天皇と政教分離

# Hさん 『戦後、(天皇は)人間宣言されましたが、あの存在感は常人とは 完全に別です。日本国統合の象徴と言い換えた、米国の能力恐るべし。』

問題は、いかに「象徴」と言い換えても、天皇から宗教色を払拭することができないんですよね。天皇は、ヨーロッパとかの国王(世俗的権威)とちがって、宗教的権威です。これが憲法の定める政教分離の原則に反するんですよね。天皇の即位や大葬、年間行事などに含まれる宗教的儀式に国費をあてるのは違憲だいう輩(キリシタンとかサヨク)がいますが、厳密に言えばその通りです。でも宗教的要素を完全に排除してしまったらそれはもう天皇ではなくなってしまいますからねえ。いっそ人間国宝に指定したらどうかな、などと不敬なことを考えたり。

被害妄想

ひぐらし」に関して「圭一の被害妄想ではないか」と書きましたが、お疲れ様会で、すでにそういう説が書かれてますね。ああいう楽屋オチみたいなのは余韻を壊すので見てなかったのですが。読み返してみて気づいたのは、

  • 「富竹さんと同じ目に」というのは、「変死」させられることではなく、「シャツに落書き」されることではないか。マジックを注射器と見間違うというのはかなりの錯乱状態ですが。
  • 「監督」とは「工事現場の監督」ではなく、「野球の監督」のことではないか。

まことの花

Hさん 『真琴っちゃんが活動再開らしいです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060604-00000020-spn-ent

川本真琴は90年代後半にほとばしったパトスという感じがしますが、どういうふうに復活されるんでしょうね。三十越えてあのロリ声(失礼!)で歌うのはキツいでしょうし、これからどのような音楽性をめざすのか注目したいです。

童形なれば、何としたるも、幽玄なり。声も立つころなり。二つの頼りあれば、悪ろきことは隠れ、良きことはいよいよ花めけり。...さりながら、この花は、まことの花にはあらず。ただ時分の花なり。
世阿弥風姿花伝」より