保守言論の劣化と内部糾弾

 保守言論の劣化が指摘されて久しい。しかし、これまでの指摘は最近右傾化した若者のレイシズムに近い言説に対するものが多く、2ちゃんねる批判と相まって語られることが多かった。私も、この認識に立って、右傾化した若者を多く批判してきた。
 しかし、この認識は一部誤りのようで、80年代に左翼がまだ力を持っていた時代に奮闘していた「古い保守」世代に劣化が顕著に見られる。それは90年代以降の「若い保守」からの「古い保守」への批判という形で露呈しているのが特徴だ。
 まずは沖縄戦に関する教科書記述問題に端を発し、小林よしのり八木秀次らの沖縄批判に対する違和感*1や、山崎行太郎氏による曽野綾子批判*2に見ることができる。
 最近では、米軍による沖縄の女子中学生暴行事件やイージス艦衝突事件などでの産経新聞客員論説員花岡信昭氏への批判に見ることができる。彼の産経新聞の記事やブログ*3に対し、保守的傾向の強いIZA!ブロガーからの批判*4が集中している。
 共通していえることは、「古い保守」世代が冷戦構造、55年体制から脱却できておらず、その時代の対立構造を引きずっており、左翼に対する敵対意識が過剰な点が挙げられる。「古い保守」はアメリカ=味方である。日米安保体制は揺るぎないものだ。自衛隊は仲間である。といった意識が過剰である。
 90年代以降右傾化した世代は、既に左翼は弱体化していて、対抗意識を燃やす必要がないため思想が自由である。また冷戦構図の呪縛から開放され、アメリカに対する味方意識が薄い。その為、米軍がからむ不祥事に対し、自然に米軍に対し怒りを覚え、結果的に左翼と共闘することになっても抵抗感がないのである。
 「古い保守」の場合、劣化というより言論としての賞味期限が切れて受け入れられなくなったと考えたほうがいい。その意味では「古い保守」は「古い左翼」と同じ運命を辿っているのである。ただ彼らは世の中が右傾化していることを過信して、自らの言説の賞味期限切れに気づかずに腐った飯を出し続けているのでたちが悪い。