スマートフォン用の表示で見る

アスレティック・ビルバオ

スポーツ

アスレティック・ビルバオ

あすれてぃっくびるばお

Athletic Club de Bilbao

スペインサッカークラブ

クラブ概要

正式名称 : Athletic Club (アスレティック・クラブ)

愛称 : Leones (レオネス)

クラブカラー : 赤・白

創設 : 1898年

本拠地 : Bilbao, Provincia de Vizcaya, Comunidad Autónoma del País Vasco (ビルバオビスカヤ県バスク自治州

スタジアム : San Mames Barria (サン・マメス・バリア)  ※2013年8月完成予定

収容人数 : 53,332人

国内タイトル

  • コパ・デル・レイ 24回
    • 1902, 1903, 1904, 1910, 1911, 1914, 1915, 1916, 1921, 1923, 1929-30, 1930-31, 1931-32, 1932-33, 1942-43, 1943-44, 1944-45, 1949-50, 1954-55, 1955-56, 1957-58, 1968-69, 1972-73, 1983-84,

ダービーマッチ

同じバスク自治州を本拠地とするレアル・ソシエダ (Real Sociedad de Fútbol) との試合はバスク・ダービー (Derbi Vasco, デルビーバスコ) といわれ、イングランドマージーサイド・ダービー (Merseyside Derby) 同様、スタジアムで両サポーターが隣りあわせで応援するなど、友好的なダービーマッチである。


その他

スペインで2番目に古い歴史を持つサッカークラブであるアスレティック・ビルバオは、レアル・マドリーCFFCバルセロナと並んで1度も2部リーグ落ちしたことがなく、リーガ・エスパニョーラ創設以来1部リーグに留まり続ける名門クラブ。英国人によって創設されたことから、英語の名前を冠している。テクニックの高さを特色とするリーガ・エスパニョーラにあって、比較的フィジカルを重視する。最近は異なるシステムも見られるものの、他のバスク地方のクラブと同様に4-5-1システムを下部組織から一貫して採用してきた。

バスク人のみでチームを構成するという純血主義を貫くクラブでもあり、ボスマン判決によって苦境に立たされたクラブとしては最右翼の存在。純血主義、苦しい財政状態、と外部からの補強は難しい状況にあり、リーガ・エスパニョーラ屈指の規模を持つ下部組織、通称「レサマ」に依存する傾向にある。

フランコ独裁時代にカタルーニャ地方とともに弾圧を受けたバスク地方のクラブとして、サン・マメスにおけるレアル・マドリーCF戦は特別な試合である。とはいえ、地方と中央の代理戦争は過去のものとなっていて、マナーが良いことで知られるサポーターはエル・クラシコのような騒ぎをおこすことはない。レアル・ソシエダとの対戦であるバスクダービーも、のどかとすら言える雰囲気のなかでおこなわれる。ETAバスク祖国と自由) との蜜月を囁かれたこともあるものの、ETAテロに対して非難のメッセージを発表するなど、少なくとも現在ははっきり関係を断っている。

アスレティック・ビルバオリーガ・エスパニョーラ優勝8回のうち4回までは1930年代に記録されている。1955-56シーズンに6回目の優勝を果たしてから、1982-83シーズンにアンドニ・ゴイコエチェア・オラスコアガやアンドニ・スビサレッタを主力として優勝するまでには、実に26シーズンを要している。しかも、翌1983-84シーズンに優勝して連覇を成し遂げたあとは、1997-98シーズンの2位が最高とまたもや優勝から遠ざかっている。コパ・デル・レイの優勝も1983-84シーズンが最後となっていて、1998年に24回目の優勝を飾ったFCバルセロナに歴代1位の座を譲り渡した。

イスマエル・ウルサイスホセバ・エチェベリア、フレン・ゲレーロの“スペイン代表トリオ”を中心に1997-98シーズンに好成績を残したあと、1999-00シーズンの11位、2000-01シーズンの12位という低迷期を経て、フランシスコ・ジェステアシエル・デル・オルノダニエル・アランスビアといった若手の成長がチームを支えた2002-03シーズンには7位を記録。翌シーズンに就任した青年監督エルネスト・バルベルデによるディフェンスの改善が功を奏したこともあって、2003-04シーズンは5位でフィニッシュ、UEFAカップ出場権を獲得した。

2011-12シーズン、マルセロ・ビエルサに率いられフェルナンド・ジョレンテを擁しUEFAヨーロッパリーグに出場。決勝に進出したが、同国で元々姉妹クラブだったアトレチコ・マドリーに敗れ悲願の国際タイトル獲得はならなかった。