Physics Today 4 月号届く
Physics Update より、 S. Lin-Gibson et al, Phys. Rev. Lett. 92, 048302 (2004), A. Montesi et al, Phys. Rev. Lett. 92, 058303 (2004).
prigogine への追悼文が今ごろ出ていた
継る、継らないを軸に
「美しき波 中嶋朋子」 @先見日記
「パンパン!」という例の合図が舞台監督から発せられ、 順々に制作部のひとりひとりによって「パンパン!」「パンパン!」と 無言のうちに広い舞台裏中に伝播された。 すると一斉にオーケストラが舞台へと動き出す。 何とも美しいウェーブ。 音によっていざなわれる人々のエネルギーの波。
「SocialNetwork+ケータイの威力は」 @mori
世間はSocialNetworkのポータルとなりうるケータイの個人情報保護については あまりに無知だし、その重要性を認識しなさ過ぎている
一体感の快感 (前者) と恐怖 (恐怖) を感じる
後者は、受け入れがたいな、やっぱり
ボーグ (10/13/2000) とか、幼年期が終わってしまう (10/20/2000) とか、そういうイメージ
上の昔の記述を見て気付いたが、 2000 年 10 月頃はケータイに警戒感を持っている人が (まだ多少は) 居たみたい
「押収品に被害女児の記録 福岡県警巡査の連れ回し事件」 @asahi
の、 「その車が両日とも犯行時間帯前後に現場近くの ナンバー自動読み取り装置(Nシステム)に記録されていた」 ってのが恐いな
cf. 6/27/2002
6/3/2006: 付和雷同型人間
「第九百五十六夜【0956】04年3月29日 姜尚中 『ナショナリズム』」 @千夜千冊
これは heavy 過ぎて読み返さなければ飲み込めない……が勢いで
「第九百五十五夜【0955】04年3月26日 柄谷行人 『日本精神分析』」
まだまだ色々読み続ける
「第九百三十五夜【0935】04年2月13日 マルセル・プルースト 『失われた時を求めて』」それは記憶と忘却ということだ。 記憶にも方法があるのだが、忘却にも方法がある。 どのように忘れるかということが、「われわれ」の現在をつくっているわけなのである。
「第九百三十一夜【0931】04年2月6日 芥川龍之介 『侏儒の言葉』」
★ 人生はマッチに似てゐる。重大に扱ふには莫迦々々しい。重大に扱はなければ危険である。
芥川は大上段の論理や大掛かりな人生をたえず瑣末で壊してみせようとしたからだ。 …
そこへ、漱石がそういう芥川をいちはやく褒めて応援した。 きっと瑣末の趣向を扱う切れ味に、なにがしかの機知と哀歓を感じたのだろう。 芥川もこの褒め方に鼓舞されて、生涯、 この漱石が褒めた感覚を忘れないようにしていたふしがある。 …
世の中では瑣末に見えることが、芥川にはたいてい大きく見えていたということなのだ。
(cf. 10/13/2000 : ゴッホ)
★危険思想とは常識を実行に移さうとする思想である。
(5/6/2004 : theorems に追加)
… 35歳の死はやっぱりあまりに早すぎた。
4/10/2004 : 「瑣末」
「第四百四十三夜【0443】2001年12月18日 宮本武蔵 『五輪書』」
← 6/30/2004, 6/18/2004, 5/9/2004, 5/3/2004, 4/17/2004, 4/10/2004, 4/7/2004, 11/6/2003, 10/20/2000 →
「第四百四十三夜【0443】2001年12月18日 宮本武蔵 『五輪書』」@senya
引用:
「留(とめ)あはする事」をよく吟味する
「ひやうし」 (拍子) にそむくのが一番まずいことで、 そのために拍子をこそ鍛練しなさい
相手のことを知るには、その「先」 (先端) だけを知れ
うつのうの字のかしらをおさへ、 かかるのかの字をおさへ、 きるといふきの字をおさゆる
自信がないときは、「角にさわる」「まぶるる」「かげを動かす」ということをしなさい
とりわけ「縁のあたり」「場の次第」「けいきを知る」「渡をこす」が絶妙だ
人生にも「渡」があって、その「渡」が近いことを全力で知るべきだ
8/2/2005: 定理 に追加
4/4/2009: 「(無名時代には)諸君は、いま、そのとき、 その場においての試行錯誤をもっと適確に感じるべきだ。」(松岡正剛)