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lithosの日記

2017-02-16

バハ・カリフォルニア行6日目

今日は予定では近くの三つのサイトを見て、昼過ぎに山を登って山地の上まで戻ることになっていた。

が、やはりホセが三つ全部見るのは無理なんじゃないかと。

エドガルが提案として、一つのサイトをあきらめて予定通り山の上に上がるか、一日全て岩絵を見るのに使って、同じキャンプ場で連泊し、明日の朝早く起きて一気に山の上に戻るのとどちらがいいかと。

もちろんせっかく来たのだから全部見たい、ムレヘの宿に戻るのは遅くなってもかまわないと言うと、ではそうしようということになった。

昨日と同じでパンケーキを食べ、一番遠目のサイトLa Soledadに。ここは地元でAguila=鷲と呼ばれている。赤と黒の鷲の絵があるからだ。鹿やウサギなどの動物と人物像は他のサイトと共通しているが、せり出した岩の下面にチェックの模様があり、これが黄色も鮮やかに残っていて珍しい。チェック模様はあちこちで見られるようだが、意味はわかっていないが、解説板には、狩猟採集社会においてこうした模様はシャーマニックな儀式(幻覚作用をもたらす植物などを使うことも多い)と関係が深い、とある。そ下から覗き込まないと見えないので、儀式に参加した者は寝転がる必要があっただろう。

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スペイン語でメタテという、グラインダーがある。彩色のために石を砕いて細かく挽いたのか、植物をすりつぶしたかもしれない。

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壁面に陽があたって下の端の方がよく見えない。写真を撮るには絵の上に日当りと日陰の境界があるのが一番困るので、日陰になっている方がありがたいと言うと、あと二カ所、訪れるサイトの順番をかえようということになった。それぞれ、川を挟んで東と西の反対側に面しているのだ。相談してよかった。

途中、小さな死んだ蛇をみつけた。ガラガラヘビのガラガラが無いバージョンらしい。毒性の強さはガラガラヘビと同じだという。これはまだ子どもだ。模様は細かいが綺麗だ。何かに使えないかなとエドガル。携帯のストラップは?と私。

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ところで、エドガルはエドガル・ユリシスという名かと思ったら、ユリシスはミドルネームで姓はマハラニスというような名で、よく聞くと、いわゆる「マゼラン」だった。彼の母親の姓でポルトガル系だというから間違いない。ユリシーズ、マゼラン、なんとスケールの大きな名なんだ。彼は体も大きい。バハ・カリフォルニアのメキシコ人は「内地」のメキシカンと比べるとかなり背が高い人が多いようだ。彼はメキシコ・シティーに住んでいたことがあるようだが、家のサイズも何もかも小さくて住みにくかったと言っていた。靴屋でスニーカーを買おうとしたら、「うちは巨人用のは売ってない」と言われたという。

僕はユリシーズでマゼランなんだから、舟に乗るのは必然、と、カヤックを始めたときに母親に言ったそうな。

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エドガルは「日本人が一人で行きたいと言っている」とオフィスから聞いたときに、大丈夫なんだろうかとちょっと心配になったと。大丈夫というのは、うまくやれるかどうかという意味で。岩絵のツアーは年に一、二回くらいしか催行しないようだが、前回はアメリカ人二人、イギリス人二人の混成で、皆、こんなに歩きがきついとは聞いてなかったと途中でかなり不満をあらわにして、全部見ないで帰ったそうだ。もし、日本人と一対一であれこれ不満が出てくるようだったらしんどいなと。それは私も同じだ。気が合わない人とキャンプで四日も一緒というのは結構辛い。が、彼は本当にいいガイドだし、いい奴だ。

そもそもツアー会社が岩絵のキャンプツアーを考えているが、ガイドをやりたい人は?とバハのメンバーにきいたところ、手をあげたのは彼一人だったという。

「ヒデハル、お前これからもあちこち岩絵を見に行くつもりなのか?」というので、「できればそうしたい」というと、「何か計画したら俺も誘ってくれないか」と彼。「本気で言ってんの?」「もちろん本気。俺はこういうのが好きなんだ」と彼。変わってる。

続いていよいよこの谷最大の岩絵サイトCueva Pintada=painted caveに。山の中腹に160メートルにもわたって続いている。絵の保存状態もいい。規模が大きくとても全体像が把握できない。せり出したシェルターの上壁面に描かれたもの、シェルターのひさしの下面に描かれたもの、両方にまたがって曲面に描かれたものなど、さまざまだ。シェルターのひさしの下面に描かれている絵は保存状態もいい。

通路が細くてなかなか撮影しにくかったが、たっぷり時間をかけて撮影する。

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四つ足の動物と重なっているのでわかりにくいが、甲羅の部分が渦巻き模様になっている亀の絵がある。こうしたものは他の所にもあるようで、サン・イグナシオの店で古い本の中に見た。

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昼食にキャンプに戻る。かなり遅めの昼飯だ。時間がないから昼食はスナックを持ち歩いて済ませよう、とはならない。必ず何か作る。ちょっと胃もたれ気味だ。

真剣にトルティーヤの焼け具合をチェックするホセ。彼はいつもは一日二食しか食べないのだそうだ。小食なのではなく、奥さんが亡くなってから、作るのが面倒くさいので、とのこと。子どもはどうやって育てたのかしら。

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ゆっくり休んだ後は最後のサイトCueva de las Flechas – Cave of the Arrowsに。ちょうどPintadaの反対側にあるサイトで規模は小さいが絵の状態はとてもいい。人物像の大きいこと。

この岩絵群を残した人たちはかなり背が高かったという。ホセの親類が埋葬地を見つけたそうだが、スネの骨の長さはかなりのものだったという。INAHの女性研究者に渡したそうだが、彼いわく、「ヤな感じの女だったからあまり話さなかった」。

ちょうど川を挟んで反対側にCueva Pintadaが見える。平な壁面の下の亀裂が全て岩絵サイトだ。

Cueva de las Flechasの岩絵の端にある人物と鹿のコンビネーションのバランスがいい。人物像はかなり大きい。

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頭に角をつけたシャーマン像らしきものの頭の両側に逆さの小さな人物像が。どんな意味があるのか。

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谷底最後の晩餐はパスタ。ホセも私もあまり食べられなかったが、スコが残った二人分くらいをあっという間にたいらげた。

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ピーナツを小麦粉でコーティングした日本にもよくある豆菓子をさらにチリで覆った辛い豆菓子が。これは癖になる。日本でも売ってほしい。

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2017-02-15

バハ・カリフォルニア行5日目

寒かったが、なんとかぎりぎり眠れた。シュラフの中にスリーピングシーツというのか、昔ユースホステルでつかっていたようなものを借りたのだ。あとは枕とエアマット。

昨夜、ホセはどうやって寝るのかしらと思っていたら、彼も自分のテントで寝ていた。カウボーイは外で寝る人も多いようだが、火が焚けないとそれはきつい。それと、ホセは昔外で寝ていたが、夜薪を集めていたときに何かに指を噛まれるか刺されるかして(何だったかわからなかったようだが)だんだん毒が回り、最後は胃までおかしくなって病院にかつぎこまれたのだそうだ。それ以来、外で寝るのは止めたという。

「寝る前に靴を中に入れてね」とエドガル。サソリやらクモやらいろいろ入ることがあるからと。このあたりのサソリは毒はあまり強くないようだが。

だんだんと山の端が明るくなっていく。高い山に囲まれているので、陽が入るのが遅い。遠くの岩山の天辺を望遠で見たら、禿鷲が羽を広げて乾かしていた。頭が赤い、七面鳥のような顔のターキー・ヴァルチャーだ。日中は空を旋回して、屍肉を探している。

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三泊同じ場所でキャンプするのかと思いきや、もう少し奥に移動する。そして三日目は山を上がった所でキャンプするという。三泊移動するというのはツアー会社の説明とちょっと違うが、そうしないと時間がきついのだと。ロバには申し訳ないが、もう一度荷物を背負ってもらうことになる。

朝ご飯はパンケーキを焼いてもらった。コンロが使えて本当によかった。

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ベースキャンプは干上がった河原を一時間強かそこら歩いた所だ。高低差もあまりないし、たいした距離ではないが、ゴロゴロしていて歩きにくく、結構疲れる。今回ツアー会社のすすめで山歩き用のスティックを持って来たが、正解だった。石はほとんどが堆積岩だが、ときどき、溶岩系のものがある。バハ・カリフォルニア南部にはかなり活発な活火山があった(三つの連山で、確かThree Ladiesというような名前だった)ロバ・ラバ隊のカウベルの音と、「ブロ、ブロ!」と急きたてるホセの声が。ブロはロバのことだという。ロバを追うのに、「ロバ!」っていうのもなんだかおかしい。ロバもラバも悲しそうな目をしている。すまない、ロバよ、ラバよ。

昼前について、再びテントをはり、荷をほどき、トイレを作り、全てセットして昼食。昼食とかパンと果物くらいでいいんだが、そうはいかないとエドガル。毎食きちんと作る。ちょっと食べ過ぎで苦しい。

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ホセとエドガルが話し合って、今日は遠い方の二つのサイトに、明日、近めの三つに行こうということになった。昼食後、さらに川を遡って(ほとんど水は無いのだが)、最初の場所Boca de San Julioに。途中、川の流れにかなり浸食されて大きくえぐられた場所があった。オーストラリアを思い出す。だが、ここはハリケーン以外はあまり雨の降らない所だ。どれくらい長く削られたのか。また、大きなリップルマークのある岩が転がっていた。海の底だったときがあるんだろうか。その岩にはなぜかいろんな人が名前と年号を刻んでいた。比較的最近のものが多かったが。

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Boca de San Julioは比較的小さなサイトでほとんどが動物の絵だ。鹿、ウサギ、鷲...。バハ・カリフォルニアの岩絵は鹿の横顔がとてもいい。角の形も。一昨日行ったSan Borjitasと違って見学用の通路からしか見られないようになっている。世界遺産なのだ。

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私がかなり長い時間をかけて写真をとっているのを見て、ホセが今日はもう他の場所に行くのは難しいんじゃないかと。もう一つのサイトに行きたければ、夕飯が遅くなるけどどうする?とエドガル。もちろんそれでかまわないと。

もう一つのサイトはLa Musicaという、川の対岸にある小さなサイトだった。格子模様の上に赤い人物像がいくつか描かれている。人物は半分黒だったものが消えているようにも見える。格子と人物像が楽譜のように見えるから、La Musica=音楽という名前なのだ。一人の背の高い人が丸いものを持っている。中には点々が。天空だろうか? ピザだろ、とエドガル。よくわからないが、動物がメインに描かれたサイトと違って、ここのものは何か少し呪術的な感じがする。

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なんとか暗くなる前に二つ見て、キャンプに戻る途中、ホセがまた斜面をのぼり始めた。「来い」と手招きしている。少し上がるとシェルターがあり、大きな岩がある。内側から見て驚いた。びっしりと見事な模様が彫られている。写真で見たことがあるが、明日行く絵のある場所にあるのだと思っていた。ここはこの岩しかないのだ。すばらしい。予定に無かったし、エドガルも知らなかったが、ホセが特別につれて来てくれた。「お前は岩絵が本当に好きなようだから」と。ここは比較的近年になってみつかったのだそうだ。牧場のロバか逃げて探したところ、ここにいたのだと。発見者の名にちなんでpetra de Chuy(チュイの石)と名付けられたそうだが、本当の発見者はロバだろう。

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なんとか日暮れ前にキャンプに戻り、暗くなってから晩ご飯。丸一日歩いて写真を撮って(それもしゃがんだり這いつくばったりしながら)いたのでかなり疲れた。足がガクガクする。

キャンプに戻る直前、歩きながらエドガルに「今、俺が何考えてるかわかる?」と訊ねると、「うーん......セルベッサ(ビール)?」

よくわかってるじゃないか!

夕飯を食べ、ホセについて少し話をきいた。

百年ほど前、彼の祖父がシエラ・デ・サンフランシスコに来て牧場を始めたのだそうだ。牧場を始めたと言っても、オーストラリアみたいに広大な放牧地があるわけでもない。サボテンくらいしか生えてない岩山だ。山羊がメインで後は少しずつの家畜だ。道路も何も無かったはずだ。

彼はサンフランシスコ山地で生まれて育った。初めて岩絵を見たのは19のときだという。それまでも谷に降りたことはあったが、見る機会がなかったと。地元の人は岩絵にそんなに興味無いのだ。そんな余裕は無いというべきか。厳しい暮らしで外から新しい人が入ってくることが少ない。どうしても親類内で結婚することになるので血も濃くなっていろんな問題もおきる。

彼は40近くになって結婚し、二人の娘が生まれたが、二人目の出産で妻を亡くした。わずか二年の結婚生活だった。

ところで、エドガルがジブリ・アニメの大ファンだというので、ハヤオ・ミヤザキは俺の家の近くをよく車で通る、喫茶店でタバコ吸ってる、というと、「マジで? 話したことあるの?」と。もちろん無い。トトロの森のモデルになった森もあるぞ、というと、「マジで? 本当にあるの? 信じらんない」と。森はある。トトロはもちろんいない。『火垂るの墓』も何度も見て泣いたというので、あれは一部作家の実話に基づいてるんだと話す。面白い作家で、最近亡くなったんだが、彼は歌手でもあったんだと。

こんな歌、と言って「黒の舟歌」を歌った。寒々とした岩山の谷に「ロゥアンドロゥ...」の声が響き渡る。何でこんな所で私はこんな歌を。

「なんて悲しげなメロディーなんだ。どういう詞なのか教えてくれ」とエドガル。

歌詞について話すと、「なんでその内容でそんな悲しげなメロディーなんだ。おかしいだろ。舟をこぐって、それはアレじゃないか」とエドガル。ええそうです。

ホセもときどき小さな声で鼻歌を歌っている。そして、「フリオ、フリオ、フリオ(寒い寒い寒い)」としきりに体をさする。カウボーイが寒がるんだから、本当に寒いんだ、ツアー会社に言ってやろう。

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ホセの犬スコは何でも食べる。かなり辛く味付けされたものも食べているので、ちょっと塩気が多すぎてよくないんじゃないかと思ったが、こんなに厳しい場所で14年生きてるんだから、問題ないな。静かな犬でほとんど吠えないが、時々暗闇に向かって低く唸る。これがちょっと怖い。

この山地にはマウンテン・ライオンがいるし、かなりワイルドな山猫もいるという。なかなか見ることはないようだが。スコは勇敢な犬で牧場に入って来たコヨーテと闘ってかみ殺したのだそうだ。

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2017-02-14

バハ・カリフォルニアの旅4日目

朝早めにサン・イグナシオの宿を出てサンフランシスコ山地へ向かう。

標高が上がると少しずつ生えている植物も変わる。ほぼサボテンだが。

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かなり標高が高くなったところでオフ・ロードに。シエラ・デ・サンフランシスコに入った。途中岩絵のサイトCueva de Ratonの横を通り過ぎる。ここは帰りに寄ることに。少し行くと、メキシコのINAH=国立考古・歴史協会のオフィスを兼ねた家に寄り、名前を書き、料金を払う。サンフランシスコ山地の遺跡は世界遺産に登録されているので、管理がかなり厳しいのだ。行く人は少ないが。


さらに少し進んだところにいくつか小さな牧場がある。簡素な家、教会、墓地。何人くらい住んでいるのかわからないが、後できいたところによると、親類縁者が多いようだ。一番奥の牧場ランチョ・グァダルーペで降り、ここから案内をしてくれるオールド・カウボーイのホセとロバ4頭、ラバ2頭と犬一匹のチームと合流。牧場のキッチンで昼ご飯を食べ、荷物をしっかりロバの背中にくくりつけて出発。3人で行くわりにはすごい荷物だ。

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牧場があるのはほぼ山地の天辺。しばらくある程度平坦な道を歩くと、これから入るサンタ・テレサの岩絵群の案内板が。ここから谷底に一気におりて行く。かなり急な山道だ。ロバ・ラバ隊が滑り落ちないが不思議だ。ときどきズルッとなるが、転んだらそのまま谷底に落ちる。道が細くて滑りやすいのと同時に、左右に生えているのが全てサボテンや長い刺のある植物ばかりでつかむものが無いのも辛い。枯れたサボテンは普通の枯れ木のように見えるが、滑りそうになって反射的につかんでしまうととんでもないことになる。

ロバとラバは皆カウベルをつけているが、その音が涼しげでいい。

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3時間ほど下って谷底に牧場に。サンタ・テレサ牧場だ。こんなに離れた所に牧場があるのが驚きだ。隣の牧場に行くだけでも歩いて5時間はかかる。かなり高齢の婦人が住んでいるという。谷底には水があるので、ヤシの木やオレンジが生えている。

ロバ隊の荷物をおろす。皆ヘトヘトだ。足首から血が出ているものもいる。犬だけは元気いっぱいで年齢を聞いたら、14だという。とてもそんな歳には見えない。さらに、ホセはてっきり60代後半かと思いきや、私と三つしか違わなかった。

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この谷に降りてキャンプするにはロバが必要なのだ。簡易な装備で自分でかついで下ることも可能だろうが、地元のガイドとともに行くことがルールになっている。彼らの収入源でもある。それにトイレも禁止されているので、簡易トイレなども持っていかねばならない。また、今回はアメリカに本社のあるツアー会社でアメリカ人相手のツアーなので食料など必要以上にそろっている。オーストラリアの岩絵を見て歩くツアーなど、クラッカーなど軽いもので済ませるのとはえらい違いだ。


テントをはって、次は夕飯の準備だ。プロパンのボンベをおろす。屋台で使うように小さなボンベだ。そこにホースをつないでコックを開けると、ガスが勢いよく漏れている! 

「ん? 締めが足りないかな?」とエドガル。きつく締めるが激しく漏れる。どうも見たところホースとボンベの接合部分のパッキンか何かが無くなってるようだ。これは困った。何かかわりになるものはないか、となって、私が足を痛めたときのために持って来たテーピング用のテープがあった。エドガルが細く切ってOリングのようなパッキンを作り、「たぶんこれでばっちりだろ」と。だが、やはり激しく漏れる。あれこれやったあげく、もうこうなったらミイラみたいに全部ぐるぐる巻きにしようぜ、と私。「そうだな、そこまでやればいくらなんでも...」やはり漏れる。何度巻き直しても漏れる。

「ヒデハル、パンと果物だけで三日やれるか?」

マジすか? コーヒーとかも無し....? いやだと言ってもどうにもならない。

「たき火すればいいんじゃん?」と私。キャンプサイトにたき火の跡がある。

「今、禁止されてるんだ。世界遺産だから」

世界遺産...。なんて厄介なんだ。

エドガルがあれこれ試して疲れ果ててトイレに行っている間に、牧場から出て来て見物していた男が二人でボンベをいじり始めた。どうも、コンロの方の口を開いちゃえば根元ではそんなに漏れないと言っているようだ。

戻って来たエドガルに話、やってみようということになった。でも、ボンベを風下に置いて、先に元栓を締めるのを忘れないようにしようね、と言いつつ、その後彼は何度も忘れることに。

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なんとか暖かい旨い夕飯を食べてビールを飲んで早々にテントに入る。結構疲れた。それにかなり寒い。ダウンジャケットを持ってなかったらかなり辛かったと思う。ツアー会社はウィンドブレーカーか何か持って来てと言っていたが、そんな甘いものではない。

今日は谷底に降りておしまい。明日から岩絵を見て歩くことに。

満天の星。フクロウの鳴く声が。

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2017-02-13

バハ・カリフォルニア3日目

今日からメインの岩絵のツアーに。朝、ガイドのエドガル・ユリシスが迎えに来た。27歳。北に向かう。

途中古いフランスの植民地の町サンタ・ロサリアに。町並みも100以上前のものが残っている。この町はエッフェル塔の設計者ギュスタヴ・エッフェルが設計した鉄の教会でも有名だ。ヨーロッパで一度組み立てられ、解体されてカリフォルニアに。バハ・カリフォルニアに運ぶ予定が間違ってカリフォルニアに運ばれたのだ。そこからさらに南に運ばれてサンタ・ロサリアに再建されたのだそうだ。

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サンタ・ロサリアには古いパン屋がある。100年以上やっている店で、窯も100以上前のものをそのまま使っている。メロンパンそっくりなパンがあった。

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小さなかわいい本屋も。

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サンタ・ロサリアは銅の鉱山で賑わった町だ。もう枯渇してしまって、工場も廃墟のまま残されている。港に木造の今にも崩れそうな廃墟がぽつんと建っている。おそらく荷を船に積むクレーンがついていたのだろう。最近になってカナダと韓国の合弁会社が新しい銅山を拓き、盛んに掘っているらしい。

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ここでパンを買い、さらに北へ。岩絵のある山の入り口の村サン・イグナシオに。古いミッションが建てた教会がある。小さな村と聞いていたので、さぞ簡素な宿に泊まるんだろうと思いきや、えらく綺麗な旅行者向けのホテルがあった。意外。最初にここに入ったミッションが建てた古い教会がある。

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昼はサンタ・ロサリアで買ったパンを車中で食べたので、それで済ませるのだと思いきや、そんなことはしないと。町の食堂に入る。もう3時なんだが。魚の蒸し焼き料理を食べる。クリーム煮だ。これがまた旨かった。綺麗に平らげると、店の主人が「なかなかいい食べ方だな。ぜひまた来てくれ」と。

その言葉通り夕飯もそこで食べることになった。運転手は車とともにロレトに帰った。明日からはまた別の車を頼む。

エドガルとビールを飲みつつずいぶん話す。彼はとてもいい男だ。岩絵のツアーガイドだけでなく、ネイチャー系のガイドもしている。

3本目を飲み始めた頃、二人ともかなり酔っぱらってきた。ウミガメの話になり、「そういえば、日本にこんな昔話がある」と、浦島太郎の話をすると、なんて不思議な話なんだ、「どうしてそんな函を渡したんだ?お姫様は?」と。

彼の名エドガルは「運命の槍」というような意味なのだそうだ。検索したが姓にはあるようだが、ファーストネームは珍しい。ユリシズはユリシーズだから気に入っているんだけど、これもキリスト教的な、信仰を守る者というような意味なんだと。ずいぶん大げさな、最初にアメリカに入ったミッションかコンキスタドレスだったらぴったりな名だ。

漢字が好きだというので、明日当て字で何かつけてあげるよ、と。

夕飯は軽く済ませようとタコスを頼むが、ぎっしりと具が入ったのが三つに、芋の付け合わせ。こんなんじゃ太って帰ることになる。

2017-02-12

バハ・カリフォルニア行・2日目

朝は寒い。こんなんで、山の中でキャンプしたらかなり辛い。ダウンジャケットがあって正解だった。

今日は明日からの本格的な岩絵ツアーの前に、日帰りで行ける場所に。できればそこもメインのツアー会社に追加で行ってほしかったのだが、プライベートツアーで割り増しをかなりとっている割に、相談には乗ってくれなかった。ガイドはサルバドルで、8時半に迎えに来た。サルバドルにきくと、彼に頼めばメインのツアーで行く場所も半額以下、下手をすると三分の一くらいで行けそうな感じだった。そのかわり、食料とか自分で用意してもらうというようなことを言っていたが、キャンプ用品などを頼んだとしてももっと安くあがっただろう。でも事前情報が全く無かったので仕方ない。準備にそれなりの時間がいるので、現地に来てから相談というわけにもいかない。

途中から干上がった河原の石がゴロゴロしているオフロードを延々と走る。夏にはかなり雨量があるので、そこら中水があふれて道も壊れて通れなくなることが多いと。オーストラリアと同じだ。かなり分厚い堆積のある場所で、そこら中石ころだらけだ。

干上がった河原にかわいい白い花がたくさん咲いているなと思ったらチョウセンアサガオだった。メディシンマンがこれで幻覚を見たのさとサルバドル。日本にあるものよりかなり背が低い。

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一帯は放牧地で比較的細かく所有者が分かれている。ゲートを開けながら進む。途中、雄牛が路上で頭をぶつけ合うマジな喧嘩をしていた。

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 メキシコ政府の考古学歴史学協会が管理している受付で150ペソ払う。芳名帳を見たが、日本人はいないようだ。車で約3時間走った後は30分ほど山を登って、San Borjitasの洞窟に。荷物が重い。だんだんとレンズをそろえていって、装備が充実しているが、その分重くなった。望遠レンズは鳥を撮ろうかと思って持って来たのだが、必要なかったかもしれない。大きなサボテンのてっぺんにハゲ鷲のような鳥がとまっていた。

San Borjitasは洞窟というより、シェルターだ。このエリアのものはほとんどがそのようにみえる。ここは明日から行くSierra de San Franciscoではなく、Sierra de Guadaloupeの中。ほかにも山の中にはたくさんのサイトがある。全部見るのに何日かかる?と聞くと、この山だけで一ヶ月かなと、サルバドル。ということはバハ・カリフォルニアの岩絵全部見るなんてことはほぼ不可能だ。

天井の入り口近くの面に人物像がびっしり描かれている。この地方特有の赤と黒に塗り分けられた像も。少しかすれ気味であるが、壮観だ。ひとつひとつの絵が大きい。最も大きな人物像は長さ2メートルある。

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 驚いたのは、体中矢がささった人物が複数あることだ。本で見ていたときは気づかなかった。呪詛画なのか、実際の戦いの記録なのか。オーストラリアにも似たものがあるのを思い出した。

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小さな人、カエルのような人、そして、頭に角のあるシャーマン像が。このシェルターは居住用ではなく、シャーマンの場所だったとサルバドル。ただ、そこまで正確にはわからないだろう。人が住んだ形跡があまり無いということか。そのへんもオーストラリアに似ている。

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牛や鹿の絵もある。そして、ペトログリフも。サルバドルはペトログリフは絵よりも古いと言っていたが、ここのものは絵を削っている。

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撮影は三脚でできるだけ低い位置からと思ったが、上向きにセットしたカメラのファインダーを覗くのが、50肩由来の首痛でかなり無理なことがわかった。途中であきらめてフラッシュ撮影に。50肩、いいかげんにしてほしい。でも、フラッシュの写真は悪くなかった。

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離れたところから「どんだけ撮るんだ?こいつ」という白けた目で見ていたサルバドルが、「もう一カ所小さなサイトがあるが、見たい?」と。モチロンです。

川の対岸にあったサイトは確かに小さく絵も適当な感じだったが、ネガティブハンドがあった。この写真だけ見たら、動物の描き方といい、オーストラリアのものと言われても納得する。

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車に戻り、サルバドルが作ったハムとアボカドとトマトとタマネギとその他いろいろはさんであるサンドイッチとビールを。おいしかった。

ムレヘの町に着いたのが3時頃。まだ日暮れまで時間があるので、刑務所跡の博物館に行く。ムレヘは1970年代頭に道路ができる前は、船でしかアクセスできなかった。そのため、一種の島流し的に刑務所が作られたのだ。

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今日は日曜、店もほとんど閉まっていて、静かなものだ。

 

2017-02-11

バハ・カリフォルニア行・1日目

 羽田を夜1時に出て、香港、ロサンゼルス経由でバハ・カリフォルニアのLoretoに。東京からアメリカ直行の便はバハ・カリフォルニアにいくアラスカ航空との接続が悪く、ロスで一泊しなくちゃならない。キャセイ・パシフィックは乗り継ぎ時間も無駄が少なく値段も安かった。香港空港のベンチで少し寝て、ロス行きに乗るとなんと、大阪、東京の上を飛んでいる。なんともアホらしいが仕方ない。幸い、ロス行きの飛行機は空いていて、横3席分使えて寝られたのがよかった。

 ロスの入国手続きでどうせまたイヤな思いをするんでしょ? と思っていたが、数年前と様変わりし、電子手続きの端末がずらり。ここでパスポートの読み込みと指紋、顔写真を機械で撮り、簡単な税関の質問にも答える。日本語もある。

 この機械で顔のプリントをしたものを持って、次は対面の審査。これは簡単(というか昔はみなそんな感じだったが)に終わり、さほど不快な思いをせずに済んだ。後から読むときのために書いておくが、ちょうど一週間前ほど、トランプがイスラム系の指定7カ国からの入国を一時停止したため、空港は大騒ぎになっていたのだ。それが、ワシントン州の高裁の判断で大統領令が執行停止になり、一時的に混乱も解消された。またきっと別の大統令を出すだろうが。

 アメリカも物価が高い。サンドイッチとヘルシーなジュースで2000円近くした。

 ロレトに着くとやはり蒸し暑い。ごく小さな空港だ。金持ちで自家用機で来るアメリカ人もいるので、滑走路は複数ある。ホテルも滑走路付きのものがあり、そのへんが日本では考えられないところだ。

 私はつましくタクシーでバスのターミナルに行く。空港でクレジットカードでペソをキャッシングしようかと思ったら、なぜかうまく行かず。町に出ればATMくらいたくさんあるだろうと思ったのが間違いで、バスのターミナルは少し町の中心から外れていた。バスはペソじゃなきゃダメよん、というので、ATMを求めてうろうろ。どうして私は現地通貨でヘマをするのか。

 教えられるままあちこち歩いたが、無く、そうだ、とばかりにスーパーに入ってドルで安い買い物をして釣りをペソでもらう。ちょっと足りなかったので、もう一度オレンジジュースを20ドル紙幣で買おうとすると、おばちゃんが、さっきのお釣りのペソで払いなさいよ、と。

 いや、実は俺ペソが欲しいだけなんだ。頼むよ。というと、そんな変なやつもいるのかと、仕方なく20ドルでお釣りをくれた。ありがとう、おばちゃん。

 バスのチケットを買い、さぁ来い、オンボロバス、もうギュウギュウになる覚悟はできてるぜと思って待っていたら、観光バスのような綺麗なのが来た。エアコンのきいた、実に快適なやつ。メキシコやグァテマラのバスというと、荷物を屋根の上にのせて、バス停でビニール袋に入ったすごい色のジュースを売りにくるようなやつの印象しかなかったのだが。よく考えてみると、それはみな20世紀の話。いつまでも同じじゃないのだ。

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 車窓から見える景色はいかにもな感じの枝サボテンが生える砂漠と岩山。海は青く静か。途中軍による荷物チェックがある。積み荷の段ボール類をひとつひとつ切って開けて調べていた。もちろん麻薬を。

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 2時間半近くかかってMulege=ムレヘに。タクシーに乗って、Las Casitasホテルに。運転手が「後でサルバドルがお前に会いに行くから」というので、「え? 何で知ってるの?」というと、「だって俺、兄弟だから。聞いてるよ」と。

 サルバドルはトリップアドバイザーで見つけたガイドで、今回メインの壁画のツアー会社が行かない所に連れて行く男なのだ。

 ホテルはこじんまりしたいい感じの、レストランがついた宿。一泊25ドルは安い。部屋だって悪くない。古いロッキング・ホースが置いてあった。サルバドルが部屋に来て、明日朝の打ち合わせ。

 さすがに35時間も移動していたので、疲労困憊し、ホテルのレストランで食事し、早々に休むことに。歌手がカラオケで歌っていた。曲は「ラストダンスは私に」とか、50年代末から60年代頭くらいのものが多い感じ。ちょっと意外だったのはジム・クロウチのリロイ・ブラウンを歌ったこと。久しぶりに聞いた。ムレヘは昔ロケでジョン・ウェインが泊まった宿がある。風景をみると西部劇のロケにぴったりだ。町も、それから泊まっている白人客も、かなり老いている印象。選曲もそんな時代に合わせてだろう。

 魚の蒸し焼きとビール2本で800円。安すぎる。多分ビール代を足し忘れている。一人旅はいいのだが、レストランで一人で食事するのは苦手。間がもたないのだ。早々に席を立つ。

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2017-02-10

メキシコ、バハ・カリフォルニア南部に行ってきます

明日から、バハ・カリフォルニア南部のシエラ・デ・サンフランシスコに先住民が残した洞窟壁画の撮影に行ってきます。広いエリアに二〇〇を超えるサイトがあると言われ、アクセスは徒歩か馬でないと難しい場所です。今回は主だった場所を3泊のキャンプを含むツアーで行ってきます。

バハ・カリフォルニアで絵を残した先住民は既にいません。スペイン人が入ってまもなく、「消えて」しまったようです。他の「新大陸」の土地と同様、殺害や強制労働、疫病が原因でしょう。絵は古いものは8千年前という説明もありますが、ほとんどは紀元後、それも比較的新しいものです。ただ、バハ・カリフォルニアは、南端で最近非常に不思議な人骨が数多く出土していて、独得な歴史のありそうな土地です。その頭蓋骨は現在の先住民であるモンゴロイドとは全く特徴の異なる、ほっそりとした、どこか西洋人のようなもので、「新大陸」への人間の流入に関して様々な議論を呼んでいます。

電気の無い場所が多いので、まとめてになりそうですが、ブログに報告を上げていきます。

2016-10-30

『美しいアンティーク鉱物画の本』再版にともなう訂正のお知らせ

7月に刊行しました『美しいアンティーク鉱物画の本』(創元社)ですが、再版が決定しました。修正が二ヶ所ありますので、お伝えいたします。

p.111 右下のモザンビークの切手ですが、発行年と鉱物名に誤りがありました。正しくは1971年、安タンタル石、です。

p.115 中段、フランス領南方・南極地域の切手の発行年に誤りがありました。正しくは(左から、あられ石・1990年、モルデン沸石・1991年、中沸石・1989年)です。

美しいアンティーク鉱物画の本

美しいアンティーク鉱物画の本

2016-10-16

スラウェシ島探訪9日目

スラウェシ島最後の日はタナ・トラジャから南下してスラウェシ島南端の年マッカサルまで車で移動する。8時間かかるし、道路事情によっては10時間かかるというので、夜明け前に出発した。飛行機に時間に合わせなくてはならないので、自動車チャーターした。運転手は前日までと同じ人だ。山越えの道の途中で朝ご飯を食べる。小松菜の入ったインスタントラーメン。麺は「ミー」。有名なミーゴレンは「炒めた麺=焼きソバ」という意味だ。こちらはインスタント乾麺が普及していて、あちこちに広告がある。

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運転手は凄まじいスピードで走り、どんどん前の車を追い越していく。景色もゆっくり見ていられない。「あ、今のは何?」と言っても、その時は既に数百メートル先まで行ってしまっている。あのー、かなり余裕をもって出たのだからそんなに急がなくてもと言うと、「そうだよね」と言いつつも、すぐにスピードアップ。ちょっと怖いくらいだった。この運転手は洋楽好きで、70-80年代のヒット曲が入ったメモリ・カードなど持っている。「これ、俺が高校生の頃の曲だぜ」と言うと、「そんなはずない」的な反応だった。

運転手が猛烈にすっ飛ばしたため、夕方5時過ぎ発の国内便に乗ればいいのに、マッカサルに昼前に着いてしまった。なんとしよう。

マッカサルは大都市だ。が、「特に行くべき面白い所もない」というのが、大方の見方のようだ。とりあえず腹ごなしをしようと、シーフードの食堂に。入口で魚を選んで調理してもらう形式だ。小型のガサミのような淡水のカニがある。これにする、と、指さして料理してもらうことにした。

運転手君の焼き魚定食はすぐに来たが、カニはなかなか来ない。手で食べる人が多い。器用にライスとおかずを混ぜながら食べる。

運転手君があらかた食べ終わってしまったころ、ようやくカニが来たが、これが軽く二人前以上あろうかという量で仰天した。とても一人で食べきれない。

「これ、本当に一人前なの?」と確認してもらったが、そうだと。支払い時に再び仰天。2500円くらいするではないか。普通の料理が500円くらいだからやはりカニは高い。本当は2人前だったんじゃないかと今でも疑っている。

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オランダ統治時代のロッテルダム要塞跡を見学。中は博物館になっている。日本占領時代は捕虜収容所として使われていたようだが、その時代の記録は見当たらなかった。社会科見学の高校生のグループが近づいてくる。

「あのー...」というので、また写真かなと思いきや、英語でインタビューだった。

数人を代表して、成績の良さそうな女子が質問してきた。

「アナタは展示を見てどう思いましたか?」

「いや、たった今来たからまだ何も...」と言うと、インドネシアのJKは「あぁ、せっかく勇気を出して話しかけたのに」という感じの絶望的な表情になったので、慌てて「いや、えーっと、歴史的な展示がいろいろあって...」と適当に答える。

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娘の土産にと、土産物屋で少し貝殻などを探すが、売っている店は無し。「貝? なんで?」という反応。蝶の標本とかは売っているのだが、綺麗な貝は無し。

そうこうしているうちに飛行機の時間が。ジャカルタに向かうライオン・エア機に乗り、スラウェシ島を発った。

飛行機と車で移動している時間が長く、ちょっと腰の痛くなる旅だったが、面白かった。スラウェシ島の人たちの人当たりの良さ、温厚さが印象的だった。

2016-10-15

スラウェシ島探訪8日目

この日は先ずランテパオの市場に行く。コーヒーの量り売りがあるのが、トラジャらしい。豆のままと挽いたものと両方売っているが、かなり細かく、パウダー状に挽いてある。試しに200g買ってみた。こちらの人たちはコーヒーにたっぷり砂糖を入れる。ミルクは入れないし、お店でも出さない。

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ナマズやウナギ、フナなどの川魚も売っている。テンテナの巨大ウナギとは比べものにならないが、立派なウナギだ。珍しかったのはビンロウの実だ。これを少量の石灰と一緒にキンマという植物の乾燥させた葉にくるんで噛むと軽い酩酊感があるというのだ。噛みたばこのように噛んで唾を吐き出すらしい。試してみれば良かったが、市場では説明がよくわからなかった。「女の噛みたばこ」だという説明だった。ここでは男は噛まないようだ。売っているおばさんも葉巻きのようにしたものをくわえていた。

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この日は週に一度の「肉市場の日」だった。肉と言っても生きた肉だ。壮観だったのは水牛売り場で、近隣の農家が持ち寄った水牛が広場に集められている。個別交渉で売買されるようだ。

白地に黒いブチの水牛が最高級とのことで、これで家屋のレリーフになぜ白い牛の絵が描かれているのか納得がいった。黒い模様の形でもまた価値が変わるのだという。たとえば、何か人の姿に見えるような模様が入っていると大変な値段がつくことがあるのだそうだ。最高級のものは500万円、あるいはそれ以上くらいはするのだと。並の水牛はその10分の1以下だそうだ。墓所に人形を置いたり、巨石を置いたりする資格が認められるという、「水牛を24頭屠る葬儀」を出すことができる家がどれだけ裕福かわかるというものだ。ここで売られる水牛はほぼ葬儀用で、普段の食用はほとんど無いという。私も一度レストランで水牛のステーキを食べたが、おそらく外国人相手のレストランくらいでしか出さないのではないだろうか。豚は縛られて並べられている。子豚は大きなズタ袋に入れられている。面白いのは闘鶏用の鶏も売っていることだ。闘鶏が盛んで、かつてはもめ事があると闘鶏で白黒つけるというのも多かったという。トラジャの家の正面の上の方に白と黒の鶏が描かれているのは、正義というか公平さの象徴だという。

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市場の後は、Boriに巨石と集合墳墓を見に行く。狭いスペースに並んで立つ巨石はなかなかの壮観だ。尖った形に成形されているものがあり、オベリスクのようだ。古いものほどずんぐりとしているように感じられた。地衣類がびっしりついている。かつてこの石をどのようにして運んだかなど、写真を見てみたかったが、周辺は玄武岩が豊富なので、さほどの移動距離でもなかったかもしれない。巨石の奥には丸い玄武岩の巨大な塊に墓穴を穿った墓地を見た。均整のとれた形をしているので、どこかブロツキーとウトキンの「紙の建築」のようにもみえる。ちょうど新しい墓穴が造られているところだった。

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段々畑を眺めながらひと休み。千枚田のようになっている所もある。

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もうひとつ巨岩の墓地を見る。ちょうど埋葬したばかりではしごがかけられていた。下に置かれている家形の輿は遺骸を載せて運ぶためのものだ。このまま墓所に置いておくものらしい。墓穴には蓋がついているが、写真が飾られているものもある。基本的に、ひとつの穴がひとつの家系ということだが、有力者が亡くなると、新しいものを作ろうということにもなるようだ。火葬ではないので、いっぱいになるんじゃないの? というと、整理すれば大丈夫とヨハニス。驚いたのは墓所の下に用済みになった棺桶が乱雑に放置されていたことだ。葬儀にあれだけの手間ひまと費用をかける人たちだが、そのへんはどうでもいいんだろうか?

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もうひとつ巨石が並ぶ場所を見る。車で通り過ぎながら、「ここも巨石の場所、見る?」というので、「モチロン見ます」と。巨石があるたびに止まって写真を撮っている私に、ヨハニスはだんだん違和感を抑えがたくなったようで、「あんたみたいに巨石が見たいという人は初めてだ。たいてい、ひとつみれば十分だと言うんだけど...何故?」と言うので、「あ、巨石を研究してるんだ。本も書いたことあるんだ」と言うと、「そうか、研究してるんだ!」と納得した様子。ウソではない。

ひときわ背の高い巨石があった。比較的最近のものらしい。よく見ると途中で折れたものを接着しているではないか。運ぶ途中で折れたのか。縁起が悪いとかいう考えはないんだろうか。

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巨石は見たところほとんどが玄武岩のように見えたが、歪な形の太湖石のような石灰岩があった。これは故人の好みによるものなのだろうか。

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比較的早くこの日は宿に戻った。実質的に最後の日なので、何か土産をと思い、古い布など売っているような店はないかと相談したのだが、昨日寄った店以外ないというので、もう一度寄ってもらい、織物を買う。店主がかなり古い布をたくさん持っていたようなのだが、火事で焼けてしまったらしい。

ヨハニスが別れ際に、「実はこの近くにも巨石の場所があるんだけど、興味ある?」と。だから、巨石は全部見たいと言ってるでしょ。彼のバイクの後ろに乗せてもらい、ごく近くの巨石サイトに行く。彼は私を降ろすと「じゃ、これで」と帰っていった。見送って、少し歩くと、ノコギリの歯のように成形された石があり、これがなかなか面白い。見逃さずによかった。

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石の写真を撮っていると、遠くから「ハローッ!」という声が。どうもスラウェシ島では「外人に声かける」遊びが流行っているらしい。子どもが人懐っこくて元気だ。今の日本の子どもから無くなってしまったものを、この旅行でたっぷり見たような気がする。

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巨石の場所から宿に帰る道すがら、骨董店に入る。ヨハニスは「他に店は無い」と言っていたが、こんなに近くにあるではないか。

この店で売っている布が面白かった。織物ではなく、型絵染めがある。12畳ほどの店内の壁の上のほうをぐるりと巻いた長い布がある。鹿などの動物の中、象に乗った人物、大きな弓を引いている人の姿がある。狩りの場面のようだ。スラウェシには象はいないので、さすがにこれは他の島の布だろうと思ったが、スラウェシのものだという。なんだかよくわからなくなった。

なんだかよくわからなくなったまま、短い日数だったが、スラウェシ探訪は実質的にこれで終わり。明日はスラウェシ南端の大都市マッカサルまで一日車で移動だ。

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