文藝春秋の新刊 2003・7 「昼寝」 ©大高郁子

ほくろねこでしょうか。先日大高郁子ホームページ、memo欄でけがをしたと記してあったが大丈夫だろうか─フッターリンク集 “Wooden Garden”よりmemo欄にゆけます。

いつもは居間のカゴで寝ているブチが、めずらしく私の枕元の布団で眠っていた。ほほえましいなぁ、可愛いなぁと思いつつ朝方ウニャウニャ撫でたりしていたのだが、起きてみると彼女がびっこをひいていることに気付く。どうした?外傷は見当たらない。シッポの付け根、お尻の上のあたりに力が入らないらしく、左後ろ足をあげにくそうにしている

私家版画集「猫とのくらし」ではマンガチックに描かれていたけれど、竹色の背景に丸くきれいに収まって寝そべるブチねこ。となると、99年版で座布団に寝る白猫も「猫とのくらし」で先住者として描かれているオス猫かもしれない。

文藝春秋の新刊 1999・1 「ひととき」

文庫チラシコレクション 新潮文庫2007年6月チラシの紹介

新潮文庫 今月の新刊

Yonda?DVD「パンダが本を読んだお話」より書店の棚
 新潮文庫 * 今月の新刊
林真理子
知りたがりやの猫

赤川次郎
森がわたしを呼んでいる

よしもとばなな
なんくるない

吉田修一
7月24日通り

舞城王太郎
みんな元気

柴田錬三郎 他
剣狼 幕末を駆け抜けた七人の兵法者

山崎洋子
沢村貞子という人

森功
黒い看護婦 福岡四人組保険金連続殺人

池田清彦
正しく生きるとはどういうことか

岩宮恵子
思春期をめぐる冒険 心理療法村上春樹の世界

スティーヴン・キング 池田真紀子=訳
トム・ゴードンに恋した少女

ブライアン・フリーマントル 松本剛史=訳
トリプル・クロス 上・下

“本書をぜひお持ちください。”フェア * 今月の新刊
岩中祥史
出身県で分かる人の性格 県民性の研究

齋藤孝
読書入門 人間の器を大きくする名著

中野香織
モードの方程式
伊東成郎
新選組 二千二百四十五日

伊集院憲弘
客室乗務員は見た!


6月のヨンダ?
今月のフェア
メールする時、家を買うとき、子育てに迷った時…
あなたに役立つ本、揃えました!
本書をお持ちください。フェア


注目の新刊
村上春樹ファンは読み逃しません
羊男、猫、耳、そして井戸…。心理療法の現場から村上作品を読む 思春期をめぐる冒険


映画化話題作

新潮新書 5月の新刊

岩宮恵子 思春期をめぐる冒険 心理療法と村上春樹の世界 

思春期をめぐる冒険―心理療法と村上春樹の世界 (新潮文庫)

思春期をめぐる冒険―心理療法と村上春樹の世界 (新潮文庫)

河合隼雄が築いた(ごめん、「ユングを継承した」ですね)精神療法メソッドの実践版というのか“ひとつのコースの紹介”として師匠と同じくらい読みやすく分かりやすい(ちょっとバカにしたいいかたか)心理学入門書。

…(前略)…もちろん、自分の過去の言動を反省し、そこに改善の余地を真剣に検索する態度は必要なことである。しかし、どんなにそのような意識的な努力に励んだとしても、どうしようもない状況に追い込まれたとき、人は本当の自分の内側に目を向けなくてはならなくなることがあるのだ。…(中略)…断っておくが、そのような日常とはまったく異なった次元に行くから立派なのだとか、絶対そうしなくては問題が解決しないということではない。意識的で現実的な努力で問題を乗り越えていけるのなら、それが一番いい。ところが好むと好まざるとにかかわらず、その次元にまで踏み込まなくてはどうにもならない人がたしかにいるのである。…(後略)…
     「はじめに」より

“意識的で現実的な努力”なぞしたことのないわたしなので、いつか長年放っておいた過去の積み木がひっくり返って境界のあちら側に踏み込まないとは限らない。自己分析が苦手で反省するのが大嫌いなくせ、他人の視線を気にしっぱなし。同じようなヒューマンエラーを繰り返し続けるわたしは自分が大嫌い。
精神分析関連、社会病理学関連の書物などわりとよんでるわたしなのは、まあきっとその書物の中に自己弁護のためのありがたいお言葉がありはしないかと探している横着な臆病者です。
そんな横着者の独り言を少々。
Aさんというクライアント(レシピェントじゃないのか?)の紹介、経過、回復が順を追って紹介されているのだが、はたしてそのエピソードとテキストとがシンクロしていたのか疑問だ。河合隼雄の物語のナントカなんて書物だと「三年寝太郎」みたいなAさんの娘さんみたいで、なんだかこう村上春樹的世界とは遠いのではないか。
“いい子”であった少女が、反抗し不登校になった。たぶん心の傷の原因に援助交際も含まれているのではという運びではないんだよね。もちろん、結果的に母親のAさんも娘さんも“日常への着地”ができたのだから施術者としては記しておきたいエピソードなのだろうけれど、読み終えてやっぱりどうも納得がいかないなあ。でも自宅が火事になったら治ったとか、親兄弟が骨折したら快復したとかっていうのはなんというのか、人類として情けないなあ…レシピェントをバカにするわけじゃないけどさ。
援助交際にかんする著者の言説にもすこし疑問がありますね。

…(前略)…慢性化した傷とも言えない傷を抱えて色々な者を損なっている人が、自分にとってとても大切な心の震えを取り戻したいと思ったときには、どうしても日常性を越えた体験が必要になってくる。それが思春期の体験を呼び起こすという形で必要となってくる人もいるのではないだろうか。そんな時もっとも手っ取り早く、姑息な方法で手に入る思春期体験が、思春期の子どもとの援助交際なのではないだろうか。…(後略)…
  第2章「思春期という異界」より

このあと“心の核とつながりなおす”といいうことはそんな一過性の関係ではありえないし異界のエネルギーに巻き込まれ、自らの内側から破壊が…などとけっこうおどろおどろしいし、少女の側にたいしても河合隼雄の言葉を引用して諌めている。
とはいえ、「ダンス・ダンス・ダンス」の僕が12歳の少女ユキと徐々に仲良くなったことで「思春期の頃自分が何を求めていたのか」を思い出したなんて紹介されても、ちょっと考えればそういう体験って援助交際以外ででは“少女”と治癒のために過ごすことなんぞ一般の男性には不可能でしょ。
って、ああそうか、そのためにこそ精神分析をといいたいのかもしれないが。臨床心理学のテキストとしても村上小説の爲のサブテキストとしてもなんだか中途半端だったなというのが読後の正直な感想かな。