神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

何と、貴司山治の展覧会が開催されていたよ


小谷野敦間宮林蔵<隠密説>の虚実』(教育出版、1998年10月)にも次のように出てくる貴司山治

昭和十一年五月に、新築地劇団十周年を記念公演として「洋学年代記」という芝居が上演されている。これが実はシーボルト事件と間宮林蔵を扱っているのだ。作者は貴司山治、演出は佐々木孝丸
(略)
ところで、作者の貴司は、『ゴー・ストップ』を代表作とするプロレタリア文学の小説家・劇作家だが(略)


私は、10月14日に言及したように、森茉莉が『マリアの気紛れ書き』で「貴司田刻士」(岸田國士)から紹介されたと書いている「貴志讃次」だと思っているけれど、貴司山治とフランス語はどうも結びつかないのだね。それに、同書で岸田の「近くに住んでゐた」とされているが、昭和4年当時貴司は吉祥寺、岸田は阿佐ヶ谷にいたから、近くとは言えないか。


ところで、「「北方人」日記」によると、徳島県立文学書道館貴司山治の展覧会が開催されたらしい。初めての回顧展だったらしい。


追記:唐沢俊一ソルボンヌK子三丁目の猟奇』(ミリオン出版)を見る。昔のことは、いいことしか覚えていない人が多いが、昭和30年代、しっかりと猟奇事件も起きていたのだ。

慶應義塾図書館の国分剛二と三田村鳶魚


2月22日に言及した慶應義塾図書館員国分剛二が、三田村鳶魚の日記*1に登場していた。同図書館の井上芳郎が柳田國男の『炭焼日記』に出てくることは9月21日に紹介したけれど、こういう著名でない図書館員の名前を見つけて記録しておくのも何か意味があるかもしれない。

昭和12年10月25日 麻布笄町三一、山田伯爵邸に庄田三平氏を訪ひ、戊辰戦史について承る。此伯爵家は長人顕義の後にして、当主は会津の現子爵の弟也、配致の妙を感ず

    10月26日 ○庄田氏より、芝三田慶応図書館主任、国分剛二氏を訪ひ、庄内の事を聞くべしと申来る。

    10月30日 吉田書店より慶応大学図書館、国分剛二氏を尋ね、張込を借りて帰る。

    11月5日 弥生町へ錦絵を送る、国分氏へ張込返送。

*1:三田村鳶魚全集』第27巻