「チェチェン大統領暗殺 6人死亡、ロ政権に大打撃」 @yahoo
収集がつかなくなって来るんだろうか、世界は…
「Winny開発者逮捕へ 京都府警が全国初」 @yahoo
4/30/2004 のニュースがこれへの布石に見える、というのは邪推か?
この逮捕で今の「秘密文書の保管庫」が消える訳ではないので、 見せしめの意味が強いのかな
開発者は「東京都内に住む30代の東京大助手の男」だったのか
5/10/2004 付記 :
「<ファイル交換ソフト>ウィニー開発の東大助手を逮捕」 @yahoo
「Winny作者の47氏、逮捕」 @/.jp
5/11/2004 付記 : 「掲示板に「著作物課金制度古い」…ウィニー開発者」 @yahoo
こういう情報は警察が大衆操作のために流して、読売が食いついている、という構図なのかなぁ
「今の著作物に対する課金システムは古い。 ユーザーはクリエイターに直接、金を払うべきであって CD業者などへの中間マージンは無くてもいいはず」 ってのは、 s/無くても/もう少し少なくても/ なら、真っ当な主張に思えるんだけど
動機が争点になってるみたいだから、 きっと法律的な戦略なんだろうけれど
「東京大工学部(東京都文京区)9号館にある金子容疑者の研究室を捜索、 パソコンや関係資料を押収した。」 に関して、大学の自治なんて絵空事というような話も少し見かけたが、 そういえば 10 年以上も前に青葉山に泥棒が入った時は、 粛々と警察官が入って来て、我々の指紋もきちんと取っていったなぁ
cf. 7/24/2004, 5/9/2004, 5/9/2004, 10/30/2002.
←5/19/2006
「第百六十五夜【0165】2000年11月7日 金子光晴『絶望の精神史』」
引用 (要約の要約)
金子光晴が本書で書きたかったことは、 「日本人のもっている、つじつまの合わない言動の、その源である」。
おそらく金子は、次の方針を貫いた。
(1)書きたいことを書く、
(2)身近な人間の生きざまを露出させる、
(3)気にいらないことはあけすけに指摘する、
(4)自分のなさけない人生の大半も隠さない、
(5)それらを通して日本人と絶望の関係を徹底的にハッキリさせる、
(6)あまり考えないで書く、
(7)明治大正昭和を生きてきた実感に頼って書く。
(時代の流れに対して)
その明治を「ひげ」が君臨し、「ひげ」が威張っていた時代だったと金子は見ている。 … その前の江戸の社会は「ひげのない政策」だった。 武士や庶民に虚勢をはらせない政策である。 それが明治で緩んだ。
ありていにいって、大正文化は外来思想と外来文化でかためたようなものだった。 … 実は大正時代は「珍しく軍と官憲の弱腰の時代」だったのだ。 それなのに、知識人はその正体を暴ききれず、民衆はまだ明治の夢を見ていた。
関東大震災で「大正人のきれいなうわっつらがひんめくられ、 昔ながらの日本人が、先方から待っていたとばかりに、のさばり出てきた」 … 「それは僕ら自身のなかから、拘束し、干渉するものがいないとわかって、 無遠慮に、傲慢に、鎖をはずされたならず者のように、口笛をふきながら、 あたりを尻目に駆けて出てきた、ほんとうの日本人なのだ」。
「日清、日露の戦争のときには、国の内部に軍の実力への半信半疑が湧いてくるのを、 民衆がスバーしようとした若い情熱があった。 しかし、昭和の民衆は、この情熱をもう持ちあわせていない」のである。
そこで見たものはいろいろあったが、 一言でいえば「日本軍が理想を失って、指揮者が戦争に熱がないくせに、 兵士にむりに忠誠を誓わせたこと」、これである。
金子は玉音放送を聞く。 すべては終わったのではなく、また同じことが再開するのかと思った。
久々に本書をふりかえってみてよくわかったのは、 金子光晴は日本人に対して絶望しているのではなく、 “絶望を問題にしない日本人”を問題にしたかったということである。
(エトランゼとして)
自分を「エトランゼ」と思い切ることだった。
金子は日本でもエトランゼでありつづけられそうだったのだ。
けれども、彼らもまたエトランゼであるのだから、 日本の文化人は見放すしかないだろう。
ふたたび浦島太郎のエトランゼの資格を得て日本に帰ってきた金子は …
三たび、擬似エトランゼとなって日本に戻った金子を待っていたのは …
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1/23/2008: 「旅行(者)嫌い」な風来坊。