エゼキエル20章・北の王のすえる荒廃をもたらす嫌悪すべきもの

「彼らがその目に嫌悪すべきものをそれぞれ投げ捨てず、エジプトの糞像を捨てなかったので、わたしはわたしの激しい怒りを彼らの上に注ぐと約束した。」(エゼキエル20:8)


エゼキエル20章には、「嫌悪すべきもの」という表現が出てきます。これは、何を意味するでしょうか。この理解は、マタイ24章15節に出てくる「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」に関する私たちの理解に貢献します。荒廃をもたらす嫌悪すべきものの実体を理解するならば、私たちのその実体に対する考え方を調整できます。


旧約聖書にも、新約聖書にも「嫌悪すべきもの」という表現が登場しています。聖書全体で、語の用い方が一貫しているのは、興味深いことです。このことは、聖書全体が一貫して、ひとりの神の霊感を受けていること、聖書を解釈する上で、聖書全体を参考にできることを示しています。


冒頭のエゼキエル20章8節では、イスラエル人が、投げ捨てなかったものとして、「嫌悪すべきもの」と「エジプトの糞像」が同列に置かれています。また、エゼキエル7章20節でも、「自分たちの忌むべき像」「嫌悪すべきもの」が並べて置かれていますから、「嫌悪すべきもの」とは、「糞像」つまり偶像を意味していることが分かります。(エゼキエル37:23)




The Sphinx and the Great Pyramids near Cairo, Egypt. Many Bible-time people found refuge in Egypt
エジプトの偶像は神の目に「嫌悪すべきもの」



また、「嫌悪すべきもの」とは、列王第一11章では、アンモン人の神「ミルコム」もしくは「モレク」、モアブ人の神「ケモシュ」です。(列王第一11:5,7)つまり、嫌悪すべきものとは諸国家で崇拝されている神をも表しています。諸国家で崇拝されている神は、エホバにとっては嫌悪すべきものです。



derivative work: Richardprins (talk)
· Amon - Orange
· Moab - Purple
イスラエルの周辺の諸国家アンモンやモアブは独自の神を持って崇拝していた−それは神の目に嫌悪すべきもの


「嫌悪すべきもの」はマタイ24章15節のイエスの言葉の中に出てきます。イエスは、大患難の前に、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」が「聖なる場所に立っている」のを見かけたらなら、「山に逃げはじめなさい」と勧めておられます。(マタイ24:15,16)では、この「嫌悪すべきもの」とは、何を意味しているのでしょうか。


私は以前は、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」とはアメリカによって設立された国際連合だと考えていました。しかし、聖書の預言を検討して、その解釈は間違っていると考えるようになりました。それは次の理由によります。以前の解釈に基づいて行動した方には、申し訳ありませんでした。


エスの言葉によると、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」は、ダニエル書でも言及されています。(マタイ24:15)その語はダニエル11章31節に登場します。そこでは、「荒廃をもたらす嫌悪すべきものを必ず据える」と述べられています。ダニエル11章29節によると、そうするのは、北の王です。ですから、北の王が何らかの形の「嫌悪すべきもの」偶像をすえることが分かります。


聖書の中に、国家が偶像を作ることが述べられているでしょうか。述べられています。啓示13章には、子羊のような二本の角のある野獣が、「剣の一撃を受けながら生き返った野獣のために像を作るようにと地に住む者たちに言う」と述べられています。(啓示13:14)聖書は一貫していますから、像を作るように言う「子羊のような二本の角のある」野獣とは、北の王を表していることが分かります。北の王は、「嫌悪すべきもの」を率先して作ることが分かります。


「子羊」とは聖書の中でおおむね「イエス・キリスト」を表していますから、この野獣は、キリスト教を奉じる国家のように見えるでしょう。(ヨハネ1:36)


北の王はアレクサンドロス大王の国から別れでたカッサンドロスKassandros、リュシマコスLysimachos、セレウコスSeleucus、プトレマイオスPtolemyという四つの王国から出てきます。(ダニエル8:9,10)それらの国々は、ほとんど現在イスラム圏の国となっています。北の王はイスラム圏の国のどれかでしょう。ダニエル11章37節によると、北の王は、「自分たちの父たちの神に何の考慮も払わない」とありますから、北の王は伝統的なイスラム教を捨てて、キリスト教を奉じるのかもしれません。



アレクサンドロス大王の帝国


また、ダニエル11章38節によると、「要害の神に対しては、自分のその地位からも栄光を帰する」とありますから、北の王は、要害の神に幾らか敬意を払います。


「要害(英語fortress)の神」とは何を表しているのでしょうか。ひとつの解釈としては、「要害の神」とはエホバ神を意味するのではないかと思います。なぜなら、ダニエル書には、エホバの「聖なる所」が「要害」であると述べられています。(ダニエル11:31)また、エホバは「イスラエルの子らのための要害」とあります。(ヨエル3:16)ですから、北の王は、イスラム教を捨ててある程度、キリスト教を奉じるかのように見える北の王ではないかと思います。


また、「要害」とは「とりで」という意味があります。ですから、「要害の神」とは北の王が、自国の軍備の増強に力を入れるという意味であるとも解釈できます。それで、子羊のような二本の角のある野獣とは、キリスト教を奉じる北の王ではないかと思います。


そして、啓示13章によると、北の王は「致命的な打ち傷のいえた野獣」、また、「剣の一撃を受けながら生き返った野獣」を崇拝させるために、「野獣の像」を作ると預言されています。(啓示13:12,14)ですから、北の王はどこかの国の崇拝を奨励し、そのために国際的な政治組織を作るようにと主張することが考えられます。


いずれにしても、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」とは、エホバの目に偶像ですから、遠い将来北の王が国際的な「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」を作る時、その組織に盲従するのは、神に目に好ましいことではありません。また、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」に加わることは、大患難の時、北の王と共に、南の王に対して戦うことを意味するでしょう。そうするとその国家の国民は、大患難を生き残る可能性が低くなるでしょう。(啓示18:9,10)このことを今から思いにとめておかれることをお勧めします。


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