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2006-12-26

[]「BoerBattleflyMIX」公開 「BoerBattleflyMIX」公開を含むブックマーク

ここで聴けるが→(音と奇妙な煙)

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はっ、だらだらしてたら一ヶ月経ってた。時間計算間違えて、ファイル容量オーバーでフェイドアウト。10MBまでアップ可能にしてくれないかなあ。

なんかサイキンとってもポップスづいてて、まだ黒くて丸かった17歳のマイコーに向けて「マイコー」と呼びかけるコーラスが妙にオカシくて何故かマイコー、フィル・リノットのポップス魂サイコー、ついでにベースも、というわけで何故かシン・リジィ。いつかベースがめちゃかっこええ「アリバイ」を使いたい。こんなカンジで脈絡なく意味もなく適当につなげて今年の音楽制作は終了。

[Playlist]

Michael Jackson / Dear Michael


Thin Lizzy / Dancing in the Moonlight


Morgan Geist / Stream 01


Sarah Vaughan / Poor Butterfly


Sarah Vaughan / My Ship


McCoy Tyner / Satin Doll


Michael Franks / Jive

2006-12-25 雪山怪獣JB&苦情学 このエントリーを含むブックマーク

御大死去の報を受けて頭をよぎったのが何故かテレ東で観た「スキー・パーティ」。「ビーチ・パーティ」の冬version、雪山コテージに登場したJB、セーター姿が、飛び散る汗が、かなり違和感あったなあ、でも言葉じゃあの面白さ伝わらないなあ、ひょっとしてアソコにある?、と思ったら本当にアッタ!でも画面が暗くて御大が透明人間状態。それにこの場面だけ観ると衝撃がイマイチ、ゆるーい青春映画を観てるところに、突然JBが登場すると、もうほんと「お呼びでない」状態で、脳内メモリーではもっと凄いことになっていたのだが。多分もっとクリアな画像で観れば凄いはず、きっとテレ東が深夜にさらっと放映しちゃうんじゃあねえの。

スキーパーティー(1965) - goo 映画

「山小屋で暴れるJB」

D

「スキー・パーティー」予告

D

これで終わるのもあれなので意味もなく。


苦情学―クレームは顧客からの大切なプレゼント

作者: 関根眞一

出版社/メーカー: 恒文社

発売日: 2006/10

クレーマーの定義。

斜体の部分がそこはかとなく悲しき「猫猫魂」。

クレーマーとは、些細な申し出に対して過剰対応されたことに昧をしめ、勝手にエスカレートしてしまった者で、通常は苦情として申し出るほどのことでもないのに大げさに申し立て、相手の動揺する姿を楽しみ、揚げ句の果て、過去の解決済みの苦情をぶり返し謝罪をさせます。途中で自分でも異常さに気づきますが、戻れない状態になっています。そのことは家族をはじめとする関係者は気づいています。

「性格も少しずつ暗くなります」w

[苦情係に配属され]三ヵ月もしてくると、精神的な疲れが見え始めるのです。やがて、電話が鳴っても、出す手が目に見えて遅くなってきます。怖さが分かり始めたのでしょう。性格も少しずつ暗くなります。しかし、これは仕方のないことです。苦情を受けるのが毎日の仕事であり、常にお叱りの言葉が頭にこびりついているのですから。

実録・クレーマー

傘にヒビが入っていた→対応した係長はマニュアル通り「来店の予定がなければ、こちらから交換に行く」と答えたはずだが→「来店しろ」と言われたとクレーマー激怒→お客様相談室の出番

[電話のやりとり]で、この方は私に対して「俺はこんな目にあっている」「これからは特別な待遇を希望する」「高速を使って交換に行くのはお前の会社の命令だ」「その高速道路の代金も要求する」といっているのだと寸時に読み取らなくてはならないのです。最後の決着は間違いなくここに落ち着くはずですから。(略)

[客が到着、確かにひびは入っていた]

クレーマーという人種は通常、自分で商品を壊すようなことはしません。(略)

到着までの三十分の間に、店内の情報網を探ると、紳士用品の販売員が豊川様に気に入られていることが判明しました。しかも、その販売員に事情を聞くと、数日前に豊川様が傘を購入して店頭に来たとき、「こちらにもポロ(いつも愛用のブランド)の傘がありましたのに」という一言を発していたことを掴んでいました。入口で傘のひびを見たときは一瞬、「故意に」とも思いましたが、証拠はありませんでした。雑貨売り場で代わりの傘を選びだして二十分、頃合いを見て「紳士用品にも傘がございますが、ご覧になりますか」と誘いをかけますと、一瞬顔が緩み、「そんなこと、できるの」(心の中では望んでいた)と尋ねられました。この辺はかけひきです。最初から紳士用品の話を持ち出すと、それにもクレームをつけてくるものです。

(略)不良品の傘を一度精算し、予定通りポロの傘をお求めいただきました。豊川様は大層ご満足の様子で、こちらも安堵しました。この際に高速道路の代金を受け取っていただけるようお願いしましたが、受け取りませんでした。

別れ際、あの係長の教育を目の前でやれ、謝罪させろとゴネだす。係長謝罪、高速代金は受け取らず。

このとき私は、直感でおかしい、まだ終わらないと感じました。この程度で終わったら、クレーマーとはいえません。案の定、一時間もすると、電話がかかってきました。「家に帰ったら家族がいない。これも不良品を買わされ、戻しにいったためだ。往復の時間のロスと、どのくらい距離があるか、あの女性の係長にも体験させたい。すぐよこしてくれ」と始まりました。(略)

この辺の絡み方がやはり異常です。(略)

[代わりに課長を連れて訪問]

クレーマーの家は新築で庭も広く、空地もたくさんある清閑とした地にあって、何であんなに性格がひねくれてしまうのかなと思うくらい、すばらしいロケーションでした。

正座して話すこと五十分、新たに話すことはないので、一連の繰り返しです。課長はその途中、足が痺れてあぐらの許可を得ました。話も大方尽きて和んだそのとき、彼は不意に立ち上がり隣室に消えました。戻ったその右手には高速道路の往復の領収書がありました。私は立ち上がって消えたとき、すでにその行動は見抜いておりました。課長は当然、代金の用意もなく、突然のことに顔色をなくし下を向いております。私はおもむろに自分のバッグから高速代金を入れた封筒を取り出し、黙って差し出しました。意地悪く糊で密封してあります。(略)

すべてが解決すると、お客様を楽にするために話題をそらした会話を始めます。室内を見回し、お客様が自慢したげなものを探して褒めちぎります。すると、お客様も救われたように自分の自慢話を始めます。このときもサッカー選手のサインが所狭しと並んでいるのを見て、くすぐりました。最後はにこやかに、またご来店いただく約束をしてお客様宅をあとにしました。(略)

帰路の五十分は課長への指導でした。(略)正座で足が痺れたらそのまま前に倒れろと指導しました。相手があぐらを許しても正座していれば、何回も痺れます。それを見て話題がそれ、早く引き揚げることも可能になります。それより、お詫びの場でのあぐらは絶対にいけません。

2006-12-23 ロックを生んだアメリカ南部 このエントリーを含むブックマーク

以前やった本とダブるところは飛ばして、ついでにそうじゃないとこも飛ばして、まあそんなこんなでテキトーに。ロックの話は全然出てきません、スマンソン。


NHKブックス(1071) ロックを生んだアメリカ南部 ルーツミュージックの文化的背景

作者: ジェームス・M.バーダマン,村田薫

出版社/メーカー: 日本放送出版協会

発売日: 2006/11/29

奴隷の方が安全だった

奴隷たちは所有者にとっては財産だから、多少なりとも危害から守られていた。同じような理屈で、小作人の収穫の多寡が気になる地主は、従順に働く小作人たちが私的制裁に合わないようにかばうところがあった。ゆえに、従順な小作人と比べるとより危険に晒されているのは自立して農業を営んでいる黒人たちで、彼らには盾となってくれる白人は皆無といってよかった。それよりさらに大きな危険に晒されていたのは、白人の世話にはならずに食っていくだけの稼ぎのある、各地を転々とする黒人たちであった。

ブルースマンはまさにこういう黒人たちであった。

娯楽化したリンチ

初期のリンチは、人気のない所で闇にまぎれて行われる傾向があったが、二〇世紀の初めころになると、陰惨な変化を示しはじめた。リンチに集まる群衆の数が増え、その中に女性や子どもも混じるようになった。リンチは、私的な制裁というよりは一種の儀式、娯楽と化していったのだ。驚くほかないのは、集まった群衆の反応だ。黒人の犠牲者が悪鬼さながらの拷問にさらされている。指が一本ずつ切り落とされ、トーチランプで焼かれ、肉体の一部が切断され、最後は縛り首にされるか生きたまま焼き殺される。その光景を、群衆は、ゆで卵を食べ、レモネードで喉をうるおし、ウィスキーをあおって見ている---その現場をとらえた衝撃的な写真が残されている。

この群衆の暴力が黒人にとっていっそうおぞましいのは、止める人々がほとんどいなかったことだ。

囚人派遣労役制度

当初は増え続ける犯罪者に対応する、新しい刑務所ができるまでの一時しのぎの方策であった。農園主や企業経営者は州政府と契約を交わし、刑務所の外で囚人たちの衣食住を保証し、監視して健康状態に気をつけることを約束した。それと引き替えに、囚人たちを働かせ、その労役から得られた利益を手にすることができた。実態はひどいもので、刑期を務め上げるために刑務所に入ったはずの囚人が、鉱山、製材所、鉄道工事の飯場、綿花畑などに送り込まれ、毎日14時間から16時間も厳しい労役を強いられた。また、ミシシッピー川沿いの湿地帯を開墾する仕事や、洪水を防ぐための大堤防築造、新しい綿花栽培用の土地の耕作などの仕事もあてがわれた。(略)

この派遣制度がいかにお互いにとって都合がいいかに気づくと、囚人を増やすために州政府も、農園生や経営者も「黒人の不法行為」の摘発に積極的に乗り出していった。(略)

[法改正して逮捕者は4倍に増加]

白人保安官の中には、特定の経営者と結託して、急に労働者が必要になったときに囚人を送り込み、その謝礼として賄賂をふところにする者もいた。保安官たちは、ギャンブルをはじめとして、風紀を乱した、騒ぎを起こした、何らかの損害を与えた、といった些細な罪から密造酒販売などを理由に黒人を逮捕して囚人に仕立て上げ、急に必要になった労働者を経営者に調達し、私腹を肥やした。

バング・ザ・ドラム

南部の奴隷所有者に、西アフリカ系の黒人にとって太鼓がいかに有効な武器になるかを知らしめる事件が起きた(略)1739年にサウスカロライナ州で起きた「ストーノ反乱」である。これはアンゴラ出身の奴隷が80人ほどの奴隷を率いて起こしたもので、当時スペイン領だったフロリダのセント・オーガスティンを目指して武器を手に南進した。移動しながら、彼らは激しく太鼓を叩いて近くの農園にいる奴隷を呼び集め、その数を増やした。奴隷たちは鎮圧しようとした軍隊と戦い、白人を20人近く殺したが、彼らも約半数が殺されて反乱と逃亡の悲劇は終わった。

ゴスペルは楽譜の中にはない

[南北戦争後できた黒人のためのフィスク大学の学生による]

フィスク・ジュビリー・シンガーズは「霊歌」ではなく、ヨーロッパ風に編曲をほどこして歌う感傷的な曲を演目に選んだ。霊歌は、忘れたいと思っている奴隷制時代を思い出させる音楽でしかなかった。実際、ふたりを除けばメンバーのほとんどが元奴隷であった。彼らは学問を身につけてどん底の奴隷の生活から這い上がり、将来は中流の豊かな生活を目指していた。むしろ彼らは霊歌が象徴するような貧困と屈辱の世界から抜け出そうとしていたのだ。

[ところがたまたまやった霊歌がウケた]

ヨーロッパでも大きな成功を収め、1873年のイギリス公演では宮殿に招かれ、ヴィクトリア女王の前で特別に演奏を行った。公演の収益によってフィスク大学は潤沢な研究教育資金を得たばかりでなく、大学の名前も国の内外に知れ渡った。

フィスク・ジュビリー・シンガーズの歌を聞いた当時の聴衆はこれこそが黒人霊歌と思って熱狂したが、実はそれは本来の黒人霊歌ではなかった。(略)彼らが歌ったのは、ヨーロッパ音楽を聞き慣れた人向けにクラシック音楽風に編曲した霊歌だった。奴隷たちが歌っていた霊歌はソロでもカルテットでもなく、「訓練」やリハーサルからは生まれないし、当然楽譜などに書き表すことのできない、荒々しいハーモニーだった。

白い稲妻、バーボン

北部の植民地に定住した人々はビールやリンゴ酒を作ったが、アパラチアを開墾した人々は山間部の痩せた土地を耕して作ったトウモロコシで「白い稲妻」という異名を持つ自家製のウィスキーを作った。(略)

大恐慌が終わるころまで、密造ウィスキーを作るか鉄道の枕木を作る以外にほとんど現金を得る方法はなかった。

[ジョージ・ワシントンは財源確保のために酒税導入]

かつてイギリス軍と戦った山男たちは、今度はアルコール税を払うのを拒否して新政府に反旗をひるがえした。(略)

酒の蒸留は個人の権限で行うもので、政府であれ何であれ、他人が口を出すことではない(略)

自分の土地を耕し、穀物を育て、その穀物を使って作るウィスキーに、なぜ税金を払わなければいけないのだ(略)

ワシントン大統領がいわゆる「ウィスキー反乱」(1794年)を鎮圧し、酒税の取立てのためにペンシルヴァニア山地に軍隊を送り込むと、密造酒の製造者たちは次々と逃走した。彼らが逃れた先はアパラチア山脈の南西部で、そのひとつがのちにケンタッキー州のバーボン郡となる地域であった。ケンタッキー・バーボン・ウィスキーはこうして誕生した。

宣言したもの勝ちの著作権

一曲につき50ドル、さらに著作権を取れる曲については印税を支払うという条件でレコード会社からふたたび録音の話が持ち上がると、A・P・カーターは各地を回ってレパートリーに加える曲を集めてきた。すでにいくつかの曲は楽譜の出版社が版権を管理するようになってしまっていた。A・Pは何度か自分で曲を書いて著作権を取ることもあったが、多くの場合、彼は曲を探し出してきて、カーター・ファミリーのスタイルに合うよう改作していた。曲の各部分はよく知られたものなのだが、カーター・ファミリーの手によってまとめられると、曲は新たな生命を吹き込まれるのだった。

だれが曲を作ったのかという著作権の問題は、南部において、どのジャンルの音楽でもはっきりした答えを出すことはできない。たいてい曲の作者は不詳であり、伝承されながら変更、改作が繰り返される。そしてあるときだれかが「自分のもの」と主張することになる。多くの曲は個人ではなく公に属するのだが、最初に著作権の申請をした者が、この曲は自分のものだと主張できるようになるのだ。長年の間、どれだけ多くの人々が歌詞や曲に貢献してきたとしても、印税を得るのは著作権の申請者というわけだ。(略)

黒人ギタリストのレスリー・リドルはカーター・ファミリーが音楽を作る上で大きく貢献した。彼は長年にわたって多くの時間をヴァージニアでカーター・ファミリーと過ごし、またA・Pの旅にも同伴した。A・Pとリドルはおよそ15回、歌を採集する旅に出ている。A・Pは歌詞や曲を聴いて覚えるのがあまり得意ではなかったのだが、その点でリドルはすぐれていた。「わたしは覚えるのが早くてね」とリドルは回想している。「目の前で歌ってもらえば、わたしもすぐ歌えるようになる。A・Pのテープ・レコーダーみたいなものだね。A・Pはわたしを一緒に連れていって、だれかを見つけてきては歌ってもらったんだよ。」

[関連記事]

2006-12-22 江戸時代の身分願望 このエントリーを含むブックマーク

百姓でも神童なら養子経由で武士になれたし、「平百姓」との身分の差をつけるというエサで簡単に百姓を臨時兵力として徴兵できた。


江戸時代の身分願望―身上りと上下無し (歴史文化ライブラリー)

作者: 深谷克己

出版社/メーカー: 吉川弘文館

発売日: 2006/10

10年毎日「就職活動」

[猟官活動を「日勤」で十年続けた男を称えた川路聖謨は、百姓から武士に身分上りした父を持ち、無役の旗本家に養子入りした男]

聖謨本人は、勘定奉行や勘定吟味役の屋敷に日参した。早暁、彼らが江戸城に登城する前に訪ねて声が掛かるのを持つ。(略)

実家と養家の親たちも神仏へ願掛けをし、養父は三年間の酒断ち、実家の母は寒中の水垢離を続けたのである。

懐柔策としての身分昇格

伊勢国の藤堂氏は伊賀にも領地があり参勤交代時に藩主が訪れる以外は城代家老が実質トップ。だが城代の藤堂采女は藤堂家とは全く無縁の伊賀の土豪上がり。下克上の時代でもないの何故。

上野城代が、高虎の異母弟藤堂高清から伊賀の土豪出身者に替えられたのは寛永一七年(1640)(略)

その時勢認識とは、領内になお一揆構造的な性格が残っており、火種を抱え込んでいるというものである。それが伊賀の在地勢力の掌握の工夫を促し、その頂点にある者を城代に取り立て、かつ藩主家苗字の藤堂姓を与えて伊賀一国を支配させるという、これ以上ない懐柔策によって安定させるという逆手の策を思いつかせたのだろう。(略)

上野城代と無足人身分への引き上げによって、伊賀の惣国一揆の最終的な解体と、一国惣無事を藤堂氏は手に入れることができたのである。

自ら武士を捨て商人として成功するものもあれば

農村でも同じで、村役人層や百姓一揆の指導者で義民化した者は、たいへん高い比率で武士出自を記録・伝承で証する家筋の出であった。やや大げさに概括すれば、近世の上層商家・上層農家は武士の転身として形成された。(略)

そしてこの階層こそが、じつはもっとも自覚的で普遍性のある「御百姓意識」「町人意識」を育てたのである。

身分制度を維持したい権力側が「身分上がり」をエサにして謀叛勢力を懐柔して

個々の才能ある村役人を、武士身分に引き上げて公儀の側の地方巧者に編制するということのほかに、公儀は、士分化を褒賞の撒き餌にして、村社会の政治的抵抗力を削ぎ、秩序を維持しようとした。ここでの政治的抵抗力とは、百姓一揆である。

賤民頭・浅草弾左衛門

関ヶ原の戦いでは首集めの仕事を勤め(略)家康や公儀の権威を背景に、はじめは皮革業集団*1の支配圈・支配力を拡大強化した。やがて(略)関八州と近国の広域にわたって諸種の賎民職業集団を支配する頭の地位を確立した。

特権を与えられた闇の勢力

近世ではこうした裁判処刑の司法的権能は百姓町人共同体から奪われた−局地的には見られる−が、弾左衛門が束ねる賎民共同組織には認められた。また、帯刀・羽織に見られる弾左衛門の士分性は、近世公儀が良民共同体あるいは公民職業身分社会を直接に編成・裁許する力は持ちえても、賎民共同体あるいは非公民職業身分社会を編成・裁許する絶対的な力はもちえなかったことを示している。

しかし、行刑・技芸・皮革・履物・灯心など周縁社会へ延びる広範な能力は幕藩体制の存続に不可欠であり、それらの把捉しにくい諸集団を統括できる者に対し、治者に似た格式と機能を認めることが必要であった。

神君の前の平等

武州窮民層は、地域に深く浸透した「東照大権現」「東照大神君」に彩色された徳川将軍家に対する親昵感情のせいか、政道不信の破壊行為を行いながらも、「平均世直将軍」と、平均も世直しも「将軍」の威力として待望することを示唆する旗をかざしていた。徳川将軍家への親昵心情は、世情が悪化し当節の支配への不信が高まるにつれて、往時をよくみたがり、それを神君家康が「安民」と「無事」をもたらしてくれたという追憶の美化として強まるという関係にある。(略)

武州騒動も上州・野州騒動も、同質の平等平均意識を噴出させたことは疑いないが、特色をいえば、武州では「君」(「将軍」)の前の平等、上州・野州では「神」の前の平等平均を求めたということになろうか。(略)

ただし、それは民主・人権意識にもとづくものではなく、神前・君前の平等主張である。

夫の死後、婿養子を迎えるまでの六年間だけ女性大名となった

清心尼が創始したという城内年中行事に、「片角様のお叱り」と呼ばれるものがある。(略)

[由緒ある龍の]片角を、毎年正月七日に城内で、御開帳祭りとして上下の諸士のすべてに拝観させる。そして役務の上での悪政失政・不道徳を公然と叱りつけ謝らせる。(略)もっとも片角は物をいわないから、神懸りした者が叱正役を代行する。内容はあらかじめの調査によってまとめられているのであろう。(略)

「箆持ち」慣行--飯をよそう木器を管理することで主婦の立場とする--を制度化して、家事における妻の主婦権の位置を高めようとしたともいわれる。

*1:かわた

2006-12-20 押井守と矢作俊彦の戦争 このエントリーを含むブックマーク

  • 押井守の戦争


Cut (カット) 2006年 12月号 [雑誌]

出版社/メーカー: ロッキング・オン

発売日: 2006/11/18

押井守インタビュー、図書館で飛ばし読みして引っ掛ったとこ。

高校で落ちこぼれた押井守の妄想

―「ビューティフル・ドリーマー」を作ることになったら、やっぱりその自分の持っている現実に対する不信感なり喪失感なりを、どうしても取り上げたいと。

「そこにしか自分が信じられるものがなかったから、で、高校の時のことを思い出したの。高校の時に考えてたのは、電車に乗って学校に行くのも嫌でさ、山手線を3周も4周もするわけ、その間ずっと東京が廃墟になったら自分ひとり何をするか、っていう妄想してるんだよね、そういうことをずーっと考えてるわけ、だからネタは苦労しなかったもん。それをやっただけで」

押井守の戦争のイメージ。

東京を瓦礫の山に変えるってことが僕の戦争のイメージじゃないんだよ。僕が高校生の時に思い描いてた東京の戦争っていうイメージは、交差点に戦車が駐車してるとかさ、日常が継続してる一方で戦争が街にぐいぐい露出してくるあの快感なんだね。それやりたかったんだ。戦闘というよりは日常が侵食されてくるっていうさ、その怖さとか快感の部分、それが戦争だって思っている

渋谷陽一による考察「押井守にとって犬とは」

−僕が考える押井守にとっての犬っていうのは、要するに自分が「犬になれない」、っていうのが最大のポイントではないかと思うんだよ。犬は飼い主の存在によって初めて「わたくし」というものを持つわけでしょう。自らよりも他者が必要であるという、犬になるっていうのはつまり自我の無私化だよ。そういうものに押井守は異常に弱いんだよ、だからそういうものになりたいし、それができない自分がいるわけだよね、押井守はそれと延々戦ってるんだよ、現実と非現実の問題もそうだし、他者と自分という問題もそうなんだけれども、それの理想型がすでに現実に犬としてあるわけだよ。

「もしかしたら、若い頃にね、信仰心をついに持てなかったっていうかさ、そういうふうな感じはあるんだよ、だから資質としてはあるような気がする。僕は、実はいつも思うんだけど、犬に踏んづけられたりするのが大好きでさ。(略)

「攻殼機動隊」、最初は「新たな街」をテーマにするつもりだったが、体ブチブチ場面で「自分の体を客体視する快感」に気付く

どうやって収まりのいいアクション映画にしつつ、新たな、街を描くかということだった。僕は依然として街だと思ってたの。今度は現実の街じゃなくてね、自分の記憶だけで街つくっちゃおうっていうさ、そういうことを始めようと思ったんだよね。実はさあ、体だなんだ、っていうのは後で気が付いた。で僕はあの作品作って一番気に入ったシーンっていうのは、素子が自分の体ぶっ壊すところ。戦車のハッチ開けようとして、体がぶちぶち千切れてくっていうさ。あそこが一番しびれた。自分の体を自分で壊してくっていう、自分の体を客体視してくことの快感みたいなさ、それはね、はっきり言って演出としてやろうと思ってた。個人的には、演出家として肉体の表現ってことを今までと違った視点でできないだろうかって、ロボットものではやってるんだよね。体がどんどん壊されてく、っていうさ。それでも最後まで戦っちゃうっていう表現してるわけだけど、もろに人間の体、しかも女の体でやってみようって。でも、作り終わってからだよね。あ、体ってのはもしかしたらテーマになるのかな、って思ったのは。

一番笑えたアメリカオタク事情記事

『ゴルゴ13』って、アメリカじゃ黒人の間ですごく人気が高いんだ。ゴルゴ14っていう名前のラッパーがいるくらいなんだよ(笑)。

  • 矢作俊彦の戦争


すばる 2006年 12月号 [雑誌]

鼎談

少年達の一九六九 

高橋源一郎 矢作俊彦 内田樹

これを読んで何故矢作が「ババア」で激怒した→(●)かわかった。

最初は全共闘世代同士でゆるーく回顧してたのが、途中自衛隊の話になって雲行きが怪しくなる。当然内田は下の本のノリ、高橋もこの本に説得されちゃったんですよーってノリ。


9条どうでしょう

作者: 内田樹,平川克美,小田嶋隆,町山智浩

出版社/メーカー: 毎日新聞社

発売日: 2006/03/01

矢作はあんたらがそんなヌルイこと言ってるから小林某がのさばるのであって、戦争は絶対起こるよ、だからちゃんと憲法で規定しておかないと自衛隊が暴走してしまうのだよとエキサイト。でも内田はまたあ矢作さんはそういうキャラだからとなあなあで流そうとして更に矢作が激怒。それなのにブログでは和気藹々でしたと内田が書いていたから、「ババア」で激怒したんだなあ。

矢作 あなたは間違っているよ。自衛隊に限らず日本人は法的にがんじがらめにしない限り危険ですよ。それなのに重武装した役人を統べる法律がザルなんだから。

矢作 そんなことを言っていたら自衛隊はいつまでたっても戦争できないよ。

高橋 させないようにするんですよ。

矢作 たまにしないとつまらないでしょう。何のための人生だ。

高橋 おいおい(笑)。そんなこと思っているのね。

矢作 えっ、思っていないの。

高橋 ぼくは思ってない。

矢作 ああ、そう。ふうん。

高橋 ほら。やっぱりそこが横浜の少年だ(笑)。

矢作 ぼくが言っているのは、このあいまいさを排除しないと、もう一回戦前と同じことが起こるということです,「美しい日本」国があったころでさえ起こった非道いことが、美しくない日本で起ったら目も当てられないでしょう。たとえばノモンハン事件ね。あれだってそうなんです。関東軍には交戦規定がない。法務官がいない。軍隊を法的に組織として統制するものがない。

矢作 ぼくがもし日本人であったらという前提で言うなら、間違いなく憲法を改正します。(略)

これこれこういう戦争をすると限定したうえで、自衛隊が戦争という仕事をできるようにする。その仕事をする上で、違法行為が起こらないような公開性と競争性を持たせる。行政改革と同じだよ。(略)

自衛隊は戦争をする役所ですよ。

で、ラストがこれ。

矢作 まあ、重要なのは最後まで好き嫌いを声を大にして言っていくことだね。

内田 だから、さっきの自衛隊のことも法律の問題じゃなくて、人の気に障ることを大きい声で言いたいんじゃないですか。

矢作 言ってろよ。そのうち、横で戦争が始まっちまうから。水色のシートの向こうで。ゴジラが来たときに、モスラに頼ってるとひどい目にあうぞ。

鼎談の中で矢作は神戸震災で印象に残ったエピソードとして、乞食同然の親子がホテルに現われて追い返されそうになってるところに支配人が「***様」と飛んできたというのを挙げている。

[矢作図式?]

金持ちが乞食同然着の身着のままで逃げ惑う瞬間が見たい。非日常が見たい。

ここらでひとつ戦争でもどうだい

そうなると自衛隊が暴走しないようにちゃんと規定しておかなきゃなあ。

2006-12-19 根回しとタウンミーティングと税のすりかえ このエントリーを含むブックマーク


中世人と権力-「国家なき時代」のルールと駆引-中世ヨーロッパ万華鏡1

作者: ゲルトアルトホフ,Gerd Althoff,柳井尚子

出版社/メーカー: 八坂書房

発売日: 2004/07

主君の寵愛で出世できたか

[中世の宮廷を]主君の寵愛をかちえるための油断も隙もない戦いの場としてイメージしたとしても、決して間違ってはいないだろう。しかし興味深いことに、寵愛を意のままに授けたり打ち切ったりできるはずの当の領主や国王は、そうしたシステムの中では絶対的な地位を築くことができなかった。取り巻きが結束して不公平な措置に反発するような事態を招きたくなければ、主君はそれぞれの忠臣の地位や立場に応じて寵愛を配分しなければならなかったからだ。カロリング朝時代にはすでに貴族たちが政権運営に深く関与し、その要求をまず第一に考慮せざるをえないのが実情となっていた。成り上がり者がすばやく出世を遂げる余地などは、ほんのわずかしか残されてはいなかったのだ。

「根回し」は日本特有じゃないYO

協議に関して重んじられていた慣習を付け加えるなら、決定に至るまでの過程を開示するという原則が貫かれていたことがあげられよう。(略)

ただし、だからといってすべての決定が公開での協議によってなされていたと見なしたりすれば、致命的な誤りを犯すことになるだろう。公開協議に先立って、内密の事前協議が行われていたことを念頭に置いておかなければならないからだ。案件についての合意は、すでに事前協議の段階で成立し、公開協議の場での「落としどころ」に至るまで根回しが終わっているのが普通だった---もっとも今日の連邦議会で行われる討論にしても、非公開の党内会議や委員会で事前に根回しが行われている点ではさして実態に変わりがないわけだが。ともあれ要するに、中世の公開協議は多分に「見世物」的な性格を持っていたということだ。たとえば、国王が内々ではすでに合意に達している問題を改めて公開協議の場に持ち出し、助言者たちはみずからの役割を心得た上でしかるべき発言をする。そして国王はその助言を受け入れ、全員の同意のもとに決議に至る、というように。

(略)

つまり、決定の場にみずからも加わったという意識が動機づけの面でプラスに作用し、それを実行する際の弾みとなることをよく知っていたのである。

「支配者の美徳たる寛容」を捨てた「王座についた最初の近代人」フリードリヒ二世

暗殺者たちはまずその目を抉られた。悪魔によりすでに内なる目を曇らされていたからである。ついで彼らは馬の尻尾に繋がれ、地べたを引き回された。汚れなき血を大地に注がんと企てたからである。なかには生きたまま近くの海に投げ込まれた者もあった。忠臣に苦杯を勧めたからである。また空中に吊り下げられた者もあった。恥ずべき謀りごとにより空気を汚したからである。そして最後に彼らは皆、火炙りの刑に処された。こうして取り押さえられることで、誠実の火がすっかり消えているのが明るみに出たからである。

盟約〜友愛

[都市住民の宣誓共同体は新しい発見ではない]

むしろ中世初期以来、社会の多くの領域で、庇護と支援を期待できるような輸を広げるために実践されてきた結びつきの形態を利用したにすぎないのだ。盟約によるそうした結びつきは、はやくから「作られた血縁関係」とも呼ばれてきた。その構成員たちが皆、親族と同じような関係になることを目指していたからである。また、ある地域でそれに属した者たちが皆、兄弟のごとき相互支援を誓い合ったという「友愛関係」(プラーニッツ)もまた、都市の宣誓共同体とよく似通った存在である。

都市の自治容認

12世紀以降になると国王や貴族は、原則的には都市の発展に反対せず、むしろ都市の建設や特権の賦与によって急速な発展のための下地を積極的に用意し、市民が経済的条件の向上や自治に関心を特つことにも理解を示すようになった。とはいえおそらくこうした政策は純粋な無私の精神に発したものではなく、そこには経済の活性化によって都市領主みずからの懐を膨らませようとの思感が絡んでいたと見てまず間違いないだろう。

税のすりかえには「タウンミーティング

[15世紀後半]本来は目的が戦費に限定されているはずの特別税が、なしくずしに年ごとに徴収する一般税へとすり替えられたことを意味している。(略)

[こうした]すり替えは、支配権の性格に根本的な変化をもたらした。支配者の決断によって直接的持続的な打撃を蒙る人間の教が、飛躍的に増加したのである。もはや支配権は国王、貴族、教会のみの問題ではなく、社会の中で支配権と関わりをもつ人びとの割合がどんどん増えていった。いわば領内の全住民が、多かれ少なかれ支配権行使の対象となり手段となったのである。しかしそれに伴って支配者たちの側も、新たな要求をつきつけられることになった。これらの新しい「臣下」をすべて味方につけるべく、彼らの目線で語りかけ、コミュニケーションをはかる必要に迫られたのである。これがこの時代に世論への働きかけを狙ったプロパガンダが急激に増えた理由の一つでもあるのだが、より重要なのは、税金問題をきっかけに両者のコミュニケーションが制度化されていった点だろう(略)

等族議会はごく散発的にしか開催されず、ほぼ税金問題に関してのみ発言権を持つにとどまったものの、各々は地域内の利益の代弁者という自覚を持って議会に臨んでおり、結果的に領邦内の全住民が臣下として公と向き合い、重要な提言を行うという状況が生まれることになった。とはいえこの主君と臣下の新たな対話の場は、たいていの場合かなり一方的なものとならざるを得なかった。

  • どうでもいいラップ、聞いてください

図書館でYO、アラーキー特集の美術手帖を読んでたらYO、加納典明がYO、えらく真面目な文章を書いててYO、しまいにはハンナ・アーレントまで持ち出す始末でYO、意外だわあと思ったらYO、加藤典洋だったYO〜〜〜〜。

2006-12-18 評伝ウェイン・ショーター・その2 このエントリーを含むブックマーク

前日のつづき。


フットプリンツ―評伝ウェイン・ショーター

作者: ミシェルマーサー

出版社: 潮出版社 発売日: 2006/11/01

「そーか」の魔の手が迫る。

再婚してできた娘が障害児。友人のハービー・ハンコックが自身のバンドのベース経由で入信

ステージのあと、バックステージでハービーはバスターを捕まえると、こう言った。「新しい哲学か何かにはまっているって聞いたんだけど、ほんと?そのおかげであんなすごいベースが弾けるっていうのなら、僕もぜひ、そいつを知りたいんだけど」。バスターは鷹揚に微笑むと、こう言った。「君にそれを伝えるためにも、僕は前から唱題*1していたんだ」。

最初は物欲から

日蓮宗系の教えの場合、題目を唱えるだけで良いとするシンプルな教えゆえに、教義がゆがんだ形で解釈され、その尊さが汚されてしまう場合もある。1970年代、この宗派が全米にそれほど広まる以前、新入信者たちには物質的利益---たとえばメルセデス・ベンツなどの高級外車から、果ては現金に至るまで---を求めての唱題を奨励することも少なくなかった。彼らは仏教の深い教えに対する説明も受けずに、ただただ物欲のままにこれを行ったのである。確かに、日蓮宗系の信徒は現在でも、まずは何でも構わないから自分の欲しいものを手に入れるために唱題することを奨励される。(略)

[これは物欲に走れというのではなく、まずとりあえず唱題をし]

最終的にはそうした欲望によっては真の幸せがもたらされることがないことに気付く

ハンコック経由でまず妻が

ご利益を手にできたことに深く感謝したハービーは、友人らと幸せを分かち合いたいと思い、この教えの素晴らしさを熱心に説き始める。そして、ウェインの妻アナ・マリアにこれを勧めたことで、彼は自らの使命を全うした。題目を唱えることで、イスカ*2の世話による緊張とプレッシャーから解放され、少しでも楽になるのではないか。ハービーはそう考えたのである。アナはこの教えにすぐに興味を持ち、唱題によってイスカの具合が良くなるかもしれないという点に強く惹かれた。でもウェインは最初、それほど興味を示さなかったとハービーは言う。「彼は成長や悟りといった僕らが求めているものを得るのに、儀式に頼る必要はないと思っていたんだ。彼の態度にはちょっと傲慢なところがあったね---いや、ちょっとどころじゃなかったかな。それに、ウェインはこういったことを軽々しく人に伝え、広めるような人間じゃなかった。何かを伝えることにすごく慎重なタイプだったんだ」

優しき夫として妻と一緒に「ナム・ミョーホー・レンゲ・キョー」を唱えたりもするショーターだが、まだ半信半疑。妻・友人に外堀埋められても持ちこたえていたが、ウェザー・リポートが1973年来日した際についに学会からの使者が。

三日教えを説かれ正本堂へ。

「(先生を見て)どのような感じを受けましたか?」ウェインの答えは「ノブ、池田大作氏は僕にこう言ったように思う。私には、自分がこれから何をするつもりなのかがよく分かっています。あなたがこれから何をするつもりなのかも分かっています。さあ、それを一緒にしましょう、と」。

そしてこんな手書きのメッセージ入りポスターを残して日本を発つ。

ノブヘ。思いっきり行こう。そして楽しもう!もっともっともっと!ドウモアリガトウ。アリガトウゴザイマス。1973年8月7日、神々の声が高らかに鳴り響いた日!もうすぐ西暦2000年がやってくる。健全なる未来の父親と母親たちに新世紀を残そう。日蓮大聖人の信徒の未来は真実。なぜなら、今が真実だから!

ウェイン・ショーター

うわー。

ハンコックのサックリ加減と比べると、ショーターは実に真面目にナニしたわけで、ちょっと同情してしまうけど。

そいうわけでウェザー・リポート後半、音楽的に引いた状態だったのは、バンド内覇権闘争に敗れたわけではなく、単に宗教に心が行っていたから。

[レンジが広いリリコン]を使えば、ベースもフルートも奏でることができた。だからジャコを解放してやるために、時々あれを使ったんだ。(略)僕がリリコンでベースを吹けば、ジャコはドゥーン・ドゥ・ドゥーなんて感じで、メロディーを弾くことができると思った。でも、そうしたらジャコはすごく短い音、ウォーキングどころか一歩にも足りないような音を出してきた。ラ・ラ・ラ(サーカス楽団が奏でるバイオリンのような楽しげな音)とね。やっぱり、彼はとてつもない才能とショーマンシップを兼ね備えたアーティストだと思うな。ジャコはジェイムズ・ブラウンが好きだったからね。(略)

[互いの音のデカさを競うジョー・ザビヌルとジャコ・パストリアス]

ウェインは仲裁役として、音楽面からジョーとジャコの戦いを収めようとしたわけだが、効果はあまりなかった。というのも、ふたりの勝負は実際、音楽とは無関係のところにあったからだ。彼らの争いはエゴとエゴとのぶつかり合いで、ようするに最新機器で武装した自分を見せびらかしたいだけ、と言うこともできた。

[ザビヌルがムーグを導入すると、ジャコは外見的にインパクトのある超小型ベースで対抗]

ミルトン・ナシメント

「彼はジョビンとは違っていた。インドとかアマゾンとかアフリカとかの要素が強く感じられたな。ミルトン本人に聞いたんだけど、彼は小さい頃から自分の声の音を表現したくなったら、外に行き、故郷の自然の中で納得できるまで歌ったそうだよ」そのミルトンの“音”がウェインに伝わったのである。「コルトレーンもマイルスも同じことを言っていた。自分の音があれば、楽器を使うよりもずうっと遠くまで行くことができるって。多くの人の声は1次元の音なんだ。ヴォーカル・カルテットはどれも同じ。たとえば、高い声で歌うモータウンのシンガーたちもそう。高音一辺倒だから、聴くほうは高波にさらわれて溺れちゃうんだよ」。

コメディ映画になりそうな、ティナ・ターナー

1976年夏のある日、ウェインがツアーから戻ると、自宅のキッチンの床を、ソウル・ディーヴァ、ティナ・ターナーが磨いていた。ティナも創価学会員で、夫アイクと離婚しようとしていた大変な時期を、ショーター夫妻と共に暮らして過ごしていた。

当然と言えばそれまでだが、ティナに仏教を勧めたのはアイクだった。「唱題って聞いたことあるか?」アイクはそう言ってヴァレリー・ビショップという女性を彼女に紹介した。(略)

その後、ティナも唱題を始めるのだが、すぐに彼女の中に自信が生まれ、アイクの肉体的、精神的虐待に屈することもなくなっていった。一方、アイクは唱題によってティナが自信を深めていることに気づき、彼女にこれをやめさせようとする。でもそれは、ティナに題目の力を再認識させることにしかならなかった。(略)

[夫から逃れてショーター家に居候]

「炊事に洗濯に掃除、なんでもやっていたよ」とウェインは言う。「着の身着のまま飛び出してきたから、うちにいた4ヵ月間、彼女は何も持っていなかったんだ。

実話マイルス小話

マイルスと演っていた頃、ヴィレッジ・ゲートの楽屋にカメラを持った白人がやって来たことがある。するとマイルスは「てめえ、何やってるんだ!」と怒鳴って、カメラを床に叩き落した。「てめえが白人だから、どんな写真でも撮れると思ってるのか!」とね。別の日に今度は黒人が写真を撮ろうと楽屋に現れたんだけど、マイルスはやっぱり「てめえ、何やってるんだ!黒人だからどんな写真でも撮れると思ってるのか!」と怒鳴ったんだ。

コルトレーンの亜流とのからかいに韻を踏む

「ウェインはトレインに乗ったんだろ」

すると間髪を入れず、

「スペインでインセインとね」

1stに参加したアイアート・モレイラ、加入を誘われるが、大口を叩くザビヌルが信用できなくて断る。じゃあ代わりを紹介しろと迫られて「僕よりうまいやつを知ってる」と言ってしまう。そのドン・ウン・ロマンがヨーロッパ・ツアーに参加。

ところが、ヨーロッパに行くと、ファースト・アルバムを聴いていた人々が、アイアートはどうしたんだ、としつこく訊ねてきた。そのたびにジョーは「ああ、今回は彼の師匠を連れてきたんだ。アイアートにパーカッションを教えた人物さ」と答えたという(のちにアイアートがキャノンボール・アダレイとヨーロッパをツアーした際、彼はマスコミから「師匠」についてあれこれと質問を受ける羽目になり、そのたびにアイアートは「え?誰にも習っていないけど」と答えたそうだ)。

悪者役のザビヌル

一方、ジョーはバンドを引っ張り、マネージメントに関する雑務をこなした。彼はプロモーターたちと激しくやり合い、新たなメンバーを雇い、そして首を切った---故郷オーストリアでの少年時代、ナチス親衛隊の横暴ぶりを目の当たりにしてきたジョーにとって、そんなのは何でもないことだった。彼はまた、ビジネスのやり方をキャノンボール・アダレイからも学んでいた。互いにあえて口には出さなかったが、ウェインとジョーのふたりには、バンドをどのように運営していったらいいのかがよく分かっていたのである。ジョーは言う。「僕が悪者で、ウェインは善人。そういうことさ」

*1:チャント

*2:障害児の娘

2006-12-17 評伝ウェイン・ショーター このエントリーを含むブックマーク

出版元は当然、そーかw。

内向的で将来は画家かイラストレーターになりたくて、15歳のときに54ページに及ぶSFマンガを完成させてたショーター。


フットプリンツ―評伝ウェイン・ショーター

作者: ミシェルマーサー

出版社: 潮出版社 発売日: 2006/11/01

40年代半ば、スウィング全盛、当然モテるのもスウィングをやる奴等、でもショーター兄弟はそんな「ぬるま湯」音楽はまっぴらとビバップ極道

「ショーター兄弟はいつも浮いてたね。ふたりの服装は他のみんなとは違っていた。パーティーでも、おれたちはカジュアルな格好をしてるのに、ふたりだけはまるで墓堀人みたいに、3ボタンや4ボタンのダーク・スーツを着込んでいるんだ。(略)

ショーター兄弟は、社会に迎合しないことを自ら公言していた。ウェインは“ミスター変わり者”と、アランは“ドクター変人”と、それぞれの楽器ケースに描いていたのである。ラジオのDJがビバップを悪魔の音楽扱いし、番組の選曲リストから外していることを知り、ふたりは自分たちのバンドが反主流派であることをなおさら大切に思うようになった。

楽譜に頼るナットたちダンス・バンドと違い、ビバッパーたちの頼りは自分の耳だった。自らの耳がどれぐらい優れているのかを誇示するために、ショーター兄弟は楽譜スタンドの上に、持参した『デイリー・ニュース』紙を開いて載せた。「ビパップの音は実に新鮮だ」--そう書かれたその日の新聞の見出しを客席から見えるようにして。ウェインが当時を振り返る。「会場に入る前、僕らはスーツが皺だらけになるように、わざと湿らせて、くしゃくしゃにしておいたんだ。服なんかどうでもいいっていう感じを出したかったからね。バップ・プレイヤーはそういうふうに見えないと駄目だって思ってたんだよ。確か、雨靴を履いてたんじゃないかな---もちろん、雨なんか降っていなかったよ」。アランは洒落者を装い、子ヤギの皮でできた白とグレーの手袋を着けた---しかもはめるときは、手袋に指を1本ずつ、わざとゆっくりと入れていった。

モテたいっすね

高校時代のウェインはニューアークの黒人中流階級の価値観に染まり、自分の家庭が貧しく、「少し傾いている」建物の2階を間借りしていることを恥じていた。「アラン*1もそうだったように、僕も高校で女の子の気を引きたいと思ったときに初めて、階級というものを意識したんだ。僕は自分の中の他人にはないところ、貴い部分を見てもらいたかった。でも、女の子たちはそういうのは見てくれなかった。黒人の女の子はみんな、肌の色の薄い、いわゆる“ハイ・イエロー”だった。髪の毛もきれいで、黒人と白人のスタイルを合わせたような髪型。肌の色もいい感じで、なんて言うかな、バニラとかカフェオレみたいなね。住んでいる地区もモンクレアやサウス・オレンジといったニュージャージーのわりと高級な地区で、彼女たちはいい家の“優等生”が好みだったんだ。靴は白や茶のバックスキンで、シアサッカーのジャケットを羽織るような“好青年”だよ。

アインシュタイン

[学費を稼ぐため]もっと効率よく稼げる小編成のバンドが必要だと考え、アーツ・ハイ時代の友人でベーシストのエディ・ホワイトとグループを結成することにする。エディは奨学生としてプリンストン大学に通っていた。プリンストンには当時、彼を含めて2人しか黒人学生がいなかった。ウェインは彼を訪ねてプリンストンにしばしば足を運んでおり、当時教鞭を振るっていたアルバート・アインシュタインが庭の芝の上を歩く姿を見かけたこともあるという。

50年代半ば、マンボが大流行。モテたくて自作マンボ。

オリジナルのマンボ曲のおかけで、ウェインのバンドは高校の卒業パーティーに引っ張りだことなる。そして、その人気に後押しされて、マンボの王様、ペレス・プラードのステージのオープニング・アクトを務めることになった。(略)

1955年の大ヒット「チェリー・ピンク・アンド・アップル・ブロッサム・ホワイト」でその人気は頂点に達する。ただしこの成功のおかけで、プラードはニューヨークのヒスパニック系コミュニティーの人々からの信頼を失う。昔からのファンは、プラードが売れ線に走り、かつての切れ昧が失われた、と失望したのである。(略)

[さらにコアなマンボ信奉者たちのメッカ52丁目パラディウムに出演]

「ティト・プエンティとティト・ロドリゲス、それとセリア・クルーズもいた。フィッシュテール・ドレスに身を包んでいたのを覚えている。

[数年後ヨーロッパ・ツアー中に再会したティトが凄いプレイだったと褒めてくれた]

徴兵

クラッシック音楽を学んだおかげで、ジョニー・イートン・アンド・ヒズ・プリンストニアンズとの仕事がもらえた。基礎ができていたからこそ、マンボ曲を書き、プレイすることにも柔軟に対応できた。だがウェインの心には常に、ニューヨークのジャズ・クラブを中心に盛り上がりつつあったハードコア・パップ・シーンヘの熱い思いがあった。50年代のジャズ界はまだまだ、才能さえあれば誰でも注目され得る世界であり、ウェインもこの頃から“ニューアーク・フラッシュ”という愛称で呼ばれ、その実力が人々の噂になり始めていた。ところが、ちょうど評判が立ち始めた頃に、彼は陸軍に徴兵される

入隊数日前カフェ・ボヘミアでのアート・ブレイキー、ジャッキー・マクリーンetcセッションに飛び入り参加

霊柩車が1台現れて、だれかと思ったら、ジミー・スミスでオルガンを積んできたんだよ!ああ、もうすぐ陸軍に入るから、こういう凄い人たちを二度と見られなくなるんだと思ったら悲しくなってきて、『くそっ』なんて言いながら、やけ酒をしていたんだ」。ところが、ウェインを見つけたドラマーのマックス・ローチが話しかけてきたという。「ニューアークの子だろ?ニューアーク・フラッシュ、そうだよな?噂は聞いてるよ。ホーンは持ってきたんだろ?」。ウェインはすぐさま車に戻り、サックスを持ってきた。

[死を覚悟して入隊したら、すでに戦争はなく退屈な日々。配属先のフォート・ディックスではシダー・ウォルトンと出会う。]

観客を意識したステージ衣装。スーツから靴下・下着まで揃いのジャズ・メッセンジャーズ。ソロの際にジャケットの袖がまくれて見えるカフスにはJMのロゴ。

あの頃は「大酒とハード・パップ漬けの日々だった」とウェインが言うように、メッセンジャーズは多忙な日々を送っていた。さまざまな意味で、50年代末はジャズ・ミュージシャンにとって理想的な時代だった。ビートルズの北米襲撃はまだ先のことで、ジャズは依然としてポップ・ミュージックであり、ブロードウェイでミュージカルを楽しんだあとはバードランドやアポロ劇場といった“流行スポット”に向かうというのが遊びの定番だったのである。バードランドの客席には「ピーナツ・ギャラリー」と呼ばれる一角も設けられていた。割安の料金で座れる席が10ほど用意されており、ティーンエイジャーの男女が朝までコーラを飲みながら過ごすこともできた。

不遇の死を遂げたレスター・ヤング

アルバム『アフリケイン』に収められたもう1曲は、その年の3月15日に亡くなったレスター・ヤングのために書かれたものである。この曲「レスター・レフト・タウン」は鎮魂歌なのだが、暗い印象はまったくない。ゆったりとした下りのメロディーが印象的な同曲は、レスターの独特な歩き方をイメージして書かれている。ウェインによれば、レスターに初めて会ったとき、まず目についたのがその特徴ある歩き方だったという。「あの曲はレスターの歩き方を表現しているんだ。すごくクールなんだよ。両足をあまり上げずに、つま先を少しだけ内側に向けて歩く。内股の一歩手前という感じかな。『おっ、プレズのお出ましだ。歩き方で分かるよ』と、みんなでよく言ってた。で、レスターがやって来る。ギグ・バッグを抱え、ポークパイ・ハットに黒いロング・コートを羽織って、気ままにのんびりとした調子で歩きながら。『よお、これでいいんだろ?そうだよな?』と言いたげな表情を浮かべてね」。

ジミー・スミスやグラント・グリーンで儲かっていたブルー・ノート。

アルフレッド・ライオンが、もうワン・テイク、今度はもっとバック・ビートを効かせてやってくれないか、と要求した。

「もっとダウン・ホームな感じにしたいのか?」とリー・モーガンが訊いた。

「そう、もう少しグリースの効いた感じにして頂くことはできないかな?グレイヴィー(・ソース)を加えたような」。ドイツなまりのアクセントに、ヨーロッパ出身者らしい丁寧な言葉遣いにジャズ用語を混ぜた奇妙な表現で、アルフレッド・ライオンが答えた。

「つまり、もっとコマーシャルにして欲しいと言っているんだ」と、フランク・ウルフが通訳した。

すかさずライオンがウルフをたしなめた。「そんな言い方じゃ、身も蓋もないじゃないか!」

ここでついにアートが自らの意見をはっきりと口にした。自分がセッションの実権を握っていることを知らしめるために。「ここは我々の専門領域だ。御託を並べるのは、サウンド・ブースの中だけにしてくれ」

ショーターが欲しいマイルス。でも先輩ブレイキーのメンバー、手出しはできない。

1961年、彼はウェインのニューヨークの部屋に初めて電話をかけている。ウェインが受話器を取ると、誰かが複雑なコード進行の曲を弾いているのが聞こえてきた。まるで僕が書いた曲みたいじゃないか。そう思いながらウェインは演奏に耳を傾け、その素晴らしさに魅了された。数分間に渡って演奏が続いたあと、マイルスがついに口を開いた。「ギターはクソだな。そうだろ?」ウェインがこれに同意すると、マイルスが訊いてきた。「お前、今のところで満足してるのか?」「ねえマイルス、ベネディクト・アーノルド*2みたいな男を好きなやつはいませんよ」。それがウェインの答えだった。マイルスは、メッセンジャーズのショーにも何度か足を運んでいる。彼は最前列に陣取ると、ソロを吹くウェインのことをヴードゥーの魔術をかけるかのような鋭い目つきでじっと見つめていた。フレディ・ハバートは言う。「理由が何であれ、マイルスにあんなふうに見られる相手がおれじゃなくて良かったよ」

[しまいにはツアー先にまで電話してきて、電話口のブレイキーに、マイルスですけど、ショーター君お願いしますと言っちゃう始末]

クレバーなショーターが「そーか」の暗黒面に堕ちていく話は明日につづく。

[関連記事]

*1:ウェインの兄

*2:アメリカの独立戦争でイギリスに内通していた将軍

2006-12-14 宮崎駿「風の帰る場所」 このエントリーを含むブックマーク

音楽を聴くのが楽しいせいか、本を読む根気がなくて、ついこーゆーの読んじゃうね。


風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡

作者: 宮崎駿

出版社: ロッキング・オン 発売日: 2002/07/19

  • 1990.01

渋谷陽一の前衛的自己表現欲みたいなのはないのですかという問いに、

集団作業だし

少なくとも子供に向けて作品を作りたいっていうふうに思ったときから、そういう部分で映画を作るのはやりたくないと思ってます。映画だけじゃないです、他のものでもそうです。それは大人に向けて作るときは、また違うでしょう。大人に向けて作ったら、たぶん『あなたは生きてる資格がないよ』ってことをね(笑)、力説するような映画を作るかもしれませんけど」

ゴローおおお

(左翼的理想主義捨てないですねと言われ)

[圧政に立ち向かう]そういう瞬間をたくさん持ったほうが人生っていうのはやっぱりずっといいですよね。(略)

そういうことを一回も経験せずに終わるのとね、やっぱり隣にいた奴の顔は知らないけども、なんか仲間だなあと思って高揚した瞬間を持った人生のほうがねえ。(略)」

「それは、そういうのは自分の息子にも味わわせたいしね。それで、今はお互いにくだらなくなってるけども、そういう瞬間が来たら、やっぱり前よりずっと親密になれるんじゃないかと思って人を眺めることができるとか、そういうふうなことのほうが僕はやっぱり同じ時間を生きるなら、ずっとましだと思う。

手塚治虫

「どうして彼があんなにアニメーションにこだわるのかってときにね、やっぱり彼の漫画が日本の漫画から出発してるんじゃないことなんですよね。ディズニーのアニメーションから出発してるところなんですよ。それで、とうとうあの人はやっぱり・・・・あるところではものすごく優れてるのに、その自分の親父さんをどっかで殺し損ねてるんですよね」(略)

「ディズニーを否定しきれなかったんですよ。やっぱり少年の日のまぼろしなんですよ、もう理屈を超えてるような気がするのね。

  • 1992.09

自己全開の「紅の豚」が出てわが意を得たりの渋谷陽一。

なぜ今これなのか

バブルがはじけたときに(略)管理社会っていうのはバブルだったんじゃないかってわかったような気がしたんですよ。『管理社会に食い殺されるな』っていうふうなエールを送る作品なんていろいろ言ってきたけど、なんかこの管理社会そのものも一種の幻影でね。もちろん没落期になるともっとヒステリックになるから、一段と管理が強まったりするだろうけど、同時にそれも力を失っていくだろうと。説得力を失ってヒステリックになっていくだけだろうっていう。(略)

国境もなにもいろんなものがひしめきあい交じりあいながら生きていかなきゃなんないっていうときに、80年代の簡単な民族主義や安直なニヒリズムの刹那主義はうんざりだっていう。だから、どういうようにして自分は生きていけるかっていうことも含めてね、もう少し本質的な映画を作らないと駄目な時期がきたと思うんです。

ソ連崩壊はショックじゃなかったけど

その後また民族主義かっていう、その。“また”っていうのが一番しんどかったですね。第一次大戦の前に戻るのかっていう感じでね」(略)やっぱりユーゴの紛争が大きかったんです。(略)

それがこの映画作ってる最中に重なってきたから『オレは最後の赤になるぞ』っていう感じで、一匹だけで飛んでる豚になっちゃった(笑)。

だから、ある意味でものすごく個人的な映画になってしまったという。そういう恐ろしい現実に直面して

「魔女宅」「おもひで」がヒットして荒れる御大二人

‐ある意味で埋めるためということであるだけに余裕を持って作られてるっていうのが一つと、悪い表現ですけど、手練の仕事的な部分があって、それがすごいメガヒットに繋がったっていう要素は一つあると思いますね。

「ええ、そうですね。そういうことだろうと思います。実はパクさん(高畑勲)も終わってから、ちょっと荒れてるんです(笑)、僕はその気持ちすごくよくわかるんです。やっぱりねえ、ああいうものを作るとつらいですね、『魔女の宅急便』を作った後、僕もちょっとつらかった。それは言い訳がいろいろありましたから。しょうがないからピンチヒッターでやったんだとかね、そういうのがあったとしても、実のこと言うとちょっとつらかった。それが一番ヒットしたから、なおさらつらかった。『これをもし続けたら駄目になるな』っていうふうに思ったんですよ」

  • 1997.07

逃げろ庵野

「それはだって本人からも聞きましたから。テレビシリーズのときに、どういう目に遭ったかってことをね。それで、本当に困ってたから、『逃げろ!』って言ったんですよ。『本当にやりたくないんですよ』って言ってるから、『映画なんて作るな』ってね。すべてを出しきった人間の状態っていうのは自分の経験でわかりますからね。出しきったときにね、商売上の理由でそれを続けなくちゃいけないってなったら、どういう気分になるかって考えたら、もうこれは本当にものを作るのを続ける気なら、逃げたほうがいいですよ。自分が作ったものに縛られてね、結局大嫌いなおじさんたちの餌食になるだけですから。(略)

それよりもちょっと心配だったのは、あいつのほうがしたたかだと思うんですけど、ああいうのをやってしまうと、自分の作ったものに縛られていくでしょ。ヤマトとか、ガンダムとかね。そういうものに、縛られると最悪なことになりますから、なるべく自分が作ったものは、足蹴にして観ないようにして、別なことを始めるっていう……だって、それで稼いだんだから、その金で姿をくらますこともできるはずなんてすから。それ言うと『私はスタッフを抱えてるから』なんて言うんだけど、『スタッフなんておまえのことなんか考えてないんだから、捨てて出ていけばいいんだ』って言って。そういう余計なことをいっぱい言いましたけどね」

押井守

「いや、観てないんですけど。わかるんですよ。士郎正宗の『攻殻機動隊』は読みましたもん。これ全部入らないから、どうせ適当に全部意味ありげに語るんだろうって。意味ありげに語らせたら、あんなに上手な男いないですからね(笑)。(略)

実に語り口は巧妙なんですけど、要するに押井さんが言ってるのは、東京はもういいやってことなんだろう、だから、伊豆に行って犬飼うんだろうって。(略)

「いや、基本的に友人ですからね。だから、元気に仕事やっててほしいんですけどね。でも、押井さんはね、本当はものすごく生活を大切にする人で、彼が作ってるような形而上学的なとこで生きる人間じゃないと思うんですよ。(略)本当はものすごく健全で、潔癖な男なんですよね」

 --鋭いですね

「そんなことはもうちゃんとわかってますよ。朝早く起きて、夜は寝るもんだってね。そのくせジブリはスターリン主義だとか、いろんなこと言うんですね(笑)」

宮崎駿と高畑勲の世界観がずれてきてるのではという問い

−どうなんですか、高畑さんは戦友でもあるわけですけど。

「パクさんはもう作品を作らないほうがいいなと僕は思ってますよ」

−世界観のディスカッションはもうしないということですね。

「もう、しません。全然関係ないことを二人で話して、あははと笑ってるだけです。それはもうそういうものですよ。一時期本当に一緒にやったわけですから。資質の違いとか、取り返しのつかない部分も含めてね。それはもういいんじゃないのかなと思ってます。それぞれが意地で自分の範囲で生きようとしてね、とりあえず人間ってのはその範囲でやるしかないと、あの人は初めからクールに決めてるから。それはお互いによくわかるから。

  • 2001.07

鈴木敏夫

湯婆婆には、湯婆婆のストーリーというか、大人の生活があるはずですから。プロデューサーはね、夜な夜ななにをやってるか知りませんけども、なんか出掛けていくしね。なんか難しい作業をしていたらしくて、グッタリ疲れて帰ってくるし(笑)」(略)

徳間書店の本社の会議でクタクタになって帰ってきたりなんかしてるの見てると、なんか知らないけどバタバタと飛んでってね、で、いつの間にかバタバタと帰ってきてるって、その程度でいいんだっていうことですね」(略)

‐鈴木(敏夫)さんが湯婆婆なんだあ(笑)。

「ええ、頭のデカさだと僕なんですけど。本当にスタッフにはそう説明しました(略)

「いや、まあ、湯婆婆は鈴木さんと僕の合の子っていうか、混ざったもんだっていうようなこと言うと、みんなよくわかったみたいですけどね。突然理不尽に怒鳴るとかね。でも、経営者っていうのはそういう側面を持ってますよ。やっぱりお金も必要なんですよ。愚かな母親でもあるからね」

コミック版の『ナウシカ』の「庭」

やっぱりここに寄んなきゃ駄目だなって寄ったんですね」

−それはもうあえて出したっていう感じですか?

「いや、寄らざるを得なかっただけなんです。庵野には言われましたから、『あんなことするから時間がかかるんだ』って(笑)」

−庵野さんの場合、あすこに寄りっぱなしみたいな気がしないでもないですけどね。庭に住んでる人というか(笑)。

「ええ、そうですねえ、庵野はそうですねえ、困ったですねえ。自意識の井戸なんか掘り始めてもね、そんなものはただのカタツムリが貝殻の中をウロウロしてるようなもんでね、先までいったらなにもないってことはもう十分わかってるんですよ。それなのにまた回るのかっていう。(略)

「生き永らえて四十代に入るんだったら、『エヴァンゲリオン2』を作り続けるか、そうじゃなくて誰かのために映画を作るか、その二つの道のどっちかを選ぶしかないって。そうしたら、実写に逃げやがって、あの野郎。あれ、逃げですよ、ただの」(笑)

(略)

−押井さんも一緒ですかね。

「うーん、押井さんよりもずっと庵野のほうが才能ありますよね。押井さんの実写はもう、あれ学園祭向きのフィルムから一歩も出ないから。あれ反復強迫だと思うんですよ。完成品を作っちゃいけないっていうね。押井さんの実写によくスポンサーがつくなと思うだけで(笑)」

(略)

「だって、たかが武装ヘリコプターが一機飛んだだけでワクワクしてるの、ただのオタクだって」

−宮崎さんももオタクじゃないですか。

「オタクったって、僕は、ああいう鉄砲のオタクっていうのが一番嫌いなんですよ。はっきり言いますけど、ああいうのはレベルが低いと思ってるんですよね。鉄砲の中でも、ピストルのマニアっていうのは一番レベル低いんです、一番幼児性を残してるんです。(笑)

  • 2001.11

ナウシカのラスト

映画の最後の大ラストのところで絵コンテが進まなくなっちゃったんですよ。なぜ進まないかっていったらね、王蟲を一匹も殺したくないんですよね。『もう殺したくない!人間は殺しても王蟲は殺したくない』っていう気持ちが強くて(笑)。それで最後、パクさんが、『殺しゃあいいんだ!』って怒鳴ってね。『じゃあ殺す!』って、それであっという間に絵コンテができたんですよね(笑)。

(略)

やっぱり僕は通俗文化の担い手のー人だっていう自覚が強烈にありますから。これ手塚さんだったら、ナウシカを殺すなって思ったんですよね」(略)

それで、王蟲がナウシカを連れて森に去っていくっていうので、みんなで泣くっていう映画を作るなって。僕はそんなことしてたまるかって思いましたからね(笑)」

ナウシカからラピュタへ

「いや、やっぱり四十歳にもなってね、プロダクションを辞めて、仕事のチャンスがないっていうことの苛立ちみたいなものが、とにかくこういう形で一回満たされた途端に、今度は素っ裸で自分がなにほどのものかっていうかね。(略)

だから、『ナウシカ』の後、『ナウシカ2』を作らないかとか(略)当然会社のほうから出たわけですけども、なんか裏切りたいんですよね。(略)ハンコ押されるの嫌だっていうね。『ああ、エコロジーの宮崎さんですね』ってなってしまうのは嫌なんですよ(笑)。それで、かわしたい、裏切りたいっていうのもあって、『ラピュタ』みたいなのをやっちゃおうって思ったんです」

助走としての「耳をすませば」

ただ『もののけ姫』に僕はすぐ入れなかったんですよ。だから、実のこと言うと『耳をすませば』っていうのをやろうって近藤喜文を巻き込んだのは、もちろん近藤喜文にやらせたいっていうのも本当にあったんですけど、助走としてああいうものをちょっとやってみたかったんです。それなしに『豚』から突然ね、『もののけ姫』にはならないですね。なんかやっぱりこの現代に生きてる子供たちに向けて、なんかこれは面白いんじゃないかっていうものを作りたい、だけど、それをやってしまうと次の作品に全力投球できないから、これは人にやってもらうしかないっていうところで、このモチーフであれば近藤喜文がいいだろうっていうふうに、実に辻棲が合ったんです。だから、『耳をすませば』では僕は監督じゃなくて、絵コンテ・マンをやっただけで。そういう意味では、僕にとって傍流なんですけど、ほんとに大事なステップだったんですよね」

[関連記事]

ジブリはスターリニズム

chourouchourou 2006/12/16 00:29 とおりすがりの者ですが。
押井守の引用のところ、『史郎正宗』→『士郎正宗』です。。

kingfishkingfish 2006/12/16 01:04 ありがとうございます。
早速訂正しました。
言い訳すると、僕のタイプミスじゃなくて、RO社の誤植w。

2006-12-13 孫にモテるための本 このエントリーを含むブックマーク

ノースアジア大学付属のびのび幼稚園」なんてネーミングに脱力したついでに、無意味本。

こんなことまでマニュアルにするなよという気持で手に取ってみたら、上役のくだらない企画で部下が遊んでおりました。表紙からして完全実用書モードなんですが、内容はイニシエのホイチョイ臭w。もし孫が「問題児」に育ったらetc。


図解 孫にモテるための本 (目からウロコのさんぶん図解)

作者: 目からウロコの編集部,シルバーライフ研究班

出版社/メーカー: 第三文明社

発売日: 2005/11

孫の親を育てた人間に「抱き方」指導もねえだろうと思うが

そうです、抱っこのうまさは「孫にモテる」の基本中の基本なのです。抱っこがうまければ、孫はそれだけであなたのトリコとなる可能性も高いのです。孫ができたら何はともあれ、抱っこの達人を目指しましょう!

入学祝

(最後の言い切り方が凄くムカツキました)

ただし学習机は、部屋の広さの事情や他の家具との調和の問題で、わりと難題です。そこでランドセルがオススメなのですが、それにはもう1組の祖父母よりも先に、「ランドセルはウチが買ってあげるからね」と言わなければなりません。もう、孫が産まれた瞬間に「ランドセルはうちっ!」と宣言しておいてもいいくらいです。

お小遣いの基礎知識

最近の主流は、学用品やおもちゃなど、どうしても必要なものは親が買い与え、子どもが自由に使えるお金を持たせないのです。というのも、自由になるお金を持たせたら、何をしでかすかわからないほど、誘惑にあふれていると考えられているからです。(略)

孫の世界はたった300円でもパラダイスといえるのです。親(子ども夫婦)はいい顔をしないでしょうが、孫に「誰にも内緒だよ。ふたりの秘密だからね」と言って小銭を渡し、買ってきたものを預かってあげれば、孫からモテモテになるのは火を見るより明らかです。

金額の大小よりも、この「秘密の共有」こそが孫と仲良くなるキーワードなのです。ただお金を渡すのではなく、ときにはアイスクリームやガムなど何か少額の買い物を頼んで、「お釣りは●●クンにあげるね」と言ったり、あげ方にもメリハリをつけましょう。

いま「職人」が孫にモテモテ

職人は自分の息子には厳しく、スパルタで育てていますから、父親はいつまでたっても頭が上がりません。ところが孫には人格が変わったかのように甘いため、孫から見れば「パパを押さえてくれて、しかも自分に優しい」という神様みたいな存在です。

そして職人は意外とオシャレ。(略)普段着が苦手な会社員とは一線を画しています。ケンカも強そうですし、子どもがなつかないワケがありません。

いなせな格好でガード下の焼鳥屋や寿司屋に連れていってあげましょう。ファミレスや回転寿司しか知らない孫には、まるでテーマパークに思えることでしょう。

もし孫がニートになったら

ニートの多くは社会デビューにつまずいてしまっただけで、本音では働きたいのです。(略)「甘えんな!」と怒鳴りたい気持ちを抑えて、孫の求める条件にあう仕事を探す手伝いをしましょう。孫をハローワークに誘ったり、就職セミナー情報を集めたりと、老化予防にもなって一石二鳥くらいの感覚でどっしり構えてあげましょう。

孫がオタクになったら

一般にオタクが敬遠される理由は容姿がダサいからではなく、同好の人間以外とのコミュニケーションが苦手だから(交際上手なオタクは「マニア」と呼ばれ区別されます)。オタクも一般人との交際ベ夕を自覚しており、世間に対して萎縮しがちですから、「おまえの話は面白いねえ」「その情熱は大したもんだよ」とホメあげてあげましょう。

わけのわからない服を着せられている孫

あきらめましょう。(略)

3歳の孫娘が豹柄の毛皮に厚底のブーツをはかされていても、5歳の男の子がチンピラみたいなジャンパーを着せられていても、それは仕方のないことです。我が子にそんな恰好をさせるあなたの子どもを恨みましょう。また、子どもをそんなセンスの持ち主にしてしまったのは、あなたなのです。

2006-12-12 〈悪口〉という文化 このエントリーを含むブックマーク


〈悪口〉という文化

作者: 山本幸司

出版社/メーカー: 平凡社

発売日: 2006/11/16

悪口祭におけるルール

ゞ惷舂

泥棒・姦夫・癩病。

泥棒・貧乏など「〜ぼう」のつく言葉。

匿名性の保障

夜間に行われたから自然と匿名性は保たれたが

さらに一般的な悪口祭ではなく、不行跡を知られた特定の個人を攻撃する千葉笑いなどの事例では、確執を後日に持ち込ませないために、発言者を特定させない工夫は、より深刻な意味を持っていた。たとえば千葉笑いでは、顔を隠し、頭を包み、風体も変えて集まるといわれているのは、そうした努力を示すものにほかならない

集団による発言

発言者自体がザットナでは子どもたち、だんぎでは回国の雲水となっており、いわば発言者を直接の怨恨の対象にはしにくい。また佐喜浜八幡では多くの人間が関係する村芝居の場が、不行跡の公開の場となっているので、これも特定個人を恨むわけにもいかない。そういう意味では、これらの行事ではいずれも何らかの形で、発言者を保護し、あるいは発言者と対象者との確執を避ける仕組みができているといえる。

ぜ体蝋垰箸龍愡

何を言われても怒らない・手出し厳禁

悪口祭の悪口はあくまでも祭という非日常的な場における発言であって、それは日常の場に持ち越されることなく解消されなければならない性質のものだからである。

  • 事実なら「悪口」ではない

いかに一般的には侮蔑的な発言であっても、それが事実ならば、悪口とは認め難くなる

善願が相手の浄日の祖母本阿のことを、「口舌に任せて」古白拍子であると訴状に記したのは罪科に当たると浄日側が訴えたが、善願は本阿はもともと白拍子であったので、そう記したまでで、むしろ「口舌」の言葉こそ悪口であると反論した。この事例では、双方とも却下されており、その裁決が、どの程度この点についての事実認定と関わっているかはわからないが、事実であるか否かが悪口罪における一つの論点となっていた証左とはなろう。

(略)

冒頭に挙げた波多野忠綱の場合も、「盲目」という全く事実と反する感情的な暴言でなく、三浦義村の主張が虚偽だと言うに止めておけば、仮にその発言を三浦側が悪口だと申し立てても、事実に照らして少なくとも悪口罪にはならなかったのではなかろうか。

サリカ法でも

式目と対照して興味深いのは、次章で紹介するゲルマンのサリカ法の規定である。サリカ法にあっても、男色家・糞まみれ・狐・兎といったいわゆる一般的な悪罵とは異なって、「売春婦」と呼んだ場合や「楯を投げ捨てた」という汚名を着せた場合、あるいは「密告者」「嘘つき」と罵った場合など、背後に何かある具体的な事実の存在を予想させるような発言をした場合には、それが事実であることを証明しなければならず、証明できなかった時にのみ罰金が科されている。逆に言えば、それが事実なら罪にはならないという点で、幕府法と同様なのである。

rough music(英国)

「共同体規範に違反した者に対し儀式化した形態で行われる敵対的行為」

音の出るものなら何でも総動員で、芝居仕立てでどんちゃん騒ぎする。

ウギャーな部分を斜体にしてみた。

行列やら似姿の引き回しやら、いろいろの形態で行われる敵意の表現は、恥辱を完全に公開してしまうということを意味している。たとえ演者が仮面をつけたり変装したり、あるいは夜の間にやってきたりという形で、見かけ上は匿名性と非人格性を持つように儀式化されていたとしても、それは、何ら告発を弱めるものではない。このような形態で表現されることによって、告発は、隣人同士の偶然的喧嘩ではなく、共同体の裁きであるという、はっきりした姿を取るのである。以前は敵意のこもった噂やまなざしでしかなかったものが、明白に共同のものとなる。以前には私的にしか語られなかったことが、公に明らかにされ、攻撃対象となった者は、すべての隣人や子どもたちの目に自分は軽蔑さるべき者と映っていることを知りながら、翌日の朝、共同体のなかに再び姿を見せねばならない。

(略)

ことにそれが毎晩繰り返される場合には、まさに「太鼓やトランペットの鳴りもの入りで」犠牲者を近所から追い払う、ということにあった。ある目撃者は「一般に、罪あるとされた者たちは、かれらにこのように向けられた憎悪を、それ以後耐えることはできなかった。そしてひそかに、その土地を離れたものであった」と伝えている。あるいは「有罪の者に対して正規の仕事が拒否され、そして、商人や何かは、彼らの商売を放棄することが普通であった」ともいわれている。

「村の裁判所」

ラフ・ミュージックのなかには、実施される前に地域共同体の中で実質的な討論が行われ、すでに判決が下されていたことを推測させるものがある。たとえばウォウキングという土地では、「村の裁判所」のあることが、知られていた。それは、「居酒屋で開かれ(中略)しかし、いつ、だれによって、そしてどのようにということは、もっとも深い秘密のなかに保たれていた」。

イヌイットの歌決闘

イヌイット社会において、このように歌決闘が紛争解決の有効な手段となっている背景を考えると、いくつかの要素が挙げられるが、まず最初の前提として、イヌイット社会には、恥辱を極度に忌避する社会観念が支配的だという点が重要である。すなわち歌決闘で自分の不品行や失敗を公にされることに対する恐れの念が、そうした行為を抑制させるとともに、もしそうした行為を犯した揚合には、歌決闘というはなはだ不面目な形で制裁を受けるということになる。(略)

その点で指摘しておかなければならないのは、われわれの考える意味での司法警察機構をほとんど完全に欠いているというイヌイット社会の特質である。つまり彼らはそうした機構を欠いているがゆえに、それにかわる自律的な紛争解決手段としての歌決闘に頼らざるを得ず、そのためにこれによる解決が最終的な解決なのだという社会的な合意が保持されてきたのである。

アラブ社会の嘲笑詩「ヒジャ」

イスラムに先立つアラブ社会において、詩人の重要な機能は、部族の敵に対してヒジャ(嘲笑詩)を作ることであった。ヒジャの韻文は、神によって霊感を与えられた預言者や司祭の発する、荘重な呪詛の文言と全く同じような効果を持つものとされ、しばしば矢にも比べられるように、現実に人を殺す力を持っていると受け取られていた。したがってヒジャは戦争において、実際の戦闘で使われる武器と同じくらい重要な要素で、戦争の帰趨はヒジャの有効性次第とまで考えられていたのである。(略)

対峙する部族の詩人同士が、まるで槍を投げるようにヒジャを投げ合うと、それを投げられた者は、これまたちょうど槍から身をかわすかのように、体をかがめたりよじったりしてかわしたものだとされている。

敵のテンションを下げろ

「籠城ご苦労様です。どうやっても、なかなか持ちこたえることはできないでしょうから、ご降参なさい。そうでなければどこからでも突き破ってお出で下さい。お首を早く頂戴したいものです。とにかくお首を頂戴しなくてはどうしようもありません」

などと敵の気にしていることを申し掛けるという戦術が記されている。しかもその際、敵を無用に挑発して反発させるような言葉は避け、敵の心を暗くするようなことばかりを選んで言い掛けるという、人間心理の綾を読み取ったような戦術である。

中田薫「栄誉の質入」(『法制史論集』)

名誉の喪失が社会的な死を意味する社会では、借金の担保として自己の名誉を賭けるという慣行が成立した。

中田の視野は日本以外の事例にも及んだ。それはヨーロッパ諸国の中世に行われた、債務不履行者に対する凌辱法である。(略)

13世紀以降のイタリア諸都市で、債務者か公衆の集合する場所に置かれている特別の岩石または石柱の上に、無帽・裸体か下着だけの姿で立ち、尻で三度その石を強く打って、自分は財産を引き渡すと言わなければならなかったという話が紹介されている。

中田によれば、イタリアの方式はフランス・ドイツなどの大陸諸国に輸入されて変形され、アヴィニヨンでは債務者にみすぼらしい衣服を着せて市中を引き回し、先導者が「今後この人間に金を貨すな」と叫ぶという方式が、あるいはザクセンやハンザ諸都市では晒し柱にさらしたり、恥辱の鐘を鳴らすなどという方式が行われた。(略)

イタリアの諸都市では緑色の緑なし帽や狐の徽章のついた白の緑なし帽を被らせたし、バンベルクでは、右の脛と足とをむき出しにして町を歩かせ、膝より長い衣服を着けることを禁じ、バイエルンでは債務完済まで頸に財布を懸けさせた。

2006-12-10 思想とはなにか 吉本隆明 このエントリーを含むブックマーク

文学話のとこを主に。


思想とはなにか

作者: 吉本隆明,笠原芳光

出版社/メーカー: 春秋社

発売日: 2006/11

下町の悪ガキ

芥川のそういう面を典型的にいうなら堀辰雄とか立原道造とか育った場所も同じようなところです。堀辰雄だってあんな国籍不明のきれいな話を書くガラでもないし、立直道造はもう少し裕福な商家の出ですが、場所は同じようなところです。そういう人は現実離れしていくか、となりの家の米櫃を覗いたみたいな小説を書くかそれしかないのです。東京の下町というのは特異なところで、それをかわしながら文学的に一家をなしていくのはそれしか方法はないとおもいます。

早く死にたい

[批評を確立したのは小林秀雄だが]

なんていっていいのか、一種の思想オンチです。芸術オンチではないですね。あるいは文学オンチではない。(略)

日本の古典のなかで思想的な問題でこれを抜かしたら問題にならない「一言芳談」というのがあるんです。浄土系の坊さんたちの短い言葉を集めているわけですが、それはすごいもので、つまりこの世よりあの世のほうがいいんだと公然といっている。これは日本の思想史上でピカイチのものですが、小林秀雄は残念ですけど、そのなかから一番つまらないところを挙げているだけなんです。(略)

法然から一遍に至るまで、露骨にといったらいいのか、率直にといったらいいのか、もうこの世はだめだから浄土にいかないといけないとか、そのためにわざわざ食べないで死んでしまう坊さんもいる。それから一遍みたいに(略)無一物で旅から旅へ歩いて、それで死んでしまうのが一番いいんだということを真正面から書いています。そんなことばかり書いてあるものは日本でも初めてだし、たぶん世界的にもどこの宗教もいっていないし、一遍のようにやってしまっているところもありません。

こういうのを読んで、小林秀雄はなんともおもわなかったのかなあ。これに感動しなかったら話にならないじゃないかとおもうんだけど、彼は感動していないですね。(略)

宗教の専門家が「とく死なばや」といっている言葉に触れないというのは思想オンチとしかいいようがないです。

親鸞

一遍はこの世はだめだから早く死にたいといいますが、親鸞は一切いわない。人はいつ死ぬかわからない、わからないことをいかにもわかったように重要視するのはおかしいからやめにしたほうがよいといっています。これも大思想だとおもいます。

  • 仲の良かった奥野健男に結婚後ちゃんと性交できたと三島由紀夫が報告してきた(当てにはならぬがとことわりつき)
  • 吉本の誕生日に三島が切腹した

村上春樹の安原告発文における「高名評論家」とは

安原くんがわざわざ素材を江戸時代にとって小説らしい文体で小説を書いてぼくのところに持ってきたのですが、これが読めたものじゃない。「いや安原さんよ、あなたよく新聞に作家の悪口とか書いているじゃない、あれにあやをつけて書けば小説になるよ」といったんです。村上春樹が「ある高名な批評家が自分*1の小説を誉めたといった」と書いているのですけど、「ある高名な批評家」とあって名前はでてないけど、おそらくこれは俺のことじゃないか(笑)。「高名な」という理由はないんですよ。(略)

おそらく安原くんは、ぼくが誉めた誉めたと誇張していったんじゃないかな。ぼくは誉めたことはないのにね。それから村上春樹から読んだこともないくせに「高名な批評家」といわれる筋あいはないわけです。

理想の給与体系

笠原さんのいわれた大学の理想主義について、ぼくが前からいつも感じている不服があって、たとえばいまの例でいうと職員も教授先生も平等な給料で、というのは一見いいようだけど、それはちがうんじゃないか、といつもおもっていました。(略)

上役が主観であろうが好き嫌いであろうが、「こいつは気にくわない」とおもっている人には給料の上げかたが少ないということなどに関しては自由にする。しかしいまいった勤続年数などの条件については、勝手に主観を交えて左右してしまうことはしない。両方にそういう限界を設ける。それでもってどっちのほうが勢いが強いかどうかはその都度ちがうでしょうから、限界線が働く側に有利になったり、経営者に有利になったりすることはあり得る。

だけどある限界以上は給料は勤続年数によって決まるとして、上役の文句はいわせない。両方とも限定を作っておくということが重要です。これがぼくの考える理想の給与の形態です。

平等はあんまりいいもんじゃない

現在の社会のなかで平等を謳ってそれが一見よさそうに見えるけど、現実の状態からいってそれを要求するというのはある範囲でやるのがいいとおもいます。結局そういうやりかたが一番いい。平等というのは一見いいように見えてあまりよくないんだ(略)

一般社会においてこの平等というのをやると、だいたい平等になった者のあいだで感情的にぎくしゃくするのです。上役とのあいだは仕方がないとあきらめている人もいるし、あくまでもけしからんという人がいろいろといるわけで、だから規定が必要なわけですが、それよりも大勢の人が働いているときの問題で一番壊れやすい原因は仲間同士なんです。たとえば悪平等だと、あいつがおれと同等というのはおかしいじゃないか、というふうに仲間同士の問題が一般社会と食いちがっているとして、起こりやすいわけです。

職業的組合の欠点

これを当時の総評にいったって全然話がつうじませんね。なぜお前そんなことを考えるのかとなって。いまの連合だったらなおさらつうじないですけど。あんなところの幹部なんかになっている奴はロクな奴じゃないとぼくはおもっています。つまり元の職場に帰ると給料が減っちゃうわけですよ。組合の給料はいいですから。だからいったん幹部になってしまうと、代議士にでもなろうという以外方法はないわけです。(略)

そういう面だけでいうと資本家は両方に、経営者にも組合幹部にも資金をだすのです。経営者というのは利口ですからどっち転んだっていいように両方にだすのです。ぼくはどっち転んでも安心だとおもっている奴をひっくり返すようなことをしたいなあとおもいますね(笑)

思想の可能性

いいことをいっているとか多くの人の役に立つことという外観、外見をとらないことが必須条件だとおもえるのです。

いまいいことをいっている人は全部ダメとおもったほうがいい。それだけは確実だとおもいます。道徳的な善悪はもちろんですが、思想的に知的によいことをいわざる得ないはめに陥ったときには用心深くというか、いいことをいっているのではないよ、という形をとりながらいいことをいう以外にないとおもいます。それしか未来の可能性はないのではないか、とぼくはおもいます。

*1:安原氏

2006-12-09 町田康は呉智英を読むか このエントリーを含むブックマーク

花火はあんな平和で美しいのにおそろしい狂人だ。テリブルテリブル。

「真実真正日記」と名乗るデタラメな日記でオチは例?のパターン。


真実真正日記

作者: 町田康

出版社/メーカー: 講談社

発売日: 2006/11/03

さて呉智英は美人税を提唱していたが、町田康はそれを読んでいるのだろうかという話。

  • 淑女と下女のランチ

さして美人でもないのに女王様気取りの編集者と主人公作家が食事に行くと

女性専用のメニューとして、「淑女のランチ」というのと、「下女のランチ」というのが用意されていたのだ。(略)

どう見ても、「淑女のランチ」より、「下女のランチ」の方がその内容がよいのだ。(略)そしてさらにおもしろいのは、内容において見劣りのする「淑女のランチ」が二千五百円なのに比して、「下女のランチ」は千八百円なのである。

だったら誰だって、「下女のランチ」を頼むだろうと思うが、そう一筋縄にはいかぬというのは、「下女のランチ」というその名前で、「下女のランチ」はその名の通り、下女が食べるもの、と理解すれば、「下女のランチ」を注文するのに、若干の心理的抵抗を感じるのは無理からぬところだ。そこで、さあ、自分はきわめて優秀な絶世の美女で、もちろん淑女、と思いこんでいる殿上杜氏子はいったいどちらを注文するのだろうかと思って見ていると、メニューを見ていた杜氏子は、眉を、びくっびくっ、と動かし、それから上目遣いで僕の顔を見て、それからまたメニューに目を落とし、ボーイに妙に上品ぶった声で、「淑女のランチ」と言ったのだった。

  • 奴隷制復活

榎本半麺という人物が月刊誌で奴隷制復活をぶちあげて議論になっている。税金を免除されたい人は自ら申告して奴隷になり、そのかわりすべての公民権を返上するという制度を作れといっているのだ。(略)

いいといっている人には二通りあって、ひとつは税金を払わなくてよいのであれば別段奴隷になってもよいという人で、なにもいままでと急に生活が変わるわけでもない。会社での地位もそのままだし、急に給料が下がるわけでもない。運転免許証を取りあげられるということもなければ海外渡航が禁止されるわけでもない。ただ、選挙権や被選挙権を失う程度のことであって、選挙はいつも棄権しているし、自分が立候補することはまずなく、そんなことで税金を払わなくてもよいのであれば喜んで奴隷になるという人である。

  • 笙野頼子vs大塚英志に町蔵が!?

金に困り、ロック演奏と討論が交互に行われる奇妙な公開討論会に参加。主宰者は「年経りたオタク族といった体型の中年」で女性控え室を本部にしてるので女性が着替えできない。

おかしげなこともあるものだが、そのような立場にあるものは少女らを商品としてみているからそんなことは当たり前なのか。或いは、人事権、予算執行権を握るものとしての役得なのか。

だとすれば卑劣な話だが、そういえば、本来主催者がすべき出演者への挨拶や事務連絡はすべてアイドルグループの女の子が行い、主催者は一度も我々の前に正式にはあらわれなかった。

戦後六十年、日本の男は、「女の子」が身辺にかしずくのを当然のことと認識し、その制度を補完するものとしてアイドルなるものを拵え、さらに非現実的なアニメやコミックを生み出した。そして彼女らができないこと、すなわち、実際的な身辺のことは母親が行い、だから彼らは現実と接触しないで生きていられるし、現実との接触を忌避するのであり、つまり、ひきこもりやニートの問題はフェミニズムの問題なんですよ。

と発言したら会場内に気まずい空気が漂い、沈黙の後、司会進行役のアイドルの女の子の、「さっ。それではいよいよお待ちかねの、『シャークス』の登場です」という、それが棒読みであると誰にでも知れつつ、しかし随分ともの慣れた調子の明るい声が会場に響いた。

なんか最後の場面、若大将シリーズのチープな場面みたい。

  • さて肝心の内容

主人公のバンド名が「犬とチャーハンのすきま」(当然、ジンセーの「冷麺と情熱のあいだ」をおちょくっている)。

タイガースの「ス」を抜いただけで文章がギャグになるって凄いなあ。

新聞に阪神タイガーという職業野球の調子がよいと書いてある。

新聞だけではない。このところ週刊誌も月刊誌もテレビもラジオも阪神タイガーの話題で持ちきりだ。

そもそも阪神タイガーはぜんぜんだめな野球だった。負けてばかりだった。そのことを、またも負けたか八連隊、という文言と関連づける人はいなかったけれど。(略)

「おまえら」という月刊誌に評論家の人が、阪神は汎神に通ず。天下万民はすべからくこれを拝むべし、という珍論を書いていた。

昨日(六月十九日)も向かいの恵毛村さんと道であったら、「すっごいねえ、阪神タイガー」といって話をやめない。ただでさえ時間がないのに迷惑なことだ。

「おまえら」はコミック「YOU」じゃなく「諸君」ですからあ。

通りすがりの酔漢に、「おまえらポエジーもいい加減にしろ」と怒鴫らせて詩の朗読大会だけはなんとか終わらせた。あのままだといつまで続いていたか分からないのでその点だけは慌ただしい精神状態が逆に功を奏した。

今日の夕、阿呆田首夫の「百年間、牛の美しい五月」というくだらない小説を読んでいたら、どかんどかん、という爆撃音がするので慌てて表に飛びだしたら海の方に花火が上がっていた。

近所の人がみな涼みがてら往来に出て花火を見ていた。

ここから偶然知り合った人の家で酒を飲んで午前一時と話は流れ。

近所の人と一緒に飲むというのも面白いものだ。

奈奈元さんの家のラジオから流れてきたニュースによると、今日の午後五時頃、爆撃狂の人が自作の爆弾を自家用セスナから呆難町に投下、多数の被害を与えた揚げ句、自ら駅舎に体当たり爆撃して死んだらしい。

花火はあんな平和で美しいのにおそろしい狂人だ。テリブルテリブル。

2006-12-06 モダニズムとハーレム・ルネッサンス

とりあえず借りてハゲしくツマミ食い、スマンソン。


モダニズムとハーレム・ルネッサンス―黒人文化とアメリカ

作者: ジュニア,ヒューストン・A.ベイカー,Jr.,Houston A. Baker,小林憲二

出版社/メーカー: 未来社

発売日: 2006/04

ミンストレル・ショー

黒人が日常的に使っていること、卑近で身近な表現、つまりアメリカ黒人の生活にとって当たり前で当然と思えること、そうした中からさまざまなものを取り上げて誤用すること、あるいは記憶としてそのうちの一部を選ぶといった類の仮面をつけて喜劇へと仕立てることによって、アメリカの白人たちはアメリカ黒人の意味体系との関連だけで「意義をもつ」専用の仕掛けを作り上げてきた。ミンストレル・ショーとしての儀式性をあくまで守り、かつ陽気に騒ぐ人でいっぱいの芝居小屋で狂ったように浮かれ騒いで繰り返し演じること、それはまさに劇場の扉の向こう側、白人たちの内心の揺らめく炎の向こう側にいる「正真正銘の」アメリカ黒人を意識してのことであった。つまり、黒人の男女は人間性の欠落した言葉を誤用するものたちで、一日中のん気に楽器をかき鳴らし鼻歌を歌っているどうしようもない奴らか、さもなければ、ガス燈の舞台で偽造されているように、白人だけを残すことになるリンチという最終的な悪魔祓いにふさわしい凶暴な奴らだというふうに白人に思い出させること、そこにこの仕掛けの意図があったのである。

ブッカー・T・ワシントン自伝『奴隷から身を興して』

[奴隷解放という]偉大な日が近づくにつれ、奴隷居住区にはふだん以上に歌があふれた。それらの歌はいままでより自信に満ち、朗々と鳴り響き、夜遅くまでつづいた。プランテーション・ソングの歌詞は、そのほとんどがなんらかの形で自由に関連していた。本当のことを言えば、彼らはこの同じ歌詞を以前にも歌っていた。しかし彼らは用心深く、これらの歌に出てくる「自由」は来世にかかわるものであって、この世の生活とは無関係だと説明していた。ところがいま、彼らはおもむろに仮面を投げ捨てたのだった。彼らの歌に出てくる「自由」はこの世における生身の解放を意味している、彼らはそのことを知られてもいっこうに構わないと思っていた。

「名づけなおし」に関する記述

「どういうわけか、前の所有者の姓を名乗りつづけるなんてできないという感情が、黒人たちのあいだにいき渡っていた。彼らの大半は、前の所有者とは別の姓をつけた」

チャールズ・チェスナット『女まじない師』

まじない*1は変容の力であり、それが固定的で認識可能な「もの」だとする「形式」の定義を融解させる。奴隷制によって「物」あるいは「純粋動産」とみなされてきた黒人の男たちは、まじないを通じて季節の植物、木、あるいは灰色の狼に変容させられる。他方、白人の男たちは、無愛想で虐待される「新入りの黒んぼ」に変質させられる。黒人の子供は、ハチドリやマネシツグミに変えられる。黒人の女は猫になるし、ある年老いた黒人の男の足が内側に反っているのも、まじない師の「復讐」でラバに変えられたときの名残りなのである。

「クロンボのジョーク」

「いいかい、必ずおらたちが投票するみたいに投票してくれよ。おらたちは新聞をあんまし読めねえが、投票の仕方は知っとる。おらたちが投票するみたいに投票してくれ。(略)おらたちは白人のことを見守っとる。白人がどっちの側に投票しようとしとるのかわかるまで、おらたちは白人のことを見守りつづけとるだ。そんでもって、白人がどっち側に投票するつもりかわかったら、おらたちはそれとは正反対に投票するだ。そうすりゃ、おらたちが正しいってことがわかっただ」

地方の言語感覚 地方の言語感覚を含むブックマーク

  • 水商売テナント募集チラシの"All your base" なキャッチコピー

Free yourself from looking blue future.

霧は晴れた、もう迷わない

  • 粋女

通り道に二年程前に開店した小料理屋?の名前が

やんちゃ姫

だった。かなり笑撃だったが、それが潰れてリニューアルした店の名が

粋女

看板のふりがなによると「すき」と読ませたいらしい。最初にチラっと見かけたときに「すいじょ」なのだろうかとネット検索したら、「いおな」とか「いいおんな」とか、もう「本気と書いてマジ」の世界なのである。

あげくにDQN命名採取サイト(ttp://dqname.selfip.net/)に辿りつき、このようなものが役所に受理されてる事実に衝撃。新作落語「ジュゲノム」完成みたいな。

吹奏楽(すいそうがく)


射夢(じゃむ)


苺苺苺(まりなる)


枕鈴(ぴろりん)


しいたけ(しいたけ)


不可思議光(ふかしぎこう)

2006-12-04 ホームレス句集 このエントリーを含むブックマーク

前にやった「夜露死苦現代詩」の流れで図書館に行って面白そうな句集を探してみた。ホームレスと小学生の句集。

作者の大石さんはここでヒロシねたをやっていたとです。


句集 ホームレス天叫

作者: 大石太

出版社/メーカー: 創造書房

発売日: 1998/10/20

隅田川泳げば投身騒ぎ


恋人よ御襁褓*1のリボンがまぶしい


生と死で母の陰*2を見てしまい


胸を拭き花のような虚無


地底へツルハシうちこむ虫の闇


パトカー遠巻きに夏祭り


はらわたが咲いているようなドヤ


しわしわと猫去るどこかで産まれそう


ひもじさに盆の墓地をはなれず


猫の墓よりお供えのスルメ盗む


星連れて見知らぬ街をヤッホー


くやしくて灼けるような唐辛子かじる


空蝉やまだ憎しみの眼*3持つ


怒涛に怒涛崩れる冬怒涛


ビルの谷間に凍る海鼠かな

  • 小学生の俳句


小学生の俳句歳時記―ハイク・ワンダーランド

作者: あらきみほ,金子兜太

出版社/メーカー: 蝸牛新社

発売日: 2004/09

さようならすぐにちいさくなるつばめ


お父さん春風つんでダンプのうんてん


かっこうがないてどうわの森になる


青りんご大人になるにはおこらなきゃ


台風が海をねじってやって来た


わたしはほ欠すわってあせをかいている


おとうとの話しかけてくる目がすきだなあ

*1:おむつ

*2:ほと

*3:まなこ

2006-12-02 中世都市と暴力・その2 このエントリーを含むブックマーク

前日のつづき。


中世都市と暴力

作者: ニコルゴンティエ 藤田朋久 藤田なち子

出版社: 白水社 発売日: 1999/01

都市における強姦の日常化

については、ヴェネツィアの例からもわかる。(略)都市の商業活動が、性的に不安定な人間を呼び寄せたことから説明される。航海による夫たちの不在。求人に引きつけられて都市に集まる大量の若者たち。そこから男女の均衡に危険な混乱が生じた。都市社会で強姦が頻繁に起きたのは、おそらく男女の実数の不均衡に由来すると思われる。また大学都市でこうした犯罪が増加するのも、「恋愛」に飢えた若い男性人口の集中から説明できる。彼らは自分たちが聖職身分によって保護されており、家族の監督から自由になったと感じて、その分より暴力的になった。

夫がいても関係ねえ

しかし妻の身分であっても、強姦からより良く守られているわけではなかった。既婚女性は自分の家のなかでも襲われ、夫の目の前で手込めにされることすらあった。こうした暴力を説明するのに、赦免状は犠牲者たちの「軽率さ」に言及している。彼女が愛想の良い陽気な性格で、通りで近所の男たちと進んで話したりすれば、それだけで「ふしだら」という評判を得ることになった。またもしも結婚前に強姦にあったり、前述のような独身生活を送っていたなら、そうした過去が災いして、彼女の被る暴力の原因となった。

集団レイプ

品行方正な婦人たちは、遅い時間に無謀にも外出したりすると、同伴者がいても売春婦と間違われる可能性があった。(略)

襲撃の多くは、戸の破壊や家宅侵入を伴っていた。なぜなら強姦者たちは、館や部屋のなかへやってきて、目をつけた女性に乱暴したからである。ときには、彼らは女性をどこかある場所へ連れて行き、一晩中、「思い通りに」した。このような襲撃は、昼間でもぽつんと離れた袋小路や、宿屋の裏部屋や離れで行われた。(略)

襲撃する前に、一味は数日前から用心深く、犠牲となる女性を公的な恥辱の的にしようと冷やかしたり、扉のノッカーを叩いたり、窓の下で騒いだりした。犯行の際には、犠牲者の叫び声にもかかわらず、隣人はめったに介入しなかった。そんなことをすれば、窓に石が投げ込まれ、最も大胆な者をも慎重にさせてしまった。むしろ女性たちの多くは、隣人たちを不安にさせるために、「火事だ!」と叫ぶことを選んだ。

単独の強姦と同様、集団的強姦も、中世の住宅が持つプライヴァシーの低さを示している。どんなに堅固な門も、独身であれ、寡婦であれ、既婚であれ、女性たちを大胆不敵な攻撃から保護することはできなかった。襲撃者はあらゆる手段を用いて、必要とあらば屋根を伝ってでも家や部屋に入り込んだ。

若者を「飼い慣らすこと」

都市当局の政策は、常に現実的で、慎重だった。為政者たちは、若い息子たちが放蕩に身を委ねることが、現実には公の平和の維持に有益な「憂さ晴らし」になることを理解していた。公の平和は、実際にはもろい均衡の上に成り立っていた。そこで為政者たちは、馬鹿騒ぎや、野卑な言葉使いや、カーニヴァルで生ずる損害には目をつぶり(略)

それは若者たちの情熱を抑圧すること(そのような課題は不可能に見えた)ではなかった。単に若者たちの情熱が許容できる範囲内にとどまるよう、彼らの欲望の充足を組織化しようとしたのである。

晒しあげ

居心地の悪い姿勢で、通行人の冷やかしや攻撃を受けながら、何時間も晒し者になる苦しみ。(略)

受刑者にとって、こうした恥辱と、責め苦の道具と、どちらがより苦しみを与えただろうか。見物人に受刑者の卑劣さをよりよく知らせるために、彼に司教冠を被せることもあったが、そこには受刑者の大罪が絵で描かれたり、文字で説明されていた。この習慣は、見物人が受刑者の犯罪について知るために、目と鼻の先まで近寄れることを前提としている。他方で受刑者を見張る役人は、刑の宣告の理由を町中に大声で知らせたり、あるいは晒し者にする場所に住民を召集する任務を帯びていた。こうして名誉の破壊は徹底して行われ、対象となる人間に決定的な烙印を押すことになった。さらに追加刑として、こうした晒し刑を何日も繰り返すこともあった。二日目、あるいは三日目には、見物人たちは飽きるどころか、かえって互いに約束して集まり、対象となる犠牲者に彼らの攻撃性をむき出しにした。

残酷な光景

過ちを犯した男女は、役人による鞭打ちと、見物人の冷やかしを受けながら、町中の通りを裸で走ることを強いられた。性犯罪に対して公の場で去勢が行われ(略)

都市の住民たちには、処刑の見物に加え、絞首台にかけられた死体が腐敗してゆく光景を見ることも課せられた。(略)溺死刑の死体は手足を縛ったり、嬰児殺人犯のように袋に詰められて川に捨てられた。

死後、彼らの死体は四つ裂きにされ、都市の主要な門や通りに吊るされた。地獄のはずれでダンテの前に立てられた警告には、「ここに入ったら、おまえはすべての希望を捨てよ」と書かれているが、中世都市の門をくぐる者たちも、こうした冷酷な裁きの不気味な証拠を目の当たりにして、自分が暴力の世界に入ろうとしていることを思い知ったに違いない。

このように都市の住民は、極端に残酷な光景から逃れることは出来なかった。絞首刑になった者のやせ細った体。四つ裂きの刑になった者の血に染まった四肢。火刑台の上で縮んで反り返った死体。さらに煮立った油や湯のなかに、生きたまま投げ込まれた偽金造りの恐ろしい断末魔。どれもが恐怖の光景であり、そのうちのいくつかは、住民にとってなじみ深いものだった。都市の住民は生涯を通じて、この種の公的な死刑に数多く立ち会うことになったからである。

2006-12-01 中世都市と暴力 このエントリーを含むブックマーク


中世都市と暴力

作者: ニコルゴンティエ 藤田朋久 藤田なち子

出版社: 白水社 発売日: 1999/01

言葉の暴力。

通りとは私的な争いをついに公にする場。

往来が通行人に用意するさまざまな暴力のなかでも、侮辱や、嘲笑や、冷やかしほど効果てきめんなものはなかった。(略)

通りで起きることは、たちまち人々の目に留まり、通行人たちも通りに住む人々の視線にさらされていた。また逆に、通行人も通りに面した店先からなかを覗き込み、建物の住人の私生活をかなり知ることができた。(略)

通りと住居のあいだの不断の交渉や、都市生活につきものの「覗き趣味」こそが、侮辱の言葉をより容易で、衝撃的なものにしたのである。裁判所の書記が記録簿に書きつける「言葉による暴力」の多くは、隣人どうしで交わされたものである。それぞれが相手の習慣や、悪い癖を知っており、相手を確実に傷つける言葉を選んでは投げつけた。

ここに、暴力空間としての通りの持つもう一つの側面がある。通りとは闘いを挑む場であり、私的な争いをついに公にする場、周りの人々の支持を期待して、ただちに復讐を遂げる場でもある。

他人の検閲

都市生活は、他人の視線による絶えざる検閲のもとに営まれた。庶民の家はあまり広くもなく、闖入者に対して無防備だったので、家族は悪意ある隣人たちから守られてはいなかった。戸外の方がよほど快適だったが、それでも通りは公衆の面前で挑発が行われる危険な場所であり、狭い通りでは群衆のさまざまな攻撃に遭った。

貧乏人同士で争う

労働者たちの貧窮化が明白となった時期には、職階による賃金の格差が拡大し、細民のあいだに深刻な不和をもたらした。(略)

こうして分裂のために細民の連帯がほとんど生じない一方で、逆に最も貧しい者たちが、非常に強い絆で富裕な人々の利害に結び付くことがありえた。イタリアやドイツの都市など、貴族の一門が権力の座についているところでは、どこでも貧しい人々からなる庇護民が、彼らの保護者の利益と結び付いたのである。

たしかに十五、十六世紀には、「階級」間の対立が出現するが、こうしたことだけでは日々の暴力を説明することは出来ない。統計によれば、犯罪行為はむしろ同等の境遇の人々のあいだに生じているのである。

晩婚化

若者たちは新しい家族を作るために実家を去らない限り、父親や義父の後見のもとに置かれ、金も職もないために晩婚を余儀なくされ、また権力や職務は一人前の男たちが独占して、彼らに与えられはしない。こうして若者たちは、ロベール・ミュシャンブレの言葉を借りるなら「半人前」であり、年長者と同様の生活を将来に待ちわびている。(略)

こうした状況から、さまざまな緊張が生じてくる。もっとも顕著なのは、性的な軋轢である。男の婚期はすでに二十四、五歳と高齢化しており、また寡夫による再婚が、妻になりうる女性の数を減少させた。というのも再婚者たちは、二回目、三回目の結婚で、十五歳から三十歳も年下の女性を娶ったからである。

暴力は同化できない焦りから

十三世紀から十六世紀にかけて、倦むことなく拡張される市壁のなかで、都市は独特の社会を作り出していた。それは幾重にも仕切られた社会で、というのも財産の格差や、権力や特権の不平等な分配が、都市の構成員のあいだに際立った断絶を作り出していたからである。(略)

都市社会のなかで、若者たちは年長者にあやかることだけを切望していた。彼らの暴力は、青春の逸脱でもないし、父親や法律の制定者への反抗でもなければ、都市の政治体制を変えようとするものでもない。むしろそれは都市の既存の枠組みに同化したいという、焦りの表現であった。

親方と職人の対立

コンスタンツでは、1386年に職工の親方たちが、共同で行う飲食の宴に、同職の職人が参加することを禁じ、両者の分裂は決定的になった。病気になった職人に対して、兄弟団の恩恵にあずかることを禁じる傾向もあらわれ、これが親方と職人の対立をさらに深める要因となった。

親方たちはもともと同職者の一体性を支えていた古い絆を断ち切ることで、「第四身分」、すなわち社会的な地位上昇の望みを絶たれた職人や徒弟といった人々の誕生を促進した。彼らは組合への参加を拒まれ、たとえ参加できても、その運営からは除外された。しかしながら、彼らは当時のあらゆる人間と同様、連帯の待つ力を知っていたので、職業的、宗教的、政治的な目的を持つ集団を独自に形成した。(略)

既存の同職組合では、職人に対する親方の監視を強化することで、こうした集団の形成を阻止しようとした。

圧力団体となった徒党

ローマのオルシーニ家は、いとこの一人が殺害された後、敵の館の前で、派手な葬儀をこれ見よがしに行っている。さらに劇的で、過激だったのは、ローマのもう一つの徒党であるポリ家の反応で、彼らはインノケンティウス三世とその側近たちに対する憎しみを表明するのに、裸の鞭打ち苦行者による宗教行列を行ったのだが、これは贖罪の気持ちを表わすというよりは、むしろ民衆の攻撃性や興奮を掻き立てることがねらいだった。

徒党はこのように情熱によって育まれ、強固なものとなった。(略)

情熱はまた、一部の人間が企てる無謀な行動や、党派心から生ずる暴力の連鎖反応のなかにも見られた。というのも党派心によって、政治的な目的は、極端な行為を要求するほとんど宗教的ともいえる使命に変わったからである。

明日につづく。

あ 2009/12/31 18:30 >晩婚化

今と変わらないな