2012-01-28
「団地団V 〜だんちのよあけ」感想
「団地団 〜ベランダから見渡す映画論〜」の出版記念トークイベント「団地団V 〜だんちのよあけ」に行ってきた。『ぼくらのよあけ』作者の今井哲也氏を迎えて、3時間以上に渡って団地への愛にあふれるトークが繰り広げられた。
- 作者: 大山顕,佐藤大,速水健朗
- 出版社/メーカー: キネマ旬報社
- 発売日: 2012/01/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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- 作者: 今井哲也
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/06/23
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- 作者: 今井哲也
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/11/22
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『ぼくらのよあけ』と団地の関係については色々と知りたいことがあったので、これは行かねばと思い駆け付けた。今井さんは後半から登場だったのだが、そもそも前半が団地妻で盛り上がりすぎて40分ほど押し、9時くらいから壇上に上がった。
しかしゲストを呼びつつもここまでゲストにはしゃべらせずひたすら周りがゲストおよびその作品への愛を朗々と語るイベントと言うのは、そうそうないのではないか。というくらいに団地団の「ぼくらのよあけ」に対する愛が伝わってきた。それほどまでに今井さんが阿佐ヶ谷住宅含めて団地についてきちんと取材をしてあの漫画を描いたということなのだろう。
以下、『ぼくらのよあけ』の話題を中心に、団地団と今井さんのやり取りで面白かったものをまとめてみた。
団地団一同:何故阿佐ヶ谷住宅なのか
今井:最初は団地を舞台にするつもりではなかった。宇宙船のパーツが各地に散らばっており、それを集めて回る話だった。
もともと「明るい未来を描いた作品が最近ない」というところから始まっているので、レトロフューチャーを描こうという話だった。なんで団地になったのかは……覚えてない。
今井:『ぼくらのよあけ』はかなりドラえもんを意識していた。ドラえもんは今と変わらない日常の風景の中で、ドラえもん自身や未来の道具が自然に受けいれられている。ぼくらのよあけも、リアルな2038年を描きつつ、いくつか明らかに説明のつかないものを描いている。オートボットはそれ。そして阿佐ヶ谷住宅も、同じように説明のつかないもののひとつ。なんで2038年に残っているのか、僕にも分からない。
大山:団地に描写が素晴らしい!
今井:あれ、実は3DCG。連載なのでどうやって団地を書き続けるかが課題だった。ロケハンにCGチームの人も一緒に行って、写真からCGを起こしてもらった。ちなみに人工衛星も3DCGだけど、これはなぜかイニシャルDの監督が描いてくれた。
大山:団地団本で章ごとの扉絵を描いてもらったが、なぜ第三章の扉絵は都営矢川北アパートなのか?良い団地だけどマイナー過ぎるでしょ!
今井:別の団地に行こうとしていて、たまたま電車を降り過ごしてしまい、降りた駅が都営矢川北アパートの最寄り駅だった。反対側の電車に乗ろうとしたら、駅から団地が見えたので、寄ってみたらすごくおもしろい団地だった。都営矢川北アパートは阿佐ヶ谷住宅についで舞台の候補地だった。
他にも今井さんが「団地もキャラクターの1つ」と名言感あふれるセリフを残したりと、『ぼくらのよあけ』ファンにはたまらないイベントだったと思う。
あと大山さんが「阿佐ヶ谷住宅含めて、多くの団地は地理的に不利な場所に立っており、その地理的制約に必要な機能を詰め込んだので一見すると不可思議な形態になることがある」といった趣旨の話をしており、面白いと思った。大山さんはおそらくこうした機能が形態を決定するというか、ほぼ機能がそのまま露わになったような形態が好きなんだろう。「公団の団地は好きだけど同潤会アパートは好きじゃない」みたいな心境はそういう話を聞くとああなるほどと思う。センス闘争の行きつく果て、みたいな気もするけれど、その道を極めていて非常に面白かった。
またこのイベントの数日前に阿佐ヶ谷住宅に行ってみたのだが、不思議な空間だった。住宅街の中にごく自然に溶け込んでおり、どこが境目なのか分かりづらいかたちになっている。建て替え計画が進んでおり半分廃墟のように見えるのがその不思議さの一因ではあるのだけど、一番の原因はあの緑の多さだろう。当時緑が何もなかったので住民が頑張って緑化運動をしたらしいのだが、それらがきちんと管理されかつ年月がたって鳥や風で運ばれてきた植物も一緒に生い茂り、かなり周りとは違う環境が出来上がっている。あの過剰なまでの緑とテラスハウスの雰囲気が混じって、独特の空間を作っているように思う。
2012-01-26
「偶然」は「必然」に勝てるのか? Facebook vs Google
クーリエ・ジャポンの3月号に「Faceobook vs Google 「ウェブの未来」を賭けた戦いが始まった」という論考が載っていた。元はアメリカのフォーチュン紙の記事。
COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2012年 03月号 [雑誌]
- 出版社/メーカー: 講談社
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Googleは昨年7月、ソーシャルの土俵でGoogle+という武器を引っ提げてFacebookに宣戦布告した。そのことを主にビジネス周りのトピックを中心に書いている。GoogleはWebの中心に鎮座してきたが、FacebookのようなGoogleのクローラーが届かない領域が拡大するとビジネスに支障が出る。人々が情報を得る過程でFacebookおよびそれと連携したWebサービスを使うようになれば、Googleを「中抜き」する可能性が出てくる。そしてFacebookの規模は今や看過できない規模にまで膨れ上がってしまった。かくてGoogleは元Appleのポール・アダムスを使ってGoogle+を設計し、ソーシャルの世界に三度参入した……というお話。
この記事は、最近発表されたGoogle+と検索の密接な結合をきちんと予測している。また今後GoogleがAndroid端末にGoogle+をより直接的な形で統合することも予測している。これはフォーチュン誌以外でも耳にする予測で、僕も十分ありうると思っている。というかそのくらいしか勝ち目はないのでは、と思っている。
記事ではGoogleがかなりの勢いで追い上げているぜ!という論調になっているが、そもそもFacebookが本当にGoogleを脅かす存在なのだろうか。長期的なスパンはさておき、今現在の話をすると、そうでもないのではないか。
Googleのビジネス上の強さは、検索という行動とお金の結びつきやすさにある。検索は「これが欲しい」「これが気になっている」という意志を顕在化させる。すでにある意志や意欲を上手く「刈り取り」、広告主の元へ誘導することで、広告主にとっても有益なユーザー=顧客を引き合わせている。Googleの収益源は、ほとんどがこの検索連動型広告だ。
一方のFacebookもメインは広告事業だ。だがFacebookの広告は基本的に属性ターゲティング型の広告であり、広告主は狙いたいユーザーの属性を細かく指定して打つタイプのものだ。だがこれは検索のように顕在化した意志を刈り取るタイプのものではなく、「刺さる」可能性は必ずしも高くない。ここはまだFacebookの課題であり、逆に伸びしろのある部分だろう。
確かにFacebookは伸びているが、その収益スキームはGoogleの検索連動型広告ほど高効率ではない。そしてソーシャルグラフをベースにした広告はなかなか難しい。昨年行われた開発者向けイベント「f8」でザッカーバーグはしきりに「セレンディピティ」を強調したが、彼のいうソーシャルグラフを通じた偶然の発見は、Googleの検索連動型広告にある「必然を装う」という行為から最も遠い。検索連動型広告は、それが広告であるにも関わらず、ある種の必然をユーザーに対して装うことができる。しかし偶然の発見は、広告主の意図によってもたらされるものではない。広告としては、効率が悪すぎる。
そんなわけで、収益を支える要の部分はまだFacebookは弱く、Googleに軍配が上がる。
では過去も含めて、もっと長期的なスパンでGoogleとFacebookを比較した時には?
という話を「ねとぽよ」という同人誌で書いています。サンプルがこちらから見れるので是非。
2012-01-23
Facebookは「Webのダッシュボード」になるか
OpenGraphのスタート
FacebookのOpenGraph戦略が発表されてしばらくたったが、先日ついに対応アプリがローンチされた。中には「Pinterest」など、今話題のWebサービスも含まれている。
Facebook「Open Graph」開始、タイムラインアプリによるソーシャルエクスペリエンス革命 【増田(@maskin)真樹】 : TechWave
Facebookにログインしたまま、Facebookの外にあるWebサービスを使うと、そのことがFacebook側に通知される。それは単に「いいねといっています」レベルではない。何をしているのか、例えばPinterestでどんなボードをフォローしたのか、など。
こうしてOpenGraph対応のWebサービスが普及すると、何が起きるのだろう。1つはFacebookの内と外の境界が薄れていく。それはFacebookを見ていれば、Webで起きていることが「すべて」分かる。すべて、にカッコをつけたのは当然自分と繋がりがある人のアクションしかFacebook上では共有できないからなのだが、それがWebの「すべて」になる日が来るかもしれない、ということだ。Facebookの行きつく先は、「Webのダッシュボード」かもしれない。
ねとぽよ宣伝タイム
ということで、FacebookをGoogle+と比較した「Google vs Facebook〜<近代化>するWebと半透明な未来」を同人誌『ねとぽよ』に書いています。
[連載企画]ねとぽよたちへの7の質問〜@klov(Google vs facebook記事担当)編 - ねとぽよ
「世界の近代化には情報の整理・分類というプロセスが大きく関わっていて、Googleも同じやり方でWebを近代化させたよね。でもリアルの世界の近代化が途中で方向性が変わったように、Webの近代化も同じようにまっすぐにはいかないかもね。Facebookはその証左の1つかもね」というお話です。プロのデザイナーの手によって作られた美しいデザインの電子書籍。Webから買えるので、ぜひよろしくお願いします。
2012-01-09
「代官山 T-SITE」の「蔦屋書店」に行ってきた
先月オープンした「代官山 T-SITE」の「蔦屋書店」、いわゆる「大人のツタヤ」に行ってきたので雑感。
3,40分しかいなかったのだけど、良くできていると思った。2階建て(3階もあるようだけどスタッフオンリーの模様)の建物が3つ並んでいる。
http://tsite.jp/daikanyama/store-service/
面白かった点
- この3つの建物を貫くのが、「マガジンズトリート」と呼ばれる雑誌を両サイドに並べた道。建物ごとに扱っているテーマは違うが、そのテーマごとの雑誌が3つの建物をつないでいる。ただ実際に行った時には気付かなかった。後で調べて気付いた。
- エスカレータの段差のうち、こちら側を向いている面に次のフロアのテーマ(映画だったら「movie」)が書いてある。文字だと表現しづらいけど、乗る前に視線を無理に上げることなく行き先を確認できる。
- 普通の書店のように、棚置きの下に平積み、ではなく棚と平積みが分かれている。平積みは平積みで小さな小島を形成するように配置されており、テーマがわりと分かりやすい(明記されているともっと面白いんだけど)。
- スターバックスがあるのだが、スタバのエリア以外にもあちこちにソファーが置いてあり、飲み物を飲める。本を読める。
あとから調べてみたこと
- 何の跡地に立っているのか気になったので調べてみると、NTTとノースウエスト航空の社宅跡地とのこと。T-SITEのウェブサイトには「水戸の徳川邸屋敷跡地」とかかっこいいことかいてあるけどいきなりそれはないだろうと思ったら。ちなみにここのNTTの社宅は昭和30年代ごろ出来たもののようで、公団住宅に似ている。
気になっていること
- デザイナーに原研哉を使っているものの、ここを見るとそれ以外は正直知名度が高い人を使っています!というわけではなさそう。場所と外観を考えると、隣接しているヒルサイドテラスを意識しているのは明らか。というか代官山におけるヒルサイドテラスの持つ文脈が強すぎるので、多分それを壊さないように、建築設計ではあまり個性の強く出過ぎない人を使ったんだろうか。
- セレクトショップっぽいイメージを持つけれど、別にそういうわけでもなく、本のカテゴライズ等はおおよそ普通。品数の豊富さはあるけれど、もう少しその時々のテーマを出すようにしないとリピーターが付かないのでは。松丸本舗の2〜3歩手前、みたいな。
- ビジネスモデルが気になる。CCCがリアルの店舗の扱いに困っていて、さっさとウェブに移行したいのに捨てるには大きすぎるし活かすには赤字店舗があるしとジレンマに陥っている話はたまに聞くが、この代官山 T-SITEをどう使うのだろう。見たところ、書店を中心としつつもその他の商業施設含めた総合文化エリアみたいな形で売っていく感じはする。代官山以外にも、その土地の持つ文脈を上手く活かしつつ高級路線で展開することはできそう。代官山の文脈を上手く使っているけれど、代官山でしかできない手法ではない。ショッピングモールのある種の進化系、といったら言い過ぎだろうか。
2011-11-22
『ぼくらのよあけ』における団地の意味
- 作者: 今井哲也
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/11/22
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『ぼくらのよあけ』第2巻が発売されたよやったねエントリー。
すべての時間を貫通する存在として
レトロ・フューチャーという言葉がある。
「19世紀後期から20世紀中期までの人々が描いた未来像」への懐古趣味や、当時のそういった描写を好み熱中する(現実の未来と比較し、郷愁性を楽しむ)ことを指す。
『ぼくらのよあけ』は、レトロ・フューチャーの枠組みを用いつつ、登場するガジェットは、現代の科学(2011年)の延長線上になっている、そんな構図なのではないかなと思う。この漫画に出てくる未来的なガジェットは、第一巻の感想エントリで書いたように、非常にリアリティに満ちて描かれている。そのためガジェットそのものを取り出せばレトロ・フューチャーではない。ただ「宇宙に憧れる主人公」「技術によって人間の生活が便利になった世界」「高度な会話機能を持つアンドロイド」という大きな枠組みは、かつて描かれた進歩主義的な未来に近いものを感じる。
その時、「大きな枠組みとしての過去(〜1960年代くらい)」と「ガジェットの元ネタとしての現在(2011年)」と「漫画の舞台としての未来(2038年)」を貫通するのは、団地(阿佐ヶ谷住宅)である。団地のモデルとなっている阿佐ヶ谷住宅は、物語のモチーフとなっている過去と現在、そして舞台である未来いずれにも存在している。ただ一つ、この3つの時間に共通する要素である。
図にすると以下のようになる。
記憶が引き継がれる舞台として
もちろん、阿佐ヶ谷住宅は2038年まで残っている保証のある建物ではないし、たとえあったとしてもその先すぐになくなってしまうかもしれない。その程度には古い建物である。けれど例えこの団地が消えても、この団地で生まれた物語の記憶は残り続ける。『ぼくらのよあけ』は親子の物語でもあり、他者とともにいた記憶=思い出が引き継がれていく物語でもある。そうした記憶を引き継ぐ文字通り橋渡しの役割をこの団地は持っていた。過去-現代-未来とこの漫画で使われている時間のすべてに存在しうる「団地」という場所が、この橋渡しの場所として使われたのは、作者にそういう意図があったかどうかは別として非常に良くできていると思う。ここで引き継がれた記憶は、たとえ団地がなくなっても、さらにその先の未来に引き継がれていく。
良い漫画でした。



