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三沢光晴

スポーツ

三沢光晴

みさわみつはる

プロレスラー(1662-2009)。元二代目タイガーマスク

通称:ノアの盟主、全日本プロレス時代はエルボーの貴公子、超世代の旗手。

高校時代はアマレス国体優勝の経歴を持ち、自衛隊からのスカウトを蹴ってのプロレス入り。

高校時代の後輩には川田利明がいる。

全日本プロレスを経て、プロレスリング・ノア設立

日本のプロレス界のエースとして強い人気とカリスマ性を併せ持つ人物であった。

2009年6月13日、広島県での試合中に頭部を強打し病院に搬送されるも死亡が確認された。享年46歳。

Profile

誕生日昭和37年6月18日
死去日平成21年6月13日
出身地埼玉県越谷市(公式資料による)
身長185cm
体重110kg
血液型O型
デビュー戦昭和56年8月21日 埼玉浦和競馬場正門前駐車場特設リング 対越中詩郎
タイトル三冠ヘビー級、世界タッグアジアタッグGHCヘビー級GHCタッグなど
得意技エルボー、フェイスロック、フロッグスプラッシュ
タイガードライバータイガードライバー'91、タイガースープレックス'84、タイガースープレックス'85、
エメラルドフロウジョン、改良型エメラルドフロウジョン

リスト::プロレスラー


おまけ

  • 二代目タイガーマスク時代の通称は夢幻の請負人。現在の奥さんに素顔を見せてゴールインしたのもこの時代である。
  • 全日本のエースだったジャンボ鶴田が体調を崩し、満足のいく仕事ができなくなった後、エースの地位を引き継いだ人物。ジャイアント馬場の考える「まずは受身」という全日スタイルを完成させた人物といっていいかもしれない。
  • 試合の中盤は、相手の投げ技や打撃を受ける姿勢に徹し、相手の良さを全部引き出してから、最後に派手な技で逆転するという試合展開の組み立てを得意とした。高山善廣が、三沢とのシングルマッチ後、「いやぁ、凄いですよね。バケモンですよねぇ」とマイクパフォーマンスを忘れてしみじみ語ったほどである。
  • 三沢を含めた大勢のレスラーや関係者が全日本を去った理由は、G馬場死去後、馬場夫人が「これから亡き馬場さんの財団をつくる事が最大事項」と言い出し、レスラーの待遇要求を全く受け入れなかったからとされるが、真実はナゾのままになっている。「シャワーを浴びていて、鼻血が止まらないから浴室の床が真赤になる」など、受身美学はじわじわと選手達のカラダを蝕ばんでいた為、待遇改善は急務であったのだろう。尚、三沢は全日本離脱の際に若手数人との比較的小規模な活動を行っていこうと考えていたようである。