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公益財団法人日本伝統文化振興財団ホームページ  http://jtcf.jp/

2016年07月19日

波多一索先生(弊財団初代理事長)を偲んで 3

【『私の履歴』 波多一索】その3  (前回より続く)

昭和39年、東京オリンピックの折に結婚、下北沢に母と住むことになりました。結婚式当日は芝祐靖、多忠麿両師、増田正造氏など錚々たる方々がお手伝い下さり、杵屋六左衛門、荻江露友両師などが先頭に立ってお祝いをして下さったことを懐かしく思い出します。

昭和41年頃から外資の自由化もあって外国のレコード会社がそれぞれ独立、ビクターからもRCAなどが分離することになったため、邦楽とは別にクラシックの仕事も私どものセクションで始めることになりました。その最初の仕事が「武満徹の音楽」で、秋山邦晴、滝淳(東京コンサーツ)両氏などの協力を得て、吉田秀和、若杉弘、岩城宏之各氏の協力のもとに制作。幸いにも芸術祭大賞を得てクラシックの世界では異例の評判を得ました。

これを契機に「松村禎三の音楽」、「三善晃の音楽」などが作られることになり、オペラの二期会や東京混声合唱団などが専属アーティストとなりました。

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当時の録音スナップ 高橋悠治氏と武満徹氏(世田谷区民会館)

 以後、拡大したビクター学芸部門には佐藤和雄、黒河内茂、高田剛、奥田瑞雄、伊藤玲子の各氏、クラシックには井坂紘氏など沢山のスタッフが加わり、仕事の幅も大きく広がりました。

平成5年発足のビクター伝統文化振興財団(現・日本伝統文化振興財団)設立に当たっては、出ロ順社長、黒河内茂さんのご尽力で初代理事長を務めることになりました。ちなみに二代目理事長が黒河内茂さん、三代目理事長(現会長)が藤本草さんです。

平成16年には、吉川英史先生が会長をなさっておられたご縁で、田邊秀雄、景山正隆両会長のあとを受け、舘野善二氏のご紹介で一般社団法人義太夫協会代表理事にさせて頂き、今回、同協会のご推薦で文化庁長官表彰を頂くことになりました。

また同年に梅宮静江会長のご推薦で一般社団法人東京都民踊連盟副会長の職を務めさせて頂き、この度の受賞に際しては日本小唄連盟、東京都民踊連盟ほか沢山の先生方のご推薦を頂きました。なお、東京都民踊連盟との関係は、昭和34年当時ビクター民踊研究会の会長を務めていたご縁によるものです。

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竹本土佐子師、竹本駒之助師と共に 

現在、一般社団法人義太夫協会代表理事、一般社団法人東京都民踊連盟会長、公益社団法人日本小唄連盟副会長のほか、公益財団法人日本舞踊振興財団評議員、公益財団法人国立劇場清栄会評議員、公益財団法人日本民謡協会相談役、公益財団法人日本伝統文化振興財団理事を併せ務めています。

(おわり)

(やちゃ坊)

2016年07月15日

波多一索先生(弊財団初代理事長)を偲んで 2

【『私の履歴』 波多一索】その2 (前回より続く)

私は宮城道雄師の演奏にあこがれて、先生が専属でいらしたビクターレコードに昭和31年3月の卒業と同時に入社しました。ところが、入社早々の6月25日に宮城師が列車事故でお亡くなりになり、私の初仕事は「宮城道雄追悼盤」レコードを作ることになりました。それは、今も忘れることが出来ません。その後は、当時評論家として活躍しておられた吉川英史先生のご指導を頂いて、LP レコード「箏曲と地歌の歴史」の制作を吉川先生の監修、中能島欣一、小野衛(当時は宮城衛)両師の協力で作ることになります。吉川先生はその後、義太夫協会の会長をなさり、藝大邦楽科を立て直し、生涯のライフワークとされた宮城道雄伝の執筆と、多忙な生活を送られることになります。

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ビクター民踊研究会会長時代 ニッパー柄の浴衣で

ところで、入社早々で経験の乏しい私がいきなり古典芸能の専任ディレクターになったのには、次のような事情がありました。

当時ビクターレコードの経営が東芝から松下電器へと代わり、新しいレコード会社を作ることになった東芝が大量のスタッフをビクターから引き抜きました。そこで、私のような新人でもやむをえず使わざるを得なかったため、録音にはしばらく小野金次郎、田中宏明両先生が、専門家として立ち会うことになりました。ビクターで伝統音楽を担当していた前任者はこのジャンルの大ベテランの方で、東芝への移籍に当たって、当時大スターだった清元志寿太夫、新内志賀大掾、本木寿以、市丸など各師の録音スケジュールを決めたまま退社されてしまったので、とにもかくにも録音を実行するしかなかったのです。録音に来られた師匠方も、突然担当者が若造に変わり、さぞビックリなされたことだろうと思います。このような異例の次第で、古典芸能担当ディレクターとしての私の音楽制作がスタートしました。

特に印象深かったのは清元志寿太夫師でした。ビクター 築地スタジオ近くの歌舞伎座の、夜の部二番目で出演が終わるとタクシーで駆けつけられ、「ノドの調子が冷えないうちにテストなしで録音されたい」という注文で、当日は夕方から録音準備をして緊張しながら待機していたことを今でもよく覚えています。

 幸い、前述の「箏曲と地歌の歴史」をはじめ、「雅楽大系」、「能」、「狂言」、「能楽囃子大系」など沢山の全集の録音が文化庁芸術祭大賞を頂くことが出来たのが認められて、その後はいろいろの録音をさせて頂きました。 中でも、古曲会の吉田幸三郎氏のご紹介で野澤喜左衛門師にお目にかかれ、それが機縁となって「竹本越路大夫全集」を15年かけて完成することが出来ましたことが、今回の表彰の大きな受賞理由になっているように思います。

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日本小唄連盟創立55周年記念パーティ鏡開き

右から波多氏、春竹利昭師、佐々舟澄枝師、浜田晃氏、藤本草氏

 その頃ビクタースタジオは、今の聖路加病院の筋向いにあり、近くに小唄の蓼胡満喜師が住んでおられたので、邦楽をやる以上はなにか一つ覚えたいと入門することになりました。やはり近くにお住まいだった春日とよ五師の門下で、ラジオ東京に勤務し、演劇評論家でもあった舘野善二氏と二人で、しばしば小唄の会に出演するようになり、日本小唄連盟に入れて頂くことになりました。当時は小唄の家元が、その数約200とも言われた時代で、社長が小唄をやれば社員はこぞって名取にという世相でした。

・・・・・・・・次回に続く。

(やちゃ坊)

2016年07月13日

波多一索先生(弊財団初代理事長)を偲んで 1

波多一索先生はかねてより病気療養中でしたが、平成28年6月3日(享年82歳)に永眠されました。葬儀は去る6月11・12日羅漢会館(目黒区)において、喪主・信彦様(御長男)によって執り行われました。心からご冥福をお祈り申し上げます。

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今回は、昨年(2015年)1月27日に行われた「波多一索さんの文化庁長官表彰を祝う会」(アルカディア私学会館)の折、出席者に「お礼に代えて」と配られた波多さんの自叙伝とでもいうべき冊子の中から、抜粋してご紹介しようと思います。資料及び写真提供は波多一索様によるもの、聞き書きは財団会長の藤本草が行いました。(全文は既にこのブログでも紹介済ですので、ご関心のある方はこちら →波多一索さんの文化庁長官表彰を祝う会 - じゃぽブログ

【『私の履歴』 波多一索】その1

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祖父・波多海蔵氏            父・波多郁太郎氏 

「波多」姓の多くは九州の出で、朝鮮半島から渡来した「秦」がそもそもです。医者が多い家系ですが、実は「秦」の字を「波多」に改めたのは私の祖父の代で、電話帳にもその頃はありませんでした。私が生まれたのは昭和8年12月1日(金)、父の郁太郎が結婚後に新居を構えた牛込若松町の家でした。五歳離れた妹もこの家で生まれました。戦時中の昭和18年に、父が慶應義塾の教師のまま、数えの42歳で急逝。一家は牛込区の実家から母と私、妹の3人で母の実家の杉並へと引き取られました。

家の廻りは東京とはいえイモ畑で(現在の西荻窪と久我山の中間、水道道路ワキ)、中島飛行機の工場が前進座寄りにあって時々空襲に見舞われました。私は、戦争末期にはご多分に漏れず東北の仙台、盛岡に疎開し、小学6年生で迎えた終戦とともに杉並の母の実家に引き上げました。中学はイモ畑の先に見えた都立第十中学校(男子校)に入学、学制改革で中学が高校になり、共学となった都立西高等学校へと六年間通学しました。

高校で音楽部に入りましたが、たまたま音楽部の合唱団の一年先輩にダークダックスの喜早哲氏がおられ、慶應時代までお世話になりました。また、音楽の担任の教師が当時オペラで活躍中の名ソプラノ砂原美智子師のご主人だったことから、砂原師や当時の藤原歌劇団の方々のリサイタルを開催、ビクター時代に「我らのテナー」藤原義江師の知己を得ることになりました。

西高を卒業後、世田谷の下北沢に一家で転居、私は父が愛した慶應へと進学しました。もっとも、父は折口信夫先生一門の国文学でしたが、私はフランス文学科で、同期の出世頭には劇団四季の浅利慶太氏などがいました。もっともフランス語と言っても、当時流行のフランス映画やフランス料理、越路吹雪さんの舞台にあこがれて専攻した者もいるような具合でした。 在学中の私は歌舞伎や文楽に夢中で、同時代の方々には山川静夫、永六輔などの各氏が活躍しておられました。

卒業したのはもう60年ほど昔になります。当時は現在では考えられないほど伝統音楽演奏家の層が厚かったのですが、私は宮城道雄師の演奏にあこがれて、先生が専属でいらしたビクターレコードに昭和31年3月の卒業と同時に入社しました。

ところが、・・・・・・・・次回に続く。


(やちゃ坊)

2016年07月11日

第56回小唄まつり「市丸賞」

7月5日と6日の2日間にわたって「ビクター名流小唄まつり」が日本橋の三越劇場で開催されました。今年で56回を数える「小唄まつり」ですが、各流派から両日あわせて165番、のべ250名の方々にご出演いただき、盛況でした。

f:id:japojp:20160711174608j:image:w440 (2日間のプログラム。毎年絵柄が変わります)

第一部では、すぐれた演奏(唄)をされた方に奨励賞として「市丸賞」(各日1名)と「優秀賞」(若干名)をさし上げています。今年の受賞者は次のとおりです。

7月5日 【市丸賞エントリー5組】

ビクター小唄奨励賞 市丸賞  

 該当者なし

ビクター小唄奨励賞 優秀賞

 蓼 時あや(たで ときあや) (糸:蓼 満沙)

 曲目 「満月」 

7月6日 【市丸賞エントリー6組】

ビクター小唄奨励賞 市丸賞 

 田村 成美(たむら しげみ) (糸:田村 弓路)

 曲目 「辰巳よいとこ」「夕立やさっと」

ビクター小唄奨励賞 優秀賞

 長生 恭帆(ちょうせい きょうほ)(糸:長生 松帆)

 曲目 「梅月夜」

市丸賞を受賞した田村成美さんは、プログラムを見て名前から女性だと思い込んでいましたら、実は28歳の男性でした。審査員の竹越治夫先生の講評によると、先生に習ったとおり写すだけでなく、独自の世界をもっているのが評価されたとのこと。あとで伺ったところ、田村成美さんは清元成美太夫のお名前で、清元節の太夫としても出演されているそうです。小唄の創始者は清元お葉といわれていますが(→小唄160年 - じゃぽブログ)、清元の素養がいかされているのでしょう。今後も小唄での活躍を大いに期待したいと思います。

小唄の世界では、80歳以上のベテランもお元気でがんばっていらっしゃいますが、これを機会に20代、30代の出演者がもっと増えてくれるといいなぁと思ったことでした。

(Y)

2016年06月28日

宮城道雄先生を知る〜没後60年を迎えて

先日6月25日は、「盲目の天才箏曲家」「現代邦楽の父」と言われ、近代箏曲界のみならず邦楽界全体に革命を起こした大検校・宮城道雄先生の命日でした。かつてはアイドル並みの人気をほこり、雑誌にグラビア写真も掲載されるなど邦楽界だけではなく広く一般の方にも愛された宮城道雄先生。今年は没後60年にあたることから、各所で記念演奏会や行事などが行われていますので、宮城道雄先生を知らない方達が、もう一度知るきっかけになれば良いなと思います。

宮城道雄先生を知るには1962年に出版された吉川英史氏の「宮城道雄伝—この人なり」を読むのが一番ですが、今日はそんな宮城道雄先生の「普段のお姿」が垣間見える本を2冊ご紹介します。

「東海道刈谷驛」内田百けん ※けんの字が変換できないため、ひらがな表記

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宮城道雄の親友であった小説家・内田百けん氏による短編集です。タイトルからもわかるように、宮城先生がお亡くなりになられた「刈谷駅」での事故について書かれた章があります。他の本と違う所は、宮城先生の死について、死神がむりやり連れて行ってしまったとあり、また死神と宮城先生との駆け引きがとても面白く書かれています。宮城先生が事故に遭われた後、すぐには刈谷には近づけなかった内田氏が、2年の時を経て現場に降り立ちます。そこからの親友である内田氏しか書く事の出来ない文章は、是非ご一読頂きたいです。

※現在この本は販売されていないのですが、こちらの文庫に収録されているようです→「サラサーテの盤—内田百けん集成〈4〉 (ちくま文庫) 」


「語り種〜宮城道雄先生のことなど」藤田節子・久保茂

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こちらは本ではなく、会員用の小冊子になりますが、宮城道雄先生の直門であり、宮城道雄の門人の会「宮城会」の古参である藤田節子・久保茂の両氏が、在りし日の宮城先生の思い出を語ったものをまとめたものです。両氏の当時のお稽古風景や当時の様子などが中心に書かれていますが、宮城道雄先生のプライベートなお姿やお言葉などについても書かれています。特に「お箏はね、音が良くなければ駄目だよ。達者に弾いても、音が良くなかったら駄目で、音が綺麗なように弾きなさいね」というお言葉は、とても奥の深い言葉だと思います。そのお言葉をふまえた上で、宮城道雄先生の演奏が収録されているCDを聴くと、なるほど「全身全霊で弾いている」という音がしてゾクゾクします。

この小冊子「語り種〜宮城道雄先生のことなど」ですが、藤田節子氏のご好意で、「我が師である宮城道雄先生を知って頂くきっかけになれば」と、弊財団にいくつか寄贈頂きました。ご希望の方にはお送り致しますので、(1)お送り先住所(2)お名前(3)お電話番号をご記入の上、封書にて下記宛てお申し込み下さい。なお、送料として140円分の切手を同封願います。

※お一人様1部に限らせていただきます。また、なくなり次第締め切りますのでご了承ください。

〒101-0065

東京都千代田区西神田2-4-1 東方学会新館2F

公益財団法人 日本伝統文化振興財団

「語り種」係 宛


(M)