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唐沢俊一検証blog

2009-07-22

どーよ?第2章。

04:02

 唐沢俊一博覧強記の仕事術』(アスペクト)第2章の検証、いよいよラストである。


 P.118では「現在の私の「ブログによる情報整理法」」として、「裏モノ日記」について語っている。…でも、「裏モノ日記」はブログじゃないんだけど。P.119より。

 私たち作家にとって、何が商品かというと、つまりは「発想」である。発想であり、視点であり、もっと言えば感想にすぎないものであっても、すべてを記録しておく。それが日常コラムとか気軽な読み物を注文されたときに生きてくるのだ。すごい深い考察や分析をしてもニーズに合わない。だから、私のWeb日記はとにかくすべてを記録しておこうと思っている。

 その割りには「トンデモ本大賞」でトラブルを起こしたときはボカして書いていたのだが。もう一方の当事者である大内明日香女史(『博覧強記の仕事術』の編集者でもある)が洗いざらい書いていたので、唐沢がボカしていたのがまるで無意味になっていて可笑しかった。それから「裏モノ日記」には間違いが多いので、当ブログ藤岡真さんのサイト、それに唐沢俊一スレッド2ちゃんねる一般書籍板でも毎日のようにツッコミを喰らっているが、それについては、

私の日記は一見精密に見えて、案外いい加減である。

と考えればいいのだろうか。…まあ、「精密」とはとても思えないのだが。


P.122には「愚作・駄作を読むと視野が広がる」とある。P.122〜123より。

 ビジネス書というものの多くがうたっている基本テーゼのひとつに“無駄をはぶけ”というのがある。この無駄をはぶく、という行為のひとつに、

「すでに評価の定まっている良書を選って読め」

というのがある。ビジネス書に限らない、ショーペンハウエルなども『読書について』の中でそのようなことを言っている。人生という時間は有限なわけで、その限られた時間を出来るだけ効率的に過ごすには、悪書・駄本を読んで無駄にする時間をはぶくことだ、と。

 残念ながら、このような能率を問題にしている限り、人生の本当の喜び(知的快感)を味わうことは出来ない。無駄があって初めて、人生は楽しいものになる。と言うか、何が良書で何が悪書かについて、人の基準を頼りにしている限り、自分自身でものの価値観を見つけ出し、創り出していく博覧強記人にはなれないということだ。

 例えば、ミステリーを『このミステリーがすごい』(宝島社)とか、「週刊文春ベストミステリー10」(文藝春秋)などのベストテン作品を選んで読んでばかりいると、永久にミステリーの面白さはわからない。愚作も読み、駄作も読み、つまらない作品を読むからこそ、「なぜ、この作品は傑作であるのか」わかるのだ。“つまらない作品を読むのはムダ”と思うか、“どこが面白いのか理解せずに面白い作品を読むのはムダ”と思うかの違いだが、話をして面白いのは絶対に後者の人間である。面白さというものの本質がわかっているのだから当然だ。

あれ? P.85〜86ではこんなことを書いていたよね?

 最初は、やはり基礎体力として、たくさん本を読む、たくさん知識を仕入れるということは必要だ。

 ただ、それを延々続ける必要はない。

 世の中では、「一日二冊、ミステリーの本を読むことを何十年続けてきた」みたいな人を「偉い」と思うようだが、私に言わせれば、「いい本と悪い本を区別するための勘や技術を養ってこなかった人」としかいいようがない。

 先にも述べたように、人に与えられた時間は一日二四時間でそれは皆平等である。そして一生の中で、体調などを気にせずに思う存分、本が読めるのは、せいぜいが二十年にすぎない。その貴重な時間を有効に使うには、いつまでも「全部読む」みたいな態度でいることは決して褒められた行為ではない。

 「観もしないで批評をするな」とはよく言われることだが、例えば剣の達人は、剣士を一目見て「こやつ、出来る」「出来ない」というのがわかる。剣を交える必要はない。だから、そういうのも含めて、あなたの審美眼を磨くべきなのだ。

 それがいわゆる、情報の「ティッピング・ポイント(閾値)」なのだ。そこまでくれば、あらゆる情報を詰め込む必要はない。あなたの審美眼をもって、情報を取捨選択し、必要だと思ったものだけを取り入れるべきだ。

 もちろん、それには例外もある。「面白くないだろう」と思ったものが実は面白いこともある。しかし、それはそうとわかった時点でそれを再度取り入れればよいことである。

 「いつどこで隠れた傑作が見つかるかもわからない」というわずかな可能性に賭けてすべての情報を強制的に入れるよりも、入れる前から自分で選別して、厳選されたものを観る方が、はるかに人生の時間を有効に使えるのだ。

 まるで逆じゃないか。前の方では効率を優先する読み方を勧めているのに、今度は「能率を問題にするな」と書いてある。『博覧強記の仕事術』の検証を始めてから何度矛盾点を指摘しているんだろうか? 一貫性のある文章を書けないのでは博覧強記人どころか社会人としても怪しいものだ(面接試験も無理なんじゃ?)。なお、この点については藤岡真さんも「机上の彷徨」7月8日で指摘しておられるので参照していただきたい。


 その後で、今はDVDで好きな作品を選んで観ることが出来るが、昔は名画座のオールナイトでお目当ての一本を観るために観たくもない作品を観なければいけなかったという話をしたうえで、駄作を見たおかげで批評眼が養われた、という話をしている。唐沢はアニドウの上映会でも駄作の中にテックス・アヴェリー(唐沢はそのように表記している)の作品があると輝いて見えたとも書いている。

 何とも奇遇なことだが、自分も唐沢と同じ経験を最近している。カートゥーン・ネットワーク『カートゥーン・クラシックス』という昔のアニメ専門の番組をやっているのだが、そこでテックス・エイヴリーの作品がかかることがあるので、自分はエイヴリーの作品観たさに『カートゥーンクラシックス』を観ているわけなのだ(実はこの記事を書きながら観ていた)。要するに今でもそういう現象は起こりうるので、「近頃の若い者は…」という理屈を安易に振りかざすのはやめておいた方がいいのではないかと思う。…俺も漫棚通信さんが買ったDVDボックスを買おうっと。

 それに「愚作・駄作」を読むことを勧める必要なんてない。単純に「たくさんの作品を読め」と言えばいいのだ。たくさんの作品を読めば駄作や愚作にぶちあたるのは必然なのだから。

P.125〜126より。

 優れたものしか身につけていない人間は、視野が狭くなる。その作品の素晴らしいところばかりを語るが、「なぜ、素晴らしいのか」がわかっていない場合が多い。やはり、比較対象というものは絶対必要なのだ。まずいラーメンを食べたことがあるからこそ、うまいラーメンを語ることが出来る。

 そして、うまいラーメンがあれば、まずいラーメンはいらないのか、というとそうではない。そのまずさの繰り返しが、ラーメンを食べ比べ、食べ歩いていた若い頃の経験に直結し、まずいラーメンの思い出(何しろうまいラーメンよりまずいラーメンの方が格段に多い)が、青春の思い出と重なり合って、郷愁につながるのである。

 「優れたものしか身につけていない人間は、視野が狭くなる」って本当なんだろうか。よくわからない。ただ、「優れたものを知らない人間は視野を広くしようがない」のは確かだろう。唐沢俊一は「優れたもの」を知らないから、トンチンカンなことを言ってるんじゃないか?と思ってしまった。何せこの人は『ダーティーハリー3』以降のクリント・イーストウッドの映画を観ていないんだからなあ(このことは後日記事にする)。あと、ラーメンの話を読んで、岡田斗司夫が『オタク座談会』で自分こそが「本当のグルメ」だと言って、一般のオタクのことを「Spa王が一番美味いと思っている」と揶揄していたのを思い出した。…『オタク座談会』も読み返す必要があるかな。


 これにて第2章の検証は終了。ようやく折り返し地点まで来た。

 さて、以前書いた通り、しばらく東京を離れるので、7月末までブログの更新が不定期になります。一応、手元に資料が無くても書けるネタがあるのでそれをやるつもりですが、唐沢俊一が「裏モノ日記」でヘンなことを書けばそれをネタにするかもしれません。金田伊功について妙なことを書かなきゃいいんだけどなあ。

ロード 第二章

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博覧強記の仕事術

博覧強記の仕事術

yonoyono 2009/07/23 04:37 >何せこの人は『ダーティーハリー3』以降のクリント・イーストウッドの映画を観ていないんだからなあ

年齢的に「許されざる者」から入ったにわかイーストウッドファンなんですが脊髄反射でコメです
それにしてもこれでなにを語ると…
後日の日記楽しみにしております

デュードデュード 2009/07/23 06:36 まぁ一般常識としては優れたものを観ることが視野が広がるのにどうしてこんな文書書くのか理解不能ですよね?
昔はヒイコラ言いながら映画監督作品を調べたのになんて無茶な言い草をするんだという言葉が過ぎります。

>何せこの人は『ダーティーハリー3』以降のクリント・イーストウッドの映画を観ていないんだからなあ

僕としては子供の頃からイーストウッド追い掛け回しているのになんで嫌うんだとしか言いようがありません。
後,裏モノ日記でリチャード・ハリスが亡くなった時『許されざれる者』イングリッシュ・ボブ役の
リチャード・ハリスをなんて酷い扱いをするんだ。”とクリント・イーストウッドを貶してましたね。
イーストウッドに対して恨みでもあるのかなぁと邪推します。

デュードデュード 2009/07/23 06:51 追記
ここがそうです↓
http://www.tobunken.com/diary/diary20021026000000.html

デュードデュード 2009/07/23 07:42 誤:まぁ一般常識としては優れたものを観ることが視野が広がるのにどうしてこんな文書書くのか理解不能ですよね?

正*どんなジャンルでも色々観てから判断がつくというのが一般常識ですよね?

nyannnyann 2009/07/23 12:47 ちょっと気になったので2ちゃんの方にも書いたんですが、
たぶん正しい日本語表記が「テックス・アヴェリー」だった時代があったと思います。
今の常識では「エイヴリー」で統一されているかも知れませんが、『世界アニメーション映画史』
などの古い書物では「アヴェリー」なので、これは一概に唐沢個人の誤記とは言えないかも知れないです。

スパ王のナポリタンは旨いですよねwちょっと高級なパルミジャーノ・レジャーノを
削って振りかけて食べると最高に旨いです。

藤岡真藤岡真 2009/07/23 12:53 > 世の中では、「一日二冊、ミステリーの本を読むことを何十年続けてきた」みたいな人を「偉い」と思うようだが

 偉いんですか? 大阪弁で「えらい」と言ったのでは?

kyoukyou 2009/07/23 16:16 イーストウッドを認めないのは、ポーリン・ケイルのパクリなのかな。


博覧強記を自認するのなら、R・ハリス追悼の文章で「マッカーサー・パーク」等での歌手としての一面に触れるべきだと思うのですが、まぁ無理でしょうな。アニソンしか知らんようだし。

minomino 2009/07/23 17:37 >「ティッピング・ポイント(閾値)」
って、なんか使い方を間違っているような気がします。

閾値なら普通Thresholdですし、文脈からしても
やはりThresholdが妥当じゃないのかな?

もっともティッピングポイントの意味でも、Thresholdの意味でも
もうちょっと具体的な例が無いと、「だからどこが閾値なんだよ?」
って感じですけどね。

デュードデュード 2009/07/23 19:48 kyou様
>イーストウッドを認めないのは、ポーリン・ケイルのパクリなのかな。

いやそこまでは行かないでしょう。
一応ポーリン・ケイルは作品見てるし,“ニューシネマの守護神”ですから,
それよりも問題なのは唐沢俊一は,『宇宙戦艦ヤマト』にハマってなかったことを自認してるし,ガンダム論争で当時の状況を捏造したりして故・ポーリン・ケイルと比較しちゃマズいでしょ(笑)

しかし,こんな人物を大物扱いした人間が一番悪い気がしました(爆)

SerpentiNagaSerpentiNaga 2009/07/23 21:53 >こんな人物を大物扱いした人間が一番悪い

おっと、原田実先生(Ph.D.)の悪口はそこまでだ!(笑)

みたかみたか 2009/07/23 23:00 >「一日二冊、ミステリーの本を読むことを何十年続けてきた」みたいな人を「偉い」と思うようだが、私に言わせれば、「いい本と悪い本を区別するための勘や技術を養ってこなかった人」

 えー!? 良い本だけ読んでも、一日二冊じゃあ、読み切れないですよ〜。
 ミステリって百五十年以上の歴史があるわけじゃないですか。最近では、マンガだって、ライトノベルだって、SFだって、時代小説だって、純文学だって、みんなミステリ風味だし。冒険小説やスパイ小説、戦争小説までミステリに含めて考えるようになったし。世界中の本が和訳されてやってくるし。
 実際、毎日一冊ミステリの書評を書いているホームページなんかもあります(素人の方がやってます)が、新作の三分の一も読めていません。明らかに好きな作家だけ読んでいます。でも、毎日書評が書ける。

 ミステリを甘く見るんじゃない!

tochicatochica 2009/07/23 23:29 Tipping Point「ティッピング・ポイント」は疫学由来の言葉で、元々は何らかの小さな変化が一定の閾値thresholdを超えると伝染病が爆発的に広まる現象を指したものですね。近年流行の用法でも、文化的流行や地域間の人口移動のような社会現象のメカニズム解明に応用されています。

いずれにしろ社会システムについて用いる言葉ですから、唐沢氏のように個人の知的能力に援用するのは的外れだと思います。

とおりすがりとおりすがり 2009/07/24 04:14 テックス・エイヴリーという表記は初めて見ました。昔から「テックス・アヴェリー」表記を見慣れていると多少違和感を感じてしまいます。原語だとアヴェリーとエイヴリーの中間的な発音なのでしょうけど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC

他にも Hanna=Barbera の表記は昔から「ハナ=バーバラ」「ハンナ=バーベラ」「ハンナ=バーバラ」などと揺れがあって、どれが標準なのかいまだによくわかりません。

kensyouhankensyouhan 2009/07/24 12:34 コメントありがとうございます。

>yonoさん
>デュードさん
>kyouさん
イーストウッドの件を書いておきました。

>nyannさん
>とおりすがりさん
自分は「唐沢はそのように表記している」という事実を書いているだけで、誤記を指摘しているのではありません。自分も最初は「アヴェリー」と覚えていましたが、最近では「エイヴリー」の方が使われているようなので、それに従ったまでのことです。アニドウの同人誌で森卓也が「テックス・アヴェリー」の追悼文を書いていましたが「“エイヴリー”と読むのが正しいらしい」とも書いていました。

>藤岡さん
養老孟司先生のことを言っているのかと思いましたが。

>minoさん
>tochikaさん
「閾値」と「ティッピング・ポイント」は自分もひっかかりました。ただ、唐沢が曖昧なことしか書いていないので、こちらとしても突っ込みづらいのですが。

>みたかさん
確かにいい本だけを選んでも読みきれませんね。

通りすがり2号通りすがり2号 2009/07/24 18:24 閾値の話、唐沢氏の書き方だと、
本を選ぶ時、ある段階までは悪書を選んでしまうが、
悪書の読書量が閾値を越すと自動的に良書だけを選べるようになる
って感じですね…。

>剣の達人は、剣士を一目見て「こやつ、出来る」「出来ない」というのがわかる。
というのは時代劇の世界だけなんじゃないのかと思うんですけどね。

個人投資家個人投資家 2009/07/25 18:59 >私たち作家にとって、何が商品かというと、つまりは「発想」である。

 でも、唐沢は一度も発想を商品化したことはない。
 商品化したモノは、他人からのパクリ、つまり他人の発想(や調査結果)である。

kensyouhankensyouhan 2009/08/01 13:43 コメントありがとうございます。

>通りすがり2号
唐沢俊一を見て「こやつ……、一体何者?」と思ってしまいますが。力量がわかりません。

>個人投資家さん
出版社に企画をいろいろ提出しているようですからそのうちカタチになりますよ、きっと。