だから言ったでしょう。広子さんは演技してたのよ。

だから言ったでしょう。広子さんは演技してたのよ。

{私とボーイフレンドは高知からバスに乗って松山へ行き、
 松山のバスのターミナルで、待っていた広子さんに再会
 した。広子さんは長かった髪を少し切り、三つ編み一つ
 のお下げにして、驚いたことに、ロンドン時代の面影は
 まったくない服装で、まったくの日本人に変容していた}

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(78)

◆◇◆立ち読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(109)

▼△第三章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘(15)△▼

・佐藤の告白・(その1)

死の危険を顧みず1Fで作業したという事実が彼のプライド
◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(74)

▼△第三章 原発事故と震災の思想論〈11〉△▼ ・山下発言の何が問題か・(その1)
今でも一〇〇ミリシーベルトでリスクがあるとは思っていない

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(78)

◇日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん(65)◇ ・広子さんは英語学校経営のビジネスウーマンに(その4)
だから言ったでしょう。広子さんは演技してたのよ。
《「 ◇今日の注目写真(Source:REUTERS)◇ ☆Japanese hunker down in China as protests reignite (By Ben Blanchard and Antoni Slodkowski BEIJING/TOKYO - Anti-Japan protests reignited across China, forcing Japanese firms in the country to suspend operations, as a crisis over a territorial dispute escalated on the anniversary of Japan's 1931 invasion of its giant neighbor.) 私とボーイフレンドは高知からバスに乗って 松山へ行き、松山のバスのターミナルで待っ ていた広子さんに再会した。 広子さんは長かった髪を少し切り、三つ編み 一つのお下げにして、驚いたことにロンドン 時代の面影はまったくない服装で、まったく の日本人に変容していた。 ロンドンでヒッピーだった若者が、八十年代 のサッチャー時代にビジネスマンに変貌した ように、広子さんも日本に戻って日本人に戻 っていた。その変化ぶりに驚くというよりあ きれた。 「私は、ああいう日本人と同じじゃない」と 言い続けていた人が、“ああいう日本人”の 一人になっていたのだ。三千代さんに言わせ ると、 「だから言ったでしょう。広子さんは演技し てたのよ。本当の自分でない誰かの振りをし ていたのよ。 化けてたのよ。だから化けの皮がはがれたと いうか、いつまでも他人でいられなかったの よ。だから本来の日本人の広子さんに戻った だけよ」 そうかもしれない。彼女経営の英語学校兼用 の住まいに着くと、その建物の中はまったく ビジネス優先で、住まいとしての趣きも匂い も感じられなかった。 絵を続けているかと尋ねてみれば、倉庫に画 材を入れたままで、日本へ帰って来てから出 したこともないと答えた。 それを聞いて私は、広子さんは絵描きとして は偽物だったのだと感じた。 私の別れた夫は、どんな環境にいても楽器を 忘れることはなく、離れて暮らせなかった。 私の写真家の父も、カメラなくして生きてお れなかった。私は小学生のときから文を書く ことがやめられず、紙があれば書き続けてい る。才能とはかかわりなく、衝動というもの は環境に左右されないはずである。 それがきっぱりと興味を失ってしまうという ことは、どういうことか。 スティーヴは、広子さんのビジネス仲間然と していて、この人もとても芸術家風情には見 えなくて、ビジネスに忙しい男という風であ った。 広子さんの話すことは、学校経営や生徒の数 であって、教師も資格をもった外国人でがな く、労働許可書をもたないふらり松山へやっ て来た、いわゆる、ガイジンを生徒集めの目 玉に雇っているということだった。 広子さんは、ビジネスに忙しいビジネスウー マンに変化していたが、その姿は決して幸せ には見えなかった。 」》 ◎ですが、広子さんが、日本に帰って生業に つけたことには、私は、ほっとしています。 芸術で身を立てられるのは、ほんの一握の人 に過ぎません。たとえば、ウィーンには、音 楽家志望で留学したものの、希望がかなわず アルバイ的に、ツアガイドをしたり、店員に なたったりして、なおも、頑張っている人が 少なからず、います。 だから、広子さんが変容したとはいえ、松山 で英語学校経営に励んでいることに安堵する のです。 一方、海外旅行中や滞在中に行方不明になっ た日本人は少なくないのです(2000年以降)。 波多敏弘(当時27歳、男)マレーシア H12年(2000)8月 http://news.nna.jp/free/osirase/061114_myr/ 佐藤順子(当時28歳、女)スイス H12年(2000)9月【特失】 http://web.archive.org/web/20080108012632/http://t...                   ※web archive http://www.listserver.sakura.ne.jp/cgi-bin/list/li... http://roanoke-hp.web.infoseek.co.jp/vanishing%20f... 菅原伸一(当時55歳、男)ロシア H15年(2003)8月 http://blog.livedoor.jp/first_news_source/archives... 松倉崇太郎(当時22歳、男)トルコ H17年(2005)11月 http://syain.seesaa.net/article/26946641.html 篠崎耕太(当時21歳、男)インド H18年(2006)9月 http://kotashinozaki.web.fc2.com/ 大嶋克典(当時25歳、男)ネパール H19年(2007)7月 http://bbs.arukikata.co.jp/bbs/tree.php/id/274673/... 棚橋えり子(当時58歳、女)韓国 H22年(2010)1月 http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010033001001129.... 笹川万国(当時43歳、男)イギリス H22年(2010)5月 http://sites.google.com/site/missingsasagawa/ http://gyoku.blog.so-net.ne.jp/2010-06-10 アサオカリュウ(当時23歳、男)アメリカ H24年(2012)6月                     ←2012.8追加 http://rafu.com/news/2012/06/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4... ◎海外行方不明者数の推移(外務省海外邦人援護統計より) ☆THE 4400 -フォーティ・フォー・ハンドレッド- シーズン1  コンプリートエピソード [DVD] (THE 4400 未知からの生還者) THE 4400 -フォーティ・フォー・ハンドレッド- シーズン1 コンプリートエピソード [DVD] (つづく) (1136dys-756ent) **『外国の男と結婚した日本の女たちの話』 単行本:222ページ 出版社:展望社 (2012/02) 《――英国から万感の思いを込めてレポートする―― Inter Marriage と 日本女性のメンタリティ。異国に あってこそわかる……「日本」のこころ。〈東日本大 震災〉をとおしていっそう深まった母国への「愛」。 東日本大震災福島原発事故の現状を知って以来、私 は自分自身ががいかに「日本人」として母国に愛着が あるか改めて思い起こし、「日本」を書こうと決意し た。もう経済大国でも何でもない母国日本が、今は愛 しいと感じるようになった》 〔表紙帯から〕 〔目次〕 ・マルキストエジプト人と結婚した明子さんの場合 ・ロンドン生まれの英国人と結婚した三千代さんの場合 ・日本嫌いが日本のビジネスウーマンになった広子さん   の場合 ・ジャマイカ人の男と結婚した友子さんの場合 〔著者〕 ☆高尾 慶子(たかお けいこ)☆ 1942年姫路市生まれ。私立播磨高校から調理師専門学校に 進む。カトリック系病院の調理師、カトリック系身体障害 児施設の職員を経て、1972年に英国へ。イギリス人音楽家 と結婚。1976年二人で帰国し京都で暮らす。1982年離婚。 1988年に再び英国へ。ロンドンの日本レストランのウェイ トレス、映画監督リドリー・スコット氏邸のハウスキーパ ーなどを経て、1998年『イギリス人はおかしい』を発表し、 注目を浴びる。現在は、英国政府から年金の給付を受けつ つ執筆活動に専念している 著書は『イギリス人はおかしい』『イギリス人はかなしい』 『イギリス人はしたたか』『まだまだ言うぞイギリス・ニ ッポン』『書かずに我慢できないイギリス・ニッポン』『イ ギリス・ニッポンの政治の品格』ほか。 外国の男と結婚した日本の女たちの話 参照: ・2009-11-30『まだまだ言うぞ イギリス・ニッポン』を読む2011-06-24『イギリス・ニッポン政治の品格 』(1)

高尾慶子著『外国の男と結婚した日本の女たちの話』(78)

◆◇◆立ち読み・坐り読み◆◇◆

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』文藝春秋刊(109)

《「原発はタブーの宝庫。だからオレらが儲かる!」   某地方の暴力団組長   −暴力団専門ライターが実際に動いたからこそ    書ける原発という巨大なシノギ−    「原発は儲かる。どでかいシノギだな。電力会社と交渉して、   ゼネコンと話付けて、地元の土建屋に仕事を振る。代紋な   しではとても捌ききれん。原発はタブーの宝庫。裏社会の   俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ」。ヤクザが語る   衝撃の事実。日本最大のタブーがいま明かされる!   ―誰も書けなかった 命懸けの衝撃ノンフィクション―》   【表紙帯から】  ▼△第三章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘(15)△▼

・佐藤の告白・(その1)

死の危険を顧みず1Fで作業したという事実が彼のプライド
《「――以降、佐藤はたびたび自分の身の上話をするようになった。 吐くまで飲んだ仲……という陳腐な事実が、佐藤にとって心を打ち 明ける一線だったのかもしれない。 幼稚な体育会系の精神構造は、しかし、原発作業員としては、スタ ンダードだろう。よく言えば頭でなく体で語り合うタイプ……行動 が伴わず、口だけの人間を佐藤は嫌う。 客観的に観ると、それは、過剰な不信感だった。死の危険を顧みず 1F(東京電力福島第一原発)で作業したという事実が、彼のプラ イドを増幅しているのだろう。 取材対象としては極めて面倒でやりにくい。自分と同じ目線まで降 りてこない限り、どこまでも話をはぐらかし、相手を小馬鹿にする からだ。 少年時代はよくいる不良で、これまたありがちな大人社会――具体 的に言えば父親に対して反抗していたという。両親からの叱責には 耐えられないのに、大好きだった祖父母から「まともな人間になれ」 と怒られたことが引き金となり、カッとして家を飛び出した。 毎晩、違法改造のバイクで暴走し、近所の噂になっていたことがと がめられたのだ。 ただし金はない。友達の家に転がり込んだ。 ――」》 ◎「原発ゼロ」 海外でも、ゴマカシ路線を押し通す日本政府 17日、国際原子力機関IAEA)の年次総会が、ウィーンで開 幕され、日本の山根隆治副外相は「30年代の原発稼働ゼロ」を目 標とする新エネルギー戦略を初めて全加盟国に説明しました。 「グリーン電源の開発に最大限取り組む」と決意を表明する一方、 経済への影響や国際社会との協力状況をみながら「不断に見直して いく」とも強調しながらも、将来的な再修正に、強い含みを残すと いう、お得意の逃げ口上。これは序の口。 兵器転用が可能なプルトニウムの蓄積には、国際的な懸念があると ころの「核燃料サイクルの継続」については、ダンマリを決め込む。 日本政府は、世界をも、騙せると思っているのかしらん?   ヤクザと原発 福島第一潜入記文藝春秋 (2011/12/15) ・〈目次〉・ 序 章 ヤクザの告白「原発はどでかいシノギ」 →第1章 私はなぜ原発作業員となったのか 第2章 放射能vs.暴力団専門ライター 第3章 フクシマ50が明かす「3・11」の死闘 第4章 ついに潜入!1Fという修羅場 第5章 原発稼業の懲りない面々 終 章 「ヤクザと原発」の落とし前 ◆◇◆立ち読みのはしご◆◇◆

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)☆(74)

《経済成長も安全保障も「犠牲」の上に成り立っている。  『靖国問題』以来、6年ぶりの書き下ろし新書!  本書のテーマは、犠牲のシステムとしての福島と沖縄  である。それは、一九四五年の敗戦以後、今日までの  日本を「戦後日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、  戦後日本の国家体制に組み込まれた二つの犠牲のシス  テムを表しているからだ。》【表紙帯から】 ▼△第三章 原発事故と震災の思想論〈11〉△▼ ・山下発言の何が問題か・(その1)
今でも一〇〇ミリシーベルトでリスクがあるとは思っていない
《「――ニ〇ミリシーベルト以下という文部省の通知、それでも危 ないという小佐古氏の辞任会見があって、福島県では一〇〇ミリシ ーベルト以下なら安全と言っていた山下氏の話は何だったのかとい う疑問が噴出することになった。 それに対して山下氏はこう答えた。 「みなさんへ基準を提示したのは国です。私は日本国民の一人して、 国の指針に従う義務があります。 科学者としては、一〇〇ミリシーベルト以下では発がんリスクは証 明できない。だから、不安をもって将来を悲観するよりも、今、安 心して、安全だと思って活動しなさいとずっと言い続けました。 ですから、今でも、一〇〇ミリシーベルトの積算線量で、リスクが あるとは思っていません。これは日本の国が決めたことです。私た ちは日本国民です」(五月三日、二本松市での講演より) ――」》 ◎次期衆議院選挙は鬱のタネです。 落選させたい政治家は、枚挙に暇がないが、自己の選挙区に投票し たい人がいない。それにしても、メディアが候補者の当落予想を、 ときにより、発表しますが、ある程度、その予想が当たりますよね、 それが不思議でならない。 ちょっと、ウサを晴らさしてくだい。先に、『新潮45』7月号で 〈来たれ総選挙! 「落選させたい政治家12人」〉の記事を載せ ていました。私が膝を叩いて、そうだ、そうだと同感した政治家は。 ・言い訳ばかりの権力亡者「菅直人」by 保坂正康 ・思い出したくもない史上最低の総理「鳩山由紀夫」by 福田和也 ・見識もない政策もない鵺のような「輿石東」by 阿比留瑠比 ・どの口で綺麗事を言うのか「小沢一郎」by 尾山太郎 ・調子の良さだけは一流の厚顔無恥原口一博」by 適菜収 ・何が政治主導か三百代言「枝野幸男」by 佐々淳行 ・日本の政治そのもの薄くて軽い「石原伸晃」by 林操

福島県 3・11 から1年6ヶ月後も県内外に15万人が避難生活中

福島民報社のニュースサイト 犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)集英社 (2012/1/17) ・〈目次〉・ 第一部 福島 ・第一章 原発という犠牲のシステム ・第ニ章 犠牲のシステムとしての原発、再論 ・第三章 原発事故と震災の思想論 第ニ部 沖縄 ・第四章 「植民地」としての沖縄 ・第五章 沖縄に照射される福島 ★★★本書のテーマは、犧牲のシステムとしての福島と沖縄である。 なぜ、福島と沖縄のか。それれは、一九四五年の敗戦以後、今日ま での日本を「敗戦日本」と呼ぶなら、これら二つの地名が、戦後日 本の国家体制に組み込まれた二つの犧牲のシステムを表しているか らだ。 沖縄が戦後日本の犧牲でったこと。それは、沖縄戦という史上稀に 見る過酷な戦闘の戦場にされた沖縄に米軍が居座り、サンフランシ スコ講和条約第三条によって、沖縄がその米軍の施政下に置かれ、 一九七二年に日本に復帰して以後も、今なお全国の米軍専用施設の 約七四パーセントが沖縄に集中しているという、このことをさして いる。

沖縄戦は終わっていない。今も戦争PTSDに苦しむお年寄り。

琉球新報のニュースサイト沖縄タイムスのニュースサイトWikipedia:沖縄県の歴史 ★証言 沖縄「集団自決」―慶良間諸島で何が起きたか 証言 沖縄「集団自決」―慶良間諸島で何が起きたか (岩波新書)

≪都会歳時記≫

[都市・現代の視座1000句]句集 古家 元「文學の森」刊]
〔秋〕 動物  非常灯非常階段ちちろ虫
http://shop.bungak.com/products/detail.php?product_id=143

≫平成万葉集

読売新聞社 (編集)、「万葉のこころを未来へ」推進委員会 (編集)
闇にまぎれ花を落としし八重椿聞くこともなき音を見る朝
大川喜美子(84歳)神奈川県 ◆◇◆◇『侏儒の言葉西方の人』◆◇◆◇ 《芥川龍之介著 新潮文庫版》 侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫) ・人生・(中段)   ――石黒定一君に――  成程世人は云うかも知れない。「前人の跡を見るが好い。 あそこに君たちの手本がある」と。  しかし百の游泳者(ゆうえいしゃ)や千のランナアを眺 めたにしろ、忽(たちまち)游泳を覚えたり、ランニング に通じたりするものではない。  のみならずその游泳者は悉(ことごとく)水を飲んでお り、その又ランナアは一人残らず競技場の土にまみれてい る。  見給え、世界の名選手さへ大抵は得意の微笑のかげに渋 面を隠しているではないか?  人生は狂人の主催に成ったオリムピック大会に似たもの である。我我は人生と闘いながら、人生と闘うことを学ば ねばならぬ。  こう云うゲエムの莫迦莫迦(ばかばかし)さに憤慨を禁 じ得ないものはさっさと埒外(らち)がいに歩み去るが好 い。  自殺も亦確かに一便法である。しかし人生の競技場に踏 み止まりたいと思うものは創痍を恐れずに闘わなければな らぬ。〈28〉

☆★☆言えそうで言えない英会話表現☆★☆

こちらでお召し上がりですか、それとも、お持ち返りですか?
Is this for here or to go?
<NHKラジオ 「英語5分間トレーニング」岩村圭南 - 講師> ※この番組の放送は4月1日で終了しています。 Wikipedia:岩村圭南

◎◆◎アートのたのしみ《英国篇》◎◆◎

エドモンド・ブレア-レイトン“王座への祝福を受ける少年”
(A little prince likely in time to bless a royal throne.) (1904年・個人蔵) エドモンド・ブレア-レイトン (Edmund Blair Leighton〈21/09/1853〜01/09/1922〉) ・イギリス ラファエル前派・ エドモンド・ブレア・レイトンはイギリスの画家。 ヴィクトリア朝特有の甘美な画風が特徴。中世の 騎士物語などの文学作品をモチーフにした作品も 多い。父は肖像画家のチャールズ・ブレア‐レイ トン。ロイヤルアカデミーに学び、1878年から、 40年にわたって毎年アカデミーに出展。高完成 度の高い装飾的な画風はこだわりの職人技といえ る。生涯、アンチ・アカデミーを通す。 ☆Edmund Blair Leighton - painter of the old virtues☆ (MaroCR さんが 2012/07/18 に公開) 【This is my tribute to Edmund Blair Leighton,  victorian artist and one of my most favorite  painters. Enjoy beautiful art with music by  Daniel Landa and Loreena McKennitt】