『ゴジラ』

kenboutei2005-04-29

ファイナル・ボックスが届いたので、さっそく第一作を観る。
初めて観たのは、大学受験に失敗し予備校通いをしていた札幌で、東宝特撮映画のリバイバルがあった時。もう20年以上も前だ。中・高とSF狂いで(もちろん、スター・ウォーズがきっかけ)、当時既に伝説となっていた最初の『ゴジラ』をようやく観ることができた喜びと興奮は、今でも鮮明に覚えている。(当時の日記に書き残した内容も覚えている。)
あの頃は今とは違い、昔の映画をビデオソフトで気軽に観られることはできなかったので、リバイバル上映は、千載一遇、これを逃したらもう観ることはできないと本気で思っていた。丁度、シリーズが幼稚化の末中止になって数年経過し、一作目の再評価と製作再開の機運が高まっていた時期でもあり、周囲の熱気ももの凄く、映画館(確か狸小路東宝プラザだったなあ)で、タイトルが流されては拍手、クレジットに円谷英二本多猪四郎が出ては拍手が起こり、田舎から出て来たばかりの自分は、それだけで気分が高揚したものだった。
その後、『ゴジラ』は何度となくリバイバル上映され、また、テレビでも放映されたりして、自分も、あの予備校生の時のような気持ちで観ることはなくなったのだが、やはり思い出の一本であることには変わりない。
で、今回改めてじっくり観てみたが、やはり傑作だなあと思った次第。純粋なSFファンの頃は、ゴジラの登場シーンと、当時の特撮技術の素晴らしさにばかり目が行っていたが、今観ると、ゴジラ狂言廻しとした反戦映画の部分に強く共感を覚える。
もちろん、そういう見方は以前からあり、実は個人的には、日本SF映画の金字塔である『ゴジラ』をそんな通俗的反戦映画の範疇に入れてほしくないと、ずっと思っていた。
しかし、イラクでの戦争があり、また、最近は先の大戦での東京大空襲の検証番組などが放映される中でこの映画を観ると、ゴジラの東京上陸は、まさにアメリカのB-29によって東京が火の海になったことの再現に他ならないのがよくわかった。終戦からまだ9年。ゴジラが来るという情報に、電車の中で「また疎開か。やだな」とぼやくサラリーマン。ごく自然にそんな会話が出てしまうところに、当時のリアルさを感じる。
まあ、そんなことや、ゴジラが水爆実験の申し子であるということなどは、既に語り尽くされていることであろうが、それを声高に表現するのでなく、淡々と描いているところが凄い。(ゴジラの破壊シーンも、それほどセンセーショナルではなく、全体に諦念感が漂っている。)
もう一つ、自分がこれまであまり意識していなかったものに、オキシジェン・デストロイヤーの存在がある。核兵器を超える究極の最終兵器。それを悪用されるのを怖れ、公表しないでいる芹沢博士(平田昭彦)だが、結局ゴジラを殺すために、その封印を解く。これも、アメリカが戦争を終結させるために日本に核兵器を使用したことに対する一つの問い掛けになっている。見方によれば、アメリカの原爆投下を肯定するものでもあるが、芹沢博士が自らの発明とともに命を捨てることで、話を単純化させていない点が偉い。
まあ、こうして解説していくと、何だか青臭いプロパガンダ映画のように聞こえるが、それが「怪獣王ゴジラ」によって描かれていくのだから、やはり凄い映画だと思う。(はっきり言って、黒澤明反戦映画より洗練されている。それを本多猪四郎が撮っているのは、どこか皮肉だ。)
平田昭彦の悩めるマッド・サイエンティストぶりと、河内桃子の絶叫顔に、改めて惚れ直した。
DVDの画像はクリアで、白黒のコントラストがはっきりしていて、劇場で観た時より美しかった。(高価なだけはある。もちろん、500円DVDとは全く違う。)

ゴジラ
ゴジラ
posted with amazlet at 05.04.30
東宝 (2001/02/21)