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kojitakenの日記

2018-07-23 「都会保守」に忖度して「緊縮財政を主張する一部左派知識人」の重罪

「都会保守」に忖度して「緊縮財政を主張する一部左派知識人」の重罪

下記『広島瀬戸内新聞ニュース』の記事を読んで思ったことを書く。

都会のプチブルインテリに忖度した結果、安倍自民党に勝てない左派・リベラル【備忘録】 : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)2018年7月22日

日本の場合は、長年、財政出動金丸信みたいな土建国家(ハコモノつくりまくり)のイメージがあって、それへのアンチとして、東京とか神奈川ののプチブルインテリの間で緊縮が受けた面はあると思います。

「田舎にばらまきやがってけしからん」的な感じです。

神奈川県の長洲知事は、日本社会党右派の代表的なイデオローグでしたが、彼が小泉的な行革手法を実は最初にやっているのです。

小泉純一郎さんが、大都市部で受けたのもそれでしょう。

緊縮財政を主張する一部左派知識人は、欧州の最新の知識を摂取していないと言うよりも、有権者意識、特に大都市プチブル・インテリの「財政出動は田舎へのバラマキだから怪しからん」的な意識に忖度しているだけでは無いかと思うことがあります。

小池百合子さんが一時バカ受けしたのも、「田舎へばらまく安倍晋三」へのアンチテーゼとして受けた面があると思う。戦前で言えば立憲民政党

安倍自民党立憲政友会みたいなイメージで受け取られている感があります。

左派知識人大都市プチブルインテリに過剰に忖度しないで欲しいと思う。

ちなみに、安倍自民党は、今次の水害でも補正予算を組もうともしないから、田舎バラマキですらないのです。

だが旧民主党とかのほうが、緊縮イメージを醸し出してしまい、安倍自民党が得をしていますね。

災害現場を見れば、分かるのですが、ボランティアでやるより、土建屋さんに公共事業で土砂を除去してもらった方が早いのは明白です。(公衆衛生上も、不衛生を放置すれば回りに迷惑が及ぶのだから公共事業でやるべきと思いますしね。)だから、極端な土建屋敵視も間違いだと思います。

この文章を読んで思い出したのは、3か月前に枝野幸男が発した下記のツイートだ。

https://twitter.com/edanoyukio0531/status/985749869766762496

私は、現在の消費不況の下では、緊縮は無理だし、消費に悪影響を及ぼす大衆増税はダメだと明確に申し上げています。(後略)

22:20 - 2018年4月15日

上記枝野ツイートは、下記ツイートへの返信として書かれた。

https://twitter.com/m3p0byqoAzOGiBA/status/985748173619523585

例えば石破や枝野だと緊縮増税政策になるかと思いますが、それでいいのですか。デフレに戻り失業者自殺者がまた増えると思いますが。(後略)

22:14 - 2018年4月15日

実際には、『広島瀬戸内新聞ニュース』の記事が指摘する通り、「安倍自民党は、今次の水害でも補正予算を組もうともしない」、つまり安倍政権こそ緊縮志向であるという事実があり(菊池誠などはこの事実から目を背けるというとんでもない知的不誠実さを日々露呈し続けている)、かつ枝野ツイートから容易に看て取れる通り、立憲民主党の支持者さえその気になれば、同党が「反緊縮」を打ち出すことも可能だと思われるのだが、私の見るところ、同党の熱心な支持層、その多くが『広島瀬戸内新聞ニュース』の記事が「東京とか神奈川プチブルインテリ」(私の表現では「都会保守」)と呼んでいる人たちがそれを妨げている。「土台が上部構造を規定する」というやつだが、これは何もマルクス主義の専売特許ではなく、晩年のガルブレイスも米レーガン政権の政策について同様のことを言っている。この言葉を政党政治や大統領制に当てはめれば、政治家は支持者が欲する政策しかできないということだ。立憲民主党の場合は、熱心な支持層に「緊縮志向」が強いのだが、昨年の衆院選で同党を躍進させた無党派層の多くは緊縮を嫌う。これは、たとえば小泉純一郎政権などの緊縮志向の経済政策によって自らの生活が打撃を受けた人が多いことを考えれば当然のことだ。そうした無党派層が、熱心な支持層に引きずられて緊縮志向(新自由主義色)を強める立憲民主党を見放しつつあるのが現状だろうと思う。

広島瀬戸内新聞ニュース』が指摘する「緊縮財政を主張する一部左派知識人」というのは、そんな立憲民主党のコアな支持層のような人たちに媚びて、野党への支持をも「緊縮」させているどうしようもなく罪深い人たちと評するほかないのではなかろうか。そんなことを思う今日この頃だ。

2018-07-22 松尾匡による白井聡『国体論』批判には溜飲が下がったが……

松尾匡による白井聡『国体論』批判には溜飲が下がったが……

コメント欄*1で杉山真大(id:mtcedar)さんに教えていただいた松尾匡による白井聡国体論 - 菊と星条旗』(集英社新書)に対する批判に溜飲が下がった。

その中から、現天皇が一昨年に発した「お言葉」に対する白井聡評価批判するくだりに焦点を当てて、これを紹介する。

『そろ左派』反響と白井聡『国体論』感想と太郎フィリバスター2018年7月9日)より

(前略)

 『国体論』は、アメリカから自立できさえすればともかく解決という論調に終始しているように読めます。現実に対米自立が実現したらどんな自立になる可能性が一番高いかということについて、怖い想定を何もしていないところが不満なところです。その意味でこの本は、労働者階級の立場に立つかどうかという意味では全く左翼的でない人たちでも、帝国主義志向を持った人たちだったとしても、「そうだそうだ」と喝采して読める本です。

 そうするとこの本のオチが、今上天皇の退位問題をめぐる「お言葉」への「共感と敬意」と「応答」の呼びかけで終わっていることは、いささか衝撃的でした。この「お言葉」が、「古くは後醍醐天皇による討幕の綸旨や、より新しくは孝明天皇による攘夷決行の命令、明治天皇による五箇条の御誓文、そして昭和天皇玉音放送といった系譜に連なるもの」(338ページ)とみなしたとき、当初私は白井さんは当然これを批判して言っているものと受け取っていましたよ。「アメリカを事実上の天皇と仰ぐ国体において、日本人は霊的一体性を本当に保つことができるのか、という問い」(同)に、日本人が「それでいいのだ」と答えたならば、「天皇の祈りは無用であるとの宣告にほかならない」(同)と書いてあるのを読んだとき、当初私は、今上天皇のおかれた立場の矛盾に対するシニカルな指摘なのだと思っていました。でも違ったのです。

 白井さんは最後で、「お言葉」について、「今上天皇の今回の決断に対する人間としての共感と敬意」(339ページ)を表明し、「この人は、何かと闘っており、その闘いには義がある」(340ページ)と「確信」(同)し、「お言葉」の呼びかけに「応答せねばならない」(同)と感じたと言うのです。そして最後は次のように締められています。

*********

 「お言葉」が歴史の転換を画するものでありうるということは、その可能性を持つということ、言い換えれば、潜在的にそうであるにすぎない。その潜在性・可能性を現実態に転化することができるのは、民衆の力だけである。

 民主主義とは、その力の発動に与えられた名前である。(同)

*********

 す…すごい。つまり、後醍醐天皇の討幕の綸旨などと同様に、「日本人の霊的一体性を保つための天皇の祈りを意味のあるものにしてほしい」という天皇の「お言葉」に応答して民衆が立ち上がり、アメリカ傀儡安倍政権が代表する戦後対米従属レジームを打倒して、歴史の転換が画されることを訴えているわけです!

 私の鼎談書の鼎談相手の一人である北田暁大さんも、このほど新刊書『終わらない「失われた20年」』(筑摩書房)を出されています。この中に収録されている原武史さんとの対談(292-296ページ)では、まさしくこの今上天皇の「お言葉」が取り上げられています。

 ここでは「お言葉」について、北田さんは「政治・立法過程を吹っ飛ばして国民との一体性を表明する」「憲法の規定する国事行為を超えた行動」と評し、「天皇の政治的な力を見せつけられました」と言っています。原さんは「憲法で規定された国事行為よりも、憲法で規定されていない宮中祭祀と御幸こそが「象徴」の中核なのだ、ということを天皇自身が雄弁に語った」とし、「御幸」の効果について、「実は国体継承されているのではないか。昭和との連続性を感じます。イデオロギッシュだった国体の姿が、より一人一人の身体感覚として染み渡っていく」と解説しています。最後に、北田さんは、「今回のお言葉で目が覚めました。「これはむき出しの権力だ」と」と言って締めています。もちろん、批判して言っているのです。

 私も生前退位は認めるべきだと固く思うし、政治家が言うこと聞いてくれないならば国民に訴えるのもありだと思いますが、だとしたら「私の人権を認めろ」とおっしゃればよかったのだと思います。「お言葉」はそれにとどまらない、日本の政治体制のあり方をめぐる高度に政治的なメッセージを込めた、憲法を超えた天皇権限の行使だと言えます。そしてそのことを十分認識した上でその評価が大きく分かれる点に、白井さんと、北田さん原さんとの間の根本的な立場性の違いが現れているのだと思います。

(後略)

(『松尾匡のページ』より)

引用文中青字ボールドにした部分は原武史の言葉だが、白井聡が主張するような「国体」が天皇からアメリカに変わった、などというより、戦前から一貫して同じ天皇を戴く「国体継承されているのではないか」という原武史の指摘の方がはるかに説得力が強い。

この日記にも何度か書いたように、私は今年最初の3か月間に、私は松本清張の絶筆の長篇『神々の乱心』と合わせて原氏の本やNHKEテレテレビ講座100分de名著』の番組及びテキストに接し、感心もしたし大いに影響を受けていたので、白井聡の『国体論』を読んだ時、原武史白井聡とはなんて隔絶した態度なのか、雲泥の差(もちろん白井聡が「泥」)ではないかと思っていた。それを松尾匡がずばり指摘していたので、氏の文章を読んで大いに溜飲を下げた次第だ。

また、上記松尾匡による白井聡批判は、以前にこの日記で紹介した*2中島岳志による

この(白井聡の=引用者註)構想は危ない。君民一体の国体によって、君側の奸を撃つという昭和維新イマジネーションが投入されているからだ。

という同じ本に対する批判*3と相通じることも指摘しておきたい。中島岳志はそのあとに余計な文章を書いてせっかくの批判を弱めてしまっているが、松尾匡の文章にはそれもない。

松尾匡批判白井聡は大きなショックを受けたらしく、「大阪労働学校のご自分の講義の一回をまるまるあてて」反論したらしいが、松尾匡はそれに対するコメントも書いている。その中から、再び天皇の「お言葉」について書かれた部分を抜粋して紹介する。

白井聡さんの反論白熱講義2018年7月11日)

(前略)

 天皇の「お言葉」の話もこの同じ文脈で言っていることです。白井さんは「お言葉」はひとつのきっかけにすぎないとおっしゃっていました。たとえきっかけでも、天皇の声に応答して、しかもその声が国民統合の仕事をさせてくれという声で、しかもその仕事が霊的な「祈り」である時に、現れる可能性が一番高いのは、やはり右翼ナショナリズムの運動でしょう。歴史のはずみがつけばそれが地域帝国主義体制を生みだす危険は杞憂ではないと思います。

 天皇の「お言葉」に世の腐朽がここまできたのかということを感じるのはひとつの興味深い提起だと思いますが、それを実践につなげるような締め方は、なくてもよかったのではないかと思います。

 なお、天皇生前退位したければ「私の人権を認めろ」と言えばよかったという私の叙述に対して、白井さんは「では参政権を認めるのか」とおっしゃっていますが、私が日本よりももっとまっとうに人権が認められる国に遊びにいっても、参政権は認められないと思いますが、意に反する労役を課されない人権は守られると思います。あるいは参政権のない子供でも、意に反する労役を強制されることはないと思います。

 ちなみに私はファーストベストは天皇制をなくすことだと思っています。「国民統合」も不要と思っています。でもヘタレの日和見ですので、セカンドベスト、サードベストと何段階も現実妥協を作る姿勢があります。現実には野党政権をとっても宮中祭祀も御幸もとてもなくならないことは重々承知した上、でもおかしいんじゃないのと誰かが一言言うだけでも、それはいいことだと思いますし、天皇が必然的に持ってしまう政治力をちょっとでも削ぐような現実的対応を考えること自体は、必要なことだと思います。

(後略)

(『松尾匡のページ』より)

ちなみに「ファーストベストは天皇制をなくすことだと思ってい」るのは私も同じ立場だ。私自身は、今年初めに原武史の一連の論考に接する前には、「それでもまあ、象徴天皇制左翼右翼が妥協できるなら、天皇制は好ましくはないけれども必要悪かもしれない」と思っていたが、一連の原氏の論考に接して、いや、やはり天皇制は廃止すべきだとの考え方に改めた。原氏自身の天皇制に対する姿勢は明確ではないが、原氏の論考は私のような「ヘタレ」の人間の考え方を変える力を持っていたということだ。

今回、『松尾匡のページ』に接して、ようやく中島岳志書評に続く有効な『国体論』批判に接することができたのは大きな収穫だった。

それにつけても改めて思うのは、そんなアブナイ傾向を持つ白井聡に、一貫して天皇制批判していたはずの日本共産党がすり寄っている姿の異様さだ。白井聡の論考は、腰を引きながらとはいえ「リベラル保守」を自認する中島岳志が的確に問題点を指摘していることからもわかる通り、何も「リベラル左派」ではなくとも、穏健保守派にとっても問題点を指摘できて当たり前であって、できないのは勉強不足以外のなにものでもないと思えるほどのものだ。それを、政治のど素人ならともかく、共産党執行部や機関紙編集部の人間にできないというのは、同党が危機的な段階を迎えていることを意味すると私は考えている。

そんな政党が「民主集中制」をとる権力を保持し続けていることの恐ろしさは、筆舌に尽くし難いものがある。「民主集中制」に縛られざるを得ない党員はともかく、一般共産党支持者の人たちは、勇気を持って自らが支持する政党のおかしさを指摘・批判しなければならない。そう強く信じる今日この頃だ。

2018-07-21 「身を切る改革」も「小泉純一郎と小沢一郎の接近」もともに有害無益

「身を切る改革」も「小泉純一郎と小沢一郎の接近」もともに有害無益

通常国会の終盤に駆け足で可決成立した参院選の制度改革について、自民党の党利党略に発したものであることは当然批判の対象にはなろうが、それを「かつて安倍首相自身も口にしていた『身を切る改革』に反するのではないか」としか批判しなかったのはTBSだ。昨夜寝る直前に見たNews23星浩(この男は2012年の「三党合意」を応援する論説を朝日新聞紙上で垂れ流した経歴を持つ)も言っていたし、今日(7/21)の早朝の番組でも誰かが言っていた。そのあと、上田晋也と龍崎孝(毎日新聞記者、TBS政治部長などを経て今はどっかの大学教授。右寄り)の番組で小泉純一郎小沢一郎が「脱原発」でタッグを組むとかいうどうでも良い話を取り上げた時には心の底からうんざりした。

「身を切る改革」というのは小泉構造改革的な発想の話だし、その新自由主義的な思考自体がまず批判されなければならない。また、選挙制度云々について論じるなら、まず衆院選小選挙区制についての議論を抜かしてはならないだろう。そしてそれを生み出したのは、番組中で松井孝治がしゃあしゃあと言っていた通り小沢一郎である。松井は、「安倍一強と言われているがそれを生み出したのが小泉と小沢の二人だ」と正しく指摘していた(但し、そこから小泉や小沢を批判するでもなくヘラヘラしていたのには、なんだこいつと思ったが)。そんな小泉と小沢の茶番をことさらに大きく取り上げるとは、「報道TBS」の看板が泣く。

いったい小泉と小沢の野合など、私がしばしば言及するあの「都会保守」氏のブログにさえ取り上げられないくらいだから、そんなものに期待する人間など100人に1人もいないのではないか。小泉が候補者から票を削るだけの疫病神に過ぎないことは、既に2014年東京都知事選としばらく前の新潟県知事選で証明されているし、小沢に至っては自ら率いる自由党を消滅寸前の泡沫政党にしてしまった。2012年に小沢自身が深く関わった日本未来の党も、昨年同様に関与しようとして頓挫した(=小沢が小池百合子に切られてしまった)希望の党も、ともに惨敗した。「小泉的なもの」も「小沢的なもの」もともに安倍政権に対抗するには何の力もないのである。2人がそれだけの腕力を持っていたのは過去の話だ。

しかし、そんな小泉や小沢に期待しているらしいのが横田一である。反政権側がこれでは、安倍政権を倒す展望など持ちようがないよな、と思う今日この頃なのだった。下記に横田一が書いた記事屁のリンクを張っておくが、文章は引用しない。

2018-07-20 まずは「負けている」事実を直視することだろう

まずは「負けている」事実を直視することだろう

2012年の衆議院選挙に「希望の党」じゃなかった、「日本未来の党」が獲得議席1桁の惨敗を喫した時、「小沢信者」たちが「不正選挙ガー」と叫んだ、そのあまりの見苦しさには絶句したものだが、同様の悪弊は今や「野党共闘」を支持する「リベラル左派」層全体に行き渡っているように思われる。

安倍政権批判側の人間は、まず自分たちが「負けている」事実を直視するところから始める必要がある。現在は明らかにそれができていない。立憲民主党支持者(信者?)が「本当は立民の政党支持率は落ちていない」と強弁したり、かつて「不正選挙ガー」と言っていた「小沢信者」が「マスメディア世論調査など信用できない」などと空しく言っているさまが見られるばかりだ。

プロ野球ヤクルト阪神中日が、読売ヤングマンだのメルセデスだのといった聞いたことのない先発投手たち(ヤングマンは先日西城秀樹が亡くなった直後にその存在を知ったが)に負けまくって2位読売に水を開けられているのと同じく、「野党共闘」は一昨年の参院選やそれに続く東京都知事選、昨年の東京都議選*1、それに今年の新潟県知事選などの主立った選挙に負け続けた。しかし「有権者に支持されていないから負けた」という反省の弁が聞こえてくることはほとんどなく、たとえば新潟県知事選でも「短い準備期間だったのによく接戦に持ち込めた。次につながる」などという強がりばかりが目立った。これまでにも(最近で特に印象が強かったのは、2015年安保法案が成立した直後のことだったが)同様の言葉は耳にタコができるくらい聞き飽きたが、現実に「次につながった」事例はみごとなまでに一つもない。

しかし、プロ野球では阪神ヤクルト中日Bクラスにいる結果を疑う人間は誰もいないのに、選挙結果メディア世論調査を疑う人間はいくらでもいる。本当にどうしようもない。

以下、記事にいただいたコメントより。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20180717/1531781862#c1531875207

id:mtcedar 2018/07/18 09:53

今自分が遣り取りしている方に言わせれば、id:kojitaken 様は「ネオリベ民進党に比べたら安倍政権の方がはるかにマシ」ってことになっているんですね。 https://twitter.com/seatv35/status/1018450496770568194


こういうのが野党を強力に擁護しまくってたら、却って支持が拡がらなくなるのも道理では。

リンク先のツイートは読めないのですが、「安倍政権の全ての政策を批判しない人間は安倍の擁護者」みたいな幼稚なことを言う人間が「リベラル」には目立ちます。金融政策なんかもっとも賛否の分かれるところで、かつ、第2次安倍内閣発足直後に「効果をあげた」印象を人々に与える政策なのに、安倍政権新自由主義弊害が明らかな政策の数々を攻めるよりも金融政策批判を優先させてそれに血道をあげる姿勢が私には理解できません。プロ野球読売対策でいうなら、難敵であるエース・菅野の攻略法ばかり研究してヤングマンメルセデスや内海の攻め方などそっちのけにしたあげく、彼らに抑え込まれて読売本拠地で負けまくっているヤクルト阪神中日みたいな醜態というほかないと思います。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20180717/1531781862#c1531913270

id:RASEN-KAIDAN 2018/07/18 20:27

id:mtcedarさんは金融緩和による雇用拡大を評価されていたと思います。もし金融緩和団塊世代リタイアを上回る雇用拡大に貢献していたとしても、それ以前から日本の失業率先進国で常に一番低い数字です。リーマン直後ですら5%台、西欧諸国なら通常の再分配で対応できる水準ではないでしょうか。成人男性だけに安定した雇用があればよかった時代と違い、女性や高齢者にも就労が求められる現代で失業率は高くなって当然。それなのに失業率が2%台にまで下がるのは、失業者の支援が弱いためだと警戒しています。ブラック企業を淘汰する意味でも、従来より高めの失業率を許容できる社会(制度と意識)を目指すべきではないでしょうか。『何よりもまず雇用』という姿勢が野放図な非正規の増加に繋がった面を感じずにはいられません。


杉山さんが批判される藻谷浩介氏が、保守本流コミュニティ過大評価しているなら、杉山さんは男性サラリーマンの居場所としての会社にこだわる民社党のような立場に見えるのですが。

すみません、金融緩和と「民社党」というアナロジーがさっぱり理解できません。どういう道筋でそういう推論が出てくるのか教えていただけませんか。

なお、現在の日本は「階級社会」であるとともに、より下の階級からより上の階級に這い上がるチャンスはほとんどないばかりか、世襲などによって事実上固定されていることによって守られている富裕層*2を除いて、より上の階級からより下の階級に転落するリスクは決して小さくない(たとえばビジネスマンが健康を損ねただけでもそうなってしまう)現状、言い換えれば社会保障などのセーフティーネットがそこまで貧弱な今の日本にあって、軽々しく「従来より高めの失業率を許容できる社会(制度と意識)を目指すべきではないでしょうか」などと言うべきではないと思います。加えて、第2次安倍内閣発足以降増えたのは非正規雇用者ばかりではなく、正規雇用者も増えています。そういった事実から目を背けて、「××ノミクス」(この日記では禁句なので一部伏せ字にしました)のうち特に金融政策ばかり批判しても、安倍政権批判者を増やすことには全く何も寄与しないと思います。

さて、「リベラル左派」の「金融緩和財政支出嫌い」ですが、私は保守本流財務省(旧大蔵省)と朝日新聞の悪弊を強く感じます。

保守本流」には大蔵省財務省)出身者が多く、その「保守本流」に対するシンパ(故石川真澄記者などもそうでした)が多いのが朝日新聞という流れです。保守傍流であっても福田赳夫などは早くから(1970年頃から)佐藤栄作政権財政赤字削減を力説してましたし、大平正芳に至っては「小さな政府」の言い出しっぺのような存在です(みごとにそれを継承した「小さな政府」論者が加藤紘一)。朝日新聞では今も原真人が経済問題のイデオローグとなって緊縮財政推しまくっています。

その「保守本流」の後継を自認する枝野幸男が党代表を務める立憲民主党が「保守本流財務省朝日新聞」的な体質が強いのもむべなるかな、といったところでしょうか。但し、枝野自身は昨年の衆院選前に「政権を獲ってもただちに金融緩和を止めたりはしない」と明言したしたことからもうかがわれるように、一種の「風を読む」ポピュリスト的才能があると私は思っています*3。というより、それが本人の思想信条や主義主張には全く賛同できない枝野幸男の唯一の「取り柄」だと私は考えているのですが、いかんせん教条主義的な立民支持層が党首のその才能に由来する党の伸びる芽を摘んでしまっているように私には思えるんですね。エピゴーネンが指導者より硬直した考え方しかできないのは、何も立憲民主党に限らず、あらゆる集団で観察されることだと私は思っていますが、先のseatv35氏の(読めなかった)ツイートに即していうなら、「ネオリベ民進党」よりもっとダメなのは、「ネオリベ民主党政党立憲民主党自由党国民民主党)支持者やシンパ」だと私は思っています。

現状がこれだから、やはり安倍政権批判勢力が選挙を通じて、などではなく、何らかの外的要因による以外の終わり方は、残念ながら想像がつきません。

*1この選挙では、民進党系から「都民ファ□ストの会」に亡命する連中が続出し、亡命し損ねて無所属で落選した柿沢未途の妻・柿沢幸絵のような人物も現れたが、この選挙を正しく「『野党共闘』の敗北」と捉えた論評はほとんど見あたらなかった。。

*2もちろんサラリーマン社長やサラリーマン重役などは例外。

*3枝野幸男ポピュリスト的資質を私にを教えてくれたのは木下ちがやこたつぬこ)氏ですが、氏は現在でも「失脚」状態のままのようです。

2018-07-17 なぜ「野党共闘」「市民連合」は支持されないのか

なぜ「野党共闘」「市民連合」は支持されないのか

猛暑のせいもあるが、「崩壊の時代」ならではの、あらゆる言葉が通じなくなった時代になって、何を書くのも空しい気分になって、先月はついに月の半分の日も日記を公開できなかったし、今月は今日で17日だがようやく7日目の更新だ。

辛抱強く、日に多数の記事を発信している『広島瀬戸内新聞ニュース』でさえ、現在の「市民連合」「野党共闘」が政権を倒せるとは思っていないことを告白する記事を書いている。

日本の今後は「三国志」「南北朝」を学べば大体推測できる【備忘録】 : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)2018年7月14日)

日本の今後は「三国志」「南北朝」を学べば大体推測できる【備忘録】


前漢=大日本帝国

後漢=日本国

董卓=安倍晋三

王允=安倍晋三を(政治的にも含む)「暗殺」する人。

人口減少社会=三国志の時代も今も同じ

董卓連合軍=いまのままの市民連合野党共闘

三国志南北朝カオス=安倍晋三「暗殺」後にやってくる日本のカオス

前秦などの異民族王朝=中国韓国マレーシアの企業。いまや日本企業より給料高い。日本人経営のブラック企業から人材を奪っていく。


六朝文化(漢文化と北方異民族文化が融合。躍動)


今後の日本も、外国企業流入で文化が融合し新しい文化が花開く可能性もある。


既存の日本人が明治以来、アジアでトップだったというプライドは一旦捨て、むしろいろんなルーツの人がいたのが日本だと認めたら案外、日本は明るくなる可能性あり。


三国志史実通り、市民連合=反董卓連合ではなく董卓暗殺=宮廷クーデター政権が変わる可能性が今は大きいとは思う。

少し前に橋本健二の『新・日本の階級社会』(講談社現代新書)を読み、一昨日からブレイディみかこ松尾匡北田暁大の『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』(亜紀書房)を読んでいるが、これらの本を読みながら、なぜ今の「市民連合」「野党共闘」はダメなのだろうと考えている。


新・日本の階級社会 (講談社現代新書)

新・日本の階級社会 (講談社現代新書)



まず共産党については、「民主集中制」の当然の帰結である「上意下達」の問題が、2015年以降に党執行部が大きく右傾化した時に、党員全体がそれに合わせて大きく右傾化した弊害が大きい。「上意下達」の問題は、たとえば『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』では、

「(レフト)1・0(旧来左翼=引用者註)のトップダウン的なところが死ぬほど嫌い」(ブレイディみかこ=145頁)

「いや、トップダウン志向というのは2・0(90年代的な「左派」または「リベラル」=引用者註)の人が正しく批判しているように1・0の悪癖なんだから、それが死ぬほど嫌いなのはまったく正しいと思いますよ(笑)」(松尾匡=145頁)

といった具合に、論外の存在としていとも簡単に切り捨てられている。

しかし、現実の「野党共闘」「市民連合」ほどトップダウン的な性格の強い政治勢力は、他に自公与党くらいしか思いつかないほどひどい(笑)

それは、実質的に「野党共闘」を仕切っているのが「民主集中制」の共産党と、「信者」を集める傾向が際立っている一方で、自身が代表を務める政党支持率が0.0%である(つまり一般的には人々に全く支持されていない)小沢一郎であることを思えば明らかだろう。最近何かといえば枝野幸男が小沢と密談している立憲民主党も、日に日に「トップダウン政党」色を強めているように見える。

ことに共産党政治思想的な面(たとえば天皇制に対する態度)ばかりではなく、新自由主義者である小泉純一郎にすり寄るなどの行為に出ている弊害は大きい。というのは、「野党共闘勢力における最左派である共産党ネオリベにすり寄れば、もともとネオリベ体質の強い旧民主党系の立憲民主党自由党小沢一郎)などが安心してネオリベとつるめる空気が生まれる。事実、少し前に小沢一郎小泉純一郎が野合する動きが報じられた。この小泉も、私に言わせればしゃしゃり出てくるだけで「野党共闘」候補の票を減らす、百害あって一利なしの存在だ。

その結果、橋本健二が昨年末に書いた『新・日本の階級社会』で書いた下記の期待を裏切る現状が生じてしまった。

 もし階級社会の克服を一致点とする政党政治勢力の連合体が形成されるなら、その支持基盤となりうる階級・グループはすでに存在しているといっていいだろう。アンダークラス、パート主婦、専業主婦、旧中間階級、そして新中間階級と正規労働者リベラル派である。これらの、一見すると多様で雑多な人々を、格差社会の克服という一点で結集する政治勢力こそが求められるのである。そのような政党が登場すれば、これらの人々の政党支持は激変する可能性がある。その可能性の一端は、二〇一七年一〇月の衆議院選挙での立憲民主党の躍進にあらわれたといっていいだろう。

橋本健二『新・日本の階級社会』(講談社現代新書)301-302頁)

その立憲民主党だが、少し前の一部幹部による跳ね上がったネオリベ言動が目障りだな、と思う間もなく政党支持率が急落した。上記橋本健二の言葉に即していえば、立憲民主党も「そのような政党」ではなかった。そう少なくない有権者に見切られた結果の政党支持率急落だろうと私は考えている。

もっとも、立民の新自由主義への傾斜は、昨年暮に蓮舫の入党を認めた時点で既に始まっていた。『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』で松尾匡が指摘するところによれば、蓮舫は、民進党代表時代の2017年5月2日日本経済新聞のインタビューに答えて「財政均衡憲法に入れたい」などと言ったらしい(同書126頁)。おそらく蓮舫の無知に起因するのだろうが、これは「経済極右」の主張そのものだ(なお、松尾匡も示唆している通り、自民党改憲案にも同じ条項を憲法に加える構想がある)。

こんなのが去年まで民進党代表だった。この人が代表になった途端、小池百合子にすり寄る醜態を演じ、「都会保守」のブロガー氏を「ちょっとワクワク」させたことは記憶に新しい。そういう姿勢に「ワクワク」する人たちが、民進党から現在の立憲民主党の支持層に一定数いることは、前記ブロガー氏を例に挙げるまでもなく事実だが、残念ながら「ワクワクする」人たちよりも、その手のネオリベ志向によって民進なり立民なりから離反する人々の方が数がずっと多い。そのことが最近の立憲民主党支持率低下に表れていると私はみている。

おそらく、自力ではなく他力で安倍政権が終わった後の混沌(カオス)をやり過ごして生きていくほかないのだろうが、想像するだけでうんざりする。