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lithosの日記

2016-10-30

『美しいアンティーク鉱物画の本』再版にともなう訂正のお知らせ

7月に刊行しました『美しいアンティーク鉱物画の本』(創元社)ですが、再版が決定しました。修正が二ヶ所ありますので、お伝えいたします。

p.111 右下のモザンビークの切手ですが、発行年と鉱物名に誤りがありました。正しくは1971年、安タンタル石、です。

p.115 中段、フランス領南方・南極地域の切手の発行年に誤りがありました。正しくは(左から、あられ石・1990年、モルデン沸石・1991年、中沸石・1989年)です。

美しいアンティーク鉱物画の本

美しいアンティーク鉱物画の本

2016-10-16

スラウェシ島探訪9日目

スラウェシ島最後の日はタナ・トラジャから南下してスラウェシ島南端の年マッカサルまで車で移動する。8時間かかるし、道路事情によっては10時間かかるというので、夜明け前に出発した。飛行機に時間に合わせなくてはならないので、自動車チャーターした。運転手は前日までと同じ人だ。山越えの道の途中で朝ご飯を食べる。小松菜の入ったインスタントラーメン。麺は「ミー」。有名なミーゴレンは「炒めた麺=焼きソバ」という意味だ。こちらはインスタント乾麺が普及していて、あちこちに広告がある。

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運転手は凄まじいスピードで走り、どんどん前の車を追い越していく。景色もゆっくり見ていられない。「あ、今のは何?」と言っても、その時は既に数百メートル先まで行ってしまっている。あのー、かなり余裕をもって出たのだからそんなに急がなくてもと言うと、「そうだよね」と言いつつも、すぐにスピードアップ。ちょっと怖いくらいだった。この運転手は洋楽好きで、70-80年代のヒット曲が入ったメモリ・カードなど持っている。「これ、俺が高校生の頃の曲だぜ」と言うと、「そんなはずない」的な反応だった。

運転手が猛烈にすっ飛ばしたため、夕方5時過ぎ発の国内便に乗ればいいのに、マッカサルに昼前に着いてしまった。なんとしよう。

マッカサルは大都市だ。が、「特に行くべき面白い所もない」というのが、大方の見方のようだ。とりあえず腹ごなしをしようと、シーフードの食堂に。入口で魚を選んで調理してもらう形式だ。小型のガサミのような淡水のカニがある。これにする、と、指さして料理してもらうことにした。

運転手君の焼き魚定食はすぐに来たが、カニはなかなか来ない。手で食べる人が多い。器用にライスとおかずを混ぜながら食べる。

運転手君があらかた食べ終わってしまったころ、ようやくカニが来たが、これが軽く二人前以上あろうかという量で仰天した。とても一人で食べきれない。

「これ、本当に一人前なの?」と確認してもらったが、そうだと。支払い時に再び仰天。2500円くらいするではないか。普通の料理が500円くらいだからやはりカニは高い。本当は2人前だったんじゃないかと今でも疑っている。

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オランダ統治時代のロッテルダム要塞跡を見学。中は博物館になっている。日本占領時代は捕虜収容所として使われていたようだが、その時代の記録は見当たらなかった。社会科見学の高校生のグループが近づいてくる。

「あのー...」というので、また写真かなと思いきや、英語でインタビューだった。

数人を代表して、成績の良さそうな女子が質問してきた。

「アナタは展示を見てどう思いましたか?」

「いや、たった今来たからまだ何も...」と言うと、インドネシアのJKは「あぁ、せっかく勇気を出して話しかけたのに」という感じの絶望的な表情になったので、慌てて「いや、えーっと、歴史的な展示がいろいろあって...」と適当に答える。

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娘の土産にと、土産物屋で少し貝殻などを探すが、売っている店は無し。「貝? なんで?」という反応。蝶の標本とかは売っているのだが、綺麗な貝は無し。

そうこうしているうちに飛行機の時間が。ジャカルタに向かうライオン・エア機に乗り、スラウェシ島を発った。

飛行機と車で移動している時間が長く、ちょっと腰の痛くなる旅だったが、面白かった。スラウェシ島の人たちの人当たりの良さ、温厚さが印象的だった。

2016-10-15

スラウェシ島探訪8日目

この日は先ずランテパオの市場に行く。コーヒーの量り売りがあるのが、トラジャらしい。豆のままと挽いたものと両方売っているが、かなり細かく、パウダー状に挽いてある。試しに200g買ってみた。こちらの人たちはコーヒーにたっぷり砂糖を入れる。ミルクは入れないし、お店でも出さない。

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ナマズやウナギ、フナなどの川魚も売っている。テンテナの巨大ウナギとは比べものにならないが、立派なウナギだ。珍しかったのはビンロウの実だ。これを少量の石灰と一緒にキンマという植物の乾燥させた葉にくるんで噛むと軽い酩酊感があるというのだ。噛みたばこのように噛んで唾を吐き出すらしい。試してみれば良かったが、市場では説明がよくわからなかった。「女の噛みたばこ」だという説明だった。ここでは男は噛まないようだ。売っているおばさんも葉巻きのようにしたものをくわえていた。

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この日は週に一度の「肉市場の日」だった。肉と言っても生きた肉だ。壮観だったのは水牛売り場で、近隣の農家が持ち寄った水牛が広場に集められている。個別交渉で売買されるようだ。

白地に黒いブチの水牛が最高級とのことで、これで家屋のレリーフになぜ白い牛の絵が描かれているのか納得がいった。黒い模様の形でもまた価値が変わるのだという。たとえば、何か人の姿に見えるような模様が入っていると大変な値段がつくことがあるのだそうだ。最高級のものは500万円、あるいはそれ以上くらいはするのだと。並の水牛はその10分の1以下だそうだ。墓所に人形を置いたり、巨石を置いたりする資格が認められるという、「水牛を24頭屠る葬儀」を出すことができる家がどれだけ裕福かわかるというものだ。ここで売られる水牛はほぼ葬儀用で、普段の食用はほとんど無いという。私も一度レストランで水牛のステーキを食べたが、おそらく外国人相手のレストランくらいでしか出さないのではないだろうか。豚は縛られて並べられている。子豚は大きなズタ袋に入れられている。面白いのは闘鶏用の鶏も売っていることだ。闘鶏が盛んで、かつてはもめ事があると闘鶏で白黒つけるというのも多かったという。トラジャの家の正面の上の方に白と黒の鶏が描かれているのは、正義というか公平さの象徴だという。

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市場の後は、Boriに巨石と集合墳墓を見に行く。狭いスペースに並んで立つ巨石はなかなかの壮観だ。尖った形に成形されているものがあり、オベリスクのようだ。古いものほどずんぐりとしているように感じられた。地衣類がびっしりついている。かつてこの石をどのようにして運んだかなど、写真を見てみたかったが、周辺は玄武岩が豊富なので、さほどの移動距離でもなかったかもしれない。巨石の奥には丸い玄武岩の巨大な塊に墓穴を穿った墓地を見た。均整のとれた形をしているので、どこかブロツキーとウトキンの「紙の建築」のようにもみえる。ちょうど新しい墓穴が造られているところだった。

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段々畑を眺めながらひと休み。千枚田のようになっている所もある。

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もうひとつ巨岩の墓地を見る。ちょうど埋葬したばかりではしごがかけられていた。下に置かれている家形の輿は遺骸を載せて運ぶためのものだ。このまま墓所に置いておくものらしい。墓穴には蓋がついているが、写真が飾られているものもある。基本的に、ひとつの穴がひとつの家系ということだが、有力者が亡くなると、新しいものを作ろうということにもなるようだ。火葬ではないので、いっぱいになるんじゃないの? というと、整理すれば大丈夫とヨハニス。驚いたのは墓所の下に用済みになった棺桶が乱雑に放置されていたことだ。葬儀にあれだけの手間ひまと費用をかける人たちだが、そのへんはどうでもいいんだろうか?

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もうひとつ巨石が並ぶ場所を見る。車で通り過ぎながら、「ここも巨石の場所、見る?」というので、「モチロン見ます」と。巨石があるたびに止まって写真を撮っている私に、ヨハニスはだんだん違和感を抑えがたくなったようで、「あんたみたいに巨石が見たいという人は初めてだ。たいてい、ひとつみれば十分だと言うんだけど...何故?」と言うので、「あ、巨石を研究してるんだ。本も書いたことあるんだ」と言うと、「そうか、研究してるんだ!」と納得した様子。ウソではない。

ひときわ背の高い巨石があった。比較的最近のものらしい。よく見ると途中で折れたものを接着しているではないか。運ぶ途中で折れたのか。縁起が悪いとかいう考えはないんだろうか。

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巨石は見たところほとんどが玄武岩のように見えたが、歪な形の太湖石のような石灰岩があった。これは故人の好みによるものなのだろうか。

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比較的早くこの日は宿に戻った。実質的に最後の日なので、何か土産をと思い、古い布など売っているような店はないかと相談したのだが、昨日寄った店以外ないというので、もう一度寄ってもらい、織物を買う。店主がかなり古い布をたくさん持っていたようなのだが、火事で焼けてしまったらしい。

ヨハニスが別れ際に、「実はこの近くにも巨石の場所があるんだけど、興味ある?」と。だから、巨石は全部見たいと言ってるでしょ。彼のバイクの後ろに乗せてもらい、ごく近くの巨石サイトに行く。彼は私を降ろすと「じゃ、これで」と帰っていった。見送って、少し歩くと、ノコギリの歯のように成形された石があり、これがなかなか面白い。見逃さずによかった。

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石の写真を撮っていると、遠くから「ハローッ!」という声が。どうもスラウェシ島では「外人に声かける」遊びが流行っているらしい。子どもが人懐っこくて元気だ。今の日本の子どもから無くなってしまったものを、この旅行でたっぷり見たような気がする。

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巨石の場所から宿に帰る道すがら、骨董店に入る。ヨハニスは「他に店は無い」と言っていたが、こんなに近くにあるではないか。

この店で売っている布が面白かった。織物ではなく、型絵染めがある。12畳ほどの店内の壁の上のほうをぐるりと巻いた長い布がある。鹿などの動物の中、象に乗った人物、大きな弓を引いている人の姿がある。狩りの場面のようだ。スラウェシには象はいないので、さすがにこれは他の島の布だろうと思ったが、スラウェシのものだという。なんだかよくわからなくなった。

なんだかよくわからなくなったまま、短い日数だったが、スラウェシ探訪は実質的にこれで終わり。明日はスラウェシ南端の大都市マッカサルまで一日車で移動だ。

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2016-10-14

スラウェシ島探訪7日目

この日は先ず前日と別の葬儀場を訪れる。ランテパオから比較的近い村で、中流階級のものだという説明だったが、確かに家屋の規模も参列者の数も違うようだ。

朝早く訪れると、なんと牧師が何か話し、賛美歌のような節の歌を歌っている。やはりクリスチャンなのだ。

前日と比べて、規模は小さいが様式は変わらない。ここでもタバコを1カートン、親族の男性に渡した。甘いコーヒーと茶菓子をいただく。

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水牛が運びこまれた。ロープで鼻先を押さえながら、ノドをナイフで切る。数秒間暴れるが、鳴き声ひとつたてず崩れ落ちる。

三頭目の最も大きな水牛は一度で止めをさすことができず、何度も切ることになった。見続けるには辛い場面だった。暴走して参拝者が怪我をすることもあるから気をつけろと言われる。

動物が屠られるのを目の当たりにするのは初めてだ。おそらく多くの欧米の観光客がそうだろう。気分が悪くなって帰る者も少なくないようだ。だが、彼らは我々や欧米人のように毎日のように肉を食べるわけではない。水牛は葬儀のため以外に屠られることはないし、通常の食事で供されることもない。

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結局、この日は水牛4頭が屠られた。前日に1頭、葬儀の初めに屠られたようなので、合計5頭ということだろうか。前日同様、しばらくすると、男達によっててきばきと解体されていく。葬儀の場は、こうした技術や手順を若い者に教えていく場でもあるのだろう。

「どうする? もっと見ていくか?」とヨハニスに聞かれる。このままずっといれば、おそらく屠った水牛や豚肉を竹の中に入れて蒸し焼いた料理をいただくこともあるのだろうが、葬儀を後にした。

Lemoで昨日見たのと同じような岩壁に穿たれた墓所を見る。やはり人形がおかれている。さながら人形の集合住宅のような雰囲気だ。人形づくりの職人もいる。土産ものと埋葬用と両方作っているようだった。

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墓所の近くの古道具屋には古い様式の人形が売られていた。実際に葬儀に使われたものではないのか、ちょっと気になるところだ。

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さらに南下してMakaleに。大きな町だ。町の広場にはトラジャの人々がこの島に来たときのことを表すモニュメントが。大きな「家」を数人の男がかついでいる。これはもう完全にお神輿だ。今でも葬儀の場面でこうした輿が使われることがあるようだ。この人たちの祖先はどこから来たのだろうか。

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Makaleの近くの石灰岩の山の上にキリスト像があるから見ようとヨハニス。全く気が進まなかったが、眺望もいいからと勧められる。キリスト像は数年前、地元の篤志家数人が作ったものらしい。山の上に続く道の入り口に顔写真入りの案内板が置かれていた。こういうことをしたがる人が世界中どこにでもいるものだ。日本でも山の上に巨大な観音像などが建っているが、好きになれない。勝手に眺望を変えるなといいたい。

キリスト像は面白くなかったが、石灰岩の一部が方解石の結晶を含んでいて、記念に少し持って帰った。

この後ずっと北上し、Kete'kesu村を訪れる。古い家屋と倉庫が並ぶなか、巨石が置かれている。トラジャは埋葬時に巨石を置く風習があり、トラジャを訪れた目的のひとつが、それを見ることだった。ヨハニスによれば、巨石は裕福な家族が埋葬の際に置くもので、水牛を24頭以上屠る大規模な葬儀だけにゆるされるという不文律のようなものがあるらしい。もっと共同体の祭事のようにして置かれるものかと思っていたので、少し意外だった。ヨハニスに「じゃ、結局お金持ち個人のものなのね?」ときくと、どうもすっきりと答えが返ってこない。確かに金持ちの葬儀に限られたものではあるけれど、村民をあげて行うものでもあり、そこには一種の共同性もあるようで....というような答えだった。もしかすると、キリスト教化されてから、宗教的な祭事としての意味が薄れていったのかもしれない。

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家屋の正面の装飾にワニの顔が付いているものがある。スラウェシにワニはいないそうだ。ますますこの人たちが何処から来たのか、興味深い。

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村の奥にやはり岩壁を利用した埋葬場がある。前日に見た、鍾乳洞内の木箱の墓と同じ様式のものだ。観光客が多く、中には髑髏を手にもっておどけて写真を撮る輩もいる。インドネシア人だが、都会から来た人たちなのだろう。学校の旅行で来ている学生も多いが、皆、いわゆる自撮りと、なぜか外国から来た観光客と一緒に写真を撮ることに熱心だ。何度も一緒に写真を撮ってくれと頼まれた。日本で1970年の万博の時、外国人からサインをもらうことが子供たちの間で流行ったという話を思い出した。似たような感覚だろうか。 

女学生の二人連れが長い自撮り棒で髑髏と自分たちをアングルを変えて延々と撮っている。剥き出しの状態で置かれた髑髏よりも、この二人の様子の方が異様だった。

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トラジャの織物を扱う店に寄って、宿に戻る。店には貝殻を使った装飾品があるので、ヨハニスに「これはトラジャのものなの? ニューギニアのものに似てるけど」というと、「もちろんトラジャのものだよ」と。だが、やはりニューギニアのものだった。彼はいろいろ知っているようで、実はそうでもないのかもしれない。ロンボク島の織物もあったが、それもトラジャのものだろうと言ったりしていたところをみると。

少し時間があったので、町を歩く。インスタント麺の大きな看板。テンテナでも食べたが、こちらはレストランで出てくる麺も全部インスタントの乾麺だ。ラテンアメリカの町などと違って中心がはっきりしないし、小さな町とは言ってもそれなりに規模が大きい。交通の激しい道路沿いは散歩するには歩きにくく、早々に帰った。

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2016-10-13

スラウェシ島探訪6日目

朝早く、トラジャ地方南方の村の葬儀を見学にでかける。香典としてタバコを買っていくべし、と、ガイドのユアニス。こちらではタバコは一般的なのだそうだ。2カートン買う。インドネシアのタバコはみな甘い香料が入っている。男性の喫煙率はまだかなり高く、甘い香料のために虫歯になる者も多いそうだ。

トラジャはコーヒーで有名だが、基本的に田園地帯だ。二毛作で、ちょうど田植えをしている所があった。

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葬儀は裕福な家の老女のものだった。7ヵ月前に亡くなったという。こちらでは葬儀にかなりの準備期間をもうけるので、数週間から半年、長ければそれ以上経ってから行われることもあるという。その間、遺体はそのまま置かれている。近年は防腐処理などもするようだが。

トラジャ特有の反り返った屋根の屋敷と穀物貯蔵用の蔵が並ぶ。船のような形だ。装飾が美しい。蔵が多いほど、その家の富の象徴となる。トラジャは古くから身分制度が厳格にあり、4つのカーストに分かれているという。かつては王族もいた。

ブタを香典として持ち込む参拝者も多く、竹竿に縛りつけられたブタの悲鳴が響いている。広場には既に屠られた水牛がおかれ、血だまりが出来ている。

葬儀において最初の水牛が屠られたとき、死者の「死」が確定され、あの世への旅が始まるのだという。水牛はこの地域において力強い生の象徴であり、屠られた水牛は死者のあの世への道連れだ。多くの水牛を屠れば、それだけあの世への旅は確かなものとなり、この世に残された者たちへの恩恵もあると考えられている。

母屋には水牛の頭がついている。

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葬儀を仕切っている遺族にタバコを渡し、挨拶をする。笑顔で、好きなだけいてくれていいよ、と。

大人は黒い喪服を着ているが、孫は男の子も女の子もカラフルな衣装を着て、参列者が奉納を行う場所の入り口に座り、参列を先導する。女の子はビーズの装飾品を身に付けていて、これが少しボルネオのダヤク族にも似ている印象がある。

参列が始まり、巨大なスピーカーから案内をする音声が響き渡る。厳粛さというよりは、どこか祭典といった趣だ。客をもてなす裏方の女性達もたいへんな人数でてんてこ舞いしている。静々と参列が続く中、横ではてきぱきと水牛の皮が剥がれ、解体されていく。血と臓物の匂い、牛の内臓から出てきた発酵した牧草の匂いが立ちこめている。裏方では持ち込まれたブタを殺し、毛をバーナーで焼いている。なんとも血なまぐさい葬儀だ。

これらの肉はいずれ竹の中に入れて蒸し焼きにするトラジャの伝統的な料理として振る舞われ、また、土産として渡される。水牛は葬儀を出す側が用意するものだ。

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亡くなった老女の娘さんが「あなたも母の顔を見てあげて、上の階にいるから」と声をかけてきた。サングラスをかけた、いかにもお金持ちといった雰囲気が漂っている。英語も流暢だ。

大きなお屋敷の二階に上がると、棺が置かれていたが、蓋は閉じられていた。近くにいた人が「午後にまた開けるから」と。十字架が置かれているのを目にして、そういえばここの人たちは今キリスト教徒なんだ、と、あらためて思い起こさせられた。儀式にキリスト教色が全く感じられないため、すっかり忘れていたのだ。

家屋の装飾はどれもほぼ同じ様式で、水牛の顔をモチーフにしたものが入っている。

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次々に参拝者が集まってくる。1000人を超えるだろうとヨハニス。葬儀は2-3日にわたって行われるが、ヨハニスによれば、今回は水牛12頭くらいが屠られるだろうと。「そんなに?」と驚くと、多いときはそんなもんじゃないとのこと。水牛は初日に少し、メインは二日目に屠られるのだという。

裏方の女性達に写真を撮らせてくださいと頼むと皆喜んで応じてくれた。コーヒーや菓子もふるまってくれた。湿ったカリントウのような菓子がある。甘い。

この地方は葬儀がある種観光の対象になっていて、多いときはバスで乗りつけるようなこともあるようだが、邪魔になるようなことさえしなければ、迷惑がられることはないとヨハニス。ただ、この葬儀は観光都市からかなり離れていたので、見たところ観光客は私一人だった。

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葬儀場を後にし、Suaya断崖の岩壁に彫られた墓を見にいく。ここは王族専用の墓所だ。墓穴の前に個人を偲ぶ人形が置かれるのがトラジャのスタイルだ。身分の高い、葬儀で24頭以上の水牛を出すことができた葬儀のときだけ、人形を置けるんだとヨハニス。何かと「身分」「家系」「裕福」といった言葉が出てくる。古いものは400年前くらいのものがあるという。

人形たちは、さながらバルコニーから下を眺めているように見える。不思議な光景だ。人形の中に水牛の上に乗っているものがあった。

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さらに近くの洞窟内の墓所を訪れる。こちらは岩壁に埋葬される前の埋葬の様式で、さらに古く700年前まで遡る古い墓所だという。鍾乳洞だ。入り口付近に髑髏が積み上げられている。動物などに漁られないよう、高い場所に置かれた木箱式の墓が朽ちて崩れ落ちたものなのだ。

「タバコを供えるから」とヨハニス。何かとタバコなんだな。棺というか箱形の墓はやはり船のような形をしている。

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骨の横にキティちゃんのぬいぐるみが。地元の人なのか、観光に着たインドネシアの女の子が置いたのかわからないけど、すごい違和感。

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人形も置かれているが、これは比較的新しいものだ。先祖供養のために近年になって置かれたものとのこと。少しユーモラスで、なんだかNHKの昔の人形劇の人形のようにも見える。

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木の墓にはとても精緻な彫刻が彫られている。

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洞窟の後は、巨木を穿ってつくられた、赤ん坊のための墓を見た。次に生まれてくる「成長」への祈りをこめて生きた木に埋葬するのだと。

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古い建物が並ぶ家の敷地にあるレストランで食事をする。母屋の正面には過去に屠られた水牛の角が飾られている。水牛を屠るのは葬儀のときだけだ。結婚式などでは行われない。あくまでも死者をあの世に送るための儀式に限られているという。トラジャの独特な屋根は今はトタンで葺かれているものが多いが、伝統的には二つに割った竹を沢山重ねて葺かれている。古いものの屋根は苔むしている。建物の装飾は美しく見ていて飽きない。古いものはやはり少し新しいものには無い趣がある。

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水田の中にこんもりとした丘があり、小さな建物が置かれているところがある。これはきっとかつては社のようなものがあったのだろうが、今は特にそうしたものは無いのだそうだ。キリスト教化されて長い。葬儀や家屋の様式などは伝統が継承されているが、信仰にかかわる部分ではそうはいかないらしい。話の中にも、精霊の名ひとつ出てこない。

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葬儀と墓所づくしの一日だったが、帰り際に結婚式の準備をするところをみかけた。

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宿泊地のランテパオからかなり離れた地域に行ったので、それなりに移動の多い一日だった。

明日、また別の葬儀があるという。2日目なので、水牛を屠るところが見られるぞ、折角だから見ていったらどうだ、と、ヨハニス。そうすることにした。

2016-10-12

スラウェシ島探訪5日目

この日は移動日だった。南へ下り、タナ・トラジャ地方に入るのだ。直線距離にしたら300キロもないが、やはり途中険しい山を越える所などあり、大変な時間がかかる。

テンテナからバスが出ているが、夜行バスで、13時間以上かかるというので、自動車チャーターすることにした。130万ルピア、1万円強だ。他に相乗りする人が見つかったら折半できたのだが、残念ながらこの日はいなかった。仕方ない。

朝、ノニがBada渓谷の石の説明をしてくれた。NapuとBesoaは母親のドリスに聞かねばならなかったが、Bada谷の石については話を覚えているから大丈夫とのこと。バスなどを乗り継いで、何日かかけて巡ったことがあると言っていた。彼女は今、多くのインドネシア人同様、スクーターに乗っている。スクーターは本来不安定な乗り物だが、みんなすごい。2人乗りは当たり前、間に小さな子をはさんで3人乗りで凸凹の山道をスクーターで走り上がっていく。大変なテクニックだ。タイの道路で4-5人乗りのバイクは見たことあるが、舗装道路ならまだわかる。スクーターで凸凹、ぬかるみ、なんでもありの山道はすごいと思う。

ところで、実は間抜けなことにクレジットカードを紛失していた私は、支払いのために現金を手にいれなければならなかった。日本円はジャカルタ空港では換金できるのだが、件のドタバタでその時間が無く、ポソでは円を扱う銀行がなかった。テンテナにあるわけもない。ATMはあるのだが、一度に出せる金額が少額なので、何度も引き出さなくてはならない。

あらかじめクレジットカードの会社に紛失の届けと、別のカードで何度もATMから引き出すが、セキュリティーをかけないようにと頼んでおいた。

民家に泊まった後、テンテナに帰る途中、スマホのSIMカードを入れ替えておいた。インドネシアは町のたばこ屋のような店でもSIMカードを売っているし、店主がチャージしてくれる。が、iphoneのSIMはサイズが小さく、私が寄った店にはそのサイズのものがなかった。どうするのかと思っていたら、なんと、大きなSIMもICチップの大きさは同じだなと確認した店の店主が、カードをハサミで切り、ヤスリでゴリゴリ削り始めたではないか。何度もやり直して、スロットに入り、「うん、これでOK」と。2GBに電話番号もついて、1か月のプリペイドが約600円程度だ。やはりアジアはたくましい。というか、日本の携帯会社が高コストすぎるのだ。これで電話が気楽に使えるようになって、クレジット会社にも連絡しやすく助かった。そもそもカードをなくすのがどうかしているのだが。

現金を手に入れなくてはならず、ノニのスクーターの後ろに乗せてもらって、複数のATMをまわり、なんとか現金を揃えたつもりだったが、私の勘違いで、少し足りなかった。

「米ドル札も使っていい?」とドリスに頼みつつ、一枚二枚...と札を数えていると、「なんだかしょうがないわね....」と、まけてくれた。申しわけない。

「そのかわり、ビール代はきっちり払いなさいよ、ん? 何本だっけ?」と。はい、もちろん払います。

慌ただしかったが、楽しい滞在だった。

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トラジャ行きの車は運転主は若い20代の男の子二人で、トヨタの新しい車だった。一人はほんの少し英語が使えた。3日間、グナワンの排気ガスが入ってくる車に乗っていたので、驚くほど快適だ。

「日本のお金の単位は何て言うの?」と運転手の男の子。

「イェン、だね」というと、大笑い。「イェン」は女の子のことなのだと。

「イェニー、って言ったら、可愛い、っていう意味」だ、と運転手。

「じゃあ、ノニは"イェニー"だろ?」と聞くと、「ノニ? うーん...」。

「ノニは美人でしょう。優しいし。俺をいやな顔ひとつせずにあちこちスクーターで連れてってくれたぞ──」

そんな話をしていると、町の屋台で働く女の子を見かけ、「あ、○○だぜ」と声をあげる二人。窓から顔を出して「おーい、俺、俺! うん、これからタナ・トラジャに行くんだよ」と、妙に活気づいている。

「イェニー、なの?」と聞くと、「そういうこと」とのこと。そうかなぁ。髪の毛をかなり明るく染めた派手な感じの娘だったが。好みがちょっと違うなぁ。

いいかげん話すこともなくなって、寝たりおきたりしているうちに周囲の景色も変わってきた。車中からトラジャでガイドを頼んでおいたヨハニスに電話をかける。SIMを入れたときに電話も使えるようにしておいた。スラウェシ島で携帯電話で連絡できるとは、なんという時代だろうか。

ネットの発達と携帯の普及がタイムラグなく進んだためか、トラジャのホテルや旅行代理店はウェブサイトはあっても、メールで連絡しても何の返事もない。ホテルどころか、ライオングループLCCもウェブサイトはあるのだが、連絡しても返事が無いし、サイト自体も不完全だ。「予約の変更」というボタンを押しても「予約の確認」しか出てこない。ウェブがある、という形だけで機能していない。

今回、時間の余裕が無く、現地に行ってからツアーを探す時間がもったいなかったので、事前にTrip Adovisorのレビューで評判の良かったガイドにメールで連絡していた。すぐに返事をくれたのがヨハニスで、金額も細かく言ってきたので、彼に全部アレンジしてもらうことにしていたのだ。

ホテルに着くとヨハニスが待っていた。一泊1600円くらいの宿で、レストランもついている。翌日、遠くの村でかなり大規模な葬式があるというので、見学することになっていた。トラジャの人々は葬儀と埋葬に大変なエネルギーと費用をかける人たちなのだ。

車の運転手二人にビールをおごって、自分も魚の丸揚げとビール。自動車に乗っている時間がすごく長い旅だ。

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2016-10-11

スラウェシ島探訪4日目

この日は西のBada谷に。山を越える道は10数年前まで未舗装のかなりラフな道で、「歩くのとたいして変わらない速度」でしか走れなかったという。石像がテレビ番組やネットで紹介されるようになったのはここ10年くらいなので、そういう事情だったのかと納得。道は現在、舗装はされているが、短時間に凄まじい量の雨が降るため、山の斜面から大量の土砂が流れ出し、道がゆかるんでさながらオフロードのようになっている場所がある。舗装面の下の土が流れて、大きく陥没している所もある。雨季には道が通行不可になっていることも多いようで、行ってみないとわからない、という感じのようだ。他に道は無い。

中道沿いの大きな木にサイチョウの群れがとまっていた。できれば見たいと思っていた鳥なので、大いに興奮する。スラウェシ島で人気の高いアカコブサイチョウだが、「ジャングル・トレッキングしたからって、猿もサイチョウも見られるとは限らないのよ。それをわかってもらわないと困るね」とドリスが繰り返して言っていた。ドイツ人など、ジャングル・トレッキングに来る人は少なくないが、何も珍しい動物が見られずにがっかりして帰ることも少なくないのだそうだ。

先ず、Langke Bulawaの石像を見る。これは女性像とされていて、確かにほっそりした女性的な顔立ちにも見える。ただ、下腹部に摩耗しているが一物がついているようにも見え、本当に女性像なのか、なんともいえない。手の指が三本しかない。お腹がふくれているために妊娠しているのだという話があり、このことはBada谷最大のPolindoの石像と関連した昔話を生んでいる。

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次にLogaの石像を見る。丘の上から見下ろしているような形で立つ比較的小さな石像で、これも女性像とされているようだ。かつて王様に側室として召し上げられ、恋仲だった男を忘れ難く村を眺めているのだと。

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その、Logaの女性と恋仲だったというのが、この小さな石像で、Ariimpohiの交差点の真ん中にコンクリートで固定されている。モヒカンのような独特な髪形だ。インドネシアは子どもが元気かつ人懐っこい、すぐに集まってくる。

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次は延々と水田のあぜ道を歩いて最もユニークな石像、Baulaへ。

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これは水牛といわれているのだが、どうなんだろうか。体に彫られた細かい穴や線刻も面白い。イギリスのカップマークのように、小さな凹みがたくさんつけられた石があちこちにある。何か意味があるのだろうが。線刻はアボリジニのものにも似ている。水田は二毛作で植えたばかりの田もあれば、刈り込んで脱穀中のものもあった。

池にホテイアオイの花が咲いていた。ホテイアオイは南米原産だが、観賞用に持ち込まれたのだろうか。

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スラウェシ島はカカオ畑が多い。カカオは熟して赤くなるもの、黄色くなるものなどいくつか種類があるようだ。カカオ畑を抜け、かつて村があったとされる場所に置き去りにされるようにして残っているTinoeの石像を見た。かなり傾いている。

熟したカカオの実を初めて食べた。中は大きな果肉がぎっしりと詰まっているが、味がある部分は少ない。果肉の房の周囲に甘酸っぱい味の部分があり、これがどこかマンゴスチンのような風味だった。いわゆるカカオの香りは一切ないが、あれはアーモンドくらいの大きさの小さな種をすりつぶしてとるものだ。畑で実際に実をつぶして種を干していた。

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Obaの石像は猿と言われている。これは確かにそんなフォルムだ。ヘソが飛び出てるのがまた特徴がある。

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次にBada谷だけでなく、インドネシア中部で最大の石像Polindoを見る。長さ4m近くある巨石像だ。この日最初に見たLangke Bulawaの像が王女でこのPolindoの巨石と恋仲になり、妊ったが、身分が違うと王様に結婚を認められなかったという話がある。王女は罰として指を切られた(だから3本指になっている)ということらしい。石像が作られた年代については諸説あるようだが、このPolindoの石像を見ると、まだエッジがシャープで、一部で言われているように紀元前のものだとはとても思えない。手の形がどことなくイースター島のモアイにも似ている。

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Bada谷の石像最後のサイトは大きな甕型棺がたくさんあるSusoだ。大半が破壊されている。面白いのは明らかに作成途中で放棄されたものがあることだ。石像文化の最晩期のものなのだろうか。飛鳥の石像群のように、一時的に花開き、突然終わってしまった文化なのかもしれない。

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中が浅く、二つに分かれている甕もある。

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このエリアは甕の残骸ばかりで石像はたったひとつだが、これが斜面を転がり落ちて、小さな川にかかる石橋のようになっている。この石像もまた粗削りのまま放棄されたように見え、「突然終わった」という印象を強くするのだった。

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三日にわたってこの地域の石像を見て回ったが、もちろん全てではない。特にNapu谷にはまだ見ていないものが多くある。が、おそらくほとんどのタイプのものは見られたのだと思う。地図で見るととても狭いエリアだが、険しい山と変化の激しい気候から、移動のとても難しい地域なのだということがとてもよくわかった。「あなたは時間が短すぎる」と何度もドリスに言われた。日本からのツアーなど見ると、もっと過酷なスケジュールなのだが...。

帰りも行きと同じ道を引き返したのだが、朝と同じ木にまたサイチョウが集まっていた。朝はあまりじっくり見る時間がなかったが、今回は雄、雌の違いなど細かく見ることができた。頭が赤いのは雄、雌は黄色い。こんなに簡単にたくさん見られるなんて、本当にお前はラッキーだと言われる。

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宿に戻る途中、テンテナの有名な滝に寄る。丸みのある岩肌に襞状の凹凸があり、流れる水がその凹凸に当たって細かいレースのようになる美しい滝だ。滝を見ずしてテンテナは語れないと言われるだけはある。

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滝周辺はバリ島からの移住者が住むエリアだった。家の様式と庭に置かれた塔などのモニュメントでそれとわかる。トラジャから来た人たちもやはり独特な反り返った屋根を模したものを付けている。彼ら、比較的新しく移住してきた人たち以外は同一の民族なのかといえば、そうではない。テンテナ周辺でも昔からいくつかの部族が住んでいて、僅か数キロしか離れていない所に住む部族が、言葉も全く異なる場合もあるのだという。ヴィクトリーホテルにいた体躯の良い男性はモリ族系の出身だと言っていた。彼は日本語を学んだことがあり、娘にモリコという名をつけたのだと。この島にどのように人がやってきて、どのように島内を動き、あるいは島からまたさらに遠方へと出ていったのか、興味深い。バダ谷の石像の手の形がモアイに似ているのも、何か具体的な関連があるかもしれないと思うのだ。

この日の夜は近郊の金とニッケルの鉱山で働く中国人の団体が泊まりに来て、大変な喧騒だった。騒がしいだけでなく、痰を切る音が深夜まで響いて辟易した。日本も70年代くらいまでは痰を吐く人が結構多かったが、最近はめっきりみかけないし、音もきかない。亡くなった姉が向かいの家の親爺が痰を切る音が耐えられないと言っていたのを思い出した。

晩ご飯にドリスがウナギ料理をふるまってくれた。昨日からの約束だったのだ。ウナギの唐揚げと鰻が入ったスープだ。ドリスに見つめられながら食べたが、スープが絶品だった。ベイリーフがたくさん入った、トムヤムクンから辛味を抜いたような味だったが、伝統的な味付けとのことだった。茹でて縮んでいるはずだが、断面が4-5センチあったので、かなり大きなウナギに違いない。

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2016-10-10

スラウェシ島探訪3日目

 ドリスの親戚の家に泊めてもらった翌朝、子供たちが学校に登校する時間に我々も出発することに。インドネシアは見たところ、高校まで制服があるようだ。昨夜は歌を歌ってくれたので、お礼に折り紙をいくつか作って渡した。男の子はどうやって折られているか調べようとしてすぐにほどいてしまう。

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昨日来た道を引き返し、Posoを通って、Tentenaのホテルに向かう。途中Posoの海岸にちょっと出てみたいと頼むが、上手く停められる所がなかったのか、叶わなかった。私が見たところ、どこからでも出られそうだったが、どうもグナワンはポソに長居したくない風だった。「市場を見てみたい。特に魚売り場が見たい」と頼んでも、「うーん、ちょっとそれは難しい....」というおかしな返事。時間はたっぷりあるはずなのだが。彼はポソが嫌いで早く通過したいのか、昨日からずっと運転し通しだったので早く帰りたいのか。

結局、ドリスがグナワンに「海岸か市場かどっちか寄りなさいよ、寄りたいって言ってンでしょ」と強く言ってくれたようで、市場に寄らせてくれた。

海外の市場をぶらぶらするのは楽しい。入ると拡声器でまくし立てる女の声が響き渡っている。近づいてみると鰐の頭骨を前にあれこれ言っていて、どうも男性用の強壮効果があるということらしい。スッポンの粉末みたいなものか?

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魚売り場は面白い。日本ではあまり見かけないアジやタイっぽい魚もある。干物も。

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湖のほとりの町、テンテナに着いたのは午後3時くらいだった。ポソ湖は水深450mと世界で26番目に深い湖のようだ(田沢湖が425mで30位と初めて知った)。ウナギが採れ、日本にも輸出されているという。数年前、萩原さんという若い魚の研究者がヴィクトリー・ホテルに長期滞在したらしい。ドリスは「私の日本の息子」と呼んでいた。萩原さんが巨大なウナギを抱えている写真を見て仰天した。こんな巨大なウナギがいるのか。調べてみたところ、北海道大学に在籍の方のようだ。

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少し時間があるので付近を散歩することにした。宿でドリスの娘ノニに、ここではコウモリと犬の肉が珍しいから、屋台で試してみたら?と言われる。誰もが食べるわけでもないようだが、行ってみた。コウモリはオーストラリアにもいるフライング・フォックス、鼻の長いフルーツを食べるコウモリと同じだ。細かく刻んでかなり濃く辛く味付けされていたので、肉そのものの味はなんだかよくわからなかった。左はフライド・チキン、右はコウモリの肉。犬はちょっとやめておいた。翌日市場で売られているコウモリを見たが、これがなんとも恐ろしい形相で、おそらく生きたまま羽を切っているのではないかという代物だった。

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宿に戻り、ドリスに昨日見た石の場所、謂れなどを話してもらう。ノニに通訳してもらい、ビデオに残した。ドリスもノニも日本でよく見るような顔をしている。とくにノニは沖縄にいそうな顔だ。石像にまつわる話は全て民話のようなもので、悲恋の王女と村の男性、とか、無理やり王様の側室にさせられた女の子、とか、実際の歴史とはあまり関連が無さそうだったが、面白かった。彼女はこうした話を村の長だった祖父から聞き、祖父は祖母から聞いたと言っていたそうだ。今は誰もが知っている話ではないかもしれない。

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夜になるとグナワンが「ちょっと珍しいものを見せてやろうか」と、ニヤニヤしながら持ってきたのが、なんと猿の胎児を漬け込んだヤシ酒の瓶だった。「なかなか手に入らないんだよ、猿の胎児は」。そうでしょうね.....。「これは15年、こっちは30年ものだぞ」と。これも滋養強壮に云々ということらしいが....。私の反応を見て喜んでいたグナワンだったが、「ちょっと飲んでみるか?」と言わなかったところをみると、かなり大切にしているに違いない。彼は狩猟もよくやるようなので、もしかすると猿の胎児も自分で狩ったものかもしれない。様子を想像するとちょっとげんなりしてしまう。

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2016-10-09

スラウェシ島探訪1-2日目

 インドネシアのスラウェシ島を訪れることにした。アルファベットのKのような形をした島で、かつてセレベスと呼ばれていた、赤道が通る島だ。1942年から終戦まで日本に占領されていた島でもある。

今年はどこにも行かないつもりだったが、夏休みもなかったので、どこかに行きたいという禁断症状が抑え難くなってしまった。

10日ほどの休みで、あれこれ行き先を考えたが、最も行きたかったブラジルのカピバラ渓谷(南米最古の岩絵がある場所)は時間的に難しく、オーストラリアのバラップ半島かカーナーヴォン渓谷にアボリジニの岩絵を見に行こうかとも思ったが、バラップ半島の石彫は人間の姿の絵は撮影禁止、カーナーヴォン渓谷は意外に時間がかかる、などいろいろ難しく、結局、岩絵にこだわらず、以前から行こうと思っていたスラウェシ島に巨石像とトラジャの独特な埋葬の風習を見に行くことにした。

 10月8日、成田を午前10時台に出て、ジャワ島のジャカルタに午後5時頃着き、LCCに乗り換えてスラウェシ島のマッカサルの空港のホテルで一泊、翌朝早く中部スラウェシのポソに飛ぶ予定だった。珍しくJALのジャカルタ行きが安かった。が、搭乗時間近くになって、トラブルで出発が夕方の4時過ぎになるという信じられないアナウンスが。しかも出国手続きを済ませているので、搭乗エリアから出られないという。成田で延々待たなければならないだけでなく、翌日朝からツアーの手配をしていたので、そのままでは全てが狂ってしまう。慌てて携帯でインドネシア国内の便を調べた。LCCのウィングス・エアーがジャカルタからマッカサル経由でポソまで早朝に出ていることがわかり、そのまま携帯で予約した。インドネシアはLCCの便がとても多い。なんとか現地到着が2時間遅れる程度で、予定はほとんど変更せずに済んだが、ジャカルタに深夜に着いて、朝4時の国内便に乗るため、全く寝ている時間がない。そのまま熱帯の国を一日撮影で回るというのはなんともしんどい。

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 ジャカルタ空港に着くとJALの職員がずらりと並んで頭を下げていた。ホテルを無料で手配してくれるというが、国内便のチェックインまで3時間ほどしかない。ホテルでしっかり寝る時間も無いが、ずっと空港にいるのも消耗するだろう。迷う。

 結局、ホテルまで15分だというので、少しでも仮眠しようとホテルに行くことに。同じ境遇の者数人を乗せてシャトルバスは出たのだが、30分以上経ってもホテルに着かない。元ロッテの捕手・里崎に顔が似ている運転手の様子も少しおかしい。我慢できずに、インドネシア人の乗客に「ちょっとおかしくないですか?」とたずねると、「運転手が道に迷っている」というまさかの返事。空港のすぐ近くにあるホテルなのだが、何を勘違いしたのか市内にどんどん向かってしまっている。緊急でJALが雇った運転手だからだろうか。スマホのナビ機能を使って運転手に道を教える乗客がいて、ようやく場所は特定できたのだが、なんとホテルに着いたのは空港を出てから1時間半も経ってからだった。

 こんなに悪いこと重なるか?と驚いたが、もうひとつ驚いたのはインドネシア・ビジネスマンの温厚さだ。誰一人として怒ったり、声を荒げたりしない。感心した。電車が少し遅れただけで駅員を怒鳴りつける日本人とはえらい違いだ。が、私はそんなにのんびりしてはいられなかった。下手をするとホテルに着くやいなや、タクシーで空港にとって返すというアホなことをしなくちゃならないのだ。

 ホテルに着くと、またもやJALの職員が二人深々と頭を下げて待っていた。男性職員が「あぁ...どうしてこんなことが...」とか言っていたが、それはこっちの台詞。結局、1時間後にホテルを出るはめになり、仮眠どころではなかった。

 4時の飛行機でスラウェシ島南端の大都市マッカサルで乗り換え、プロペラ機でPoso空港に着く。オリーブ・グリーンの兵隊のような帽子をかぶった小柄な人がこっちを指さしている。予約したVictory Hotelの女マネジャー、ドリスだった。女兵士のような出で立ちだが、よく見ると日本でもよく見かけるような顔のおばさんだ。彼女と夫グナワンの運転するボロボロのダイハツ4WDに乗って、早速石像を見に出かけることになった。随分年季の入った車だねと言うと、グナワンはエンジニアで自分で車を何台も再生したと言う。ダイハツの4WDは彼が修理と改造を重ねたもので、大きな音の出るクラクションが追加装備されたりしている(カーブが多い山道で対向車に気づかせるため)。どこかに穴が空いているようで、排気ガスが少し車内に入ってきているのがちょっと辛かったが。

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 石像文化の痕跡が残っているのは、インドネシア中部の港湾都市Posoの南西、Lore Lindu国立公園の東、南東に広がる三つの谷だ。今回はPosoの南にある町テンテナTentenaのVictoryホテルが問い合わせに丁寧に答えてくれたので、この宿に遺跡の案内ごとお願いした。テンテナから50キロも離れていないエリアなのだが、行ってみると山を越える道がなんとも荒れていて、わずか50キロほどに5−6時間もかかるのだった。十数年前は普通の山道を行くしかなかったので、2日がかりだったという。雨で道が陥没する、土砂崩れする、木が倒れてくるなど、いろんなことがあるようで、場合によっては目的地直前に引き返さなければならないこともあるようだ。

「大きな岩はどけられないけど、木ならチェーンソーを積んでるから大丈夫よ」とドリス。チェーンソーを積んでる4WDは無敵かもしれない。

 途中いくつも警察によるゲートコントロールがある。ポソ県はISISとも関連があるジェマ・イスラミアなどのイスラム過激派が島外から入っていて、10ほど前にはクリスチャンへの攻撃事件が多発していた。宗教戦争とまで呼ばれ、クリスチャンの女子学生達が斬首される凄惨な事件が起きている。スラウェシ島はクリスチャンが多く、中部もかなりの割合がクリスチャンなのだが、ポソ周辺はイスラム教徒が多いのだそうだ。現在も山中に潜伏していて、半年前には警察のヘリが撃墜される事件も起きている。

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 ポソから西へ山を越え、Napu谷に行く。険しい山道だ。所々、倒木や落石がある。山の東側は熱帯雨林の植生だったが、途中から高原のような景色に変わる。しかも松が生えている。焼き畑でハゲ山になったところに、松をインドから輸入した植えたのだそうだ。

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 谷に降りると、政府が島外からの移住者を積極的に受け入れている地域に入る。エリアの入り口には大きなアーチやモニュメントが立ち、ここが一種の「特区」のようにして開発されていることがわかる。タピオカの栽培をしている中国人などもいるようだ。車内でのちょっとした会話からも地元のクリスチャンは島外からの移住者をあまり快く思っていないことが伺われる。トラブルの元なのだと。

「クリスチャンには子どもは2人までが望ましいと指導するが、イスラム教徒にはそんなことはしてない。政府はクリスチャンの数を減らしたいに違いない」と、行政に対する不信感も強い。10年ほど前に宗教対立が続いたとき、クリスチャンの一部が行政に対して襲撃事件を起こしていることからも、一種の政治不信が見える。

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 Napu谷に入り、最初に見たのはWatu Tau村のPendoiya Datuと呼ばれる大きな甕のような巨石をくりぬいたものだった。現在、村に入る手前の眺めの良い場所にあるが、置かれた時には周囲に森があったのかもしれない。こうしたものはKalambaと呼ばれている。この甕は棺で、蓋があるが、個人の棺ではなく、おそらく「家」の墓なのだ。開け閉めして遺骸を追加していたと考えられているようだ。中から遺骨や土器が出てきたものもある。この棺は現地では女王の水浴び場と言われている。

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 次にWatu Tau村に入る。この村の名は「石の人」という意味で、石像に由来する名だ。後で知ったが、ドリスの祖父はこの村の長だったらしい。

家の庭に立つ石像を二つ見た。一つはオリジナルの位置、もう一つは少し離れた場所から運ばれたもののようだ。

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 Napu谷から南のBesoa谷に入る。Besoa谷は土が肥えているようで、昔から作物が良く育つ、豊かな場所なのだという。水田が広がっている。こちらの稲は日本で見るものより背が低い。二毛作だという。Doda村にあるTadulakoという石像を見る。頭に何か巻いているような(髪形かもしれないが)独特な姿だ。石像に至る道の途中に伝統的な高床式の家屋が二棟あった。ひとつは住居、もうひとつは納屋だが、保存状態が良い。今でもこのタイプの建物はあちこちにあるが、皆、かなり荒れている。この建物は夏場などに地元の若者が泊まったりする以外、使われていないようだ。家に入るはしごに人の顔がついているのが印象的だ。

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 次にBesoa谷内のHanggira村にあるPokekeaという、大きな棺がたくさん残っている場所に。棺の蓋に猿のような動物が彫られているものもある。割れた棺の中を見ると、内側もとても滑らかな面に仕上げられていることがわかる。四角い棺のようなものの前に二体の石像が置かれたものもあり、石像が墓とセットだったのかもしれない。Tadulakoの石像の周囲にも残骸のような石の破片が落ちていた。

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 この日はあまり天気が良くなく、山のどこかで雨が降っている感じだったが、Tadulakoを見終わった頃に降り始め、猛烈なスコールになった。車からそれなりの距離あったため、途中石橋に屋根がついているところで雨宿り。ところが全く小降りになる気配がない。

「どうするの? このまま待つ?」とドリス。服が濡れるのはいいけどカメラがずぶぬれは危険だなと迷っていると、ドリスが一緒に雨宿りしていた若い男の子に「そこのバナナの木の葉っぱを二、三切ってくれない?」と。バナナの大きな葉を折り畳み、カメラバッグを覆って、さてと思っていたところ、夫のグナワンが傘を持って迎えに来たのだった。

 この日、私はてっきり予約していたテンテナのホテルに行くのかと思っていたら、ドリスが、これからテンテナに帰るには6時間くらいかかる、と。これから6時間、がたがたの山道を──。かなり夜遅くなってしまう。それより、近くの知り合いの家に泊まりましょ、とドリス。

民家か──。丸二日以上ほとんど寝ておらずヘトヘトだったので、ホテルで誰に気兼ねすることなくビール飲んでひっくり返りたかった。

ドリスが、「夜の山道はあぶないのよ、イシス(ISIS)がいるわよ」「熱いシャワーだってあるんだから」というので、勧めにしたがって民家に泊めてもらうことにした。

 Watu Tau村の民家は薄い板とトタン屋根で出来たもので、なんと、グナワンが「俺が建てたんだ」と言う。ドリスの親戚の家だった。家族皆、暖かく迎えてくれた。

子どもが6人いて、歌を歌ってくれたが、これがびっくりするほど上手く、感激した。

ドリスが「さ、熱いシャワーが用意ができた〜」と言うのだが、見れば火にかかった大鍋がグラグラ沸いているものを指差しているではないか。これをタライに入れてお湯の行水ということだが、狭いトイレで便器の横で浴びるとなってちょっとなかなかリラックスできる感じではない。こちらのトイレは所謂ボットントイレではないが、水を流すタンクはついていない。自分で横においてある手桶で水をかけて流す方式だ。

グナワンのつくった自家製ヤシ酒(はちみつ入り)を飲み、早々に蚊帳のかかったベッドで寝る。ヤシ酒は梅酒のような感じだった。

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2016-09-27

東京国際ミネラル秋のフェアで本の販売とサイン会をいたします。

9月30-10月3日、新宿で開催されるミネラルフェアですが、10月1日(土)に著書の販売とサイン会をいたします。午後2-3時にサインご希望の方にご対応いたしますが、その他の時間も本の販売はいたします。詳しくは協会のウェブサイトまで。http://www.tima.co.jp/