本と奇妙な煙 このページをアンテナに追加 RSSフィード

1000 | 01 |
2003 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2004 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2011 | 01 | 02 | 03 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 10 | 11 | 12 |
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2016 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 |

2016-06-25 研究不正 - 科学者の捏造、改竄、盗用 このエントリーを含むブックマーク

冒頭、あの有名科学者も不正してたなんて話があるので、あれひょっとして擁護?と思ったけど、やっぱり小保方さんはアウト判定。

訴訟を警戒してか、なぜか日本人不正者だけイニシャルになってたので、実名を併記。


研究不正 - 科学者の捏造、改竄、盗用 (中公新書)

作者: 黒木登志夫

メーカー/出版社: 中央公論新社

発売日: 2016/04/19

研究不正は、大昔からあった。

 『背信の科学者たち』は、ガリレオ、ニュートン、ダーウィン、メンデルのような歴史上の偉大な科学者にも問題があったことを指摘している。

 ・プトレマイオスがギリシャのロードス島で観測を行ったという天体図は、アレキサンドリアの図書館で盗用したものであった。

 ・ガリレオの実験はおおざっぱで、とても彼の提唱するような正確な法則は作れないはずであった。彼は、観察よりも「思考実験」を好んだ。

 ・ニュートンは、著書『プリンキピア』のなかで、自分のデータを修正し、精度をあげ、理論と合致するように改めた。

 ・ダーウィンは、無名の動物学者による自然淘汰と進化の研究を盗用した。

 ・メンデルは、「メンデルの法則」にあわせて、エンドウ豆を「クッキング」した疑いがあることを、統計学者のフィッシャーが指摘している。

なぜ日本で不正が急増したか

2000年まではほとんど目立った研究不正はなかったが、21世紀に入ってから急速に増えてきた。(略)

一つには、国立大学の法人化(2004年)の前あたりから、大学の財政が苦しくなり、競争的資金がないと研究ができないようになったことがあるのではなかろうか。論文発表、評価、研究資金獲得などの圧力のなかで、選択と集中が進み、競争が激しくなった。研究者たちは、圧力とストレスにさらされ、不正に走る人が増えてきたのであろう。加えて、わが国は、研究不正に関して初心であり、あまりにも無関心であったことがある。

捏造RNA論文の巻き添えを食った人

[KT=多比良和誠、HK=川崎広明]

 RNA学会が東大に調査を求めた論文リストのなかには、HKが理研ライフサイエンス筑波研究センターにいた当時の論文二報が含まれていた。その論文は、RNAとは関係ない転写因子の研究であった。当時、筑波大学のKT研究室の大学院学生であったHKは、分子生物学の指導を受けるために、理研の横山和尚の研究室に送られてきた。そこで発表した論文にも疑惑がかけられたのである。

 理研で指導に当たった横山は、その二つの論文の再現性を自分自身で確認した。実験を再現するのは、口で言うほど簡単ではない。その当時、理研バイオリソースセンターの諮問委員会委員をしていた私は、室長の横山から、再現性に関する詳しい報告を受け取ったのを覚えている。横山の再現性報告は外部委員会で承認され、不正はなかったことが明らかになった。しかし、それにもかかわらず、なぜか理研は横山に冷たかった。彼は台湾の医科大学に移籍し、研究を続けている。横山は、大学院生であったHKの指導をしたばかりに、この事件に巻きこまれ、再現実験で苦労をし、その上外国に出ざるを得なくなった。横山も研究不正の犠牲者の一人である。

ノバルティス事件(ディオバン事件)

[NS=白橋伸雄、YA=青野吉晃、IK=小室一成]

 五大学のすべての研究に大阪市立大学のNSが参加していた。統計が非常によくできる人という触れこみであったが、彼を知っている臨床統計学の専門家は、大橋を含め、一人としていない。(略)彼は、データの統計的分析を行っただけでなく、効果を判定する委員会にも参加していた。ノバルティス社の社員がすべての情報に介入、操作できる立場にいたのである。

 NSに非常勤講師のポストを提供した大阪市立大の研究室には、400万円の奨学寄付金がわたっていた。大学は、何もしない無給の講師の契約を10年間毎年更新していた。これは別に不思議なことではない。紹介を依頼された教員は、企業の魂胆など知らないまま、産学連携にもなるし、寄付金も入るし、ということで受け入れたのであろう。特別問題になるようなことがなければ、給与を払っているわけではないので、教授会が非常勤講師の契約更新に口をはさむことはない。問題ある人を隠すのに、大学ほど都合のよいところはない。

 慈恵医大の研究者は、「自分たちにはデータ解析の知識も能力もない」と語っている。これは驚くべき証言である。「知識も能力もない」研究者はノバルティス社に丸投げするほかなく、ノバルティス社は研究者の無知につけこんで、自由に都合のよいデータを作ったことになる。その意味で、ノバルティス事件は、わが国の臨床研究の抱える構造的な問題を反映していると言える。(略)

ノバルティス事件は、STAP細胞事件よりも、はるかに根が深いと言わざるを得ない。

(略)

それぞれのその後(略)

  • 年間売り上げ1000億円を目指す「100Bプロジェクト」の黒幕、YA(営業本部長)は、問題が発覚する直前に、他の外資系製薬企業の社長に転出した(略)
  • 千葉大学のIKは、阪大教授を経て東大教授となった。千葉大学の調査委員会は論文の撤回とIKの処分を東大に勧告した。東大は千葉大の報告を受け、外部調査委員会により検討した結果、「東大の教員として教育研究という職務を適切に遂行しない蓋然性を推認させる不正行為があったとは認められない」という結論になった。(略)

STAP細胞事件

[HO=小保方晴子]

 この頃、世間の注目度は最高に達した。科学から遠い人ほど、HOを支持し、組織の問題にした。対応が悪かったこともあり、理研は一番の悪者にされた。五月半ば、iPS細胞について講演したとき、私は、金融関係の女性から、理研はつぶすべきだという意見を言われた。一方、科学に近い人は、早くから相当に危ない研究であることを察知し、HOを厳しく批判したが、STAP細胞のすべてが完全な虚像とまでは思っていなかったのではなかろうか。私もまた、少しくらい新しい何かがあるのではと期待していた。しかし、そのような甘い期待は、次に述べるゲノム解析データにより、完全に消え去った。STAP細胞のねつ造が確実になったのだ。

 私は、なぜだまされたのか、という率直な質問を若山にぶつけた。HOが彼の研究室に来て最初の半年くらいの間は、実験がうまくいかず、彼女は悩んでいたという。2011年11月、HOからわたされたSTAP細胞を使って若山がキメラマウスの作成に成功したのをきっかけに、次々にデータが出始めた。そして、STAP細胞から、STAP幹細胞も作れるようになった。

 TCR遺伝子の再構成の実験でも、若山の研究室では誰も証明できなかったが、HOが実験するときれいなデータが出てきた。論文を書くために、このようなデータがあればよいと言うと、数週間後にできてくる。その上、彼女はプレゼンテーションが上手でCDBの執行部も感心するくらいだったという。みんな、HOはすごいと思うようになった。その一方、彼女の知らないような話をすると怒るので、怒らせないよう会話に気をつけ、誰も研究の話をしないようになったという。

 なぜだまされたのか、少しは分かったような気がしたが、それでも、なんでここまでの不正を見抜けなかったのかという疑問は残ったままであった。

著者の数、ギフト・オーサー

1993年、第三回イグ・ノーベル文学賞を受賞したのは、ページ数の100倍の人数の著者がいる医学論文であった。著者数976名は、当時としては、からかいたくなるほど、異常な著者数であった。しかし、それから20年以上経った今、1000名を超すような論文が、毎年200報近く発表されている。

[2015年のヒッグス粒子質量測定論文は著者数5154名]

(略)

 著者数が多くなるのは、大規模な共同実験のためである。たくさんの患者を対象にした臨床研究、大がかりな設備を使う物理学の国際共同実験(略)このような研究では、著者の一人が一回引用しただけで、論文の引用回数は何千にもなる。論文引用という基準で評価するのは難しくなる。(略)

1000人を超すような論文では、研究不正を行った人が紛れこんでいたとしても、見つけようがない。次に述べるギフト・オーサーのような人が入ったとしても分からないであろう。(略)

婉曲に、名誉オーサー、ゲスト著者などと呼ぶ場合もある。

 オーサーシップをギフトとして贈る方は、何らかの見返りを期待しているに違いない。その分野で著名な人の名前が入っていれば、論文審査に通りやすいかもしれない。研究に関係していなくとも、上の地位の人を著者に加えておくと、将来、人事のときに有利になるかもしれない。研究の便宜を図ってくれた人も、お礼の意味で著者にしておこう。縄張りを主張するかのように、自分から著者にするよう、圧力をかけてくる人もいる。狭い社会であれば、むげに断ることもできない。

 研究に貢献していない人が著者に名を連ねるのは、「研究の誠実性」の観点からすると大いに問題である。

(略)

[モスクワの有機化合物研究所のストルチコフは10年で]948報の論文を発表したことにより、第二回イグ・ノーベル文学賞を受賞した。(略)この研究所を利用した人は、研究所長の名前を入れる習慣のためであったというが、施設を借りただけであれば謝辞に書くべきであった。イグ・ノーベル賞が、からかいたくなったのも無理はない。

実験ノート

 実験ノートをつけない研究者は、帳簿をつけない銀行員のようなものである。研究者としての資格がない。STAP事件のとき、HOの実験ノートが新聞紙上を賑わせた。そのあまりにも幼稚な内容に驚いた。日付も入っていないと聞き、あきれてしまった。実際にそのノートを見た研究者は、彼女は実験の意味を何も理解していないのではないかとさえ思ったという。

 私が実験をしていた頃、実験ノートには、実験の通し番号をつけ、必ず実験の目的、方法、結果、考察、反省などを書いた。日付はもちろんのこと、細胞数、化合物の量、測定時間、計算式なども細かく書いていた。実験に失敗したときは、その分析をノートに書いた。そのせいか、今でも実験に失敗した夢を見ることがある。(略)

ノートをさかのぼって調べた結果、実験条件の間違いが偉大な発見につながった例がある。2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹は、学生が試薬の濃度を1000倍にしたために、受賞理由となったポリアセチレン・フィルムの合成に成功した。(略)

 実験ノートは、研究不正の疑いを晴らすときにも、その疑いを証明するときにも、最大の証拠となる。それゆえに、大切に保管することが求められている。研究不正を疑われた研究者は、研究記録を紛失したなどと言い逃れる。データをまったく記載していなかったり、コンピュータがいっぱいになったので削除したり、中国からの留学生が帰国の途中、資料・サンプルともに海中に落としてしまったなど、その言い訳は様々である。このような弁明を聞くと、ますます疑いが深まるというものである。

アメリカに留学した人は、実験ノートの扱いが日本とあまりにも違うことに驚いたであろう。アメリカで実験ノートの管理が厳しい理由の一つは、アメリカの特許が、先発明主義をとってきたからである。早く発見した者が特許を獲得するため、裁判になったとき、実験ノートが重要な証拠として採用されることになる。実験ノートは、重要な財産でもあるのだ。2013年以降、アメリカも他国と同じように、先に申請した特許が承認される先願主義に近づけた制度となったが、実験ノートの管理が厳しいのには変わりない。

利益相反

 「利益相反」を「利害関係」と単純に理解している人が多い(略)

[製薬会社から寄付を受けている]医師には、公益に貢献するという医師としての社会的な責務と、製薬企業のために何らかの貢献が期待されている立場が並存していることになる。もし、企業からの財政的支援を隠して、公的な立場で製薬企業の研究をすれば、利益相反の問題となる。製薬企業の講演会をたびたび引き受け、本来の大学の仕事である教育と研究がおざなりになるようなときも、「利益相反」と指摘されても仕方がないだろう。

 誤解のないように強調しておかねばならないのは、「利益相反」そのものが悪いわけではないことである。製薬企業との共同研究が悪いわけでもない。それがなければ、よい薬を世の中に出せない。大学人が、社会に貢献しようとすれば、多かれ少なかれ「利益相反」状況になる。「利益相反」を頭から悪いこととしたら、「象牙の塔」に閉じこもった古き良き時代の大学に逆戻りしてしまう。

 どうすればよいか。まず、「相反」するような関係にあることを公に宣言しなければならない。その上で、寄付金があればその額と使用目的、製薬企業からの労務の提供などを透明化しなければならない。大学も企業も、外からの問題指摘に対して、隠すことなく説明する責任をもっているのだ。

  • なぜ研究不正は繰り返されるか

ストーリーの誘惑

 問題は、自分の立てたストーリーにこだわり過ぎることである。(略)

 東大分生研のSKの場合がそうだった。彼の研究室では、データを「仮置き」するという独特の習慣があった。このようなデータが出るはずだという予想のもとに、たとえば電気泳動の画像を「仮置き」する。それに合うようなデータを出すことを、大学院生たちに強要したことにより、ねつ造が起きた。

ネイチャー、サイエンスの誘惑

 インパクト・ファクターの高いジャーナルに発表論文があれば、有利であるのは確かである。ネイチャー、サイエンスクラスのジャーナルに発表できれば、研究費は保証されたようなものである。(略)研究者たちは、まるでネイチャー、サイエンスの魔力に引きつけられたかのように、不正に手を出してしまう。

(略)

 2013年にノーベル医学賞を受賞したカリフォルニア大学のシェクマンは、イギリスの新聞、ガーディアン紙に、「ネイチャー、セル、サイエンスはいかに科学をダメにしているか」という原稿を寄稿した。彼は、これらのジャーナルに論文を掲載し、それによってノーベル賞を受賞し、翌日授賞式に出るのだが、今後は、もうこの三誌には論文を載せない、と宣言した。これらのブランド・ジャーナルの編集者は、真の科学というよりは、目を引くような論文を載せたがる。そのため、撤回論文も多い。論文の掲載スペースを意識して制限しているのは、まるで、限定版ハンドバッグを作り、価値を高めようとするファッション・デザイナーのようなものだという。

 しかし、シェクマンは、これらのジャーナルに発表した論文でノーベル賞を受賞したのである。利用した後で、もう使わないと言っても説得力がない。さらに、彼が、eLifeというネット公開ジャーナルの編集に関わっている点も、割り引いて考えなければならない。とはいうものの、シェクマンの主張が的を射ているのは確かだ。

研究資金の誘惑

 大学、研究所というと、最先端の研究室が並んでいると、人々は思うであろう。しかし、現実には、何十人の研究員を抱え、設備の整った大研究室もあれば、店長一人といった零細店舗もある。東大のような大きな大学には、大都会のショッピングモールのようにきれいに飾った大きな店が多いが、地方大学は、地方都市の商店街のようだ。きらりと光る個性ある店舗があるものの、なかにはシャッターを閉じたような店もある。格差は、いたるところで広がりつつあるのだ。(略)

[国立大学の運営費交付金は、法人化以来10年で10%減額]

今、大学は電子書籍代も払えないほど追い詰められている。(略)

文科省の科研費の採択率は、30%以下。大型研究費となれば、採択率は10%に届かない。私が現役の1990年代までは、2000万円くらいが最高額であったが、今は億を超す研究費も珍しくない。(略)

 外部資金獲得競争に勝たなければ研究ができないとなれば、そこに研究不正の生まれる素地ができてくる。一方、何億というような高額の研究費の獲得に成功すれば、それが逆に圧力となる。申請書で約束した成果を出さないと、研究費は途中で打ち切られるかもしれない。教授は、大学院生に早くデータを出せと圧力をかける。圧力はストレスになり、ストレスは増幅し、判断の過ちを招く。

若くて優秀、しかしどこか狂ってる

 ラッカーは証言する。スペクターは、一見、非の打ち所のない青年であった。実験はまるでベートーベンのピアノ演奏のように見事であった。その上、ハードワーカーであった。彼のプレゼンテーションは多くの人を魅了した。彼は、ラッカーがどのようなデータを欲しているかを察知し、そして、そのようなデータを提示しては、ボスの信用を得ていった。シェーンについても、ボスのバトログは、「非常に頭がよく、科学システムを熟知し、物事の覚えがきわめて早かった」と述べている。

 しかし、スペクターは感情的にも精神的にも病んでいたとラッカーは言う。ねつ造しても、罪の意識はなかったが、いつか露見することを無意識のうちに望んでいたのではないかと思われた。スペクターのような性格は、ねつ造をする若い研究者に共通しているように思える。彼らは、みんな頭がよい。学問の世界が今どこまで明らかになっていて、次にどのようなデータがあれば、さらに大きく一歩進めるかを理解している。そのことをきちんと分かっていなければ、ねつ造しても相手にしてもらえない。彼らは、指導者であるボスが、どんなデータをほしがっているかを知っている。それに合わせてデータを作り、さらに信用を得ることになる。

不正者による告白

 2012年の暮れ、スターベルは、研究不正を告白する本を出版した(略)

私(スターベル)はフローニンゲン大学の優雅なオフィスに一人いる。研究データを入力したファイルを開く。そのデータの予想外だった数値である「2」を「4」に変えた。ヒョッとしてと思い、念のため、オフィスのドアを見たが、閉まっていて誰にも見つからなかった。データのたくさんの数値が並んだマトリックスを統計分析ソフトにかけるために、マウスをカチッと鳴らした。私が変更した新しい結果を見た時、世界は論理的状能に戻った。

 しかし、データ改ざんはだんだんエスカレートしていく。とうとう、論文のほぼ全部のデータをねつ造するまでにいたった。

(略)

今まで誰も私の研究過程をチェックしたことがない。彼らは、私を信頼し、私は、すべてのデータを自分自身で作った。あたかも、私の隣にクッキーが入った大きなジャーがあり、母はいない、鍵は掛かっていない、ジャーには蓋もない状況だった。手を伸ばせばすぐ届く範囲に、甘いお菓子が一杯に詰まったクッキーの大きなジャーがあった。その場所で私は毎日、研究をしていた。クッキーの大きなジャーの近くには誰もいなかったし、監視もチェックもされなかった。私がする必要なことのすべては、手を伸ばしてクッキーを取るだけだった。

(略)

 心理学会会報の書評によると、妻の横で目覚めたシーンを描く最後の章は、詩的で、素晴らしくよく書かれている。しかし、その部分は、レイモンド・カーバーとジェイムズ・ジョイスの文章のコピーであるという。スターベルは、まだ懲りていないようだ。

なぜ数学に不正が少ないのか

 医学、生命科学系と比べると、物理学、数学系に研究不正が少ないのは、確かである。物理学には、シェーン事件のようなとんでもないねつ造があったが、数学の世界では、目立った研究不正の話は聞かない。

(略)

・数学には、正しいか、間違っているかの二者択一の答えしかないため、ねつ造が入りこめない。

・数学はロジックに支えられている。その点が「現象」に支えられている医学生物学との大きな違いである。もし、間違いが入ればすべてが崩壊するという重みが、不正の入りこむ余地をなくしている。

・論文の審査は、審査員が理解するまで終わらない。審査に一年、出版までには二年くらいかかるのが普通である。

ソーシャル・メディア審査

 「性悪説」に基づき、匿名で行われるソーシャル・メディア審査は、一方的かつ攻撃的であるため、標的となった本人にとっては不愉快なことであろう。しかし、ソーシャル・メディアがなければ、SKの研究もSTAP論文も生きのびていたかもしれないことを考えると、その貢献を認めないわけにはいかない。それにしても、「性善説」に基づくピア・レビューがこれほどまでに無力であったことに驚くばかりである。これまでピア・レビューを信じ、査読を受け、査読をしてきた一人として悲しくなる。

 研究不正の告発は、諸刃の剣である。研究不正を追及する手段としてではなく、悪意をもって、狙いをつけた人の中傷にも使うことができるからだ。そのような標的にされたらたまったものではない。名前が出ただけで、研究者コミュニティから白い眼で見られ、疑いを晴らすのも容易でない。最近、そのような事例が日本でも起こっている。幸いなことに、裁判により告発された側が勝訴した。

2016-06-23 野戦郵便から読み解く「ふつうのドイツ兵」・その2 このエントリーを含むブックマーク

前回の続き。


野戦郵便から読み解く「ふつうのドイツ兵」―第二次世界大戦末期におけるイデオロギーと「主体性」 (山川歴史モノグラフ)

作者: 小野寺拓也

メーカー/出版社: 山川出版社

発売日: 2012/11

| 本 | Amazon.co.jp

戦場の恐怖

納屋や家屋の後ろへと飛び込んだ五秒後に、元々立っていた場所に爆弾が直撃して一気に恐ろしくなってきたものの、どこに行けばいいのかもわからない「真の死の恐怖」や、「スターリンオルガン」と呼ばれるロケット砲の猛攻撃を、掩壕で小さく縮こまって必死に耐える「地上の地獄」。ロシア兵から百メートル程度しか離れていないところで、穴のなかにうずくまり昼も夜も見張っているなかで、「あらゆる種類の砲撃によって精神的な錯乱をきたし、暖をとるために火をおこすこともできず、命の危険を冒さなければ這い出すこともできない」歩兵。うっかり動くこともできないそうした前線の状況で、敵から「見られているかと思うと、身も凍るような気分に襲われ」るし、たとえ戦友が助けを求めて叫んでいたとしても、「助けようとしてそこに急行すると捕虜になってしまう」という敵の罠を恐れ、助けに行けない状況。そして、実際に捕虜になったらどうなるのか、という恐怖。

 私は今、きわめて短時間ではあっても戦争をこの目で見ました。もう十分です。残忍なものです。「そこにいたことがある人」でなければまったくわからないでしょう。(略)

爆弾が投下される様子を目の当たりにする。爆弾を見る。ちっぽけな点々が降ってきて、直接自分の上へとやってくる。縮こまりながら轟音を立てて過ぎ去っていく音を聞く。もう何も考えられない。思考の停止した空間。そして爆裂音と地面の震動。すさまじい雷鳴。泥と埃が顔に飛び散る。そして死の静謐さ。そう見える。航空機は陣地に対して集中砲火を浴びせ、高射砲は狂ったように音を立てているにもかかわらず、何も聞こえない。爆弾が落ちてくる。まだ生きている。傷も負っていない。他のすべてのことは遮断されている。そして再び徐々に。手探り状態で気を取り戻す。何が起こったんだ。何が起きたんだ?。

 そしてそれに加えて再び、素晴らしい風景。私はすべてを受け止め、自分なりに咀嚼しようと試みました。不思議だったのは、私がそこに見たのは人間の残酷さでも戦争の恐ろしさでもなく、何か美しく、ロマンティックなものだったということです。多分、この機械の怪物が粉々、ぐしゃぐしゃになって奈落の底へと転落しているのを目にするのは喜ばしいことだからなのでしょう。この航空機や車両はなんといっても我々の敵なのですし、彼らは我々を不幸にし、安らぎを奪い、我々から文化を奪うのです。そして今彼らは惨めな形でぐしゃぐしゃになっています。誇らしい気分です。そこに見えるのは、すべてを組み立てるためにあくせく働いている人間ではなく……、ぐしゃぐしゃになって生命力を奪われた敵なのです。

(略)

 暴力をめぐる兵士たちの記述を見ていて気づかされるのは、少なくとも個人のレベルでは、そうした「粗暴化」を問題視し批判する観点、少なくともそれを冷静に見つめる視点が少なからず見られるということである。大々的に喧伝された「報復兵器」=Vロケットについての、「事実ともかく人類は新しい殺戮の手段を見つけたのです。「洗練された」人類の歴史へと足を踏み入れるようになるのです」という皮肉混じりの記述。あるいは、「この流血をやめなければなりません。この大量殺戮は耐えがたいものです」「戦争はどんどん恐ろしいものになってきています。すべての人類が理性を失ったように思われます」という強い批判。さらには、「戦争が終わる頃には、全ヨーロッパが廃墟となっていることでしょう」「かつては戦争であっても、幾分は騎士道精神のようなものがありました。今あるのはただ絶滅、死、涙だけです。ヨーロッパが誇りにしてきたもの、つまり文明(私は笑いません)はどこへ吹き飛ばされてしまったのでしょう。それはかつても、そして今でも見せかけであって、その背後では古くからの絶滅という悪魔的な顔がにやついているのです。ヨーロッパの人間が何百年もの間あまりにも錯覚してきたこと、誇りにしてきたことが、銃床による一撃で崩壊するのを目の当たりにするというのは、ショッキングなことです」と、ヨーロッパ規模にまで思索をめぐらせるものなど。

 また最末期になってからも、「無意味な殺戮にいつ終止符が打たれるのでしょうか」「私のなかでは、なぜ今日のような馬鹿げたことが、という決して応えることのできない問いがくすぶっています。なぜ人間はこれほどまでに、恐ろしいほどまでに愚かで残酷なのでしょう」「20世紀の進歩というのは爆弾のトン数によってのみ表現できます。それこそが、20世紀がその前半に人類へともたらしたすべてなのです。全世界が破裂してしまえばいいのにと思うことがときどきあります。そうすれば、馬鹿げたことも、嘘いつわりも、殺戮もみななくなるでしょうから」

ユダヤ人迫害

 1942年末から43年初頭にはすでに、ユダヤ人の大量殺戮がおこなわれていることは多くのドイツ人にとって「公然たる秘密」となっていた。(略)

敗北の可能性が現実的になるなかで書かれた次の二つの手紙からは、ユダヤ人迫害が現実に「公然たる秘密」となっており、兵士たちの間で良心の呵責を生まずにはおれなかったこと、それに対する報復に怯えていたことだけでなく、それらは一部のナチの仕業であって自分たち「ふつうのドイツ人」には責任はなく、ドイツ人・ドイツ民族自体は「悪魔的な誘惑の技術」や「洗練された大衆陶酔のシステム」にいわば騙された、無実な存在であって「我々はそれについて何も知らなかった」のだという、戦後西ドイツ社会の決り文句へと繋がっていく認識枠組みが見て取れる。

 戦争に負けてしまうのでしょうか。それはじつに恐ろしいことです。そうなれば、神の思し召しなど疑うほかないでしょう。我々ドイツ人はそのような犯罪者であったことは今までありません。ナチどもはユダヤ人に対して少々馬鹿げたことをしたかもしれませんが。だから、強制労働のためにロシアに行かなければいけないのなら、その前に斃れるほうがましです。そうすればこのクソみたいなことも少なくとも終りを告げるでしょうから。

(略)

 ユダヤ人とポーランド人の扱いは(略)致命的な政治的誤りであっただけでなく、人道的にも正しくないことであり、ドイツ民族の良心に次第に負荷をかけるようになってきています。(略)

「もし彼らが解放されたら、仕返しをしてくるに違いない」「あまりにもひどいことをやりすぎた。もはや人間的ではなかった」。こういった言葉が今日党員からも聞かれます。一、二年前にはそのような感情が襲ってきても、一蹴してきた人びとなのですが。ドイツ民族はこの点、10年にわたる教育や、その反対を証明するようなあらゆる証拠にもかかわらず、圧倒的多数はいまだ道徳的に敏感な民族のままなのです!すでになされたこと、黙認されたこと、そしてそのことに現在の不幸な状況が恐ろしいまでに見て取れるわけですが、そこまで人びとを熱狂させるためには、悪魔的な誘惑の技術と、洗練された大衆陶酔のシステム、そして国民的な過剰な興奮が必要だったのです。人道的な正義や不正義を感じる力は、その身体の奥深くに今でもしっかりと根付いているのです。

ロシア

 ロシア軍やボルシェヴィキに関する記述で特徴的なのは、肯定的な記述がほぼ皆無なことである。かわりに見られるのが、「東部の高潮」「東部からの洪水」「雑多な群れ」「ボルシェヴィキの洪水」「赤い人殺しの群れ」といったネガティブな集合的メタファーである。文明的に劣った人びとの「洪水」が襲いかかってくる以上、自分たちは「ダム」を構築して防衛しなければいけないという表象は、ドイツ人がスラヴ人に対して伝統的に抱いてきたものである

(略)

[終戦間際でも]「我々に対峙している悪臭のひどいロシア人やポーランド野郎とは、じきに決着をつけることになるでしょう」と蔑視や敵愾心を鮮明にする兵士もいた

(略)

ロシアの捕虜になりシベリアで働いて命を失うほうがいいのか、それとも〔捕虜にならずに〕死ぬほうがいいのか、私はどうすればいいのでしょうか。……イギリス軍ならすぐに〔捕虜に〕なります。兵士たちはきちんと規則に従って扱われますし、郵便も受け取れます。ロシアではすべてがそうではなく、音信不通なままです。それでは人間は精神的にも道徳的にも破綻してしまいます」

(略)

[一方で、現地住民と触れ合うことで肯定的な印象を残すことも]

ポーランドについてある兵士は、人柄は素朴で善良、幾分ナイーブではあるが、素晴らしく清潔であり人びとの服装もカラフルであること、編み物の質も高いことをなどを挙げて、「すべてを自分自身で創り出す人びとは羨むほかありません」と感嘆の念を示している。

(略)

ベルの場合にはロシア文学を通じて得た知識が「素地」となっていた。

 しかしもっとも幻想的なのが家屋で、汚れた黄色の正面。黄色から黒まで。茫漠として心を打つ。平らな屋根。長い長い通り。汚い。そしてこの黄色の正面。すべてが同じで、しかしながら互いに感動的なまでに違う。これらの家屋を見て最初に思い浮かんだのは、ドストエフスキーでした! すべてのものが生き生きと、私のなかによみがえってきたのです。シャートフとスタヴローギン、ラスコーリニコフ、そしてカラマーゾフ兄弟、ああ、家屋を見たときすべてが思い浮かびました。これが彼らの家だったのです。ああ、私には理解できます。そのような家屋で一日中、ああ一日中お茶やタバコ、シュナプスをたしなみながらひたすら議論し、計画を練り、仕事を忘れる。私の心を動かしたものについて、それを表現するだけの力はまだありませんが、私には次のことはわかっています。つまり、私は西欧から来た人間であるということ、そして私はまだ「思慮、分別」のある西欧が恋しい、とても恋しいということを。

(略)

[その一方でベルは]

ロシア軍とその凶悪な重火器には、戦争本来の戦慄や恐怖に加えて、真の戦慄と恐怖があります。それはロシア的な本質におけるアジア的な異質性であり、それが戦争のような原始的な出来事によって現実のものとなるのです。すなわち、ある民族の本質をめぐる可能性がそこで現実のものとなるのです。

イタリア

 別の兵士も、「イタリアは怠け者とジプシーの地であり、感情に飢えた人びとのたまり場であり、できるだけ努力しないで金を得て、できるだけ自由に生きるというのが彼らの本来の生き方なのです」と、きわめて否定的な判断をくだす。

(略)

これらの言辞には、第一次・第二次世界大戦と二度にわたってドイツに対する「裏切り」をおこない、同盟を結ぶ相手として信用ならない存在であるという不信感、イタリア人はそもそも戦闘に向かない民族であるという考えなど、ドイツにおいて支配的であったイタリア人イメージも色濃くにじみ出ている。ただここで重要なのは、「義務観念と秩序意識に満ち」「直線的で原則を重んじ」るというドイツ人としての自己認識と、そのネガとしてのイタリア人とが表裏一体で表象されるという点である。

本書を通して明らかなように、ナチ・イデオロギーの中核的要素である人種主義は兵士たちの手紙において記されることがほとんどない。(略)むしろ伝統的な蔑視や偏見、ステレオタイプと見なしたほうがよいような記述が支配的である。

(略)

大戦末期の絶望的な戦況にあっても敵に対して徹底的に戦うという意志は、人種主義や反ユダヤ主義、反共産主義といった「典型的」なナチ・イデオロギーの経路を経ずとも調達可能であった。たとえば、スラヴ人やイタリア人に対する伝統的な蔑視、喧伝されるロシア軍の「残虐行為」、家族がその犠牲になるのではないか、自分も戦争が終わったらシベリアで強制労働させられるのではないかという恐怖心、そして、数多くの戦友たちが命を落とした「忌々しいロシア」という敵愾心。ロシア軍の恐怖を煽るプロパガンダがその際に重要な役割を果たしていたことも想像に難くないが、それだけでなく、兵士たちが現場で見聞きし、あるいは伝聞情報によって(おそらくは恐怖が増幅された形で)知った敵の残虐行為や、避難民たちの悲惨な姿が家族と二重写しになり、それが恐怖心と、何が何でも戦い統けなければならないという意志を強めた。また現地の人びとからの物質的な収奪や、パルチザンに対する容赦ない報復措置を、蔑視が下支えしていた。さらにそうした蔑視は、現地住民との交流によって肯定的な印象を得たとしても、何らそれと矛盾することなく両立しうるものであった。なぜなら蔑視は、文化的・精神的であり生活水準が高く清潔で、義務観念や秩序意識を大事にするという「ドイツ人らしさ」のネガとして、自己認識とつねに表裏一体の関係にあり、そうした認識枠組みのなかにしっかりと根付いていたからである。

(略)

徹底的に戦い続けるという意志を調達するうえでは、敵や他者に対する蔑視、敵愾心、恐怖感だけでなく、肯定的な自己イメージと、そうした「素晴らしい何か」が存亡の危機にさらされているという強い被害者意識も決定的に重要であった。そもそもこうした戦争を無責任に始め、ドイツに次々と破壊がもたらされてもなおも戦争を続けるお偉方や、私利私欲にふけり当座しのぎに汲々とするナチ党員などにすべての責任があるとされ、「ドイツ民族」自体には何ら責任がないという、純粋無垢の「可哀想なドイツ人」というイメージが兵士たちの心を捉えた。超歴史的な存在としての「ドイツ民族」から、ナチ党や指導者たちを切り離し、自分たちは純枠無垢であろうとするなかで、第二の「背後からの一突き」伝説のポテンシャルすら見られた。

 多くのドイツ人に見られるドイツ人としての自己認識は、「文化国民」「文化民族」という伝統的なものではあったが、無事に生き残るためには戦い続けるしかないという「運命共同体」的な諦念、「平和を愛し」「何も罪を犯していない」自分たちを理解しようとしない「他者」への憤りや被害者意識、肯定的な自己イメージの裏返しとしての他者への蔑視、「ハード」に戦い続ける「ドイツ」という集合的主体への自己同一化など、歴史主体のさまざまな思いを吸収していった結果、戦闘を継続させるモチベーションとして十分な機能を果たすことになった。義務や犠牲それ自体に肯定的な意味を見出すという「典型ドイツ的」な副次的道徳も、今までの犠牲が無駄であってよいはずがなく、無駄にしたくなければ戦い続けるほかないという心情や、この犠牲は家族のため、子孫のためであるという「読替え」といった思いを吸収することで、無視できない役割を果たした。

2016-06-21 野戦郵便から読み解く「ふつうのドイツ兵」 このエントリーを含むブックマーク


野戦郵便から読み解く「ふつうのドイツ兵」―第二次世界大戦末期におけるイデオロギーと「主体性」 (山川歴史モノグラフ)

作者: 小野寺拓也

メーカー/出版社: 山川出版社

発売日: 2012/11

| 本 | Amazon.co.jp

検閲

検閲のなかでもなお体制や戦争指導、上官などに対して批判的なことを書いた兵士は少なくないし、手紙を実際に読み進めていくと、現在地を記すような「軽度」の違反から、自ら働いた盗みをあけすけに語るもの、実名を挙げた上官批判、国防軍の非合理的な戦争指導の批判、戦争そのものへの批判、果てはゲッベルス、ヒトラーの批判まで、検閲の危険を十分に意識していたとは考えにくい記述に次々とぶつかることになる。全体としては、検閲という枠組みにおいても自らの意志を語ることが決して不可能ではなく、むしろ多くの兵士は率直に語っているという印象を、あくまで経験的にではあるが多くの研究者が述べている。その理由としては、行き交う手紙の数は膨大であり、実際に検閲にかかるという経験は稀であったこと、休暇で帰還する兵士に持っていってもらう「迂回路」も存在したこと、また妻子をもたない若い兵士の場合はとくに検閲への警戒が緩かったことなど、さまざまな理由が指摘されている。また、「銃後」の家族との唯一の通信手段である野戦郵便の厳しすぎる検閲は兵士の士気を害しかねないとの懸念から、検閲をある程度緩める配慮をおこなっていた。(略)

 現在ドイツの文書館で所蔵が確認されている野戦郵便は30万通弱と推計され、300億〜400億という総数を考えればごく一部にすぎない。(略)あからさまにナチ的な手紙がさほど見つからない事実からは、戦後の基準から見て問題のある手紙は本人・遺族が寄贈していない可能性も、大いに考えられる。

 これに、社会階層の偏差の問題が付け加わる。たんなる「無事の報告」を超えて、兵士の内面や戦争経験への詳細な手がかりを与えてくれる史料を探す研究者は、十分な教育を受け、表現力、文章力がある市民層出身の兵士に行き着くことが多い。(略)

[限られた史料数とバイアスを考慮すると]手紙の分析によって得られる知見がドイツ国防軍兵士全体の傾向を代表するものであるということは、決してできない。

ある無線士ハンス=カール・S(以下HKと略)

「国民は戦争に疲れており、私もそれを知っていますが、何か不思議なものだけが戦闘を続けさせています」

1944.11.24

(略)

[1943年18歳で入隊]

その前に三ヵ月間RADで労働奉仕を務めることになる。

 しかし、RADからの手紙は留保の多い、熱狂とは程遠いものだった。「思考は完全に停止してしまいました」、「読書できませんし、物音と騒がしさがそれを私に許さないのです」(略)

「ナチ党色が強く、私は何も感じませんでした」「私は、党が催すようなこういうお祝いは、あまり支持する気になれません。静かにじっくり思いをはせる時間のほうが私は好きです」

(略)

 もう一つの戦略は、鈍感になること、あるいは「皮膚が厚く」なることであった。「下士官口調」の不愉快さに対しても「みんな徐々に(もしくはきわめてすぐに)皮膚が厚くなる」し、叱りつけすぎる上官を前にしても、「しかし鈍感さが勝つ」(略)「兵士たちの鈍感な本質が徐々に全員に共通のものになってきました。ヒトラー・ユーゲントがその点大いに貢献したのですが、あなたもそれにすぐに順応しましたか」と、「鈍感さ」経験の共有を、第一次世界大戦に従軍歴のある父にも求めている。(略)

「人間は習慣の奴隷です。もはや何も感じません」

(略)

[鈍感になってやりすごそうとした]HKは訓練期間中にハンブルク空襲に遭遇(略)目撃したのは、破片の山や破壊された市場、垂れ下がる路面電車の架線、地下室に生埋めになった人びとなど、生々しい暴力の傷跡であった。(略)もっとも激しい空襲のあとにHKの記述にあらわれるのは、既存の自分の認識枠組みをはるかに超えた現実の検察と、感覚の麻痺である。

(略)

ハンブルクで破壊された数々のものに、私はもはや何も感じません。(略)見るのは悲惨さと人気のない通りです。ときどき、自分が夢のなかにいるような、あるいは前からここがすでにそうであったかのような気がします。破壊された街を見るというのは、奇妙な気持ちです。我々の子どもたちもまだハンブルクの廃墟の前に立っていることでしょう。建てるのに我々が数百年かかり、四回の夜間攻撃で破壊されたものが、ヒトラーの「私に四年の時間をくれ」という言葉によって建て直されるわけがないからです。青空の下に住んでいる人たちが、そのことを一番よくわかっています。(略)

百万都市が廃墟と化したことを正しく認識できなかったのです。今や私はもはや何も感じません。この麻痺した感情がどこから来るのか、私にはわかりません。

 このあとHKはさらにゲッベルスにも批判の矛先を向けているが、野戦郵便においてナチ指導者、とくにヒトラーを批判することは、検閲にかかった際の危険性からもきわめて稀であり、いかにHKが受けた衝撃と動揺が大きかったかを垣間見ることができる。

ハインリヒ・ベルの手紙

ベルも、知性の欠如した戦友たちとの共同生活を忌み嫌っていた。

 もっとも恐ろしいこと、もっともぞっとすること。それは、理性的な言葉を交わすこともできないような数多くの人びとと共同生活を送るということです。それは本当に残酷なものです。……かなりの数のうすのろたちと一緒に、狭いところに閉じ込められるというのは、本当に恐ろしいことです。囚われの身になったかのような気分に非常になりますし、「そこではもはや」私は別の人間なのですし、本来の私ではありません。……もはやそれは人生ではなく、私は別の顔をまとっているのです。別の姿。ああ、とても悲しいことです。

 ベルは、タバコを吸うときに「うすのろたち」に火をもらいにいくのもいやだ、映画館でせっかく静かに一人で座っているのに話しかけられて、愚かな会話の相手をしなければいけないのはぞっとするなどと、嫌悪感をしきりに記している。

(略)

高学歴層の兵士たちがとくに強い違和感を抱いたのが、戦友同士で頻繁に話題となる女性経験の自慢や酒豪自慢、猥談であった。

(略)

「彼らは、自分たちと同じように振る舞わない人間を対等に見なしていない」のであって、軍隊のなかで出世を目指すような「何者かになろうとする人」は、こうした「男性性」の試練を乗り越えなければならなかった。

ダメ上官

「この人〔曹長〕を見るといつも虫酸が走ります。まったく使えない人間で、どうやったら我々にもっともいやがらせができるか考えるだけが仕事なのです。それ以外は一日中食っちゃ寝、もしくは仕事部屋へ行くという状況です。私も彼が嫌いです。みんな彼を無視していますが、それがいちばん良いやり方なのです」というような、無能で怠惰、しかもいやがらせしかしない上官。あるいは暴力をふるう、会話が要領を得ない、詐病であると言いがかりをつける、シュナプス(強い蒸留酒)をため込んで部下に分け与えない、ライオンのように吠え立てる、無意味な作業をさせられるなど、横暴で理不尽、あるいは無能な上官に対する不満に事欠くことはない。

(略)

部隊を離れることになった中隊長についてある兵士は、「人間としては彼に同惰します。彼自身意気消沈していますし、泣き出さんばかりです。彼は試練に耐えられなかったのです」と言いながら、その適性のなさを厳しく批判する。

  後方部隊なら模範的なボスになれるでしょうし、地方でも多分そうでしょう。彼はしばしばあまりにお人好しすぎ、間違ったところで厳格で、確固とした見解をもたず、自信もあまりありませんでした。そして今泣いているのです。……上等兵ふぜいが自分の上官についてこんなことを言うのは悲しいことです。しかしかつての砲兵中隊ではみなそうだったような将校が、ここではほとんど見あたらないのです。苦しみを背負うのはもちろん我々なのです。

(略)

「指導部の上流階級の人びとは、前線で何が起きているのか、まったくわかっていません。前線からの報告が乏しく、彼ら自身苦境をちゃんと理解していないのだとしても、どうしてそういうことになるのでしょう」

(略)

 しかしそうした上官との数々の軋轢にもかかわらず、上官と友好的な関係を構築し維持していくことが、軍隊において安定した生活を送るためには決定的に重要であった。中隊長など直属の上官との強力なコネをもつことで、中隊本部での事務作業など、危険でない安定したポストを得られたり、住居や食糧、車両などが特権的に与えられたり、休暇が希望通りにもらえたり、ときには昇進によって故郷へと戻ることができたりなど、数多くの点で有利な立場に立つことができたからである。

前線と後方

 ラトヴィアの後方地域に滞在していた別の兵士は(略)「不吉な後方根性」への違和感をあらわにしている。(略)

新たに赴任してきた前線経験のない教官のことを、「典型的な陸軍操典下士官」だ、と評価する兵士もいる。(略)

こうした評価の裏側には、ある種の後ろめたさやコンプレックスが潜んでいることもあった。(略)

「三ヵ月も故郷で訓練を受けていると、卑怯者のように思えてきます」と漏らしているし(略)別の兵士も、「おまえは遠く離れたところで突っ立っているわけにはいかない」という、内面から沸き上がってくる衝動を書き記している。

 こうした後ろめたさと、後方にいる兵士たちへの憤りとを頻繁に記していたのが、ベルである。「軍曹や主計将校といったお偉方がうろうろとほっつき歩いている、この小さなねぐらにも、でっぷりと太った首筋をさらし、非常に不安げな眼差しをした、本当に数え切れないほどのならず者たちがいます。銃声を一度も聞いたことがないという人間が、何千人もいます」「後方に下がれば下がるほど、これらの後方地域のならず者たちはどんどん傲慢になっていくのです」「この後方地域ではどこでもそうなのですが、人びとは鈍感で無関心、戦友らしくありません。とくに下劣な事務仕事のならず者たちは……」などと憤りを隠さない。その一方で、妻に会いたい一心からドイツ本国への転属をさまざまに画策していた彼は、次のようにも記している。

ああ、それによって私も兵站の卑怯者という、世の中に存在するなかでもっとも嫌悪すべきならず者の仲間入りを果たすことになるのかどうか、私にはわかりません。

 君も知っているように、今のところつねに良心の呵責を感じています。というのも、私は今まできちんと前線にいたことがないからです。……それでもここ二ヵ月の経験からいえば、すでに二年間「ロシア」にいる兵士のうち三日と前線にいたことのある兵士は30%もいないのです。

負の平等

不安定な戦友意識を「構造的」に安定させる要因があったとすれば、それは(略)「みんなが平等に不幸になることだけが、みんなを満足させられる」という負の平等であったろう。(略)「些細な差異をも見逃さない」嗅覚に優れた兵士たちは(略)全員が等しく不幸なときだけ連帯感が生まれた。もっともやっかみの対象になりやすいのが、一人だけたくさん手紙が来るということであった。とくに大戦末期、「銃後」の家族が避難することで手紙のやりとりが困難になるなかで、家族からの手紙が来る兵士には、やっかみの視線が向けられた。手紙を受け取れなかった戦友たちは不満を募らせ、罵ったり、怒りの表情をあらわにしたりすることがしばしばであった。(略)

故郷から何も送られてこない者たち同士痛みを分かち合おうと44年末に戦友たちと話し合っていた兵士も、翌年家族が無事避難を終えて自分に手紙が送られてくると、すぐさま嫉妬の対象になったという。「私が何かを言うと、我が妻は勇敢で、だからこそ家に残ったのだ、などと彼らは文句を言うのです。言わせておけばいい、私は黙っている。君は正しく行動したんだから」という文面からは、そうした嫉妬のすさまじさを垣間見ることができる。別の兵士も、「一番手紙が来るので、今のところ「一番嫌われている」人間です」「私に対してたくさん手紙が来ることについて戦友の怒りを感じますが、放っておきましょう」と、その視線の厳しさを肌で感じていた。

解離:自己の二重化

戦場に残された破壊の痕跡を目の当たりにしながら、待ち受ける戦闘への投入を前にして、次のように記す。

   私に要求されているようにそんなにうまく、軽はずみに「屍を乗り越えて」いけるものなのかどうか、私にはわかりません。……ある種の夢うつつの状態にいる必要があります。すべては「悪夢」でしかないのですが。実際、ひどく破壊された死の町を歩いてみると、すべてがもはや現実ではないような気がしてくるのです。それは現実ではありえないし、現実であってもならないのです! それから私は冷静になり、もはや仰天することもありません。

  すべてはただの夢なのです!一騒動が過ぎてしまえば、恐怖も最終的に乗り越えられると思います。経験するのではなくただ見ることによって、そして起きたことを現実へと結びつけないことによってのみ、それは可能です。

  人間は機械でなければなりません、人間であってはならないのです。「人間であること」のスイッチを切ることができるなら、それはいいことです。

(略)

そうした二重化戦略をとることによって、すでに主体が何らかの変調をきたしていることに、彼自身気づいていた。

 そしてさらにその10ヵ月後、前線経験を数多く経て大戦末期の東プロイセンにいた彼は、次のような手紙を母親に向けて書き送ることになる。

   ですから私は、他の人間が不幸に見舞われていたとしても、もはや何も同情できません。私ができるのはただ、冷たく笑うことだけです。泣いている女性たちや子どもたちの隊列がひっきりなしに通り過ぎるのをただ冷たく笑う、避難する母親の腕のなかで凍死し、見知らぬ家の前にある机の上に置かれた死んだ子ども、その横には書置きと、誰か同情する人に埋葬してもらえればと百マルクが置かれていても、それを冷たく笑うだけです。これが東プロイセンにおける撤退の様子ですし、同情するということを私は忘れてしまいました。すべての悲惨さがもはや現実のものとは思えなくなって、数々の光景が目の前をただ素通りしていくという感じなのです。そのような悲惨さが現実であるはずがありません!顔を撃たれて血まみれになっている若い奴を見ても、もはや同情は湧いてきません。これはただのまぼろし、おそらくは夢幻なのでしょうか、それとも現実なのでしょうか?

(略)

   かつては戦闘という領域は、私にとって「タブー」でした。とにかくうんざりして、耐えがたかったのです。しかし今ではまったく違います。私は自分の新たな保護装甲を見つけたのです。そこからは何も入り込ませないような立ち位置を。

次回に続く。