論文が出た。
10月だと思ってたら No.9 (september) が issue される前に出たみたい。 この Vol. 5, no. 10は "Computational Tools and Its Application to Analyze Emerging Nanomaterials"というタイトルの special issue.
我々の論文の reference はJ. Comput. Theor. Nanosci. 5, 2004-2021 (2008)
だけど、うちは購読していないようで、結局、見れない……。
関係ないことだけど、この出版社の色使いのセンスは、よく分からない。 カラーだからって全色使えばいいってもんでもないだろうに…… (とはいえ、私もそういうセンスがある訳ではないけれど)。
12/9/2008: PDFを購入……が、なにかuglyなことに。
経過:
12/9/2008: 大学で購読してないので、PDFを購入。
「三年次の報告書の作成、吉田健一氏のこと」@mitsuhiro
引用:今回の福田氏の退陣の時の記者会見で、 つくづく親か祖父が首相でも子供や孫がそんな器になるのではない、 という当たり前のことがわかります。 日本中のテレビをみていたひとたちのうち福田さんに共感したの、 二世、三世の議員とか社長さんだったでしょう。
親と同じ職に就く人間っていうのは、すごく素直に育った人たちなんだろうし、 職業選択の中にある種の思い入れが入ってたりするのだろう。 もちろん全てがそうだと言っているのではない。
業績の数値化について。
まあ普段、散々悪し様に言っているのだけど (例えば4/20/2007あたりかな)、 ふと最近の journal citation reports (JCR) を覗いてみた。
どうしてかっていうと、まあ結局は、邪な考えで…… つまり、自分の論文の数はかなり少ないのだけど、何というか、無駄弾は打ってない、 つまり切り売りするために妥協してマイナーな雑誌に出したりしてない。 この事実を、どう客観的に提示できるだろうか、と思い、 参考のために、いわゆるインパクト・ファクターという奴を見てみた、ということ。
付記:インパクト・ファクターをなぜ悪し様に言っているのか?
(過去の自分の記述の中に見つけられなかったので、簡単に。)
世の中、いろいろと雑誌はあるけれど、分野毎にきちんと住み分けが出来ている (から、経営もなりたって、今もきちんと生き残っている)。 で、自分の専門分野に関しては、一流、二流、順位外みたいな雑誌のランクは 自ずと明らかな訳で、 IF なんて数字を持ってこなくても、 どこに出しているかを見れば一目瞭然だから。
それに、この感覚と、 IF の数字は、実は必ずしも一致しない場合もあるし。 (物理系の雑誌より化学系雑誌の方が妙に高かったり、とか。)
結局は、分野の違う(偉い)人たちに説明するための手段にすぎない、と。
で見てみると、自分がこれまで投稿した雑誌の中で一番高かったのは J.Phys.Chem.B で 4.086 だった(雑誌のページに堂々と書いてある)。
JCR 自身は Thomson の商品なので、数字のリストをここに並べるのはさすがにまずいのかもしれないが、 雑誌が(宣伝のために)自分のところの IF を出していたりするので (Phys. Fluidsは1.780とか、 PREは2.438 (2006年) とか)、 その範囲で書く分には、まあいいでしょう。
"Cited Half-Life" というのをはじめてみたが、 これって、その論文の引用が持続している時間として (つまりそれを、その論文の賞味期限の長さと見て)、論文の価値を見ようという指標なのかな。
新興雑誌にはつらい指標だけど、一理あるかな。
私の場合、まあ確かに「無駄弾は打ってない」。 しかし一方で、被引用数も結構低迷しているので、結局、大きな顔はできません……。
今現在のISI Web of Knowledgeでの結果を晒してみると、
paper Times Cited google scholar 論文の解説 Ichiki, Hayakawa, PRE (1995) 33 41 修論の内容(解説) Hayakawa, Ichiki, PRE (1995) 13 7 修論の内容の一部 Ichiki, Brady, Phys Fluids (2001) 8 13 caltechでの仕事(解説) Ichiki, JFM (2002) 6 9 caltechでの仕事(解説) Ichiki, Hayakawa, PRE (1998) 6 9 D論の内容(解説) Ichiki, Consta, J.Phys.Chem.B (2006) 3 3 UWOでの仕事(解説) Ichiki, Prosperetti, Phys Fluids (2004) 2 6 JHUでの仕事(解説)
コメント、 john との「反射法」の論文は、この他に1つ成書に引用されていた。 cf. 2/20/2008
あと残念なのは andrea と書いた「ファクセンの法則」の論文。 最近 howard brenner たちの論文(Feng et al. (2006) JFM vol.563 pp.97-122)で引用されていたのだけど、 references に typo があって、オンラインではカウントされていない (1994年の論文と書かれてしまってたのです……)。 cf. 7/10/2007
まあ、どっちにしても、プラス・マイナス1のちっちゃな話だけど。
付記:ものはついでなので google scholar の結果も表に追加しておく。 (人の業績についてあれこれ言っている訳ではないし、別に隠すような情報でもないので (はずかしいとか、みっともないとかいう気持ちは置いておいて)、 まあいいでしょう。) 分かることは、 google の方にはいろいろと小さなものも引っかかってきていて (proceedings とか?)、数が多くなる傾向がある。
しかし、この「被引用数」という奴も、必ずしも論文の価値を表していない場合もある (って、思いっきり言い訳だな……)
例えば、粗製濫造して自己引用すれば、その分増える、とか。 (これは、自己引用分を差っ引けばいいのかな。)
その時代の「トレンド」に乗っているかどうかは、よく表しているのだろうけど、 トレンドに乗ったことが「よい仕事」なのか、というのは自明ではないし。
「被引用数」が多いということは、 つまり follow-up の論文がたくさん出てきたということで、 単に当の論文自身の完成度が低かったという場合もあるだろう (もちろん、本当の break through で、新しい分野を創造した場合も「被引用数」は多い。 というか、そもそも「被引用数」ってのは、 それを catch するために導入された物差しなんだろうけれど)。
うむ、やっぱり、どれも、負け惜しみだ。 やっぱり、「真似されて」こそ、「使われて」こそ、価値があるんだろう。真の独自性とは「いかに真似しやすいか」にあるのではないかね?
(cf. 定理)
10/9/2010: ちょっと昔を振り返ってみた
うちのグループの院生が、今日、誕生日なんだそうな。
で、いろいろとおしゃべり。
最近のジョージア情勢とか(cf. 8/14/2008)。 ロシアの人が、メディア(特にアメリカ)の偏向を指摘していた。 その他、またそのロシアの人が、ステレオタイプなロシア人像などにたいして、 いろいろと修正を試みていた。基本として「人間はどこに住んでいようとそんなに変わらない」 という事実は忘れてはいけないと思うが、それでは退屈なので、 みんな「違い」に注目し、あげつらい、ハハハと話を落とす、というようなことを、 ついついしてしまうんだろうな。
中国の人曰く、メダルはもっと取れると予想していた、とのこと。 しかし、メダルの数としてではなく、大会として成功したと感じたとのこと。 メディアの偏向に関しても、オリンピック後は、報道される内容に幅が出てきたと言っていた。 (つまり、それまでは悪い方向だけだった、という意味。)
グループのあるポスドク(彼は日本の企業でも働いたことがあるそうだ)が、 将来の身の振り方を考えて、ここ UofA で今年度から、いわゆる非常勤講師をやるのだそうだ。 この件に関して「それは(あまり)意味がない」というコメントを 上のロシアの人がしていた。しかし、これはターゲットによる。 つまり(研究指向の)一流大学の academic position の場合は教育面は無視に近く、 その意味で論文や研究プランの方がよっぽど大事だ、ということ。 そうなんだけど、CVに教育経験の一行が付く方が、ないよりはいいに決まっているし、 college など教育重視な場合はまったく別の話になるし、一概には言えない。