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2005-01-30 日英同盟―日本外交の栄光と凋落 このエントリーを含むブックマーク

2004-11-25(id:kingfish:20041125)に続いて、日英同盟の話。

日英同盟―日本外交の栄光と凋落

日英同盟―日本外交の栄光と凋落

なんだかんで地中海へ派兵して死者を出してた大日本帝国。

こんな心配しておいて日本人もイギリス人をドイツ人と間違えて捕虜にしたりするのだが。

小村外相は、日露戦争が始まれば、日本と組んでロシアと戦おうと意気込む中国に中立を維持するように働きかけ、同時に、戦域をできるだけ限定するように軍部に要請した。これは、中国の参戦によって列国との関係が紛糾して中国全土が混乱に陥るのを防止し、日英の権益を保全しようという深謀であった。中国人にはロシア人とほかの白人の区別が難しいので、収拾不可能な事態が起こるのではと小村はまじめに心配していた。

第一次世界大戦勃発

8/3 加藤外務大臣、駐英大使にいつでも同盟発動しますよと伝える

8/4 英国は日本に軍事支援を求めない旨

8/7 前言撤回、ドイツ武装商船のみの攻撃を依頼。軍事協力を限定しようとする英国に日本は反論。商船を攻撃すればドイツと戦争状態になるにもかかわらずドイツ軍艦は見過ごせというのは理不尽である。なぜに英国の態度が二転三転したかといえば。

[日本の立場]日清戦争補償でのドイツへの恨み、輸出停滞、軍費増大etcを解決する「大正新時代の天佑」である。一方でドイツが勝つかもしれないから戦況がはっきりするまで中立で、いや戦争して消耗しないようずっと中立でという考えも。

[英国の立場]どさくさに紛れて日本に好き放題やられたくはないが、かといって機嫌を損ねてドイツと手を結ばれても困る。とりあえず早々にドイツと敵対状態になるように持ち込んで、領土ではなく資金援助くらいで話をつけたい。なおかつイニシアチブは英国が取れるようにしたい。また日本艦隊の行動範囲はアジア海域だけにとどめておきたい(豪州などが日本がドイツ領南洋諸島に手を出すことを警戒していた)

1914年9月山東半島に日本陸軍が2万上陸したのに対し、英国軍は一ヵ月後に到着した第二陣を加えても三千名だった。形だけでも共同作戦の形をとったのは、日本に主導権をとられぬためと、中国を安心させるため。

1917年、日本駆逐艦は切羽詰った英国の要請を受け、地中海へと旅立ったのであった。

英国が開戦当初に日本海軍の行動海域を限定しようとした一件で、海軍内部には釈然としない空気が澱んでいた。今更、地中海へとは英国も不条理だとの感情的な反発があった。しかも、遠い危険な海で艦艇ばかりが人命を失う恐れもあった。

同盟維持のために日本に譲歩するばかりだと世界から見られるのを英国は嫌がった。弱みにつけこむような日本の態度に苛立っていた。

確かに、膠州湾租借地や山東省の鉄道権益はドイツの掌中にはあっても、本来中国の主権と領土の保全に係わる問題であり、敵国ドイツが直接領有する南洋群島とは、事柄の性質と軽重がまったく異なっていた。(略)

さて、軍令部は閣議決定の有無や日英外交舞台裏のどろどろした経緯にお構いなしに、地中海への駆逐艦隊派遣の準備を進めていた。統帥権の前には、閣議決定も単に形式にすぎなかったのである。(略)

若い隊員たちは、地中海出兵の成否には「国家の栄辱」がかかっていると教えられ、それを信じて戦いの海へ昼夜の別なく出撃を繰り返した。出動率は、英国海軍をも上回るほどで、彼らは生命をかけての激務に心身ともにすり減らしていた。むしろ、英国海軍の直接指揮下におかれたほうが、彼らもそれほど苦労せず、もう少しのんびりできたかも知れなかった。

1917年6月11日駆逐艦・榊がオーストリア・ハンガリー潜水艦に攻撃され撃沈はまぬがれたが戦死者をだす。榊の惨状を見た松艦長近藤大尉の日記。

成程敗戦といふものは士気阻喪する。戦争では決して負けてはならず、爾来松、榊の乗員中一種の神経衰弱になったものも出来た。戦争の目的がはっきりして居なかったし、又皇国の興廃にも関するという場合でなかったからこういふ事になったのかも知れぬけれども痛嘆に堪えない

日本はマルタ島英国海軍墓地一区画の永久使用を求め英国快諾。

日本国内でドイツに対する伝統的な友好親善の潮流が、戦中でも衰えをみせず、とりわけ、一部の政治家、軍人、学者などの間で、戦局はドイツに有利に展開しているとか、中国での自由を得るために、英国との同盟を破棄すべきであるとか、無責任で反英的な言動が絶えなかった。(略)

だが、勝敗が誰の目にも明らかとなった1918年の夏ごろから、にわかに日英同盟礼賛や親英的な論調に乗り換える学者や評論家が多くなり、かえって英国人の不信、ひんしゅく、軽蔑を招いた。

大戦後1920年頃の米国外交の動きを英国大使は

海外のことに巻き込まれたくないという願望は相変わらず強いが、上院の洞窟に住む議員たちが主張している孤立主義は誤りであり、実際的でもないという確信は米国民の間に次第に広がっている。上院の度し難い孤立主義も、政治・金融・通商の分野での米欧の相互依存という紛れもない事実に直面している

2005-01-28 アドルノの場所/無料音楽 このエントリーを含むブックマーク

ロックなのに金取るのかと客が怒ってた時代もあったらしい、そんな映画があるらしい。そのこと*1については何度も怒りを込めて書いてきたのでアレしておくが、今のところ金を出さなければまともな音楽が聴けないと信じきっているのが大勢である。そーゆーことには敏感な頭の悪いボクが、ちんぷんかんぷんなこの本から理解のできる話を大雑把に。

アドルノの場所

アドルノの場所

ハイネを貶していたのはナチではなくインテリだった。母親がドイツ語を話せなかったハイネが、マイノリティであるがゆえに、臆面のない通俗性、手垢にまみれた言葉でもってドイツ庶民の心を捉えられたことに対する不快感。封建的支配者の援助の上に成り立つ芸術から、解放された大衆の支持によって成り立つ商業主義主義的芸術へ。大量生産的抒情詩の空虚さは、大衆の挫折を表していた。私的表現が、かけがいのない肉声が「商品と交換」の世界に委ねられるその瞬間。市場の匿名性を楯に受け手の存在を消し去ること。

116 親しみやすい民謡調の流麗な調べで、青春の愛と夢を甘く苦く奏でたハイネ---そういう半ばキッチュと化したハイネのイメージは容易には払拭されず、そのことに頬被りしたまま、戦後の時代に一転してハイネを民主主義的政治詩人ないしは社会主義的政治詩人として担ぎ上げて語ることの居心地の悪さ。しかし一方で、ナチ支配下で排斥されたハイネが戦後に名誉回復されねばならないのはあまりに当然のことなのだ。それに冷や水を浴びせるのは、ふたたびナチの焚書に加担するかのごときふるまいではないのか。

ハイネとアドルノらの時代のあいだには、容易には架橋しえない深淵が口を開いている。そのような深淵こそが「傷」なのだ。その傷口、まさしくいま血を流している傷口としてのハイネに向き合わないかぎり、ハイネについて語ってもおよそ意味がないのである。だが具体的にその「傷」とはどのようなものなのか。

120 ハイネの抒情詩においてハイネの体験を綴る言葉が一見ぎこちない作為から遠い直接性・自発性を発揮しているのは、彼の言葉それ自体がすでにして出来合いのものへと物象化されていたからだ、という酷薄とも言える指摘である。

当時の社会状況を背景においてみるならば、ハイネにおいて抒情詩がさながら工場での大量生産品のごとく製造され、売りに出されたのは、けっして偶然ではなかった、ということになる。

122 ハイネ以降、市場法則がいっさいの表現を決定的に支配してしまった段階では、逆説的にも市場の匿名性を楯にして、書き手は具体的な買い手のことをふたたび顧慮していないかの見せかけを装うことができる。「私はごく私的な表現に携わっているのに、結果としてそれが売れるにすぎない」---そのような弁明的な態度である。それにたいして、まだハイネはそのような欺瞞に安住することができなかった。だからこそ、「のちに生まれた者たちは、[ハイネにたいして]そのことを恥じるのです」とアドルノは述べている。ベンヤミンはそのボードレール論のなかで、ボードレールの散文詩「群集」を評して、「人間の立場というよりはむしろ商品の立場から語られたもの」と記していたが、ハイネの抒情詩はその手前で、いわば人間の声が商品と化する瞬間、かけがいのない肉声が「商品と交換」の世界に委ねられるその瞬間を、体現しているのである。

123 ボードレールに先立つハイネは、だからこそふたつの時代に引き裂かれていたことになる。資本主義の発達によって、芸術が同時に商品でもあることを否定しえず、かといってまだそのことにはっきりと居直ることもできず、それゆえ市場の匿名性のなかに逃げ込むこともまた不可能な、狭間のような時代。それはまた、芸術家が王侯貴族のパトロンなしにはじめて自立しえたかけがえのない時代であるが、それも束の間、今度は市場法則が芸術家たちにただちに屈服を強いるのだ。

124 このような引き裂かれ方もまた、ハイネが「癪の種」であることの理由だろう。そして、この引き裂かれたあり方はもちろん、ハイネひとりのものではなく、封建的専制の圧迫から解放され、自由を享受しているはずの市民社会の成員ひとりひとりの姿である。つまりアドルノの見るところでは、ハイネの抒情詩、「ハイネという傷」が示しているのは、市民社会における解放の過程とその挫折の、のっぴきならない姿なのである。

127 ハイネはドイツ語ないしその文化世界から排除された者であるがゆえに、ドイツ語の日常的言いまわしに敏感に反応し、「精神に責任ある者たち」なら忌み嫌うようなフレーズ(慣用句)をも、無防備に取り入れた。そこにはマジョリティの文化のただなかにおける、マイノリティの悪戦苦闘が刻まれている。すでに「同一化」が成功しているならば、もはや「同化」する必要などないのだから、そもそも「熱心な同化」という志向それ自体が、マイノリティのマジョリティヘの「同一化」の失敗の刻印なのである。それは元来「同化」という現象に根源的にともなわれている二律背反的な事態であるだろう。

130 アドルノに言わせれば、ハイネの抒情詩は彼の言葉の無力さ---流れるようなリズムが抱えている逆説的な無力さ---をつうじて「ユダヤ人の解放の挫折」を体現しているのであって、しかもそれはたんに「ユダヤ人」だけの問題ではなく、およそ市民社会における成員の解放と挫折の姿そのものでもある、ということになる。そしてハイネの抒情詩は、そのような内容を主題としてけっして語っているわけではないのだが、その言語形式をとおして、まさしくこのふたつの挫折、「ユダヤ人」と「市民社会」の解放の挫折と破れ目を表現にもたらしている、ということになるのである。

*1:誰も無料で配布される素人音楽を聴こうとしないこと

2005-01-27 甘美なる暴力・続

id:kingfish:20050117)よりの続き

なんとなく愛ダ蜜ヲ的つまらなさといった気もするがメンドクサイので。

甘美なる暴力―悲劇の思想

甘美なる暴力―悲劇の思想

自由主義者と全体主義者がぎこちないながらも結びついているのだとしたら、似たような関係は全体主義と前衛的モダニズムの間にもみられる。たとえば、人聞中心主義の鋭い批判から始まったモダニズムに、愚かにも理想主義的なファシズムは否定できないだろうし、また、自由からがむしゃらに逃げているという点において、それらは双子ではないか。

(略)

ナチスはなぜそこまで残酷である必要を感じたのか、という疑問にたいするシュタンゲルの答えは非常に現実的なものである。「計画の実際の執行者となるはずの者に、仕事をやりやすくするため。執行者の仕事を可能にするため」。この返答にたいして、「死ぬ前に犠牲者は辱められねばならない・・・そうすれば、殺人者の罪の意識も軽くなるだろうから」と、レヴィは記している。

(略)

したがって、自らの存在を自らに確信させる方法は、他者の殲滅以外にない。非存在を避ける行為から、虚構のアイデンティティを作る手助けを他者は果たす。他者がばらばらにされる卑劣な喜びにのみ、人は生きる実感をえる。悪は自らのまわりをそうした喜びでかためることによって非存在を否定する、自己破滅的な試みだといえる。

(略)

地獄は最終性のことであつて、永遠性のことではない。「掟」と欲望の堅牢な回路から逃れ、生に這いもどることの不可能性のことだ。サルトルには悪いが、地獄とは他人のことではない。それは自分自身がバーにいるしつこい酔客のように、自分に一生とりついて離れなくなった状況をいう。

ダ、ダディ竹千代 ダ、ダディ竹千代を含むブックマーク

買う金もないせいもあるが音楽情報に全く疎くなっているのだが、偶然こんなものが発売されているのを知った。

あわせて買いたいのはパンタBOXですって。立派な大人になっていればこんなもの速攻買いだが・・・、貧乏が憎い。それに、聴くかしらねえ。どうなんだろ。でも、聴きたい。パンタもなあ、DVD観たいかと言われれば、どうなんだろ。

達郎が売れてるから、曲を書いてもらったが、売れなかった。当たり前だ、良ければ自分で歌っている。まりあから手紙がついた。夕方ついた。夕方ついた。ユ、ガッタガッタガッタガッタ。

2005-01-24 押井守と中世びと このエントリーを含むブックマーク

押井守論―MEMENTO MORI

押井守論―MEMENTO MORI

どちらかというと、身体をどんどんなくしちゃっていいんじゃないかと思い始めた。身体がなくても、人間は人間であり続けられるはずだ、それを望んでるはずだ、と。だいたい歴史を見るとそうなってるんです。身体を失う方向でしか、文化とか文明とかを作ってこなかったわけだから。

人形っていうのは、僕は人間が最後に獲得する身体と思ってるんです。「冷たい身体」って僕は呼んでますが。人形っていうのは、もちろん象徴としていってるわけで、別にサイボーグになるっていうわけじゃありませんよ。人工的な身体、言葉で作られた身体、人間にとって外部である身体。

 その一方で、考える前にそこにある存在としての身体っていうのがあります。僕は「匂う身体」っていってますが、犬とか動物の世界だと、思いと身体が絶えず一致して、離れない。つまり自意識がない、無意識で生きてるってことですよね。

[でも、人間は自意識があるからそっちにはいけない。身体を外部化するしかない]

というような押井守の主張を読んだところで、今度は

これを読み始めたらこんなことが書いてあった。

第一に、被造物のなかでは、偉大であればあるほど、また強大であればあるほど不可視の存在であるという点を明らかにしようとしていることである。神のみならず、「心」や「霊魂」や人間と「霊魂」の中間に位置するそのほかたくさんの存在は目に見える肉体をもたない。だから、「肉体を有すること」は、神からの距離が遠く離れていることを直接的に示しているだけではなく、それだけ神を崇める行為が不完全であることを表すものでもある。しかし、肉体をもつことは存在するためには必ずしも必要なことではなく、被造物のスケール上で下等な位置を占めていることを示しているにすぎない。

人間の創造が生み出した無限の存在である神。実体である人間の身体より神に近い非実体の方が上だという考え。雲の動きにリアルな幻覚をみる中世の人々。

「情報の海」に消えて無限の存在になった「攻殻」の素子。電脳にハッキングされて疑似体験する「攻殻」世界の人々。道具立てが変わっただけなのか。

中世西洋には宗教的電脳空間が広がっていた!てなキャッチコピーでどうでせう。

2005-01-20

昨日からの続き。フェミニズムなネタ。

「十九世紀イギリスの民衆と政治文化」より

72 (民衆の怒りを買った)性病法は売春婦に予防接種を強制することによって軍事都市での梅毒の蔓延を防ごうとしたが、男の梅毒患者を対象としていなかったことが致命的であった。このことは単に性の二重規範の実例であるだけでなく、国家が身体のレヴェルにまで介入する権力を持っていることの証左であった。

127 男と女はかつて家庭的な雰囲気の農村工業の下で一緒に働いていたが、工業化が両性の分離をもたらし、女の仕事は家庭の中に限られるようになった、性別分業は工業化を下支えしたのである。ところが実際には、女たちは首尾よく家庭に追いやられることはなかった。典型的な工場労働者は安く雇える女たちであったからである。男たちは自分たちの賃金を切り下げるという理由から、女性が雇われることにしばしば憤慨して、仕事場から女性を締め出そうとした。

128 なかには、ハイド女性政治同盟のように、夫たちが人民憲章を支持するまで彼らとベッドをともにしないよう決議した団体もあった。女性のチャーティストは女が女王になれるのだから自分たちが投票権をもつのは当然であると主張した。

[]「Kenozira」公開 「Kenozira」公開を含むブックマーク

http://nextmusic.weez.mu/index.php?command=profmusic&profid=20050120002213

終わりの一分がわりと面白くできたような気もするが、失敗は失敗か。

正月明けに三日くらいでズガガッと作ってしまったのに何故今頃公開してるかと言えば、ようするに不貞腐れていたわけです。前の曲なんて、あまぞんは別として、日本のサイトじゃDLしてるの三人だから、ふざけんなっつう話ですよ。それじゃ公開してもしなくても一緒だろ。もうこうなったらあまぞんだけでいいやという気分になって、公開を控えていました。もう一人の冷静な自分がそんなこと言わないで地道にあちこち公開していこうよと言ってるのだけど、とりあえず「楽団ひとり」的妄想で日本人に罵詈雑言を撒き散らしてうっぷんをはらす。

2005-01-19 十九世紀イギリスの民衆と政治文化 このエントリーを含むブックマーク

とりとめなく引用。

69 1848年は資本主義国家の勝利の年であり、貴族と中産階級の同盟を強固なものにする一方、労働者階級を規律に服させる社会の支配秩序を生み出した。(略)歴史家のなかには急進主義者がなぜ世紀半ばまでに新たな支配階級になっていた中産階級よりも貴族を攻撃し続けるのか、不思議に思う者たちもいた。

75 1832年の選挙法は投票権を持つ者たちを特定することによって、中産階級の形成にあずかった。同時に選挙権から排除されたことが労働者階級のアイデンティティになった。

77 [実は1832年以前に選挙区によっては成人男子普通選挙権が実施されており]1832年の大改革はすでに潜在的な意味で民主的であったシステムをいったん停止させ、財産のみにもとづく選挙権にとって代えた、ということになる。

78 18世紀の「民衆の政治」は大部分が投票権を持っていなかったにもかかわらず、群集が彼らの考えを知らしめ、エリートをして彼ら群集の願望を考慮させる一種の公的活動としての性格を帯びていた。大衆民主主義の到来は粗野で騒々しい民衆の政治文化をそれなりに規律あるものにしてきた公共圏を終息させる役割をはたしたのである。政治は個人的なものとなり、民衆から切り離されるとともに、もっぱら中産階級の男たちのものとなった。この個人化は1872年に導入された秘密投票によって完成し、投票者は集団の代表というよりも、私的な個人となった。

81 19世紀は政党が形成された時代であったが、皮肉なことにそれは政党の概念が嫌悪された時代でもあった。18世紀に人々が求めていたのは「人ではなく施策」であった。言い換えれば、議員は政党や大立者の指示によってではなく、公平無私の態度でもって係争問題に一票投ずることを期待されていた。政党が単に反対するために政府と対立するという考え方はまったく道徳に反するものとして退けられた。[民衆は政党政治家を嫌ったので、当然、候補者は対立候補に政党政治家のレッテルを貼り自分の独立を強調した]

84 1900年にいたるまで労働党が成立しなかったことは、組織された労働者がとりわけ正規の政党組織に不信感をいだいていたことからある程度は説明できた。

94 ポピュリズムは南北戦争の終わりから1900年にかけてのアメリカの急進的な農民運動を叙述するために久しく使われてきたが、もともとは1892年に設立されたアメリカ人民党の原理を説明するために作り出されたものである。

95 クレイグ・カーフーやパトリック・ジョイスはともに「階級」政治に代わるものとして、ポピュリズムを19世紀のイギリスに適用した。カーフーンは「ポピュリズム」についてコミュニティを基盤とする急進主義の一形態と定義している。「ある階級の意識が階級意識である必要はない」と述べたジョイスは、彼が「ポピュリスト」と呼んだ、階級によらないアイデンティティに関心を向けさせた。

97 ポピュリストの使う語彙のなかでも最も重要な表現は「ピープル」であり、本質的にあいまいであるがゆえに有用な言葉であった。ではいったい誰が「ピープル」だったのだろう。

98 [労働者階級を指し、時として中産階級を指す「ピープル」の]こうした不正確さは言葉の耐久性をも説明していた。「ピープル」は言外に悪意をのぞかせる「大衆」(the masses)とは違って、人びとに脅威を与えなかった。「ピープル」と対立するのは利己的で愛国心をもたないエリートだけであった。

101 [右でも左でもなく上流階級の醜聞をあばくことで民衆の善良を強調し]ポピュリストのスタイルは混乱した複雑な世界に意味を与えてきたのである。ポピュリズムは道徳的で、センチメンタルで、愛国的な形を通して普通の人びとの文化のなかに急進主義を定着させてきた。ポピュリストの言葉はしばしば階級のそれと重なったが、その強調点は階級を超越する「ピープル」にあった。

続きはまた明日。

2005-01-17 甘美なる暴力

甘美なる暴力―悲劇の思想

甘美なる暴力―悲劇の思想

まあそんなわけで前日のようなことを考えてる時に偶然読んだわけです。

177 「賢明な男は、つねに、あらゆる行動において、必然性からおこなわざるをえなかったことも、まるで自発的におこなったかのようにふるまわねばならない」と言った、マキャベリのような例もある

183 人間に自由がある最高の証は、ギリシャ悲劇に示されているように、やむをえず犯した罪でも、科せられた罰を自発的にうけいれることだ、とシェリングはその『独断と批評についての手紙』のなかで主張している。

こんなことが書いてあって、フーン、と思ったという話。

ロクに読まずに引用しておいてなんですが、イーグルトンの自由観てなんだか古い。大丈夫か。博覧強記が売りの奴にロクな奴はいないと無学な者が書いてみる。

で、全く話は変わりますが、謝罪会見で社長が号泣したりしてると、外国だったらトップ失格の烙印押されるとかなんとか、よく言われますが

抜け目のない政治家は、ことに、アメリカの政治家は公衆の面前で涙することがあるが、それはプラグマティストにとって、感傷が感情であり、もっともうまく操作できるからである。

てなことが書かれていて、どうなのよ。

吹奏楽アンサンブル県大会再び 吹奏楽アンサンブル県大会再びを含むブックマーク

以前(id:kingfish:20040325)話題にした、吹奏楽アンサンブル県大会が今月末の土日に開催ですよ。土曜が中・高、日曜が小・成人という構成。全部観たら10時間位かかる。土曜だけで済まそうか。以前観たのは多分入賞者達の演奏だったと思われ、ヒドイのもあるのだろうか。出不精だから天気が悪かったらTV鑑賞でお茶を濁す。でも一度は生で聴いてはみたい。色々調べていたらその手の大会は結構あるんですね。中学ブラスバンドの顧問と生徒の交換日誌板がなんとなく面白かった。

http://www.root.ne.jp/masa/diary_s.html

2005-01-16 小谷野敦とサイコロ このエントリーを含むブックマーク

男であることの困難―恋愛・日本・ジェンダー

男であることの困難―恋愛・日本・ジェンダー

なぜこれを読み返そうと思ったかは後日にまわすとして、

夏目漱石「それから」の以下の部分を引用して

代助は、……手に持つた賽を投げなけれぱならなかつた。上になつた目が、平岡に都合が悪からうと、父の気に入らなからうと、賽を投げる以上は、天の法則通りになるより外に仕方はなかつた。賽を手に持つ以上は、又賽が投げられ可く作られたる以上は、賽の目を極めるものは自分以外にあらう筈はなかつた。代助は、最後の権威は自己にあるものと、腹のうちで定めた。…此四五日は掌に載せた賽を眺め暮らした。今日もまだ握つてゐた。早く運命が戸外から来て、其手を軽く敲いて呉れれば好いと思つた。

小谷野はこの文章のサイコロを用いた例えがおかしいと言う。サイコロゲームの本質は賽の目がわからないということなのに、賽の目は自分が決めると言っている。賽を「投げるか投げないか」を決めるのが自分だというなら正しいが、「賽の目」を決めるのが自分だというのはおかしい。何故そんな不適切な比喩を用いたのか。それは・・・と、なんだかんだ論理は展開していき

代助の「愛」なるものは、三千代が作ったのである。三千代が無垢である、という幻想を追い払って読んでみるがいい。鈴蘭の活けてある鉢から水を飲み、「淋しくつて不可ないから、又来て頂戴」と言う三千代が、一貫して男の関心を自分に引き寄せるべく巧みに振る舞っていることは明瞭ではないか。「賽の目」の決定権が彼にあるのは、「賽の目」である三千代自身が彼をして「賽を投げ」させたのだから当然である。つまりあらゆる決定権は、実は代助にはないし、「自然」にもない。「賽を投げる」という不適切な比喩は、この構造を隠蔽するために用いられたのだ。

となって、さらに西洋にとって近代化は「賭け」であったが、日本は近代化の成功を模倣しただけで賭けてはいない、てな話も出てくる。

 

うーん、これだと代助は三千代にクラッとくる自由があるようにになるが、違うんじゃないだろうか。以下「それから」を再読することなく誇張して書いてみる。

そもそも代助は三千代がキレイだからではなく、他に貰い手がいないだろうから好きになったのじゃなかろうか。確かに「可哀想だた惚れたてことよ」だから、そりゃ惚れてるってことだと言えるかもしれないが、重要なのは競争相手がいないという点だったのだ。持参金付きの娘との縁談を断るのと同様に、ともかく競争から逃げたかったのだ。ところがなんと友人がいいと言い出した。一番恐ろしいのは、女を巡って競争するというブザマな状況に置かれることだ。女への気持より競争を恐れる自分の本心を隠すために、これは友への義侠心なのだと自分に言い聞かせて、さっさと三千代と友人の仲を取り持って逃げ出す。そうやって競争から逃げ続けていれば加害者にならずにすむと思っていたのに、破綻しかけた結婚生活という不幸をぶらさげて三千代が現れたため、「何もしなくても」加害者になることを代助は知らされる。実に面白くない。どちらに転んでも加害者にならなければならないのなら、まだ「自分が逃げたことで」被害を受けた三千代を選択する方が筋なのである。その選択を三千代は「やっぱりこの人は私に惚れてる」と取るだろうが、代助にすればうんざりである。地味だからいいと思っていた女は、自分に惚れていたという確信から色仕掛けで迫ってくる。興ざめだ。加害者にならずにすむと思っていた自分の愚かさに対する責めを負って、三千代を選択するのに、世間からも三千代からも女に惚れてバカをやらかしたと思われるのである。

どのようにしようと選択しなければならず、選択肢の中でも一番悪いものを選ぶ「敗者の選択」を採用したとしても、他人からは嬉々として競争に参加しているとしか見られない、非常に不愉快な事態を表現するためにへんてこなサイコロの例えを用いたのではなかろうか。どの目がでようが、本当はどうでもいい。しかし、世間が望むならそのゲームに嬉々として参加するフリをしてやろう。その結果もすべて自分の責任だと受け止めてやろう。しかし最後の意地として、サイコロの目は誰でもない自分の力によるものだ、自分が出したのだと言い切ってやろう。

てな事を書いている途中で読んだ本に面白い事が書いてあったのだが、それはまた明日。

2005-01-14 ボクのブンブン分泌業/中原昌也 このエントリーを含むブックマーク

ボクのブンブン分泌業

ボクのブンブン分泌業

メチャクチャなものとメチャクチャでないもの、という疑問さえ起きないようなものがやりたいですね。それを目指したいんです。難しいですよね。ほんとに自由にやっちゃうと、結局はオカルト的な罠にはまっちゃいそうで。

オカルト的なものというのは実在するかもしれないけれども、それはほっておくべきだと、僕は思うの。物語を与えたりとかして語ろうとするものではない。

 

作っている人には直接はないんだけれども、画面には何か情熱的なことが起きているという、そういう現象がおもしろいなと思うんです。血が出るから好きとか、そういうことじゃないんだよね。血が出たりすることに頼らなきゃいけないような投げやりな感じというのか……心ない表現というか、強制的にお金のためにやらされてる、そういう表現が面白いわけです。

 

CGが恐ろしいところは、もうどんなものでも見せられるということになって、みんなが同じように感じられるのを、より目指そうとしているじゃないですか。それが、表現でいちばん恐いところだと思う。

 

[オタクは]すごいひとつのものに固執していて他人と共通の言語っていうのが対象物に対してのみであって、例えば全く知らない人とそれによってコミュニケートしようとしないっていうか、完全に閉じちゃっているもんだと思うんですよ。それからすると僕、絶対そんなことしてるつもりないし、あらゆるものに対して興味持ってるし、社交性ありますしね。自分で言うのもなんですけど。そういうつもりないし、そういうやり方でやってるもの、すごく嫌いですからね、基本的に。一貫してそういうことじゃないことをやりたいですね。・・・だから今の表現って、やっぱりリサイクルっていうか、例えば音楽聴いてもヒップホップとかって音楽クイズになっちゃってるじゃないですか。

音楽ライターをバカにする企画であの渋谷陽一と対談。社長の自慢話でも聞いて裏で笑ってやろうという中原に対して、企画の趣旨や中原のスタンスを踏まえながら、しっかり中原に対応した素材を用意し教育的指導をあえて行う渋谷。接点のない二人の掛け合いが面白い。

渋谷 その意外性で選んだんですよ。ものすごくメジャーなバンドで自分との接点がないと思っていたのに、実際に聴いてみると、「あ、そうでもないし面白いな」というリアクションを期待したんだけど。一聴しかしてないんじゃお話にならないじゃないですか。

中原 じゃあ何回も聴くんですか?

渋谷 そりゃ、仕事に対しては誠意を持って向き合いますよ。その誠意をいきなり踏みにじられたわけで(笑)。(略)

[用意した某バンドの歌詞について]

渋谷 きっと、あまりにフラットな真面目さに違和感を感じると思ったんですよ

中原 その通りです!

渋谷 まだ起きてないんじゃないの?

中原 ……渋谷さんは元気ですよね、こんな早く(午前10時半)から。

渋谷 私は朝の10時から夜中の1時までずっと職場にいますから。

中原 本当に働き者ですね。健康管理はどうしてるんですか?

渋谷 健康管理は・・・健康ですね。

中原 健康管理は健康(笑)。(略)

 

渋谷 せめて感想を言えるくらいはちゃんと音楽に向き合ってほしいね。

中原 僕の感想は「なんて言っていいのか分からない」ってことで。

渋谷 それ音楽評論家としての感想じゃないからね。むしろ不向きなものに対しても、なにがしかのアプローチをしなくてはならないことのほうがこの仕事には多いですから。中原さんにひとつアドバイスするとしたら、向いていないと思います。

中原 そんな!別にロッキング・オンに入れてくれって言ってるわけじゃないんですから!

2005-01-12 「読者」の誕生・続き このエントリーを含むブックマーク

前日の続き。

「読者」の誕生―活字文化はどのようにして定着したか

「読者」の誕生―活字文化はどのようにして定着したか

1620年アムステルダムで英語のニューズ・ブック刊行。

噂ではなく真実の情報であることが売り。中にはニュースをアルファベット順にして保存し切売りするといったデータ・バンクのようなことをやるものも。また情報を待つのではなく、リポーターを派遣したり、ニュースを面白く加工する「ひやかし屋」がいたり。そんなニューズ・ブックを批判したのがベン・ジョンソン

ジョンソンは、時間に縛られた、噂と区別できないような、「ニュース」(新聞)というものが、「商品」として売買されること自体に我慢がならなかったのである。ジョンソンは同時に、本来「商品」であるべきではないものが「商品化」されることの結果として、印刷された「ニュース」が帯びるある種の権威、あるいは体現していると思われる「後光」についての読者の幻想を、かなりしつこく問題にしているのである。

ロバート・バートンはニュースという形で断片化された「世界図」に触れることへの不安を表現している(1628)。ちょっと長いけど面白さを伝えるために以下大量引用。

「私は毎日新しいニュースを聞く。戦争、疫病、火事、洪水、窃盗、殺人、虐殺、流星、彗星、亡霊、不思議なもの、化けもの、フランスで、ドイツで、トルコで、ペルシアで、ポーランドなど、などで、町がとられた、都市が囲まれた、というふつうの噂である。毎日どこかで兵隊の動員、戦争の準備が行われているとか、そうした類いのことを聞かされる。こうした嵐のような時代に起きることは、戦争が行われ、多くの人が殺され、船の難破、海賊とか、海戦、平和、連盟、戦略とか、新しい警告とかいったものである」。

押し寄せる情報から精神のバランスを保つために人は「ニュース」群を次々を忘れ去る。

商人など大陸の情報に具体的利害のある人間(大体、独自の情報網をもっている)を除いて、こうした対外ニュース読者の一つの核は、熱心なピューリタンの諸君であった。かれらは「世界」を神(プロテスタント)と悪魔(カトリック)が闘争する一つの舞台とみた。そうした頭のなかの「戦場」の動向、外国ニュースに、かれらは一喜一憂したのである。

民衆にもわかりやすく語るのがピューリタンの理想であり、ミルトンはこう書く。長文恫喝野郎達に読ませてやりたい素晴らしい文章だね。

華麗でこれ見よがしなものを読むことが、低俗な大衆の間では、もてはやされている。だが、疑いもなく宗教の事柄については、最も平易なものを書く者が、最も学問のある者である。小さい手引書をこえない、私の使っている簡潔さは、多分、大きな本だけが大きな物事を決定できると考えている読者にとっては、大したものだとは思われないかも知れない。しかし、私は短くて済むことに大騒ぎしないという世間一般ふつうのルールをえらぶことにした。

本題にもどろう。ミルトンは、オーソドックスなプロテスタントらしく、聖書を聖霊の光に助けられた私の「良心」にしたがって解釈することを、人間のすべての思考・行動の基準にすべきだと考えていた。こう述べるのは、一般原則として簡単だが、「聖霊」と「良心」との関係は、論理的にも歴史的にも、かなり危ういバランスを保ってきた。たしかにそれはわれわれがその影の下にある「近代」個人主義の源泉の一つではあるけれども、個人の「良心」などを基準にするから、信仰の世界がバラバラの無政府状態に堕してしまうのだ、というのがカトリック教会(あるいは国教会)の批判であり、「聖霊」の働きを「聖書」の文字よりも重くみれば、クエーカーになってしまうからである。

2005-01-11 ホッブスと自由意志 このエントリーを含むブックマーク

どうもヘタにまとめようとか、前後もちゃんと読んで完全に理解してからなどとやっていると、書きそびれてしまうということがわかったので、ペラッとめくって面白かったところを片っ端から引用していく方式にする。そういうわけで重複したり前後したりすると思います。ついでに「モーニュー流謫」から「本と奇妙な煙」に改名。アンタ、天国に行くわよ。

「読者」の誕生―活字文化はどのようにして定着したか

「読者」の誕生―活字文化はどのようにして定着したか

このタイトルでこの副題ですが、ペラッとやったらホッブスや「自由意志」についても書かれていました。自由は素晴らしい、自由は大切な権利、とかそういう積極的理由ではなく、神の造った世界になぜ「悪」などいうものがあるのか、それは人間がちょろちょろ自由にやるからじゃない、という言い訳めいた発想から「自由意志」についての議論が起こっていたのだな。

大雑把に言うと、ルターは「聖」においては全てが必然だが、「俗」においてはサタンにそそのかされた人間が自発的に悪をなすという考え。

357 ルターは、「必然性」で宇宙万物を塗り込めることの恐ろしさを、充分に意識していた。人間にとって全く不可解な神というのは、恐るべき存在ではないのか。

359 ルターもカルヴァンももっていた「聖」と「俗」とをわける両世界論がホッブスにはなく、それだけかれの「必然」論は徹底していた。

お前はすべて「必然」だというが、こうしてお前の悪口を書く「自由」が俺にはあるじゃないかという論争相手に対して、ホッブスは書く書かないはあなたの自由であって問題は書きたいという「意志」がどこからきているかなのだと答えている。

欲望等から本人の意志で行動した場合たしかに「強制からの自由」ではある。だがその欲望等は「必然的」に決定されており「必然からの自由」ではない。つまり「ヤリタイ」と思った時にやるやらないは自由だが、「ヤリタイ」という衝動は既定のものなのだ。

363 大枠は必然性の鎖で固く縛られているわけであるが、意志は「自由」だと、そう思いたければ思えばいいじゃないか、というのである。かなり冷酷な御言葉に聞こえるが、そうだとすれば「自由」だという意識は、単なる幻想でしかないが、ホッブズは人間社会の運行にとって、必要な「幻想」だと考えていたようである。

所詮狭い人間関係の中でくっついたものだけど、自由恋愛だと盛り上がれるならそうしとけと小谷野も涙だね。

むきだしの自然の「力」による征服者等による支配から、「opinion」による僧侶等の支配が始まり

266 かれらの間の最も強い欲望は、かれの「意見」「ドクトリン」が、最もすぐれている、権威があると社会に認められることである。このことをめぐる戦いが、「野蛮」にはなかった堕落と残酷さを市民社会にあたえる、とホッブズはみたのである。なにやら後代のルソーを思わせる意見であるが、これが不可避的に多様な「意見」に分解する市民社会の現実に対する、ホッブズ・分析の基本線であった。

2005-01-10 市川雷蔵と三島 このエントリーを含むブックマーク

ER一挙放映etcでダラダラ過した正月を終え、年賀状の習慣がない人間でもなんとなくトリ年らしいことに気付き、猛然と曲作り。結局、音楽制作すればココを書く暇がなくなるし、ココを書けば逆になるわけだなあ。書くことは色々溜まっているので、ボツボツといく。

三島由紀夫原作、市川雷蔵の「剣」を観た。あらすじは以下に。

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD27492/story.html

雷蔵演ずるところの国分の自殺の後で顧問の語り。

国分は生きることに負けたんじゃないねえ、

自殺することで彼の正しさと強さを永遠のものにしたんだよ。

誰も国分を理解できなかったんだ。勿論この私もだ。

国分は単純で素朴な願いに生きていただけだ。

何故我々はあの男を死に追いやってしまったのだ。

国分を理解できなかったのか。そのことを恥じよう。

なんだかあまりにモロなので死後につくったのかと思ったら、

64年製作である(三島は70年切腹)。

脚本は舟橋和郎だが、三島も絡んでいるらしい。原作はどうなっているのかと借りてみる。映画では学内一の美女が絡むのだが、原作は女気抜きで、国分をライバル視する賀川と、国分を崇拝する壬生の三角関係となっている。

賀川が国分次郎が自分を孤独であると考えていることに怒っている。そんなことはない自分だけは次郎を本当にわかっているだと。

次郎を崇拝する壬生は賀川の扇動にひとり逆らい水泳に行かなかったにも関わらず、それが偽善的行為になることを恥じて次郎には自分も同様に水泳に行ったと答える。

男色臭がなければ道徳の教科書に使えそうな内容。

262 俺について来れば、絶対にまちがひがないんだ。だから、俺を信じる奴はついて来い。ついて来られない奴は、ついて来なくていい」

これを先輩の居並ぶ席で、四十人の部員にむかつて言つたとき、次郎はもう何かを選んでしまつた。

その場合次郎はきつと自分がさういふ意味のことを言ふだらうと、ずっと前から予感してゐたし、又事実、さう言つたのである。それは予感の成就だつた。その言葉はずつと永いこと心の裡に畳まれてゐて、時を得て、翼をひろげて立つたのだ。

その言葉によつて、次郎は自分のなかに残つてゐた並の少年らしさを、すつかり整理してしまつた。反抗したり、軽蔑したり、時には自己嫌悪にかられたりする、柔かい心、感じ易い心はみな捨てる。廉恥の心は持ちつづけてゐるべきだが、うぢうぢした羞恥心などはみな捨てる。「・・・したい」などといふ心はみな捨てる。その代りに、「・・・すべきだ」といふことを自分の基本原理にする。さうだ、本当にさうすべきだ。

263 彼は強さを身につけ、正義を身に浴びたいと思つた。そんなことを考えへてゐるのは、世界中で自分一人のやうな気がした。それはすばらしく斬新な思想であった。

272 [風呂場で賀川の背中を流す下級生がいないこと]次郎は明らかに賀川に気づいてゐて、その上順番を賀川に譲ることで却つて矜りを傷つけるのを怖れて、むしろ傲慢に「見える」はうを選んだのだ。あいつはその場合の自分が、人からどう思はれようと、「さうすべきだ」といふことを知つてゐた。

273 『あいつはもとそんな奴ぢやなかつた。あいつは俺をさえ警戒し、俺の自然な感じ方を、「誤解」と思ふやうになつたんだ。それで手前は、「誤解に囲まれて生きるのは仕方がない」と思ひ込んでやがる。さういふ傲慢は許さんぞ。友達は「誤解」なんかしないのだ』

275 賀川は国分次郎の微笑が実に美しく見えるのに嫉妬した。それは清潔な若者の微笑で、賀川の真似ることのできないものだ。

 次郎の口はむしろ小さめだつた。唇は美しい形をしてゐた。微笑するときれいな歯並びがあらはれ、清らかさが迸るやうだつた。(略)

いたはりの言葉を避けようとして、あらゆる政治的な言動を避けようとして、次郎は自分だけの純粋さの透明な城に閉ぢこもり、他人の現実的な痛みから急に遠ざかるのだ。

283 「幸福なんて男の持つべき考へぢやない」といふのが、きつと次郎の思想だらうと考へて、十九歳の壬生は昂奮した。彼にはわかつた、次郎の晴れやかさはここから来るのだと。

305[次郎の水泳禁を破ろうと部員達を扇動する賀川]

「さあ、急げ。何をもたもたしてゐるんだ」

彼は裸の胸を平手で軽く叩きながら立ち上がり、同時に次郎への燃えるやうな「友情」を感じてゐた。それは全く次郎一人のための行為だつた。ほかの連中なんかどうだつてよかつた。彼の心は、ほとんど次郎の名を呼んでゐた。

『誤解するな。これが俺の友情のあかしだぞ。人がみんな貴様を誤解すると思つてゐるが、貴様だつて、どうしても誤解しなければならない局面に立たされることがあるんだぞ。とにかく貴様は、何ものかに愕かされ、おびやかされる必要があるんだ。貴様に今一番必要な教育はそれなんだ』

307 何か、強くて正しくて、晴朗なものが汚された。それは実に息苦しい、実に口惜しい成行きだが、彼はずつとそれを予感してゐたような気もする。

一体何が起こつたんだ、と改めて壬生は自分の心に問うた。ただキャプテンの目を盗んで、みんなが泳ぎに出かけたこと、それだけのことだが、それだけで、何かが決定的に崩れたのだ。