2012年02月22日
雅楽 新しき古き響き/木戸敏郎・武満徹
本日、当財団から貴重な雅楽の復刻版CDが発売となりました。1973年に紫絃会(雅楽紫絃会)が録音した『舞楽 春鶯囀一具(しゅんのうでんいちぐ)』(VZCG-761)の初CD化です。詳しいご紹介は、当財団ホームページ「じゃぽ音っと」内の作品紹介ページ(◆)をご覧ください。それでは以下に全国のレコード店に案内した注文書の原稿をご紹介しましょう。(注文書の性格上、すこし誇張した言葉遣いとなっておりますが w)
幻の大曲「春鶯囀一具」の記念碑的名盤。全員が宮内庁の演奏家からなる紫絃会の録音。待望の初CD化!
●「春鶯囀一具」は舞楽の中でも大曲として特別に尊重されている作品。しかし、演奏に長時間を要することや多人数を必要とすること、更に高度の演奏技術が要求されることから、時に一部を取り出し演奏されることはあっても、全曲が揃った一具のかたちでは、長く演奏されることがなく、幻の大曲とされていた。/●昭和42年(1967年)3月、国立劇場第二回雅楽公演「舞楽」で、宮内庁式部職楽部の昭和期最高の楽長とも称される安倍季巌(あべ・すえよし)氏の5年間に及ぶ整理・研究と指導によって、遂に「春鶯囀一具(舞楽)」の復活演奏が実現し、これまで誰も知らなかった舞楽の表現力の偉大さをまざまざと発揮した。/●中でも全曲の半ばを占める無拍子の「序」は圧巻。/●本作はその6年後、再び安倍氏の指導によって、ほとんどが昭和42年の再興初演を体験している宮内庁の演奏家から構成される「紫絃会」が録音した、記念碑的なアルバム。今回が待望の初CD化となる。/●舞楽用の大太鼓の迫力ある音と、管方の響きも良く、力強い見事な舞立(まいだち)の演奏となっている。/●復興初演時と同じく、本盤録音でも安倍季巌氏が鞨鼓を演奏。/●木戸敏郎氏によるオリジナル解説原稿を復刻掲載。/●録音:昭和48年(1973年)4月16、17日 世田谷公会堂/●「春鶯囀一具」のCDは、東京楽所が管絃吹で演奏したもの(コロムビア、廃盤)と、伶楽舎(音楽監督:芝祐靖)が管絃吹で演奏した海外盤がある。/●伶楽舎盤では収録時間の都合で「序」は半分の収録だが、この紫絃会の録音では「序」は全曲演奏収録されている。
「紫絃会」
(「舞楽 春鶯囀一具」収録に参加した演奏者)
鞨鼓=安倍季巌
太鼓=東儀信太郎
鉦鼓=大窪永夫
笙=豊雄秋、林 広一、多忠麿、豊英秋
篳篥=東儀博、東儀良夫、東儀兼彦、安倍季昌
龍笛=上近正、山田清彦、芝祐靖、上明彦
上記のような紹介文が掲載されたCD注文書を、日本全国のレコード店や販売会社に数千冊配布し、その結果の初回注文数は、なんと全国で18枚。これが現実なのです・・・。当財団が発行している他の種目の日本伝統音楽作品もほとんど同じ状況です。したがって発売日に近所のレコード店に行っても、店頭で目にすることはまず不可能。これは、日本の伝統音楽をCDで記録し発行するという当財団の活動が置かれた厳しい状況を象徴しています。閑話休題。
さて、雅楽紫絃会は現在は存続しておりませんが、全員が宮内庁式部職楽部に所属し、当代一級の演奏者ばかりで構成された高度な芸術性を誇る演奏で知られた伝説の雅楽団体です。上に掲載した楽師の名前をみただけで、雅楽に関心の深い方には目も眩(くら)むような思いではないでしょうか。サッカー・ファンであれば、ペレ、ベッケンバウアー、プラティニ、マラドーナ、ロベルト・バッジョ、ストイコビッチ、ジダン、メッシの名前が並んでいるのを目にするようなものでしょう。
すでに当財団からCD復刻済みの紫絃会演奏の『雅楽大系』(4枚組)は、昭和37年度 第17回 芸術祭レコード部門芸術祭賞を受賞しており、今なお、第一級の雅楽の録音として燦然たる輝きを保ち続けています。
雅楽紫絃会のレコード録音はわずかしか残されていませんが、その中でも復刻を待望されていた一枚が最初にご案内した本日発売の作品『舞楽 春鶯囀一具』となります。LP盤発売から39年後の初CD化です。管絃吹(かんげんぶき;弦楽器が入った器楽のみでの演奏法)ではなく、舞を想定した舞楽吹(ぶがくぶき)〔あるいは舞立(まいだち)〕の演奏で収録されており、力強さと繊細さを兼備した至高の名演といえます。オリジナル・マスターテープのシートを見ると、まず世田谷公会堂で8チャンネルで収録された後、ビクタースタジオで2チャンネルのステレオにミックス・ダウンされたものと思われます。こうした古いマスターテープは全体に音質が経年劣化しており、復刻の際は、当時の最も良い音を留めていると思われるアナログLP盤の音を参考として聴いて、それに近づける補正を行なう必要があります。
LP盤はマスタリングの後にカッティングという工程があり、これも音質に大きな影響を与えます。同じマスターテープを使っても、カッティング技術によって最終的なLPの音はまったく異なります。よく、海外盤と国内盤のLPで音が違うのは、こうしたことに起因します。数年前、『鉄腕アトム・音の世界/大野松雄』のオリジナル・マスターテープが発見され、当財団からCD復刻した際に、コジマ録音のオリジナルLP盤とビクターからの再発LP盤をビクタースタジオのエンジニアの方と一緒に聴き比べたことがありましたが、同じマスターテープを使っていたはずなのに音が全然違って、ビクター盤LPのほうが断然よく、エンジニアの方からは「当時のビクターのアナログ・カッティング技術は優秀な職人が揃っていて、国内でもトップ・レベルだった」と伺いました。なので、たとえLPの音だからといって、それが当時のマスターテープの状態を十全に引き出した最高品位の音であるかは相対的な判断が必要となるわけですが、この『舞楽 春鶯囀一具』は1973年にビクターでリリースされていることから、オリジナル・マスターテープと聴き比べた上で、今回はこのLPの音に極力近付けるマスタリングを行なっています。
昨年、当財団では、本作『舞楽 春鶯囀一具』の録音にも参加している芝祐靖さんの作品集のCDを二作発行しております。『呼韓邪單于(こかんやぜんう)』(VZCG-748)と『復元正倉院楽器のための敦煌琵琶譜による音楽』(VZCG-749)です。これらも店頭ではほとんど見かけないCDかも知れませんが、内容はじつに素晴らしく、ぜひ多くの方に触れていただきたい音楽です。各作品の詳細な内容は、当財団ホームページ「じゃぽ音っと」に掲載しています。各ページに掲載したHMVのリンク先で試聴もできます。→(「芝祐靖」の検索結果)
雅楽関連の話題では、今週末に国立劇場で舞楽「蘇合香」(そこう)後編が上演されることもあり(当ブログ過去記事 <雅楽「呼韓邪單于」と舞楽「蘇合香」>)、わたしも、この数日は雅楽関連の本を読んだり音源を聴いたりして過ごしていたのですが、1980年にNHK-FMをエアチェックしたカセットテープが出てきて、懐かしく聴いていました。1980年5月8日に、上野の東京文化会館大ホールで第3回「東京音楽芸術祭」の開幕公演として開催された、東京楽所・雅楽演奏会のライブ収録音源です。
このFM番組は『秋庭歌 雅楽 新しき古き響き』と題され、演奏会当日、第一部として演奏された伝統的な舞楽(「舞楽 春庭歌」)と、第二部の武満徹作曲「雅楽 秋庭歌一具」をすべて放送し、音楽の合間に同演奏会の制作を担当した当時国立劇場に所属されていた木戸敏郎さんと作曲家武満徹さんのお二人による対談が挟まれていて、最初に伝統的な雅楽について、後半に「秋庭歌」についてお話しされています。
ちなみに、武満さんの「秋庭歌一具」(1979)は、1973年に国立劇場の委嘱で作曲された「秋庭歌」に、1979年にさらに5曲を新たに加えた作品で、1979年9月28日に、一部に二名の女性の舞を加えて(内ひとりは宮田まゆみさんでした)、国立劇場第26回雅楽公演で東京楽所(とうきょうがくそ)によって初演され、絶賛を博しました。翌1980年5月3日と4日、同じく東京楽所によってビクタースタジオでデジタル録音が行なわれその年の内にレコードが発売され、後にCD化もされています。上記の第3回「東京音楽芸術祭」開幕公演は5月8日ですから、レコード録音後間もない舞台演奏ということになります。おそらくメンバーもほとんど同じだろうと思います。
余談ですが、芝祐靖さんはこの武満徹さんの「秋庭歌一具」との出会いが契機となって、この作品の理想的な演奏を目指して宮内庁を退職され、雅楽団体「伶楽舎」を設立します。「秋庭歌一具」についてもいずれ機会があれば当ブログに書いてみたいと思います。左のジャケット画像は伶楽舎演奏によるCD「秋庭歌一具」(ソニー)。名盤中の名盤です。CD盤とSACD盤の二種が発売されています。
せっかくの機会ですので、以下に、1980年のFM番組『秋庭歌 雅楽 新しき古き響き』での、木戸敏郎さんと武満徹さんの対談の内、伝統的な雅楽に関わる部分をご紹介いたします。
【木戸】
わたしたち、何の疑いもなく「雅楽」と言っておりますけれど、中国の唐の時代に雅楽と言ったものと、わたしたちが雅楽と言っているものとはちょっと違うものなんです。と言いますのは、中国では、これは儒教の音楽を雅楽と言って、同じような楽器を使いながら娯楽用の音楽は、宴楽〔燕楽/讌楽〕(えんがく)だとか胡楽(こがく)だとか、そういうものがあったわけなんです。ところが、そういう音楽が日本に入ってくるときに、日本には神道があって、神道のための音楽として御神楽(みかぐら)があったわけなんですね。これは日本の国としては譲れない問題であったので、それで役所としては中国の役所の制度を真似て雅楽寮〔当時は「ががくりょう」ではなく「うたまいのつかさ」と発音した〕というものを作りましたけれども、そこでやっている音楽は、(中国で言っていた)雅楽ではなかったのです。
日本では御神楽(みかぐら)をまず一番大切にやって、それから唐から入ってきた宴楽だとか胡楽だとか、まあその頃、天平時代はもっと色々の種類のものがありましたが、そういうものが、その後だんだん少なくなって、唐楽(とうがく)と高麗楽(こまがく)になったという流れです。なので、古い文献を見ますと、雅楽という言葉は、雅楽寮という語は文献に出てきますが、ほとんどというか、まるで使っていないのではと思います。個々には唐楽とか高麗楽とか言っていて、総称的に言う場合は伶楽という言葉を使っていました。
これがずっと後になって、明治の頃になってから「雅楽」と言い出したんです。これは雅楽寮でやっている音楽だから雅楽と言い出したわけです。そして、中国の「雅楽」が儒教の宗教音楽だったので、日本の雅楽もそのように捉えるようになり、非常に堅苦しいものとして理解し出したんですね、これは明治以降になってからです。それと、明治以降の日本の国というのが天皇制中心に固まっていたことと、それから、雅楽というのが皇室を中心に伝承されてきたということがありましたので、それで雅楽を、非常に尊敬するというか、神聖なものだとする考え方が出来てきました。これは全部明治以降の話で、それ以前の雅楽は、もっと日本では気楽に見ていたと思うのです。
そのへんの誤解というものが、わたしは、雅楽に関する色々な手垢が付いていると言うのですが、もっと呑気に考えてはどうかと。たとえば雅楽というのは、これは日本に入ってきたのは8世紀で、それ以前に、唐という非常に文化の高い国で集大成されたのですが、その起源はペルシャだとかインドだとかその辺りで、あるいは各楽器をみれば笙という楽器の起源は南アジアですし、それから琵琶はインドやペルシャ、それから篳篥は中央アジアやむしろ中近東のほうにもあります。雅楽はそういうさまざまな音楽を集大成して入ってきたものであって、非常にスケールの大きな、そして非常に豊かな内容をもったもので、けっして国粋主義的な見方で押さえきれるものではないんですね。
そのような見方で雅楽を考えた場合に、従来の、といっても、ここ数十年のことなのですが、日本国内における雅楽の理解とはどうなのか。雅楽を、あまり窮屈にとらえる必要はないと、わたしは考えているのです。【武満】
ぼくは雅楽についてはまったく素人も同然なのですが。今、木戸さんのお話にあったように、唐において、非常に洗練されたあるひとつの、なんて言うんでしょう、集大成されてきちっとしたかたちの音楽になった、その儒教と結びついたということは、非常に大きいと思うんですね。それがまあ、中国の政治形態なんかとも非常に密接になって、上代支那正楽(じょうだいしなせいがく)っていうものになってですね、日本に入ってきて、たしか天平の頃には本当に胡楽とか唐楽、高麗楽、雑多にいろんな音楽があっただろうと思うのですが、それが今のような日本で言われている雅楽という、ああいった編成の上でも標準化されたものになった。
ぼくが最初に「秋庭歌」っていうのを今から7年ぐらい前に木戸さんからのお薦めもあって書いたときには、ぼくはまったくそのときは無知だったものですから、雅楽のオリジンと言いますか、編成でもいわゆる一管通(いっかんどおり)という最も原型的な組み合わせで書きたいと思ったわけですが。ああいう編成になったのは、いつ頃からなのでしょうか。【木戸】
楽器の種類があのようになったのは平安時代の中頃からなんです。ただし、みなさんが今、よく雅楽の管絃の演奏で接するあの並び方、前のほうに打楽器が並んで、中央に太鼓、鞨鼓と鉦鼓があって、その後ろに他の楽器がいるという。これは、お話するとみなさんがっかりするんですけれど、そうなったのは大正時代なんですよ。【武満】
そうだろうと思ったんです(笑)。ぼくとしては、まあ、楽器の並び方って言いますか、あれだけ性質の違う楽器を使って、しかも音域的に非常に限られていますよね。また西洋のオーケストラに比べてほとんど低音というものがありませんし、だいたい西洋音楽的に言えばト字記号でしかも大体オクターヴ上に鳴る。しかも、それぞれの楽器は音域が非常に狭くて、こういうアンサンブルっていうものは類例がないと思うのですけれど。
たぶん並び方も、今のようなああいう演奏会(コンサート)で並ぶようなかたちというのはね、あまり、必然性はない並び方ではないかとぼくは思っていたのですね。たぶんもうちょっと違う並び方をしていただろうと。まあ、これは、まったくわたくしの根拠のない空想に過ぎないのですけれど。それが、ぼくが「秋庭歌」なんかを書く、かなり強い動機になっているんですよ。
つまり、あれだけの独特な、他のオーケストラやほかの音楽にない音色とか響きとか、そういうものは、これは必ずしも正確ではないと思うけれども、いわゆる雅楽のヘテロジェニーって言いますか、ああいうヘテロジェニティっていうものは、楽器の並び方ね、空間にその楽器がある特殊な置かれ方をしていたために、かなりそういう問題が出てきていて、それを日本人が、きわめて日本人の美意識がですね、それをそのまま受け止めて、なにか特殊なものに雅楽というものを作り上げていったという感じが非常に強いんですけれどね。
たとえば琵琶とか楽箏などはまったく余韻のない響きですね。それと笙という独特なああいう音の紗幕のようなものがあって、それから篳篥というものがあって。普通だとなかなか融和しないんですよね。いや、それは、ぼくが西洋音楽に毒されているのかもしれないのですけれど。今みたいな並び方じゃなくてですね、もしかして、もっと空間的にまったくその自由な配置を考えてみると、なんて言うんでしょう、音楽的に、非常に独特な、雅楽っていうものの、ああいうヘテロジェニアスな、音がぶつかっていても平気だとか。【木戸】
そうですね。今の並び方が出来る以前、雅楽というのは、御遊(ぎょゆう)って言いますが、天皇陛下が中心になって、天皇陛下も演奏しながら楽しむ演奏のかたちがありました。そこで演奏される管絃では、その場合には階級順に並びますから、天子は奥まったところの真ん中にいます。それでその近くに公家の左大臣や右大臣がいて、それから身分によって色々と何人かいます。そして縁側、階(きざはし)がありまして、その外に地下座(じげざ)と言いまして、地下(じげ)といっても縁側なんですが庇の外になったところ、ここに地下の楽人、専門の楽人がいて演奏に参加します。天皇は琵琶を演奏し、大臣は箏をやることはもう決まっています。それから笙、笛がいて、篳篥はもう地下のほうへ行って、打ち物なんかは地下がやるわけですが、これは全体にかなり距離があるわけです。
それで、この楽器編成を考えてみますと、だいたい大きな音のする楽器ほど天子から遠いところにいるのです。そして音のバランスは天子のところで聴くのが一番いいようにできています。というのは、天子、天皇陛下に聴かせるためなのですね。ただこれは天皇陛下が贅沢で自分一人が聴くということではなくて、天皇陛下は天のこどもですから、天皇陛下を仲介にして天に向かって演奏しているという思想から、天子を中心にして演奏をしていたものらしいのです。そのあたりのことは『管絃音義』(かんげんおんぎ)という古い本がありますが、そこから分かるわけですね。【武満】
すると、結局ああいう特殊なアンサンブル、つまり、たとえば、仮に西洋のオーケストラというものを考えると、あの楽器配置は――もちろん指揮者によって好みで第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンと左右に分けたりする人もいますけれども――、だいたいある並び方の基準というものが出来上がっていますよね。あれは西洋の音楽を演奏するには非常に合理的に出来ていると思うのです。
ところがですね、雅楽の場合、それだけ空間的に色々なところに楽器が配されると、当然、西洋的な意味でのアンサンブルというのとは違って、あまり揃わないことが当たり前になりますよね。すると、おもしろいのは、多分ね、中国ではね、あれだけいろんなものの本では音階に非常に潔癖な民族ですよね、国民性があるし。ところが日本では、日本に入って日本化された雅楽においては、どうもその音階などについてもきわめてルーズなわけですね。それが、あの不思議な音のぶつかり合いとか、あるいは平調(ひょうじょう)に調律されているもので盤渉(ばんしき)の曲を吹くとかですね、たぶん中国ではそういうことは考えられなかったと思うんです。
ところが、日本の音感、日本民族の音感というのは非常に不思議で、楽器もあまり揃わなくてもよいし、空間的にも、太鼓は特に遠くにあったりするとか、当然、物理的に時差が起こったりとかするわけです。それがね、じつにまた、西洋音楽を聴き慣れた者、たとえばぼくなんかの耳には、非常に新鮮に聴こえるわけですね、いま。音のズレとかぶつかり合いとかですね。それが、ぼくなどは、雅楽というものを今日の素材として、自分もなにかを表わすのに、かならずしも不適当なものではないと、たいへん面白いものだと思うのですね。【木戸】
こういう仕事をしているとよく質問を受けるのですが、演奏が揃わないのは下手で揃わないのか、それともわざとずらしているのかという質問を受けるんですよ。そういうとき、わたしは、たとえばオーケストラの第一ヴァイオリンを十人で演奏するのは、あれは音を大きくするために十人でやっているのだと思うが、雅楽の場合、十人で演奏するのは、密度を十倍にするために十人でやってるのであって、音を大きくするという意味ではない。だから、揃う・揃わないは、問題ではないと。まあそういうふうに答えておけば、だいたいわかってもらえるだろうと思うのですが。 音楽に対する考え方というのが、ヨーロッパと日本と、あるいは日本だけでない東洋といってもいいかとも思うのですけれども、物理的な量の問題としてとらえるのだけでなくて、精神的な密度としてということがあるのですね。
当財団から発行している雅楽関連作品はこちらですが(→ ◆)、そのなかに、木戸敏郎さんが構成と解説を担当され、紫絃会の『舞楽 春鶯囀一具』と同じ1973年にビクターから発売された宮内庁式部職楽部の演奏による3枚の分売LP『雅楽集成』の音源を復刻したものが三種類あります。
LP『雅楽集成』は、以下の3枚で構成されています。『雅楽集成(1) 管絃・双調』(SJL-58)〔双調調子、回盃楽、胡飲酒破、鳥急〕。『雅楽集成(2) 管絃・平調』(SJL-59)〔平調調子、甘州、陪臚、越天楽〕。『雅楽集成(3) 舞楽』(SJL-60)〔賀殿(破・急)、胡飲酒(序・破)、長保楽(小音取・破・加利夜須音取・急)、納曾利(高麗小乱声・破・急)〕。最初の2枚は、天皇陛下が自ら演奏を楽しんだ平安時代以来の王朝の御遊(ぎょゆう)のしきたりによる管絃の演奏(双調と平調)を収録。3枚目は舞楽に焦点を当てた作品集となっています。(この3枚目“集成(3)”のみ未CD化)
『ビクター邦楽名曲選 1 雅楽名曲集』(VZCG-3)は、上記LPの“集成(1)”と“集成(2)”の各4曲をすべて収録したCDです。全8曲収録。
『〈COLEZO!〉〜コレゾ!BEST!〜雅楽 特選』(VZCG-515)は、“集成(1)”の4曲と“集成(2) 管絃・平調”から「甘州」をカットした全7曲を収録。その代わり税込2,200円とお求めやすい価格になっています。邦楽のさまざまな種目の入門編として作られた「コレゾ!」シリーズの一枚です。
『邦楽百選 名曲選[1] 雅楽名曲選』(VZTG-5)は、上記LPの“集成(1)”と“集成(2)”の全8曲に加えて、全体としては未CD化の“集成(3)”の中から「納曾利」を収録。このカセット・シリーズ「邦楽百選 名曲選」(全30巻・分売)では、CDでは復刻されていないお宝音源が少しずつ隠されているので、マニアックな邦楽ファンにはお薦めです。
(事務局・堀内)
2012年02月21日
待ち遠しい「さくら」
今年は梅の開花がだいぶ遅れていますね。ここ東京では、まだ2〜3分咲き?いや1〜2分咲きの様子。確かに今年は例年に比べて日本列島雪も多く、春はまだまだ遠いようです。
そんな中先日、京都へ行ってきました。雪の京都は初めてでした。仕事開始迄の二時間少し時間がありましたので、南座から近くの八坂神社へ足をのばし更に円山公園へ。
あの有名な「さくら」はここだったのか!と円山公園の桜の樹に感動しました。何回か京都へは行った事があるのですが、恥ずかしながら初めて見ました。桜の花が咲いている時期に行くタイミングは実に難しく、ましてや京都・・・でも絶対に来たいと心に決めていました(笑)。今から「さくら」が待ち遠しい・・・。
さて、桜といえば。
最近よくご注文を頂きますのが、『授業で役立つ和楽器入門講座 箏 〜さくらを弾きましょう〜』です。桜の季節に向かっての準備でしょうか?
こちらは、2003年の発売当初は2巻組のVHSビデオで出ておりましたが、2010年8月にDVD化致しました。
こちらのDVDは「さくら」を教材として箏(生田流)の基本的な学習の役に立つように作られたものです。「準備編」では、座り方、爪のはめ方、調子の合わせ方、楽器のしまい方など基礎知識が収録されています。また、平調子が合わせられる方は、「演奏編」から。「さくら」を主題として弾いていくうちに、基本奏法を学習することができます。
制作担当であります「うなぎさん」からの詳しい説明をこちらでご紹介させて頂いていますのでどうぞ。→ DVD「箏〜さくらを弾きましょう〜」ご紹介 - じゃぽ音っとブログ
(japogirl)
2012年02月20日
武満、シューマン、ブラームス
一昨日、2月18日(土)は サントリーホールで東京都交響楽団プロムナードコンサートNo.347を鑑賞してまいりました。
(以下『月刊都響』2012年2月号より引用あり)
曲目はこの3曲。
武満 徹: ハウ・スロー・ザ・ウィンド
シューマン: ピアノ協奏曲 イ短調 作品54
ブラームス: 交響曲第3番 ヘ長調 作品90
指揮のイラン・ヴォルコフ氏は1976年イスラエル生まれ。19歳で指揮者としてのキャリアを開始され、ボストン響アシスタント・コンダクターなどを務めた後、2003年にBBCスコティッシュ響主席指揮者、2009年より同響主席客演指揮者となられ、2011/12シーズンよりはアイスランド響音楽監督および主席指揮者に就任されています。レコーディングの評価も高いそうで、数多くリリースされているCDのなかでも『ブリテン:ピアノと管弦楽のための作品全集』(Hyperion)はグラモフォン賞を受賞されているそうです。
同氏の指揮する都響の演奏は小気味良くまとまっていて日本人好みの演奏かもしれないと思いました。
1曲目の武満 徹: ハウ・スロー・ザ・ウィンド は、武満 徹(1930〜96)後期の作品。題はアメリカの女性詩人エミリー・ディキンソン(1830〜86)の書いた短詩からとられています。
How slow the wind
How slow the sea
How late their Feathers be!
風はなんと遅いことか
海はなんと遅いことか
それらの羽はなんとゆっくりしたことか!
まさに自然における大気のゆっくりとした空気の流れというか深海のゆるやかな海流というか、そういったものを目の前で体験しているかのような曲ですね。音楽は聴くものなのですが、ちょっと「視覚的」な感じもしました。おかしな表現かもしれませんが。。。個人的には、イギリスのロマン主義の画家ターナー(1775〜1851)の風景画を観ているような感覚なのです。ターナーの絵は肉眼では見えないはずの大気自体の流れなどを、風景を目の前にした人間が、心で感じて見ているかのように、具象化して絵筆で描いています。
2曲目のシューマン: ピアノ協奏曲 イ短調 作品54は、昨年のこのブログで何回か取り上げましたとおり、溺愛している作品です。
シューマン「ピアノ協奏曲」オススメ度CのCD - じゃぽ音っとブログ
生演奏はまた格別です。ピアノの清水和音氏の演奏は1音1音がくっきりと彩りのある音の粒になっているようで、特に高域が美しく響いてきました。同氏は一昨年の2011年8月には、デビュー30周年を記念してラフマニノフのピアノ協奏曲第1〜4番と《パガニーニの主題による狂詩曲》の全5曲を一度に演奏するという快挙を成し遂げられたとのことです。
この日のコンサートの曲目解説も掲載されている小冊子『月刊都響』には小宮正安氏の『クラシック名脇役伝』の連載があり、第9回の今回はフリードリッヒ・ヴィーク(1785〜1873)がフィーチャーされていました。この人はクララ・シューマン(1819〜1896)の父上です。ヴィークはピアノの家庭教師を営んでいましたが、最初の生徒であったマリアンネ・トロムリッツ(1797〜1872)と結婚して4人の子供をもうけ、このうちの次女がクララなのです。ヴィークはクララを「天才ピアニスト」として売り出し、幼い頃のモーツァルトの父のようにヨーロッパ各地の演奏旅行に連れて回ったのですが、クララの活動が消滅することによって生じる経済的な損失を理由にロベルト・シューマン(1810〜1856)との結婚に猛反対をして、訴訟問題にまで発展したそうです。結局は二人は結婚したわけですが・・・
さて、3曲目、ブラームス: 交響曲第3番 ヘ長調 作品90。
この日のコンサートの中で、一番良い演奏だったと思います。ブラームスについてはまたそのうちに。
(J)
2012年02月19日
古事記1300年記念の年に
「古事記」が712(和銅5)年に成立してから今年でちょうど1300年、その神話の世界を題材にした人形浄瑠璃文楽「日本振袖始(にほんふりそではじめ)」を観てきました(国立劇場2月文楽公演〈第3部〉2012年2月4日〜2012年2月20日)。
近松門左衛門の原作で初演は1718(享保3)年。1883(明治16)年を最後に文楽の本興行での上演は絶えていたそうですが、2010(平成22)年7月に文楽三味線の人間国宝、鶴澤清治さんが「大蛇(おろち)退治の段」を補綴・補曲して、大阪の国立文楽劇場で127年ぶりの復活公演が実現しました。東京では今度が初演ということで、楽しみに伺いました。
文楽ではいつもそうなのですが、人形はもちろん、大夫や三味線の演奏も気になるので、どちらに目を向けようか迷ってしまいます。最近は舞台脇に字幕が出るので、それも見たくなります。
「日本振袖始」は大夫が4人、三味線が清治さんをはじめ5挺、ずらりと並んで壮観。まずはこちらに注目しました。演奏もたいへんな迫力でした。珍しかったのは八雲琴(二弦琴)が2面出ていたことです。三味線の2人が途中で演奏していました。少し甲高い独特の響きで、神さびた雰囲気が出ているように思いました。胡弓が入る部分もあり、三味線から持ち替えた豊澤龍爾さんが、狭いなか上手に弓を操っていました。また、文楽ではふつうお囃子は客席から見えない下座(げざ)で演奏されますが、鼓の方が舞台面に登場していたのも新鮮でした。
物語の主人公は素戔嗚尊(すさのおのみこと)と稲田姫(いなだひめ)と思っていたら、この場面では八岐大蛇(やまたのおろち)の化身、岩長姫が大活躍でした(チラシの写真)。大蛇退治のために用意された8つのお酒の瓶に次々と頭をつっこむお姫様の姿は壮絶ですが、実においしそうに飲み干します。そしてふと我にかえったのでしょうか、一人で踊る姿の美しさ。やがて毒酒が効いておそろしい本性を現すのですが・・・。
この岩長姫の踊りは東京公演にあたり、日本舞踊家の尾上墨雪(おのえぼくせつ)さんが新たに振り付けをしたのだそうです。人形に振り付けをするというのも珍しいことと思いますが、桐竹勘十郎さんの遣う岩長姫は、まるで本物の舞踊家が踊っているようによどみなく、そして品のいい動きで、今度は人形から目が離せなくなりました。
この日伺った第3部の公演は、この前に「菅原伝授手習鑑」の「寺入りの段」と「寺子屋の段」の上演がありました。歌舞伎でも文楽でも何度観てもあきることのない古典「寺子屋」と、新演出の「大蛇退治の段」。対照的な2演目を存分に楽しむことができた一夜でした。
ところで、なんで大蛇退治の物語が「振袖始」なの?と思われた方は、こちらのブログに歌舞伎「日本振袖始」に関連して、「振袖はじめて物語」の解説がありますのでご覧ください。→こいつぁ春から縁起がいいわえ - じゃぽ音っとブログ
今年は古事記編纂1300年にちなんで、各地でさまざまなイベントが企画されているようです。当財団では「古事記」に題材をとったCDアルバム「幸魂奇魂(さきみたま くしみたま)」を3月7日(水)にリリースします。
作詞家の松本隆さんが「古事記」をテーマに書き下ろした作品に、横笛奏者の藤舎貴生さんが作曲、プロデュースしたアルバムです。市川染五郎さん、若村麻由美さんの朗読入りで、和太鼓の林英哲さん、人間国宝の尺八奏者山本邦山さん、長唄三味線の重鎮今藤政太郎さんなど伝統芸能のトッププレーヤーの皆さんの出演となっています。→幸魂奇魂(さきみたま くしみたま) - じゃぽ音っとブログ
こちらの「古事記」も素晴らしい音楽物語です。どうぞお楽しみに。
(Y)
2012年02月18日
「言葉探しの旅」
今朝TVをつけていると、NHK「ようこそ先輩 課外授業」という番組が流れていました。今日ご出演された著名人は、翻訳家の鴻巣友季子さん。
この番組といえば、下記に引用したように子供だけでなく大人も刺激を受けることがあります。
さまざまなジャンルの第一線で活躍する著名人が、ふるさとの母校を訪ね、後輩たちのためにとっておきの授業を行います。授業は通常2日間、リハーサルなしの真剣勝負です。内容や仕掛けは、先輩によって実に多彩。人生で得たこと、創造の秘密、専門分野の面白さなどを、独自の方法で解き明かします。そんな先輩の思いがこもった授業を、子どもたちはどう受け止めるのか?そこには毎回、思いがけない発見と感動があります。1998年に番組がスタートして以来、これまでに400人を越える先輩が、母校の子どもたちに熱いメッセージを送ってきました。(番組公式HPより)
「はじめよう“言葉探しの旅”」というテーマのもと、「The missing piece」という英語の本の日本語訳に子供たちが自分たちなりの感性でもって取り組んでいて、とても興味深いものでした(今日の放送については、番組公式HP内にあるこちらをご参照ください)。
恥ずかしながら自分は「The missing piece」をまったく知らなかったため、その著者シェル・シルヴァスタイン(Shel Silverstein)とはいったいどんな人物なのだろうとまずはWeb(Wikipediaの日本語版、英語版など)で調べていました。それからもうすでにこの世を去ったSilverstein氏の公式HPも見つかりました。ちなみにこの「The missing piece」は1977年に「ぼくを探しに」(倉橋由美子訳/講談社)で出版されています。
調べてみて驚いたのは、このSilverstein氏の経歴に「米国の作家、イラストレーター。1969年、1984年にグラミー賞を受賞するなどシンガーソングライターの顔ももつ」とあること(Wikipedia日本語版より)でした。シンガーソングライターとしてどんな音楽を作っていたのだろう、一度聴いてみたいものだと思いました。この「The missing piece」は子供たちに(もちろん自分も)想像力を喚起させる素敵な作品。そうした言葉の力は、彼が生み出した音楽にもきっとつながっているのではないのかなと思えてなりませんでした。
さらに広げて考えると、日本の芸能・音楽も日本語という言葉の世界と不可分につながっているはずだということを、あらためて思い起こさせるいい機会にもなりました。
(じゃぽ音っと編集部T)












