ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

物事はシンプルに考えよう

中央公論』に掲載されていた『フォーリン・アフェアーズ』の邦訳論文2本を、ダニエル・パイプス公式ウェブサイトに転載する件、本日付夜10時の段階で、ようやく何とかカタがついたようです。もしよろしければ、次をご覧ください。

http://www.danielpipes.org/languages/25

http://www.danielpipes.org/11384/
http://www.danielpipes.org/11399/

ふうっと一息。
もっとも、日本側の二つの出版社さんが2本分を確認されて「問題なし」とゴーサインが出た時が、本格的に「めでたく終了」なのですが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120531)。
それにしても、「イラン」「シリア」という、今ちょうどホットもホットな緊急地帯なので、パイプス先生としても、忘れていた昔の論文(1991年と1993年)が、自分のあずかり知らぬところで、いつの間にか日本語になっていて、しかも自分の知らないうちに雑誌上で読まれていたとは、今年1月中旬に、ひょんなきっかけで私と知り合ったからこそわかった、といったところでしょうか。また、パイプス先生が「中東フォーラム」を自宅オフィスとして立ち上げたのが、確か1994年でしたから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120521)、それ以前のフィラデルフィアでの勤務との絡みで、いろいろと思い出の詰まった論文なのでしょう。

そもそも、この一連の日本の「第二著作権問題」「翻訳者権」については、4月1日に私が自発的にPDFでお送りしたことが発端なわけです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120401)。最初は、パイプス先生もぬか喜びをし過ぎて、すぐにウェブサイトに掲載しようと思い立ったのはいいのですが、日本側の手続きの煩雑さと面倒さに、すっかり嫌気がさしてしまったようです。
考えてみれば、国会図書館(2012年4月5日)の規約に始まり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120405)、ホームページで私が見つけたフォーリン・アフェアーズ・ジャパン社(2012年5月8日から5月31日まで)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120519)と中央公論新社(2012年6月1日)の取り次ぎなど、事の始まりから2ヶ月以上も経ちました。
しかも、私が「先生のご著書って、日本の大学図書館の検索で調べてみたら、一冊も日本語になっていませんけど」などと、余計なおせっかいで最初の頃にデータを送ってしまったので、(これではいけない。日本での私の評判が悪くなってしまう...)と焦っていらしたのかもしれません。
気の短い先生のこと、いったんはあきらめかけたものの、私の「イニシアティブ」を尊重してくださり、すっかりおとなしく手順に沿ってくださったおかげで、今日という日に漕ぎ着けることができました。
一端、しかるべき組織に手続きを取り、宣誓書を提出して、転載許可が下りたら、その後は、案外に早く進みました(と思います)。

とはいえ、国会図書館で複写を依頼したものをPDF版に直す作業も、案外に時間がかかりました。さらに、それをWORD版にしないとウェブに掲載できない、ということでしたので、先週末は、慣れない作業にほぼ一日を費やすはめに。しかも、縦書きを横書きにすると、未発達の装置のためか、文字化けしたり、似た別の文字に勝手に転換されていたりして、テキストを見直す作業も必要でした。
そのうちに、眼精疲労。従って、時間を置いて休みました。
そして今朝。二回繰り返してプリントアウトしたテキストを見直して、ミスを修正。予想以上の時間がかかったのは、英語のようなアルファベットとは違って、当用漢字に平仮名に片仮名という、複雑な字数の組み合わせからくるものだ、と初めてわかりました。当用漢字が1850字で、五十音が二倍なので、約2000字相当を組み合わせて使いこなしているのです。昔、日本語教師をしていた時には、優秀な学習者に恵まれていたせいで気づくのが遅過ぎたとはいえ、確かに煩雑な書記体系ですね。
そのことは、パイプス先生も気にされていて、「その作業、時間かかるんじゃないのか?だったら、もうテキストはやめて、写真(表紙の絵?)だけにするよ」と週末にはおっしゃったのですが、「翻訳作業そのものよりは、時間がかからないと思います」と見栄を切ってしまった私でした。
そして、レヴィ君(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120525)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120531)。今回も「待ってました!」とばかりに張り切って、即座に、この2本をアップしたまではよかったのですが、更新する度ごとに、私から「あ、そこちょっと違うから直してね」みたいにメールがくるので、顔を合わせていないからイライラ衝突が避けられたようなもの、かもしれません。ただ、面と向かっていれば、口頭ですぐに伝えられるので、ストレス軽減かもしれませんね?

結局、日本語圏と英語圏の圧倒的な相違からくる感覚差もあると思うのです。パイプス先生にも書き送りましたが、英語の方が、数の上でも、インターネットのスピードの速さからも、我々日本語を使う者を遙かに凌駕しているため、日本語で書いて書籍の形で出版してしている人々が、従来のような正当な利益を得ることができなくなるのではないかと、インターネット版書籍や英語の勢いに恐れを感じて、今でも議論をしている、と。その懸念は、ある程度まで私もわかるので、「これが私達のやり方です。ご理解いただければと思います」を繰り返していたのです、と。

先程、パイプス先生からメールが来ました。結局のところ、「今回のこの小さな件は、一つの勉強になったよ。それに、あなたの国について、もっと知ることができた。うん、合衆国ではインターネットについての規制はそれほどないし、もっとカジュアル(無頓着)だね。権利みたいなことは、うるさくないからね」と。
へぇ、そうなんですか。翻訳者権や版権については、アメリカの方が厳しいことも多いのではないでしょうか。私自身、そういう印象を持っていましたけれど。
もし、インターネットで何でも発信できるとなれば、それこそ、睡眠時間を減らしてでも、スピードが速くて量産した方が勝ちですし、どこかで歯止めをかけなければ、本作りの伝統はどうなってしまうのでしょうか。あの紙のにおいや手触り、ずっしりとした本の重さなどの手応えが、記憶を助け、思い出作りに貢献していた面も大きかったかと思うのですが。
それと、「自由」という価値観を重んじるパイプス先生のお考えはいいのですが、日本のいわゆる「形式上の手続き」みたいな書面を、自分達に対する「規制」ないしは「批判材料」の種として、間違って受けとめられたかもしれない、と。
例えば私など、印鑑さえ押せば済むのなら、黙って押して、その後は身も心も軽く、と考えるのですが、そこで「なんでサインじゃいけないの?自分が自分であることを証明するには、手書き署名が一番。判子なんて、その辺で二束三文で買える代物なのに」と理屈をつけて、話をこじらせる人も、中にはいますよね?一方、西洋人ならば皆が文句をつけるのか、と言えば、案外に、自分の名前を漢字で考えて、それで判子を作って、喜んで押していた人々も、私の周囲では、皆無ではありませんでした。
だから、結局のところ、異なる文化を角度を変えて受けとめ、むしろ楽しんで、ガタガタ騒がないで素直に従った方がスムーズで得策だ、ということもあるのかもしれません。
今回の一連の件では、私としても、改めて勉強になりました。
日本側は誰もが大抵、「日本向けにサインなんかしている暇はない」「世界中のどこでも聞いたことがない話だ」というパイプス先生の反応に対して、くすっと電話口で笑っていらっしゃるのがわかりました。つまり、上記の私のごとく、「何かあった時のことを前もって考えて、予防的に、形式的な手続きだけは踏んでいただきます」という暗黙の了解が、どうも通じていないらしい、という含みの笑いではないかと想像します。
今から考えれば、それだけのことなら、最初の国会図書館の時から、おとなしく従っておけば、一ヶ月は早く、ウェブサイトに転載できたでしょうね。というのが、「今回は、いい勉強になった」という述懐に結びついたのでは、と思います。

そういえば、マレーシアでも似たようなことがありました。私など、どこか面倒くさがり屋なので、ガタガタ言わずに黙って従う、という方針でいたのですが、「一週間はかかりますよ」と、ご丁寧に手紙で指南してくださった、滞在経験の長いマレー語専門家の日本人男性が驚くほど、毎年、私の場合は二日ほどで、全ての手続きが終了していたのです。そのことは、ちょっとした語り草になっていたようです。今では懐かしい思い出ですが。脅されていた割には、初心者なのに非常にスムーズにいった、という...。
世の中、物事はシンプルに考えましょう!