や、ナチスの収容所にガス室はなかったとするホロコースト否定論など、「ヨーロッパでは到底出版できない」反ユダヤ主義の本が横行。また昨春の世論調査で、在日外国人について「日本人同様に人権を守るべき」という回答は54%にとどまり、「日本人と同じ権利がなくても仕方ない」が21・8%に上った例などを挙げる。


 金子氏は「日本には差別を助長したり、歴史をねじ曲げる行為を罰する法律がなく、人権意識に欠けた発言がまかり通る。この本では個人的見解を控え、なるべく多くの資料紹介に努めた。真に自由な読者の解釈に委ねたい」と話している。


 「神戸・ユダヤ人難民」は、みずのわ出版刊、四千二百円。
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実は、後者の記事に近い考え方は、2012年3月24日の「神戸・ユダヤ文化研究会」で知りました。というよりも、正確には、金子マーチン先生のご著書『神戸・ユダヤ人難民』が紹介されたのです。講師の方が、「世の中には、ずいぶん日本人が立派なことをしたように書く本もあるが、嘘だ。金子氏の本は、公平に書いてある」とおっしゃっていました。

では、私の立場はどうなのかといえば、
(1)神戸在住ユダヤ系共同体については、これから勉強したいと思います。
(2)研究姿勢としては、たとえ自分にとって都合の悪いことであっても、物事の両面を率直に事実に基づいて直視する勇気と態度を保ちたいと思います。
という、この2点に尽きます。

それにしても、難しい問題ですねぇ。何事も簡単に「差別」と称してしまいがちで、当事者も「差別された」と勘違いして自己主張するケースがあるようにも思えますが、この長い歴史の人類史の暗闇は、それほど重苦しいということです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120313)。