本屋の二度覗き

本日記

坪内祐三さんの『本日記』*1本の雑誌社)を読み終えた。
読み終えたあと、巻末にある初出情報を見て茫然としてしまった。この日記は『本の雑誌』の2001年10月号から2006年1月号まで連載されている。むろんこの日記が2001年からであるということくらい、本文を見れば一目瞭然なのだけれど、読んでいるときは日付など意識せずクイクイと先に進んでしまうから、最後になって気づかされたのだ。
「クイクイと」。これは殿山泰司語である。坪内さんは2002年12月20日、殿山さんの夕刊フジ連載エッセイ本である『殿山泰司のしゃべくり105日』を五反田の即売展で入手した。岩波新書を探してその後原宿のブックオフに立ち寄ったあと、明治神宮前から千代田線に乗り、小田急線に乗りついで経堂まで足を伸ばす。その車中、「オレはクイクイと『しゃべくり105日』を読む。面白い本だぜヒヒヒ文句あっか?」なのである。
当意即妙自由自在の文体は相変わらず愉しい。しかもこのとき殿山本を購入するまでに、いかにも坪内さんらしい屈折した(?)気の使い方が発揮されているから、それもまた読んでいて愉快なのだ。
殿山本を電車で読んだことについて、千代田線明治神宮前から小田急線を乗り継ぎ経堂に出ると書くあたりのライブ感覚は、あいかわらず坪内さんの独擅場である。
2002年8月24日条にて、自宅のある三軒茶屋から神保町に出る前に車中で読む文庫本を探すため246沿いの新古本屋に立ち寄り、福田恆存『幸福への手帖』ちくま文庫版を入手、好きな場所から読み始め、「すると表参道を過ぎたあたりで、こういう一節に行き当る」としてその箇所を引用する。わざわざ「表参道を過ぎたあたり」という情報を書き込むところがわたしは大好きで、ちょっと興奮してしまうのだ。
坪内さんの日記を読んでいると必ずと言っていいほど、“本好きの習性”といった点に大きな共感をおぼえ、また、いままで無意識であった習性を意識化させられるという体験をする。
学研M文庫でその日あたり出ているはずの澁澤龍彦『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』を東京堂で探すも見あたらない。店長に聞くと未入荷とのこと。そこで三省堂に行くと、エスカレーター近くにあった台車に学研M文庫の新刊が積まれているのを発見するものの、山を崩してまで探すことにためらう。次に「まったく期待せずに」書泉グランデに入ったら、「とても良い位置に平積みされている」のを見つけたという顛末(2002年9月11日条)。
書泉グランデ「小馬鹿にしてごめんね」と謝る坪内さんも微笑ましいが、どうしてもその日に新刊を手に入れたいと、めぼしい書店を駆け回る坪内さんの姿に、仙台にいた頃の自分を思い出してしまった。そういう執着心を喪失してしまったのはある意味悲しい。
渋谷に出て、いつも流す書店やレコード店のコースをひととおり見たあとコンサートを聴き、終わったあと、合流するはずの知人へ連絡がつかないまま、先ほど立ち寄った本屋にふたたび入り、そのとき覗かなかったフロアで思わぬ収穫を得る。最後にひと言。

やはり本屋の二度覗きはやってみるものだ。(2002年11月8日条)
わたしにもたしかに身に憶えがある。「本屋の二度覗き」で最初には気づかなかった面白そうな本を見つけるという体験。これまでの坪内本のなかにも登場した習性かもしれないが、わたしは本書ではじめて意識化された。「本屋の二度覗き」。うん、たしかにやってみるものだ。
嬉しくなるのは、ドキュメンタリー映画祭でわが郷里山形を訪れたときの記述。
四年前に初めてこの街を訪れた時にも感じたのだが、山形というのはなぜこんなに落ちつくのだろう。地方都市でありながら、その種の街につきもののうすら寂しさが少しもなく上品で文化的だ(2003年10月12日条)
という深い感慨は、そこに住んでいる人やわたしのような出身者はなかなか気づきがたい。しかもこれが都市観察者坪内さんの手で書かれたことに意味がある。自分の生まれ育った町を坪内さんに誉めてもらったことの嬉しさ。よく通った山形で随一の新刊書店「八文字屋」も素晴らしいと誉められているから、これが浮かれずにいられようか。
しかも坪内さんは、わたしもまったく知らなかった町中の洋食屋「ライオン」「タイガー軒」という店の「発見」を誇らしげに書いている。生まれてから18年も暮らしたのにそうした老舗を知らないわたしの愚かさを嗤うべきだが、ここでは坪内さんの炯眼に敬意を表し、今度帰省したとき行ってみることを心に誓った。
あれれ、何を書こうとしていたのだっけ。そうそう、本書が2001年の記事から収められているのを見て茫然とした話だった。つまりこの前の『三茶日記*2本の雑誌社、→旧読前読後2001/10/25条)を読んでから5年も経ってしまっていることに驚いたのだ。ついこのあいだ読んだばかりのように感じていたから。5年は早い。
【追記】岸本佐知子さんが坪内さんの小学校の一年後輩という話(2005年2月23日条)にも驚いた。

1961年の明朗と悲哀

「あいつと私」(1961年、日活)
監督中平康/原作石坂洋次郎/脚本池田一朗中平康石原裕次郎芦川いづみ轟夕起子宮口精二滝沢修小沢昭一清水将夫吉永小百合/細川ちか子/中原早苗/笹森礼子/高田敏江/吉行和子/浜村純/渡辺美佐子

石原裕次郎の骨折休養明け第一作で、26歳にして学生を演じる。関川夏央さんの『昭和が明るかった頃』(文春文庫)によれば、これが学生役最後となったという。大学生の性をテーマとして政治の季節にからめた明朗青春劇。
ちょうど混乱をきわめていた安保闘争に対する学生たちの関わり方も興味深いが(この点前掲関川さんの本参照)、この映画の面白さは配役で決まった、という感じ。安保闘争との関わりや、いかにも石坂洋次郎らしい性の問題について何か感想を述べるべきだろうが、それ以上にこの映画の配役のはまり方が素晴らしく、それだけで喜んでしまう。
不潔を嫌う凛とした女学生で、石原裕次郎に惹かれてゆくのが芦川いづみ。彼女にぴったり。また多少脳天気な石原の同級生に小沢昭一小沢昭一に学ランを着せるという妙。石原が26歳なら、小沢は32歳だ。また石原の母親で、有名な理容師「モトコ桜井」に轟夕起子。おおらかな人柄がこれまたピタリ。あいつと私 [DVD]
有名な妻を陰で支える「髪結いの亭主」で、でもちょっと妻に浮気心でも出ようものならさっさと荷物をまとめて家を出て行くふりをするか弱い亭主に宮口精二。これが意外だった。初めに出演者を見たかぎりでは、轟の夫は滝沢修だと予想していたが、意外や意外。そしてこの亭主に宮口精二を持ってきたところがこの映画の勝利でもあるかもしれない。髪の毛にパーマまでかけている。
その滝沢修は、実は轟夕起子と昔関係があった男で、石原の実の父親、いまはホテル経営者という設定。結局こちらのほうがはまり役。轟の弟子でかつて石原の家庭教師でもあり、高校生の石原に性の手ほどきをしたという魅惑の女に渡辺美佐子というのも絶妙だ。
小沢昭一宮口精二という意外性と、芦川いづみ轟夕起子滝沢修渡辺美佐子という他に替えられない適役がうまく絡んで、愉快な作品となった。

南の風と波」(1961年、東宝
監督橋本忍/脚本橋本忍中島丈博新珠三千代西村晃/星由里子/夏木陽介賀原夏子藤原釜足菅井きん飯田蝶子小池朝雄/富士栄喜代子/田中邦衛/浜村純/織田政雄/松本染升

「あいつと私」と同年の映画だが、あちらが都会的な雰囲気であるのと対照的に、こちらは高知の田舎にある漁師町が舞台。転覆死亡事故を起こしてしまった船乗りたちとその家族をめぐる悲劇である。
西村晃が船長である機帆船太平丸は大阪との間で積荷の運送をしている。西村の妻が新珠三千代。乗組員小池朝雄は、妻と子、母親(賀原夏子)、沖仲仕の弟田中邦衛と暮らす。また同じく乗組員夏木陽介は年老いた祖父藤原釜足と二人暮し(この老け役の藤原釜足が素晴らしい)。菅井きんの娘星由里子と恋仲だが、星が「器量よし」のため母菅井きんは良縁を探している。
映画は彼ら船乗りたちが大阪から帰ってきてしばし過ごす団欒を描いたあと、お盆のお祭りがすんでまた船出してしまう。ちょうど半ばほどで船が行方不明とのニュースが飛び込んで、家族たちを絶望のどん底に突き落とす展開になり、後半は夫や息子を喪った遺族たちが立ち直ってゆくまでを描いている。
西村一家、小池一家、夏木父子、夏木・星カップルなど家族や恋人たちの悲喜こもごもが過不足なく描かれた群像劇で、話の流れも緩みがなく飽きさせない。さすが橋本忍作品(監督・脚本)である。
二号さん(「死の十字路」「あした来る人」「黒い画集第二話 寒流」「洲崎パラダイス 赤信号」「乳母車」など)の色気に気品がある新珠三千代は、いっぽうで良妻賢母も適役という不思議な女優だ。「江分利満氏の優雅な生活」や先日観た「小早川家の秋」「神阪四郎の犯罪」(ただしこれはまったくの良妻賢母とは言えないか)を思い出すが、この映画も良妻賢母型で素敵である。
星由里子の美しさにはほれぼれする。芦川いづみと星由里子。いまのところ好きな女優二人だ。