卑怯者=沼野充義の『これからどうする』(2)

(この章は昨二〇一三年十一月二十八日に書き上げていたものです)


 「これからどうする」と問われても、正直なところ、何もどうにもならないのではないか、という無力感をぬぐい去ることができない。第一線の若手として頑張ってきたつもりが、気がつけばいつの間にか、還暦もそう先のことではなくなり、たいていの座で年長者の部類に入り、なにかにつけ乾杯の音頭を取れなどと言われる年齢にさしかかってしまった。それなのに、いまだに自分のことと自分の周囲の小さな世界のことで手一杯、学生や同僚たちとの日常的な人間関係さえうまく調整できず、家庭でも息子がドラムばかりたたいていてろくに授業に出ないので心配したり、今晩のカレーは美味しく作れたと喜んだり、まあそういう次元に生きている人間なので、日本全体に関わる社会問題や、まして地球環境について何か偉そうなことを言うべき柄ではとうていなさそうだ。

沼野充義「未来の世界文学の場を創る」 『これからどうする』岩波書店 所収)


 もうひとついえば、沼野充義の「これまで原発を推進してきた頭のいい人びと」ね。「頭のいい人びと」 ── こういういいかたをすることで、沼野充義はまるで自分が「頭のいい人」ではないかのように、そうして「頭のいい人びと」からものすごく遠くにいるかのように書くわけです。
 というわけで、沼野充義のこの文章の第一段落は無効だってことです。こんなものは何の言い訳にもなりません。ただのアリバイづくりです。

 いや、それよりも私がここでいちばん驚いたのは、沼野充義が「これまで原発を推進してきた頭のいい人びと」で構成される、いわゆる「原子力ムラ」というものと彼の周辺の「ロシア文学」に関わる集団(出版社や新聞社なども含めて)に相似性を感じないでいられることなんですね。「「あれほど」のことが起こった後で」私は「原子力ムラ」についてあれこれの記述を読みながら、沼野充義を筆頭とする「ロシア文学」周辺の集団とそっくりだなあ、と思っていたものです。自分たちさえよければ、国民(読者)なんかどうだっていいという集団ですね。集団のなかに、「いや、これは間違っているんじゃないか?」という声があったとしても、封殺です。いいかげんのでたらめだらけとはいえ、かなり売れて、話題にもなった最先端=亀山郁夫の仕事を、いまさら否定するわけにはいかないぞ。ここで誰かが告発なんぞしようものなら、この世界でやっていけないようにしてやるぞ、みたいな、ね。
 そういうわけで、沼野充義が「権威的にふるまうことを嫌う我々の世代」と書いたのはちょっとしたトリックです。沼野充義はここで「権威的にふるまう」ことと「結果的に権威的にふるまっているのに等しい」ことを切り離しているんです。巧みに「あまりにも物わかりのいい優しい親であったがために、しっかり建っていた家を崩れさせてしまったのかもしれない」といいました。沼野充義は「あまりにも物わかりのいい優しい親であったがために」最先端=亀山郁夫の仕事を否定できなかった。それどころか称揚までしてしまった。新聞や雑誌やテレヴィなどが最先端=亀山郁夫訳というのはいったいどうなんだと、それを誰に訊いたらいいんだとなったときに必ず行き着くのが沼野充義です。世界的に見て、村上春樹の評判ってどうなんだ、といったときに行き着く先がやはり沼野充義であるように。それに、これは想像の域を出ませんが、光文社が「古典新訳文庫」で『カラマーゾフの兄弟』を出すと決めて、では誰を翻訳者にしたらいいのかと迷ったときに、実は沼野充義にお伺いを立てていたのかもしれません。ともあれ、沼野充義はいろんなところで最先端=亀山郁夫の仕事を称揚しまくりました。沼野充義がそうやって称揚することで最先端=亀山郁夫のいいかげんのでたらめだらけの仕事が世のなかに氾濫することになってしまった。そのとき、沼野充義は、自分ではおとなしいつもりでも、実際には「権威」だったんですよ。もちろん、沼野充義はそれを知っていました。この文章の最初の段落もここへの狡猾な布石でした。逃げ道を確保しておいたわけです。自分が非力で、大それた責任を負うだなんてとんでもないというポーズですよね。
 沼野充義はこういうことすべてを承知しています。すべてを承知しながら、自ら黙るし、誰かの声も封殺します。どうやって、それをうまくやるかというと、自分が何も知らなかった・見なかったことにするわけです。事実上の「権威」がこういうことをする。

 さて、「これまで原発を推進してきた頭のいい人びと」の仕事と沼野充義の仕事=「文学」とは全然異なる(「文学」が破綻しても死者は出ない)ので、両者を同じレヴェルで比較することはできない(「責任」の重みが全然違う)のではないか、なんてことを考えるひとがいるかもしれません。まさに沼野充義がそのひとりで、この後でそれをさらに強調する(ということは、さらに沼野充義の「責任」を軽くする)文章を連ねるんですね。「文学」というものを、実に頼りない、衰えたものであるかのように語って、読者の哀れを誘おうとするわけです。この文章の最初の段落でやったことを「文学」についてやればいいわけです。全部他人事です。沼野充義の自己申告では、彼自身の「責任」はどこにもありゃしません。

 そうして、こう書きます。

 こういう事態を前にして、宗教や哲学とは違う持ち場を守ってきた文学にも出番もあるのではないだろうか。全体として形勢が文学にとってあまり芳しくないことは、私自身、よく承知している。そもそも二〇世紀の後半から、文学はもう死んだとか、文学はもはや現代社会には無用の長物ではないか、といった懐疑的な声がさまざまな立場からしばしば聞かれるようになってきた。その理由や背景はいくつもある。まず、第二次世界大戦、特にホロコーストや原爆がもたらした精神的荒廃の結果、人類はもはや文学の美しい世界には遊べなくなったのではないか、という絶望的な考え方。
 さらに、文学そのものの発展の行き詰まりという内的な問題もあった。二〇世紀に入ってから欧米の文学は、未来主義、シュルレアリズム、そしてジョイスの小説に見られるような過激な言語実験などの前衛的な試みを経て、ついにこれ以上先には行けない、という袋小路にはまりこんでしまったのではないか。残された可能性は、面白く消費される娯楽的な読み物だけである。
 また二〇世紀後半には、科学技術の飛躍的な向上により、映画、テレビから、さらにはコンピュータ・インターネット関連の電子的メディアが誰も想像できないような勢いで発展し、活字文化を圧倒するほどになった。こういった状況の中で、はたして文学は、いや、そもそも書物は、いまのままの形で、これから先、二一世紀を生き延びられるのだろうか?

(同)


 ある種の読者は右の文章を読んでコロリと騙されるでしょう。何かためになることを読んだ気がするかもしれません。まあ、そんなひとはもうどうしようもないんです。
 それはともかく、ここで沼野充義は「第二次世界大戦、特にホロコーストや原爆がもたらした精神的荒廃の結果、人類はもはや文学の美しい世界には遊べなくなったのではないか、という絶望的な考え方」なんて、すらすらと知ったようなことを書いていますが、ついさっきまでは現在の自分について「そんなことを思うようになった決定的なきっかけは、やはり、二〇一一年の大震災だった。今から考えると、起こったこと以上に怖いのは、「あれほど」のことが起こった後では人は前と同じではいられないだろう、と当初抱いた期待が見事に裏切られたという事態ではないか」なんて書いていたんですよ。おかしくないですか? これがおかしいという理由をいま私は明確に説明することができませんが、ものすごい違和感があって、それはたぶん「人類はもはや文学の美しい世界には遊べなくなったのではないか、という絶望的な考え方」という沼野充義のまとめかたにも起因しています。「第二次世界大戦、特にホロコーストや原爆がもたらした精神的荒廃の結果、人類はもはや文学の美しい世界には遊べなくなったのではないか、という絶望的な考え方」というのは、いろんな意味に解釈できるでしょうが、そのひとつとして、たぶん、こういうふうにいい換えることができるのじゃないでしょうか? 「第二次大戦、特にホロコーストや原爆がもたらした精神的荒廃の結果、人類はもはや人類を信じることができなくなった・人類をよきものとして信じることができなくなったので、もはや人類をよきものとして肯定することを前提に書かれてきた文学の美しい世界には遊べなくなったのではないか、という絶望的な考え方」。そう書く沼野充義が二〇一一年の大震災の後で、とりあえずは「今から考えると、起こったこと以上に怖いのは、「あれほど」のことが起こった後では人は前と同じではいられないだろう」と書いたんです。沼野充義がそう思ったということは、彼が「第二次大戦、特にホロコーストや原爆」から半世紀以上を経た現在の日本においても「人類をよきものとして信じ」ていることの証拠じゃないですか? そうして、「人類はもはや文学の美しい世界には遊べなくなったのではないか、という絶望的な考え方」の「絶望的な考え方」というのは、沼野充義が「人類はもはや文学の美しい世界には遊べなくなったのではないか」という「考え方」を「絶望的」だと考えているということですよね。「人類をよきものとして信じ」ていて、「人類はもはや文学の美しい世界には遊べなくなったのではないか」という「考え方」を「絶望的」だと考えている沼野充義は、自らに照らして「そもそも二〇世紀の後半から、文学はもう死んだとか、文学はもはや現代社会には無用の長物ではないか、といった懐疑的な声がさまざまな立場からしばしば聞かれるようになってきた」なんてことをそのまますらすらと書いていいんでしょうか? 沼野充義にそうすることへの大きい引っかかりがあるはずじゃないでしょうか? 何なら、徹底的に反論すべきなのでは? でも、沼野充義はそんなことはしません。彼は、平気ですらすらとこの「絶望的な考え方」の存在を既定の事実として、単にそういう「考え方」があることを認識していて、それを単に「知識」として披露したまでのことです。これが「これまで原発を推進してきた頭のいい人びと」のやってきて、いまなおやりつづけていることと、どこが違うんですか? 「原発は危険だ」という「考え方」を単に「知識」のレヴェルで、つまり頭のなかで処理・整理することはしても、「こんな危険なものに手をつけてはいけない」とか「自分は何と恐ろしいものを推進しようとしているのか?」に結びつけることをしないのが「これまで原発を推進してきた頭のいい人びと」でしょう。だから、沼野充義が「起こったこと以上に怖いのは、「あれほど」のことが起こった後では人は前と同じではいられないだろう、と当初抱いた期待が見事に裏切られたという事態ではないか」なんていって、自分と「これまで原発を推進してきた頭のいい人びと」とを区別しようとしている・見せようとしているのは詐欺です。「これまで原発を推進してきた頭のいい人びと(のひとり)」と沼野充義は等号で結ばれます。ということは、沼野充義の「そんなことを思うようになった決定的なきっかけは、やはり、二〇一一年の大震災だった。今から考えると、起こったこと以上に怖いのは、「あれほど」のことが起こった後では人は前と同じではいられないだろう、と当初抱いた期待が見事に裏切られたという事態ではないか」というのは大嘘で、読者を騙すために自らのアリバイをつくっただけです。沼野充義にとっては、頭のなかで処理・整理するだけの「人類はもはや文学の美しい世界には遊べなくなったのではないか」という「考え方」の方が勝っていて、「今から考えると、起こったこと以上に怖いのは、「あれほど」のことが起こった後では人は前と同じではいられないだろう」など本当はどうでもいいんです。この点ですよ、私がずっと ── 前章で書きました ── 「勇気や信念」ということで考えていたのは。「勇気や信念」のあるひとならば、絶対に沼野充義=「これまで原発を推進してきた頭のいい人びと(のひとり)」のようには考えません。

 それとはべつに「第二次世界大戦、特にホロコーストや原爆がもたらした精神的荒廃の結果、人類はもはや文学の美しい世界には遊べなくなったのではないか、という絶望的な考え方」そのものについていえば、もちろん私はカート・ヴォネガットのこれをも思い浮かべています。

 あるときローズウォーターがビリーにおもしろいことをいった。SFではないが、これも本の話である。人生について知るべきことは、すべてフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と彼はいうのだった。そしてこうつけ加えた、「だけどもう、それだけじゃ足りないんだ


 さて、私は何を話していたんでしたか? ああ、沼野充義でしたね。
 私は沼野充義お気楽な文章に憤りを感じます。この文章のどこにも本当の沼野充義はいないんです。あるのは、責任逃れの煙幕だけです。いや、どこにも本当の沼野充義のいないことが、まさに本当の沼野充義なんです。

 さて、後で公開する『さあ、東大・沼野教授と新しい「読み」の冒険に出かけよう!』でも引用していますが、 ──

「傍観者」という性質は、学術一般の性質に見られるのです。「傍観者」が「客観性」のフリをしていると言ってもよいかもしれません。

(安富歩『原発危機と「東大話法」』 明石書店


 ── です。まさに沼野充義です。

(つづく)