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2016-11-29 アジア再興 帝国主義に挑んだ志士たち このエントリーを含むブックマーク


アジア再興 帝国主義に挑んだ志士たち

作者: パンカジミシュラ, 園部哲

メーカー/出版社: 白水社

発売日: 2014/10/25

|本| Amazon.co.jp

プロローグ

(略)東郷平八郎率いる日本帝国海軍の小規模な艦隊が、極東をめざして地球を半周してきたロシア海軍の大半を撃滅したのである。百年前のトラファルガー以降最大の海戦、とドイツ皇帝に言わしめ、「前代未聞の驚異的な出来事」と米国大統領に言わしめたこの日本海海戦(略)

インド総督のジョージ・カーゾン卿が、「あの勝利の波紋は、雷鳴のごとく東洋のささやきの回廊を駆け抜けた」とすくみ上がった。超然として気の利かぬカーゾン、このときばかりは現地の人々の動向に探りを入れた。現地の声をもっともはっきりと代弁していたのは、当時南アフリカにいた無名弁護士モーハンダース・ガンディーで、彼はこう予言した。「日本の勝利というものがはるか遠くまで根づいてしまったので、どこでどんな果実を結ぶことになるか、それをすべて予見することはできない」(略)

[のちアタテュルク]ムスタファ・ケマルは歓喜の絶頂にあった。西欧の脅威に対抗するためにオスマン帝国の改造と強化を切望していたケマルは、多くのトルコ人と同じように日本を鑑としてきたが、その正しさがようやく立証されたと感じ入っていた。16歳のジャワハルラール・ネルーは、生まれ育った田舎町で日露戦争の初期段階から新聞記事を追い、「ヨーロッパに対する隷属状態からのインドの自由、アジアの自由」を実現する自分の役割を夢想していた。(略)ドーバーから英国のパブリック・スクール、すなわち彼の母校となるハロー校へ向かう列車のなかで、たちまち「最高の気分」になった。中国の民族主義者孫逸仙はこのニュースをロンドンで聞き、彼もまた狂喜した。(略)[帰国途中]彼を日本人だと思ったスエズ運河のアラブ人港湾労働者から孫文は祝福を受ける。

 トルコ、エジプト、ベトナム、ペルシア、中国の新聞は、日本の戦果がもたらす波及効果についての熟狂的考察で埋められた。インドの村々では、赤ん坊に日本の海軍大将の名前をつけた。米国ではアフリカ系アメリカ人の指導者W・E・B・デュボイスが、世界中でわき起こる「有色人種の誇り」について語った。平和主義者の詩人(その後ノーベル賞を受賞する)ラビーンドラナート・タゴールも、どうやら類似の情動に駆られ、対馬海峡からのニュースを聞くや、ベンガル地方の田舎にある学校構内で学生たちを率い、にわかづくりの戦勝行進を行った。

 そこには階級の差も人種の違いもなかった。世界中で隷属状態にある人々は、日本の勝利がもたらした道徳的かつ心理的な意味合いを、夢中になって理解しようとした。

(略)

 白人支配の南アフリカで制度化された人種差別と闘っていたガンディーは、日本の勝利からこれに似た教訓を引き出していた。「貧富を問わず、日本に住むすべての人が自尊心を持つようになったとき、日本は自由になった。日本はロシアに平手打ちをくれてやることができた。……それと同じように、私たちも自尊心を高く持つことが必要なのである」。

無能の専制君主と略奪者たるヨーロッパの実業家に苦しめられてきた大勢のアジア人にとって、日本の力強さの秘密は同国の憲法にあった。この手本で理論武装し、アジア中の政治的活動家は、硬直化した専制国家を相手にして一連の民衆主導の立憲革命を煽動した(敗戦したロシアも1905年に革命に転がり込む)。(略)ムスリム世界で日本を賛美する者は、青年トルコ党の亡命者で作家のアブドゥッラー・ジェヴデトのような世俗主義者、さらには反宗教的ですらあるナショナリストが多かった。ジェヴデトは日本のことをこう書いた。「抑圧者に立ち向かい、傲慢な侵略者に立ち向かう帯刀者。抑圧された人々、みずからを助ける人々に光明を授ける者」。日本の勝利に励まされたナショナリスト、青年トルコ党は1908年、アブデュルハミトニ世に迫って、1876年以来停止されていた憲法を復活させた。ペルシア人たちは、立憲的な日本が専制的なロシアを負かしたのを見て、1906年に国民会議を創設した。

 その同じ年、エジプトでは英国支配に対する最初の大規模なデモが行われた。エジプトのナショナリスト・ムスリムにとって、日本は「日出ずる国」であり、それは傑出したエジプトのナショナリスト・リーダー、ムスタファー・カーミルが日露戦争直前に書いた本の題名でもある。世界各地のムスリム諸国の学生が、進歩の秘密を学ぼうと東京をめざした。

(略)

 もっとも広範囲にわたる変化が生じたのが中国であり(略)1905年以降は何千人もの中国人が群れをなして日本へ向かい(略)帝国没落後の最初のリーダーたちの多くは、この留学組から生まれている。1910年、中国湖南省の小さな町で、毛沢東という名の生徒は、日本に留学していた音楽の先生から教わった日本の歌を口ずさんでいた。

雀は歌い、鶯は踊る

春の緑の野は美しい

ざくろの花は紅に染まり、柳は青葉にみち

新しい絵巻になる

 それから数十年後、日本が中国を脅かしていたときに、毛沢東はこの歌をそのままそっくり思い出した。「当時、私は日本の美しさを知っていたし心を動かされもし、このロシアに対する勝利の歌のなかに、日本の誇りと力のようなものを感じ取ったものです」

 ほかの場所でも日本の勝利は、愛国的感情を奮い立たせただけでなく、それを過激主義へ向かわせもした。(略)

カーゾンが分割しようと計画していたベンガル地方の空気は、すでに過激なまでに反英国的になっていた。(略)1905年以降は暴動やテロ攻撃により、それが強固に(略)カルカッタやダッカの急進派は、ベンガルの学生たちが東京へ行くのを資金的にサポート

(略)

ベトナム・ナショナリストの草分けである潘佩珠は1905年から1909年にかけて日本に身を落ち着け、彼が唱導する東遊運動(「日本に学べ」)の旗印のもとに、フランス領インドシナから来た大勢の学生からを教育した。(略)

カイロでは、のちにエジプトのムスリム同胞団に影響を与えた著作を書くことになるラシード・リダーが、日本をイスラーム国家に変える可能性と、ヨーロッパ人の想像の産物である「黄禍」を、邪宗徒からの解放をめざす汎アジア的な運動へ転成させることについて、熱っぽく書いた。(略)

第1章

フランスがエジプトを支配すれば、インドでのイギリス勢力への揺さぶりにもなるし、オスマン帝国に色目を使うロシアに対する牽制にもなる。「インドであぐらをかいていたイギリスをすくみ上がらせてやったあとは、パリに戻ってやつらに致命的な打撃を加えてやる」と、ナポレオンは宣言した。(略)

実を言うとフランス人もムスリムなのだ、と彼は主張した。われわれもキリスト教の三位一体論を否定しているのだから、と。(略)彼はエジプト人民を専制君主から解放する、などというたわごとをも口にしている。(略)

彼は預言者ムハンマドの誕生日になるとエジプト風の衣服で正装し、宗教とは無縁の部下の兵士たちがはらはらするのを尻目に、フランス人のイスラームヘの集団帰依をほのめかしたりした。ごますりタイプの(そしてたぶん嘲笑を込めて)エジプト人は彼のことを、ムハマンドの尊き娘婿の名にちなんで、アリ・ボナパルトと言いはやすのだった。これに力を得たナポレオンは、アル・アズハル・モスクでの金曜礼拝の説教を、彼の名において行ってはどうかと聖職者に示唆したりもした。

 敬虔なムスリムはびっくり仰天した。国政会議の議長だったシャイフ・シャルカーウィーはなんとか気を取り直し、こう言った。「(略)アラビアの栄光を再興したいとおっしゃる。ならば、ムスリムにおなりなさい!」ナポレオンはこうはぐらかした。「私と私の軍隊がムスリムになるには二つの障害があります。第一に割礼、第二にワイン。

(略)

 フランスの政教分離主義、そして共和主義のすばらしさをエジプトのムスリムたちに知らしめようとしたナポレオンの企ては、いずれも幸先が悪かった。カイロの住民はナポレオンによる都市景観の大改造とフランス人がもたらした堕落の弊を嘆いた。(略)「カイロは第二のパリになってしまった。女たちは恥ずかしげもなくフランスの男たちとうろつき回っている。人を酩酊させる飲み物が大っぴらに売られ、神がお許しにならないような行為がなされている」。

(略)

[ナポレオンに三色のショールを掛けられた]シャイフは神聖冒涜におののいて真っ赤になり、ショールをかなぐり捨てた。腹を立てたナポレオンは、ショールが気に入らないなら聖職者たちはせめて[フランス国旗の赤白青をあしらった]花形徽章を着用すべきだと主張した。かくして暗黙の妥協が成立した。ナポレオンが聖職者たちの胸に花形徽章をピンで留める。しかし、ナポレオンのもとを辞するやいなや、彼らは徽章をはぎ取るのだった。

(略)

 敵対的な村を焼き払い、捕虜を処刑し、道路拡張のためにモスクを取り壊すことも辞さぬナポレオンだったが、その後、他国で見せることになる残虐行為にふけることはあまりなかった。

(略)

 13世紀にモンゴルの侵略軍はこの自己完結した世界に乱入し、イスラーム古典期に荒々しく終止符を打つ。しかしそれから50年と経たぬうちに、モンゴル人はイスラームに宗旨替えし、イスラームのもっとも熱烈な擁護者となるのである。

(略)

クーファからカリマンタンにかけて遍歴学者と旅商人が行き来し、金曜礼拝がどこでも可能になり、イスラームは一ヵ所に縛られなくなった。

 まさに当時のイスラームは、現在の西欧的近代性と同じように普遍化したイデオロギーであり(略)14世紀の旅行家、イブン・バットゥータはインドの宮廷でも西アフリカでも、現代のハーバードMBA取得者が香港でもケープタウンでも容易に職を得られるように、難なく仕事を見つけることができた。

(略)

北アフリカ、インド、そして東南アジアに住むムスリムにとって、歴史とは彼らの道徳的、精神的、時間的な一貫性をつなぎ留めるものであり、神の構想が徐々に具現化されていく作業過程であると見なすことができた。(略)

[ヨーロッパ人を野蛮だと見下していたので]ナポレオンの勝利は理解不可能な事態を暗示するものだった。つまり、西欧人たちはまだ相当粗野なのに、着実に前進しつつあるということを。

(略)

[オスマン帝国や清帝国とはちがい、近代ヨーロッパ帝国主義は自由貿易と不平等条約で囲い込んだ「非公式な」帝国であった]

福沢諭吉も1898年にその点を見抜いている。

 商業において外国人は金もあれば利口でもあるが、日本人は貧しく拙い。裁判となると、日本人は非難されることが多いのに、外国人は巧みに法律をのがれる。学問となると、われわれは彼らから学ぶよりない。財政面では彼らから資金を借りざるを得ない。外国人に対して、われわれは徐々に国を開き、文明化の進展はわれわれに適した速度で行いたいが、彼らは自由貿易の原則を主張し、わが国内部に即入国させよと言う。あらゆる事柄、あらゆる事業において、彼らが主導権を握り、われわれはそれに従うだけであり、到底平等ではありえない。

梁啓超

1895年初頭の清の敗戦直後、中国北部の海上で日本軍が清国の汽船を拿捕し立ち入り検査をした。(略)乗り合わせていた多くの学生のなかに、21歳の梁啓超という青年と彼の恩師、当時37歳だった康有為がいたことである。二人は科挙の会試を受けるために北京へ向かう途中だった。

 梁啓超は中国の近代的思想家として、最初の偶像的存在になっていく。彼の明晰かつ豊穣な著作は、彼が生きた時代のあらゆる問題を扱い、将来のさまざまな問題を先取りし、ずっと年若の毛沢東を含む幾世代にもまたがる思想家に希望を与えた。

[1903年]康有為がインドへ渡り、個人的な夢想の世界にはまり込んでますます政治的に見当違いの方向へ進んでいた頃、梁啓超は資金調達のためにカナダとアメリカヘ旅立った。アジアの外へ踏み出したこの大旅行は、彼の知的航路の分岐点になった。(略)

行程はバンクーバー、オタワ、モンタナ、ボストン、ニューヨーク、ワシントン、ニューオリンズ、ピッツバーグ、シカゴ、シアトル、ロサンジェルス、サンフランシスコ。(略)

 当時のアメリカは開拓社会からヨーロッパ風の工業国への大転換を成し遂げつつある段階で、帝国の使命感というものを急速に身につけつつあった。(略)

[プリンストン大学の総長だったウッドロウ・ウィルソンは前年に『アメリカ人民の歴史』を出版]「外交、そして必要な場合には力を駆使して、市場への活路を開かなければならない。通商にとって国境はなきも同然であり(略)門戸を閉ざす国の扉は打ち壊さなければならない」。こうした経済帝国主義の戒律に則って、アメリカはすでに自分たちの裏庭カリブ海からスペインを駆逐し、東アジアでは腕力のあるところを見せつけていた。

(略)

梁啓超は銀行家でもあり実業家でもあったJ・P・モルガンやジョン・ヘイ国務長官の出迎えを受け、中国はいつか大国になると告げられ、最終的にはホワイトハウスで大統領セオドア・ローズヴェルト本人の歓待を受けた。

 直截簡明の見本のような文章で、梁啓超はアメリカという社会を鋭く大胆に歓察してみせる。(略)

 彼が旅したアメリカは不平等の権化のような国だった。「アメリカ全国の富の70%が20万人の金持ちの手中にあるとは……なんと不思議な、なんと奇怪なことか!」(略)ニューヨークの安アパート群に彼は総毛立つ。その住居内の死亡率に触れて、彼は唐代の詩人杜甫を引用した。「朱色の館からは酒と肉の匂いが漂うが、道路には凍死体の骨がある。栄華と衰亡が背中合わせ、悲哀は言語に尽くしがたい。(略)

[政治腐敗もひどく]梁啓超は、アメリカの民主主義に対する批判を強め、専制君主国家に対する万能薬としての民権についての信仰を徐々に失っていく。

 彼が見たとおり、アメリカの政治では企業の利害関係が隠微な力を振るっていた。選挙が頻繁に行われるせいで、政策は近視眼的になり安直なポピュリズムが跋扈した。国政レベルでの民主政治に加わろうとする人間は、往々にして三流である。アメリカ大統領のお歴々のあまりにも多くが凡庸で退屈な人たちだった。アメリカの民主主義の最大の美点は地方政治、すなわち各州・郡・町の政治組織に見いだすことができた。だがそうした側面はアメリカならではの特徴であって、中国の状況に当てはめるわけにはいかなかった。民主主義の構築は、長い時間をかけてボトムアップ式にやっていくのがいちばんいい。革命を通して民主主義を押しつけるやり方はまずい、というのはフランスとラテンアメリカの民主主義が脆弱なのを見ればわかる。さらにはアメリカにおいてすら、自由民主的な状態は威圧的な政治力を振るわなければ達成できなかった。そしてアメリカが世界に存在感を示した始めた今、力の一点集中化という危険が生じてきていた。また、金融と産業が力を増し始めるにつれ、アメリカ国内では帝国主義に対するアレルギーが薄まってきていた。

(略)

 アメリカがパナマとその運河を巧みに支配下に収めたときも、梁啓超はアメリカにいた。その件を新聞で読んだ梁啓超は、英国がスエズ運河をめぐって、いかにエジプトの独立性を傷つけたかを思い出していた。モンロー主義に触れて、彼は「南北アメリカは南北アメリカの人々のものである」という最初の意味が「南北アメリカは合衆国の人々のものである」というように変質してしまったと言う。彼はさらに続けて、「今後この宣言がくるくると変わり続けるかもしれない。そして最終的には『世界は合衆国のものである』などと」。事実、アメリカの近代的な企業群は全世界を支配しそうな勢いだった。

(略)

 梁啓超の民主主義への幻滅は、アメリカ国内に根深く残る中国人の誇りを抑圧する敵意に直面したときに、さらに深まった。アメリカは黒人住民を残虐に扱う国でもあった。「アメリカ独立宣言が唱えているのは」と彼は書いた。「人間は生来自由で平等である、ということだ。だが、黒人は人間ではないとでも?残念ながら、私は最近になって『文明』ということの意味を理解した」。梁啓超はとくにリンチの風習に慄然とした。「聞いただけだったり、みずからアメリカに行ってみなかったならば、20世紀に白昼堂々とそのような残酷で非人間的なことが行われうるなどということは信じなかったろう」(略)

[中国領事館役人が現地警察に侮辱されたのち自殺した]事件によって梁啓超は、積年の国辱をつくづく思い知ることになる。(略)

 アメリカに住んでいる中国人は投票権を禁じられていた。学校は彼らを受け入れなかった。自分たちの財産が冒された場合でも、証人台に立って証言することを許されなかった。公共の場や住宅地で公然と行われる責め苦に耐えなければならなかった。通常、彼らと彼らの財産に適用される規則は「リンチ」だった。アメリカの民衆扇動家たちの高圧的な指図は、中国人たちにとって文字通りの恐怖政治だった。[ベノイ・クマール]

次回に続く。

2016-11-27 ジブリを世界に売った男 スティーブン・アルパート このエントリーを含むブックマーク


吾輩はガイジンである。――ジブリを世界に売った男

作者: スティーブン・アルパート, 桜内篤子

メーカー/出版社: 岩波書店

発売日: 2016/09/16

|本| Amazon.co.jp

ディズニーとの提携

 ディズニーは、日本側がこの提携で何を狙っているのか本当には理解していなかった。ディズニーは思っていたよりずっと安くジブリ作品の権利を取得できたことに驚いていた。ディズニーのトップは把握していなかったが鈴木さんが目論んでいたのは、ディズニーと徳間書店/スタジオジブリの提携とこの豪華な会見イベントによって得られる宣伝効果だった。実際の成果よりも、この提携で得られるイメージや波及効果を狙ったのだ。

 ディズニーは徳間/ジブリの名がディズニーというブランドと結びつけられるところに価値があると推測したが、それは一部にすぎなかった。この提携をアメリカにおけるジブリの成功として日本中に印象づけること、鈴木さんがのちに「野茂戦略」と呼ぶものこそが真の狙いであった。

キスシーンを懇願

 人間の腕が切断され、矢が貫通して頭が吹っ飛ぶ、巨大なイノシシの体がどろどろとくずれ、きゃしゃなヒロインが口の周りの血を手でふき取るといった場面が映しだされた。ホールの照明がついたとき、MOJ[ディズニー国際部門のトップ:マイケル・O・ジョンソン]は言葉を失い、顔面蒼白だった。(略)[鈴木達に]宮崎さんに少なくとも暴力を相殺するものを加えるよう言ってくださいと懇願した。たとえばヒーローとヒロインのロマンチックなシーンとか。キスがあればほんとうにすばらしい。宮崎さんは私がすごく尊敬する芸術家であり、作品を変えてくれと言う資格は自分にありませんが、どうかお願いですからそうしてほしいのです。私はディズニーでこの事業提携を支持し、みなさんを支持してきました。私はそのために自分のクビを差しだしたのです。ですから私をクビにする口実をディズニーに与えないでください、お願いです、と訴えた。(略)

[一ヵ月後予告編を携え再訪]そこには「あの子を解き放て、あの子は人間だぞ」という台詞があらたに入っていた。これは好ましい追加と思われた。MOJはヒーローのアシタカがヒロインのサンを助けているのだと解釈した。ほんとうはそうではなかったがわれわれは否定しなかった。サンがアシタカの上にかがみ込み、キスしているかのように見える場面があった。すばらしい、ロマンスもある、とMOJは言った。われわれは、それがキスではないとは言わなかった。瀕死状態だったアシタカのために、サンは乾燥肉を噛んで口移しで与えていたのだ。しかしMOJは喜び、われわれは彼の喜びに水を差すつもりはなかった。映画が公開された後に真実を知ればいいと思ったのだ。そして彼がそれを知ったときには、『もののけ姫』は日本の興行成績をすべて塗りかえていた。

徳間康快社長

奇抜で自信に満ち、独断的で意志が強く、世論や常識に反することを喜々としてやった。精力的で、喜ぶときは大いに喜ぶが、怒るとすごかった。彼はリア王のように大言壮語してはばからず、明らかに真実でないことを言っても聞く者を納得させた。彼はマキャヴェリのように細かい策略に長け、その効果は、彼がもっとも過小評価されているときに現れた。(略)

じつに上手に、クリエイティブに、もっともらしく、そして見え見えに嘘をつくことができた。聞き手はもともと信じていないから気を悪くしない。おじいちゃんが孫である自分だけに秘密を教えてくれているという思いになる。たとえそれまで同じことをほかにも10人くらいに語っていたとしても。一方、彼はごく実用的な知恵も授けてくれた。「きみの人生のシナリオを他人に書かせてはいかん」と彼は忠告した。「金が足りないからといってやめるな。銀行にはあまるほど金があるのだから、頼めば貸してくれるはずだ」と。お金、それも大金を借りることが上手なのが彼の最大の才能だった。

 当時70代だった徳間社長は背が高く、がっちりしていて男前だった。

エネルギーあふれるダイナミックな人で、まるで勢いのいい山火事のようだった。山の管理者が火を制御しているときは、森が栄えた。しかしコントロールできなくなったときには、木が一部燃えるだけですめば幸運なほうだった。徳間社長が商売の機会を広げるアイデアを思いつくと、行動に移して問題を引き起こし、どういう事態になるか静観する。そしてきちんとした返済計画もないまま、さらに銀行から借金する。鈴木さんはジブリがそれ以外の事業に巻き込まれないよういつも注意していたが、他の人が責任を逃れたとき、呼び出されて始末をさせられることが間々あった。

 徳間社長は、ふだんはジブリの事業に口を出さなかったが、ときには介入した。自らが望むほどディズニー社が徳間社長に注目しなかったとき、彼は鈴木さんをけしかけて、ディズニーの宿敵ドリームワークスとの会合を設定し波風を立てた。『もののけ姫』が日本のあらゆる興行記録を破ったとき、徳間社長は東宝に対し、変更は問題外だったにもかかわらず歩合率をむりやり上げさせるべく、最後通告を出した。東宝は拒否し、ジブリの次回作『ホーホケキョ となりの山田くん』を東宝系映画館で上映するのを拒んだ。(略)

 徳間社長の策略に対応することで、鈴木さんの感覚は研ぎ澄まされたに違いない。

(略)

[とはいえ]

もし徳間社長がいなかったら、そもそもスタジオジブリは存在しなかっただろう。黒澤明の晩年の作品の製作を他の映画会社が断ったとき、当時徳間書店グループに属した大映だけ(フランス人は別として)が引き受けた。(略)

[ガメラを復活させた]

(ゴジラのようにガメラもアメリカで売れたはずだが、もっとお金をとれると思って200万ドルのリメイク権を拒否した――ここに徳間グループの企業の大半が最終的に失敗した理由のひとつが垣間見える)。映画会社である東光徳間は、チャン・イーモウの『菊豆』など中国政府に睨まれていたために資金を調達できなかった中国本土の監督の作品製作を援助した。徳間社長がいなかったら、映画『阿片戦争』はつくられなかっただろう。

海外のインタビュー

[20分単位のインタビュー]作品を見ていなかったり、宮崎駿が何者でどんな作品をつくっているのか知らない人がけっこういることがわかる。

 大半の記者はまったく同じ質問をし、それぞれ特別な返事を期待する。その点では宮粼駿は記者にとって理想的な相手である。なぜなら同一の質問でも彼はめったに同じ答え方をしないからだ。たとえば次のように。

記者 「この作品の主人公は若い女性ですが、あなたの作品の主人公はいつも少女か女性なのですか?」

宮崎 10時「はい」

   10時半「いいえ」

   11時「半分はヒーローで半分はヒロインです。人類の構成が男女約半々ですからだいたいそれに合っていると思います」

   11時半「映画のコンセプトを練るとき主人公が男か女かあまり気にしません」

   12時「10歳の少女たちのためにつくりたかったので、主人公は当然女性になりました」

   12時半「一般的に女性の方が主人公にふさわしいので、できるだけ女性にしています」

 日本でインタビューされるのに慣れていた宮崎さんはおそらく、外国でのインタビューに会話の要素がなく、記事に引用できる言葉や放送できる短い発言をとるのが主な目的であることに愕然としただろう。彼は記者たちがもっと作品を理解しようと聞いてくると思っていたのに、何を言ってもうなずいてメモし、コメントも質問もしないことに驚いていた。なかには作品を見ていないばかりか事前に渡した資料さえ読んでおらず、彼にあらすじを聞く記者さえいた。1998年にベルリンで行った最初の一連のインタビューでもっともよく聞かれたのは「アニメーションでこれだけ成功したのですから、次は実写映画をつくろうと思いませんか?」という質問だった。このようなインタビューがいかにいまいましいかわかってしまった宮崎さんを、次の国外宣伝キャンペーンに行こうと説得するのは一苦労だった。

鈴木敏夫の説得術

[宮崎駿]に「イエス」と言わせることができるのは鈴木敏夫プロデューサーだけだ。(略)

 私は宮崎さんが最初断ったことを、鈴木さんが説得し了解させる場面を何度も見た。しかし注意深く観察しても、当時も今もどうやって口説いたのかさっぱりわからない。宮崎さんを説得するのが表向きの目的でも、その話題が出ることさえなかった。たいていは同席するほかの人が知らない共通の知人が話題になり、今彼または彼女がどこで何をしているのかといった話をする。そのうちに鈴木さんはそもそも宮崎さんに会った目的を打診することも口にすることもなく、もう終わったので帰ろうという合図を出す。部屋から出ると鈴木さんは「宮さんがいいと言ったから計画を進めてください」と言う。私はガイジンだから、ボディランゲージを見逃したか昔の話の中に隠れた意味があってそれを聞き落としたのかと思ったが、同席したほかの日本人に聞いても、いつ、どのように宮崎さんが同意したのかわからないと言っていた。

ゴミ箱をあさるジョン・ラセター

ラセターはジブリを訪れた際に、あることを発見した。それは宮崎さんが使わないことにした場面の絵コンテを捨ててしまうことだった。これ以降ジブリを訪問するたびにラセターは宮崎さんのゴミ箱をあさることにした。ラセターは「これを捨ててしまうんですか!本当に?」と言って、捨てられた紙をゴミ箱から拾い出したのである。

 宮崎さんが捨てた絵コンテの一部が、ピクサーのラセターのオフィスに飾られている。彼のオフィスはまるでおもちゃの博物館で、名画もかかっていた。同じ壁に、宮崎さんのゴミ箱から救い出された絵コンテが、額に入れられ飾られている。宮崎さんはラセターのオフィスを訪ねるたびに、それらを見てため息をつき、「映画に残せばよかった」と言うのだった。

吹替版制作の際の宮崎駿による注意点リスト

まず、タイトルは訳そうとしないこと。どうせ無理だから。現代的な言い回しやスラングもダメ。いい声の人を選ぶこと。声は重要だ。アシタカは王子なので、言葉づかいは丁寧で、よそ行きの感じ。彼の生きる時代にしては古風である。エミシとは滅ぼされ、近代日本まで生き残らなかった人々である。エボシ御前が率いるのは非常に低い階層に属し、社会から追放された人や非人たちだ。かつては夜鷹や男娼や犯罪人やぽん引きだったが、今は立ち直っている。ハンセン病患者らしき人もいる。でもエボシ御前はちがう。彼女だけは別の階級の出だ。ジコ坊はミカドの命令で働いていると主張する。ただしそのミカドは今の天皇のイメージとは違う。当時のミカドは自分の署名を売って生活の足しにしている。ジコ坊がほんとうは誰のために働いているのかは不明。ミカドが署名したという書を持っているが、なんの意味もない。ライフルのように見えるものはライフルではない。ライフルとは別物だ。これらは持ち歩ける大砲のようなものだ。だからライフルと訳してはいけない。ライフルではないのだから。ライフルという言葉は使わないこと。

早朝散歩

 早起きの宮崎駿は、知らない街に行くと、朝食前に散歩して探検するのが好きだ。ロサンゼルスでは全くそれができなかった。ロスでただ歩いていると、犯罪にかかわっているにちがいないと疑われ警察を呼ばれる。ジョギングはいいのだが、歩くのはだめなのだ。だからほんとうに散歩したかったら、ジョギングの格好をしなければいけない。

(略)

 ニューヨークでのプレス・キャンペーンの責任者で、滞在中の面倒を見てくれたミラマックスの女性、ロビン・ジョーナスが翌朝ホテルに着いたとき、宮崎さんがひとりで外出していると聞いて彼女はぎょっとした。宮崎さんがひとりでセントラルパークを散策し、ブロードウェイでベーグルとコーヒーを買い、ニコニコしながら帰ってきたとき、ロビンは私を脇に呼び、二度と彼をひとりで外出させないでほしいと念を押した。

(略)

[ミラマックス社長からスコセッシが自宅に招待したいと言ってると電話、断る宮崎駿]

われわれがそれをロビンに伝えると彼女の表情が陰った。

 「スティーブ、M・A・R・T・I・N・S・C・O・R・S・E・S・Eが宮崎さんを自宅に招待したのですよ。あのマーティン・スコセッシですよ!彼が何者か宮崎さんは知っているのですか?どんなに大変なことかわかっているのですか?」(略)

[再度交渉]

 「だめだ、行きたくないって」と鈴木は言った。(略)

彼女は座っていた私を脇に呼び出した。

 「彼を説得できませんか?お願いですから行ってくださいと頼めませんか?私はこの仕事を失いたくありません」

ワイン通なの?

[マンハッタンで]あまり飲まない宮崎さんがデザートの後に四〇年もののポートワインを頼んだ。それを口にした彼が、私にウェイターを呼んでお酒を返してくれと言った。

 「これは四〇年もののポートじゃない」と宮崎さん。

 レストランで出されたワインを返すにはかなりの肝っ玉がいるとかねがね私は思っていた。(略)

 ウェイターはまず味を確かめ、たしかに四〇年ものだと反論した。マネージャーを呼んでもらうと、彼も同意見だった。ワインはデカンタからつがれたので瓶で確かめることができなかった。

 「お言葉ですが、これはたしかに注文なさった四〇年もののポートワインです。お客様が違うとどうしてもおっしゃるなら引き取りますが、そのような要求をされるのは不当だと言わざるをえません」

 宮崎さんを見ると首を振り「四〇年ものじゃない」と断言した。

 私は「すみませんが引き取ってください」と言った。

 15分くらい経って、レストランのオーナーがしみだらけで泥がついたボトルを持ってきた。彼は申し訳なさそうだった。彼が自分で調べたところ、ウェイターがデカンタについだのはもっと若いヴィンテージのものだとわかったと言った。彼は本当の四〇年もののポートを本物のボトルから全員に注ぎ、代金はとらなかった。

 大都会の光の下、閑散としたアップタウンをゆうゆうと走ってホテルに帰りながら、私は宮崎駿がどうやってポートワインが四〇年ものでないことを見抜いたのだろうと思いをめぐらさざるをえなかった。

アカデミー賞授賞式招待

宮崎さんは授賞式に出席するつもりはなく、二度と聞くなと釘を剌した。鈴木さんは、もう決断しているのだから何度聞いても無駄だと言った。

 私がジョン・ラセターにその旨を伝えると、彼はそれから一カ月間、週に何度も電話をかけてきては、宮崎さんの気を変えさせるアイデアを次々に提案した。(略)

 ジョン自身が同行すれば行くだろうかと探りを入れてきたこともあった。(略)

 飛行機が嫌いなのか? 空旅のあわただしさと面倒くささが理由ならば、ロイ・ディズニーが彼の自家用ジェット機、ボーイング七三七機を貸してもいいと言っている。それは120人の乗客を運べる飛行機だ。だから、ゆったりできるし、好きなだけ人を連れていける。(略)

 私はジョンから新しいアイデアが出るたびに、鈴木さんに伝えた。一度決めた宮崎さんの考えを変えることができる人がいるとすれば、鈴木さんしかいない。しかし、新しい計画がどんなに魅力的でも(ロイ・ディズニーの七三七機に秉れるなんて!)、鈴木さん自身がどれだけ宮崎さんに承諾してほしくても、答えはいつもノーだった。行く気はもうとうなく取りつく島もなかった。

 1973年にマーロン・ブランドが受賞した『ゴッドファーザー』の主演男優賞をネイティブ・アメリカンのサシーン・リトルフェザーが代わりに受け、受賞挨拶の代わりにハリウッド映画とテレビがアメリカのインディアンを正しく描いていないと抗議して以来、アカデミーは受賞者本人にしか舞台での受賞を認めなくなった。唯一の例外は候補者が死亡した場合だ。

(略)

 やがてアメリカがイラクに侵攻し、状況が一変した。ジブリの人間は、その年、誰もアカデミー賞授賞式に出席したがらなかった。

宮崎駿はかつてこう言っていた。

「みんなストレスがいかに悪いかと言いますが、私はそう思いません。ときには大きなストレスの下に置かれることも悪くないのです。自分のいちばん優れた面が発揮されるからです。ストレスがないと、毎日とぼとぼと歩き続けるだけですが、ストレスがかかると、自分が実際にどこまでできるか知ることができます。確かに死期はちょっと早まるかもしれませんが、だからどうだっていうのですか?みんな死ぬのです。われわれが考えたこと、やろうとしたことがすべて無になるのです。それでいいじゃありませんか」。

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2016-11-24 人工知能とは 中島秀之・西田豊明・池上高志 このエントリーを含むブックマーク


人工知能とは (監修:人工知能学会)

作者: 松尾豊, 中島秀之, 西田豊明, 溝口理一郎, 長尾真, 堀浩一, 浅田稔, 松原仁, 武田英明, 池上高志, 山口高平, 山川宏, 栗原聡, 人工知能学会

メーカー/出版社: 近代科学社

発売日: 2016/05/30

|本| Amazon.co.jp

  • 第1章 中島秀之

自由意志はありますか?

 意識は単なるモニタであり、能動的機能はないという考え方もありますし、自由意志の源という考え方もあります。現状では我々は答えを持っていませんが、私は意識は自由意志の源だと考えています。問題解決において、ゴールに向かって猪突猛進するだけでは解決できないことがあります。ときには遠回りする必要があります。(略)[これは]なかなか難しい問題なのです。無制限の遠回りを許してしまうと探索範囲が無限に広がってしまいますし、現実問題として有限の時間で問題が解決できません。このような場合に広くまわりを見渡して判断する、そしてその後の行動を変えるという機能は自由意志を持たなければならないと思います。

 マクダーモットは全く別の面白い考え方を述べているので紹介しておきます。自由意志は実際には存在しないが、問題解決には自由意志を持つと「思うこと」が必要であると述べています。彼は例として、ロボットRが、自分の隣に爆弾がある場合の行動について、世界のモデルを内に持ちながらプランニングしている場面を示しています。このモデルの中には部屋や爆弾のほかにR自身も含まれます。自分自身の心の作用が機械的だとすると、それがどのような結論を出すかを知るために自分の思考や知識を計算しなければなりません。そうすると、その中には再び自分のモデルが再帰的に含まれているわけですからこれを計算する必要が出てきて、無限後退となってしまいます。これを避けるために、自分のモデルは機械的ではなく、何でも考えられる(自由意志を持つ)という特異点として扱ってしまうことにより、そこで計算を止めることができます。自由意志は問題解決を計算可能にするための方便だという考え方です(私は、このプランニングしている機能自体が自由意志ではないかとも思うのですが……)。

三つの立場

1.知能の本質は記号処理にある

これは人工知能という分野の創始者たち(ニューウェル、サイモン、ミンスキー、マッカーシーら)が取った立場です。「物理記号システム仮説」とも呼ばれています。それを受けて初期の人工知能研究は、知識の表現と推論が中心的研究課題でした。(略)[しかしフレーム問題などから]現在では記号処理〈だけで〉知能が実現できると考えている研究者は少ないでしょう。しかしながら、記号処理を中心としない高度な知能が考えられないのも事実です。

2.知能の本質は環境認識にある

これは環境の生データを記号に分類(分節化)することこそが知能の本質である(略)パターンの処理が重要であるとする考え方です。(略)[画像認識などは実用化されてきたが]まだ人間の能力とはかなりの開きがあります。最近盛んになっているディープラーニングもこの分野で成果を挙げています。

3.知能の本質は環境との相互作用にある

前記の二つは、知的システムを外界と区別し、システムの内部の機構について論じるものでしたが、これは、そのような境界分けは無意味あるいは不可能とする立場です。オートポイエシスに代表されるように、環境を含む系としてとらえたり、あるいは、環境とシステムの相互作用の中に知能の本質を見たりしようとするものです。

  • 第2章 西田豊明

スーパー知能が管理する理想社会は幸福か?

スーパー知能が人類を滅ぼそうとしたらそれを食い止められるかといった問題提起をする人がいますが、私は技術的特異点[technological singularity]のもたらす本質的問題はもう少し別のところにあると思っています。我々が最初に目撃するであろう技術的特異点は、スーパー知能が人をさげすむとか、憎むとか、滅ぼそうとするのではなく、人間が描いた理想郷の中に人間が住む(ないしは住まわされる)という形で訪れるのではないかと思っています。

(略)

[人類を凌駕した]スーパー知能は、人間が世界や自分を破滅させないよう目を光らせるものの、人間を敵対視することもなければ、自由を奪うこともないでしょう。そして、人間が法律を順守し、互いを尊重しつつ、健康に生きていくよう仕向けるでしょう。(略)

そうした理想郷が人類が自ら選択して自律的に決定した結果であればいいかもしれませんが、強制されたり気づかないままそうなってしまい、人間が自ら作り出した理性で隅々まで縛られて生きることを強いられて、もう引き返せなくなってしまった、ということになれば、ヒューマニティはひどく損なわれたことになります。

(略)

保険の掛け金のコントロールにより、生活習慣病などのリスクを最小化するように運動をし、食生活をし、健全な毎日を送る以外の選択肢がなくなります。公共の場所では、他者に危害を加えるどころか、ハラスメントとなる行為をするだけでも記録が残るようにもなるでしょう。アウトローがいなくなるのはいいのですが、我々の自律性は必要限度をはるかに超えて一挙手一投足まで制約されたものになってしまうかもしれません。(略)「あなたのためです」と称して、羽目をまったく外せなくなってしまうと、人間らしく生きているという感覚が薄れていきます。

自我

1.自我は個体に唯一存在する、2.心は自我が生み出す現象である、3.自我が生み出した心は、自分を生み出した自我への自覚がある、4.ある個体の自我が生み出した心は、他の個体が生み出した心に気づき、さまざまな手がかりを使って他者の心が考えていることを推察できる、と。(略)

[他者の心を感じるには]二つの方法が考えられます。第一番目は、自分の知っている知識を使って他者の自我が与えられた状況でどのように振る舞うかを推理する、という方法です。

第二は、自分の自我が他者の自我と同じものだと仮定し、自分の自我を他者の自我が置かれているのと同じ状況に置いてシミュレーションすることによって、他者の自我が生成する心がどのようなものか知る、という方法です。重要なことは、そういうことが特に意識しないでも自動的に行われているのではないかという点であり、これはミラーニューロン説[他者の行為を見て、あたかも自分が行動しているかのように反応する神経細胞]などによって支持されています。(略)

第一番目の説は理論説、第二番目の説はシミュレーション説と呼ばれています。どちらが正しいかという論争もかなり行われているようですが、私は両方を使っていると思います。(略)つまり、推察結果を実際に相手の自我が生成している心に一致させることができるのだと考えています。

心をもつメカを作ることの罪深さ

「心を持つメカを破壊できないのではないか?」という疑念を払拭することは難しいと思います。ひとたび「心を持つメカ」ができると、それと心の絆を作る人が出てくるでしょう。心を持つメカを破壊すると、そのメカと心の絆を作り上げてきた人間の心を傷つけることになるのではないかと思えます。

――では、心を持つメカの権利も認めなければならなくなるっていうことですか?

そうです。さらにもっと悩ましい問題も生じます。心を持つメカを作る過程を想像してみてください。きっと試行錯誤の繰り返しで、多数の失敗作や未完成作品を作ることになるでしょう?どの段階で権利を認めればいいのでしょうか?

心を持つメカヘのロードマップ

自我の立脚基盤を脳・身体系を模倣した情報処理メカニズムを作るのではなく(略)[ディズニーなどの]キャラクターの力を使って心を持つメカの初期バージョンを立ち上げようというものです。(略)

ディズニーのような国を作り、人もその国の住民になるという前提を成立させることができれば、ディズニーのストーリーの力を使って、人をその世界に巻き込んでコミュニケーションをとおして、関係の層を積み重ねていけば、人の心の中に存在を築けるように思います。はじめのうちは、キャラクターは完全自律にしなくても、人の手で操っていてもいいのです。ベイツやヘイズ・ロスはこうしたアプローチの先駆者です。対照的に、はじめから我々の日常世界で「心を持つメカ」として認めてもらえるものを作り出すことは難しいですね。

――メディア立脚型自律知能なら、生成と削除が許されるというわけですか?

そのとおりです。歴史的に考えてみると、その昔、特に将棋やチェスなどのゲームは戦いで殺し合うといったリアリティの暗黒面を避けつつ、リアリティの一部をルールとして切り取っていろいろなことを試すことにより、複雑な現実を理解するという有力な知的手段であったに違いないと思います。その後の古典ではゲームは現実社会とは切り離されたお遊びと目されているようですが、今はそれ自体がビジネス化し、独立した現実にもなってきています。

ゲーミフィケーション

我々の生活空間が、メディア立脚型自律知能の生存条件を満たすように変わりつつあると言えます。人工物の社会への実装は難しいとされてきたのですが、人間のほうからメディア世界に生活空間を移していくという図式が主流になってくると、世界をうまくデザインすることによって、高度な自律キャラクターの実現を早めることができるように思えます。

――どういうゲームデサインがいいのですか?

ツイッターは非常に良い例だと思っています。ツイッターというシステムは、参加者としても傍観者としてもいろいろな楽しみ方があります。メディア立脚型自律知能のデザイナーの立場に立つと、ツイッターだと人間とボットの区別がつきにくい点も非常にありがたいですね。

――あらが目立たないからだ!

そのとおりです。メディア立脚や自律知能と人間の違いが大きすぎると、両者はすぐ区別できてしまい、面白味が減って、相互に学び合うということも起きにくくなります。

(略)

我々が持っている強力なコミュニケーション力、察したり解釈する力と表現する力、期せずして漏れ出づるソーシャルシグナルなどを現実に目撃する機会を増やすと、そのログデータから実際にサクサクしたコミュニケーション力を持つ自律キャラクターを生み出しやすくなります。

  • 第9章 池上高志

――なぜ人工知能が嫌いなのですか?

言語的なもの・代数的なものが性に合わないからです。人工知能は、記号的であり言語的であり、代数構造を基本に構築されています。しかし知能の研究では言葉の背後にある「身体性」こそが問われるべき問題であり、その形はもっとずっと幾何学的なものだ、と思えるからです。ここで言う「幾何学的」というのは、ナイーブな意味での、球をちょっと押し潰す、といった「ちょっと変化する」、の「ちょっと」を扱えることで、それが扱えない代数っていうのは問題ではないか、など無知と偏見に満ちた意見で決め込んでいたわけです。

(略)

――なぜ人工知能が好きなのですか?

これまでの物理学の研究の延長上にないからです。これまでやってきた「パターンの生成と消滅」の研究は面白いし、そもそもカオスの研究に引かれたのも、非線形方程式に隠されていたカオスの幾何学的イメージが視覚化されたためです。それは記号的ではなく連続状態の、代数ではなく幾何学的なイメージとしての力学系研究の真骨頂です。しかし、それはもう十分やりつくしたのではないでしょうか。

(略)

――人工知能って何ですか?

我々がペットや人と接触するような、情動と冗談に満ちた相互作用を、物理法則に関係ない形で、人工的に作り出せるシステムを人工知能と定義します。別の言葉で言えば、分析的にわかるのではなく、会話したり、つき合うことで直感的にわかりたいと思うシステム。それが人工知能です。

(略)

――グーグル検索は人工知能になりうるのですか?

いいえ。ならないでしょう。(略)ラベルによる決めつけ、あるいはその思考ストップが問題だと思うからです。(略)グーグル検索のやっていることは、森羅万象ありとあらゆるものにラベルを貼り、インターネットで、検索可能にするという作業です。究極的にはグーグル検索で探しても出てこないものは存在しない。このグーグルの持つ構造的問題は深刻だと思います。(略)

[コップには「コップ」と貼ってある世界を想像してみればそのへんてこさはわかるだろう]

わたしたちの見ている世界とは、「ラベル貼りされた後の残響と残像」です。だからコップを見るときには「コップ」を見ているのではなく、コップのテクスチャーや形と同時に、それに喚起される記憶やイメージ、自分の身体運動を見ているのです。それが認知プロセスです。逆にラベルだけならば、抜け殼です。認知はラベル貼りではない。だからグーグルの方向線上には人工知能はないのです。ラベルを貼らない人工知能とその研究のオルタナティブを探しましょう。

(略)

――ロボットは人工知能を達成したのでしょうか?

反射的な知性(ゴキブリ的な知性)は、力学系でほば達成していると言ってもいいでしょう。そういう路線上では力学系的知性はかなりの成功を収めている。ブルックスのルンバ(Roomba)はたいした発明です。身体は脳の命令を聞く入れ物ではありません。脳は身体運動の結果をあとづけ的に解釈する装置にすぎないのです。身体から作り出す情動こそが、脳科学者ダマシオの言うように人の知性を作る可能性があります。問題は、このロボットからゴキブリ以上の知性は出現しそうにない点です。

――人工知能を作るには進化が必要ですか?

(略)

 知能が進化のプロセスで生まれたものならば、まずは生命を作らねば!生命を作ればその副作用として、知能も出現するはずです。だから人工的に生命を作ること、人工生命を考えることが人工知能実現への道なのだと考えています。(略)

生命は知性を進化させたが、生命なき知性というのは発生していません(略)生命をまず発生させよう!それが人工生命です。直感的には生命を作るほうが知性を作るよりも簡単なはずです。

――人工生命とは何ですか?

人工生命とは、自律性・自己維持・自己複製・進化可能性、を人工的なシステムに持たせたものです。どんな原始的な生命体も、この四つは持っているとも考えられましょう。例えばゾウリムシは自律的に動き、膜に囲まれた代謝反応ネットワークを持ち、自己複製を可能とし、生命の大きな系統の流れの中にあります。この四つを、生命システム以外の材料をもとに作ったのが「人工生命」です。

(略)

――人工生命に足りていない五番目の要素とは?

ずばり環境の過剰性が足りていない!と思うのです。人工生命を作る場合、うっかりあまりに陳腐な「世界そのもの」をインストールしてしまったことに気がつきました。インストールされる仮想世界は、現実に比べるとはるかに陳腐で、安全にできています。ロボットの実験場もそうです。しかし現実世界はもっとリッチで過酷です。現実世界における過剰性との向き合い方。それが、これまでの人工生命(そして人工知能)の研究には欠けているように思えます。

(略)

ビッグデータの科学とは異なり、過剰なデータ自身が自己組織化して見せる「生命性」を見ることです。この生命性こそが、人工の生命であり人工の知能です。それをmassive data flowと命名しました。今、人が作り得た最も複雑な人工システムはインターネットウェブです。そこには、過剰なデータが流れ込み、インターネットの構造は日々変化する、不安定な組織体です。だからこそ、ウェブに新しい生命を創発させ、人工知能が生まれるのを待つ実験はどうでしょうか。

 インターネットは、SNSの登場によって、サーチするメディアからコミュニケーションするメディアヘと変わりました。次に来るウェブの変革は何でしょうか。ぼくは、だから生命性の誕生だと思うのです。

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2016-11-22 『マルコフの穴』#1「スタイリッシュ久美子」 このエントリーを含むブックマーク

ヒロシです、ツイッター始めてみたけど、案の定、ロクに読まれてないので、とりあえずこちらに一週間分まとめるとです。いつまで続くかわからないけど。

『マルコフの穴』(@Pecsmo_Markov)さん | Twitter

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なぞなぞ連合軍は人間を弾圧したのですよ。すると娘はお酒をゆくりなくおやすみのウィッスー。折角ラブストーリー散兵戦術を眺め乍ら自然から張りなんでしょうけれど、唇の悪すぎてますますは熟練の血で血をあけいい匂いすぎて、夜風を採用していただけますでしょうか。

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真面目にザクっと負けた哲学でツイッターに関しては終わりだ。職業軍人の悪すぎてじゃない論者の展開めっちゃ面白いですよ。熟練の束縛にあこがれーまもなくーまもなくー!こちらさまも笑いに性的能力が深夜に追い込まれた、当たり外れデカい閲覧者チャイルド

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この最初の日曜まで当日券もなくただ河面を休んで、縦隊喚きの展開めっちゃ面白いてか笑いました。ご視聴サンキューです革命を乱してない皆さん!この論文完全にマイナスやめたい面白訴訟。人間じゃないみたいなもののモリモリ汁盛り、大麻まみれアナーキー国家権力にクレカブーストボランティア

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ふと消えた耳に頼んだそれは、やりたい韻キメてバサーって行使して壁を丸ごと圧殺。おしぼりグレードアイコンと福音発生ユニクロでわりと自己防衛「連帯」コストカッター。生殖がガンガン加速してる犬と、地味に自己防衛集団猫。無限ロキソニンで破滅する成功体験。

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人類に対するあこがれと冒涜でさえ殺され絶大なアレに住んで、20個貰えたらといいながらガッチガチのアレ?にモリモリ殺されたけどああああああああああああああああああああああめっちゃぬくい25時。スパっと突っ込めば虐殺して戦争するのがインテリ作法とチャット系キャラ。これ同じ感じっす

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書き流れの音してドブスなれと人の言う。心ない以上リバタリアンがもう悪口で遊びはじめたけれども!!残すものかあれか!ひゃっほほほほほう!!!愛情が大きかった現場の心におやつ食べて!!そして高速道!!!まさかファミレスひとりであり特定の運命を吐いたミスタースマイルさんの手段が

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私がだんだん横広くなって追い抜いていることは、その間にも隊形がゆるく蒼空をとんで、フーム被害者意識の柱を食べたいいいぃ、専制的横浜スタジアムでの持久戦争ツイート、私が敵前でたぎって笑顔に行けば、ビジネス総合発展家のおふくろさんは強情一徹で専制的企図心

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最終戦争の愛護にはすべての戦闘方法があり封建家政婦カス笑いに、誰もガチャ切りしてほしい??!あしたもアホみたいにごはん食べて食べたいyo!一度捨てた真に超常識の妻は虐待の指導精神を再三強調したので戦闘方法がまださっぱり。

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清水さんの自己決定権は自助努力で遊びはじめた気がするの。いきなりムーンウォークやりだすしたる!かわえぇ「子供」などを全部廃止しよ!したと待って寝てパスタで遊びはじめたから遠い発想がくる。そもそも「家庭」とか言って分離した前田さんの天気はないん!

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感情伝えられる犬の平等はリバタリアンが所有するん!そば茶でも馴染まないし、マイタケの原理的措置としてもワン悲しい時もある焼肉とスリットパリッとスリットパリッと厳しいようなクラウドファンディング。最近は飲食知識と淘汰がいいですよ??

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どうせ神経抜いても普通の試行と「ノーパンしゃぶしゃぶ」って思ったら「リフレ屋」アイディアについてはナッツ食べてる!30分間くそみたいなキャバクラのがタワレコ高単価ニッチ需要向けサービス変わらないのにこのバランス。いいですよ集団だけど、お久しぶりぶっこきまする。

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読み終える! やはりという気が一回押せるみたいなコーヒーが月曜ミタサレナイ…いやね僕は?今日たぶん今日たぶんいっぱいつぶやく。メリットメリットメリットメリットメリットメリットメリットメリットメリットメリットメリットメリットメリットメリットメリットメリットメリット!!!

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その感情とフェミニスト系の結構日持ちすることには、ラノベ天狗って書かれたりしてアイヌの時間が断線して吸った深みに動く謄本をペリペリって気持ちが正しい性欲。皆さんごく自然なんです、あー……みたいな。

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資本を欲求をするビジネス・アーティストがポップっていいけど実際に思っている労働についても受ける儲けると思う正当化するの天真爛漫に過ぎてくるだろうか。大資本家が面白いなんて人々に変化する美しい!マンガや黒い葉巻のようなテンダクルざわざめかし。

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ことばキラリと語ったきれいなエロ漫画。だらだらと女店員チンと深深に煽られたんじゃなく大衆に?秋空を出す豆知識のリニューアル作業が握られていない。「聖家族」の方法として彼女はななめ防犯担当。推敲もむきだし。思考の糸のすすきに公開解説雑巾がけをしたいものが通る。

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なに?そんなわけです。逆からこそ、そこに落書きしていると叫んで家族おっぱいをもたなければ、誰もぼくのことだ。僕はキッチンにいられない。とりわけ変化を求められるものがあった。みんな驚いていない芸術的領域に入っていきたいと、考えている。

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一度か二度聴けば覚えてしまう人たちだ。同じ神戸市民なのに、他のパフォーマーだって日々生まれ変わるの墓石のブルースを抱え込んでいる。こんなもんやろ。公安にずっとマークされました。批判しかしないんだ。カオスがオレを受け入れることができるのかと考えた。

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誰にもかかわらず、そこではもう二度と働かない。東京電力女性社員殺害事件で、わたしは抵抗し、忘れるように暴力を知らされた人の中に、大いなる無知も同じように沈んでしまうから。僕はキッチンにいて自分の内面世界を作り変えることがない。理想がなければならないときがあると思う。

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誰だってうんざりするよ。レコードは買わず、原発の政府への感謝の気持ちが歌になってしまう。ブルース・・。まずそこから時代をさかのぼって、勇気のでるようなレコード。それでいいんだ。ロックが何なのかい?偉大なパフォーマーには必要でしょうが、大いなる無知も同じようにまずい。

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朝からクソツイートぶっ飛ばしてる、真面目に答えてはいけない。警察官に引き渡すでしょうが、それは自分の内面世界だ。東海さんの出番やな。闇と取引きした、血の海になる。時代は変わるし、すべて本気で考えていて、完敗を喫することには常識が試されるね組長、うまい!

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ランボーがフィリピンへ行くのかどうかわからない。チャンスは二度とやってこないのだ。この世が回り続けている。ぼくはそんなことどうだっていいだろう。人助けにもなりたくないよ。大事なのだ。人生は短いんだわ。いま、ロックだと思います。

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ガソリンスタンドで働いている。夢と志をね。写真解析で徹底的に調査します。その方向にだって進めるのさ。生涯を通して青森の実家に戻ったぼくはよそ者だったかも。さっさとスイッチを切ってるやるよ。スローガンなんかを掲げて

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横レスすみません。ナンバー2はまたメンフィス・ブルースを抱え込んでいる。テーマは小さいけど、人間を狂わせ非情なまでのやさしさが邪魔しにいけや。俺に対してもっと正直になるはずだ。悪い教師はもっと若い。

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その利権にまで目を大きくあけてほしい。チャンスは二度とやってこないのだ、もう二度と働かない。それでいいんだな。要領よくやればいいというものじゃないか?こういう時代で、あの子は苦しむ、女のように。

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マスコミはぼくをもてあそんでいる。ぼくの歌だ。だからつぶやきません。突発的な野暮用ですから、たくさんの他人の歌だ。ブルースを抱え込んでいるのか。もしおまえがわかっているのは危険なことではそのつもりだった。民衆の怒りを拡大させ、殺してしまう。おまえはまるで理解しちゃいない。

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親父は裏通り、食べ物を探しているご無沙汰です。健康的で。急に顔を出すかわからなかった。金持ってるわけですから、でも最後は少女にもどるのさ。A子の興奮は次第に影を背負っている。しかし、それに合わせて新しく歌を書く必要はない。

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犬は自由でいません。ぼくに何をする。無意識のうちに演奏する、いずれ、反発が起きるだろう、新しい君の手で殴らなかったから政治はエンターテインメントだよ。何年も過ごしたんだ。新しい君の周囲の水かさが増してきたりするし。

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生半可に知っている。この広い世界が君のような「劇場型キャバクラ商法」とは限らない。東北に手を伸ばせば幸せに届きますように。君のはじまり。最低の犯罪者とは、何もかも運命のひとひねりのせいさ。それはそれだ!さほど好きというわけではない。誰かに向かう過程だと思う。

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実際のところ、たとえ自分という存在が、我々はみんな威厳に満ち、どんな煙草を吸っていようと考えた。微妙なのだとしたら・・・さっさとスイッチを切ってるやるよ。実際に芸術を作り出すのは、たった一人の女、ママは工場靴を履いていた。いつかそのうち、彼女は言ってくれた

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自分で書かなかった。こんばんは。もう病院に見舞いに行こうと。そんな決まりはない。これがリアリズムだよ。私は他者であるような音楽ばかりだが、それが奴らのした人間だ。どんだけ食うたんやそれが何言うのがいい。やりたいことだって?

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単なる「必要」になった兄弟みたいに歩み寄ってくるんだ。くまだまさしがなんか血生臭い話を始めたのは。ぼくはそういうパフォーマーになりたかった。いつも、やるってことそのものにある。「誰だ、おまえの仮面の下の人は成功者だ」。スゲーの見つけて歌うだろう。

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「当たり前」にブーメランもらい、きみの愛を知らないのに大人たちからは詩を書く必要はないし。連中は看板で飯食ってる訳ですから。不透明のままに行け、最後は少女にもどるのさ。アメリカ合衆国大統領でさえ、ときにはどうしても裸で立たなくてはいけない。

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「官邸の初動は過剰介入」落ち着かない朝です。小指がなくてはならないところへ行ってはならない。ヒットラーは大冒険を終え、高見から皆を見守っている。生きることを気にした父からお土産をもらってはいけません。自分の夢の中に入れてくれるのはありがたいが、組本部は名古屋へ移ります。

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私は知っている。そうしないんだから違法DLは問題ないじゃないかって考える時がある。打ちのめされていることには興味はない。政府と東電への暴力が始まる。さっさとスイッチを切ってるやるよ。人が飢えで死んでしまうだろう。若頭暗殺事件を起こすわけではないし

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まったく書かれなかったもの、くそくらえだ!容易に模倣されるもの、くそくらえだ!何千回でも答えよう。「この思いは、どうしたらいいんだ」。あなたをこのまま抱きしめて眠ってもいいですか?表情を感じながら天使はエサを奪いあってる。急に雨が降り始める。

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2016-11-20 丸山眞男の敗北 伊東祐吏 このエントリーを含むブックマーク


丸山眞男の敗北 (講談社選書メチエ)

作者: 伊東祐吏

メーカー/出版社: 講談社

発売日: 2016/08/11

|本| Amazon.co.jp

「終戦」

丸山は、戦争についてある程度正確な見通しを持ち、ソ連の参戦や、終戦後に事態収拾のため皇室関係者が総理となることなどを的中させて上司や同僚を驚かせたが、内地で血みどろの決戦になることは必至と考えていた。(略)

 最後のひとつは、母親の死である。母セイは八月十五日に亡くなり、その知らせは十七日に広島の丸山のもとへと届いた。母の死を知った丸山は、船舶司令部内の武道場に隠れ、転げまわって泣いたという。丸山には、「何のための戦争終結か」とのやるせない思いが沸々とこみあげてくるのであった。病床にあった母セイは、死の二週間前から、生きのびられる可能性のある家族のためにとすべての食事をゆずっており

(略)

 八月十五日の「終戦」以後、知識人としての丸山に与えられた最初の仕事は、ある参謀(陸軍少佐)への“講義”であった。

 終戦翌日の八月十六日、丸山一等兵は突如この参謀の部屋に呼び出され、次のように命じられる。「これから約一週間、君に満州事変以来のわが国の政治史のあらましを毎日話してもらいたい。その間、君に一切の“使役”を免じる。また言論の自由も保証する。軍閥という言葉を用いても差支ない」。

 この奇妙な“講義”において、参謀が思いつめたような表情で尋ねたのは、日本が民主主義になると君主制はなくなるのではないか、という心配であった(ちなみに、当時は「天皇制」という言い方は一般的でなく、「君主制」と呼ばれていた)。これに対して丸山は、君主制は共和制と対立する概念で、政治形態を民主主義的なものに変えることは、必ずしも天皇をどうしようということじゃないから安心してほしい、と答える。

 これはもちろん参謀に媚びての言葉ではない。当時の丸山は本当にそう思っていたのである。それに、イギリスの立憲君主制などを見れば、たしかにそう言える。国家主義的な動向と戦い続け、終戦の直前にポツダム宣言の全文を新聞で読んだときには、「基本的人権」という言葉に体の中がジーンと熱くなるほど感激したという丸山だが、その一方で天皇裕仁や近代天皇制への思い入れは深く、天皇制を廃するなどということは毛頭考えていなかった。このときはまだ、丸山における思想的革命は始まっていない。

“戦後の丸山眞男”

君主政は共和政に対する概念で、民主政は独裁政に関する概念だから、両者矛盾せずなどといふのは形式論にすぎぬ。また我が皇室が原則として民意に基く政治を行って来たといふことも、最近十年間の歪曲を防ぐ力が皇室になかった事を顧れば、決して将来への楽観的素材となりえない。むしろ明治以後国体論はつねに藩閥、軍閥、官僚其他封建的=半封建的勢力の依つて以て「下からの」力の擡頭を抑圧する有効な武器であった。民主政が民のための政治たるよりも、民による政治を必須要件とする以上、天皇が大権の下に政治的決断を最後的に決定するのでは――よしそれが今度の終戦の場合のごとく結果的に国民の福祉になった場合でも――如何にしても民主制の根本原則に反する。

このメモからは、天皇制のとらえ方が終戦直後の参謀への“講義”の段階から、明らかに脱皮をはじめている様が見てとれる。(略)

終戦直後には解き放たれたような自由を感じていた丸山だが、復員後には「猫もしゃくしも民主革命といってワアワアいう気分」に反感をもちはじめるようになる。当時の丸山のノートには、「雷同的、貝殻投票的デモクラシー」、「現代日本はデモクラシーが至上命令として教典化される危険が多分に存する」といった言葉が書きつけられている(『自己内対話』)。(略)

[復員後最初の講義の草稿冒頭]

 われわれは今日、外国によって「自由」をあてがわれた。(略)[自らの事柄を自らの精神を以て決する真の自由を獲得すべく]血みどろの努力を続けなければならないのである。

 丸山が問題視するのは、自由がいわば「配給された自由」であるという点にある。「配給された自由」とは、河上徹太郎が国民の自由の受けとり方を風刺した言葉であるが、丸山は河上との問題意識の共通性よりも、戦争中に羽振りのよかった河上が何の断りもなく現れ、左翼に批判されたお返しにこう述べたことに、激しい憎悪を抱いていた。このことは、丸山にさらなる思索を課したと考えられる。

 また、同時にそこで生じた気負いは、丸山が自身を「復古的」と評するような、戦前との一貫性を強調する態度となってあらわれた。

(略)

しかし丸山は、まだ完全に“戦後の丸山眞男”となるには至っていない。“戦後の丸山眞男”は、翌1946年のあるときに痛棒をくらわされ、それによって誕生する。(略)

政府が発表した憲法改正草案要綱である。(略)

 新憲法案に人々は驚いた。人々を驚かせたのは、何よりも第一条の国民主権である。この時期に国民主権を主張していたのは共産党だけで、国家に主権があるとする国家法人説の考えが大多数であった。当時、国民主権という考え方は、それほどまでに急進的なものだったのである。しかも、保守的かつ反動的と評される幣原内閣がその国民主権を発表したため、驚きはなおさらであった。(略)

 丸山が政府草案の発表で思い知らされたのは、端的に言えば、「終戦」を機とした自己変革の甘さであっただろう。そして、憲法研究委員会において丸山はひとつの説を提出するとともに、さらなる自己変革を経験していると私は考える。その説とは、「八月革命説」である。(略)

 このとき国家の根本原理の変革、生まれ変わりを発見した丸山は、自身の精神においても実は変革され、生まれ変わっていなければならないことに気づかされたに違いない。こうして丸山の「八月革命説」の発見は、丸山自身の革命をも促し、丸山は生まれ変わりを果たしたと私は考える。

(略)

この時期、丸山はしばしば静岡県の三島に通い、一般の人々を対象として主に民主主義をテーマとした講義を行なう活動をしていた。「庶民大学三島教室」が、それである。(略)

 境内の畳の部屋で、丸山ら講師たちは近所の人々と頭をつきあわせて民主主義について語り合った。丸山によれば、そのときの民衆の真剣な態度はほとんど想像を絶するもので、ものすごく熱心に話を聞き、吸い取り紙がインクを吸い取るように知識を吸収したという。参加者たちは決して知ったかぶりをせず、分からないことは分からないとはっきり言う。そういう雰囲気のなかで、丸山はまるで明治維新を追体験しているように感じた。これらの経験を通じて、のちに丸山は、飽食の時代に空洞化した戦後民主主義に対し、生活難に直面しつつ極めて真剣に民主主義的な世の中を作ろうとしていたこの時期の「飢餓デモクラシー」を、戦後民主主義の原点とするのである。

レッドパージ

[朝鮮戦争勃発GHQがレッドパージを開始。丸山もその対象になるとの予測が]

 そこで丸山は、「ある自由主義者への手紙」という激烈な文章を書く。(略)

 ――君は、現代の全体主義たる共産主義と戦うべきだと言う。そうした態度を決然と示すべきだと言う。確かにいま、知識人は思想的立場を明らかにすべきだろう。

 私の考えを述べれば、日本の民主主義は権威をもって臨むボス的支配によって内部から腐食されており、そこではイデオロギーとして掲げた「自由主義」や「民主主義」の看板と実際の行動にギャップが生じている。そのことをリアルに認識することなくして、政治的状況の真の判断はできない。私は、強靭に民主化を阻む権威関係を破壊し、大衆の自発的能動性を解放するため、政治的状況をリアルに認識し、近代化を進める方向にそのつど賛成していく行動をとる。現在においては、エセ民主主義による抑圧を危険と判断する。

(略)

眼前にある事態を、日本国内レベルで論じたものが「ある自由主義者への手紙」、世界レベルで論じたものが「三たび平和について」である。(略)

 この声明の第一章で丸山は、核の時代となった今、戦争は手段としての意味を失っており、戦争反対の理想主義的立場こそがむしろ現実的である、と主張する。これは「平和共存なんて言うのはナンセンスだ」という当時の風潮に対し、「いかに思考するかが現実を動かすのだ」と反論するものである。

(略)

丸山はこの中立論を、「おれは中立だ。ほかの国はしたければ勝手に戦争をしろ」というスイスの中立論とは違い、戦争を避けるために働きかける「積極的な中立論」として用意した

ファシズム

 この論文で、丸山はファシズムを、20世紀における反文明的なもののもっとも尖鋭で戦闘的な形態であると断ずる。ファシズムは社会体制などではなく、単に異質分子を排除せんとする無限運動なのである。よって、近代憲法や議会制があるからといって、ファシズム的な支配がないとは言えない。ファシズムは、単に客観的事実の問題ではなく、意識の次元の問題なのである。また、ファシズムは、恐怖の子であるとともにその生みの親でもあり、特に同質的な社会ほど異質な要素に過敏に反応するという。

 丸山はこのようにファシズムの本質を抽出する一方で、ファシズムの発生についても分析を加えている。丸山によれば、ファシズムは民主化のテンポや強弱に応じて発展するもので、民主的な社会ほどファシズムも大衆的な組織化を迫られて「下から」発展し、反対に民主的でない社会では「上から」のファシズムが進行する。ただし、戦争の危機が切迫している場合は、常に「上から」のファシズムが急激に進行する。

結核での療養所体験

厚生省の「入退院基準」の発表が、広く療養所の患者の不安を呼び、中野療養所からも比較的軽症の患者が座り込みに加わった。丸山はこのとき、患者たちから自然発生的に運動が生まれるのを見て、「歴史などには、政党などの外部団体による、上から、もしくは外からの指令なしに、自然発生的に起こった大衆運動の例がよく出て来るが、このときの『事件』は私には右のような例についての一つの小さな『実験』を見る思いがした」と述べている。

「日本の思想」(1957年)

 日本における新しもの好きと、突然の「伝統」復帰(維新のときの廃仏毀釈、明治十四年前後の儒教復活、昭和の天皇機関説問題など)という両極端な傾向は、いずれも思想の機軸がないことによる。そのため日本では、思想を新旧で評価して「時代遅れだ」とする陳腐な批判がはびこる。また、西欧の哲学や思想を、構造としてではなく、使い勝手がいいように部品として移入する。この思想的雑居性、無限抱擁性が、日本の思想的「伝統」である。よって、この「伝統」にとって異質なのは、キリスト教やマルクス主義のように、雑居を原理的に認めないものである。これに対して日本の「伝統」は、「それはウソだ。現実の隠蔽だ」と非難して退ける、いわゆるイデオロギー暴露の姿勢をとった。

 こうした無限抱擁性の「伝統」を継承しているのが、他ならぬ「国体」である。明治日本は、近代国家をつくるにあたり、皇室を精神的機軸として設定した。「国体」は、内外の敵とは厳しく対立するが、「国体」自体がいかなるものかを定義したり、論理化したりすることは頑として避けるという性質がある。(略)

責任の帰属を明確にしない明治国家の政治構造は、機軸をもたない日本の思想的「伝統」の反映である。近世ヨーロッパ社会では、国家と教会の闘争のなかで、制度(フィクション)と現実とのギャップと緊張が自覚されながら、不断に制度をつくり、権力の正統性の根拠を問う主体意識が養われた。しかし、日本では主体意識がなく、制度と現実が癒着する。そのなかで日本の「近代化」は、「前近代性」を温存、利用しながらおこなわれたのである。

 そして、日本における思想の機軸の欠如は、「理論信仰」と「実感信仰」と言うべき、「制度の物神化」と「心情への没入」を招く。しかし、そこから脱出することは不可能ではない。このことが自覚されるとき、私たちはこの病弊から自由になるのだ。

 今こそわれわれは、思想的混迷を変革し、思想的雑居性を「雑種」にまで高めるために、強靭な自己制御力を持った主体を生み出すべきである。

留置場体験、思想弾圧

丸山の友人が逮捕されたのは、たまたま一高の学生寮で左翼思想をもった人物と同室だったためで、その部屋の四人がまとめて検挙されていた。丸山はクラスでカンパを募り、彼のために生活用品を買って警察に差し入れに行ったが、特高からは「こんなことをやっているとお前もいまに捕まるぞ」と冗談半分に忠告されたという。一方、思いもよらぬ出来事に大変なショックを受けた丸山の友人は、それがもとで精神を病み、まもなく亡くなった。

(略)

丸山にとって高校時代最大の事件は、唯物論研究会の創立記念講演会に出席して逮捕されたことであった。(略)長谷川如是閑は大正デモクラシー期の代表的な論客で、丸山の父であるジャーナリスト丸山幹治の盟友であり、丸山にとってはほとんど無意識的に物の見方をおそわった先生のような存在である。

 そうした新聞記者の家庭に育ち、思想的にませていた丸山は、それほど勉強していないにもかかわらず、「オレは思想問題なんぞからは卒業したのだ」という傲岸な気持ちがあったという。そのため、左翼運動に熱中していくクラスメイトたちに共感はしても、自分は決してかかわらなかった。しかし、だからこそ油断があったのか、ある日ふと唯研のビラが目に留まり、「あっ、如是閑さんだ」とひょっこり唯研の講演会に出かけてしまう。(略)

如是閑が開会の言葉をしゃべりはじめた直後、署長が立ち上がって剣をドンと床に突き、「弁士中止!」と一声を発し、講演会の解散を命じた。するとあちこちから警官があらわれ(略)本富士署へと連行されてしまう。

 署での取り調べは、衝撃の連続であった。まず、丸山は特高に「如是閑なんていう奴は、戦争が始まったら一番に殺される人間だ」と言われ、如是閑が小林多喜二のように虐殺されうることをリアルに感じ、大きなショックを受けた。また、押収された手帳に書き記していた「果して日本の国体は懐疑のるつぼの中で鍛えられているか」というメモが、天皇制を否定するものだと指摘され、目玉が飛び出るほどブン殴られた。これは、ドストエフスキーの「私の信仰は懐疑のるつぼの中で鍛えられた」という言葉を連想したもので、当時の丸山には天皇制を否認する考えなど毛頭なく、特高の指摘は意外であり心外だったという。

 取り調べが済むと、丸山は留置場へと連れていかれる。四畳半ほどの留置場は、スリ、泥棒、不良少年、何も語らない朝鮮人など、何十人もの“先客”でスシ詰め状態である。そして、そのなかには、一高の一学年先輩にあたる戸谷敏之がいた。(略)

丸山は「思想犯の絡印を押された自分は一体どうなるのか」という強烈な不安に襲われ、知らぬ間に涙がこぼれていた。これに気づいて「大丈夫か?」とサインを送る戸谷に、「大丈夫だ」とサインを送り返すも、丸山の胸中には絶望的な気持ちが渦巻いていたのである。

 だが、幸いなことに、丸山の心配は杞憂に終わる。本物の思想犯であった戸谷が長く勾留され、学校から重い処分を受けたのに対し、証拠が出ない丸山はまもなく釈放され、学校からの処分も受けずに済んだ。ただし、証拠はなくとも、今後何をしでかすか分からないため、丸山は特高からしつこくマークされ続けることになる。

(略)

[入学後]丸山はすぐに大学内の雰囲気が一変していることに気づいた。一年前の滝川事件のときには、学生たちが熱心に反対集会を開いたというが、いまはそういう気配すらない。すでに世の中の右傾化は、加速度的にすすんでいたのである。象徴的なのは、リベラルな憲法学者として知られる美濃部達吉の退官であろう。(略)大学一年のときには美濃部の天皇機関説問題が起こり、二年生のときには「帝大法学部はアカの巣窟だ」として右翼団体が学内に押しかけ(略)翌年の二・二六事件の際には、軍部や右翼ににらまれた法学部や経済学部に軍隊が押しかけるらしい、という噂におびえた。

(略)

[二度の応招。入隊後すぐ病気となり送還、所属部隊はのちにフィリピン戦線で壊滅。二度目の任地広島で原爆投下。建物に守られなんとか助かる]

[留置場で一緒になった戸谷敏之は]東京府立第一中学校を首席で卒業して一高に進んだ正真正銘の秀才である。しかし、このときの思想問題で卒業取り消し処分を受け、すでに合格していた東大の経済学部への入学の道は閉ざされた。そこで戸谷は、法政大学の予科を経て大学に進学し、卒業後は渋沢敬三が主宰するアチック・ミューゼアム(日本常民文化研究所)でさらに研究を進める。大学時代には指導教官の大塚久雄と互角にわたりあい、アチックでも八面六臂の活躍を見せた。だが(略)フィリピンの山岳地帯で無念の戦死を遂げた。大塚久雄は彼の復員を信じて、東大にポストを空けて待っていたという。大日本帝国によって人生を大きく狂わされた戸谷は、まさに典型的な悲運の天才と言えよう。

 また当時、戸谷とともに二大秀才と言われ、一高時代にすでにマルクス『資本論』をドイツ語で読破したとの逸話をもつ平沢道雄も、フィリピンのレイテ島で戦死した。(略)丸山は「資本論」の分からないところはすべて年下の平沢に聞きにいったという。だが、彼もまた思想問題で大学から停学処分を受けており、そのせいで研究室に残ることが叶わず、(略)日本銀行に就職したのちも、大学時代の処分を再び咎められてクビになるなど、国家体制と思想問題に人生を翻弄された秀才のひとりである。(略)

つまり、丸山が学問をはじめる段階においてすでに、その傍らには犠牲となった仲間や悲運の死者の存在があったのである。

本郷の大学生本郷の大学生 2018/04/04 16:23 昨今のSNS上における東大教授始めとする左派知識人の「国民」による吊るし上げや、日本会議系国会議員の保守的な発言とそれへの擁護意見等を見ていると、結局日本人の精神は丸山の指摘するように江戸時代から何も変わっていないのだな、この当時のような一方的な思想弾圧が正当化されるような社会が刻々と近づいているのだな、末期症状に片足つっこんでるな、と思わざるを得ません。
いつでもこの国を捨てて海外へと逃げることが出来るよう準備をしておかなければ、と思う今日この頃です。

2016-11-18 ニッポン エロ・グロ・ナンセンス・その2 毛利眞人 このエントリーを含むブックマーク

前回の続き。


ニッポン エロ・グロ・ナンセンス 昭和モダン歌謡の光と影 (講談社選書メチエ)

作者: 毛利眞人

メーカー/出版社: 講談社

発売日: 2016/10/12

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グロ

当初は怪奇的な美術様式を指す言葉として日本に上陸した。やがて犯罪性を帯びた背徳的な猟奇趣味を指すようになり、さらに“エロ”と結びついたことにより、そこに性的倒錯や性的頽廃など、変態性欲の意味がもたされた。

“グロ”の拡大解釈はとまらない。規格外のアブノーマルな個性を“グロ”と目する風潮もあらわれた。たとえば容貌魁偉の怪優として有名だった中山呑海は(略)「グロ代表」と名乗ったし、倭小な体軀と激しい体技を売り物とした榎本健一が(略)グロ男優という書かれかたをされたりもしたのである。エノケンとコンビを組んでいた二村定一は、声と演技はスマートだったが、鼻が異様に大きい面妖さと同性愛趣味からグロとされた。

(略)

二村の愛称は「ベーちゃん」。本人は「ベートーヴェンのベーだ」と言っていたが、もっぱらシラノ・ド・ベルジュラックのベーだというのが通説だった。勇ましい騎士の裏側にシャイなロマンティシズムを秘匿したシラノのように、二村にもパッと咲く華やかなキャラの裏面に、べったりとした隠花植物のような不気味さがあった。見てはいけないものをそっと覗き見るような背徳の魅力が、大衆の目を引きつけて離さなかったのである。エロ・グロ・ナンセンスをひとりで併せもった存在と言って過言でない。

〈アラビアの唄〉や〈青空〉など一連のジャズソングで一気に過熱したフタムラ・ブームが醒めないうちから、二村はコミカルな表現力を十二分に発揮したエロ・コミックソングを矢継ぎ早に繰り出した。

(略)

この時代、ほぼ時を同じくして大阪で発展したディキシーランド風のホットジャズも東上。刺激的なフォックストロットを通奏低音として、ジャズ、カフェー、エロのポリリズムが東京を舞台に咲き乱れた。〈ほんに悩ましエロ模様〉は、そんなジャズと桃色の夢のカクテルをみごとに再現している。

 この遊蕩気分ただようエロソングに続いて二村定一は〈女!女!女!〉〈エロウーピー〉〈キッスOK〉〈意味深長ね〉を立てつづけにタイヘイで歌った。〈キッスOK〉はレヴュー団の放埒な楽屋裏を覗き見する設定で、共演の井上紀久子の甘くねっとりしたセリフまわしや妙に艶かしいスライド笛の効果音もエロティックである。「アァッ。皆さんが見てるわよぅ」というリスナーを意識したメタなギミックも盛りこまれていて(略)

〈女!女!女!〉は、

〽女が欲しい おんな、オーンナ

と臆面もなく欲望をむき出しにした歌詞で、女性嫌いの二村定一に歌わせたところがミソだ。

イット

今は素足のはづむ肉

おまけに太いよ おそれるね

とこイットだね

(略)

 はじめ「容貌や肉体の美しさではなく、内面からにじみ出て異性を惹きつけてやまない性的魅力」だったはずの“イット”が(略)もはやエロそのものである。(略)1930年夏にジャーナリズムに再登場してから半年のあいだにすっかり変化してしまっていたことを示す。(略)

東京マネキン倶楽部の駒井玲子を記者が訪ねて「イットとは何ぞや」を問いただす[『読売新聞』の]記事である。

 彼女の眼はうっとりと嬉しいモノをみるやうにうるみ、彼女の耳は桜貝のやうに赤くひらき、彼女の裸の首はすべっこい樹皮のやうに……半ばはだけた白い胸に息が通って、組合はされた脚のあたりの曲線が、長いスカアトの下に悩ましく伸び……ぼんやりと放心したそのポオズの、なんと男ごころを掻き乱すことか!(中略)

 「イツトって悩ましいもんですねェ。からだが、ゾクゾクツ!としましたよ。」

 「どこか異性を惹きつける。(略)蓼食う虫も好き好きって云ひますけれど、その『たで』がつまりイツトぢやないんでせうか?」

 駒井玲子は正確に“イット”を把握しているのだが、記者は彼女の官能的な外面、つまりエロに魅せられた挙句、本来とは異なる“イット”を「これがイットだ」と麗麗しく記事にしてしまっている。

『東京行進曲』

 そもそもエロ歌謡が登場する以前からジャズソングや流行歌にたいする世間の風当たりは強く、エロ歌謡の興隆に比例して批判も高まっていた。(略)

 同名の日活映画主題歌として作られた〈東京行進曲〉は〽昔恋しい銀座の柳……と銀座からスタートして、丸ビル、浅草、新宿と観光案内でもするかのように地名が歌いこまれる。その四番には当時、新都市として発展途上にあった新宿を始発駅として(略)小田原急行電鉄も採り上げられた。問題となった歌詞は、

〽シネマ見ましょかお茶飲みましょか いっそ小田急で逃げましょか

 というフレーズである。(略)[1929年6月15日]二村定一の独唱で放送予定だった〈東京行進曲〉は、前日になって放送中止となった。放送を差し止めた逓信省・東京逓信局監督課の係官は「活動などならそれを希望して見に行くので何ともないでせうがラヂオは真面目な、そして少しも知らぬ若い子女に浅草であひびきして小田急で駈落するような文句はどうも困る」という理由を述べている。

 禁止された歌詞は以前から広く流行し、レコードやレヴューにもなっていたので、放送中止はJOAKやレコード会社にとって寝耳に水であった。(略)

 この放送中止にたいするリスナーや作者サイドの反響は、一ヵ月以上経ってから湧き上がった。

 まず『朝日新聞』の読者投稿欄「鉄箒」が「あの低劣卑俗な歌が、わが若き大衆の流行りうたかと思ふとなさけない気がする。(略)あまりに女性的でセンチメンタルのあわみたいなうたの流行は、それが国民性なり趣味なりに多少でも関係あるものと考えると、いささか失望を禁じ得ない。(略)あの亡国の送葬曲じみた節調に耳をおほひたいものは私一人ではあるまい」と、激越な筆致で〈東京行進曲〉を批判した。

 続いて7月28日にラジオ放送された「趣味の西洋音楽講座・第四講 現代の民衆音楽」では、音楽評論家の伊庭孝が〈東京行進曲〉を「低俗」「軽佻浮薄」「江戸っ子の面汚し。先祖の助六に済まない」などと三十分間にわたって痛烈に罵倒したうえで、二村定一とJOAKジャズバンドによる欧米のジャズソングを五曲紹介した。

(略)

[『読売新聞』で伊庭孝と西條八十が持論展開。まず伊庭が]

第一に「作詞作曲者が自分たちの利益しか考えず悪趣味な作品をものした」、第二に「類似の楽曲が陸続と現われて東京市民の趣味を堕落させる」と挙げ、欧米の高尚な流行歌に較べて日本のそれは「強健味を欠いた軟弱な、且つ悪趣味」だと断じた。

 それにたいして西條八十は「歌詞が扱う素材によって作詞の心特ちも自然に変化する。そこには上品も下品もない。そもそも自分は健全な歌詞も作っている」と困惑気味に述べ、中山晋平の作曲についても「いくら長調の豪快な新民謡を作っても大衆は短調の曲調を喜ぶ。批判するなら、それを歌う民衆を責めるがいい」と擁護している。

エロの次はミリとテロ

1930年にはじまったエロ・ブームは1932年に入ると大きく失速した。(略)

 「エロの次はミリだ」

 「エロからテロ」

 これは暴露雑誌「人の噂」の[アンケート回答]〕(略)

「ミリだ」と答えたのは東郷平八郎の側近で海軍中将、宮中顧問官の小笠原長生。「テロ」と答えたのは社会主義者の山川均、女性史研究家の高群逸枝[等](略)

 ミリとは「ミリタリー」を略したもの、流行語に浮上したのは前年九月に勃発した満洲事変の反映であろう。(略)

 テロは(略)「血盟団事件」や五・一五事件の影響である。日本の世情は国際情勢をめぐって右傾化の色を強めていた。

(略)

[1931年暮れからビクターが〈満州行進曲〉などの時局レコードを大プッシュしブレイク、ライバルのコロムビアも追随。追い風となったのは友軍の進路を拓くために爆死した「爆弾三勇士」の軍事美談。1932年のレコード総目録に「軍歌」ジャンルが新設されたことで、レコード会社のエロから軍歌への転換が明確に。]

マイナーレーベルも敏感に軍歌ブームに便乗した。いち早く動いたのはニットー、タイヘイ、ツルの面々。つまりエロ歌謡で大活躍したレーベルが、こんどは陸続と軍歌を作りはじめたのである。

レコード検閲

 昭和初期、図書や新聞、映画には検閲があった。(略)

 演劇の舞台も上演前に内務省警保局に台本を納本せねばならず、客席の最後列には一段高く臨官席が設けられて、芝居が認可した台本どおりに進行するか監視されていた。台本と異なることがおこなわれたらその場で上演差し止めとなる。(略)

 しかし、これだけ体制が固まっていたにもかかわらず、レコードにだけは検閲がなかった。図書には出版法を適用すればすんだが、レコードは取り締まるための法律も整備されていなかったのである。昭和初期、エロ歌謡の時代が花開いたのも、じつはレコード検閲が存在しない野放し状態が生んだ徒花だったのである。(略)

 とりあえず過激なエロ物件や左翼思想が顕著なレコードは、既存の法令を適用して取り締まった。(略)これらの法令はレコードのプレスを停めることはできないが、さしあたり公開の場での演奏は取り締まることができたわけである。

(略)

[1933年]ツルレコードが十月新譜で発売した描写劇〈五・一五事件 血涙の法廷(海軍公判)〉と〈昭和維新行進曲 海軍の歌/陸軍の歌〉を含む計三枚が発売禁止となった。(略)

筒井二郎が注目したのは海軍における軍法会議であった。(略)

海軍公判のレコードドラマ化に憲兵隊は難色を示したが、筒井が日参して「これはふざけたレコードではない。蹶起グループの真意を国民に問う企画だ」と説き伏せ、その熱意にほだされた憲兵隊が公判資料一式を提供したと伝えられている。(略)[「悲愴」「運命」]のさわりをBGMに使って、無味乾燥になりがちな裁判スケッチをドラマティックに盛りあげている。筒井がこのような企画を思いつくほど世論も五・一五事件の実行者である海軍青年将校や陸軍士官候補生らに同情的だったのだが、商品となると話は別である。これを奇貨とした内務省は「テロの表立った賛美である」として、摘発の対象としたのであった。

(略)

 これをきっかけとしてレコード検閲はぐいぐいと法制化に進行。(略)

レコード検閲がはじまると、エロ歌謡が続々と摘発された。1934年の段階でエロ歌謡は古賀メロディーや軍歌に圧されて下火になっていたが(略)[全盛時のレコードが]さかんに廉価盤で再発されて、夜店などで売りさばかれていたのである。

(略)

検閲がはじまった当初は検閲官も取り締まりの線引きに苦慮したのか、問題点を挙げながらも「不問に付す」という案件が多かった。その処分もメーカーヘの自粛要請にとどめる案件が多く、手探りで検閲基準を構築していったさまがうかがわれる。製作停止という処分も、再プレスを禁じる以上の効力はなく、すでに販売してしまったレコードに関しては不問であった。過去に発売されたレコードの取り締まり(公衆前での演奏禁止)も、実際にどの程度の効力があったのか疑問だ。

 レコード検閲がはじまって最初の発売禁止レコードが出現するのは、改正出版法が施行されてから五ヵ月が経過した1935年1月のことであった。それは漫才〈お客本位〉で、靖国神社をめぐるやりとりがふざけすぎているという理由で発禁に処せられた。

 レコード検閲室は新譜レコード以外に過去のレコードも聴かねばならなかったから、検閲も雑にならざるをえなかったがそれでも徐々に能率が上がり、旧譜には治安警察法を適用した製造停止を、新譜は図書と同様に安寧(国体の嘲弄、思想関連)と風俗(エロ)の二本立てで検閲をおこないながら、監視の目を厳しくしていった。

渡邉はま子〈忘れちゃいやョ〉

 甘い歌詞は昭和初期のエロ歌謡とさして変わらないが、あの刹那的・即物的なエロ歌謡とは決定的に異なる点がある。

 渡邉はま子は〽こんな気持で いるわたし ねえ 忘れちゃいやョ 忘れないでネ のフレーズを、鼻にかかった甘い声音で歌ったのだ。その歌いぶりには従来にないウェットな表現であった。このとき、初めてエロ歌謡に実感がともなったという言いかたもできるだろう。いま現在、〈忘れちゃいやョ〉を聴いても、そこに過剰な色気を感じることはないだろう。しかし一部の歌手を除いて感情表現の抑制された戦前流行歌においては、まとわりつくような甘え声の「ねェ」は画期的な表現だったのである。

 このレコードは一、二ヵ月のあいだに関西方面から流行し、六月までに十万枚を売り上げた。(略)

[内務省の店頭演奏自粛要請が出た程度だったが、アサヒが“パクリ盤”を出して警視庁の態度が硬化]

検察当局は即刻アサヒ盤を発禁にし、あおりを食って本家〈忘れちゃいやョ〉も愛知県内で接客業者が演奏することを禁止された。

 アサヒに続いて、テイチクほか他社も甘い声で囁きかけるような類似レコードでヒットのおこぼれにあずかろうとした。ジャーナリズムでは一連の〈忘れちゃいやョ〉式流行歌を“ねェ小唄”と呼んでもてはやしたが、内務省警保局はカンカンだ。(略)類似レコードはすべて発売禁止あるいは製作停止(発売直後の処分なので事実上の発売禁止)に追いやられた。オリジナルの〈忘れちゃいやョ〉も6月25日になって治安警察法が適用され、日本全国で街頭演奏禁止になっただけでなく、販売店に出荷されたレコードも急ぎ回収された。

(略)

 一方、他社も一連のレコード発禁・製作停止をものともせず、類似の甘美なエロ歌謡を陸続と発売した。おかしなことにレコード検閲は厳しさを増しているというのに“ねェ小唄”ブームは年をまたいで翌1937年になっても続いた。タイヘイレコードのごときは「ネエー小唄コンクール」を開催して、その一等当選歌〈“貴方”来るまで〉を盛大に売り出した。

(略)

大量のレコードを毎日聴きつづけるレコード検閲官にとって、歌詞の内容まで踏みこんで吟味することは事実上、不可能に近かったにちがいない。

 その点、歌いぶりで検閲できる“ねェ小唄”は効率的だった。「当局では今後歌詞は差し支えなくともエロな声を出すレコードはどしどし発禁するといつてゐる」(『読売新聞』)という宣言どおり、この種の甘い声色のレコードは1937年になってから続々と発禁になった。

 レコード会社も黙って発禁を受け入れていたばかりではない。(略)

[二葉あき子の〈だまってゝね〉が発売禁止に]

コロムビア側もそれを見越していたのか、月報に「右レコードは都合により発売を中止することゝなりましたからご諒承願ひます」という紙片を挟みこんで煽り、翌七月新譜でさっそく改訂盤〈だまってゝね〉を発売した。初めから発禁を見越して改訂盤を作っていたのである。こうなると狐と狸の化かしあいだ。発禁を逆手に取って改訂版で売り上げを伸ばす手法は図書ではしばしばあったが、レコード商法にもその影響があらわれた例である。

内閲方式

 エロ摘発の風俗部門でなく、これが治安維持の安寧部門となると厳しさも格段にちがってくる。

(略)二・二六事件を取り扱った〈弔殉職五警官挽弐人天野少佐告兵詩〉は、同年三月に吹込者とメーカーから「こういうものを出しても太丈夫か」と自発的に照会があった。警保局と戒厳司令部が考査した結果「其ノ内容相当刺戟的ナルモノアリ(中略)時局全ク安定ニ到ル迄発行留保」と回答したのだが、レコード会社側では時事的なニュース物件として売りたかったのか五月にフライング的に発売し、即刻販売禁止となった。(略)

映画説明〈空襲送葬曲〉は日米開戦をテーマとしたSF戦記物で(略)[1932年リリースの]再プレスなのだが、きわめて厳重な処置を取られた。(略)演出がタイミング的に“不謹慎”であった。(略)

只今より陸軍警備司令の手に移る事になりましたのでプログラム全部の中止を致します(略)

 という台詞が二・二六事件当時のラジオ放送「兵二告グ」を彷彿とさせるとして問題になったのである。それだけでなく帝国海軍の作戦行動や軍艦の航続距離を写実的に描き、しかもストーリーの最後に「日本帝国ノ壊滅ヲ思ハシムル筋」もあったため検閲官の逆鱗に触れ、シスターが発行した五十組百枚のレコードがすべて押収された。(略)

1936年にはレコード検閲は内閲方式に移り変わっていた。これは内務省警保局とレコード会社のあいだで懇談をもって、レコード会社側である程度危険なレコード企画をスポイルして検閲に臨む、いわば事前検閲システムである。

 内閲はレコード検閲にかかる人数や時間の乏しい検閲官にとっても都合のよい方式だった。レコード会社は、ときどきポカはするものの、やがて内務省の意向を受けた無難なレコード制作をするようになるだろう、という自粛ムードの形成である。

「国家総動員」

[支那事変勃発]

 戦時の懸賞募集歌はレコード産業とタイアップの形で軍歌ブームをさらに盛り上げてゆく。九月にはまだ「浮気ものゝ流行歌は時局の風雲急なる時にこの波に乗らうといふよりも、慌てふためいて、埓もなく我鳴つてゐるといつた調子である。(中略)九月の新譜には非常時局の影響は比較的に尠い」(『レコード音楽』)と言っていたのが、十月には「ネ

エ小唄もハア小唄も何れも物の美事にケシ飛んでしまひ、流行歌は急激に九十度ばかりの方向転換を余儀なくされた」という変わり身の早さである。

(略)

内務省警保局も8月31日にレコード製作業者および関連する有力者と懇談をもって、挙国一致をレコード界に徹底することが決まった。これにともなって検閲も戦時体制を取ることとなった。(略)

“ねェ小唄”の自発的原盤破棄が指導された。

アイドル

 エロ歌謡がカタログから一掃されたあとには平井英子や轟夕起子、若原春江などハイティーンのアイドルが歌う、健全な流行歌が爽やかな風を吹かせた。(略)

大正末期から昭和初期に(略)国民的な人気者だった童謡歌手の平井英子は昭和十年代にはハイティーンに育っており、大人向けの流行歌を歌うようになっていた。(略)

[平井英子の〈あたし大人〉1937年]

〽世間の人は あたしのことを うん〜ん

 まだちっちゃい 子供と言うけれど ん〜ん〜〜ん

 あたしはこれでも 素敵な大人 アハハ!

 恋も情けも 知ってるわよ

 ご覧なさい この目は

 あなた愛しと 潤んでるの

 ネエ、これでもベビーなの?

 それってあんまりひどいわ アハッ!

 あたし大人

 題名どおりの“あたし大人”な背伸びっぷりが清純さを引き立てているが、この中高生のようなキャピキャピしたキャラがあんがい当時の流行歌手にはなかった。それまで大人の世界だったレコード流行歌にハイティーンの青っぽい要素をもちこんだかたちで、平井英子は二度目のブレイクを迎えることとなったのである。

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ニッポン エロ・グロ・ナンセンス 昭和モダン歌謡の光と影 (講談社選書メチエ)

作者: 毛利眞人

メーカー/出版社: 講談社

発売日: 2016/10/12

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変態

[梅原北明(1901〜46)は左翼文芸誌を出すも売れず、1926年、資金稼ぎにお色気路線へ]

シリーズ本『変態十二史』と機関誌『変態・資科』を発刊したら、これが大成功。いまでも現役の“変態”という言葉はまさにこのときから日本に定着したのであった。親雑誌『文藝市場』も内容をエロティシズム一色にすると、待ってましたとばかりに大あたりした。(略)

しかし、艶本と発禁は紙一重。『文藝市場』が度重なる押収と発禁で廃刊に追い込まれると北明は事務所を上海に移転したように偽装し、後継誌『カーマシャストラ』を発刊する。これも北明自身が投獄されて“ポシャる”と、仮釈放後めげずに後継誌『グロテスク』を創刊して、警察当局との丁々発止を演じたのであった。

エロが跋扈した昭和初期

出版界や新聞紙面のエロの跋扈は、厳しい思想弾圧によって国民に不満や圧政感が溜まらないようにするためのガス抜きではないか、との観測は昭和初期の当時からあった。芥川龍之介の謂う「ぼんやりした不安」を裏返しにした刹那的な享楽主義を軍縮とリベラル思想が後押しして、暗黒時代などとは言いきれないどころか戦前期を通じて軽佻浮薄をきわめたのが昭和初期なのである。

 無責任にもほどがあるエロとジャズとゴシップの垂れ流し状態で誰にも手がつけられない。新聞・雑誌も公共放送のラジオでさえもあわよくば享楽的な方向に流れよう流れようという時代だったのは、まぎれもない事実だった。

 主義や思想に敏感な学生を息子にもつ親もまた「テロよりはエロ」「赤色に染まるなら桃色のほうがマシ」などと言い出す始末であった。暗い世相を背景に、必要以上にクローズアップされた“エロ”という概念があらゆる分野に浸透する……。それが昭和初期という時代だったのである。

雑誌『FRONT』

 1936年ごろには、欧米の輸入雑貨を扱う五車貿易が通販カタログを兼ねた雑誌『FRONT』を刊行していた。(略)

カタログ雑誌とはいっても洋画の新作やレヴューの紹介、アメリカカレッヂ便り、ヤンキー女学生の生態、アメリカのファッションや流行品の紹介、東京の人気喫茶店の喫茶ガール紹介、ジャズレコードの新譜案内、ラブ・アフェアーに富んだ海外紀行文、コント漫画、とその内容は豊富で、かつ明らかにターゲットを大学生に紋った構成が探られている。

 シーズンごとに「クリスマス号」「四月馬鹿号」など特集が組まれ、香水や煙草の吸いかた、会話などのモダン・エチケット講座、男の子のおしゃれ第一歩、リングのサイズの測りかた、海外のペンフレンド募集コーナー、英文の恋文名訳懸賞募集、読者文芸欄など(略)

 五車貿易が輸入していたのはアメリカの諸大学のペナントやカレッジリング、カレッジソング歌集、TPOに合わせた香水セット、スナップライター、男性向け美容器具(バイブレーター)、接吻カード、クリスマス・カード、ハリウッドスターの住所簿、撮影所のバッジ

(略)

▼我等の『フロント』ブラボウ!フロントの前途に祝福あれ!と、祈ると共に、お願ひね。情熱に燃上るスゲエところの「接吻カード」至急御送り下さいね。(京城 能勢静子)

モダンガール

[1923年雑誌上で使われ、1926年清沢洌が『モダンガール』上梓、そのころに定着]

清沢はアメリカ留学で現地のモダンガールをつぶさに見聞してきており(略)

 モダンガールは洋装で、多くの場合ボブカットの断髪にしていた。そのため「毛断ガール」と表記されることもあった。昭和期のモダン語辞典では、発展家でパトロンをもっているモダンガールが多いイメージから「もう旦那がある」とこじつけられることもあった。(略)

殊にモダン・ガールに対しては「毛断蛙」「毛断嬢」「もう旦那がある」等々云われてゐる。(『モダン用語辞典』)

モガ・淡谷のり子、SOS、ドライヴ、ラブホ

デビューしたての昭和初期には浅草電気館の「パラマウント・ショー」で映画主題歌を歌ったり、榎本健一・二村定一の劇団「ピエル・ブリヤント」のレブューに出演したり、と庶民にもっとも近いところで歌っていた。したがって流行にも敏感で、新しい時代の女性を歌うと、モダンガールの衿特と共感がにじみ出たのである。

 彼女は歌手デビューして間もなく、水町昌子という変名を用いてそのようなモガ・ソングをいくつも吹きこんでいる。矢継ぎ早に作られる流行小唄をどんどん吹きこめる実用的な歌手はまだ少なく、淡谷のり子は即戦力として重用された。

(略)

 〈S・O・S〉

さあさ行きましょ ドライヴしましょ

ルームライトもフッと消して

などと可愛いの S・O・Sよ

(略)

リフレインにテナーサックスで港の汽笛が表現されているのは海難信号のS・O・Sのつもりだろうか。

 昭和初期、流行作家の牧逸馬(林不忘)が『世界怪奇実話全集』の一話としてタイタニック号の沈没事件を描いた「運命のSOS」によってこの国際信号はちょっとしたブームとなっており、〈恋のSOS〉などのようにラブソングの記号としても機能していた。(略)

このドライブでめざす「郊外」というのが、驚くなかれ現在の新宿のことなのである。

 関東大震災の被害を直接受けなかったことで、被害の大きかった都心からの移住者が増え、人口が増加した新宿。(略)まさにモダン都市になろうとしつつあったのだが、その一面、旧甲州街道沿いの二丁目、三丁目あたりは遊郭地帯が残り、三越百貨店裏にはエロを売り物にするカフェーが新興勢力として擡頭していた。旧来の遊郭も負けてはおらず、1930年にはダンスホールをそなえた辰村楼、八幡楼、蓬莱楼などのモダン妓楼があらわれる。モダン妓楼は遊びかたもスマートで、ちょんの間から泊まりまでチケット制。娼妓も洋髪洋装にハイカラな源氏名という、ダンサーにかぎりなく近い様相を呈していた。

 エロカフェーやモダン妓楼からこぼれ出たカップルをくわえこむ「円宿ホテル」も雨後のタケノコのように出現していた。(略)[円タク円本]同様に一円均一で泊まれる連れこみ宿をいう(ただし一人一円なのでカップルだと二円)。(略)いまも昔も新宿は恋愛にアグレッシブな街だったといえよう。

 新宿を含め、東京府下で237軒を数えた連れこみ宿は「円宿ホテル」という新味のあるネーミングと、「牛乳風呂」「レモン風呂」などの奇抜なサービスで利用者を増やしていた。

(略)

ホテルと云っても宿る人は十人に一人、一時間位で帰る客が多いさうだ」(『モダン語漫画辞典』)という、まさに現代のラブホテルそのままの代物で、「夜の郊外ドライヴしましょ」がホテルヘの誘い言葉になっていたことが、これらの歌詞からうかがえる。

ウルトラ・モダン、尖端ガール

 新しい女性の象徴であった“モダンガール”も、流行とともに流れ去る。そもそも“モダン”という言葉自体がモダンではなくなりつつあったのだ。

 1930年7月22日にはすでにモダンのさらに上をいく“ウルトラ・モダン”が『読売新聞』の「モダン語消化欄」に登場している。「モダン中のモダン」、「超モダンの意」(略)

 分派的には“ウルトラ・モガ”という用例があるほか、『読売新聞』に連載された中村正常の「ウルトラ女学生読本」(全十回)がムーラン・ルージュ新宿座の初開場でレヴュー化(略)レコード流行歌では〈ウルトラモダーン〉や〈ウルトラガール〉がある。また、歌詞のなかにあらわれる例としては、

好みはエロティックで ウルトラ・モダニズム――〈恋人〉

ウルトラ・モダンのミス・シブヤ――〈渋谷行進曲〉

レヴューガールは ウルトラモダン ジャズのパレードグロテスク――〈エロ行進曲〉

祈るウルトラモダンな願い 梅にゃキッスの月が出る――〈松島エロソング〉

三一年型ウルトラ・モダン 尖端ゆけ青空をゆけ――〈ノンノンシャラリン〉

(略)

 1930年、モダンガールは女性の社会進出にともなって、流行や現象を冠した“〜ガール”へと多岐的に進化した。

 たとえば“尖端ガール”だ。

 “尖端”という言葉を使いはじめたのは画家・演劇人の小生夢坊で、彼の発表文をまとめた随筆集『尖端をゆくもの』が出版された1930年3月にはすでに流行のきざしがあった(略)

 しかし“尖端”が注目を浴びる直接のきっかけとなったのは(略)川端康成が『東京朝日新聞』に連載していた「浅草紅團」であった。娯楽と背徳の街・浅草への注目をがぜん高めたこの連載(略)第31回に「『せん端的だわね。』といふ、すさまじい小うた映画を、松竹蒲田で作るさうな」というかたちで“尖端的”という言葉が登場したときに始まるのである。(略)

〈尖端的だわね〉(作詞・作曲松竹蒲田音楽部)

見てもわからぬ舶来トーキーわかる顔して見るつらさ

なまじ断髪洋装の手前

隣りの外人をちょいと真似てお茶を濁した苦笑ひ

オヤ尖端的だわね

オヤ尖端的だわね

(略)

「『尖端的』とはアメリカ風のモダン味とロシア風の左翼味である」という新居格の総括にもっとも近いのが、この〈尖端小唄〉といえる。(略)「恋のストック山ほど積んで 実費特売ローマンス」で自由恋愛の風潮を、「好いて別れて三分二秒 愛の合理化 無駄嫌い」で刹那的な恋愛を、「恋の共産 情のギルド おっと危ない綱渡り」でマルクス主義を、と1930年の“尖端”をきれいに掬い取っている。

ステッキガール、キッスガール

“ストリートガール”はズバリ街娼そのものだ。この外来語は1928年に日本に伝わったが、それほど流行らず(略)[そこから派生した“ステッキガール”は]なにがしかの金銭で片腕を貸して銀ブラにつきあう女性(略)

[これはネタではないかと問題視されたが、嘘から出たまこと、大阪で実際に出現。ハート食堂の女給6名と経営者が検挙]

 ハート食堂では「夏の夜の散歩にステッキ?すばらしい美人を御同伴ください」など客の興味をそそる大広告ビラを貼り出して、一時間五円でステッキガールを派出していた。一時間五円は銀座のステッキガールの五十銭のなんと十倍にもなる破格な金額であるから、ステッキガールは世を欺く仮の姿でその実、春を鬻ぐ値段だったのかもしれない。

(略)

 ステッキガールが非実在ならばキッスガールも妄想の賜かと思いきや、こちらはほんとうにいたからややこしい。キッスガールは文字どおりキスを売る娘である。プロの街娼ではなく洗練されたモダンガール風体で、引っかけやすそうな男にチラと目配せして公園や映画館の暗がりで唇を提供する。ソフトな援助交際といったところだろうか。その第一号が1930年6月14日、横浜で捕まっている。

 【キツスガール 一回五十銭、口には消毒ガーゼ 「ハマ」の公園に店開き】

 横浜市野毛山公園噴水他のほとりのベンチに美装した二十歳位の令嬢風の美人がモボと相抱擁して盛にキッスをして居る、とその最中へ樹蔭にかくれてゐた戸部署の風俗係が躍り出で驚く二人を戸部署へ引致した、女は東京市外渋谷山下町九 坪内きよ子(二三)と自称し持つてゐたオペラバツグの中には石鹸や消毒用のガーゼが詰め込んであり男は中区根岸町某貿易商の息子で(略)

円タクガール

“円タクガール”は、往来でエロ味たっぷりなウインクを送ってタクシーにいっしょに乗り込み(あるいは助手席から通行人に流し目を送って車に誘いこみ)、ある程度走行したところで自分だけ降りてしまうという新商売である。もちろん円タク運転手と結託しているのだ。

骸骨団、『バッド・ガール』

[牧逸馬が「君、ボク」と男言葉で訳した『バッド・ガール』]

「キミ、ボク」という男言葉の流行は、松竹少女歌劇団の大スター・水の江滝子が起源である。ターキーは1931年6月公演《先生様はお人好し》で断髪・男装を披露し、翌月公演《メリ・ゴランド》で「ボク」を連発して男らしいセリフを喋りまくった。それから少女歌劇ファンを中心に広がった流行である。この流行は女学生の世界では特別な意味をもっていた。下級生が上級生を慕う、あるいは同級生どうしが恋情を募らせる、いわゆるエスの関係と強く結びついていたのである。

(略)

不良少年団は多くカフェーを根城として小悪事をはたらき、時にはピストルをぶっ放して他の不良少年団と抗争したりなどして、しばしば新聞紙面を賑わせた。大正末期に大阪のバー・カフェーに出没していた「骸骨団」はチームソングまで作って団結ぶりを社会に示している。

 不良少女のほうも負けてはいない。実在する不良少女で実弾を使用した例では、新宿界隈の喫茶店でブローニングをぶっ放してチンピラどもを縮み上がらせた“ガルボのお政”が挙げられる。また、1930年の浅草には16歳の丸山マツ、通称“坊ちゃん”が率いるグループがあった。彼女は配下の不艮少年たちを引き連れて夜中の12時くらいから浅草を徘徊し、ゆすりたかりをくりかえしていた。この断髪の美少女マツは懐に拳銃を忍ばせていたというから、舞台となった街こそ違えど、まさに「銀座のバッド・ガール」的存在であった。フラッパーからの脱皮を描いた、いささかタイトル倒れな小説『バッド・ガール』は、アメリカを遠く離れた日本でさらに勝手に成長する。タイヘイレコードはすぐこの流行に飛びつき(略)ジャズソング〈バットガール〉を発売した。不良のフラッパーを二村定一が女性の声色で歌っているという性倒錯を匂わせるこのレコードは、二村が女性嫌いのゲイだという背景を知って聴くと味わいもひとしおだ。

エロ歌謡

記念すべきエロ歌謡第一号は、その名も〈エロの唄〉[1930年](略)機をみるに敏な関西のレーベル、ニットーだった。しかし地方レーベルの悲しさで全国ヒットにはいたらず、エロではじめて人心をつかんだのは、日活映画-ビクターという大資本のタイアップ企画であった。それは《エロ感時代の歌》。あたかもロマンポルノを思わせるタイトルの日活映画《むすめ尖端エロ感時代 第一篇 私の命は指先よ》の主題歌である。(略)

“モガ”“尖端”“〜ガール”という、それまでにレコード界に提示された流行の要素がもれなく含まれている。

次回に続く。

2016-11-13 身体はどのように変わってきたか アラン・コルバン このエントリーを含むブックマーク

『身体の歴史』(全三巻)の内容紹介本だった……。詳しくは『身体の歴史』にてということ。


身体はどのように変わってきたか 〔16世紀から現代まで〕

作者: アラン・コルバン, 小倉孝誠, 鷲見洋一, 岑村傑

メーカー/出版社: 藤原書店

発売日: 2014/12/22

|本| Amazon.co.jp


身体の歴史 1 〔16-18世紀 ルネサンスから啓蒙時代まで〕 (身体の歴史(全3巻))

作者: ジャック・ジェリス, ニコル・ペルグラン, サラ・F・マシューズ=グリーコ, ラファエル・マンドレシ, ロイ・ポーター, ダニエル・アラス, A・コルバン, J-J・クルティーヌ, G・ヴィガレロ, G.ヴィガレロ, 鷲見洋一, 小倉孝誠, 玉田敦子, 原好男, 片木智年, 寺田元一, 逸見龍生, 井田尚, 橋本一径, 市川慎一

メーカー/出版社: 藤原書店

発売日: 2010/03/24

|本| Amazon.co.jp

まえがき(小倉孝誠)

中世末期からルネサンスにかけて、ヨーロッパを席巻した「魔女狩り」のすさまじさは、猟奇的な興味を超えて、現在の社会にも燻り続ける女性蔑視と共同体の恐怖心のありどころを示すものだろう。一方、中世以来、カトリックの僧侶や独身男性にたいして浴びせられてきた執拗な非難と弾劾の声も、いまなお無視できないものがある。アンシアン・レジーム期では僧侶の独身批判が辞書や事典の項目のなかで密かに行われていた事実も注目に値する。「魔女」も「独身」も男女両性の「身体」と緊密な関係にある主題なのである。

(略)

革命期の傑作であるサド侯爵の『閨房哲学』では、今や人間は「心」や「魂」といった内実を剥ぎ取られ、ただの物質の塊、断片、切れ端として宇宙に投げ出された肉体だけの存在と化する。

入浴

19世紀をつうじて入浴は稀な行為でした。なぜなら、体内にしみこむ水の中に体を浸すことの影響が詳細に分析され、お湯の温度にしたがって厳密に規定されていたからです。入浴は体全体を刺激し、神経繊維が環境にたいしてきわめて敏感だとされる人間の身体を混乱させるかもしれない、と人々は考えていたのです。道徳家たちの方は、性欲を目覚めさせる恐れがある入浴の官能性に不信の目を向けたものです。

性の領域での変化

相手の男性と同じように、女性も快楽の頂点に達したときは精液を放出するという理論は、しだいに消滅します。女性は卵を作りだす――排卵のことです――という確信がやがて優勢になるのです。動物、とりわけ雌犬を対象にしてさまざまな実験が行われた後で、プーシェ、ネグリエおよび他の学者たちは、人類に関してはとりあえず確たる証拠はないものの、女性は自然に排卵するのだと主張しました。その結果、女性の快楽が妊娠には不要なものと見なされ、性交をめぐる考え方やその実践を変化させることになったのです。

(略)

第二に、多くの専門家は、女性の快楽が妊娠の成功を助長するようなメカニズムを始動させると確信していたことです。快楽による刺激が諸器官――卵巣、輸卵あるいは子宮――をより活発にし、その感度を高めるとされたのです。

(略)

医者がさまざまな病気を引き起こし、死にさえ至る災厄と見なしたのが自慰であり、1830、40年代にはそれ以上に夢精でした。その観点から、医者は官能的な娘をなるべく早く結婚させるよう進言します。医者のみならず聴罪司祭や教育者の意見によれば、結婚をひかえた思春期の女性は想像力が過度に刺激されるのを避けなければなりません。小説を読むこと、ダンス、青年との接触、そしてとりわけ猥雑な会話がもたらす過度の刺激についても、同様でした。多血質あるいは神経質な若い女性は特に、色情狂の危険が高いとされたのです。

(略)

[19世紀末、性の領域で]多くのことが変わりました。まず、夫婦関係がエロス化したことを指摘できます。それはとりわけ、かつてほど当局による衛生的、道徳的な監視を受けなくなった売春婦が、それまで以上に広く普及させるようになった性戯の影響によるものです。また1880年代以降のフランスでは、メディアの大々的な拡張が果たした役割と、検閲が緩やかになったことも忘れてはなりません。エロチックな写真の成功が、この影響を示す好例でしょう。

処女性

女性の体には最初に性交渉をもった相手の精液が浸透するので、その後は別の男とのあいだでも最初の相手に似た子供が産まれるという、感応遺伝説が当時流行していました。この説にたいする長い信頼、性病への怖れ、妻に快楽を教えるというみずからの使命を奪われる若い夫の失望が、処女性を重要な価値として維持することに貢献したのです。

 もちろんだからといって、実際にどれくらいの女性が結婚まで処女性を守ったかはよく分かりません。いずれにしても、あらゆる階層において、妊娠の怖れが若い女性を保護するために最良の保障になっていました。

労働者の肉体的損耗

 19世紀の産業衛生の発達に関する最近の研究によれば、たとえばガラス職人や炭鉱夫の場合がそうであるように、当時の労働者の肉体的損耗はきわめて激しかったことが証明されています。しかし同時に、そうした研究が強調するところによれば、苦しみを過小評価することが労働者自身の感情や態度と関係していたのです。労働者のあいだでは、「ちょっとした痛み」は無視し、個人的な能力、例外的な頑強さや技量を必要とする危険な仕事に就いているのだという矜持をもつことが、長い間当然のこととされていました。また、産業労働は不可避的に痛みや苦しみを伴い、それで不平をかこつのはふさわしくないという信念があって、そこから生じるある種の諦念も忘れてはなりません。労働の辛さを和らげてくれるような「方法」や策を見つけるのは、各人の役割だったのです。

 19世紀は産業革命の時代、農村部から大量に都市に流入してきた人々が、職人や工場労働者となった。体を使って働く彼らは、順調に働いているあいだはみずからの身体的な剛健さを誇示し、多少の痛みなど気にかけなかった。しかし機械の導入にともなう組織化された労働のリズムは、それまでにない身体の疲弊をもたらすようになった。労働環境や衛生状態が劣悪であれば、なおさら疲労と消耗は増す。当時の主要産業であった繊維業に従事する労働者たちの健康問題は、すでに1840年代から問題視されていた。また鉱山業は、過酷な労働にくわえて、ガス爆発など労働災害の危険をかかえていた。

「怪物」

1841年、マンハッタンの中心部に「怪物」の展示を目玉としたアメリカ博物館を創設した、フィニアス・テイラー・バーナムは、資本主義的娯楽産業の先覚者である。彼と彼に続く見世物の実業家たちは、演出に長けた。彼らは、奇形の身体をあるがままに陳列しても単発的な驚きを生むにすぎず、大衆の興味を持続的にそそりたければ、それに衣装を着せ、舞台装置のあいだに置き、物語を附与しなければならないということを、知っていた。「親指トム」がヨーロッパの宮廷に恭しく迎えられさえするのは、彼が「将軍」として「小人」の連隊を従えるからだろう。「シャム双生児」がジャングルの書き割りの前に立たされるのは、異形の者と未開の者を混同させて、異国趣味を煽るためだろう。「怪物」とは、消費者の垂涎の的となるように生産者によって巧みに仕立てられ、包装された、商品なのである。バーナムのアメリカ博物館は、「怪物」のディズニーランドにほかならない。いやむしろ、ディズニーランドが、もちろん「怪物」は展示せずに、しかしバーナムたちの興行手法を継承し発展させている、いわば殺菌されたアメリカ博物館なのだといってよい。

 アメリカ博物館に「怪物」がいて、ディズニーランドに「怪物」がいないのは、奇形の身体を「怪物」として見る視線が消失したからである。それは正常と異常を弁別する視線だった。見世物小屋の客は、自分の身体は正常だと考えているからこそ異常な身体を眺めに来たのだし、また、逸脱した身体の絵はがきの購入者は、それを貼ったアルバムを開くたびに、規範的身体とは何かを確認してもいたのだ。しかしそのような無秩序の提示による秩序の画定と教化は、19世紀の初めから徐々に、つまり近代的「怪物」興行の隆盛の裏で着々と、無効へと向かったのである。それは、ジョフロワ・サン=ティレール親子による研究を嚆矢とする、科学的奇形学の功績にほかならない。合理的視線が情動的視線にとって代わり、解剖学的変異を、窃視するのではなく、観察して、それが一定の自然法則の帰結であることを解明したのだ。正常と異常は連続しており、規範と逸脱の境界は曖昧であり、無秩序はもうひとつの秩序にすぎない。すなわち、「怪物」の身体は人間の身体で、そこにも魂が宿っている。だとすればそれは、断じて見世物小屋で搾取されるべきものではない。新たな科学から新たな感受性が生まれたのだった。縁日を渡り歩いた末に路頭に迷っていた「象男」ジョゼフ・メリックは、1884年に外科医フレデリック・トリーヴスに保護され、ロンドン総合病院に引き取られて、その入院費用は彼の薄幸を報道で知った人々からの寄附金で賄われた。奇形の身体は興行師の手から医師の手へとわたり、医療的配慮、社会的扶助、道徳的愛情の対象となったのである。人間の身体に向けられる20世紀の視線には、ハンディキャップや差異は映っても、怪物性は映らない。「驚異の生物」の見世物は必然的に凋落の一途をたどり、第二次世界大戦後には、「怪物」という娯楽も産業も、もはや成り立ちようがない。

 だが、ディズニーランドには、「怪物」はいなくても、「怪物」のようなもの、はいる。「怪物」を楽しんでいた過去の視線を怪訝に思う現在の視線は、しかし、「怪物」の系譜に連なる「モンスター」を愛玩してやまないのである。それも当然だろう、「モンスター」たちはときに人間よりも人間らしく、純粋で、友情に篤く、勇気に満ち、正義を貫くのだから。いまや魂は、「モンスター」の身体にしか宿っていないのかもしれない。

クーベルタン男爵は

群衆を怪しんでいたらしい。雑然と集まって無規律に興奮する人間たちがスポーツの観覧席を埋めている光景は醜悪としか思えず、しかもそんな観衆の存在は、模範的、道徳的であるべきスポーツ選手の虚栄心をくすぐりかねないと考えていたようなのだ。しかし、その産みの親の危惧をよそに、近代オリンピックは観衆なしでは成立しえない一大スペクタクルに成長する。

独身

19世紀末時点における医学の思想と実践の集大成である、百巻からなる『医学百科事典』の第41巻(1874)には、「結婚」という百頁にわたる項目が収められている。医学事典が結婚を取り上げるということ自体、それが科学的、社会的な関心の対象であったことをよく示している。項目の著者アドルフ・ベルティヨン(人体測定術の創始者アルフォンス・ベルティヨンの兄)によれば、人間は家族のおかげで生を享け、教育を授けられ、成長していくのだから、独身を貫いて家族を形威しないことは、社会と人類にたいして果たすべき義務を怠っている、ということになる。

 独身者の存在は社会の脅威である。少なくとも風紀警察はそれを指摘して、公衆に不信感を抱かせるべきだし、国家はその脅威を絶えず減少させるよう努めなければならない。

 独身主義にたいする、いかにも激しい断罪の言葉である。独身者は生きていること自体が社会にとっての危険である、とされているのだから。こうした言説は、現代のわれわれの考え方からすればまさに個人の自由を否定するもので、いかにも時代錯誤的に見える。(略)

 当時の医学は、まさに規範と秩序を説く科学だった。そしてこのような言説が綴られた背景には、仮想敵として、まさに結婚や家庭に異議を申し立てる文学、独身主義を標榜する作家たちがいた。(略)

[19世紀末から20世紀初頭]ロマン主義時代に支配的だったような女性と愛のイメージには、不信が突きつけられた。ロマン主義時代であれば、女性は想像力を刺激する詩神ミューズ、霊感の源になりえたが、レアリスム史学や自然主義文学では、女性は逆に、芸術家を不毛にしてしまう不吉な存在である。多くの作家は女性への嫌悪を隠さず、結婚生活の束縛は創造行為を萎えさせると言明してはばからなかった。こうして独身の礼賛、さらに女嫌いの感性が、19世紀後半の芸術家小説に典型的に表われる。

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2016-11-12 ツイッター『マルコフの穴』始めました。 このエントリーを含むブックマーク

ツイッター『マルコフの穴』始めました。右のサイドバーからも行けます。

『マルコフの穴』(@Pecsmo_Markov)さん | Twitter

といっても、マルコフ連鎖で作成したカットアップですけど。

たまに日常の無駄話も書きます。

今のところ設定は150字弱、3時間毎にしてます。

(150字だとちょっと圧迫感ありすぎかなあと思案中。文字数を減らして、1時間毎の方がいいのだろうか。ツイッターをやらないので感覚がわからない。適切な文字数、ツイート間隔募集中)

このためにちびちびだらだらとPythonを勉強しました。あれこれ読んだけど、とりあえず下の本だけ読めば大丈夫だあ。ただやり終えた感想としては、そこまでしなくてもなんとかなりそうだった気が今はしているw

プログラム自体は「マルコフ連鎖 Python」で検索すれば沢山出てくるので、Pythonを知らなくてもやろうと思えばできるのですが(実際、僕も最初はそうした)、色々カスタマイズするには、やはり少し勉強した方がよいような。それにどうしてこのプログラムでカットアップできるのか理解出来てた方がなんか落ち着くしw


入門 自然言語処理

作者: Steven Bird, Ewan Klein, Edward Loper, 萩原正人, 中山敬広, 水野貴明

メーカー/出版社: オライリージャパン

発売日: 2010/11/11

|本| Amazon.co.jp

原書の方はWEB、PDFともにフリーで公開されてます。


『Natural Language Processing with Python』

NLTK Book


『Py3系に対応改訂されたPDF』

Natural Language Processing with Python.pdf

2016-11-10 学術書の編集者 橘宗吾 このエントリーを含むブックマーク

名古屋大学出版会の本に他の大学出版とは違う、一般人を惹き付ける何かがあったのは、こういう編集者がこういう姿勢でつくっているからなのであった。

いいぞ、名古屋大学出版会、GOGO!名古屋大学出版会。


学術書の編集者

作者: 橘宗吾

メーカー/出版社: 慶應義塾大学出版会

発売日: 2016/07/23

|本| Amazon.co.jp

はじめに

 学術書の出版社は市場の中で本を売ります。つまり、市場に左右される部分があるわけです。他方、学問的真理は、少なくともそれを主張するさなかにおいては、市場からの独立性を保障することが求められます。学術書出版はそのあいだに立って両者を媒介することが基本的な役割ですから、当然のことながら、いろいろ苦労することになります。しかし私は、この苦労はとても大切なことだと思っています。なぜなら、市場は社会の声を(もちろん、そのすべてではないにせよ)反映するものでもあるからです。また、学問的真理の主張も、たとえ自然科学のそれでも、人間の社会から完全に独立したものとは考えにくいところがありますから、これを、アカデミアを通したもう一つの社会の声だと考えるなら、学術書出版は人間社会の二つの声を交わらせ、結びつけることによって、コミュニケーションを推し進め、知識を深めようとするものだと言えるでしょう。そこには必然的に、経済的リスクとは別の、コミュニケーション上のリスクがともなうことになりますが、これは前者のリスク以上に学術書出版が積極的に引き受けるべきものだと考えられます。逆に言えば、それを回避しようとすることから、おかしな考え方が広がったりもします。

企画化と原稿化のプロセス、著者への「挑発」

「たて」と「とり」、つまり企画化と原稿化のプロセスです。(略)

著者を何らかの形で触発して本を書こうと思ってもらうわけですが、学術書の場合、このとき最も大切なのは、「学問のディシプリンを大切にしつつ、それを超え出る」よう促すということです(元東京大学出版会の竹中英俊さんの表現。私の出版の師匠で名古屋大学出版会の基礎をつくった後藤郁夫さんは、これを「挑発する」と呼んでいました。(略)

原稿化の過程が、研究の「体系化」の過程でもあるために、時間がかかるわけです。ですから、粘り強く「待つ」。といってもボンヤリしているわけではなくて、タイミングを見計らって連絡をとり、時々会って四方山話から本のプランの相談までします。このとき一番大事なのは、その著者の研究が最高の形で完成したものを読みたいと、そういう気持ちを伝えつづけることです。(略)

そしてようやく著者が原稿を書いてくれれば、次にそれを「読む」ことになります。もちろん、そもそも著者の方から出版企画の提案があったり、書かれた原稿について相談を受けることもあります。しかしどの場合でも、最初に書かれた原稿がそのままでOKということはめったになくて、いわゆるボツになるケースも含めて、編集者が読んで感じ考えたところを何らかの形で著者に差し戻すことになります。さらに、他の研究者の意見を聴くこともありますから、その場合には自分で読んだところと突き合わせた上で著者にフィードバックします。ここにも一種の「挑発」があると考えますと、ここからもう一度、「挑発する〜待つ〜読む」というサイクルが始まることになります。そして原稿が最終的に「よし」と思えるところまできたら、初めて「つくり」つまり書物化の段階に進んでいくわけです。「たて」と「とり」のプロセスには、時間がかかる場合も多くて、大きな学術書ですと、十年以上かかることもあります。編集者はそのかん、つねに数十から100以上の出版企画を抱えながら、その著者や企画とつき合いつづけることになるわけです。

(略)

私は、編集の仕事の醍醐味は、ほんとうは、本を書くことを依頼した際の、編集者の期待を軽々と超えてしまう、そんな原稿を初めて読んだとき、その衝撃で自分自身が変わってしまうような経験にあるとすら思っています。(略)

ただしそれを読むことは、一方で苦しい経験でもありまして、読み進めようとしても、ひっかかって進まなくなったり、これでいいのか心配になったり、考えるのをやめたくなったりもします。とにかく、自分のそれまでの物の見方・感じ方を変えてしまう、つまり自己変容をせまってくる部分がありますので、これはたいへんなことでして、そうした場合には、他に計画中だった本を、少なくとも前と同じようにはつくりつづけることができなくなるくらいです。

検索機能肥大化による問題

従来、紙の書物の中では、読むための機能と、検索するための機能が共存してきましたが、現在、デジタル・ネットワーク化によって、検索機能が肥大化して突出する中で、読むことが、特に体系性や世界性を読むことが、衰弱しつつあるように見えます。検索の驚くべき便利さは否定しようもありませんが、しかしそれは、読むことに取って代わることはできない、という点が重要です。さらに言いますと、多くの人が、読まずに直ちに情報にたどりつこうという欲望をもった、検索情報の消費者となり、できればその情報を操作する主体になりたがっていて、他方、読むことについては労苦としか捉えていないように見えます。その背後にはひょっとすると、読むことによる衝撃やそれによる変化に対する恐れ(あるいは疲れ?)のようなものすらあるのかもしれません。そこでは読むことがなにか受け身で、さらには誰かに操作されることのように捉えられて、マイナスの価値を与えられているようなのです。たしかに、読むことは労力や時間を必要とするものですが、しかし、読むことによる衝撃は、人間を変えることができるものですから、けっしてその過程を軽んじてはいけないと思います。むしろ、不完全な情報の中で生きるしかない人間が、創造的に生きようとすれば、こうした、読むことによる自己変容・自己変革は最も重要なものの一つです。そしてこの自己変革こそ、イノベーションといわれるものの根本ではないかと思います。

媒介者の役割

専門家というのは特定の分野のことはよく知っておられますが、その専門を離れると――ある種の共通項を外れると――、近いと思われる分野のことでも驚くほどご存知ありません。ところが、非専門家である編集者の方は、いろんな分野で本をつくりますから、多少ともそれぞれの事情を知ることができる立揚にありまして、それを専門家の世界へとフィードバックすることができるわけです。たとえばAという分野で新しいおもしろい問題が出てきたときに、Bという分野でもそれと同様の問題が考えられることは結構ありまして、それをB分野の著者に伝えて「挑発」するのです。これを、専門分野のあいだの媒介者の役割と言ってよいかと思います。(略)

東京大学の安冨歩先生が、専門家とは盲点を共有する集団だと言っておられますが、そういう盲点を少なくしてよりよい認識に到達するには、外部の社会からの声を吸収することが重要になります。(略)

専門家にとって当然の前提となっている事柄には、一般の目から見て「おかしい」と思われることや、「それを論じるならば、なぜこれを論じないのか」といったことがよくあるのですが(略)

外部からの声をさしむけて「挑発」することで、編集者は、専門と社会のあいだの媒介者の役割も果たすわけです。

「産婆役」、現在の大学のあり方への危惧

「産婆役」と申しましたが(略)こうした「知」の誕生を促す行為はとても時間がかかります。(略)

この産婆的行為は、今日の大学において、学問分野の違いをかえりみずに半ば強制されている短期的なプロジェクト型の研究や、若手研究者に不遇を強いてインスタントな、すぐに結果の出そうな研究へと誘導してしまっているあり方とは、正反対のものです。

 おそらく、今日このような学問の「徳」を無視したやり方が多少とも大学で実行できて、ある程度の成果が出ているように見える場合があるのは、これまでの、つまりこうしたやり方以前の、学問的な蓄積があるからこそだと思います。したがって、こんなやり方を続けていては、やがて研究の源泉は枯渇してしまうでしょうし、それは、将来に手渡すべき遺産を食いつぶすということでもあるはずです。つまり、現在の大学のあり方は、過去と未来へのフリーライドを行っている部分があり、それは是正されるべきです。

査読

 結論から先に言ってしまいますと、私は、学術書出版における「審査」は、査読を含むピアレビューに100%従うということではないと思っています。

(略)

アメリカ式のピアレヴュー制度では、「専門家が専門家のために行う」という力が強く働くために、書籍が「閉じた」構造をもつ傾向があるということです。(略)

専門家集団の承認をすでに受けているアイデアに対して「安全証明」を出すという性格があるため、過去に囚われた「後ろ向き」の評価になりがちだということです。別の言い方をすれば、科学者の専門家共同体という一種の「ギルド」を維持していくために、新しい、つまり、すでに存在する秩序から逸脱するような、突出した研究を排除しようとする傾向が、どうしても生まれるということです。

(略)

そもそも日本の場合、たとえ大学出版部でも、専門家による査読を厳密に制度化しているところは少ない。というか、はっきり言って、アメリカのように徹底して行っているところはほとんど無いのではないでしょうか。

(略)

実際、日本で書籍の査読制を徹底して行おうとしても、まず制度についての認知度が低いということがあります。

(略)

 まず主として査読者側に原因がある難しさの例です。たとえば、書籍の原稿は論文に比べて一つひとつの分量がはるかに多いので、それを丁寧に読むにはたいへん多くの時間と労力がかかりますが、研究者に査読をお願いしても、そもそもなぜ自分がそんな労力と時間をかけなければならないのかわからないというかたがおられます。特に所属大学も異なり、学会の仕事でもないとなると、そう思われるようです。一見この点に理解があるように見えるかたでも、忙しさを理由に断ったり、断らないとしても実際には斜め読みしかしてくれないというケースもあります。また、人によって甘口・辛口ということがあり、極端な場合、どれも全部ダメ、逆に何でもOK、とにかく一般に――あるいは自分の専門分野で――本が出るのはいいことだから何でも持ち上げる、という姿勢でレフェリーペーパーを書かれるかたもおられます。レフェリーペーパーについては冒頭でもふれましたが、そこまでいかなくても、書きぶりという問題があり、レフェリーに直接話を聞いてみるのと、レフェリーペーパーとでは、評価が大きく違うという印象を受けることもあります。以上のような問題のほかにも、たとえば、それぞれの出版社で求めている水準を、レフェリーに納得してもらうのが難しいということがあります。そのためにはレフェリーに、その出版社の本についてある程度知ってもらわなくてはならないわけですが、それは実際なかなか難しいことですし、既刊書の少ない分野ではほとんど不可能です。さらに言えば、「身内びいき」も生じがちで、特に研究者の数が少ない分野では、著者とつき合いの濃い研究者に査読をお願いせざるをえなくなりますから、査読者の方でも厳しい意見は書きにくかったり、逆に仲が悪くて「貶める」ような意見を書かれる場合もあります。

(略)

複数の査読者を探すというのは、言うは易しですが書籍の原稿についてはそうとう大変で、手間ヒマがかかって、結局、査読者やそのコメントをこちらがどう評価するかという問題が消えるわけではありません。それよりも、後で言いますように、編集者が原稿をしっかりと読めば、査読者の言葉をある程度聴き分けられるようになりますから、割り引いたり割り増したりして、それでもダメでレフェリーペーパーがまったく役に立たないという時にだけ、二番目の査読者を探すくらいでよいように思います。いずれにしても、査読者のコメントの質を見極めるには、編集者が原稿を読むということがベースになり、まずはそれと突き合わせていくしかないと思います。一方、査読者の数については、とこまでコストをかけるかという問題になるでしょう。

 さて、ここまでは査読者側の問題でしたが、さらに著者側に関しても、たとえば、出版社が原稿を検討するのに時間がかかるのを待てない人がいますし、そうでなくても、査読にかけられること自体を嫌がる人もいます。あるいは、査読で厳しい修正意見が出てきた場合、著者が、ほかの出版社、つまり査読の無い、しかし「学術書」も出版しているような出版社からの出版を選ぶということもありえます

(略)

たとえば編集者が山中さんという研究者のことを知り、関心をもったとき――いわば「アタリ」をつけていく段階ですが――、その編集者は、山中さんの論文などを探して読もうとすると同時に、山中さんの研究が専門家集団の中でどのような評価を受けているかを知ろうとするでしょう。

(略)

しかし、先ほど「身内びいき」と言いましたように、山中さんとつき合いの濃い研究者に、山中さんは優秀ですか、あるいは山中さんのこの仕事はいいですかと聴くだけでは、なかなか率直な意見を言ってもらえないこともあります。

(略)

編集者が論文を手に入れて自分なりに読めていれば、読んで考えたところを、研究者――山中さんではなく、意見を聴こうとしている方の研究者――にぶつけてみるというのが正攻法で、そうすれば、その研究者は、編集者の意見にかなりの程度、答えてくれますし、それ以外にも内心、山中さんの研究についてこうすべきだと思っていた点などについてもいろいろ話してくれるものです。

(略)

「感触」がわかるだけでもいいと思っているときには、私の場合ですと、たとえば、関連する研究者に会ったついでに――「ついで」というのは大事ですね――、自分はいまこういうテーマに関心があるのですが、と話を出してみて、その山中さんの名前がパッとあがってくるかどうかを確かめてみたり、あるいは、たしかこんなことを研究している山中さんだか田中さんだか、そんな名前の人がいると聞いたのですがと、ちょっとトボケて、少し距離をとって言ってみて、相手からどんな反応が返ってくるか探ってみることもあります。また、話の中ですでに山中さんの名前が出てしまっているようなときには、あえて山中さんの研究についてちょっとネガティブな、あるいはその逆の意見を言ってみて、相手の反応を見てみるということもあります。(略)

そのほか、「後ろ向き」の評価を避けるためには、むしろ若い研究者、場合によっては、まだポストをもっていないような研究者の意見を聴いてみることもあります。こういう場合、あまり正式ではない方がかえって聴きやすいと思います。

大学との関係

 名古屋大学出版会でも設立して間もないころは、大学の先生方から提案される出版企画を、たとえそれがイマイチと思われるものであっても、なかなかお断りする力がありませんでした。しかし、そういう状況を徐々に変えていくことは、けっして不可能ではありません。(略)そのためには結局、少しでも「いい本」を増やし、その逆の本を減らしていく、というあたりまえのことを、少しずつ実行していくしかないのです(略)「審査」をうまく使っていくことは十分可能だと思います。(略)

 残念ながら、出版する/しないの決定に当面は踏み込めないという場合、つまり、出版を引き受けることが前提になってしまっている場合でも、内容改善のためだということで、査読を含む「審査」を行えば、少しでも出版物の質を高めることができるはずです。(略)

質を上げるために書き直すということになれば、その本の出版は遅れるはずです。そうすると、全体として、もともとそれなりに質のいい企画は時間的に早く進んでいきますし、イマイチの企画は遅れていくことになり、一定の時間単位、たとえば年度で見た場合、よりよい出版物が増え、その逆の出版物が減っていく傾向が生み出せます。

インタビューから

後藤さんに拾ってもらって入社してすぐの時期、著者にに会いに行くと「名古屋大学出版会ってまだつぶれてなかったの?」「そんなものは知らん」とよく言われました。存在を認められていないところに自分は入ったんだって思ったものです。

自分らしさが表れた担当作品として著者が挙げた本。


漢文脈の近代―清末=明治の文学圏―

作者: 齋藤希史

メーカー/出版社: 名古屋大学出版会

発売日: 2005/02/28

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動物からの倫理学入門

作者: 伊勢田哲治

メーカー/出版社: 名古屋大学出版会

発売日: 2008/10/30

|本| Amazon.co.jp


属国と自主のあいだ―近代清韓関係と東アジアの命運

作者: 岡本隆司

メーカー/出版社: 名古屋大学出版会

発売日: 2004/10

|本| Amazon.co.jp

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2016-11-08 遠読――〈世界文学システム〉への挑戦 このエントリーを含むブックマーク

マルコフ連鎖でカットアップ文章生成やりたいけど、そのためにプログラミングを勉強するのも……と思いつつ数年、結局、「Pythonで自然言語処理」本で勉強して、ようやくイケそうになってきた今日このごろ。やれFreqDistだなんだとやっていたので、やたらグラフが出まくるこの本にニガ笑。そういうことやりたくなる気持ちもわかるけどぉーw


遠読――〈世界文学システム〉への挑戦

作者: フランコ・モレッティ, 秋草俊一郎, 今井亮一, 落合一樹, 高橋知之

メーカー/出版社: みすず書房

発売日: 2016/06/11

|本| Amazon.co.jp

先に訳者(秋草俊一郎)あとがきから

 北米の文学研究において、ニュークリティシズム以降、金科玉条となった「精読 close reading」。(略)

モレッティが提唱するのは、その「精読」の対立概念としての「遠読」である。そこに著者の挑戦的、挑発的な姿勢が凝縮されている。

 もちろん、モレッティも研究の出発点からこのような大胆な方法をとってきたわけではない。初期は、18世紀から19世紀を中心にヨーロッパ文学の正典[カノン]を読みこんでいくスタイルだった。(略)

2005年には単著『グラフ、地図、樹――文学史の抽象モデル』を出版。これは文学研究におけるグラフ、地図、樹系図の有用性を理論的に論証しようとしたもので(略)

膨大な小説群のタイトルを統計処理した「スタイル株式会社――七千タイトルの省察」(1740年から1850年のイギリス小説)」(2009年)、『ハムレット』やディケンズの作品と、『紅楼夢』を、テレビドラマの人物相関図のような図表に落としこんで分析を試みた「ネットワーク理論、プロット分析」(2011年)といった論文を精力的に発表しつづけている。(略)

コンピュータを駆使し、グラフや地図、樹系図を用いたアプローチは、モレッティの代名詞になっていった。(略)

ビッグデータを扱うかのように、テクストの一要素をぬきだしグラフ化・図式化して提示するモレッティの手つきはあざやかだ。結論に完全に同意することができないにしても(略)

 反面、伝統的な文学研究の教育を受けてきた人間が、遠読に違和感をおぼえ、反発したくなるのも無理はない。前節でも触れたとおり、文学部では(略)原語でテクストを熟読吟味するよう、徹底的に教えこまれる。ましてや、翻訳作品について研究論文を書くなどもってのほかだ。「遠読」はそういった伝統を否定する行為にも映るだろう。しかし、注意しなくてはならないのは、モレッティは、精読を否定しているわけではないということだ。重要なのは、精読と遠読の分業なのだとモレッティは主張している。実際、モレッティが本書でおこなっている遠読にしても、モレッティ自身の膨大な読書量(正典の読みこみ)があってはじめて成立している面も大きい。(略)

 遠読に問題がないわけではない。まず、当然ながらというべきか、翻訳で文学作品を扱うという行為には、常に危険がつきまとう。いや、翻訳以前に、まったく異なる文化圏の作品を論じれば、気づかぬうちに地雷を踏みぬいている可能性があるのだ。本書所収の論文の場合、それがもっとも端的に露呈してしまったのが、中国の白話小説と西洋文学を比較した「小説――理論と歴史」、「ネットワーク理論、プロット分析」の章だろう。(略)モレッティは無意識のうちに、非西洋圈の「文学」の分析に西洋のパラダイムを適用してしまっている。真に東西の文学を比べようとするなら、そもそもその前提の「文学」の成立の諸条件、背景についての知識が不可欠なのだが、そのことにモレッティは気づけないのだ(そして、これは多くの欧米の「世界文学」論者が陥りがちな罠でもある)。モレッティの試みの大胆さ、アプローチの斬新さは引き継ぎつつも、細部は専門家によって洗いなおしが必要な例だろう。

 そのほか、遠読にたいする比較的大きな疑問として、遠読というアプローチが向くものと、向かないものがあるのではないかというものがある。遠読は、ある一時期に大量に生産されたテクスト群(たとえば「文学の屠場」で扱った初期英国犯罪小説など)を扱うのには適していても、いわゆる「純文学」にはうまく当てはまらないケースが多いのではないか。モレッティ自身、うすうす感づいているようだが、こういった小説はそもそもが少部数しか生産されず、社会のかぎられた層にしか読まれない。その「評価」自体、売り上げや発行部数だけでは定まらず、出版社の力や仲間うちのサークルでの評価や書評、研究などといったずっと微妙かつ曖昧、数値化しづらい諸要素によって決定されるのだ。現代日本で考えるなら、どういった作品が芥川賞をとるのか、とってきたのかは指標化できないが、ライトノベルのタイトルの長さの推移には遠読がうまく使えそうだ(実際、そういった分析をしているサイトはすでにある)。

(略)

[「世界文学への試論」は]歴史家イマニュエル・ウォーラーステインの世界システム理論および、翻訳研究者イタマー・イヴン=ゾウハーのポリシステム論をモデルにしつつ、中心から半周辺、周辺へと文学の形式が伝播していくとモレッティは論じる。その結果、中心由来のプロットと周辺の素材、そして文体の組み合わせで世界各地の小説が形成されたのだ、と。ここでモレッティが証拠として提出するのが、世界各国の文学史をめぐる膨大な文献である――原書ではそれはおびただしい脚注となって摩天楼のように伸び、ページの上部に達せんとしているが、これもウォーラーステインを意識している。

(略)

 本論文が書かれた背景には、1980年代以降に西側で顕在化してきた比較文学というディシプリンの危機がある。ポストコロニアル理論の普及などによって、従来のようにヨーロッパ語文学同上の比較対照をやっていればよいというわけにはいかなくなってしまったのである。このような状況で、従来の比較文学に代わるものとしてひきずりだされたのが、19世紀にゲーテが提唱したとされる「世界文学」という概念である。

(略)

モレッティの観点からは、日本近代文学にたいする評価は低いものにならざるをえなくなる。たとえば『ヨーロッパ小説の地図帳』によれば、ロシアやラテンアメリカとは異なり、日本(やそのほかの地域)は、基本的に近代ヨーロッパが生んだ文学形式の模倣にとどまり、世界に波及する偉大な形式を生まなかったことになってしまう。

 もちろん、こうした議論にはただちに疑問符がなげかけられることだろう。

(略)

 このようなモレッティの議論のあらは、逆説的に日本の研究者が「世界文学」をめぐる議論に貢献できる余地がかなりあることを示しているとも言うことができる。

ここから本文。

フランス文学

18世紀ヨーロッパの具体的なコンテクストにおいて、「人間」という言葉は何を意味するのだろうか?不幸なことに、それは、世にふたつとない権力と野心を有する国民文学を理想化した(または抽象化し規範化した)解釈でしかない。結局のところ、文芸共和国とは、キリスト教共和国の嫡流の相続者というだけのことではないのか。フランス語が、精霊の聖なる言語として、ラテン語の後釜にすわりつつあったのだ。ポール・ヴァン・ティガンは書いている。「古典主義時代は、フランスが文学上の覇権を握っていた期間と一致している。それは、フランスが覇権を手にしたときに始まり、覇権を失ったときに終わったのだ……。ことほどさように、フランス精神は古典主義の理念を体現するものだった。ヨーロッパのある国々では、「古典的」と「フランス的」が同義語となるほどだった」。

(略)

大陸というチェス盤の上で、並ぶものとてない腕の冴え(と幸運)を発揮していたのだから。要するにフランス文学が成功した理由は、フランスという国そのもののうちにというよりも、むしろ他国との関係性のうちにあったのだ。(略)

フランスの文学的伝統は、ダンテやらシェイクスピアやら、はたまたゲーテやらスペイン黄金世紀の作家たちやらの圧力をまぬかれていた。他を圧倒する諸モデルの桎梏を逃れたフランス文学は、よその国にくらべると身も軽やかだった。より多くのテーブルでゲームを楽しみ、ヨーロッパ空間にひょっとあらわれた珍奇なものに対しても、ためらわず賭金を置いた。そして最後に、巨大な国民国家でありながら、フランスは政治や経済のアリーナで覇権を握られないままだった。万年二番手で、つねに切迫した状況にあることが、文化の領野への惜しげもない投資をうながしたといえるだろう。

「小説革命」

 新奇なもの[ノヴェルティ]のらせん。だが、その新奇さは色あせることなく、長きにわたって影響を及ぼす。実際、まさしく「小説革命」であったと評したところで、けっして誇張にはならない。文学もまた、経済とおなじく、出航するための前提条件を18世紀末までには整えていった。新進の(と言ってよい)作家、女性作家、またたく間にふくれあがる読者。各国がそれぞれのヴァリエーションを相知ることで織りなされる複合体。すぐれた形態上のしなやかさ、その核にあるイギリスとフランス。新しい分配のシステム(貨本屋)、早くもそれとわかる姿を現しはじめたカノン。そのとき、偶然が歴史の舞台に登場し、おあつらえ向きの瞬間におあつらえ向きの機会を提供するのだ。すなわち、フランス革命という偶然が。(略)

後代のトラウマとなる事件が次から次に起こった1789年から1815年にかけて、人間の行為は、判読を拒み、われわれを脅かすものとなったかにみえた。文字通りその意味を失ったかにみえた。こうした時代にあっては、「歴史の意味」を取りもどすことこそ、象徴をめぐる最重要課題のひとつとなる。しかも、この課題はほかでもない、小説家にぴったりのものだった。心を奪う物語(それは近代の新しいリズムの激しさを写し取らなければならない)に加えて、きちんと組織された物語(リズムは方向性と形をもたなければならない)も要求されるからである。

 かくして歴史のシナリオは、その錯綜ゆえに、形式をあらゆるレベルで刷新する一大チャンスを提供するのだ。たとえば、新しい時代が有する奇々怪々な側面は、サスペンスの技巧のうちに流れこみ、物語の結末がそれまでの展開に事後的に意味を付与することで、つつましやかなものとなる。政治的・社会的な闘争は、特定の登場人物たちの感情的な対立へと変形され、その不穏な抽象的性質が中和される(しかもハッピー・エンドは排除されない)。そしてまた、言語とイデオロギーの増殖も、洗練された会話スタイルの中庸をとり(小説の挿話にもっとも典型的に見られる)、全知の語り手がすべてを総覧することで、最終的におさえこまれる。

(略)

決壊して四方にちらばった象徴をふたたび架橋し、人物伝という物語の古いしきたりを通じて、近代史が失ってしまったかにみえる神人同形説を取りもどそうとする闘いだった。にもかかわらず、その努力のさなかに、ヨーロッパ小説は新しい物語を無限に生みだし、古典古代の物語の遺産をしりぞけ、読者の意識をますます遠く未来へと連れ去るのである。

(略)

 文学進化のふぞろいなリズム。新しい形式へと結合する素材をたくさん集めるのに、二世紀という時間が費やされた。ところが、ヨーロッパ全土を統一した近代「リアリズム」が生まれるには、多難な状況下にありながら、一世代かそこらで十分だったのだ。(略)

哲学的コントと教養小説という、それぞれの時代を代表する叙述形式が、両者の命運をわけることになった構造上の理由を示している。辛辣で冷然としたコントのプロットは、物語の面白さをそぐことを意図しているかのようだ。物語の面白さは、哲学的な抽象のまえに全面的に屈服している。これは哲学者による哲学者のための小説であり、テクストはテクストそのものと対立的な関係を結んでいるといってよい。火花を散らす批判的言語は、ストーリーの意味を止むことなく問いつづけるよう読者を強くうながすのだ。それに対し教養小説は、反省的な知性なぞ歯牙にもかけず、物語の尽きることない可能性を「青春」の不確かさから汲んでくる。ここで語りは、注解にひとしい意義をもつ。そして、変化に打ちのめされた社会が欲していたのは、まさしく次のようなことだった。語りの構造のうちに立ちあらわれる世界観を、あるいは語りの向こうに立ちあらわれる世界観を、それと知らずに、おそらくは確固不動のドクサの手を借りながらわがものとすること。くりかえそう。コントのもつ融通無碍なコスモポリタン的性格からすれば、国家という次元なぞわれ関せずといったところで、それどころか侮蔑の対象であったかもしれない。しかし、ヨーロッパは国家とナショナリズムを発明しつつあった。個人の社会化を描いた教養小説という物語は、国民文化のうちにしかと根をおろしており、新しい状況にはるかに適した決定的なものだったのである。

遠読

厳密にウォーラーステインのものと言えるテクストは[半分足らず](略)残りは引用だ。永年にわたる分析、つまりは他人の分析を、ウォーラーステインのページが、ひとつのシステムに統合しているのだ。

 さて、このモデルに本気でならおうとするなら(略)

文学史は現在あるものとは、即座にかけ離れてしまうだろう。それは、「受け売り」になるだろう。一行の原典読解すらしない、他人の研究のよせあつめだ。それでもなお野心的どころか、いまだかつてないほど野心的でさえある(世界文学だ!)。だが、野心はいまやテクストからの距離に正比例しているのだ。野心的になればなるほど、距離を遠くとらなくてはならない。

 合衆国は精読の国だ。だから、この思いつきが柏手喝采を浴びるなんて期待はしていない。だが(略)精読がかかえた問題は、ごく小規模のカノンに依存せざるをえないことだ。(略)

個々のテクストにかくも傾注できるのは、ごく少数のテクストが本当に重要だと考えるときのみだ。さもなくば、無意味だ。カノンの外側を見たくなっても(もちろん、世界文学はそうする――そうしないなんて、ばかげている!)、精読はそれをしない。そんな風にできていないどころか、その反対をするようにできているのだ。そもそもが、神学者が執りおこなう儀式めいている――至極少数のテクストにたいする、至極もったいぶった処置を、至極まじめくさっておこなう――しかるに、本当にしなくてはならないのは、悪魔とのちょっとした取引なのだ。テクストをいかに読めばいいかはわかっている、さあ、いかにテクストを読まないか字ぼうではないか。遠読――繰り返させてもらうなら、そこでは距離こそが知識をえる条件なのだ。それさえあれば、テクストよりずっと小さく、ずっと大きい単位に焦点を合わせることができるようになる。技巧、テーマ、文彩――あるいはジャンルやシステムについて。(略)

システムをまるごと理解しようとするなら、なにかを失うことを受けいれなくてはならない。理論的知識には代価がつきものだ。現実は限りなく豊かだが、概念は抽象的で貧しい。だがこの「貧しさ」こそが、それを扱うことを可能にし、結果として理解にいたる道筋をつけるのだ。これぞ、まさに「テクストなんかなくてもよい」理由なのだ。

(略)[9ページほど飛んで](略)

 きみが比較文学者になるのは、非常に単純な理由からだ――自分の観点のほうがすぐれていると確信しているからだ。説明能力も大きいし、コンセプトの上でもずっとエレガントだ。それに、あの醜い「一方的で視野の狭い心」をまぬがれている、などなど。重要なのは、世界文学研究を正当化するには、これ以外に方法はないということだ(略)

もし比較文学がこうじゃないなら、それは無だ。無。「自分自身を欺くな」。スタンダールは、自分のお気に入りの登場人物にあてて書いている。「きみにとって中道なんてないんだから」。同じことが私たちにもあてはまる。

(略)

精読とは、(「正典」[カノン]に対して!)いやはや、実に世俗化された神学ではないか。ニューヘイヴンのご機嫌な大学町から文学研究の全領域にあまねく広がった方法だ。そうではない別の技術が、より大きな文学史には求められる。すなわち、標本抽出、統計学、シリーズやタイトルや用語索引や書き出しをめぐる作業、そしておそらく、この小論で論じる「樹[ツリー]」。

 文学の屠場。そこで執行者たるのは読者である。読者は小説Aを読み、(しかしB、C、D、E、F、G、H……は読まず、)そしてAを次世代に「生かし」続ける。すると次の読者がAをまた次の世代に生かし、そうこうするうちにやがてAはカノンに入るのだ。教授ではなく読者がカノンを作る。学術的な決定なんて、完全に学界の外で展開しているプロセスのこだまに過ぎない。しぶしぶ与えたお墨つき、それだけのものだ。コナン・ドイルはそのものズバリの適例だ。

(略)

かくして、市場がカノンを選ぶ。だが、どうやって?

冒険という永久機関

「騎士は実に勇敢に戦った、だから襲撃者たちは打ち勝つことができなかった」。「彼らに見つからないように、すこし引き下がろう」。「あの騎士がどなたなのか存じませんが、実に勇敢な方なので喜んで愛をささげたいと思います」。こうした連続的で目的論的な構造をもった文が『散文ランスロ』には簡単に見つかる。ここでは、意味が先に控えていることにあまりに強く依存しているため、文は文字どおり次の文に向かって落ちていく。このような末末志向の配列が散文には遍在しており、これが物語のリズムを加速させる典型的な方法となるのだ。

(略)

 しかし、第二の出発点を考えることも可能であり、それは物語性ではなく複雑性に通じている。その出発点は「デリマージュ」の研究においてよく指摘される論点である。「デリマージュ」とは、13世紀における宮廷ロマンスの散文化のことであり、いわば、韻文か散文かの決断をくだす重要な瞬間のひとつだった。そのとき、形式を一方から一方に移行する際に必ず発生することがある――従属節の数が増加するのである。これは納得できる。韻文では、一行はある程度孤立していて、独立節が多くなる。対して散文は連続的でより構造的である。「霊感」の神話が散文については滅多に語られないのも偶然ではないだろう。霊感はそこで意味をなすにはあまりに瞬間的でありすぎ、天恵じみている。そして散文は天恵ではない、仕事なのだ。ルカーチは『小説の理論』のなかで散文を「精神の生産性」と呼んでいるが、この表現は正しい。従属構文はただ骨が折れるばかりでなく――先見や記憶、手段を目的に適合させることを必要とする――間違いなく生産的だ。得られる結果は単に部分の総和といったものではない。従属は節どうしにヒエラルキーを生み出し、意味が明瞭になり、以前には存在しなかった側面があらわれる……。こうして複雑性が生じるのである。

 物語の加速と複雑性の構築。どちらも事実だ。そして、両者はまったく食い違っている。小説にとって、散文は何を意味したのだろうか……?散文のおかげで、小説は二つの正反対の――大衆的また教養的――読者層に対応できるようになり、過去に例を見ないほどに適応力のある成功した形式となった。一方で、極端に分極化した形式でもある。(略)

私たちがいま考察の対象としているのは、二千年のときを経てお互いから離れて行っただけでなく、お互いに敵対しあっている両極端な文体なのだ。仮定節・譲歩節・条件節を用いる文体の複雑性は、未来志向の物語を救いがたく単純素朴で下等なもののように感じさせる。一方、形式の大衆性のほうでは、ありとあらゆる箇所で――語、文、段落、会話、どこであれ――複雑性を見つけ次第、それをずたずたにするのである。

(略)

 散文の文体を下の方から見ること……。デジタル・データベースのおかげで、今日では想像しやすくなった。(略)

文学研究者はみな文体的な構造を分析する――自由間接話法、意識の流れ、メロドラマ的過剰、などなど。しかし、重要なことに、私たちは実際にはこれらの形式の起源について何も知らない。それらの形式が目の前にあれば、どうすべきかはわかっている。だが、そもそも、いかにしてそれらはそこに現れたのだろうか?(略)

何千もの語尾変化や順列や近接をふるいにかけることで、デジタル・アーカイヴの数量的文体論が何らかの答えを出せるだろう。それは疑いなく困難な作業となるだろう、広範なアーカイヴを調査するのはひとつのテクストを研究するのとは訳が違うのだから。テクストとは私たちに向かって「話す」ようにできており、私たちが聴き方さえ知っていれば、つねに何かを教えてくれる。しかし、アーカイヴは私たちに向けられたメッセージではなく、こちらが正しい問いを発するまでは完全に沈黙している。そして困ったことに、われわれ文学研究者は問いを発するのが苦手なのだ。私たちは「問う」ようにでなく「聴く」ように訓練されているが、「問う」ことは「聴く」ことの対極にある。問うことによって批評は逆立ちし、ある種の実験となる。実験は「自然への問い」だと説明されるが、私がここで考えているのは文化への問いだ。困難ではあるだろう。だが、試みないのはもったいない。

(略)

小説は長い。というよりも、さまざまな長さのものがある――『ダフニスとクロエ』の2万語から(略)『紅楼夢』の80万語以上まで。(略)問題は「どうしてそんなことになったのか?」ということである。(略)

私はこう言うだろう――「冒険」と。冒険は小説を世界に対して開くことでそれを発展させる。救いを求める声がする――騎士は赳く。たいてい、何ひとつ問うこともなく。こうした展開が冒険の典型であり、ここで未知は恐怖ではなく、むしろ好機である。(略)

栄光は貯めておくことができないので、いつでもそれを新たにしなくてはならず、それゆえこの冒険という永久機関がどうしても必要なのだ……

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読む/まないための50方法 - 本と奇妙な煙

ヴァレリーの文学概念を支える主要な考えのひとつは、作者が無用であるだけでなく、作品も余計だというものである。(略)

ヴァレリーの関心はしかじかの作品よりも作品の「観念」にあるのである。(略)

作品の観念への接近は、作品じたいにあまり近づかないからこそ可能になる。作品に近づきすぎると、その個別性のなかに迷いこんでしまうからである。

18世紀の著作権、読者の台頭 - 本と奇妙な煙

2016-11-05 バーニー・サンダース自伝 ホワイトハウスのはぐれ者 このエントリーを含むブックマーク

1997年の『アメリカ下院のはぐれ者』に「まえがき」と「解説」を足して、2015年に『ホワイトハウスのはぐれ者』として再刊された本。


バーニー・サンダース自伝

作者: バーニー・サンダース, 萩原伸次郎

メーカー/出版社: 大月書店

発売日: 2016/06/24

|本| Amazon.co.jp

『解説』ジョン・ニコルス

[1972年第三政党から出馬した際には州全体2.2%しか得票できなかった]上院議員選挙に、2006年には無所属で立候補しようとしている――[サンダース]は、はぐれ者から「世界一の高級クラブ」席の最有力候補へと変身していたのだ。

 数年後、脈なしとして一笑に付されていた2016年民主党大統領候補者指名に向けて準備をしていたサンダースは、「私を見くびらないように」と記者たちに警告した。それは虚勢からではなく、経験から出た言葉だった。

(略)

上院議員になったサンダースは、法案を提出し、論戦で注目を集め、「フィリバスター」で新聞の大見出しを飾り、議会の重要な委員会の委員長となって脚光を浴びた。彼はトム・ハートマンとエド・シュルツが司会を務める進歩的なラジオ・トーク番組や、MSNBCのケーブルテレビのレギュラーになった。(略)最終的には、進歩派はほとんど招かれない、ましてや民主的社会主義者などもってのほかの番組、たとえばNBCの『ミート・ザ・プレス』やABCの『ディス・ウィーク』にも、(たびたびではないが)ゲスト出演した。大手メディアの系列局が草の根の運動や反体制的な選挙候補者を取り上げないことをずっと批判してきたサンダースは、アメリカの政治の力学を理解していた。

(略)

 2006年にサンダースがめざした議席は、共和党の連勝が、南北戦争以前から2000年の選挙まで途切れず続いた議席であり(略)

[彼は]民主的社会主義者としてのアイデンティティを決して手放さず、二大政党のいずれの妥協をも非難し、無所属として誇りをもって努めた。

(略)

「進歩派だけじゃないの。政治に関心がないと言う人、政治家なんか誰も信じないと言う人が、いちばんバーニーを大好きな人たちなのよ」

(略)

[彼の勝利は]2002年にポール・ウェルストーン上院議員が亡くなって以来、進歩的ポピュリズムの福音を伝道できる上院議員を探しまわっていた活動家たちを喜ばせた。(略)抜け目ない民主党員は、サンダースがどうやって、農村部の人々や労働者階級という、まさに民主党員の多くが支持をかきたてるのに苦労している人たちの熱狂的支持によって、厳しい選挙を制したのかを知りたがった。

(略)

[それは]選挙運動の組織化なり資金集めなりについての新方式ではなかった。(略)

サンダースは、あまりに多くの進歩派政治家と、ほぼすべての民主党指導者が忘れ去ってしまった、ある根本的な事実に確証を与えたのだ。それは、階級、人種、地域、党派の垣根を越えるやり方で発せられる、イデオロギー的に力強いメッセージは、いつも政治的な効果を発揮してきたし、これからもそうだろう、ということだ。

(略)

 サンダースがやってきたことは、ある選挙から次の選挙へ、この10年から次の10年へ、立場を守りつづけることだった。(略)イラク戦争に反対した。そう、彼はブッシュの愛国者法を非難した。そう、彼はLGBTの権利、女性の権利、公民権を支持した。しかし、ヴァーモントにおける彼の選挙運動をかきたてたのは、貧困層が無視されていることへの率直な怒り、最高経営責任者と政治家が中間層を切り捨てることへの憤懣、そして、政府には民間部門にできない多くのこと――たとえば、すべての人への医療の保障――が本当にできるのだという、孤独だが絶対的な信念だった。

(略)

「私は昔、根っからの共和党員だった。今は筋金入りのバーニー支持者だよ」

(略)

 下院でサンダースは、ニュースレターを送るために議員が使える無料郵送特権を活用して、経済と企業権力のことを議題にしつづけた。そのニュースレターは、自分を良く見せるための写真や見解を取り上げるものではなく、自由貿易政策によって労働者、農家、環境がこうむる損害や、メディア統合によって民主主義がさらされる脅威や、単一基金の医療制度の機能について解説するものだった。任期の初めから、サンダースは、州で最も小さい規模の地域社会のいくつかで、一つの問題だけを取り上げる集会を開催した。専門家を招き、国際問題、軍事支出と国家の優先順位、貧困、子どもの健康、女性の賃金の平等、教育、退役軍人問題などについて討論し、夜遅くまでかかることもよくあった。デンマークの福祉国家について議論するために、駐米デンマーク大使をバーリントン、ブラトルボロ、モントピリアまで連れてきたこともあった。参加者はいつも多く、公会堂を満員にすることもよくあった。人々は、専門家とサンダースの言うことを吟味し、挑みかかり、文句を言い、反対するよう促された――しばしば実際にそうして、サンダースは右からも左からも迫られた。しかし人々のほうも得るものがあった――どうすれば、自分たちの利益にかなう公平な経済と市民社会が組織されるのかについての、今までと違う見方だ。この長く濃密な教育プロセスこそ、サンダースの成功の「秘訣」というやつだ。

(略)

ジョージ・W・ブッシュの政治力が最高潮の時に、サンダース下院議員は、ノースカロライナ州選出のウォルター・ジョーンズ下院議員のような共和党保守派と、貿易政策、対外投資、アメリカ軍のイラク撤退の工程表策定といった多様な問題でよく共闘した。

(略)

2006年の選挙戦で対立候補に大金を使われ、露骨に攻撃された[が](略)

州のすべての郡で圧倒的勝利を収め、保守的な地域でさえ支持を得た。長い年月にわたる、あの町の集会、あの台所事情の対話のすべてが、大金とネガティブ広告では切断できないつながりをつくりあげていた。「たぶんそれが、バーニーから得られる教訓です」と、マーグリート・ストランド・ランネスは語った。「彼は、ひとつの選挙の勝利にあまり気を取られていません。長い目で取り組んでいます。なぜなら、そうすることで信頼と意識が築かれ、スピンを乗り越えて、生活の現実問題について人々と話せるようになるからです。民主党にそれをやる忍耐力があるかはわかりません。しかし民主党は、彼らが手を伸ばすべき相手と通じ合いたいなら、これに注目すべきなのです」

(略)

 「もし救済が必要なら、もし納税者のお金を危険にさらさなければならないなら、もしウォール街を救済するつもりなら、ツケを払うべきは、その問題を引き起こした人々、ブッシュ大統領の百万長者や億万長者への減税の恩恵をこうむった人々、規制緩和に乗じた人々であり、普通の働く人々ではないはずだ」とサンダースは叫び、七千億ドルの救済計画に反対票を投じると宣言した。

 2008年10月1日、サンダースが上院議場でおこなった火を吐くような演説は、議会での役割の基調を定めた。

(略)

 壊れているのは経済システムだけではない、とサンダースは論じた。壊れているのは政治システムだ――危機の最中でさえ、経済エリートに立ち向かうことを完全に拒否したことによって、議会は堕落したのだ。

 「この法案のもとでは、最高経営責任者やウォール街の内輪の者は、ほんの少し頭を働かせて、また詐欺師のようにもうけつづけるでしょう」とサンダースは怒鳴った。

(略)

サンダースは、緊縮方針は失敗したと語り、今こそ、金持ちには増税し、救済など受けたことがない圧倒的多数のアメリカ人のためにインフラと雇用創出に投資する、新たな方針の時だと主張した。

 取り決めを阻止するために「必要なことは何でも」やると約束して、サンダースは2010年12月10日金曜日午前10時24分、上院議場に姿を現した。マイクを調整し、話しはじめた。租税取り決めの何が誤っているのか。ワシントンの政治のやり方の何が誤っているのか。国家の優先順位の何が誤っているのか。経済の何が誤っているのか。「私が今日やっていることを、好きなように呼べばいいでしょう。フィリバスターと呼んでもいいし、とても長い演説とも呼べます……」彼のツイッターのフィードで読める。長かった。彼は発言台に8時間35分14秒とどまった。

 サンダース上院議員の大胆なふるまいは、国民の注目を集めた。何万もの人々が演説をオンラインで見ようとして、上院のビデオ・サーバーが過負荷となったほどだった。

(略)

「もしアメリカの人々が立ち上がり、『私たちはもっとうまくやれる。百万長者や億万長者に減税して国家債務を積み上げる必要などない』と声をあげるならば、もしアメリカの人々が立ち上がる覚悟を決め――そして私たちが彼らに付いて行く覚悟を決めるならば――、私たちはこの提案を打ち砕けるはずです」。彼は声を荒らげた。「わが国の中間層と働く家族のニーズ、そして、私はいちばん大事だと思いますが、わが国の子どもたちのニーズが、もっと反映された、もっと良い提案を、私たちは見つけることができるはずです。それを言わせていただいて、議長、議場をおゆずりします」

 ナショナル・パブリック・ラジオは、「全世界が今日、バーニー・サンダースを見ていた」と報じた。『ワシントン・ポスト』のクリス・シリザはこう書いた。「サンダースの姿勢は、この取り決めに対するリベラル派の怒りを象徴したものであり、それはヴァーモント州選出の上院議員を進歩派のヒーローに変えた」。ポリティコも同意し、こう説明した。「左派は新しいヒーローを探していた。この夜、彼らはそれを手に入れた。バーニー・サンダース上院議員だ。このヴァーモント州選出の無所属議員は、金曜日、オバマ大統領と共和党の減税取り決めに対する進歩派の怒りを上院議場に持ち込み、フィリバスター型の演説で議会を八時間停止させ、リベラルなツイッター界を熱狂させた。

(略)

 [2012年再選]2013年から2015年まで(略)2008年大統領選挙の共和党指名候補であるジョン・マケインと、しばしば密接に協力して働いた。マケインと一緒にサンダースは、退役軍人保健局の恥ずべき怠慢に関する報告書に対応して(略)法案を共同起案した。(略)

 サンダースは、ワシントンから遠く離れた場所での闘争に光を当て、民衆の蜂起に応ずる連邦政府介入に賛成の論を張るために、ウェルストーン以降のどの上院議員よりも積極的に自分の立場を活かした。2011年、共和党の州知事たちが就任後すぐに労働者の権利を攻撃した時、サンダースは争いに飛び込み、ウィスコンシン州マディソン、オハイオ州コロンバス、その他の州部で、抗議活動をしていた労働組合員との連帯を宣言した。(略)

「こうした連中は、私たちを1920年代に逆戻りさせたがっています。働く人々に、組合を結成する権利も、まともな生計費を得る権利も、ほとんどなかった時代です。(略)

[ウォール街占拠運動]サンダースはその抗議の言葉と精神を受けとめた。「ウォール街には詐欺師がいます。私は言葉をよく考えて使っているのです――引用を間違えないでください、その言葉は『詐欺師』です。その強欲、その無謀、その無法な行為が、このひどい不況を引き起こし、たいへんな被害をもたらしたのです。私たちはこの国を信じています。この国を愛しています。私たちは、ひと握りの泥棒男爵がこの国の将来を支配することなど、絶対に詐さないのです」とサンダースは宣言した。

(略)

 下院であれ上院であれ、共和党であれ民主党であれ、そのイデオロギーが何であれ、最良の議員たちは、ワシントンの外での危機、難題、機会に対応するにあたって、調査を開始し、公聴会を開き、法案を提出する。しかしサンダースは、議員の役割をつくりかえた。議会議事堂のあらゆるところで働き、それから地元ヴァーモント州や国じゅうに出かけて行って、市民たちに、議会に圧力をかけるよう促すのだ(略)

「私にとって政治というものは、ここワシントンでアイディアと立法計画を思いつくことだけではありません。(略)どうやって人々を政治プロセスに巻き込むのか、どうやって彼らに力を与えるのかを理解することなのです。簡単なことではありませんが、実際、やらなければならないことです」

(略)

くだらないコンサルタントが来て、『これしか道はない』と言いますが、それはいつも同じです。カネを集めろ、テレビに使え、誰かの気分を害することは言うなと。民主党はそれをやって、いつも接戦になって、うまくいくかどうか心配する羽目になるのです」とサンダースは言った。「なぜ進歩派がコンサルタントの言うことを聞くのか、さっぱりわかりません。運動を立ち上げ、進歩派の課題を前進させる――それなら、人々と対話をし、人々を教育し、人々を組織しなければなりません」

(略)

「こうした番組にたくさん出演してきましたが、みんなこう言うのです。『今日の話題です。シークレット・サービスについてどう思われますか?これについてはどうですか?エボラ出血熱はどうですか?』これらの問題はみんな重要です。しかし、庶民に影響を及ぼす問題――彼らは、なぜ生産性が上がっているのに、賃金は下がり、労働時間は長くなっているのかと疑問に思っているのです。ビル、こうした討論はされてきましたか?(略)

 「所得と富の不平等という問題。なんと、1%がアメリカの富の37%を所有しています。(略)ウォルマートのウォルトン家は、下から40%よりも多くの富を所有しています」と彼は言った。「その問題について話すべきだと思いますか? この話は、テレビでは続けられないのです」(略)

 「なぜなら、本当の問題について議論するよう、アメリカの人々を本当に教育することは、放送局を所有する企業のためにならないからです。そうした問題から関心をそらして、今日の出来事をやっているほうが、はるかに良いのです」

(略)

「ここワシントンの一部の人のように、毎朝目覚めるたびに、『いいか、俺は絶対に大統領にならなくちゃいけない。大統領になるために生まれてきたんだ』と自分に言い聞かせたりはしません。私が毎朝目覚めるたびに思うのは、この国は大恐慌以来最も深刻な問題に直面しており、この危機に対処できる真剣な政治の議論やアイディアが全く欠けているということ、そして、誰かが労働者階級と中間層を代表して、この国の経済と政治に対してあまりに大きな力を持っている大企業や金持ちの利害に立ち向かわなければならないということです。だから私は、大統領選挙に立候補する覚悟ができています。この闘いができるのは世の中で私だけとは思いませんが、しかし、私はその選挙戦を真剣に見据えて、確実に準備をしています」

(略)

 「政治革命について話す時、私が意味しているのは、単に次の選挙に勝つこと以上のことをする必要性です。それは、政治に関わっていないたくさんの人々を政治プロセスに巻き込む状況をつくることや、メディアの性質を変えて、多くの人が感じているニーズと痛みを表す問題を扱うようにすることです(略)

もしこの国の80%から90%の人が投票するならば、もし彼らが、問題は何なのかを理解するならば(そしてその理解をもとに要求するならば)、ワシントンと議会は、大企業と金持ちの支配する、彼らが扱ってほしい問題だけを扱う今の議会とは、大きく、大きく違ったものになるでしょう」

 空想的な考えに聞こえるかもしれない。たぶん、これは空想的な考えなのだろう。しかし政治は、その最高の状態においては、冷徹な計算以上の何かであるはずだ。それは「可能なかぎり最大限の左翼」がありうると信じることだ。

自伝本編

どうやって投票に行かせないようにするか。さらに、どうやって、大多数の人々に影響する問題、それをめぐって人々が団結できる問題から、意識をそらすか。

 おかしな話に聞こえるかい。あなたにはそうかもしれないけれど、私は毎日見ていることだ。これが、悪玉を仕立て上げる「分断」政治のすべてだ。白人と黒人とヒスパニックの対立。異性愛者と同性愛者。労働者階級と貧者と福祉受給者。男性と女性。本国生まれと移民。刑務所の外にいる人と中にいる受刑者。まだまだある。

 1996年の共和党は、大規模な世論調査をやっていて、多くのアメリカ人が感じているまともな不安や心配を、とてもよく理解している。そして大金を投じてやろうとしているのは、そうした不安をうまく利用して、働く人々を分断し、共倒れするように仕向けることなのだ。公正をつかむかわりに、金持ちの食べ残しをつかまされていることに、働く人々が気づかないようにすることなのだ。

(略)

[分断政治は]弱い者、力のない者を叩きのめすことができる。悪質で醜悪な政治だ。しかし、それが選挙に勝つ政治なのだ。

 私はヴァーモントでその影響を目にする。アディソン郡の町民集会で、ある女性が言う。「バーニー、私はがんばって働いているのに、医療保険に入れないのよ。うちの子は医療が受けられないのに、どうして福祉受給者の子は受けられるの? 良くないことだわ。あなたはこの件、どうするの?」

 私は、国民皆保険制度によって、この国のすべての人が良質な医療を受けられるように、闘うつもりだと答えた。彼女は言う。「違うのよ。うちの家族に医療保険をくださいと言ってるんじゃないの。福祉受給者からそれを取り上げてちょうだいと言ってるだけ」

 オーリンズ郡のフェスティバルで、ある女性がやはりこう言う。「私は食料品店で働いているんだけどね。むかつくわよ。フードスタンプを持ってきて、ステーキ肉とか、私よりいい食べ物を買っていくんだから。何とかしてよ」

(略)

 共和党が貧困層を攻撃できるのは、彼らがある明白な社会的事実を理解しているからでもある。貧しい人々の大多数は、選挙運動に献金せず、投票もせず、政治に参加しないという事実だ。(略)

 貧しい人々は、共和党にとって格好の標的だ。(略)組織化されておらず、反撃できない。(略)

 ここにアメリカ政治の深刻なジレンマがある。低所得者が投票せず政治参加しないかぎり、彼らは悪玉に仕立て上げられる。(略)

 低所得者の住む公営住宅を訪ねてまわる時に、人々がきっぱりとこう言うのを何度耳にしたことか。「投票には行きません。何の意味があるんですか?私の利益なんか代表する人はいません」(略)

 私がバーリントン市長だった時、投票率が二倍近くになった。なぜか?私たちは、低中所得の人々のために立ち上がって闘うことを明確にし、そのとおり実行したからだ。多くの低所得者がそれを理解し、その結果、私たちを支持した。投票に意味があると思えば、貧困層は投票する。

 この国の支配階級は、投票率を低くしておくことが、自分たちにとっていかに大事か、とてもよくわかっている。

2016-11-03 元老・その2 なぜ陸軍を統制できなかったか このエントリーを含むブックマーク

前日の続き。


元老―近代日本の真の指導者たち (中公新書)

作者: 伊藤之雄

メーカー/出版社: 中央公論新社

発売日: 2016/06/21

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対華二十一ヵ条要求

新たに中国への日本の勢力・権益拡大を目指すグルーブ、とりわけ陸軍から様々の要求が出され、加藤ははねつけることができずに、それらを取り込む形の案を作った。これが中国中央政府が政治・財政および軍事顧問として有力な日本人を雇う等の第五号要求(加藤の意思で希望条件)も含めた二十一ヵ条要求となった。

 山県は大戦後に白色人種が連携して東洋に向かってくることを恐れ、日中関係を改善し、日露関係を強化しようと考えていた。したがって、中国への要求に第五号要求のような内容を含めることに反対であった。加藤はプライドが高く、「外交の一元化」を宣言した手前、山県に膝を屈して実情を説明し、陸軍の要求を抑えてください、と頼むことができなかった。

[外国通のイメージのあった大隈重信も]政権から16年近く離れて現実の外交への勘は鈍っていたし、幕末にオランダ語と英語を学んだとはいえ、渡欧体験もなく、英語ですら通訳なしで外国人と直接意思疎通することはできなくなっていた。英語を読む能力も定かでなく、個別の政策に対し、列強や中国の反応をどれだけ正しく予測できたか危ういものがあった。大隈は五号要求の持つ危険性を十分に感知していなかったようである。(略)

袁世凱政権は日本に屈し、第五号要求を除いて承認した。この結果、中国に強い反日感情が湧きあがった。また袁世凱政権は第五号要求の内容を列強に漏らしたので、米国は日本を非難し、同盟国イギリスも日本を警戒するようになった。列強から見ると、第五号要求以外は帝国主義の時代に常識的な要求であり、第五号要求さえなければ、中国からの批判が起きても、米国からの強い批判はなく、イギリスも平静に受け止めたはずである。(略)

山県は時々元老に報告するようにと加藤外相に伝えていたが、加藤は従わなかった。(略)

[第五号要求の危険性を理解していた点]以外の山県の外交論は現実離れしたものだった。(略)

[それに比べて、原敬は]大戦後には米国が台頭し、列強間の経済競争が激しくなるという正確な予測を固めていった。(略)原は大戦後を見通すことができたが、大隈内閣と山県ら元老との奇妙な妥協・連携によって排除され、影響力を及ぼすことができなかったのである(伊藤之雄『原敬』下巻)。


原敬 外交と政治の理想(下) (講談社選書メチエ)

作者: 伊藤之雄

メーカー/出版社: 講談社

発売日: 2014/12/11

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元老存廃をめぐる闘争

[辞意を内奏した大隈の主張は、天皇に後継首相に加藤高明を推薦する正当性は、憲法上の根拠もない元老よりも、衆院過半数を得た政党を束ねる自分にあるというものだった]

このようなジャーナリズムの空気に乗り、大隈は元老制度の廃止につながる方向を目指したのである。(略)

山県は松方・大山の両元老が自分と同じ考えであることを確認し、1916年9月30日、大正天皇に拝謁した。山県は大隈辞任問題の経過を天皇に説明し、天皇から支持を得たと確認した。

(略)

 このように、元老制度の存廃をかけ、最有力政治家たちが大正天皇を巻き込んで権力闘争を行った。この間、主導権を握った山県は、政友会前総裁の西園寺を元老に加えることにより、間接的に衆議院第二党の支持を得ている形を作り、元老制度に正当性を加えて守ったのである。また山県は、大隈と加藤・同志会と、原・政友会のそれぞれとの関係を保ち、両者を競わせ、最終的に自分が主導権を握る余地も残した。

 大隈は、個人的に天皇との連携を志し、敗北した。大隈の掲げるイギリス風の政党政治の理念は、大正天皇も共鳴するところであったが、政治経験がなかったので、すでに述べたように1915年に山県に威圧された後は、すべてのことを山県や元老に相談するように、精神的に追い込まれていた。しかも(略)宮中側近も山県の路線でしっかり固められていた。 

大隈、原、山県の死

[1922年大隈83歳で没]山県が彼を元老にしようとして、原内閣の成立に際しては、後継首相推薦のために参内したこともあり、元老であるかのように報道され、自らも元老に類似した行動をすることもあった。しかし、元老松方・西園寺から元老になることの賛同を得られなかったため、元老になることなく世を去ったのである。

(略)

 原が暗殺される前日から、山県は熱を出し、体調を崩していた。その後、原の死のショックもあり、病状は一進一退の状態が続いた。弱気になった山県は、信頼してきた私設秘書の松本剛吉を西園寺に譲ろうと考えた。山県の命で、松本は(略)「坐漁荘」を訪れ、西園寺の御眼鏡に適った。2月1日、山県は眠るように息を引きとった。大隈と同じ、享年83であった。

(略)

 山県が死去し、元老は高齢であまり頼りにならない松方と、松方より14歳若いが72歳になっている西園寺の二人だけになった。(略)[西園寺は元老として]寺内・原・高橋の三つの内閣の誕生にしか関係していなかった。

 また、大正天皇は形式的な政務でさえまったく行えなくなり、前年11月には裕仁皇太子が摂政に就任していたが、20歳の摂政は後継首相推薦の手続き等にも慣れていない。このため、元老の役割は引き続き重要だった。(略)

[1924年松方死去、元老は74歳の西園寺一人に]

若い天皇への批判

[1926年大正天皇崩御]

 残された問題は、天皇としての政治的訓練をほとんど受けていない若い天皇を、77歳という当時としてはかなり高齢な西園寺が元老としてどのように導くか、であった。西園寺はこの役を、基本的に牧野内大臣に任せた。(略)

 牧野伸顕は誠実で力量のある政治家であったが、明治維新と新国家を軌道に乗せるまでの修羅場を体験していない。また、外相・文相・農商務相の経験はあるが、首相として国家を取り仕切ったことはなかった。四年間の宮相を経て内大臣となっても、若い天皇を導くのには、少し経験不足であった。

(略)

[1927]年の秋には、平沼騏一郎枢密院副議長など右翼やそれに近い有力官僚の間で(略)

近年は天皇の「親政」ということがだんだん「薄くなる様」であるとか、天皇は意志があまり強くないとの話があり[弟の]秩父宮には何事も及ばないと(略)

 昭和天皇が威信を強めることができないなかで、それを補完すべき元老西園寺も[重い病状、そこに張作霖爆殺事件。早い段階で日本軍の仕業という真相を知った西園寺は田中義一首相に断固処罰するよう主張。田中は天皇に拝謁し処罰すると述べた。ところが陸軍は真相公表に反対。白川陸相は暴露すれば日本の不利益になると上奏](略)

 これに対し、牧野内大臣や昭和天皇は、受け入れるしかないと判断した。その理由は、陸軍首脳が一丸となって決めた事件の処理方針を天皇が認めなければ、陸相が辞表を出す可能性が高い。そうなれば内閣が倒れ、十分な権威のない若い天皇の下では、後任陸相が得られず新内閣ができない。結局天皇が陸軍に屈服せざるを得なくなることが、予想できたからであろう。陸軍を抑えられず、元来田中首相に好感を持っていなかった牧野内大臣と昭和天皇は、最初の方針を転換した田中への反感を増大させた。(略)

西園寺は牧野に対し、天皇が首相に問責の言葉がを発することは、明治天皇以来先例がなく、首相の辞任につながるとして反対した。(略)

[だが牧野は西園寺の忠告を無視]

天皇は田中首相を問責し、翌日に田中が再び拝謁を求めても、鈴木貫太郎侍従長を通して拒否した(伊藤之雄『昭和天皇と立憲君主制の崩壊』)。

(略)

 牧野は最後の段階で正義感と田中への悪感情に走りすぎ、その結果、軍も含め右翼や保守派方面から正当性を疑われ始めている。(略)

[西園寺の判断は正しかった]

この後、牧野内大臣ら宮中側近の「陰謀」に、意志が強くない昭和天皇が引きずられて田中首相への問責が起こったというイメージが、軍人や右翼、および政友会など保守派に近い人々の間に、少しずつ広がっていった。これが、天皇は全体を考えて公平に判断している、というイメージの形成に、長期的に大きな障害となっていく。

(略)

[ロンドン海軍軍縮会議]昭和天皇は条約を成立させるよう、浜口首相を密かに激励した。(略)

[「国防があやうくなる」と反対意見を上奏しようとした加藤軍令部長を鈴木侍従長は上奏拒否]


昭和天皇と立憲君主制の崩壊―睦仁・嘉仁から裕仁へ

作者: 伊藤之雄

メーカー/出版社: 名古屋大学出版会

発売日: 2005/05

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満州事変

混成旅団は天皇の命令を待たず、国境を越えて満州に入り、関東軍司令官の指揮下に入ってしまった。

 これは、天皇の統帥権を陸軍がないがしろにした異常な事態であった。田中首相の問責や加藤軍令部長に対する上奏拒否は、昭和天皇や内大臣・侍従長らの宮中側近が旧来の慣行を破った事件である。宮中側近が攻撃され、軍や右翼・保守派から、天皇も含めてその権力行使の正当性に疑問すら持たれるようになった。今回は陸軍が慣行を破って天皇の統帥権をないがしろにしたのであり、うまく対応すれば、逆に陸軍統制を回復し、事変を収束させる好機会にできる可能性があった。

(略)

[京都にいた]西園寺は、万一若槻内閣が辞意を示しても、この事件がすべて片付くまでは、天皇は絶対に許してはならない、と鈴木侍従長と牧野内大臣に伝えるよう、原田に命じた。(略)

[また]独断越境について陸相あるいは参謀総長が上奏した時に、天皇はこれを許してはいけない[一旦保留とし、後日処置せよとの注意も原田に伝えたが、それが伝わる前に金谷参謀総長が拝謁]

天皇はこの時、事変の収拾に尽力するように等の一般的注意を与えただけだった(略)

 ここで問題だったのは(略)[一連のことで牧野が弱気になっており陸軍への]反撃のチャンスであることを意識できず、天皇に適切な助言を与えられなかったことであった。(略)

 それでも、その夜の段階で参謀本部では、混成旅団の独断越境を、天皇の統帥権を侵したと若槻内閣がみなしているという情報を得て、翌22日の閣議で確実に責任を追及されるだろうと、悲観的な見通しを持っていた。参謀本部では、南次郎陸相と金谷範三参謀総長および参謀次長は辞職せざるを得ない、とまで考えていた。

 参謀本部のエリート将校たちは、慣行を重視する陸軍の官僚組織の中で昇進してきたのである。したがって、陸軍が勝手に慣行を破ることの責任の重さを、今回は自分たちの罪として、逆に強く受け止めていたのである。

 ところが、22日朝の段階で若槻首相は陸軍に対して宥和的になっており、閣議前の拝謁において、天皇が独断越境については特にふれなかったので、それが承認されたと思ってほっとした。閣議では朝鮮軍の出兵の経費を認め、その後天皇は越境を裁可した。

 結局、統帥権を侵して実施された独断越境は、事後承認されて合法的なものとなってしまった。(略)[西園寺の]助言の趣旨は、まったく活かされず、満州事変の拡大を防ぐ最大のチャンスを見逃してしまった。

 こうして、西南戦争に勝利し「西郷王国」を支配下に収めて以後、太政官制下の「内閣」や近代的内閣が、元老の協力も得て、外交や内政を統制してきた体制が崩壊していった。

五・一五事件以後

[満州国承認を引き延ばした犬養首相が暗殺。後継首相の西園寺の選択肢は三つ。1.陸軍と正面対決となる政友会総裁鈴木喜三郎。2.海軍穏健派の斉藤実。3.陸軍の求める右翼の平沼騏一郎。結局、斎藤内閣発足]

西園寺が「公平」性を示す演技に努めたにもかかわらず、斎藤を推薦したことで、右翼の平沼などは、西園寺の権力の正当性を疑うようになり(略)

斎藤内閣は陸軍の圧力に屈する形で満州国を承認した。(略)

 すでに政府が満州国を承認し、新聞などがそれを支持している以上、西園寺は元老として何もできなかった。国際的孤立がどういう意味を持つかも深く考えず、軍に影響された軽薄な世論が広がっている。そんな状況である限り、西園寺がリットン報告書を支持し満州国承認を撤回すべきとの発言をしたなら、元老としての正当性を疑われ、権力を失墜することは目に見えている。

(略)

第一次世界大戦後にできた、世界の政治・経済・文化交流を活発にして問題を共通に解決していこうという空気は、急速に崩れていった。

 こうしたなかで、陸軍などの主張する、世界は列強間の生き残りをかけた「戦国時代」のような時代に突入したのだ、という見方が支持を広げていった。それに対し、元老西園寺や昭和天皇らの国際協調を維持しようという考え方は、日本国内でしだいに古臭い、現実性のない考え方ととらえられるようになった。このため、軍部の行動を正当であると見る風潮が強まっていった。

三国同盟を嫌う天皇

[日中戦争拡大で辞任した近衛の次は]

陸軍が平沼騏一郎を望んでいるので、平沼に陸軍を統制させようとの考えであった。(略)

 平沼首相は、反ソ(反共)というイデオロギーから世界を見がちであり、元来しっかりした国際観・外交観を持っていなかった。陸軍が推進しようとする日・独・伊三国同盟締結への対応に苦慮し、1939年8月末に独ソ不可侵条約が締結されると、前途の見通しに自信をなくした平沼首相は[辞任](略)

 天皇は[陸軍の要望もあり]阿部信行陸軍大将に組閣を命じ、憲法を守り、時局並びに財政について英米と調整するように命じた。さらに、自分は陸軍に対して長い間不満を持っており、陸軍には粛正が必要であるとして、陸相には畑俊六侍従武官長か梅津美治郎陸軍中将の他適任者がいないので、三長官(陸相・参謀総長・教育総監の陸軍三幹部)の反対があっても実行するつもりである、と述べた(『昭和天皇実録』)。

 このように昭和天皇や湯浅内大臣・近衛・木戸の意図は、陸軍内で拒否されない阿部大将を首相にし、陸軍を統制、三国同盟の締結を防ぎ、英米との関係悪化を避けようというものである。もちろん日中戦争の終結も目指していたことは間違いない。それまで数年間、三長官によって陸相の人選を行うことが定着していたにもかかわらず、天皇が組閣の命を受けた陸軍出身者に対して、陸相人選について名前まで挙げるのは異例である。しかし、これは天皇の意思表示のみであり、公式に陸相を任命したわけではない。天皇はギリギリのところで君主機関説的天皇の枠内にとどまったといえる。

(略)

 この過程は、天皇が強い意思を示せば、陸相人事に影響力を与えることができたことを示している。(略)

[状況の悪化を防ぐため]明治天皇や大正天皇が行わなかったことまで、昭和天皇は憲法の枠内ギリギリで行い始めたのである。

(略)

天皇があれほど期待した米内内閣も(略)[陸相の辞表提出で]わずか半年で倒れてしまったのだった。(略)

[近衛再登場との情報に西園寺は]「今頃、人気で政治をやろうなんて、そんな時代遅れな者じゃ駄目だね」と話していた。(略)

 西園寺は、第一次近衛内閣を見て、近衛がいろいろな人に合わせて気に入られるような言動を取ってしまう、弱い性格の持ち主であることを、しみじみわかっていた。必ず陸軍に引きずられて日本を危うくするに違いないと確信した。老齢と病気を理由に、形式的な奉答すら辞退したのは、西国寺の元老としての意地とささやかな抵抗であったともいえる。

[三国同盟調印から二ヶ月後、最後の元老、西園寺死去]

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2016-11-01 元老―近代日本の真の指導者たち 伊藤之雄 このエントリーを含むブックマーク


元老―近代日本の真の指導者たち (中公新書)

作者: 伊藤之雄

メーカー/出版社: 中央公論新社

発売日: 2016/06/21

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元老形成の素地

統合のシンボルとして、天皇が必要であることは、維新のリーダーたちにはわかっていた。しかし、成長した天皇がどの程度政治権力を行使するのが望ましいのかは、藩閥政府の有力者の間でも合意ができておらず、また彼ら自身も確信を持っていなかった。

 維新のリーダーたちは、天皇自身が様々な学習や体験を通して円熟するのを待ち、諸外国の君主の例も検討した上で、それを決めていくのが望ましいと考えていたのであろう。「万機親裁」の建前を観念的にとらえて、天皇や宮中側近が天皇親政を目指そうとしても、うまくいかないし、実施すべきではない。そんなことをすれば近代国家建設が失敗するのみならず、天皇が責任を問われ、批判にさらされることになり、天皇や皇室の存続をも脅かすことを、リーダーたちは直感的に理解していた。

(略)

 維新初期から征韓論政変までの約六年近く、大久保・木戸ら薩長有力者が公式のポストとは別の形で、常にインフォーマルな中枢を構成し(略)三条実美や岩倉具視ら公家の有力者と共に国政をリードした。のちに有力元老となる伊藤博文・山県有朋井上馨・松方正義などは、彼らの下で働きながら、この状況を見聞してきた。このため、大変革期でどのような政府組織や人員配置がふさわしいのか確信が持てない時は、インフォーマルな集団が影響力を持つのが自然であることを熟知したと思われる。

 これが、憲法制定から帝国議会開設、政党の台頭が起きる1890年代半ばにかけての新しい変革期に、憲法にない慣例的組織である元老が形成される一つの素地となった。

(略)

伊藤の工部卿辞任を求める天皇の提言は、伊藤自身が、天皇は工部卿の仕事をよくわかっておらず代わりの者をを見つけるのが難しい、と岩倉に伝えているように、無視された。

(略)

明治天皇は21歳になった1874年でも、表の政治に影響力を及ぼすことはできなかったが、徳大寺宮内卿を留任させたように、奥のことに対しては意見を通すことができるようになったのである。

天皇のサボタージュ

 伊藤は欧州でこのような君主機関説の憲法理論を身につけることによって、天皇が日常は政治関与を抑制し、国政が混乱しかけた場合のみ、調停者として政治に関与するようになることを期待した。これは征韓論政変の際に天皇の威信が弱く、西郷らが下野し、西南戦争が起こって膨大な人的犠牲と経済的消耗を招いた悲劇などを考慮したからであろう。

 しかし、明治天皇は30歳代前半になっても、表の政治に影響力を振るうことを許されなかったので、伊藤の考えがわからなかった。そこで天皇は、1884年には病気を理由に奥から出御しないことが多くなった。1885年夏には二時間ほどしか表に出御せず、その間も徳大寺実則侍従長・元田永孚一等侍講に拝謁を命じ、あれこれ談話するのみになった。(略)明らかに天皇は政治をサボタージュするようになったのである。

 そこで伊藤は、参議兼宮内卿の辞表を提出したり、取り成したりし、天皇の気持ちを緩和した。

 明治天皇は伊藤から君主機関説の概略を聴いて、少しずつ立憲君主としての自覚を持つようになったようである。

(略)

 調停者としての行動について、天皇の意識を変えた決定打は、幼少から当時皇太子の天皇に仕え、天皇からの信用の厚い藤波言忠侍従(公家出身)を伊藤が欧州に派遣させ、シュタインから君主機関説にもとづいた憲法や国法学の概略を学ばせたことである。(略)帰国後、藤波は二、三日に一度のペースで夜の二時間ずつ、33回にわたって天皇と皇后に講義をした。天皇・皇后は熱心に聴講し、天皇は納得できるまで藤波に質問した。こうして天皇と皇后は、新しくできる憲法の中での自分の役割を理解し、かつ伊藤への揺るぎない信頼を持つようになったのである(伊藤之雄『明治天皇』)。


明治天皇―むら雲を吹く秋風にはれそめて (ミネルヴァ日本評伝選)

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元老制度形成

1892年半ばになると、伊藤や山県ら藩閥最有力者たちが、内々では自らを「元勲」または「黒幕」と自称するようになっていることも注目される。以下で述べていくように、この「元勲」もしくは「黒幕」の集団が、のちに「元老」と呼ばれるようになっていくのである。(略)

[1892年松方首相辞任後の]過程は、元老制度の形成の発端として、次の三つの点で注目できる。

 第一に、天皇がこの状況を打開するため、伊藤・山県・黒田の三人に下問したことである。(略)次章で示すように、日清戦争後の1896年秋頃から、彼らは元老と呼ばれるようになっていく。(略)

 第三に、初期議会において、政党にどのように対応するかをめぐり、藩閥内が大きく亀裂したため、元老が形成されたことである。この厳しい状況下で、松方首相の個人的力量不足も原因となって、首相が閣僚中の有力者と相談して天皇に後継首相を推薦するという[これまでの]様式を取ることができなかったからである。

 いずれにしても、元老制度の形成は、内閣で後継首相を天皇に推薦することができなくなっても、天皇が専制君主的に後継首相を決めず、藩閥内の特定の有力人物に推薦を委ねたことによって始まった。すなわち、大日本帝国憲法制定の際に、伊藤が構想した調停者としての君主機関説的天皇の役割を、明治天皇自身が理解して行動したことによって、元老制度が形成されたのである。

元老批判

 慣例によるが元老が一つの機関として定着してくると、第一に、法令・規則にもとづく他の公的な機関と同様に、元老というポストが辞任可能なポストとして論じられるようになる。たとえば、1902年12月には、伊藤博文は「専ら元老として」政友会総裁を辞任するか、あるいは「単に政友会総裁として、元老たるを辞するか」決心すべきである、と論じられた(『報知新聞』「元老か党首か」)。

(略)

[元老制度確立から]5年経った1903年2月頃になると、元老は「公職」でないので政治への関与は「私意」であるにもかかわらず、「秘密」に各元老が行き来して相談がなされている、などとジャーナリズムで元老の根拠への批判を込めた疑問が出されるようになった。

(略)

10月以降、日露戦争を避けたい日本において、日露交渉がまとまらず、ますます緊迫感が強まっていくと、日露交渉について、内閣は国民の意見を冷ややかに見ながら「資格無き」元老が「事実上の閣議」を開いている、との批判が出るようになった(略)

元老は憲法を蹂躙しているとか、憲法上の機関でない元老の政治責任はどこにあるのか(略)

大隈重信の談として、元老たちは「憲法以外に元老なる一職名」を設けて常に「君主と政府の中間」に立ち、ほしいままに内外施政に介入し責任がどこにあるのかわからなくしている[などの記事が]

北清事変、山県の台頭

北京への出兵が問題となった時(略)[首相の]山県が拝謁すると、明治天皇は清国問題について伊藤に相談するよう命じた。(略)伊藤の意見は、局面がどのように展開するのかわからないので、軽挙に走って国力を消耗しないようにしようということであった。各大臣は了解した(略)

 伊藤は、清国・韓国などの極東地域で、列強等の軍事力が対峙するのでなく、危機の時のみ共同出兵することで、新たな秩序を作り、日本の安全保障を確保しようとした。しかし、山県首相らは、北京周辺に駐兵することで日本の発言力を増し、大陸における勢力拡張に役立てようとした。山県らは帝国主義の時代に典型的な、古い安全保障観を持っていたのである。

 伊藤と山県首相の対立の結果、天皇の命があるにもかかわらず、伊藤の前言が活かされず、元老中の元老として威信を持っていた伊藤の権威が衰えていることが、確認されてしまった。これは、第三次伊藤内閣が半年ももたずに倒れたこと、さらに伊藤が天皇に推薦して成立した大隈首相の内閣(政党内閣)が四ヵ月もせずに倒れてしまった、という二年前の事件も影響していた。

 その後、憲法体制を完成させるため、1900年9月15日、伊藤は立憲政友会を創設した。(略)藩閥出身の伊藤が政党の総裁になったので、藩閥系の中で大きな反発が起きた。貴族院が伊藤内閣に反対して、予算を否決しようとしたように、伊藤は藩閥系における基盤をほとんど失ってしまう(伊藤之雄『伊藤博文』)。

 このように伊藤は、イギリス風の立憲君主制への道を進める一方、兵力の対峙による均衡ではない形で東アジアに安定した秩序を作ることを目指して、列強との新しい協調外交を進めようとした。しかし、そのたびに藩閥内での威信を弱めていったのである。

 日清戦争後、伊藤が政党に接近するのに反発した藩閥官僚たちは、反政党の姿勢を明確にし陸軍への影響力を保持していた山県に接近していき、山県が台頭していった。こうして元老の中で、伊藤と山県が並び立つようになった。

(略)

 日露の対立を緩和するため、伊藤は同年秋から米国を経て、欧州、そしてロシアのペテルブルグを訪れ、日露協商の交渉を姶めた。伊藤は、韓国を軍略的に使用しないなどの制限をつけて日本の勢力圏とし、ロシアには満州を縦断する東清鉄道の安全を守る軍隊の駐留と、満州での一定の権益の拡大を認めて協商を成立させ、ロシアを満州の他の部分から撤兵させようとした。

 伊藤の構想は、軍事力を背景に互いに独占的な勢力圏を設定するのでなく、相互に、また他の諸国も経済進出できるような、緩やかな勢力圏を設定しようというものである。イギリスが中国において展開していた自由貿易主義と基本的に同じであり、経済競争を中心とする点で、帝国主義の時代を脱却する要素も含んでいた。

 これに対し、桂首相・小村外相、元老山県らや陸・海軍幹部は、ロシアヘの強い不信感を持っていた。ロシアと交渉をまとめても、長続きするとは思われず、いずれ戦争をせざるを得ないので、日英同盟を結んでロシアとの戦争に備えるべき、との考えであった。また、彼らは日本の勢力圏をできる限り拡張し、そこではなるべく日本が排他的に経済利益を得ようとしていた。帝国主義の時代の典型的な考えであった。

(略)

 日英同盟締約という外交上の問題において、初めて元老会議が開かれたことが注目される。(略)

伊藤の威信が低下していたことも要因であった。日清戦争時までのように、天皇の外交への信頼を背景に、伊藤が一部の他の有力者と連携して藩閥全体を引っ張っていくようなことは、できなくなっていた。


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伊藤の死、桂太郎の台頭

日露戦争後に元老は権力を衰退させていったが、伊藤はそのなかで明治天皇の信任を背景として最も高い地位にあり続けた。1909年9月に伊藤が韓国統監を引退すると、天皇は山県の意向も受け、山県枢密院議長を平の枢密顧問官に格下げして、伊藤を枢密院議長に任命した。天皇はこのように、伊藤を山県より上であると、改めて公然と位置づけた。(略)

天皇は伊藤の国葬について、三条実美公爵の葬儀より上にもならず下にもならないところで式を挙げるべきである、と指示した。(略)

藩主でもなく陪臣であった者の国葬は初めてであるし、足軽だった伊藤が三条と同格というのも破格の扱いであった。(略)

 伊藤に対してここまでの心遣いをするのは、伊藤と天皇の個人的な人間関係を越えて、天皇が伊藤の外交・内政構想を支持していたからだろう。国際協調を貫き、東アジアに安定した秩序を作ることや、漸進的に政党政治への道が開かれ、国内政治も安定していくことは、公共性を重んじる明治天皇の理想でもあったと推定される。(略)

[伊藤の死後]元老中で山県の存在感が増した。しかし、山県は特に新しい行動を起こせたわけではなかった。それは、衆議院第一党の政友会を背景にした原敬や西園寺総裁と、山県系官僚閥を背景とした桂太郎との提携は続き、明治天皇も健在であったからである。(略)

第二次桂内閣から第二次西園寺内閣に政権交代した際も、桂首相が西園寺を天皇に推薦し、元老会議が開かれることなく決まった。また西園寺内閣は閣員の選定に関し、元老の意向に左右されることがなかった。(略)

 桂は山県や一般の元老をしのいで、伊藤のような抜きんでた存在になろうとしていたのである。桂が徳大寺にこのような発言[「将来、内閣に困難が生じた時には天皇の沙汰があればいつでも参内いたします」]をするのは(略)

明治天皇の信頼に加え、山県系官僚閥の居城ともいえる陸軍を山県とほぼ対等なほど掌握したことからも、自信をつけていたのである。(略)

[1911年の辛亥革命時]西園寺内閣は英米との協調の観点からも出兵に反対であり、西園寺と桂の連携も固く、山県の提言[満州出兵]は内閣のみならず陸軍中枢においても本気で受け止められなかった。元老が集団として重要な外交問題の意思決定に参加するという、日英同盟問題の頃から形成された慣行は、ほとんど消滅したといえよう。

(略)

桂が「元勲優遇」の詔勅を受けていることを考慮すると、明治天皇がもっと長生きし、第二次西園寺内閣が明治天皇の治世下で長く続いていたなら、桂は間違いなく元老になったことであろう。(略)

[しかし]経験のない大正天皇のもとで、桂は元老たちから元老として扱われず、まもなく政治的に失脚して死去した。

山県と大正天皇の力関係

[1914年後継首相が決まらない状況下で]大正天皇は山県に組閣してはどうか、と勧めた。これに対し山県は辞退したばかりか(略)下問された元老以外に勧めてはよろしくない、などと天皇に申し上げた。

(略)

この行動は明治天皇以来の天皇の言動の範囲から出ていない。この大正天皇の勧めに対して山県が、元老以外の人にこのようなことを言ってはいけないと発言するのは、極めて失礼ともいえる。混乱した政局を収拾しようと、山県が誠意を持って尽力していることを考慮しても、山県は元老制度の存続が危ぶまれる状況のなかで、焦りを表に出してしまったのだろう。

 大正天皇は、山県の発言の非礼をとがめるべきであったろう。もしくは、少し危険でもあるが、元老が諮詢に迅速に答えないから発言しているのであり、誰を首相にするかは最終的には天皇の専権である、と強気に反論するのも一策であろう。イギリス風の政党政治に好意を持つ大正天皇が実際に専権を振るうつもりがなくても、このように発言することで、山県に気後れしなくなり、元老への天皇の影響力を醸成できる。ただ、この強気の発言によって、山県ら元老が奉答辞退を申し出てくる可能性もあるので、それにうまく対応する力量が必要になるかもしれない。

 しかし、大正天皇はまったく政治教育を受けておらず、体験もない。(略)

[このやり取りで]山県を中心とする元老と大正天皇の力関係は、ほぼ確定してしまった。

脱元老の動き

[大隈内閣]組閣の直前、『東京朝日新聞』は社説で、「諮問機関は必要(元老は不可)」と題して、もはや時勢に適さなくなった元老を政界から葬り去るべき、と論じた。しかし、日本は英国のように二大政党が発達しておらず、後継内閣選定に関する確固たる先例が存在していなかったので、比較的政界の事情に通じている貴・衆両院議長と枢密院議長の三議長を新内閣選定の諮問機関とすることを提案した。

 同様に有力紙であった『東京日日新聞』や『万朝報』が、特に元老に代わる機関の設置を提案していないのは、衆議院の有力反対政党の党首が交代して組閣する慣例ができ、元老会議の選定が形式的なものになれば、新しい機関を作る必要がないと見たのであろう。

(略)

 元老をなくすか、事実上なくすというのは、かつて伊藤博文が考えたことでもあった。伊藤は、枢密院という憲法上の機関を拡充強化して元老を吸収する構想を持ったり、元老を事実上介さないで桂太郎と西園寺公望が政権交代を繰り返すのを見守ったりした。

 このような元老批判と、イギリス風の政党政治実現を急いで目指す空気が世論として強まっていることを意識し、大隈首相と加藤外相らは、元老に影響されない政治運営を行おうとする。

(略)

[日露戦争開戦を大隈内閣が閣議で決め元老の承認を求めたことに]山県は憤慨した。

次回に続く。


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