編集グループ<SURE>の本フェア
黒川創さんをお迎えするカタリココに合わせて、本日から「編集グループ
ぼくがはじめて
では、
わたくしども編集グループSUREは、京都を根城に、手づくりみたいな本を作ってこの街とつながっていきたいと、こぢんまりと活動しているグループなんですけども、出版というものをあまり狭く解釈しないで、一種の美術運動というか、街に出てこのようなイベントをやったり、年ごとにTシャツなんかもデザインしてみたり、いろいろ試してみたいと思っているんです。
また、山田稔を囲む会の採録である『何も起こらない小説』のなかでは、こんな風に。
ここは、もともとは私どもの祖父が米屋をやってた店先なんです。SUREという工房の名前は、父の北沢恒彦が生前、「編集グループSURE主筆」と一人で名乗って、「SURE」という簡単な冊子をつくっていたことから取ったんですけども、父が死んでしばらくたって、この名前をつかって何か活動したらいいんじゃないかとはじめました。
私たちとしては、モノを作りたい。気持ちとしては、たとえばウィリアム・モリスの「アート・アンド・クラフツ」なんかが思い浮かんだんですけど、もっと下町風の「アート・アンド・クラフツ」をやれればいいなと。SUREではこれまで何冊かの本を出してきましたが、本ならモノとしてもそれほど高価にならないし、内容もさまざまだからおもしろいんじゃないかと思ったわけです。
古書ほうろうは何かモノを作っているわけではありませんけど、でも黒川さんのこういう発言には同じ匂いを感じるというか、まあ思い込みもあるんでしょうけど強い共感を抱きました。小さなコミュニティでのひとりとひとりの関係が、いろんな風に転がっていって、そこから何かが生まれたり変わったりする。そういうことを信じてる人たちなんだなあ、と。ネット上の新聞記事で知った「取次会社を通さない直接販売が基本で、できた本は自転車に積んで書店を一軒一軒回る。」というところなど、どうしても谷根千工房を思い起こしますし。
また、さきほど引用した2冊もそうですが、トーク・イベントや勉強会の模様をおこして収めた本が多いのもそのことを表しています。そこではゲストが話すのをただ拝聴するのではなく、司会の黒川さん、ホスト役の鶴見さんをはじめ、そこにいる人全員が話に加わっていくのですが、そのスリリングなこと。「シリーズ鶴見俊輔と考える」「セミナーシリーズ 鶴見俊輔と囲んで」と題されたこれらの本は、そういう点で
最後にもうひとつ、はじめに戻るようですが、
あと、そうだ、
(宮地)