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2017-02-22 自由と平等の昭和史・その2 このエントリーを含むブックマーク

前回の続き。


自由と平等の昭和史 一九三〇年代の日本政治 (講談社選書メチエ)

作者: 坂野潤治

メーカー/出版社: 講談社

発売日: 2009/12/11

|本| Amazon.co.jp

第2章『民政党の2つの民主主義――永井柳太郎と斎藤隆夫』田村裕美

植民地獲得の戦争は、当時「悪」ではなかった。(略)

 永井は自由主義政党民政党の幹部の一人でありながら、「平等」という価値にも強く惹かれていた。永井にとっては、遅れてきた日本帝国主義の欧米に対する「自由」だけではなく、眼前の日本の労働者の貧困を救うという「平等」のためにも、植民地獲得は必要であった。

(略)

[1931年]馬場恒吾は、『国民新聞』の「明日の人、永井柳太郎氏」でこう評している。

「彼の根底の信念は、今もなお彼が学生の時の演説そのままである。即ち、彼の目的は、一般民衆の生活の向上という所におかれる。然るに、日本のように領土が狭くて物資が乏しい国においては、国民の生活を豊かにするために、眼を海外に注がねばならぬ。彼の外国留学は、植民政策を研究するためであった。そして、それが一歩進んで外交に興味をもつようになった。外交官の服を着ているが、実質は社会運動家という格好である。

 その腹の底には、日本人の生活を豊かにしたいという欲求がある。だから、普通の社会運動家の如く一足飛びに国際主義になり得ない。(略)」

 しかし他方で永井は、中国で共産党の勢力が大きくなり、日本がその思想に汚染されることをなによりも心配していた。共産党の思想が生活難に喘ぐ層にとって、又、これを救済しようとする者にとっては、大変魅力的であることをよく知っていたからである。

 共産党の思想に汚染されず、しかもブルジョア政党でない政党とは何か。

(略)

 国家主義大衆党とはどういう党なのか、どうやって国家主義大衆党をつくるのだろうか。

(略)

産業は原則として民営に委せるが、国家がこれを統制しながら、ラージスケール・プロダクションを実現して、他方で労資両者間の分配の公正を実現する。

 また、独占的性質を持つ産業は、不労利益の増大の原因になるので、これを国家管理又は国家統制の下に置く。このようにして、「経済組織の非合理性並びに非社会性に発する階級闘争をその根底から防止せんとする」。

 けれども「吾人は原則として自由を尊重する」。なぜなら、「吾人をして最大限度に独創発意の機会を得せしめ、以て天賦の能力を最高度に発揮せしむることが、即ち社会進化の要諦である。従って、吾人は決して公正なる競争を抑圧せんとする者ではない」。

 「併し、吾人は真に公正なる競争を尊重するが故に、公正なる競争と両立せざる特殊産業の国家管理又は国家統制を唱え、公正なる競争に対する最大限の機会を保障せんと欲する」

 ここまで来ると、どう考えてもちょっと苦しい弁明ではないか。しかし、永井の使命感は強引だった。白黒つけるのはこの時期を乗り越えてからでよい。今は目前の危機をなんとか脱するのだ。それが危機に直面した政治家の役割なのだ。

(略)

 「日本並びに日本と経済同盟の関係にある地域の資源、資本、技術及び労力を総動員して、国家の指導統制及び保護の下に、東亜ブロック経済の新機構を確立し、生産の増大、分配の公正によって階級闘争を根絶し、以て、国家更生の大本を確立しなくてはならぬ。国家主義大衆党の使命がそれである」

第3章『「革命」と「転向者」たちの昭和――野上彌生子を読む』北村公子

[事件当時の彌生子の]日記に展開されている独特の理論はわかりにくいが、まとめると次のようになるだろう。(1)二・二六事件は「空前の武力革命」のように見えるが、実は「序曲」にすぎない。(2)なぜなら、先の総選挙の社会主義政党の躍進からわかるように「民衆は軍部のバッコやファッショの台頭」を批判しているのだから「真崎派の仕業」つまり、二・二六事件を認めるわけがない。(3)それでもなお軍部が好き勝手を続け「民のこころを強力で無理に歪めたら」その時こそ民衆が立ち上がり本当の革命が起こり民主主義が実現する。(4)だから今はひたすら我慢して軍部のやりたい放題の末の自滅を待とう。

 しかし、この激しい思いをストレートに作品に反映させないところが、先に中条百合子が指摘したように、彌生子独特の「一種のグツド・センス」である。発売禁止になったりせぬよう細心の注意を払って、「迷路」では次のような表現になる。

(略)

 以上、長々と引用したのは、彌生子の日記と「迷路」とでは、すっかり違っているからだ。日記では軍の暴挙は民衆の反抗(革命)を起こす呼び水になるだろうと書いていたのに、「迷路」では省三が自分が体験した学生左翼運動と重ねながら二・二六事件を分析する形になっている。もちろん当日思いつくままにペンを走らせた日記と、事件後一年近くたってから、人に読んでもらうために小説に書くのとでは、違ってくるのは当然だろう。

(略)

 注目したいのは、彌生子は今度の二・二六事件と先に「黒い行列」で描いた学生の左翼運動とは、理論・目的は異なっていても、由来する根っこの部分には同じ認識があると主張していることである。その認識とは素朴に世の中を変えたいと思うこと、素朴に「革命」をめざすことである。「黒い行列」では平等と自由を求めて、二・二六事件では天皇中心主義を求めて。

 二・二六事件から二日後、省三と小田は兵士が立て龍もっている現場を見に行く(略)

上等兵が出てきて群集に向かって親しげな態度で「此度のことは皆さんに迷惑をかける積りは微塵もない」と、演説するが、群集と兵士の間には「冷やかな無関心がつくる以上の空虚」があった。演説の内容は、二等兵の心情として間接的に表現されるけれども、伏字だらけでわからない。上等兵の演説を誇らしげに見守る幼椎っぽい二等兵を眺めているうちに省三は不愉快になってくる。妄信と忠誠をありありと示し、すっかり軍隊色に染まった二等兵にどうしようもない救いのなさを感じたからだ。しかし、その救いのなさはそのまま自分にもあてはまると省三は気づく。

 社会の表と裏をつぶさに知った木津は、踏みつけにされながら生きて行く陣営に自分がいることを以前にもまして痛感している。株屋にでもなって大金を儲けて世の中を見返してやりたいと思う。が、社会に飲み込まれてしまいそうになりながら次のように言う。(略)

[現在の資本主義的機構は]腐ったり、虫が喰ったりで、部分的にはぼろぼろしてゐる筈のものが、それでがっちり形態を保ってゐる。その巧妙さはとても叶はんと思ふほどで、それにつけても学校の時分、今にも自分らの手で新世界を現出させられる気でゐたのが可愛らしいほど幼稚だった気がするよ。

(略)

軍部からの挑戦である宇垣内閣流産事件について、彌生子はつぎのように記す。

一月二十九日〔昭和十二年〕

 二十五日から今日まで粘ってゐた宇垣氏の組閣が陸軍の反対で陸軍大臣をえられず、終に流産した。(略)数年まへなら宇垣なんぞ出られてはたまらないとかんじてゐた民衆が、その宇垣の出馬でほつと息をついた有様であつたといふのは、いかに日本の状態が急変してゐるかを語るものである。しかるにそれが流産したのである。今後の日本は一歩々々怖ろしい崖つぷちに追ひつめられて行くのである(略)林大将に組閣の命が下つた。

(略)

人気のある近衛が首相となって、国民はかなり期待を抱いたようである。しかし彌生子の見方は異なっていた。

(略)

近衛公が死を覚悟するか、軍部が思ひきつた譲歩をするかしない以上、決して光明は来ない。近衛公も出た以上それ位の事はやらなければたゞ箔を落すために簾から現はれた事になるであらう。

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2017-02-20 自由と平等の昭和史 一九三〇年代の日本政治 坂野潤治 このエントリーを含むブックマーク


自由と平等の昭和史 一九三〇年代の日本政治 (講談社選書メチエ)

作者: 坂野潤治

メーカー/出版社: 講談社

発売日: 2009/12/11

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はじめに――忘れられてきた「対立相克」 坂野潤治

社会的、経済的な「不平等」が全く改められないで、「政治的平等」だけが与えられた時、労働者や小作人や零細企業者はどうするであろうか。1925年に選挙権を与えられた約900万人の新有権者は、選挙を通じて議会変え、議会を通じて政府を動かし、社会的、経済的不平等の是正を図ると考えるのが普通であろう。当時の進歩的な知識人も、言論界も、そう思っていた。[しかし結果は、既成政党が無産政党に圧勝](略)

これ以後「既成政党」はもちろん言論界も、普通選挙制の導入による政治構造の変化という恐怖もしくは期待を完全に忘却(略)

軍ファシズムによる「既成政党」の衰退の方に関心を集中した。

(略)

[戦後の日本史学は]「自由主義」を攻撃する「社会主義」を、「ファシズム」の味方と位置付けたのである。こうなれば、たとえば社会的経済的不平等に無関心だった斎藤隆夫は、左右のファシズムに反対した唯一の「自由主義者」になる。不幸なことに、ファシストの前身は、ヒットラーもムッソリーニも「社会主義者」であった。こうして1936、37年の社会主義者[社会大衆党]は、真中の「自由主義者」を飛び越えて、最右翼の軍ファシズムの同調者として片付けられてきた。

(略)

「社会主義」陣営において、「自由」よりも「平等」を重視しつづけ、その観点から「既成政党」との対決を最優先したのは、社会大衆党の主流派であり、彼らはそのためには陸軍内の同様のグループに接近することも厭わなかった。彼らの立場は、「自由」よりも「平等」を基準とする点で、「社会民主主義」と言うよりは、「国家社会主義」と呼んだ方がいい場合もあった。しかし、このグループをその「国家社会主義」的側面から「ファシスト」と決めつけてしまっては、普通選挙下での社会的経済的不平等を求める中下層国民の健全な姿を見失うことになる。(略)

「反ファシズム」の掛け声の下に、旧来の資本家と地主を基盤とする政党政治の復権を求める者と、たとえ「親ファシズム」と呼ばれる危険を冒しても、社会的経済的不平等の是正を普通選挙下の政治に求めようとした者たちの対立は、軍ファシズムと自由主義者の対立と同程度の激しさを持っていたのである。

(略)

われわれが「自由」中心型の政治家や思想家の代表格として選んだのは、評論家馬場恒吾である。(略)

自由を中心に1930年代のデモクラシーを考えていた馬場恒吾に対し、同じ昭和のデモクラシーを「平等」を軸に考えていたのは、吉野作造の弟子筋にあたる行政学者蝋山政道だった。彼は新興の社会大衆党の成長の中に、既得権にこだわる自由主義者の限界を乗り越える、「政治」の可能性を見出していたのである。

(略)

 常識的に考えれば、1936年2月の青年将校の反乱は、その六日前の総選挙での民政党の増大と社会大衆党の躍進とに、真向から対立するものであった。「自由」と「平等」が「テロ」によって脅かされたのである。しかし、野上彌生子の小説の主人公たちが昭和の初年に最重視したのは、「自由」でも「平等」でもなく、「革命」であった。彼らは「転向」後にも、この「革命」幻想を捨て切れなかった。

 このような観点から、彼ら転向者は、青年将校のテロを、「自由と平等」の敵と簡単には片付けられなかった。彼らは、方向は正反対なことは十分に知りながらも、二・二六事件の中に、かつて自分たちがめざした「革命」の夢の一端を見出していたのである。少なくとも彌生子は、小説の中で、このような転向左翼のねじれた心情を描いている。

第一章 『反ファッショか格差是正か ――馬場恒吾と蝋山政道』 坂野潤治

1937年1月に、天皇の組閣の大命を受けながら陸軍の反対で宇垣一成が組閣を断念(略)

[戦後、10年前の組閣失敗について宇垣は]

[訪ねてきた人から]世相を聴くと、『どうも陸軍一部の動きが変だ。近い中に何か外に対して事を始めるのぢやないか。それはロシアに対してやるのか支那に対してやるのか、その二つの中何れかに対して事を始めようといふ企てがある。何かやるに違ひない。』、斯ういふことであつた。

 そこで私は考へた。『これはどうも大変な事だ、その当時の日本の勢といふものは産業も着々と興り、貿易では世界を圧倒する。(略)英国を始め合衆国ですら悲鳴をあげてゐる。(略)[安い]日本品とは競争が出来ぬ、といふことになつて来かけてをる時である。この調子をもう五年か八年続けて行つたならば、日本は名実共に世界第一等国になれる。……だから今下手に戦などを始めてはいかぬ。(略)併し戦争をさせぬやうに抑へて行くには凝つと政界を視渡してをつても、これがやれさうな人は見へぬ。殊に震源地が陸軍にある、問題の中心が陸軍にある。その陸軍育ちの人間としては自分が自惚れではないけれども年の甲を積み相当に重きをなして来てをるのだからやはり我輩がもう一度犠牲となつても之を脱線させぬやうにやる為に出なければならぬ』と考へた」『宇垣一成日記』

 ここで宇垣が回想しているのは、対ソ、対中戦争を回避して経済大国化路線を続けるために陸軍の長老たる自分が出馬を決意した、ということである。(略)

ここで重要なのは、第一に宇垣は戦争回避だけではなく、「憲政とフアツシヨの流の分岐点」にあって「憲政最後の防波堤」たらんとしたという点である。1937年1月に宇垣は、戦争か平和か、ファッショか憲政かの「分岐点」を見出していたのである。

 第二に、宇垣は自己の組閣を阻止する陸軍に対して、政友会や民政党が一斉に反撃することを期待していた点である。戦争とファッショに対して、いわゆる「既成政党」が一大反撃に出ることを、宇垣は信じていたのである。

 たしかに太平洋戦争を経験した戦後の日本人の目からすれば、穏健な陸軍長老を首相にして、全議席の約八割を握る政・民両党が結束して戦争と軍ファシズムを阻止するという構図は、文句のないシナリオに映るであろう。

 しかし、このシナリオが最善に見えるのは、八年後の敗戦時から振り返るからである。(略)

[普通選挙から12年、政治的平等だけでは満足できなくなっていた]

 そのような時に、「大正デモクラシー」の成果の上に10年以上もあぐらをかいてきた政友会と民政党に、反戦反ファッショのために我々の連立内閣を支持せよと言われても、漸く上昇気流に乗りつつあった社会大衆党が首を縦に振るとは限らなかった。彼らにとっては、宇垣内閣の流産は、特に悲しむべきものではなかったかも知れないのである。

(略)

「既成政党」が反軍反ファッショの声を挙げ、躍進する新興の社会主義政党がその「既成政党」を攻撃するという民主勢力間の“ねじれ”を、知識人たちがどう見ていたのか

(略)

[37年5月中央公論主催の座談会における、馬場恒吾、清沢洌]二人の自由主義者の観点は100%戦後の「昭和史」理解に受継がれてきたものである。戦争とファシズムという対外対内の危機を前にして、農村地主と財界を基盤とする「既成政党」を守れ、という主張である。

(略)

[一方]蝋山は「既成政党」の方こそ、労働者、小作農、中小企業者らの不満を背景に躍進を続ける社会大衆党に歩み寄れ、と反論

(略)

[ロンドン軍縮会議において、日本は不当に譲歩した、浜口首相は天皇大権を干犯したと主張する政友会]

五・一五事件で倒された政友会の不人気は、その腐敗性にあるのではなく、そのファッショ性に原因するというのは卓見である。しかし衆議院に過半数を占める政党を政権につけないという二大政党制論があり得るであろうか。

 ファッショ的な政友会を嫌悪し、微弱すぎる新興の社会民主主義政党(社会大衆党)にも期待できないとなれば、馬場としては「既成政党」の第二党である民政党に頑張ってもらう以外にはなくなる。

(略)

しかし、馬場は皇道派や政友会のような日本主義的なファッショだけではなく、陸軍統制派と政治化した官僚(新官僚)と社会大衆党が結んだ「合法フアツシヨ」に対しても、強い警戒心を抱いていた。

(略)

しかし、1932年2月の第18回総選挙で466議席中のわずか146議席(政友会は301議席)にまで凋落した民政党一党だけに頼って、他の全ての勢力を「フアツシヨ」もしくはその同調者と位置づける、馬場の議論は、著しく現実味を欠く。

 この弱点を補うため馬場は二大政党制論にしがみつく。たとえファッショ的でも政友会を二大政党制の一極として他の諸ファッショ勢力とは違って尊重するのである。(略)

以上のような馬場の主張は1936年2月の第19回総選挙において実現の寸前にまで至った、政友会が71議席を減らしたのに対して民政党は78議席を増加させた。[民政党:250、政友会:171、社会大衆党:18](略)

二大政党の間では平和外交で自由主義の民政党が優位に立つ、これが1936年2月20日の総選挙までの馬場恒吾の自由主義だったのである。

[一方、蝋山は社会民主主義者として既成政党と社会大衆党との二大政党論者だった]

馬場の「立憲独裁」への転換

「立憲的独裁」という概念で眼前の政党政治の衰退を分析したのは日本では、蝋山政道が最初であろう。彼のすごいところは1932年の五・一五事件による政党内閣の崩壊の後で、「立憲的独裁」の到来を自覚したのではない点にある。それより4ヶ月に前に(略)彼は「憲政常道と立憲的独裁」と第する短文を発表している。(略)

[第二次大戦]後の民主主義体制への復帰を知っていた、ロシターにとっては「立憲独裁」とは、危機が克服されたら再び民主主義体制に戻るという約束のもとに行われた、いわば期間限定的な独裁だった。(略)

[蝋山は]ロシターよりもはるか以前に、ファシズムでもスターリン独裁でもない危機克服体制として「立憲独裁」を考えていたのである。

(略)

[二・二六事件を境に馬場も蝋山も微妙に変化]

執拗なまでに、既成ニ党による二大政党制を主張してきた馬場は、二・二六事件を機として、政民連携論に立場を変えた。陸軍内の穏健派と、政民両既成政党の協力による議会政治の復活、という主張に変わってきたのである。これは数年前の大恐慌時に蝋山が一旦は覚悟した「立憲独裁」論への馬場の転換である。

 他方蝋山の方も、社会大衆党を軸としながらも、かつての「立憲独裁」論に回帰しようとしていた。

(略)

「政党が連合した内閣が出来」るには、もう一つ条件が必要である、と馬場は説く。陸軍が国家社会主義的なイデオロギーから脱して、国防充実の一点に専念することである。馬場はこれを、「広義国防」から「狭義国防」への転換と呼んでいる。(略)社会大衆党などの主張の逆手を取ったものである。(略)

物分りの良くなった陸軍と、「既成政党」との協力による「狭義国防」の実現という馬場の構想は、近衛文麿の下に新政党を作って、国防と社会改造を実現しようという社会大衆党を孤立させようとするものであった(略)

ここで注目すべきことは、軍部が近衛を担ぐ新党運動から手を引くことが、「狭義国防」と同じことと位置づけられている点である。(略)馬場は社会大衆党が否定の対象として掲げた、「狭義国防」と「政民連合」のセットを、はっきりと選んだのである。(略)

それは戦後外交の用語を使えば、「抑止力」論とでも呼ぶべきものであった。すなわち陸軍の主張する対ソ戦準備の軍拡計画を容認しながら、「政民連合」の力で戦争の勃発自体は押さえるというもので、戦後の米ソ冷戦体制に酷似した構想だったのである。

(略)

 国内的には陸軍の合理主義者(たとえば石原莞爾)と政民連合の協調、対外的には「日ソ冷戦体制」の堅持、これが日中戦争直前の自由主義者の橋頭堡だったのである。(略)

[再度説明]

陸軍が両既成政党の意向を尊重するのだから、両党を通じて議会の意向をも尊重することになる。その点では、この体制は明らかに「立憲的」である。しかし他方で、衆議院の八割以上を占める両党が協力して陸軍の対ソ戦準備を支持することが、この体制における政党側の譲歩である。そうだとすれば、国民の側には、あるいは議会の側には、これ以外の政策、これ以外の体制を選択する余地はない。(略)

この点で馬場構想は明らかに「独裁的」だったのである。馬場構想は、「立憲的」であると同時に、「独裁的」だったのである。

「粛軍演説」を「旧潮流」とした蝋山

 当時の論壇でも今日の学会でも、二・二六事件に正面から対抗した者といえば、必ず民政党の斎藤隆夫の名前があがる。(略)有名な「粛軍演説」がそれである。

 しかるに蝋山は、この斎藤演説を「旧潮流」の典型として切って捨てる。(略)

斎藤の「極めてエレメンタルな立憲主義論」が大受けした理由は、二・二六事件により「立憲主義」が脅威にさらされたためである。しかし、単なる「立憲主義」の再確認だけで、議会政治は復権できるであろうか。蝋山の答えはノーである。(略)

彼は斎藤隆夫の立憲主義を「旧潮流」と呼び、自分の「憲法の範囲内」での「革新」を「新潮流」と位置付けているのである。[それはどんなものか?](略)

何らかの形での政民両政党内の改革派の台頭に期待する蝋山は、その勢力と躍進する社会大衆党との提携を求めていた。(略)

 改革された「行政機構」と無力化した「議会」をセットにした上で、蝋山はどうやって「国民大衆との関係を改善」するつもりだったのであろうか。もし議会における社会大衆党と政民反主流派の勢力増大が可能ならば、「行政機構改革」は「議会改革」を通じて「国民大衆」との関係を再構築できる。この場合には、馬場とは別の意味での「立憲独裁」が成立する。(略)

要するに自由主義者馬場恒吾は、政民主流派に片足を置いた「立憲独裁」を、社会民主主義者蝋山政道は、社会大衆党と政民反主流派に軸足を置いた「立憲独裁」を唱えていたのである。

二人の時代の終焉

日中戦争が本格化し長期化するに従い、両者[馬場、蝋山]の路線対立そのものの意味がなくなっていくのである。

 馬場について言えば、言論を通じて議会・政党に影響を与える自由がなくなり、反対に言論の自由が唯一与えられている議会の言論を読者に伝達するのが精一杯になってくる。しかもその議会・政党そのものが政府批判を口にしなくなれば、馬場には言論人としての仕事がなくなる。(略)[日中戦争が本格化する中]馬場は言論の不自由と議会の職責放棄を厳しく批判している。

 彼によれば、言論界は自国の立場と内情を世界に伝える一種の外交機関でもある。しかるに「日本の言論機関も近年必ずしも自由と云へない。従ってそれが如何なる程度に日本を外国に諒解せしめ得たかゞ不明である」。しかし日本には議会がある。「議会政治がまだその機能を失はない国に於ては、その国の政府の真意が何処にあるかは、大抵議会に於ける質疑応答に依って明かになる」。しかるに今日では、「日本の議会は国策の決定に対して、国民の代表機関たる職責を充分に尽くしてゐるか否かゞ疑問である。……議会の方針は政府を後援するにありと云ふのは、われわれ門外漢の俯に落ちないとする所である」。言論界と議会を日中戦争に奪われた時、馬場の時代は終わったのである。

 それにひきかえ、蝋山政道の方は、近衛内閣のブレインの一人として活動の幅を広めていった。しかし、昭和研究会を率いて近衛首相の一種のシンク・タンクの中心メンバーとなってからの蝋山の言論には、議会や政党を「下から」変革しようとしていた日中戦争以前の活気が全く感じられない。(略)

馬場とは別の意味で、蝋山の時代も終わったのである。

(略)

[戦争とテロの1930年代だったが]

本章で明らかにしたように、この八年の間、自由主義者馬場恒吾も社会民主主義者蝋山政道も、自己の政治的主張を実にいきいきと公表している。筆者が「大正デモクラシー」ならぬ「昭和デモクラシー」という言葉で1930年代を語りたいと思ったのは、彼らの堂々とした言論活動に感動したからである。

 それならば何故に彼らは、侵略戦争とテロと天皇制の強化を抑えられなかったのか、と人は問うであろう。この問いに対する答は、もちろん多様である。その中で、本章が明らかにしたのは、悲しいまでの「自由」と「平等」の正面衝突である。馬場は「自由」の旗手であったが、「平等」については驚くほど無関心であった。他方、蝋山が「自由」を嫌ったとまでは言わないが、彼は金持の「自由」よりは貧窮する大衆のための「平等」の方をはるかに重視した。(略)

馬場恒吾と蝋山政道が、あるいは政民両既成政党と社会大衆党とが一つになれば、議会は「自由」と「平等」の合法的機関となり、侵略戦争とファシズムを、ある線までで止められたに違いない。しかし、今日にあっても、「構造改革」と「格差是正」の声が一つになる可能性はない。そしてそれが一つにならないかぎり、「自由と平等」がこの日本を支配することはできないであろう。1930年代の日本の知識人が「自由」のために、また「平等」のために努力しなかった訳ではない。彼らは今日のわれわれと同じように、「自由」と「平等」の両立に失敗しただけなのである。

次回に続く。


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2017-02-16 文化系のためのヒップホップ入門 長谷川町蔵 大和田俊之 このエントリーを含むブックマーク


文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)

作者: 長谷川町蔵, 大和田俊之

メーカー/出版社: アルテスパブリッシング

発売日: 2011/10/07

|本| Amazon.co.jp

大和田俊之はいかにしてヒップホップにはまったか

大和田 僕はあれ[アシッド・ジャズ]がぜんぜんダメだったんです。でも、そのダメというのはわからないという意味ではなくて、逆にわかりすぎてしまうというか、70年代ソウルを何も考えずに今やるとこうなっちゃうよね、みたいな気持ちが強かった。これだとサウンドがあまりに殺菌されていてつまらないなあ、と。だから、あのとき全力でヒップホップに行くべきだと直感的に確信して、何度か試したんですよ。デ・ラ・ソウル[etcで](略)

これでリアルタイムの黒人音楽にハマれるかもしれない、と一瞬盛り上がった。そしたらギャングスタ・ラップが出てきたんです(笑)。あれには完全にお手上げでしたね。(略)

[ドクター・ドレーとかは]これなら僕はおとなしく[元ネタの]Pファンクのアルバムを聴いてます、という感じでした。

 それ以来、ヒップホップ音楽がどのような広がりを持ったジャンルなのか見えないまま、何度かトライしては挫折するっていう、その繰り返しで。(略)使われている元ネタはわかる。(略)

それなのに、彼らがやろうとしている音楽がどうしてもわからない。わからないというか、だったらオリジナルのソウルやジャズの曲を聴いてた方がいいじゃないかってずっと思っていたわけです。それがですね

[5年前フジロックではしゃいで全治4ヶ月の骨折をして入院中にゲームのデビューアルバム『Documentary』を聴いてはまった]


Documentary

アーティスト: Game

メーカー/出版社: Aftermath

発売日: 2005/01/18

|CD| Amazon.co.jp

ジャマイカとヒップホップ

長谷川 (略)[レゲエができた]この時期、ジャマイカからアメリカへの移住が激増するんです。その多くはニューヨーク市に流れ込みました。67年に10代前半だったクライヴ・キャンベル――のちにヒップホップを発明する人なわけですけど――彼の一家が向かったのはマンハッタンの北にあるブロンクスでした。

(略)

[サウス・ブロンクスの少年ギャング団にはニュー・ソウルやフィリー・ソウルは洗練され過ぎで、JBとかのファンクを持ち寄って“ブロック・パーティ”をやるように]

で、ここでクライヴ・キャンベルの出番なんですけど、彼は自分の身を守るために体をきたえたらムキムキになって「ハーキュリー→ハーク」と呼ばれるようになって、自ら「格好いいハーキュリー=クール・ハーク」を名乗るようになります。まあ、ジャイアンみたいな感じですね。その彼が、故郷ジャマイカのサウンド・システムをブロック・パーティに持ち込んだ。巨大なスピーカーで重低音をバンバン利かせて客を圧倒したそうです。これが73年8月のことで、ヒップホップ誕生の瞬間と言われています。パーティの目的は、ハークの妹が新学期に着る洋服代を稼ぐためだったそうで、ヒップホップはジャイアンのジャイ子への愛から始まったんですよ。

(略)

[やがて他の連中も真似するように]

ブラック・スペーズの大幹部に10代半ばでなったアフリカ・バンバータっていう伝説の番長です。彼はハークのDJプレイに非常に感動して、俺もやると。バンバータは番長なんだけど同時に音楽マニアで。(略)

彼もジャマイカ移民とバルバドス移民の息子みたいです。

(略)

音楽を評価する基準も変わってしまいます。DJたちにとってはニール・ヤングよりもスティーヴン・スティルスの方が遥かに偉いんです。理由はレコードに良いドラムブレイクが入っているから。

本歌取り

長谷川 (略)ブロック・パーティ時代に作られたラップのフレーズやパンチライン、発見されたブレイクビーツって(略)「万葉集」なんですよ。作者のわからない詠み人知らずが多い(笑)。ヒップホップっていうのは要するに「新古今和歌集」であって、「万葉集」時代に蓄積されたものをどう発展させていくかっていうゲームなんですよ。

大和田 本歌取りですね。

長谷川 日本人はよく、なんで同じ音楽ばかりサンプリングして、新しい音楽を使わないんだって批判しますけど、それは完全に筋違いなんです。

大和田 それは本当にそのとおりで、あえて図式的にいうと西洋文化にオリジナリティ信仰があるとすると、黒人文化はむしろ本歌取りと同じで、同じ言葉に違う意味を与えて歌ったり、逆に同じ意味を違う言葉で歌ったり、変奏やバリエーションが特徴だといえます。それこそが先ほどいった「シグニファイング」の意味するところで、ひとつの元ネタをいかに変奏するかに面白みを見いだしているんですね。

長谷川 最初はジャズもブルースも同じテーマを変奏していたのに、どこかでオリジナル信仰に取って変わられてしまった。でもヒップホップには未だにそれが残っているんです。

ヒップホップとニューウェーブの蜜月期

大和田 [著作権で揉めた]ナイル・ロジャーズが<Rapper's Delight>のことを聞きつけたのはブロンディ経由だったそうですね。

(略)

長谷川 すでにグラフィティはダウンタウンのアート・シーンに受け入れられていたわけです。そこで人気者になっていたファブ・5・フレディってブルックリン出身のグラフィティ・ライターが仲介役になって、ダウンタウンの「ネグリル」や「ロキシー」ってクラブがバンバータやハークをDJに呼ぶようになっていく。そこでブロンディやトーキング・ヘッズのメンバーとの交流が生まれて、ザ・クラッシュがニューヨーク公演の前座にグランドマスター・フラッシュを起用したり、逆にラッパーたちが99レコーズっていうニューウェーヴ・ファンクのレーベルのレコードを引用したりと相互に影響を与え合った。81年にはアーサー・ラッセルがスリーピングバッグ・レコードを設立して、ヒップホップをリリースし始めます。周辺にはジャン=ミシェル・バスキアやヴィンセント・ギャロみたいな連中がフラフラしてて……。

オールド・スクール・ヒップホップの衰退

大和田 オールド・スクール・ヒップホップは今聴くと音がだいぶ不自然ですね。

長谷川 ご指摘の通りで、オールド・スクール・ラップが衰退した原因としては、すでに80年代に入っているのにオケがディスコ・ノリのファンクで、当時としても古かったっていうのがあると思います。音もあまりにツルツルしていて、ブロック・パーティの粗っぽいノリがないし。


Jungle Music

アーティスト: Walter Gibbons

メーカー/出版社: Strut Records

発売日: 2010/07/20

Amazon.co.jp

ヒップホップとハウスとの関係

長谷川 ハウスDJの始祖と言われるデヴィッド・マンキューゾやラリー・レヴァンの初期のセットリストを見ると、ハークやバンバータとあんまり変わらないんですよ。ウォルター・ギボンズはビート部分を2枚がけしてDJをやっていたそうだし。でもだんだんバスドラムの4つ打ちにビートが均一化していきます。ヒップホップはディスコから影響を受けながらもアンチ・ディスコの側面も強いんですけど、対してハウスはディスコ原理主義ですからね。バスドラ4つ打ちを媒介にすべての要素を仲良く融合しようとする。かつディスコ文化を支えたゲイ・カルチャーに寄り添った音楽ですよね。

(略)

大和田 ヒップホップとハウスは両方ともディスコをそのルーツのひとつとしながら、片方は女性蔑視的な性格を帯びつつ、もう片方はゲイ・カルチャーを継承するわけですよね。(略)

長谷川 でもそれはブルースとゴスペルの関係に近いのかもしれませんよ。ヒップホップの歌詞が具体名を細かく語っているのに対して、ハウスの歌詞って抽象的なんですよ、「今夜は大丈夫!」とか。異常にポジティブで「土曜の夜のゴスペル・ソング」みたいなところがある。

(略)

ハウスもテクノもループ主体の音楽なのに、ヒップホップほど商業的に大きくならなかったのは、ディスコから受け継いだ匿名性や、音楽の中にある超越性のせいなのかもしれません。

ユダヤ人とヒップホップ

[ビースティもリック・ルービンもユダヤ人という話から]

大和田 そもそもアメリカのエンタテインメント産業には最初からユダヤ人が数多く関わっていますが、ユダヤ人と黒人の関係はすごく込み入ってるんです。古い例では、戦前のアメリカでもっとも人気のあった歌手アル・ジョルソンもユダヤ人で(略)

[顔を黒塗りにする芸は]ヨーロッパでは15、16世紀にもみられますが、アメリカでは19世紀(略)白人が顔を黒く塗って黒人のモノマネをするミンストレル・ショーが当時の観客に熱狂的に支持されたわけです。(略)

『ジャズ・シンガー』は主人公[のアル・ジョルソン]がユダヤ教のラビである父親に反発してジャズ・シンガーになる話ですが、背景にはそういうことがあって。要するに、主人公がブラックフェイスにして「黒人をマネる」ことでユダヤ人としてのアイデンティティを隠す、というのがこの作品の隠れたテーマになっているわけです。

(略)

観客は目の前の芸人は「黒人」のふりをした「白人」であると思ってるわけです。すると、アル・ジョルソンが黒塗りにした瞬間に彼は「ユダヤ人」ではなく「白人」としてのアイデンティティを獲得して、相対的な階級上昇が可能になる。これは逆にいえば、黒人の背後でじつはユダヤ人が……

長谷川 すべてを操っている、と。

大和田 そういうふうにイメージを操作しているというか、ステージに立つのは黒人でじつは背後にユダヤ人がいる、そういう構図はアメリカの音楽産業でそれこそ100年以上にわたって続いてます。そもそも20世紀初頭のティンパンアレーの音楽もそうだったともいえるし。(略)

当時のヒット曲で「ジャズ」や「ラグタイム」といった言葉がつく曲の多くはユダヤ人が作曲したものです。彼らはとくに黒人文化を熱心に研究したわけではなく、人々が持つ漠然とした「黒人のイメージ」にあわせてヒット曲を量産しました(略)

[<ホワイト・クリスマス>のアーヴィング・バーリンも]

ユダヤ人なのにクリスマスですからね(笑)

(略)

僕らがいま黒人音楽に抱く「黒人らしさ」のイメージはユダヤ人が作り出してきたという言い方もできると思います。じつは、アメリカの黒人が外の世界から隔絶して純粋な「黒人音楽」を作り出したことは一度もないんですよ。それは常に白人やユダヤ人の先入観に晒されるし、黒人自身がそうしたステレオタイプを内面化することもあります。

(略)

要するにそうした人種間のイメージが絶えず交換されながら半ば虚構としての「黒人音楽」が立ち上がる、そういう風に考えた方がいいのではないかと

ドクター・ドレー<Let Me Ride>

[NWA脱退後のソロ、ドクター・ドレー『The Chronic』]

長谷川 いかに車で気持ちよく響くかを考えた結果、サンプリングの音はモコモコしているから生演奏に差し替えようって判断になったんでしょうね。(略)

それとBPMが遅い。NWA時代の曲は110前後の曲が多いけど、このアルバムは90前後なんじゃないかな。最初に聴いたときはぜんぜんピンとこなかったんですけど、偶然カーステで聴いて、これは車で聴くための音楽なんだって分かったんです。港北ニュータウンの片道が3車線くらいある、まったく人気のない場所をダーッと走っていた時にこの曲を聴いて、ゾワゾワッと鳥肌が立った記憶があります。

大和田 それはよくわかります。あのあたりはだだっ広いところに立体交差が突然現れて、夕暮れ時に走ると近未来的な雰囲気がありますよね。しかも郊外の殺伐とした感じもあるし、車は走っているのに時間が止まったような感覚もある。ポストモダンの特徴は時間の感覚が希薄になって空間が前景化するという言い方をする人がいますが、あのあたりはまさにそう。逆にいうと、パーラメントだとサウンドが人間的/肉体的すぎるのかもしれない。ドレーは生演奏だけど無機質で、それこそ人口密度が低い感じを出したかったのでは? それにしても『クロニック』の低音は本当にかっこいいなあ。

長谷川 このアルバムって全曲カラオケ大会かってくらい原曲をそのまま使っているんですよ。Pファンクとか……

大和田 ダニー・ハサウェイの〈リトル・ゲットー・ボーイ〉もまんま使ってます。

長谷川 でもダニーヘのオマージュというより、自分たちの音楽として鳴らしているんですよ。ヒップホップの世界は僕らとは著作権の考え方が違っていて、世に出てみんなに愛されたらそれはコミュニティの財産。だから、みんなに喜んでもらうために共有財産をストレートに使うという発想がでてくる。ドレーっていわゆるミュージシャン・エゴが欠落しているんですよ。サウンドのクオリティの追求に関しては完全にパラノイアなんですけど、それはあくまで、コミュニティの日常を彩るツールとしての機能を上げんがためなんですよ。でも、もしかするとドレーだけじゃなくて、ヒップホップ自体が自己表現するための音楽ではなかったんじゃないかって思い始めたら、オセロの石がバーっと白から黒にひっくり返るようにヒップホップの聴き方が変わってしまったんです。(略)

[ニューウェーヴ的な価値観から解放されて]

ようやくヒップホップが分かったような気がした。ヒップホップは「新しい/古い」ではなく、自分たちが「今」いる「この」場所のドキュメントなんですよ。リリックもそうで、ギャングスタ・ラップって常に内容が批判されるじゃないですか。でもキワどい話って仲間うちでは共有されているもので、一種のフォークロアですからね。


2001

アーティスト: ドクター・ドレー

メーカー/出版社: ユニバーサル ミュージック

発売日: 2016/01/06

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究極の音響系=ドクター・ドレー

[『2001』収録<Next Episode>]

大和田 このアルバムも聴けば聴くほど、サウンド・プロダクションがすごいな。

長谷川 この頃、トータスが「音響系」と呼ばれてもてはやされていたけど、ドレーこそが究極の音響系ですよ。彼がこのアルバムで何をやったかというと、既存曲のサンプリングをほとんどやめてしまった。生のプレーヤーにジャム・セッションさせて、そこから最小限のパーツをつまんで曲を作ってます。ブロック・パーティ以来、ダンサーが求め続けて、トラックメイカーが既存のレコードから探し続けてきた、ループの快楽のコアの部分だけ提示しちゃった。

大和田 実際にミュージシャンにプレイさせて、パーツだけ切り取って組み合わせる手法はスティーリー・ダンの『ガウチョ』を彷彿させますよね。人間的なグループをストイックに抑圧することで無機質なノリが倒錯的に響いてくるというか。


ハートビート+2(紙ジャケット仕様)

アーティスト: カーティス・メイフィールド

メーカー/出版社: ビクターエンタテインメント

発売日: 2009/03/25

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メアリー・J・ブライジ

長谷川 (略)彼女以前と以降ではR&Bがまったく違った音楽になってしまったんです。(略)

[メアリーの<Be Happy>はカーティス・メイフィールド『ハートビート』の<You're So Good to Me>]のイントロのループに違うメロディと歌詞を乗せているんです。

大和田 ラップを乗せたのではなく、別のメロディで歌っているわけですね。

長谷川 メロディが原曲より不明瞭ですよね?ホーンのソロ・パートみたいにウネウネしている感じ。ブランフォード・マルサリスがインタビューで「メアリーのフレージングに影響された」って語っているくらいで。彼女自身は明快なサビメロを歌わないんですよ。サビ自体はバックコーラスに任せて、彼女は合いの手とかフェイクを入れる。つまりスタンスがラッパーと同じなんです。

大和田 なるほどそうか!メロディなんだけど発想としてはジャズのインプロヴィゼーションに近いわけか。同じコード進行の上で、違うメロディを作曲するという意味でビバップ的でもある。しかもループが続くということは原理的にサビがないということですよね。

(略)

長谷川 ニュー・ジャック・スウィング世代のアーティストって、ヒップホップ・ソウルがもたらしたこの劇的な変化に気付かずに、徐々に落ち目になっていくんですけど、R・ケリーという人だけは違いました。これは初期のヒット曲の<She's Got That Vibe>(1992)です。(略)

この時点ではメロディとコードから曲が作られています。でもケリーは変化に対応するためにこうした曲の作り方を止めてしまうんです。歌に感情をこめるというより、いかに歌をビートに気持ちよく乗せられるか、つまりフロー重視になる。歌詞は韻を踏みまくって、トラックもループ状にして、曲の構造を完全にヒップホップにしてしまった。これは03年の<Ignition>という曲です。

大和田 おお、たしかに聴きくらべるとぜんぜん違う!

長谷川 R&Bシンガーとしてのテクニックやプライドをあっさり捨てたってことが、すごい。本当はもっと歌える人なのに敢えて上手く歌わないんです。歌いこむとノリが悪くなっちゃうから。(略)

本人もラップ・シンギングって言っています。これでR・ケリーはR&B界のキングみたいな存在になりました。今の若手はみんなケリーの影響を受けていますね。で、この流れがTペインまで繋がっていると思うんです。

大和田 (略)ざっくりまとめると、ニュー・ジャック・スウィングがヒップホップとR&Bの融合だといっても、それはあくまでもR&Bの土台のうえにラップが乗っただけだった。ところがメアリー・J・ブライジや今聴いたR・ケリーはそもそもの基礎がヒップホップになっていて、そこに歌が乗っている。そしてこのふたつのジャンルは似ているようで決定的に違う――といったとこでしょうか。

長谷川 だからR・ケリーっていわゆるソウル評論家には手放しに褒められることがないんですよ。逆に時代に乗り遅れたキース・スウェットの方が絶賛されたりするんです。(略)

大和田 (略)じつは別の視点から同じようなことを考えていました。つまり100年以上に及ぶアメリカ黒人音楽史の重心をどこに置くかと考えたとき、R&Bやソウル(略)の流れはむしろ傍流なのではないか、と。本流はあくまでもブルース、ジャズ、ファンク、そしてヒップホップなんですよ。(略)

後者の流れは突きつめればループ、いわゆる反復音楽です。それに対してR&Bやソウルは反復音楽ではないですよね。つまり、楽曲に〈構造〉があるということです。(略)むしろクラシック音楽やポップスに近いんです。(略)

でも先ほどいったように反復音楽にはサビはありません。言い換えれば、クライマックスが常に先送りにされる宙づり状態が延々と続いているともいえます。

(略)

黒人音楽の歴史を俯瞰してみたときに、R&Bやソウルのほうがむしろ例外なのではないか、ということです。

ヒップホップとロック

長谷川 (略)[ロックは]「資本主義社会の中核を担う中産階級からのドロップアウト」ですよね。(略)

でもヒップホップは反対なんです。資本主義から締め出されちゃっている人が、資本主義に参入していくための手段として始める音楽だから、「ドロップアウト」ではなく「イン」なんです。(略)

人気者になると彼らが夢見ていた資本主義社会の成功者になるわけです。(略)

[高級車や宝石を買うことに]自己矛盾はまったく無いんです。


Chocolate Factory

アーティスト: R Kelly

メーカー/出版社: Jive

発売日: 2003/02/18

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