奈良朝の政変と道鏡 瀧浪貞子

奈良朝の政変と道鏡 (敗者の日本史)

奈良朝の政変と道鏡 (敗者の日本史)

道鏡は大臣禅師や太政大臣禅師・法王となっていったが、官ではなく位であるとされたうえに藤原永手吉備真備も出世しており、道鏡政権というものはなかったと。施策は大嘗祭に僧が参加するなど仏を神が守護するという混淆、法王宮職紫微中台との相似など、仲麻呂政権を意識したものだが、任じられたのが渡来人系で貴族層の反発が窺える。宇佐の神託は、八幡神比売神との対抗・不祥事で離れていた八幡神の帰座に伴う比売神側の焦りなどが背景にありそうだ。

摂関政治と菅原道真 今正秀

摂関政治と菅原道真 (敗者の日本史)

摂関政治と菅原道真 (敗者の日本史)

▽関白は、摂政を退いたものを処遇するものとして考えられた。その後、冷泉の異常さから、実頼が摂政経験のないままの関白となった。▽「富豪の輩」が王臣家と直接結び付くのを防ぎ、国司の国内支配権を確立して富豪の輩からの収奪を確実に行うこと、これが延喜の改革をはじめとする方向性であって、班田が行われなかったからといって、とれるところから取れれば、まあ、支配層にとってはいいわけで。