「週刊文春」違和感記事

 「週刊文春」に、「美人東大院生怪死 両親が涙の訴え「娘は殺された」」という記事があった。何しろ私は女子東大院生マニア・・・ではない、美人東大院生とくると気になるたちだから、立ち読みしたら、どうも違和感があるので、買ってきて仔細に検討した。
 問題の女子院生は、台湾から小学生の時に帰化した黄蘭雅なる子。日本では「ゆきえ」と呼ばれていたとあるから、日本名があったのだろうが、分からない。自殺したとされたのは1999年8月、本郷辺の下宿自室でのことらしい。写真も載っているが、まあ週刊誌の「美人」だから、そうとりたてて美人ではない。
 首吊り自殺だが、足が床についていたからおかしいという。それから、ノートパソコンからメールのファイルが消えていたのがおかしいともいう。しかし後者は、自殺しようとする者はそういうものを抹消するだろう。
 記事は、自殺と決め付けてちゃんと捜査しなかった警察の怠慢への批判が主眼である。しかし、読んでいて、どうも、記者の狙い通りの気持にならない。蘭雅は、新宿高校を卒業後、MITへの進学を希望したが、手元から離したくない母親が反対したというから、実家は東京らしく、「店」とあるから、台湾料理の店でもやっているのだろう。ところが、四年ほど銀座のホテルで働いてから、東大理2に入ったという。海外留学に反対されたからといって、なんでホテルで働かねばならんのか。あるいはバイト先に出した履歴書に「高校卒業後、MITを二年で中退」と書いていたという。記者は「よほどMITに憧れ、こだわりがあったのだろう」と書くが、私には「嘘つき」と思える。さらに、授業料は自分で稼いでいて、予定は常にびっしりだったというのだが、実家はそんなに貧しかったということか。それなら、分からんでもない。
 さらに男関係である。蘭雅にはA氏という彼氏がおり、彼女のマンションから歩いて十分たらずの四畳半の下宿に住んでいたが、彼女の部屋に入り浸りで、一年くらい下宿に帰らないこともあり、彼女から借金をして返さず、彼女を殴ったりしたという。それではまともな研究などできないではないか。94年入学なら、98年卒業、99年には修士二年かと思いきや、小さく掲げられた成績表を見ると、99年卒業と書いてあるから、留年しているのだ。「翌年にMITへの留学を計画したのは、日本と違い、研究の年齢制限がないからだそうです」との大学院の男友達の談。日本には研究の年齢制限があるのか?
 A氏との別れ話が持ち上がり、7月31日午後11時に、合鍵を返しにくるはずだったが、現れたのが午前4時で喧嘩になったという。怒った蘭雅は、16錠の睡眠薬を一気に呑んで昏睡状態になったという。睡眠薬は、母親が使っていたものを与えていたというのだが、それって、違法行為では・・・? 今は、よほどの重篤な患者でない限り、医者が出すのは睡眠薬ではなく睡眠導入剤だ。それでも16錠も呑めばそりゃ寝るだろうが、死にはしない。母親は、A氏が警察に、16錠だと言ったというが、なぜ16錠だと知っていたのか、と言っているが、そりゃ本人が「ここに16錠あるわよ」と言えば知っているだろう。だいたい、別れることになっている男と喧嘩して、16錠の睡眠導入剤を一気飲みすることに何の意味があるのか。
 また、その日は母親の誕生日で、A氏と喧嘩する三時間前に、電話で母親と談笑している、とあるのだが、ならば午前1時。夜更かしな母親だなあ。
 それでさらに蘭雅にはB氏という恋人候補みたいなのがいて、A氏は彼を呼び出して、眠る蘭雅を見守り、A氏は学会があるから午後1時の新幹線で山口へ行くと言って去り、B氏が見ていると夕方眼を覚まし、「何で起こしてくれなかったのよ」と怒ったという。その二日後にB氏が縊死している彼女を発見したという。
 真相は分からないが、何やら茫漠とした記事で、勉強熱心な女子院生というより、男にだらしがなく、精神不安定で、MITについて夢想していた女の姿しか浮かび上がってこない。それに、最後のページに「残された学生証」として載っている写真は、学生証ではなくて、センター試験の受験票である。
 なんで今ごろ、こんな曖昧な記事を載せたのか、李登輝の来日と関係があるのか、などとそっちの憶測のほうが先に立つ記事であった。
(小谷野敦