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2017-01-20 ビートルズシークレット・ヒストリー アリステア・テイラー このエントリーを含むブックマーク

メンバーに愛情があるから読後感は爽やか。


ビートルズシークレット・ヒストリー―まるで今ビートルズがここにいるみたい

作者: アリステアテイラー, 野澤玲子

メーカー/出版社: プロデュースセンター出版局

発売日: 2003/11/01

|本| Amazon.co.jp

アリステア・テイラー

[2000人の関係者が登場する重さ3.3キロの『ビートルズ・アンソロジー』本に彼の名前は登場しない]

ビートルズの最初の契約書に名前を連ねたもうひとりの人物。彼は、ビートルズのミスター・フィックスマン(何でも屋)として、飛行機の便を手配し、父親認知の問題を片づけ、金を貸し、悩みごとの相談相手になった。ファブ・フォーに代わって島や車や邸宅を購入した。ジョンから熱心にLSDを勧められても屈しなかった。バンドを辞めようとしたジョージを必死で説得した。(略)ジェーン・アッシャーにふられ、ひどく落ち込んでいるポールをなぐさめた。

 彼の名前は、アリステア・テイラー。ビートルズのオフィシャル・ストーリーに名を残すことはなかったけれど、荒削りの才能を育てあげ、世界をアッと驚かすようなバンドを世に送り出したいというエプスタインの若き日の夢を、一緒になって追い続けた男である。現在、アリステアは生活保護を受け、過去の思い出とともに暮らしている。かつて、ブライアン・エプスタインからビートルズの報酬の2.5%を支払おうと提案されたとき、アリステアは辞退した。この金額を推測するのは難しいが、数年前、信用できる人物からこう言われたという。君は、1億5000万ポンドもの契約を棒に振ったんだぞ。

遭遇

 そのころ、ビートルズの「マイ・ボニー」のレコードはないかって聞いてくる客があまりにも多くて、僕は「ありません」って答えるのにいささかうんざりしていた。それで、適当な名前をでっちあげてレコードを注文したんだ。ブライアンは正規の注文しか受け付けなかったからね。もちろん、ちゃんと注文されれば、そのレコードが世界のどこかにあるかぎり、必ず手に入れるっていうのが彼のポリシーだったけどね。

 レイモンド・ジョーンズって男が店にやってきてビートルズのレコードはないかって聞いた話は有名だけれど、それって僕がでっちあげた名前なんだ。

(略)

[入荷した25枚は2時間で売り切れ]

1000枚以上も売れたあと、僕たちはポリドールに電話して、異常な事態になっていることを説明しようとしたんだけれど、向こうはさほど興味を示さなかった。田舎の無名のレコード店で爆発的に売れているなんて話は、どうでもよかったのさ。

 でも、ブライアンはビートルズっていうグループに好奇心をそそられた。2、3週間経ったとき、店にやってきたブライアンが僕に言った。「例のビートルズっていうグループのレコード、覚えてるだろう?このあたりのキャバーンっていう店に出てるらしいんだ。君、この店がどこにあるか知ってるかい?」

 すぐ近所だよ。ここから200メートルも離れていない!僕は、よくキャバーンに通っていたんだ。以前はこういう音楽をやる店じゃなくて、ジャズ・クラブだったからね。

(略)

 ビートルズ伝説のなかに、ブライアン・エプスタインがキャバーンに来ていることをディスクジョッキーのボブ・ウーラーがアナウンスしたとか、前日にブライアンが電話でVIP席を用意するように言ったとかって話があるけれど、みんなでたらめだよ。僕たちは、ちょっとのぞいてみようってぐらいの気分だったんだから。ブライアンは、いわば気まぐれでビートルズを見に行ったんだ。

(略)

 キャバーンはとにかく汚い店だった。ジャズ・クラブだったころに比べると、明らかに落ちぶれていたよ。湿気が水滴になって壁をつたっているし、かつて野菜倉庫だったときの悪臭がまだ消えていなかった。店内は蒸し暑くて息苦しかった。

(略)

ブライアンも僕もポップ・ミュージックは好きじゃなかった。うるさいし、暴力的だし、サウンドというより騒音に近かったしね。(略)

 ビートルズは4人とも黒いTシャツ、黒い革パンツに革ジャンというスタイルで、我を忘れて暴走してるって感じだった。(略)

 ところが、気がついたら僕はいつのまにか、足でリズムを刻んでいたんだ。(略)こんな粗っぽい不良たちの音楽に魅力を感じるはずはないと思っていたのにね。彼らは、僕が学生時代にいつも避けていたような連中だった。つまり、他人にかまわず自分勝手に行動するトラブルメーカーだよ。だけど、どこか素朴な感じがする彼らの魅力を僕は否定できなかった。

(略)

 ビートルズは5曲しか演奏しなかった。「マネー」「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」「蜜の味」「ツイスト・アンド・シャウト」、歌のひどさはどれも比べようがなかった。僕がおやっと思ったのは、ポールが「最後に僕とジョンが作った曲をやります」と言ったときだ。曲は「ハロー・リトル・ガール」。ホップ・ソングにしては、かなり良くできていると思った。でも、ビートルズはこの曲を一度もレコーディングしていない。何年かして、やはり僕たちがマネジメントしていたフォアモストというグループがこの曲をリリースし、みごとに大ヒットさせたけどね。僕とブライアンは、ちらりと視線を交わした。演奏するだけじゃなくて、曲も作れるってことがわかったからだ。自分たちで曲を作っているバンドは、当時ものすごくめずらしかったんだ。

契約

 ブライアンは実に手際よく事を進めた。(略)キャバーンの出演料は、ワンステージ3ポンド15シリング。(略)ブライアンはすぐさま、ひと晩15ポンド以下の仕事はさせないと断言し、キャバーンのランチタイム・セッションの出演料もアップしてもらえるように交渉すると約束した。ブライアンはこの約束をあっというまに果たした。ギャラが10ポンドに跳ね上がったんだ。1961年にしては画期的な金額だった。(略)

[さらに楽器店への200ポンドの借金を全額返済]

ジョン・レノンが買った自慢のヘフナー・クラブ40のギターと、ジョージ・ハリスンが買ったフュチュラマのギターと、ポール・マッカートニーが買ったアンプの未払金だった。単純なことだけど、この一件で、ブライアンはビートルズとの絆を一気に深めたんだよ。(略)

4人をバーケンヘッドのテイラーに連れて行った。(略)モヘア織りのスーツで一着40ポンド。もちろんブライアンが支払ったけどね。スーツを着ろと言われたとき、目を丸くしてうなずいた4人の表情は、今でも忘れないよ。あとになってビートルズは、スーツを着ることについては僕らとブライアンはまったく意見が合わなかったと語っているし、ジョンは嘲笑するように、売り払おうと思ったと言っている。でも、僕が覚えているかぎり、ビートルズの反応はそれとはまったく逆だった。

 4人は、とにかく早く認められて有名なバンドになりたいって思っていたんだ。仮にブライアンがビルの屋上からバケツに飛び込めって命令したとしても、彼らは「うん、いいよ、バケツはどこ?」って答えただろうね。ブライアンは正しいし、自分たちの希望をちゃんとわかってるって信じていたからさ。

 でも、こと音楽に関しては、ブライアンはいっさい口を出さなかった。

(略)

 僕らはマージー河を渡るフェリーに乗り込んだ。まるで、ふたりの私服警官が4人の不良少年を連行しているみたいだったよ。僕とブライアンは、4人のことを少しずつ理解し始めていた。ともかく契約を交わしたわけだから、僕らは対等な立場だったんだ。リーダー格がジョンだってことはすぐにわかったけれど、4人の会話ときたら、ジョークや皮肉やブラックユーモアばっかりで、自分たちだけに通じる言葉で話すんだよ。

(略)

初めてオーダーメイドのスーツを作るっていうんで、4人とも大はしゃぎだったよ。(略)ビートルズはぽかんと口をあけながら、高級店のみごとな内装に目を奪われていたよ。テイラーなんて、バートンの店のショーウィンドウをちらりと眺めるぐらいしか縁がなかったはずだからね。ブライアンはてきぱきと生地を選び、スタイルを決めた。黒い革ジャンの少年たちが、洗練されたダークブルーのスーツを着込むことになったんだ。

 お客としてちやほやされた4人は大喜びだった。(略)

 髪を切った翌日の午前中、リバプールで最高級の仕立て屋を訪れた4人は、買ってもらった洋服の包みを自慢げに抱えて戻ってきた。まるで、クリスマス・プレゼントの包みを早く開けたくて、大急ぎで帰ってきた子どもみたいだったよ。ひとりひとりに数枚の真新しいシャツとネクタイ。4人ともこんな格好をするのは初めてだったから、着こなせるようになるまで、しばらく時間がかかったけどね。どんなスタイルと色のシャツにするか、どんなネクタイを合わせるか、選んだのは全部ブライアンだ。この買い物をいちばん楽しんでいたのは、本当はブライアンなんだよ。

 ビートルズのまわりには特別な空気が漂っていた。とにかく陽気で、ふざけるのが大好きで、元気があり余ってるって感じなんだ。できるものなら、彼らのエネルギーを瓶詰めにしたいぐらいだった。

レコード店で成功していたので、バンド売り込みも簡単だと思っていたエプスタインだったがEMIを筆頭にどこにも相手にされず焦る。デッカには契約してくれたら5000枚購入すると提示したが結局駄目。

 ディック・ロウの決断は、のちに彼をさんざん後悔させる結果になったけれど、僕自身は、彼に怒りを抱いたことは一度もなかった。少なくとも彼は、ビートルズをロンドンまで呼んでくれて、演奏を見てくれたわけだからね。浮浪者みたいなローリング・ストーンズと契約したときは、みんなからバカにされたけれど、結局、彼には先見の明があったのさ。

 でも、ビートルズはそれほど寛大じゃなかった。何年かして、ディック・ロウが自分たちを蹴ってブライアン・プールとザ・トレメローズと契約していたってわかったとき、ポールはこう言った。「あいつ、今ごろ後悔してもしきれないだろうなあ」。ジョンはもっと辛辣だった。「後悔しすぎて死んじまえばいいんだよ」

相次ぐ売り込みの失敗でビートルズからの信頼も揺らぎ始め、父親からは店を疎かにしていると怒られ、ついにEMIに取引を中止すると脅しをかけてジョージ・マーティンと録音できることに。

 ブライアンは、レコード会社との交渉はこれで最後だと考えていた。(略)

僕はブライアンを元気づけるために、ジョージ・マーティンこそ僕たちが待ち望んでいた人物かもしれないじゃないかと言って励ました。(略)

 「僕たちはレコードを売ることに専念すべきかもしれないな、アリステア?(略)どうやらレコードの制作には向いていないようだ」

 もう1回だけトライしてみる価値はあるよ、僕はできるだけ明るく、精一杯の力を込めてブライアンに言った。(略)

 ジョージ・マーティンに会う前の晩、ブライアンはハムステッドのおじ夫妻の家に泊まった。(略)

ブライアンは、ジョージ・マーティンに会う前から、この交渉を半ばあきらめていた。「どうすればいいかな?」。ブライアンはおじさんに聞いた。「まだひとつ約束があるけど、どうしたらいいかわからないんだ。すっぱりあきらめてリバプールに帰るべきかもしれない」(略)

[おじさんは]思慮深くこう言ったんだ。「最後の約束なら、それだけは守りなさい」

(略)

 クラシック畑のジョージ・マーティンにしてみれば、ビートルズの才能は認めたものの、リバプールの4人の若僧たちのレコーディングに積極的になれるはずはなかった。エプスタインとの取引きを失いたくなかったEMIの上層部が、マーティンにプレッシャーをかけたんだ。僕とブライアンは、いざというときのために、NEMSでEMIの3つのレーベル、つまりHMV、パーロフォン、コロムビアをどうやって切り捨てるかまで話し合っていた。

(略)

「ビートルズ、EMIのパーロフォン・レーベルとのレコーディング契約成立。最初のレコーディング日程は6月6日」。このニュースは、あっというまにリバプール中に知れわたった。ビートルズは、ついにやったのだ。

 でも実際には、これはレコーディング契約ではなくて、オーディションだった。メンバーたちは、すぐにそのことを悟ったよ。

(略)

[だがそれきり連絡はなく]

 「電話をくれるって約束したんだよ」。ブライアンは怒鳴った。「何でかけてこないんだ? まったく、どうなってるんだ?」(略)

ブライアンは日増しに感情的になっていった。涙をぼろぼろ流しながら、「なんで電話をかけてこないんだ?」って訴えるんだ。もちろん、ビートルズの4人はこんなエプスタインの姿を一度だって目にしたことはなかったよ。

(略)

 ジョージ・マーティンからついに、待ちに待ったレコーディング・セッションの電話がかかってきたのは7月の終わりだった。ブライアンはジョンとポールにその話をし、ふたりはジョージに伝えた。でも3人ともピート・ベストには黙っていた。ピートは自分たちのドラマーにふさわしくない、そう決めたからなんだ。

 ブライアンの話では、ジョージ・マーティンはピートを評価していないし、ほかの3人も彼のビートは自分たちの音楽に合わないと思っている、ということだった。ブライアンは今のままバンドを続けていくように説得したけれど、3人は、ピートは自分たちとやっていくには保守的すぎると考えていたんだ。ピートは、ジョンとは仲が良かったけれど、ポールやジョージとは親しくなかった。ピートを辞めさせてほしい、3人は結束してやってくるとブライアンにそう頼み込んだ。

(略)

 ファンは快くは受け入れてくれなかった。しばらくのあいだ、リバプールのビートルズ・ファンはこぞって抗議したよ。ブライアンはビートルズをキャバーンから遠ざけた。オリジナル・メンバーを望んだ熱狂的ファンたちが「ピートを戻せ、リンゴは消えろ」って書いたプレートを掲げ、大声をはりあげて、あやうく暴動になりそうだったからだ。ブライアンはがっしりした体格のボディガードを雇ったけれど、ボディガードがいなかったジョージは、興奮したファンに殴られて目に青あざをこしらえたよ。

「ラヴ・ミー・ドゥ」

まだ全国的に注目されるには至らなかった。でも、発売から1週間後、『レコード・リテイラー』誌の売上チャートの49位にランキングされたんだ。そのときのメンバーたちの喜びようといったら尋常じゃなかったね。あんなにうれしそうな顔は、それまで見たことがなかったよ。

 ジョンがぼーっと立ち尽くしてチャートを眺め、僕の顔を見て言ったんだ。「僕らのレコードが売れてる。現実の社会の人たちが僕らのレコードを買ってるんだよ」って。(略)

ジョンが鼻歌で「よんじゅうきゅうい〜」って歌い続けていたのを今でも思い出すよ。

「プリーズ・プリーズ・ミー」

ミッチ・マレーが「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット?」という可愛らしい曲をジョージ・マーティンのところに持ち込んできた。マーティンが間違いなくヒットすると太鼓判を押すから、ビートルズはためしに演奏してみたんだけれど、気に入らなかったんだ。代わりにこの曲を演奏したジェリー・マースデンは、みごとにナンバーワン・ヒットを放ったよ。でも、ビートルズは悔しがったりしなかった。ある晩、ジョンはきっぱり言ったよ。「ナンバーワンになっても、くだらない曲はいっぱいある。僕らは、くだらない曲はやらないんだ」(略)

ジョージ・マーティンは激怒して大声をあげた。この曲に不満があるならヒットする曲を作ってこい、今すぐにってね。

 その答としてビートルズが作った曲が「プリーズ・プリーズ・ミー」だ。彼らの運命を変えた曲さ。

(略)

でも、リバプールの熱心なファンたちは、ビートルズが全国的に有名になったことを喜ばなかった。マージーサイド以外で活動するようになれば、大好きなグループをそう頻繁には見られなくなるのを知っていたからだ。キャバーンで初めてビートルズの曲がナンバーワンになったことが告げられたとき、客たちは石のように黙りこくってしまったらしいよ。

ジョンとブライアンの旅行が招いた疑惑をきっぱり否定

この旅行については、いろんな人間がさまざまな作り話をでっちあげているけれど、真実と言えるのは「旅行した」という事実だけだ。(略)

 次々と流れてくる噂を耳にして、ジョンは腹を抱えて大笑いしたよ。自分とブライアンがゲイの恋人同士だっていう話を聞くと、おもしろがってわざと煽るようなことを言うんだ。ジョンは世界一の大ほら吹きのひとりだったからね。その後、ふたりで腹を割って話したときに、ジョンは僕に、ブライアンから誘惑されたことは一度もなかったって打ち明けてくれた。ジョンは、ブライアンがじろじろ眺めていた若い男たちや、ブライアンの部屋を探してうろうろしていたおかしな男たちの話をして、ブライアンをからかったらしい。(略)

「真剣に迫られたら、僕はたぶん彼の望みどおりのことをしていたかもしれない。正直なところ、いつ迫られるかってすごく恐かったんだ。だからある晩、僕のほうからブライアンを誘ったんだ。でも、ブライアンはそんなこと望んじゃいなかった。うそじゃない。僕は少しばかりおどけて、ブライアンをその気にさせようとしたんだよ。でも、ふたりとも本心じゃないってわかったのさブライアンが求めていたのは、一緒に笑い合えて、人生の手ほどきをしてやれる友だちだったんだ。ブライアンが相手にしていた男たちは退屈な連中ばかりだったし、ブライアンもそのことはわかっていた。僕はどんなに気がふれたとしても、男とセックスはできないよ。ただ寝そべって、好きになようにさせるのだって嫌だ。ブライアンみたいなナイスガイでもね。想像しただけで胃がむかついてくるよ」

(略)

 その後、バルセロナに行く途中でジョンがブライアンと寝たことを告白したという自称「ジョンの友人」が何人か出てきたけれど、僕は信じていない。何年も経って、メンバー間の辛辣な関係が続いてジョンとの仲がすっかり冷え切ったあと、ポールはインタビューで、ジョンからブライアンとの関係を打ち明けられたことは一度もなかったと語っている。もし、何らかの関係があったとしたら、ポールは絶対に知っていたはずだ。話すことが何かあったとすれば、ジョンが真っ先に打ち明ける相手はポールしかいない、僕はそう確信している。そのあとに起きたことがどうあれ、その当時、ジョンとポールほど親密だった男の友情関係を僕はほかに知らない。初期のビートルズのメンバーたちは、4人とも岩のように結束が固かった。それが彼らの成功の秘訣だった。でもジョンとポールは、まるで兄弟のようだった。しかも、どんな兄弟よりも、はるかに親密だった。

 僕がジョンにスペイン旅行のことを聞いたのは、ブライアンには直接聞けなかったけれど、何があったのか知りたかったからだ。僕は、ブライアンがいわゆる「低階級のゲイ」と呼ばれるような男の子たちに弱いことも知っていた。ブライアンが厄介な問題に巻き込まれるのは、いつだって、本質的に粗野で魅力のある少年を自宅やホテルに連れ込むからだった。僕はジョンも、この手の少年の部類に入ると思ったんだ。ジョンは確かに粗野な少年だったけれど、ブライアンとビートルズの関係は、ブライアンにとって性的な関係よりも、もっとずっと深くて大切なものだったのだと僕は思う。ブライアンはビートルズを愛していた。メンバー全員を愛していた。でも、ホモセクシャルとしてではない。それだけは断言できる。

(略)

[ビートルズを成功させることが]自分の使命だと思ったブライアンが、ジョンを怒らせて関係をこじらせるようなことをするはずがない。ビートルズの魅力はジョンだって、ブライアンが口癖のように言っていたのは、ジョンの才能に心から惚れ込んでいたからなんだ。(略)

 いずれにせよ、ブライアンがジョンと性的な関係を持つことを望んでいたとすれば、おおっぴらにジョンと旅行に出かけるなんてことは絶対にしなかったはずだ。僕も何度か、よく働いてくれたお礼にってブライアンから旅行に誘われたことがある。旅行はブライアンの感謝の気持ちなんだ。僕たちはいつも別々の部屋に泊まったし、ブライアンが夜中に僕の部屋をノックするんじゃないかって不安に襲われたことは一度もなかったよ。(略)

[ずっと一緒に働いていたが]ブライアンがゲイだってことを具体的に見せつけられたことは一度もないんだ。当時は今と違ってホモセクシャルは違法だったし、他人に知られてはならない秘密だった。ブライアンは、世間的には自分はゲイだと思われていないって信じていたよ。そのことに関しては、慎重すぎるぐらいに神経質だったからね。ビートルズのイメージを何より大切にしていたし(略)

ジョン・レノンに「オカマ」のレッテルが貼られるなんて、ブライアンにしてみれば言語道断だったのさ。

(略)

 ブライアンがジョンをスペインに連れて行ったのは、ブライアンの情熱の対象をジョンにも見せたかったからだ――そう、闘牛ショーさ。ブライアンが愛してやまなかったのは、鮮やかな色彩と凶暴性に満ちた、身の毛もよだつような壮絶な戦いだ。ブライアンは、ジョンもきっと感動すると信じていて、実際そのとおりになった。最初、ジョンは闘牛を観ることを拒んだらしいけれど、ブライアンはどうしてもって説得したんだ。案の定、ジョンは純粋な真剣勝負に夢中になり、血が飛び散ってもまったく気にしなかった。

 ブライアンに聞いた話だけれど、ジョンは夫と一緒に観光していたアメリカ人の女性を誘惑したそうだ。(略)

[トイレに行った美人妻を追ってジョンも席を立ち長い間戻ってこなかった]

 「ふたりが席に戻ってきたとき、何かあったなっていうのは明らかだったよ」。ブライアンは言った。「ジョンが先に戻ってきて、そのすぐあとで、妻が頬を真っ赤にして戻ってきたんだよ。(略)驚いたねえ。でもあの夫婦、ビートルズをまったく知らなかったんだ」。(略)

 ポールの21歳のバースデイ・パーティーのときだ。ディスク・ジョッキーにスペイン旅行の件でからかわれたジョンは、軽く受け流せなかった。(略)ジョンの話では、DJに「オカマ」呼ばわりされたらしい。すでにかなり酔っていたジョンは、いきなりDJに襲いかかって殴り倒したんだ。(略)肋骨が3本折れていた。(略)

あいつ、骨休みが欲しいって言うから一発見舞ってやったのさってね。「誰にもオカマなんて呼ばせない」とジョンは言った。「ブライアンを中傷することも許さない。僕がそばにいるかぎりね」

狂騒

どこに行っても必ずファンにもみくちゃにされたし、自宅の外には昼夜かまわずファンがテントを張っていて、4人の言動をくまなく監視しているんだ。僕がこんな状況に追い込まれたら、絶対にドラッグか麻薬に手を染めていたと思う。ビートルズの場合は、4人だけの別世界に逃げ込むことが多かったけどね。正真正銘のスーパースターになるという奇妙な体験を、4人で共有できたのは幸運だったよ。ビートルズがソロだったとしたら、間違いなく気が狂っていただろう。あの気の毒なエルビスみたいにね。

 ビートルズはよく言っていた。僕らは箱の中で生活しているんだってね。(略)

[楽屋、コンサートホール、飛行機という箱に]

僕らの箱はどれも、僕らを見て悲鳴をあげる人たちに囲まれています。だから僕らは、箱の外には出られないのです」

 最初、この話は単なるジョークだったけれど、ビートルズの人気が急上昇するにつれ、彼らの生活はますます包囲され、閉じ込められていった。僕は恐かった。でも僕は、NEMSを辞めさえすれば恐ろしい悲鳴のスイッチをオフにできるんだと思うと、少し安堵した。ある晩、ジョンはあきらめたように言った。「問題は、僕らは絶対にビートルズと関係を切れないってことだ。このばかばかしい事態から逃げるには、バンドを解散するしかないんだよ

野望

ブライアンは言った。「あいつらがどれほど成功したがっていたか、僕は本当の意味でわかっていなかったんだ。もちろん成功したいって言っていたけど、僕のほうが、その思いはずっと強いって思い込んでいたのさ。(略)

 「スペインに行ったとき、ジョンが僕に言ったんだ。成功する前に僕らを見捨てるなんてことないよねって。ジョンは、僕がいろんなおもちゃと遊んで、飽きたら捨てるようなプレイボーイだと思ったんだろう。僕がどれだけ全力を注いでいるか伝えようとしたら、笑ってたけどね。ジョンは、冷酷というほどではないけど、冷ややかな口調で言ったよ。あんたみたいな金持ちのアホ野郎には、成功したいって野望がどんなものかわかりゃしない。あんたには、いざとなれば家業があるけど、僕には家族すらいないんだからってね。シンシアと赤ん坊のことが頭をかすめて、ちょっと胸が痛かったよ。

(略)

[自分の夢をバカにして嘲笑した]アホ野郎どもを見返してやるって、ジョンは何度も何度も言ったよ。ジョンは僕が思っていた以上にビートルズを成功させたがっていた。人前では決してまじめな素振りを見せなかったけど、誰よりも強く成功することを望み、誰よりもまじめに取り組んでいたのは、ジョンなんだよ」

アメリカ制覇

「万事うまくいってるよ」ブライアンは穏やかに答えた。「『エド・サリバン・ショー』の依頼を断った」(略)

「まだその時期じゃない」(略)

 ブライアンは厳しい口調で続けた。「アリステア、決めのレコードがなきゃだめなんだよ」(略)

[しばらくして聴かされたのが]

「抱きしめたい」の試聴盤だった。曲を聴いて、僕は完全に打ちのめされた。だから、そのとおりにブライアンに伝えた。

 ブライアンはにんまり笑うと、黒い大きな革張りの椅子にどっかと腰をおろして、こう言った。「さあ、アメリカに突撃するぞ!」。これこそブライアンが求めていたもの、アメリカ制覇のための「決め」のレコードだったんだ。今思っても、ブライアンは天才マネージャーだったよ。正真正銘のね。

(略)

[サリバンがヨーロッパに新人発掘に来た際に空港でビートルズ騒動を目撃]

新進アーティストのコーナーで紹介したいと提案したんだけれど、ブライアンはそんな半端な出演では困ると主張した。トップゲストとして出演させてくれるなら、最低額のギャラでビートルズを出演させてもいいと言ってね。

(略)

 衝撃的なラジオ広告「ビートルタイム」がニューヨーカーの目覚まし代わりになり、ティーンエイジャーたちがヨーロッパの超人気バンドに興味を持ち始めると、ビートルズが『エド・サリバン・ショー』に登場することは出演前からアメリカ中の大きな話題になった。

 アメリカに到着し、すぐさま盛大な歓迎を受けたビートルズは心から感動した様子だった。(略)

 ジョンはアメリカ訪問にかなり慎重だった。クリフ・リチャードでさえアメリカでは失敗したことを知っていたし、ビートルズの前途を台無しにしたくなかったからだ。ジョンは出発の直前まで、僕らがアメリカに行くのはLPを何枚か買って、あちこち観光するためだって言っていた。だけど、「抱きしめたい」の爆発的なヒットで状況が一変したんだ。


ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK -The Touring Years Blu-ray スペシャル・エディション

メーカー/出版社: KADOKAWA / 角川書店

発売日: 2016/12/21

Amazon.co.jp

リンゴ

 アメリカ人にことのほか気に入られたリンゴは上機嫌だった。おどおどした愛嬌のある顔が、アメリカ人にはひどく魅力的に見えたらしい。リンゴは、ジョンやポールを差し置いて自分が突然いちばん注目されたことに驚いていた。(略)

アメリカを気に入ったいちばんの理由は、僕のことをステージのうしろにいる奴じゃなくて、ちゃんとドラマーとして扱ってくれたからなんだ」

サウンズ・インコーポレーテッド

 オーストラリア・ツアーは大成功だった。20万人以上の観客を動員し、どの会場でも過去最高の収益をあげた。真夜中に給油のために北部の田舎町ダーウィンに内緒で立ち寄ったときでさえ、どこからか極秘情報を聞きつけた数百人のファンが自分たちのアイドルをひと目見ようと集まってきた。意外にもビートルズのオーストラリア・ツアーは一度きりだったけれど、このとき共演したサウンズ・インコーポレーテッドはオーストラリアで驚異的な人気を集め、そのあともツアーを繰り返した。完全なインストゥルメンタルのバンドだったけれど、異常なほど売れたんだ。

『ハード・デイズ・ナイト』

はすばらしい映画だ。大成功の旋風にめまぐるしく翻弄されながらも、ジョンとポールがあれほどすぐれた曲を作り上げたことを思うと、僕は今でも胸がつまる。(略)メンバーたちはある意味、不満なところもあったようだけど、僕は当時の狂気じみたユーモアがよく反映されていると思う。(略)

 当時、ブライアンがアーティストたちに与えていたプレッシャーは想像を絶するものがある。とにかく働かせて、働かせて、働かせたんだ。ビートルズはイギリス国内で多数のステージに出演し、スウェーデン公演をこなし、それから初めての全米ツアーに挑戦した。ブライアンと僕が立てたスケジュールは、34日間で24都市をまわり、26の会場で32回のショーをするというものだった。今のバンドにこんな過酷な条件を提示したら、ショックですぐさま気絶しちゃうだろうね。

 でも、ビートルズはやり遂げた。不満をもらすこともなかった。長年、ハンブルクで安いギャラで苦労してきた結果、ようやく手に入れた成功だったからだ。

車椅子の子供達

 やがて、どのコンサートでも、車椅子の子どもたちを優先的に入場させるというのが習慣になった。もちろん、純粋な思いやりからだった。ところが驚いたことに、ビートルズのメンバーに触れてもらった子どもは病気が治るって、親たちが本気で信じ始めたんだ。実にばかげた話だよ。僕は言いようもなく胃がむかむかした。親たちは体の不自由な子どもを楽屋に入れるために必死だったんだ。(略)子どもたちを廊下におとなしく並ばせると、二ール・アスピノールは楽屋に入り、ビートルズの気を引くために、わざとジョンみたいな口調で叫ぶんだ。「さあ諸君、麻痺の時間ですよ」ってね。ビートルズもニールもうんざりしていたよ。みんなブラックユーモアで本心をごまかしていたけれど、ポールは僕に打ち明けた。障害のある子どもを楽屋に連れてくるような人間は大嫌いだってね。

 「初めは純粋な好意だったよ」。ポールは言った。「普通と違う運命を背負った子どもたちに、いちばん良い席を提供するのは全然かまわない。問題は、それだけで終わらないことさ。ショーの前に楽屋に来て、僕らに会いたがるってこと。しかも、僕らの手で病気が治ると思い込んでいる。体が不自由だろうが健康だろうが、僕らは子どもたちをだますようなことはしたくないんだ。ジョンだって犠牲者さ。障害者のふりをしたり辛辣なジョークを言ったりするのは、あいつがいちばん繊細で、いちばん心苦しく思っているからなんだよ。でも、少しでも協力を拒むような素振りを見せれば、新聞に何を書きたてられるかわからない。ビートルズに触れば病気がよくなるなんて子どもたちに言うのは、残酷としか言いようがないね」

次回に続く。ジョンがブリジット・バルドーと!?他。

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2017-01-18 英単語の世界 - 多義語と意味変化から見る 寺澤盾 このエントリーを含むブックマーク

真ん中辺りをチラ読み。


英単語の世界 - 多義語と意味変化から見る (中公新書)

作者: 寺澤盾

メーカー/出版社: 中央公論新社

発売日: 2016/11/16

|本| Amazon.co.jp

want

 この語は13世紀初め以前に古ノルド語から借用され、当時の意味は古ノルド語と同様に「欠ける、欠く」であった(略)

「欲する」の意味は、1706年が初出となっています。(略)つまり、人は何かが欠乏していると、それが必要であると感じたり、それがなくて寂しいと思ったりし、その結果それを欲するようになるものです。

debt、hierarchy

 ところで、debt(借金)はフランス語からの借用語ですが、英語に輸入された当初(13世紀初め)は、「人間が神に対して負っているもの、罪」という意味でした。それが14世紀末頃になると「他人に対して金銭的に負っているもの、借金」という極めて世俗的な意味をもつようになりました。ただ、キリスト教会の礼拝で必ず唱えられる「主の祈り」の一節――「我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」――の「罪をおかす者」や「罪」は現代英語訳聖書の多くでdebtor,debtとなっています。

(略)

hierarchyは本来「天使の階級」や「聖職者の階級」を表しました

婉曲表現(doublespeak)

ベトナム戦争のときアメリカ軍による北ベトナム空爆はair support (空からの支援)と呼ばれました。またイラク戦争時には、アメリカ軍の誤爆によって多くの市民が犠牲となりましたが、そうした人的犠牲はアメリカ為政者に都合よくcollateral damage (付随被害)と呼ばれていました。

silly 皮肉に使われ意味が変化

[ひどい仕打ちに対し]皮肉を交えてIt's so kind of you. (ご親切なこと)と表現することも可能です。この場合、kindは「親切な」という意味でなく「意地悪な」という皮肉な意味で用いられています。

 kindの皮肉の意味は慣習化していないようですが、皮肉な意味が定着してその語の一部になっている場合もあります。 sillyという語はもともと「幸福な」、「祝福された」という意味をもっていたのが、後に「愚かな」という意味に変化しました。この「意味の下落」は皮肉な言葉使いに起因します。つまり、sillyが本来指す対象とは正反対の人・ものに対して、「皮肉」や「冷やかし」で使われていくうちに、そうした指示対象と直接結びつくようになり、もとの意味とは反対の「愚かな」という意味を身につけたと考えられます。日本語でも「あの人はおめでたい人だ」といった場合の「おめでたい」は否定的な響きが感じられます。

do

 古英語ではdo(当時の形はdon)には「する」という意味と並んで「させる」という使役の意味(17世紀初めで廃義)がありました。後者はたとえば I did him clean my room. (私は彼に私の部屋を掃除させた)のように目的語と不定詞を伴った構文で用いられました(例文は現代英語に置き換えてあります)。そして、古英語・中英語期においてはこうした使役構文ではしばしば不定詞の主語(被使役主)が省略され、l did clean my room. のような文が用いられました。被使役主が省略された文においては、曖昧性が生じます。つまり、l did clean my room. に対して、「私が誰かに私の部屋を掃除させた」という本来の使役的な意味のほかに、「私が直接自分で部屋を掃除した」という解釈も可能になります。後者の解釈ですと、doの意味はゼロに等しくなり、ここから迂言のdoの用法が生じたと考えられます。

(略)

 使役の意味を失ったdoは英語から消えてなくなったとしても不思議ではありませんでした。実際、1755年に初めての本格的な英語辞典を編纂したサミュエル・ジョンソンは、その辞典の冒頭でこのようなdoの用法を批判して次のように記しています。(略)

doはときどき I do love,I did love のように必要もないのに使われることがあるが、これは非難されるべき誤った語法である。

 しかし、迂言のdoは過去と現在が同形の動詞の時制を明示する手段として有用でした。 1611年刊行の『欽定訳聖書』の福音書においてはeatの過去形としてはdid eat しか用いられていません。これは当時の英語では、eatは現在形でも過去形でも発音は/ɛ:t/となり区別が難しかったためと考えられます。

(略)

And as they sate, and did eat,Iesus said

(略)

 また、韻文では詩行の音節数を整えたりする韻律的な手段として用いられることもありました。以下は、『ハムレット』からの一節です。(略)弱強のリズムが5回繰り返されるのが基本です。(略)下の例の最初の行では、didがあることで10音節からなる詩行は弱強のリズムを形成しています。(略)

It lifted up it[s] head and did address

(略)

 このようにそれ自体は意味をもたないdoは細々とではありましたが、存続していきます。 16世紀以降になると迂言のdoは新たな働き場所を得ることになりますが、その「転職」の過程を見ていきましょう。

 英語の疑問文では、もともと助動詞だけでなく一般動詞も主語と動詞を倒置させました。

 しかし、doを用いた疑問文も用いられるようになり、16世紀中頃以降は、doを用いない単純形を上回るようになります。疑問文におけるdoの増加は16世紀中頃の英語に見られた語順の変化と関連しています。つまり、この時明に主語(S)と動詞(V)の語順倒置(VS(O))が、助動詞やcomeやgoなど一部の自動詞を除き少なくなります。その結果、疑問文を形成するときにも主語と動詞の倒置を避けるためdoが有用になりました。 Read you the book? ではVSOの語順ですが、doを用いるとDid you read the book? (do SVO)となり、SVOの語順が維持できます。

 一方、否定文の場合、初期近代英語の頃は動詞の後にnotをおくのが一般的でしたが、doを用いた否定文も次第に増えてきて17世紀後半になるとdoを用いない否定文と拮抗するようになります。否定文におけるdoの文法化には、疑問文の場合と同様、16世紀中頃の英語に見られた語順に関する変化が関わっています。つまり、とくに他動詞においてSVOの語順が一般的になった結果、動詞(V)と目的語(O)の結びつきが強まりました。そのため、否定の副詞によって動詞と目的語を分断してしまう You read not the book.(V not O)よりも動詞と目的語の隣接を可能にするYou did not read the book. (do not VO)のほうが好まれるようになりました。

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2017-01-16 真説・長州力 1951‐2015・その2 このエントリーを含むブックマーク

前回の続き。


真説・長州力 1951‐2015

作者: 田崎健太

メーカー/出版社: 集英社インターナショナル

発売日: 2015/07/24

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キラー・カーン

[アポなしで店をたずねインタビューを申し込んだら]

 「おっ、おっ、俺に長州のことを聞くのか?」

 小沢は喉に詰まった何かを吐き出そうとするかのように太きな軀を折り畳んだ。

 「俺は、俺は長州という人間が嫌いだった。あの野郎、刺し殺してやろうと、そのぐらいの気持ちになったこともある」

 必死で怒りを抑えるように軀を震わせていた。(略)

[慌てて退散し、翌日電話。小沢は落ち着いており、長州はどうでもいいが]

子どもがまだ小さいとき、一番俺が稼げるときに、スパッとプロレスを辞めたのはやっぱり長州なんですよ。

(略)

アメリカにいるときに、大塚さんからの電話で長州が新日本に戻ったことを聞いて、俺はただ、びっくらこいてね。長州は、あれだけ男同士みんなでやろうって言ったのに、なんでまた金に転んで戻ったんだと。猪木さんの会社に後ろ足で砂をかけた人間でしょ? 意地でも戻らないでしょう。新日本に戻ったということは馬場さんのことも裏切ったんですよね。俺は悔しくて一晩泣き明かした」

(略)

[父の跡を継いだばかりのマクマホンJrは小沢を高く評価しており]

 「お前が何か困っているのならば、どんなことでも解決してやるからと言ってくれた。俺のことが必要だと。それでスケジュール帳を見せてくれたんですよ。そうしたらいろいろと試合が組んである。ほとんどがメインイベントなんですよ。そのときは頭を駆け巡りましたよ。ここでは二万ドルは取れる、あそこならばもっと取れるとか」

 それでも小沢の意志は変わらなかった。すでに日程が決まっていた試合をこなした後、87年11月末に引退。

橋本真也

[ドン荒川にけしかけられた橋本の蹴りでヒロ斎藤が左手甲を骨折。長州とマサは控室に橋本を呼びつけボコボコに]

[小林邦昭談]

もう死ぬ一歩手前ですよ」

小林はこの夜、橋本の部屋に電話を入れた。

「(略)悪い雰囲気を引きずりたくないじゃないですか。(略)

[移籍は新日側から頼んできたこと、移籍金は受け取ってないこと説明すると]橋本は「ぼくたちはそんなこと聞いていませんでした」と素っ頓狂な声を出した。(略)

橋本は小林に「すいませんでした」と謝った。この謝罪をきっかけに橋本は長州たちと打ち解けるようになった。

越中詩郎

 越中も長州の現場監督時代に引き上げられたレスラーの一人でもある。

[三銃士の台頭で押しやられた小林邦昭と越中で勝手に誠心会館との抗争を始める](略)

だから最初はいい気はしていなかったと思いますよ。なんだよ、勝手なことをやりやがって、と。最初は試合として認めてもらえなかったんですから」(略)

[92年正月の東京ドーム、小林☓齋藤彰俊戦が全試合終了後に行われ、控室に戻ると]

長州が一人で待っていた。ほかのレスラーはすでに引き揚げていた。

 「(略)長州さんはこんな反響があると思っていなかった、みたいな顔をしていましたよ。そして、ニタッと笑って、“次はお前だ”って」

(略)

 長州は越中の勘の良さを認めたのか、八月には天龍源一郎が主宰していた団体、WARに乗り込んでこいと命じている。(略)

 越中たちは新日本とWARの対抗戦の布石となった。(略)

[93年、反選手会同盟は、「平成維震軍」と改名]

 「長州さんから、新日本本隊と離れてくれ、お前らで興行やってくれと。それはまた大変だったんですよ。でも、それやっても客が入った。しばらく新日本のリングに上がらずに外をずっと回っていて、またどっかで会ってということを長州さんは考えていた。(新日本の興行に)合流したときにまたインパクトがある。そのタイミングなんかは、もう滅茶苦茶いいですよ」

 越中は新日本プロレスヘの“中途入社”としての分をわきまえていた。(略)

 「平成維震軍は三銃士と絡まない。三銃士は三銃士。(長州の考えは)メインはあくまでも生え抜きの三銃士。その脇で盛り上げろと。後に関わり出したのは、蝶野が(三銃士の中で)浮き始めたときぐらい」

(略)

[やがてマッチメイクに絡むことに]

――それは狡いぞ、それは狡いぞ。俺にみんなやらせるのか。俺の右腕なり左腕になってもらわないと困る。

――お前もキャリアを積んでいるんだから、そういうわけにはいかないぞ。

 長州の苦労を考えれば、とても自分は勘弁してくださいなんて言えないと、越中は溜息をついた。

(略)

 「次のシリーズはだいたいこういう流れで」

 長州と越中が席に着くと永島が紙を渡した。紙をじっと見つめる長州の顔が険しくなった。今日は長くなりそうだ。越中は暗い気持ちになった――。

 「(一つのシリーズで)三十何試合やって、次の日の朝10時に会社に行かなければならないわけですよ。

(略)

「当日になって、何かレスラーが気にくわないことをやったり、問題を起こしたりすると、“あいつは駄目、外せ”と。(略)

 「当然、人間関係はぐちゃぐちゃになるわけじゃないですか。いい扱いをされる選手はおーってなるし、そうでない選手は端っこの方で……(陰口を叩く)。当然、それは長州力の方に行きます。その負担をぼくが半分にしてあげられたか……」

(略)

 「よく言っていたのは、みんな平等にチャンスはやるということ。絶対に長州さんはチャンスを与えています。ただ、それを摑む、摑まないかはそいつ(の力量)。例えば記者会見で頓珍漢なことを言って、客が離れたら見放される。ぼくから見ていても、誰かをかわいがっているというのはなかった。好き嫌いなし。それも立派だった」

(略)

 「ぼくがちょっと囓って大変なんだから。長州さんはがっちり囓っているんですよ、ぼくでも分かり得ない部分がまだあるんです。

(略)

 「他団体との交渉なんかも闘いなんですよ。その最前線の駆け引きで長州さんが負けたことは一回もないですから。それは凄いですよ。結局ねじ伏せますよ。Uインターのときもね」

平成の黄金時代

[坂口長州体制で財政は健全化]

 「ドームをこなせると収益がまったく変わってくる。テレビの放映権料も上がっていましたし。あの頃にビルを造るべきでしたね」

 89年に坂口が新日本の社長を引き継いだときにあった10億円の借金は、10年足らずで完済した。

 「(略)坂口さんが“長州、今日で借金終わるぞ〜、銀行、行くかあ”って。応接室に通されると“これで全部終わりです”。そこで坂口さんが冗談で“次から違う銀行にします”と言った。そうすると向こうは“いやいや、少し残しましょう”って。帰り道、坂口さんが“銀行ってこういうもんだぜ”と話したのを覚えています。坂口さんは(経理に)細かいから良かった」(略)

 「いつもぼくは坂口さんに“細かーい”って文句を言っていた。文句を言っていたけど、あの人が一番まともでしたね。坂口さんはちょっと馬場さんに似ているところがあって、あのときはみんな人間関係がうまくいってた」(略)

[坂口談]

 「新日本を作ったのは猪木さんですけれど、育てたのは坂口さんとぼくです、って。長州の名言だよ。(略)

 「ドーム興行が成功。三銃士が出てきて、グッズが売れた。『闘魂ショップ』って俺が考えたんだよ。(略)最初は切符やTシャツを売って、家賃分ぐらいになればいいと思っていた。ファンの集まれる場所になるしね。そうしたら、両国の『G1クライマックス』のチケットを闘魂ショップで先行発売ってやったら徹夜で並ぶ人が出てきた。麻布署から怒られたんだよ。(略)切符の売り上げだけで4000万とか5000万あった」

 この時期の新日本プロレスは派手な社員旅行でも知られていた。

 「俺の方針は、儲かったらみんなでいい思いをしよう、金残して税金払ってもしょうがねぇじゃんって。ハワイに家族みんな連れて百何十人で行ったりよお。ゴルフコンペに優勝したら自動車一台だもの。ハワイは四、五年(連続で)行ったんじゃないかな。

大仁田を拒否した猪木

大仁田はプロレス専門誌の記者から、猪木と長州に溝ができていると聞いていた。猪木の小川に対して、長州も「爆弾」を欲しがっているというのだ。[大仁田は乱入し長州に対戦要望](略)

これに猪木は過剰に反応した。[全社員を招集。営業部員は賛成で意思統一して部屋に入ったが、猪木に圧倒され何も言えず](略)

――お前らはあいつの毒を知らない。

――大仁田は殺しても、殺せないんだ。

――あいつをなぜ新日本のリングに上げちゃいけないか、分かるか? あいつは負けても消えない。負けても勝った人間の上を行っちゃう毒を持っている。だからあいつには触っちゃいけない。(略)

 猪木が大仁田を嫌うのは、二人が同じ種類の人間であり、近親憎悪なのだと神尊は考えるようになっていた。

(略)

[大仁田談]

「[東京ドームの]試合が終わったときに、絶対長州に辿り着けると確信した。(略)なぜかというと、最初に佐々木健介を当ててきたから。長州さんがウエルカムじゃなかったら、蝶野とか武藤とか、あの辺が出てきただろうね。プロレスってさ、先を読まないといけないのよ」

(略)

[その後、蝶野、ムタらと試合をしたが]

肝心の長州の動きがなかった。大仁田は次第に焦りと不安を感じていたという。

 「長州さんって、あんなに不器用だと思わなかった。(挑発に対する)返しも悪いしよぉ。そのときに現れたのが、真鍋だった。誰かいないと絶対に持たないと思ったんだ。それで三角関係をつくろうと。“おい、真鍋、俺と長州どっちが好きじゃ”って言ったりね」(略)

「みんなやらせだとか言っているけど、あれはまったくのアドリブだよ。全部シビアなやりとりだよ。この男を使わないと長州に辿り着かないと思った。(略)

[真鍋をビンタしたらテレ朝の偉い人が怒って]もう真鍋は大仁田のところに行かせないと言ったんだ。ところが、その日の視聴率がバーンッて上がっちゃったわけよ。そうしたらコロッよ」(略)

 [大仁田のマネージャー]神尊はたびたび長州と会って話をしている。長州は引退した自分が復帰することは受け入れられるのかどうか、その相手が太仁田でいいのか思案しているようだった。(略)

[埒があかないと見た神尊は永島勝司を焚き付けた](略)

 「“なんか動いてくれないと、こっちもしびれを切らしますよ”と話をしたんです」

[永島が独断で“長州の汗が染み込んだ”Tシャツを大仁田に手渡し既成事実を作り、ようやく長州が重い腰を上げる]

新日の分岐点

新日本の綻びは、大仁田が長州に試合をする気があるのかとじりじりしていた頃に始まった。

[99年6月24日坂口が大株主の猪木から社長退任を告げられる](略)

俺も10年社長をやったし、借金を返したし……いつまで社長をやらないといけないんだろうというのも俺の中ではあった」

 背景にあったのは1月4日の橋本対小川の試合だったと坂口は考えている。

「あの時、俺が号令をかけていないのに、長州も選手もみんな会社にやって来たね。あのときは長州が一番頭にきてたな。現場監督やっていたからね。“社長、小川の野郎はどうするんですか”ってね。(略)

[功労者の]坂口を突然社長から外すのはひどい仕打ちだと憤ったレスラーたちが自宅に訪ねてきたという。

 「選手は武藤と蝶野、そして橋本は来れなかったので、かあちゃん(妻)を寄越したな。あと営業の偉い奴らが来た。どうするんですかってね」

 彼らが知りたかったのは、坂口が新日本を割って新団体を興す意志があるかどうかだった。

 しかし――。

 「俺は今の会社にずっといて、ちゃんと見てきたから、余計なことはしたくないって言った。でも、なんかみんな本気だなって、あのときは嬉しかったね」

 坂口は証券会社と相談して、新日本プロレスの上場を進めていた。その動きも猪木の癇に障ったのかもしれない。自分が立ち上げた新日本が手の届かない場所に行ってしまうという不安もあったろう。

 坂口は会長に棚上げされ、社長には藤波が就任した。(略)

金融機関から信用のあった坂口の退任、そしてこの後のプロレス人気の冷え込みもあり、株式上場計画は頓挫することになった。(略)

[長州は三銃士の中では]橋本を買っていたという。

 「インパクトをつくれるのは橋本が一番。橋本とはいろいろとあったけど、かわいい奴だよ。神経がずぶとくてね。あんなデブでも素質と素材がある」

 そして「こっちの素材はちょっと(足りない)」と言って頭を指さして笑った。

 「ゼロワンを作って出ていくときは止めましたよ。ああ、何度も会ったな。でもチンタの意志は固かった。チンタは意地を張って出て行ったんだろうな」(略)

 この時点ではそれほど危機感はなかったという。

 「橋本だけでなく、敬司も蝶野も出て行くとしんどいなと。でもチンタだけだから。敬司はのらりくらり[全日移籍と]天秤にかけた。蝶野は二人とも出て行ってほしかったんだろうな。なんか見ていて分かった」

(略)

[坂口談]

「俺が社長をやっていた頃は本当に会社がまとまっていたんだ。みんな和気藹々として仲が良かったし、選手離脱もなかった。俺が社長を外れてから、ガタガタっときちゃったな」

[2001年夏、長州が総合格闘技出場を認めなかったため、猪木が現場監督から外す。その後、溝は埋まらず長州は退団]

保永昇男

長州の取材を続ける中で、何度もその男の名前が出た。

――長州さんのことを一番知っているのは保永じゃないかな。

――保永さんは最後まで長州さんを守った男です。

(略)

[WJ]旗揚げから天龍と六連戦をやると聞かされたとき、保永は長州の軀を案じたという。

 「新日のときの馳や健介のように、フォローしてくれる若手がいれば負担が減るわけじゃないですか。でもそういうわけにはいかなかった。天龍さんも妥協しないタイプだし(略)

 保永はWJでレフェリーの仕事以外に、若手レスラーのコーチも務めた。(略)

 主たるレスラーが去った後も、保永は毎日自宅のある船堀から久が原の道場に通った。(略)

 コーチだけでなく、保永が料理を作ることもあった。(略)

 そのほか、鉄製のトレーニング器具の作製、建物の不具合が出ると工具箱を持って保永が出て行った。WJが活動停止をした後、道場の壁に書かれた「WJ」の文字を消さなければならなかった。業者に頼む金はなかったため、手先の器用な保永がペンキで塗り直し、リキプロのロゴを描いた。

 保永はWJから出て行ったレスラーを庇った。

 「所詮レスラーというのは個人事業主の集まりなんですよ。だから、仕方がないんじゃないかな。健介は健介で、もっと安い場所で道場をやったらどうかという話をしていた。でも長州さんは、うんと言わない。それ以外でも、健介はよかれと思っていろいろとアイデアを長州さんに持っていっていたけど、長州さんは“俺はやんない”ということがあった。もう限界だったんだろうね」

 WJで給料が出たのは旗揚げから数ヶ月のみ、リキプロでも保永はほとんど金を受け取っていない。(略)

[リキプロ閉鎖の際、増築部分を現状回復する必要があるとわかり、保永が車を売り自腹で払った。さらに水漏れが見つかり保永がDIYで修理](略)

 「石井たちはもう新日の巡業に出ていましたからね」

 事も無げに言った。

 後から保永が立て替えた修復費を支払いますと石井が連絡を入れると「いいよ」と断った。そういうわけにはいかないからと話して、何度目かにようやく金を受け取ってもらったという。

 長州は新日本に戻る際、保永も誘っている。しかし、保永はそれを断った。

 「レスラーだったら何人いてもいいですけれど、新日を見たらレフェリーの頭数は揃っていたんですよ。だから、俺はいいですと」

アントニオ猪木

何度も交渉したが猪木は取材を受けなかったと伝えると、長州は「ああ、そうですか」と頷いた。そして、はあと溜め息をついて、「ああ」と意味にならない声を何度も出した。(略)

 しばらくしてから長州は猪木の話を自ら始めた。

 「よく猪木さんってどういう人って聞かれるんです。凄い人だとかそれぐらいしか言えない。なぜ、この人が凄いのか……(こう思っているのは)ぼくだけかもしれない」(略)[逡巡があって]

 「ぼくはあんまり難しい話をしたくない。これが(取材の)最後だっていうので……やっぱり(言っておかなければならない)。あの人には絶対になれない。真似る人間はいたとしてもなれない。

(略)

 「プロレスは筋書きがあるとかみんな書いている。でも、あの人はシュートです。なんのシュートというのかは……あの人のリングの中のパフォーマンスはシュートです。だから凄い。それはぼくも経験しているしね」

(略)

試合をやっていくとリングの中でドンドン深いところに入っていく。この人はどこまで深くまで入っていくのか。オーバーと思うかもしれないけれど、深海の深いところ、どこが海底なのか分からないところまで……」

(略)

[ある試合中]

 「殺せと言われた」(略)

 「長州、殺せと。そのとき、うわっと反応するものがありました。この人はそこまで行く人なんだと」(略)

 「最初は聞き取れなかった。あの人、本気でリングで死ぬことを求めていたのかもしれない。だからあの人には敵わないんです」

マサ斎藤と健介も取材拒否

長州は何度か「マサさんは取材に応じた?」と訊ねてきた。斎藤の妻と交渉を重ねたが、長州については話したくないと言っていると断られた。そのことを伝えると長州は寂しそうな顔をした。

 もう一人は佐々木健介だ。佐々木については、WJ時代に自分が500万円を借りたことにされていると長州が声を荒らげたことがあった。(略)

長州は斎藤の場合と違って、佐々木が取材を断ってきたと聞くと鼻で笑った――。

 長州はしばらく考えた後、口を開いた。

 「得たものは、人を見る目。お前に俺の何が分かるって言われるかもしれないけど、なんとなく分かる」

 「では、失ったものは?」

 「ああ、家族ですね。自分の子どもをよく知ることができなかった。みんな元気にやっているんですけれど、ずっと一緒にいて成長を見たかった。(そうした時間は)取り返せない」

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