Hatena::ブログ(Diary)

lithosの日記

2016-02-28

ウェブショップ再開

数年お休みしていた石のオンラインショップLithos Graphics Shopを再開しました。少しずつ商品を増やしていく予定です。

http://lithosshop.cart.fc2.com/

2016-02-15

『不思議で美しい石の図鑑』7刷り訂正について

『不思議で美しい石の図鑑』(創元社)が、重版になり、7刷になります。そこで、新しい訂正箇所をお知らせします。7刷でまだ直しがあるというのもお恥ずかしい限りですが。

030-033頁、産地情報のうち、Bobanongとされていた所が、全てBobonongに。間違いでした。これに伴って、163頁の該当部分も同様の修正が入りました。

055頁の右上4-5行目、「オーココ」が「オチョコ」に、070頁の左段8行目の「オーココ」も「オチョコ」に。これも単純な間違いでした。ネット上では地図や観光地情報でオーココになっているものが多いですが...。

2016-02-02

装丁のサイトを作りました。

今さらながらですが、本業のブックデザイン(本の装丁)の仕事のウェブサイトを作りました。

これまでに作ったブックデザインの一部をジャンル別に掲載しています。

http://lithos-graphics.com/design/

2015-08-22

ウェブサイト大幅更新

6月-7月のオーストラリア岩絵撮影行をウェブサイトLithos Graphicsに反映しました。

http://www.lithos-graphics.com/australia/australiatop.html

解説は本当に簡単なもので済ませましたが、ウェブでオーストラリアの岩絵を紹介しているものとしては、現在最も充実したものになっているはずです。

後はクイーンズランド南西部のカーナボン渓谷、キンバリー地方のアクセスが困難な場所が残っていますが、これは今のところ撮影予定は立っていません。

2015-06-30

オーストラリア岩絵撮影行・11日目(カカドゥ国立公園)

実質的な最終日だが、ダーウィンからケアンズに戻る飛行機は夜なので、かなり時間がある。やはり最後まで岩絵撮影に時間を使うことにし、ノーランジーとともにカカドゥ国立公園内の岩絵サイトとして知られる、ウービルに行く。途中までは昨日訪れたオーエンペリと同じ道を行く。ウービルはカカドゥ国立公園の北東の端だ。

前回は夕暮れ時に行ったので、別の時間に行けば少し印象も違うかもしれない。

ウービルは凄い人だった。団体客がたくさん集まっていて、ナングールーワーに人がいなかったのと比べると同じ公園とは思えないものがある。

小さい、簡単なタッチで描かれた独特なポーズの人物像がある。足を片方曲げて大きく開いた独特のポーズは「ノーザン・ラニング・フィギュア」と呼ばれ、約5000年前くらいの絵と考えられている。走っている姿にしてもちょっと不自然な姿だ。

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ここはX線技法で描かれた魚の絵が有名で、この地域で獲れた様々な魚やカメの絵がずらりと並んでいる。カンガルーも現在インジャラクのアート・センターなどで描かれている樹皮画とほぼ同じ技法で描かれたものがある。

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だが、やはり今回は少しマイナーな、線だけで描かれた人物などに興味がある。

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遠い岩肌にかかれた、古い技法の虹ヘビがとても面白い。タッチからすると1万年前くらいの絵かもしれない。虹ヘビといっても人物のようなものを骨格のようにしてふんわりとした輪郭があり、小さなカンガルーが二つ入っているという、不思議な絵で、説明がなかったらこれが虹ヘビとはとても思えない。最も古いタイプの虹ヘビはえてしてこういう形であると、カカドゥとアーネムランドの岩絵に関する本にかいてあった。カンガルーの大きさを考えるとかなり大きな生き物というのもわかる。

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一番高い岩の上に上ると、前回5月1日に訪れたときには水がかなりあったウェットランドも、すっかり水がひいていた。広大な土地であることが実感される。

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虹ヘビは水をあやつり、この地形を作ったと言われている。大きく蛇行しながら流れる川の形はヘビそのものだし、氾濫して人が住む場所を飲み込んでいる。オエンペリも洪水に合い、皆近くの山の上に避難したことがあるらしい。また、虹ヘビは子供の声が嫌いで、虹ヘビの住む場所で泣いたり騒いだりすると目を覚ました虹ヘビに食われてしまうという話がある。子供のしつけのために作られた話かもしれないが、新保満氏の本など読むと、アボリジニは子供に非常に甘く、甘やかし放題だと。それがイニシエーションを受け、大人になるとうってかわって厳しい掟に従って生きなければならなくなる。女性も先ず年取った男の何番目かの妻になり、年上の妻から生活のためのあれこれを教えられることになる。

ウービルから降り、ダーウィンへ向かう。300キロ弱の距離だ。これで今回の旅はお終い。最後になるかもしれないと思うと寂しいものがある。

2015-06-29

オーストラリア岩絵撮影行・10日目(再びアーネムランドに)

この日は最初にオーストラリアに訪れたときにも参加した、アーネムランドのオエンペリ(=グンバランニャ)とインジャラクの丘に行く日帰りツアーに参加する。Lord's Kakaduというツアー会社でオエンペリから許可を得ている少ない会社のひとつだ。アーネムランドから飛行機で帰ってきて、また入るのもばかばかしいが、それぞれルールが厳格に決まっているので仕方ない。

前回参加したときは雨期が終わってシーズンが始まる最初の日だったので、キャラヴァンカーに10人ほどの参加者だったが、今回大型車で20人くらいいる。

イースト・アリゲーター・リバーを越えるともうアーネムランドだ。先ず、前回同様オエンペリのアート・センターであるインジャラク・アートに寄る。オエンペリはアボリジニの町だが、アート・センター、スーパー・マーケット、警察、学校と、責任者は皆白人だ。組織的に管理・運営するということがこの地域のアボリジニのカルチャーにはなかなか馴染まないため、そうしないと回らないのだという説明だった。たとえば、スーパー・マーケットの責任者を地元のアボリジニにしたとして、親族や友人が何か欲しいと言えば、彼はお金を受け取ることはないだろうと。それが彼らのやり方なのだと。

建物の右手に編み物をする女性が、左手に絵を描く男たちがいる。

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シルクスクリーンで絹布に絵柄を刷っていた。布はカンボジアから輸入されたもので、ここでプリントした後はまたカンボジアに送るのだそうだ。むこうで縫製などするらしいが、それをまた土産物としてオーストラリアに輸入するのだろう。手間のかかる話だが、絵の版を売ることはしないということなのだと思う。

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今回のグループにはかなりの高齢者がいる。うち一人はインジャラクの丘の麓で登るのを断念した。大した勾配ではないが、岩の多い、決して歩きやすい道ではない。70代とおぼしき夫の方はステッキを両手になんとか登る。途中何度か手を引いて岩場を上がるのを手伝ったが、やはりかなり時間がかかった。

ガイドは前回と同じエリックだ。彼は前回はものすごく声が小さく、ほとんど何を言っているのかわからなかったが、今回少し言葉多くなっていて、言っていることがよくわかった。私より5歳くらい年下だということもわかった。アボリジニは老けて見える人が多いように思うが、彼は若く見える。

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ここの絵はやはりすごい。この一帯では最も絵の多い場所なのではないだろうか。特にメインのシェルターは塗り重ねられて渾然一体となっているが、この重なり具合そのものがまたひとつの作品性を帯びているように感じられるのだ。最初にオーストラリアに訪れた時、これを見ていなかったら私はここまでアボリジニの岩絵に引き込まれなかったかもしれない。

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ここでも前回あまり気にとまらなかった細く年代の古い人物像がたくさんあることに気付く。細い人物像はしばしば槍を持っている。槍には刺が多くついているものもあり、投槍器がついているものも多い。人物と別に槍などの武器が描かれることが多く、判然としないが、戦闘を彷彿とさせるものもある。キンバリー地方の絵も同じタイプで、やはり戦闘の場面らしきものがあった。氷河期が終わり、海抜が急上昇し、様々な社会的軋轢があった可能性もある。広大な土地が急激に失われ、世界観にも大きな変動があったと考えるのが普通ではないだろうか。それと比べると、その後に訪れたフレッシュ・ウォーター期の絵はどこか平穏で豊かに見えなくもない。これがコンタクト期になると呪術的図像というのが増え始める。インジャラクにも人を飲み込んだ鳥のような頭の怪物を描いた呪術的な絵があったが、今回は案内されなかった。これ以外にも是非撮り直したかった絵が二、三あったのだが仕方ない。エリックに写真でも見せれば案内してくれたかもしれないが、そうもいかず。

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細い線で描かれる人物像はかつてミミの精霊が描いたものとされていた。ダーウィンギャラリーなどで売っている樹皮に描いた絵や、ディジェリドゥに描かれた絵には細い小さな人物が描かれることが多いが、これはミミの精霊と呼ばれ、岩の中に棲んでいるといわれている。インジャラクはミミが棲む岩場が多くあると考えられていて、細い人物像は彼らの姿を彼ら自身が描いたものとされていた。つまり、人が描いたものではない、ということで、キンバリー地方におけるブラッドショータイプの絵が後に鳥が描いたものだとされていたということに共通した話だ。

ミミは人間を襲って食べるとも言われていたらしい。アイルランドのダーナ神族がケルト人との戦いに負けてシードと呼ばれる小さな妖精のようなものになって岩の中に消えたという話、スコットランドのピクト人が後に小さな人で穴蔵に棲んでいたと言われていた話、日本におけるコロボックルの話など、先立つ文化の担い手を、彼らの残した遺跡とともに、「小さな岩の中に棲む人」や妖精のようなものとして語るようになったのではという考えは、昔から民俗学で言われてきたことだが、ミミの精霊やブラッドショーについても言えることなのかもしれない。

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また、 赤ん坊にへその緒がついている絵があり、ここは前回安産祈願の場所だという説明があったような気がするのだが、今回はこれはこういう(赤ん坊?)ドリーミングを示していて、その場所は遠い所にあると言っていた。赤ん坊の上には細い古いタイプの絵があるが、天井ではなく壁面に描かれているのに、人物の天地はばらばらで空間に浮遊しているように見える。

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前回ひな鳥に餌をやる親鳥の絵かなと思っていたものが、並んで鳴くワライカワセミの絵だということもわかった。 同じパネルにある鋭い歯の生えた動物が何なのか気になっていたが、エリックはタスマニア・タイガーだと。その下にやはり黄色い手に爪が生えている動物のような絵があるのだが、なんとそれは女の絵だと。確かに乳房のようなものがついているが、本当だろうか。

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これはエリマキトカゲの絵。

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この絵は何なのかずっと疑問に思っていたが、樹皮にくるんだバッグのようなものだということがわかった。

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前回同様、丘の一番上のシェルターで食事をした。インジャラクの丘の上は岩が作り出す複雑な構造で、二、三度細い隙間を通るともう方向もよくわからなくなる。広いスペースにオーカーや食材などを砕き、挽くためのすり鉢状の穴が沢山彫られた石があった。

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下に降り、再びアート・センターに。

カゴや伝統的な編んだバッグを買う。ペーパー・バーク・トゥリーの樹皮に描いた絵はどれも魅力的だが、丸められないので持って帰るにはかさばるし、節約せねば。

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同じホテルから参加した家族連れで姉妹風の二人が私が岩絵の写真を撮っているというと、興味をもって話しかけてきた。彼女らも日本に行ったことがあるらしい。本当に多い。運転手の男性は少し前まで日本人の女性と付き合っていた、いずれ日本に行こうと思っていると。

前回このツアーに参加したときはイースト・アリゲーター川が帰りに増水していて、水位が下がるのを待たなくては行けなかった。海はそんなに近くはないが、潮位に影響をうけるのだ。今回は乾期に入って長いので問題なくスムーズに帰る。

宿で降りると、昼間一緒だった姉妹が「今夜バーベキューをやるんだけど、一緒にどう?」と。面白い人たちだったので、呼ばれることにした。キャビン形式の宿だが、自由に使えるバーベキュー設備がある(ガスだが)。85歳の父親、16の甥も一緒で、甥は白馬にスキーに来たことがあると。ざっくばらんで楽しい家族だった。姉の方はいろんな素材で作品を作っているといい、ウェブサイトを交換した。

どうも今回夕食をご馳走になることが多い。

2015-06-28

オーストラリア岩絵撮影行・9日目(カカドゥ国立公園)

朝サファリから行きと同じパイロット、同じ飛行機に乗ってジャビルに戻る。

今日は一日フリーだ。前回行けなかったジムジム・フォールズなど、カカドゥ国立公園の有名なスポットに行く手もあったが、どうせなので、カカドゥ国立公園内の岩絵サイトを再訪し、徹底的に撮ることにする。

前回も重宝したジャビルのパン屋に寄って昼飯を買う。バゲットにサラミなどが挟んであるサンドイッチが800円近くする。高いが、うっかりホテルのレストランで食べようなものなら、大変なことになるだろう。朝食のビュッフェが2000円以上することもあるのだ。

ジャビルから少し南西に戻ったところにあるNourlangie Rock=ノーランジー・ロックの岩絵を見ることにした。この岩の伝統的な名はBurrungguiでブルンッグィと発音するのだろうか。このエリアがナウランジャと呼ばれていたことで、ノーランジーと呼ばれるようになったらしい。大きな岩山だ。カカドゥの東南エリアからアーネムランド西部に広がる巨大な堆積岩の岩盤アーネムランド台地は1億6千年前に出来た(形成が終わったとき)砂岩を主にする厚い堆積岩の層だ。丸石がたくさん詰まった礫岩が多く見られる場所もあれば、ノーランジー周辺ではクオーツや方解石の礫がたくさん含まれる層が目立つ。ナングールーワーは車から降りて徒歩30分くらいの距離にあるシェルターだが、途中の道にもクオーツの礫がたくさん落ちていて、これがなかなか美しい。

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Nanguluwur=ナングールーワーに行くと、ハイ・シーズンだというのに私の他は誰もいない。

ここはシェルターの天井が8メートルと高く、古いハンド・ステンシルがたくさん押してある。いくつかは人さし指から薬指までをくっつける独特な形で、これはエミューの足を模したものだとも言われている。この形はダイナミック・フィギュア期と呼ばれるの絵と一緒になっていることも多いため、2万年前まで遡るかもしれないと言われているらしい。とすると、今は非常に高い天井にあり、足場も無いため、どうやってつけたのか不思議に思えるが、かつてはもう少し低い天井であった、もしくは途中に別の岩が突き出ていた可能性もある。このステンシルは色は淡いのだが、全体がひとつの作品のような趣があり、私はとても好きだ。

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前回訪れたときのブログに主な写真と解説はアップしてあるが、サイトの名前の発音はナングルワーというより、ナングールーワーと音を伸ばすようだ。ウェブサイトにも主な画像をアップしてある。

前回も気になったが、どうもこのサイトの壁面は全体的に泥をかぶっている。それなりに高い位置にあるのだが、いつか洪水があったのだろう。一度泥に覆われるとシェルターで雨に当たらないためなかなか泥も落ちないわけだ。だから絵も消えないとも言えるが。

このサイトには比較的新しいX線技法で描かれた魚やカメの絵があるが、これは"Old Nym" Djimogorと呼ばれるアーネムランド出身の男が1960年代半ばくらいに描いた、最も新しい絵だ。彼はこの日の午後訪れるノーランジー・ロックのAnbangangギャラリーの絵を描いたNajombolmiの友達だったという。後にここに訪れたヨーロッパ人がディーゼル燃料を染み込ませたぼろ布を岩の隙間に入れ、火をつけて絵を消そうとしたらしい。世の中には一定数かならずこうしたことをする人がいる。誰かの努力を、人が大切にしているものを台無しにしてやりたいという欲望が強い人だ。幸い絵は残ったが、70年代末の写真を見ると、左上のカンガルーの下あたりが真っ黒くなっているが、今はほとんどわからない。

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ここはナーユァーヨングィー(Nayuhyunggi)あるいはナーマンデーと呼ばれる細長い精霊の像などが特徴で、自然とそれらに目が行くのだが、1万年以上前のものである可能性がある古い絵もあり、今回はそれらに注目してみた。年代区分でいうと、2万年くらい前と言われる、足を大きく開いた動きのある人物画、「ダイナミック・フィギュア」と呼ばれる絵がある。

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キンバリー地方に残る、リアルな人物画であるブラッドショータイプに似た「ポスト・ダイナミック・フィギュア」と呼ばれるタイプの絵があり、これがなかなか興味深い。槍などの道具と一緒に描かれることが多く、この絵にもいくつか槍などが描かれている。

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キンバリー地方のブラッドショータイプの絵は、あまりに他のアボリジニの岩絵と異質だというので、現在のアボリジニの祖先によるものではないのではと言う人もいるらしいが、オーストラリアの外に似たものは見つかっていないし、私はアーネムランドやカカドゥの中にあるいくつかのタイプの絵は良く似たところがあると思う。特に、このポスト・ダイナミック・フィギュアはその一例だ。そして、ブラッドショーに描かれる細長い帽子やひじに付けた房飾りなどはアボリジニの古い記録写真に非常によく似たものがある。

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時代区分はよくわからないが、素朴な線で描かれた人物も面白い。下の絵は投槍器を使って槍を投げる人物だ。

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何を表しているのかよくわらないものもある。植物のような印象もあるので、ヤムイモ期と呼ばれる、ヤムイモと人のハイブリッドなどが描かれた時期(約1万5千年前)の絵かもしれない。ヤムイモは貴重な食材であり、ドリームタイムには人と同じような姿で歩き回っていた精霊のようなものでもあった。ヤムイモのドリーミングを描いた絵が盛んに描かれた時代がある。ヤムイモのドリーミングは人の頭にヤムイモの蔓や葉が出たような姿で描かれることがある。

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また、この部分など、これまで右側のナーマンデーらしくい像に気をとられていたが、あらためて見ると、左下の人物像の方が気になる。棘がついた槍が複数刺さっているように見えるからだ。槍と人物は別の時に描かれ、たまたま重なったのかもしれないが、同じタッチに見えなくもない。もし人物に槍が刺さっている絵だとしたら、どういう意味があるのだろう。

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古い短いストロークで描かれた絵に、かなり新しい女性像が重ねて描かれている。重ね描きについて、古い絵を消して描くのではなく、上から重ねるという行為は古い絵の存在を否定するものではなく、一緒に活かされているのだ、という説明をする人がいるが、これは1万年という長い歴史においては必ずしもそうとは限らないと思う。文化的変動も様々にあっただろうし、部族のテリトリーなども変化したに違いない。古いものの上に自分たちの絵を重ねるのは、場所を「更新」する意味を持っていた場合もあるように思うのだが。

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これらの手の絵に書かれた模様は、当時のヨーロッパ人の女性がしていたレースの手袋を模したものではないかと言われている。

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今回、ナングールーワーではずっと一人だったので、シェルターの端の方もくまなく見てみた。

午後にはさらに同じノーランジー・ロックの別の部分の岩絵サイトを再訪。AnbangangギャラリーにNajombolmiが1964年代に描いた最も新しい部類の絵も再撮影。このエリアの岩絵について初めて記録したのは1962年にここを訪れたイギリスの博物学者デヴィッド・アッテンボローらしいが、彼が撮影した時にはこの絵はまだ存在していなかった。その記録映像を見てみたいものだ。

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描かれているのは髪飾りを付けたBininとDalugという二つの氏族の男女だ。女性の胸に斑点が描かれているものがあるが、それは母乳を表現しているのだという。1979年に撮影された写真と比べるとかなり擦れて、一部消えてことがわかる。1万年も前の絵が明瞭に残っているのと比べると不思議だが、初期の観光客が多く絵に触れていたことと、かつてこのエリアにたくさんいたバッファローが岩に体をこすりつけることも絵が消えたことの大きな要因の一つらしい。現在も牛が多いエリアなどは柵で囲うなどして対策をしている。このエリアに最後に描かれた絵は1972年のものらしいが、それはもう完全に消えてしまったようだ。

「踊る人」と呼ばれる絵なども再撮影。おそらくよほどの理由がないかぎり、今後再訪することもないだろう。

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サウス・アリゲーターの宿に戻る帰り道、ブッシュを焼く煙がもうもうと上がっていた。

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宿に早めに戻ると白いインコの大群がホテルの敷地に集まって騒々しいのなんの。このホテルはかなり古く、見た感じ国立公園が出来た80年代に建てられたもののように見える。あちこち錆びているが、この白いインコの通り道になっているので、羽根と糞がすごく清掃の手が回らない感じだ。ジャビルには酒屋が無いようなので、仕方なくバーで買う。なんと缶ビール一本が750円。涙が出そうだ。

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2015-06-27

オーストラリア岩絵撮影行・8日目(アーネムランド)

今日も朝から一日岩絵を見て歩く。宿泊したキャビンは網戸しかないので、明け方はかなり寒かった。ヒートテックを持っていって正解だ。

一般の客は釣りとか、クルーズとか、いろいろメニューがあるのだが、私はひたすら岩絵を見せてほしいと頼んである。

最初に訪れた大きなシェルターは複雑に入り組んでいて、まるで迷宮のようだった。どれだけ長く居住用に使われたのかわからないが、巣穴といった趣だ。

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最後に出た場所がやはり虹ヘビと並んでこのエリアでは有名な壁面いっぱいに手形が押された場所だ。一番上の層にある絵はかなり新しいものだろう。ごく部分的にだが入植者が持ち込んだ青い漂白剤を使っている、初めて青い絵が登場したわけだ。

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バッファローを狩っていたブッシュマンたちが使っていたとおぼしきライフルや短銃もかいてある。頭が大きく広がったようなおかしな人物像は中国人かもしれないと言われているようだ。手形は単なるステンシルではなく、綺麗に整えられていて、中に模様がかかれている。これはグローブのデザインを模したものかもしれないらしい。壮観だ。

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天井にはカニやウニのような丸いものも描かれている。

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近くの小さなシェルターに卵を産んでいるエミューの絵があった。体に綺麗に模様が描かれている、現在のアートと直結するタッチだ。面白いのは、エミューの口から小さなアワのようなものがいくつかでていて(右端の部分)、もしかすると何かしゃぺって(鳴いて)いるということを表しているのではないかと。エイも描かれている。ここは海からそれほど遠くない。

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午後はボラデール山にボートで向かう。このエリアの岩絵が語られるとき、「ボラデール山の」と表現されることが多いので、てっきり山の中のシェルターが多いのかと思ったが、そうではなかった。この山は聖地であった可能性が高いので、入山しないことにしたという。登ったことがあるのはデイヴィッドソンや人類学者など、ごく数人だけだ。ボラデールというのは、かつてこのエリアに入った探検家の名だ。行方不明になり、後に彼の腕時計をアボリジニがしていたことで、殺されたのではないかと言われている。

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山のふもとのシェルターをいくつか見て歩く。コンタクト期のものが多い。蒸気船が丁寧に描かれている。できるだけリアルに描こうとした形跡がある。アルファベットを真似して書いたもの、手形の横に数字も入っていたりする。文字は珍しかったに違いないし、何か特別な力があると考えられていたかもしれない。

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88♢という字がある。「エイトエイトダイヤモンド」と読む。ルイスいわく、こういう名の有名な牛泥棒がいたらしい。白人で、投獄されたり脱獄したりしていてこの付近にもいた可能性はあるというが、自分で書いたものなのか、アボリジニが書いたものなのかはわからない。

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このエリアは女性像が多い。特に背中合わせでペアで描かれているものがあり、これはドリームタイムの登場人物である姉妹ではないかとも言われている。

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ひとつのシェルターの前に見慣れない様式の手形があった。岩の上に一抱えほどの白い岩が意味あり気に置いてあり、そこに手形が押してある。

「これは、チャーリーの手形なんだ。そして、その奥の壁のもね。15年くらい前にここでドキュメンタリー番組が撮られて、チャーリーも来たんだけど、番組側がチャーリーが壁に手形をつけるところを是非撮りたいと言い出した。彼は自分はやったこともないし、気がすすまないと言ったけれど、是非というので、その壁のやつを押したんだね。でも、カメラが回る前につけちゃった。番組側はもう一度やり直してと言う。マックス(・デイヴィッドソン)がチャーリー、もうやらなくていいよと言ったけれど、チャーリーは壁につけるんじゃなくてこれでもいいだろ、と、白い岩に押して、それをここに置いたわけ」と。

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無神経な連中だなと思ったが、チャーリーはここで生まれて暮らしたことのある最後の人で、彼が手形を押したことで、岩絵の歴史に明確な終止符が打たれたといえるかもしれない。

チャーリーの手形は水気が少なかったとみえて、形があまり綺麗に出ていない。多くの手形は押した後で綺麗に形を整えられているものだ。このエリアものは、単純なステンシル、いちど赤い地色を塗ってその上から白いステンシルをつけて、手形が赤くなるようにしたもの、それと、赤い手形を押して形を整えたものの三種あるように見える。

すぐ近くの別のシェルターには水気が多すぎて輪郭がぼけ、染料が下に垂れてしまっている手形があった。あまり美しくない。おそらく最晩期の手形だろう、とルイス。手形ひとつとっても、それなりに技術的な継承が必要なのだ。この手形の横には家の絵が描いてあった。家、それはアボリジニにとって最も縁の無いものであったかもしれない。狩りをしながら移動する生活を止めることを意味し、ミッションなどで服を着て洋式の生活をすることを意味した。だが、オエンペリなどでは今でも政府が支給する、ベッドルームのある洋式の戸建てが彼らにとっては使いにくく、外に寝ている人も少なくないのだそうだ。この家の絵もアボリジニの伝統的な生活様式の終焉を象徴しているように思えた。

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ボラデール山は上部が大きな岩盤が二つに折れて左右に落ちているような、逆V字型のようになっている。まるで、山頂部分にアーチ状の入り口があるようにも見え、印象的だ。この形に数日前ローラで見たクゥインカン・ギャラリー奥のスペースに入る逆V字型の入り口を思い出した。ボラデール山はこの地域で一番高い山というわけではない。すぐ隣の山の方が高いのだが、この印象的な形が、何か特別な意味合いをもっていたのかもしれないと漠然と思った。中腹には大きな洞窟がある。ルイスはあの洞窟はきっと反対側まで抜けているところがある、というが、確かではないらしい。今後も人を入れる予定はないという。

船で離れていく際、山の上の壁面に絵があるのがぼんやりと見えた。望遠で撮影してみたが、判然としない。が、少し古いタイプの絵に見える。山頂部の逆V字型の奥にも何かあるのだろうか。

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これで二日にわたるボラデール山周辺の岩絵撮影はあっという間に終わり。内容の濃い二日間だった。

2015-06-26

オーストラリア岩絵撮影行・7日目(カカドゥ国立公園・アーネムランド)

今日からアーネムランドの中にあるDavidson’s Arnhemland Safariに二泊することになっている。アーネムランドの西北、伝統的にAmurdak語を話すUlba Bunidj族の土地で、Max Davidsonマックス・デイヴィッドソンが地権者から土地を借りる形で1986年から、フル・ガイド方式のサービスをしている。近くにボラデール山があり、そこに見事な岩絵があることを知っていたので、宿泊料がかなり高いが泊まることにした。施設の維持だけでも大変だろうし、収益を地権者の5家族に渡しているので仕方ないとは思うが、円安の影響もあり、ほんとうにコストが高い。

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ジャビルの空港から4人乗りのセスナで飛ぶ。パイロットは仕事を始めてまだ三ヵ月という若い子だ。空港のすぐ近くに大きな鉱山が見える。ウランの採掘をしているレンジャー鉱山だ。1980年代初頭から操業していて、ここで採掘されたウランを関西・九州・四国の三電力会社と伊藤忠商事出資による日豪ウラン資源開発という会社を通じて日本の原子力発電用に大量に輸入している。日本とはかなり関わりの深い鉱山なのだ。地権者はGundjeihmiグンジェイッミ語を話すアボリジニの氏族Mirarrミラルの人々だが、開発の同意を得る手続きはかなり強引であったとも言われ、根強い反対運動がある。精製施設の汚染水漏れの事故なども少なくない。近くにもうひとつジャビルカ鉱山があり、こちらの開発にも日本の資本が入っている。開発許可が出された後、反対運動によって中止されている。レンジャー、ジャビルカの両鉱山と反対運動に関するドキュメンタリー映画『ジャビルカ』が日本でも上映され、現在DVDも入手可能なようだ。私も観ようと思う。http://www.parc-jp.org/video/sakuhin/jyabiruka.html

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飛行機の窓から見る大きく蛇行する川の姿はまさにへびそのものだ。ニジ蛇が現在の地形を作ったという話は、氷河期が終わり、気候が現在のような長い雨期のあるものになり、しばしば氾濫して人の住む場所を飲みこむ川のイメージそのものではないか。

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Davidson's Arnhemland Safariダーウィンからの送迎もある。自分で4WDを運転して行くことも可能ではあるが、ともかく、一昨年訪れたオエンペリというアボリジニの町を過ぎたら人が全く住んでいないのだ。入るだけでも事前に許可を得る必要があるし、目的地以外に行くことも、許されない。

私はSafariの周囲にアボリジニのコミュニティがあるのだと誤解していた。最後にこの土地に生まれ住んだ経験があるのがチャーリー・マンガルダCharlie Munguldaという男性で、第二次大戦中か大戦後、彼が8歳のときに土地を離れてから誰も住んでいないのだ。なので、この土地について、また岩絵の場所や意味について熟知している者もいなかったわけだ。地権者は現在5家族で、チャーリー以外はこの土地に来たこともないという。この場所は岩絵が有名だが、多くの場所はデイヴィッドソンがサファリを開いてから再発見したものだ。比較的最近も新しい場所が見つかっているし、まだ未探索の場所がいくらでもあるようだ。

到着してキャビンに案内された後は、すぐに岩絵に案内してもらうことになった。今回は写真撮影のためなので個人ガイドをつけてもらった。30代前半くらいに見えるルイスだ。若いがガイド歴は長い。

車はおそらくサファリを開いた80年代当時のランドクルーザーで、窓もサイドミラーも何も全部無くなって骨組みだけになっている。「電子部品をあまり多用してないから修理しやすいんだよ」と。

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ボートでLeft Hand Creekという川を遡上し、さらに水量の少ないビラボンを通っていくが、一昨年5月の頭にカカドゥを訪れたときと違って睡蓮が咲き、水鳥がたくさん集まっている。水のひいた後の湿地は鳥の格好のえさ場なのだ。マグパイ・グースが何十羽と一斉に飛び立つのは壮観だし、鶴も群れをなしている。ペリカンやおなじみの塩水ワニもいる。嬉しかったのは頭に赤いトサカがついているバンがたくさん見られたことだ。前回はちらっとしか見られなかったが、今回はボートの先をたくさん飛び去っていく。

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ボートを降りて岩場を歩く。タコノキやアダンに似た木が岩の上にたくさん生えているが、実の先が繊維だけになり、翁の顎髭のような姿のものが岩の上にたくさん固まって転がっている。木から落ちたにしては不自然だ。岩ワラビーはこれが大好きで落ちている実を持って岩に上がり、柔らかい部分をしごいて食べるのだそうだ。実際、翌日この実を持って岩の上に上がるワラビーを見た。

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この近辺の岩絵のあるシェルターはあまり高くない。雨期でも水に浸からないぎりぎりくらいではないだろうか。スタイルはカカドゥやインジャラクとよく似たX線技法の魚や人物が最前面にあるが、古い技法のものも多く残っている。

カヌーに乗る人の絵もある。アボリジニではなく、北部にナマコ漁に訪れ、アボリジニと交易を行っていたインドネシア人かもしれないという。

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ディジェリドゥを吹く人の姿もある。

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大きなシェルターは複雑なトンネル状になっているものが多い。長年水に侵食されてできた構造だが、さらにこれが人工的に削られていて、さながら石窟寺院のようになっている。何千年、あるいはそれ以上も人が住んだかもしれない。天井は煤で真っ黒だ。

大きな洞窟状のシェルターにはたいてい埋葬の場所がある。人骨を木の皮やカゴ状のものでくるんで洞に入れたものだ。ほとんどが包みが砕けて骨がむき出しになっている。穴は岩ワラビーの格好の住み処でもあるので、骨を蹴落としてしまうのだという。赤く染めた骨がある。重要人物の骨にはそうしたことをしたのだとガイドのルイス。人が亡くなると木の上に板を渡し、遺体を起き、鳥葬にする。狩猟採集生活の彼らは移動しながら生活しているが、再び戻ってきたときには遺体はきれいに骨になっている。これをあつめて包み、洞窟の中の洞に安置するのだ。きちんとした手順で行うことが魂が現世にとどまらずに冥界に行くために必要で、魂がこの世に残ってしまうことをとても恐れていた。

今は亡くなったらすぐに埋葬する義務があるが、一定期間を置いて掘り出し、儀式を行って骨を取り出して家族に渡すということをしている場所もあるようだ。オエンペリの町で花を盛り上げた埋葬場所を見た。葬送の儀礼を行っている家は赤い線で家の壁にぐるりと印がつけてある。

比較的最近見つけたという虹ヘビのシェルターにも連れていってくれた。ここに来た人はまだあまりいないんだと。面白い形をしている。牙が生えていて、このエリアにはやはり鋭い牙の生えた有名な巨大なニジヘビの絵があるが、それともちょっと違った姿だ。そこも当然行くんだよね?と聞くと、「行きたいの?」と。あぶないところだった。何も言わなければ連れていってもらえなかった可能性がある。

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絵を描くためか、オーカーを砕いた跡も残っていて、70年以上も人が住んでないとは思えないものがあった。ガラス片を細かく割って黒曜石のスクレイパーのようにしたものも落ちている。「見たら元に戻しておいてね。一切何も持ち出さないと約束してるんだ」と。

昼食に戻り、他の宿泊客と会話する。50代くらいの女性二人連れ、十代の娘が三人いる家族連れ。どちらも日本に旅行に来たことがあるという。「日本は何を食べてもおいしい」と、皆言うのだった。中学生くらいの次女が「私はギョウザが好きなんだ」と。最近、本当に日本と日本食が人気なようだ。シドニーの一風堂など大繁盛しているようだが、一杯1500円以上するらしい....。

シティー・グループでファイナンシャルアドバイザーをしているという夫が、今年の秋に家族で日本に行くんだが、東京の寿司屋でおすすめは?と聞いてくる。

「ジローってのがあるんだろ?」

あるらしいけどねぇ。私は回らない寿司屋はまず行かないので。それに、ジローとかは家族連れで行く場所じゃないと思う、高いよ、というと、「いいんだ、ちょっと高くても。ともかく食べてみたいんだ、何でも。ワギュウは? 岩塩の上で焼くワギュウがあるんだって?」と。知らんなぁ。私は松屋の牛丼がプレミアムになって100円値上がりしたことにショックを受けたくらいだからして.....こっちじゃ380円じゃサンドイッチも買えない。たたみかけるように、「フグ料理はどうなの?」と聞いてくる。きみは日本というと、食い物のことばかりなのか?

「フグは高い寿司屋よりも観光客には面白いかも。オオサカでは当たると死ぬということで、鉄砲、ガン・シチューとか、ガン・サシーミとか言うんですよ。たまに危険な部位をあえて食べて死ぬ人もいます」と、適当に言うと、娘が「そんなの絶対いやだいやだいやだ。ギョーザがいいギョーザが!」。だよな。

宿泊料が高いこともあり、どうも客はリタイヤした医者とかある程度余裕のある人が多いわけで、皆感じのいい人たちではあるんだが、私はだんだんこの朝・昼・夜の「社交的な」会食が面倒くさくなってきた。「あら、私もあなたのご主人に資産運用のアドバイスをしてもらおうかしらホホホ」とか、「もうひとつ質問してもよろしくて?」とか....うーむ。だんだんくたびれてくる。

ただ、こうしたサファリのような場所で網戸しかないキャビンに泊まって、虫刺されの薬を塗ってボートで川を遡上したり、ブッシュを汗をかきながら歩くのが楽しい、というのが日本の富裕層とちょっと違うところかと思う。年に一ヶ月以上休暇をとるのが普通なのだ。一般の商店なども日曜はきっちり休んでいる。それでこの物価で経済がまわっているのだから豊かなのだ。

午後は有名な虹ヘビのサイトなどに連れていってもらった。このエリアの岩絵のシンボルでもある。私はてっきりそれがボラデール山の上にあるのかと思ったが、そうではなかった。比較的新しい絵だが、なかなか迫力ある。びっしり牙が生え、舌まで出している虹ヘビというのは他にないんではないだろうか。首に襟がついているし、ヒレのようなものがある。体にはぼつぼつと斑点があり、どうもこれも特徴のひとつのようだ。カカドゥやインジャラクで見たニジヘビは本当に虹のように塗り分けられたU字型のシンボリックなものだったが、これは妙に禍々しい。

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ニジヘビはスタイルからしてもここ数世紀以内の絵に違いないが、かなり古いブラッシュ・ストロークで描かれたナチュラリスティックと呼ばれるタイプのものも多い。1万5千年から2万年前くらいの絵だという。

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2万年以上前という、最も古い絵は、穂のついた草に染料につけて岩肌に叩きつけたシンプルな線などだ。ひとつのシェルターでも細かく見ると実にいろいろな絵の技法、モチーフがある。古い線で書いたシンプルな人物像を後の文化では、人が描いたものではなく、ミミという精霊によるものだと考えた。文化的な断絶があったのか、担い手そのものが変わったのかわからないが、キンバリー地方でブラッドショータイプの絵が後の時代では人が描いたものではないとされ、あまり大切にされなかったというのとよく似た話だ。

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丸一日ひたすら岩絵のサイトを見て、あっというまに日が暮れた。

2015-06-25

オーストラリア岩絵撮影行・6日目(キャサリン・ニトミルク・カカドゥ国立公園)

キャサリンからニトミルクNitmiluk国立公園に向かう。カカドゥ国立公園のすぐ南に位置するこの地域はJawoyn族が住むエリアで、ニトミルクとはセミのドリーミングの地(セミの精霊とそれをトーテムとする人たちと深いかかわりのある場所)という意味だという。キャサリン川の、砂岩の絶壁が両岸に迫るニトミルク渓谷が有名な観光地で、二年前家族で訪れたときには渓谷を遡上するクルーズのツアーに参加した。岩絵に関しては、数年前、放射性炭素測定ではオーストラリアで最も古い約3万年前という数値が出た絵があるエリアでもある。

カカドゥ国立公園やこのエリアは少なくとも5万年前から人の居住の痕跡があることが、熱ルミネッセンス年代測定法でわかっているという。熱ルミネッセンス測定法というのは、自然放射線・宇宙線の層被曝量を計測し、年代を推測する方法だ。放射性炭素測定は有機物以外には有効でないので、遺物にはこうした技法も適用されるし、岩絵には岩絵の染料の表面がどの程度石英化しているかで年代を推測する方法もある。そうした方法では、もっと古い年代が出ている例もあるのだが。

例の絶滅した巨大鳥の絵もどこかにあるのだが、事前に問い合わせたところ、これは聖地とされる場所にあり、部族内でも限られた者しか立ち入らない場所で、一般公開されていないというのであきらめざるをえなかった。

今日参加するツアーはロックアートに特化した二、三時間のツアーでヘリコプターで川沿いに50,60キロ奥地に入った所まで行く。この地域の岩絵で最も知られているのはシェルターの天井とそれを支える柱状の岩にびっしりフレッシュ・ウォーター期(約1500年前〜現在。塩水が内陸まで深く入らないようになり、多くの水鳥や淡水魚などが生息する環境になった)のX線技法の魚の絵などが描いてある場所で、いくつかの旅行代理店やホテルがこの写真を使っている。このエリアのツアーをしきっているニトミルク・ツアーも同じ金額のツアーを催行しているので、おそらく実質的には同じものだろうと、申し込んだ。本来ツアーは二人からということになっている。もし他の参加者がいないと倍額払う必要があるという。とんでもない金額になってしまうのだが、全て先払いだというので、仕方なく倍額を事前に払い、他の客が参加するのを期待していたが、ヘリポートで参加者は私だけとわかって大いに落胆した。これまであちこちの国で参加した一日ツアーの中で最も高額だ。

果物などを食べるコウモリ、フライング・フォックスがたくさんぶら下がっていた。

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ヘリはニトミルク渓谷を遡上していく。キンバリー地方と違ってヘリのドアは外していないので、窓越しにはあまりいい写真は撮れないが、非常にダイナミックな景観だ。渓谷は深く堆積した岩盤に生じたちょっとした地の亀裂で、それに沿って少し他のブッシュよりも濃く木々が生えている。スケールを変えれて見ればまるでカビのように見える。

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しばらくしてヘリは川の中にある岩に設置された小さなポートに着陸した。表面が水によってスムースに磨かれた岩と透明度の高い渓流が作るとても美しい場所だ。二、三ちょっとした岩絵を見て、ヘリのパイロット兼ガイドが、はい、これで全部というので、え? あのシェルターの天井にびっしり絵が描いてある場所は? というと、「あ〜、あれは一般の人が行ける場所じゃないから、それに、我々はあれが正確にどこにあるかも知らないんだ」と。

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「ちょっとまって、ジャウォインの地の岩絵といったらあの場所でしょ? 他の代理店だけど、同じ金額のツアーの広告にあの場所の写真が使われてたよ。他にあの場所に行くツアーがあるの?」というと、「いや、岩絵のツアーをやっているのは我々だけなので、他で申し込んでも結局このツアーに乗ることになるんだけど....。前にも自分たちが見たかったのはこんなんじゃない、と文句を言った人たちがいたんだよ、広告に問題ありだな」と。

これはショックだった。見られなかったことも残念だったが、岩絵そのものは本当にちょっとしたものを見るためにとんでもない金額を払ったのがなんとも虚しかった。でもこのパイロットの会社の広告に使われていたわけではないので仕方ない。

「ええと、まだ時間がたっぷりあるから、好きにしてて。泳ぐのもいいし。僕はヘリの場所まで戻ってるから」と苦笑いしながら離れていった。

好きにしろって言われても...。岩絵を撮影することしか考えてなかったから、泳ぐにしても水着ももってないし。でもよく考えたら周囲数十キロ四方、このヘリのパイロットと私しかいない。素っ裸で泳いだ。が、素っ裸というのは解放感があるようでいて、なんとなく股間が落ち着かないものだ。それに、絶対に誰も見ていないとわかっていても、なんとなく恥ずかしい。早々に上がってぼぉっと景色を見ていた。岩絵は残念だったが、なんと美しい場所だろうか。ニトミルクのインフォメーション・センターで見たモウセンゴケのような食虫植物が生えていて、これも面白かった。

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この日はヘリから降りて、一路カカドゥ国立公園をひた走り、300キロ以上離れた南アリゲーター川沿いのオーロラ・カカドゥに宿泊。なんとかこの日も居眠りせずに済んだ。