奈良・まき向遺跡から卑弥呼宮殿の一角?

奈良県の遺跡から、邪馬台国卑弥呼の宮殿跡との見方もある三世紀前半の建物跡などが見つかったそうです。

今回、日本国民の多くが誤解、誤認しているある事実についてお知らせしたいのです。


それは卑弥呼とか、邪馬台国とかいった名称の存在は、日本のいかなる古文献にも、古事記、日本書記といった文献にもまったく記述されていないということです。

その名称は、「魏志倭人伝」という中国の歴史書に書いているのです。ここで、皆さんに知ってもらいたいのは、中国の歴史書ほど、偽造、ねつ造、誤謬が多い歴史書はないという事実です。



魏志倭人伝は、三国志時代の書物です。
この書物の著者は明らかに日本には行っていないのです。
地理的にも間違った内容を書いていることからも明白です。

日本のその当時の政権や為政者の実情を知ることもなく、伝聞と推定と、中華思想にもとづく日本蔑視の味方から、当時の伝承を適当に書いたものなのです。

その証拠に邪馬台国の表記には、「邪」という字を、卑弥呼の表記には「卑」という字を用いています。よこしまでいやしい国だというわけです。

これこそが日本を蔑視して書いている証拠です。

では、この時代の日本に卑弥呼邪馬台国と表現されうる政権や国家はあったのでしょうか?

歴史研究家である井沢元彦先生は、邪馬台国とは、大和朝廷であり、卑弥呼とは神功皇后(じんぐうこうごう)であろうと推定されています。

神功皇后は、夫である第十四代仲哀天皇の亡きあと、武内宿禰(たけのうちのすくね)を宰相として三韓征伐を行った事跡があります。

神功皇后の時代に九州地方に反乱が多発しました。「反乱は朝鮮半島馬韓弁韓、唇韓の三韓が背後で糸を引いているからだ」との住吉大神様のご神示を受けて、自ら船団を率いて征伐に赴きました。

三韓神功皇后の気迫、住吉大神の神威により、戦う前に降服し、以後、日本の属国になったとされています。

この時の伝承が日本蔑視の悪意により捻じ曲げられた結果、卑弥呼だの邪馬台国だのといったものになったのです。

神功皇后は神様のメッセージを受けて政治をされたシャーマンであり、実際の政務は武内宿禰が取り仕切っていたようですから、卑弥呼の伝承に近いものがあります。


神功皇后は、その事跡にまつわる神社が全国に残っています。

山口県下関市長門国一之宮の住吉神社には、三韓征伐を守護した住吉大神の荒魂(あらみたま)が祀られ、大阪の摂津国一之宮の住吉大社には、住吉大神の和魂(にぎみたま)が祀られています。

いずれも神功皇后へご神示がおりて神社が創建されたのです。
同様に三韓征伐からのご帰還の途中で立ち寄られたところに生田神社、長田神社などが創建されました。

大阪の茨木市には、神功皇后が顔を洗った泉のあった場所に疣水神社があります。

このような歴史伝承がしっかり残っているものを歴史教科書で教えるべきなのですが、いまの歴史教科書には、卑弥呼はあっても神功皇后はありません。

邪馬台国はあっても武内宿禰はありません。

日本の歴史学界や教育学界が、愛国心を否定する反日イデオロギーで染まっている証拠です。

どこの国でも自国の歴史教育で、建国神話などの伝承をきっちり教えています。建国神話やその周辺の伝承をまったく教えないのは、日本の小学校、中学校、高校の最大の問題です。

日本の国に正しい歴史教育がよみがえるように神仏に祈っていくしかありません。

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