MATRIX REVOLUTIONS

早速見てきましたが、あまり多くを語る気ないです。語るのが無意味に思われて。

シリーズ1作目は「意識」がテーマになっていると思われる部分が多かったので、パクった元ネタである押井守の『攻殻機動隊』的な展開になるのを期待してたのです(まあ、あれもイマイチでしたが)。
なもので、前作で肩透かし食らった感じでショック、完結編に期待!だったのに・・・はぁ・・・


とりあえず言えること。

ウォシャウスキーは異常なほどのアニヲタ
アニメへのオマージュというか、パロディというか、そういうものが全編に満ち満ちています。:ネットで見ると、ドラゴンボールには皆さん気付かれてるようですけど、結末は間違いなく『少女革命ウテナ』のパクリです。それもレベルの低い真似っこ。:なぜレベルが低いのか。その理由は2つ。
  1. 『少女革命』においては、ウテナの存在が、アンシーを除く登場人物によって忘れさられていたこと。
  2. ウテナによって、アンシーが革命されたこと。
キリスト教の呪縛
意識論でこれは反則だろう。極端な話すれば「愛」とか。西欧的な意味での「愛」って言葉は日本語にはなかったんですよ。これはキリスト教から来てる言葉です。知らない日本人は要注意。
ミフネ船長
獅子奮迅の活躍に爆笑しました。ミフネって映画人にはウルトラメジャーな名前なんでしょうね。とりあえず、唯一といっていいくらいの好感キャラ。個人的にですが。


とにかく、なんなんですか、この映画は・・・
見ながら失笑した瞬間が数回じゃなかったですよ。
儲け主義の映画資本に乗っとられて、監督の意思が捻じ曲げられたことを祈ります。あなたはそんなにレベルが低い監督じゃないって信じていますよ、ウォシャウスキー兄弟。

ちなみに、私はアニヲタじゃないです(汗)。寺山修司が好きなので、幾原邦彦の演出を買ってマイナーながらウテナは見てました。押井守宮崎駿は基本ですが。

歴史化するということ

藤田省三『精神史的考察』のなかの「或る歴史的変質の時代」において、個人的に衝撃を受けた部分がありました。
維新に始まる明治時代が、思想的・政治的立場の違いに関わらず「立国」という目標が人々に共有されていた時代を経て、日露戦争後あたりから大きく変わり始めたことを、板垣退助のある文章を例にとって触れたあとの一文。

かくて維新は全く歴史と化した。自由民権もすでに歴史の一コマとなり、対外独立への歩みも今漸く歴史となりはてた。

ここにおける「歴史と化す」という言い方、歴史化をネガティブなものと捉える視点に、私は少なからぬショックを受けたのです。


歴史家カーの著作を読まずとも、歴史というものが「ある視点」から作り出されるパースペクティブなものであることは明白といえども、そうした力が社会的にどのように機能しているのか、それによってどのような影響がもたらされるのかということに関して、ここまで自覚して触れている考え方には、いままで出会ったことがありませんでした。


カントもいうように、意識は空間的・時間的なカテゴリーを前提にして成立しているわけですが、そうして保証された認識のベースには、空間と時間の混合形態としての「歴史観」「世界観」が大きく機能しているであろうことは疑いようもないことでしょう。

とりあえず、そうした「歴史観」「世界観」について、今日の時点で定義できることは以下の通り。

  1. 理性も感情も、これの制約から自由に在ることはできない。
  2. これは、優れて個性的な人間において特有のものであることもあり、心性として集団に共有されていることもある。
  3. これは、人或いは人々によって、意識的または無意識的に生み出されるものである。
  4. これは歴史を研究する分野に限った話ではなく、現代を考える上でも常に意識されるべきものである。

人間はたえず過去を歴史化するものですが、これがマイナスに働くときは、大抵その歴史化という行為自体が、人々に気付かれずに行われ機能することが多いということには、要注意すべきなんでしょうか。

Book

著者はドイツ近代史が専門のようですが、これは歴史観が世界観においてどのように機能してきたかを、ヨーロッパを題材に解説した入門書。とはいえ、この切り取り方は新鮮で、色々と心性を考えるうえでも分かりやすく好著だと思います。藤田省三を読んでる際に、この本に出合えたのは偶然ではないでしょうね。

浦島太郎

たった一週間見てなかっただけなのに、状況が全然わかりません。
高山が負けたと思ったら、藤波が引退決めるわ、太郎さんまで登場するわで、玉手箱を開けてしまった気分。
それがパンドラの箱ではなかったことを祈ってます。

沈黙の秋

 何人も語ることなし 
 何事も語ることなし
 ただ、昨日という閉ざされた暗闇に
 ただ、今というほんの瞬間の閃光に
 ただ、明日という光待つ暗闇に、劇場に
 J.A.シーザー ゛何人も語ることなし゛

これには深い意味じゃなく、不快意味を込めました。マトリックスへの単なる当てつけ、嫌がらせ。つーか、金返せ。