この戦いにおける武田方の戦死者は、1万とも数千とも言われていますが、甚大な被害を被ったことは間違いありません。これまで武田家を支えていた多くの重臣たち――馬場信春、山形昌県、内藤昌秀、原昌胤、真田信綱・昌輝兄弟らが軒並み戦死してしまいました。これら諸将の死は、武田家にとって相当な痛手だったわけですが、同じくらい痛かったのは、数字には表すことができない武田軍の質の低下でした。 先代・信玄公の元、何十年にも渡って練り上げてきた武田軍。一兵卒から物頭、そして先手の将に至るまで、こういう時にはどう動けばいいか、どう指揮をすればいいか、阿吽の呼吸で動ける軍隊に仕上がっていました。武田の強さを支えていた、…