神奈川出身の元プロレスラー。愛称は「アントン」。
本名、猪木寛至。1943年2月20日生まれ。横浜市鶴見出身。
新日本プロレス創始者としても知られる。
日本にタバスコを広めた人物。
一家でブラジル移民となり、しばらくコーヒー農園の手伝いなどをしながら暮らす。
たまたまブラジルに来ていた力道山に才能を見出され、弟子入りすることに。
力道山出演ドラマ「チャンピオン太」で敵役の死神酋長アントニオを演じたことはあまり知られていない。(猪木がまだ若かったため)
ジャイアント馬場とは同じ門下生で、かつてアメリカ修行でも同行した。
アメリカ時代のリングネームは「トーキョー・トム」だったらしい。
カール・ゴッチにも師事し、オクトパス・ホールド(後の卍固め)を自らものにした。
帰国後、世界ヘビー級チャンプ、モハメド・アリや柔道王ウィリアム・ルスカとの異種格闘技戦も意欲的に参加。
新日本プロレス創始者であり、実質オーナー。
藤波辰爾、長州力など、数々の名レスラーを輩出した。
IWGP決勝戦でハルク・ホーガンと対決するも、アックスボンバーで失神KO負けになる。
キャッチフレーズは「燃える闘魂」(アナウンサー、舟橋慶一の命名)。
趣味はワインとのこと。大の納豆好きで、自分の食生活を著書で公表している。
得意技はコブラツイスト、卍固め、延髄斬り、ボー・アンド・ロー(弓矢固め)等。自ら封印した技にアントニオドライバーがある。
「ご唱和ください。1!2!3!ダー!です」のマイクパフォーマンスで有名。
2005年7月、世界総合格闘技連盟(WXF)を旗上げし、総裁に就任。
2007年3月、「イノキゲノムフェデレーション」を旗揚げ。
1989年、「スポーツを通じて国際平和」を合言葉にスポーツ平和党を結成。第15回参議院議員通常選挙に比例区から99万3989票を集めて初当選し、参議院議員に。史上初のレスラー出身の国会議員となった。
なお、当時参院比例区は政党名の投票であったのに対し、自身の知名度の高さから猪木の個人名を書いた無効票が大量に出た(当時の参議院比例代表選挙は厳正拘束名簿式)。政治活動を続けながらもプロレス界からは引退せず、政治とプロレスの「二足のわらじ」を履いて活動した。
1995年、参議院選挙で落選。
2013年、日本維新の会が、参院選比例区に擁立する方針を固めた。
「プロとアマの違いを見せねばならん」(ウィリアム・ルスカ戦にて)
「俺は今人生のホームレスをしています」
「修行とは出直しの連続なり」
「俺をリング上で叩き潰してみろ!」
「世界中のベルトをもって帰ります!」(スタン・ハンセン戦)
「試合やる前に負けること考えるバカいるかよ!」(東京ドーム引退試合)
「この道をゆけば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」(引退試合後)
「誰の挑戦でも受ける!最後まで見栄を張らせていただきます」(引退会見)
「元気ですかー!元気が一番 元気があれば何でもできる」
…等々、名言には事欠かない人物の一人である。
「猪木詩集」
「風車の如く」
「FIGHT RECIPE」
アントニオ猪木という名のパチスロ機
アントニオ猪木自身がパチスロ機
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