バトル・オブ・ブリテン

社会

バトル・オブ・ブリテン

ばとるおぶぶりてん

Battle of Britain

期間:1940年7月〜10月

場所:英国諸島およびその周辺空域

参加陣営:イギリス空軍(RAF)vsドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)

第二次世界大戦中、フランス降伏後に、英本土の制空権をかけて行われた航空戦。

ドイツ空軍による猛攻をイギリス空軍が退けた。

6月18日まで

1939年9月のドイツ軍ポーランド侵攻と、英仏の対独宣戦布告によって第二次世界大戦が始まった。が、ポーランドが一ヶ月で電撃戦の前に敗れ去るという展開は英仏にとってはまったく予想外のものだった。このため西部戦線ではドイツ軍と英仏軍が対峙するだけで、大規模な戦闘は起きなかった*1

1940年4月9日、この状態はドイツ軍によるデンマークノルウェーへの侵攻作戦の開始によって終わりを告げた。さらに5月10日にベネルクス三国とフランスへの侵攻が開始される。電撃戦の魔力の前にたちまちフランス軍戦線は突破され、イギリス欧州派遣軍(BEF)を含めた連合軍の壊滅は時間の問題となった。

フランス北部、ダンケルク周辺地域に追い詰められた40万の連合軍部隊を救援するべく、イギリスは総力を挙げて「ダイナモ作戦」を実施。撤退支援のためにイギリス軍は少なからぬ損害を出したものの、ドイツ側の判断ミス*2などにも助けられ、6月5日のダンケルク陥落までに北海を超えて将兵約35万人が英本土に収容された*3

一方、主力軍を失ったフランスには、これ以上ドイツ軍を止める力はなかった。6月5日にフランスを降伏させるべくドイツ軍の攻勢が再開される。6月10日にフランス政府はパリを捨てボルドーに退避。6月14日にドイツ軍はパリに入城する。

6月25日にフランスは正式に降伏した。25年前、第一次世界大戦で3年以上の歳月と何百万という人命を費やしてもなしえなかったフランス征服を、わずか一月半でなしとげたのは紛れもなく大勝利である。だが、ドイツ軍(とヒトラー)の期待にもかかわらず、英国との講和の望みはなかった。

1940年6月18日、イギリス首相チャーチル下院で演説を行った。

軍事的な大惨事――フランス軍首脳部が、セダンミューズ河畔においてフランス軍戦線が決定的に崩壊したことを知った時に北方の陸軍部隊をベルギーから撤退させられなかったことでもたらされた――についてはすでに述べました。(中略)

「ウェイガン将軍が命名したところの『フランスの戦い』は終わったのです。そして英国の戦い(バトル・オブ・ブリテン)がまもなく始まろうとしています。

「この戦いには、キリスト教文明の存続がかかっています。われわれ英国の生命と社会と帝国の存亡もかかっています。まもなく敵の全意志と全力とがこちらに向かってくるのは必至です。ヒトラーは知っています――この島国に住む我らを打倒するか、さもなくば戦争に負けるのだと。英国が屈することがなければ、全欧州は解放され、世界は明るく開けた場所へと変わっていくことでしょう。しかし英国が敗れれば、遠からず、合衆国を含む全世界、我らが知りそして慈しむこの世界すべてが新たなる暗黒時代の深淵へと沈むことになるでしょう。それは(かつての暗黒時代と比して)さらに恐ろしいものであり、なおかつ、その邪悪な科学の力に支えられてさらに長く続くことになるかもしれないのです。

「それゆえ私たちはこの責務に備え、それを担わねばならないのです。もし大英帝国がこのあと千年間存在したとしても、振り返って『これこそが彼らの最良の時間(their finest hour)であった』と言われるように」

Their Finest Hour - The Churchill Centre

英国を政治的に屈服させるのは不可能だと分かった。ならば軍事的手段で解決を図るほかない。


あしか

英本土と欧州大陸との間には、英仏海峡という名のいささか広い対戦車壕が存在していた。さすがに電撃戦の魔力も海を越えることはできない。ノルマン ・コンクエスト以来一度も海外勢力による征服を受けていないというのは伊達ではないのだ。

英仏海峡制海権を掌握しない限りは英国への上陸は不可能である。だがドイツ海軍が独力でロイヤル・ネイヴィーを撃破して制海権を掌握するというのは夢物語に類するものであった。必然的に解決は空軍力に委ねられることになった。英仏海峡上空の制空権を掌握して、上陸部隊を迎撃して来るであろう英海空軍を無力化せねばならない。しかるのち、陸軍部隊をブリテン島に送り込むのだ。

1940年7月16日、ヒトラーイギリス本土への上陸作戦である総統指令第16号「ゼーレーヴェ」を発し、すべての準備が開始された。準備の要となるのはドイツ空軍による航空撃滅戦である。

*1:この時期は「ファニー・ウォー」などと呼ばれる

*2:一般には英国の態度軟化を期待したヒトラーの政治的判断とか、空軍だけで連合軍を撃滅可能と主張したゲーリング大言壮語とか、包囲内の部隊と戦って貴重な装甲部隊を消耗させることを嫌ったとか、フランスを崩壊させるためには首都の方が優先目標としたとかが要因だと言われている

*3:ただし、装備の大半を失っていたので、戦力として計算できる状態ではなかった