国指定史跡 春日大社境内
祭神 春日神(武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神)
630-8212 奈良市春日野町160
公式サイト http://www.kasugataisha.or.jp/
鹿島神宮 その → 一、二、三
香取神宮 その → 一、二、三
枚岡神社 その → 一
→ 「春日大社」関連の記事
東大寺法華堂から若草山の下を通り、
お目当ての春日大社に出ましたが、
ここはどうやら境内の北東の端、
摂社・水谷神社の裏手のようです。
神社には出来るだけ、
一之鳥居からお参りするよう
心がけておりますが、
それにはかなり西に戻らねばならないので、
時間の都合致し方ありません。
重文の南門の前に、
まるで鹿島・香取の要石のような、
神石(出現石・額塚)があります。
この石は太古の昔、神様が降臨する憑代として
祀られた「磐座」、或いは赤童子(春日若宮
の祭神)がここから現れたと言われる
「出現石」また宝亀三年(772年)の落火で
落下した社額を理納したと伝えられる
「額塚」等、諸説のある神石です。
要するに何だか分からないんですね。(;^_^A
中庭は「林檎の庭」と呼ばれています。
祭典の折には神楽、舞楽など、
神事芸能が奉納されるこの庭に、
平安時代に高倉天皇が、
リンゴの木を献木されこの名になったとか。
ご神木はこの樹齢千年、
周囲7.94m高さ23mの大杉です。
鎌倉時代の「春日権現験記」に、
その幼木の姿が描かれているそうです。
根元から斜めに伸びているのは、
イブキ(ビャクシン)で、
重文の直会殿の屋根に穴をあけてまで、
木を生かしているのは、
春日独自の信仰によるものとか。
去年から今年にかけて、
二十年に一度の式年造替が行われています。
なんと今回で第六十次。。。
その為、御假殿特別参拝となります。
さて今更ながらではありますが、
春日神社について簡単にご説明いたします。
平城京遷都の和銅三年(710)、
藤原不比等が藤原氏の氏神である、
鹿島神宮の武甕槌命を、
御蓋山に祀った説もあるようですが、
社伝では神護景雲二年(768)に藤原永手が、
鹿島神宮の武甕槌命、
香取神宮の経津主命、
そして現在は元春日とも呼ばれる、
藤原氏の祖神、枚岡神社の、
天児屋根命・比売神の、
四柱を併せて祀ったことを、
その創祀としています。
しかし近年の発掘調査によると、
やはり神護景雲以前より、
この地で祭祀が行われていたようで、
前説も否定出来なくなりつつあるとか。
鹿島神宮からご神体のご分霊を遷す際に、
武甕槌命の神使の鹿が使われ、
多くの鹿を引き連れておよそ一年かけ、
茨城から奈良まで来たとされ、
途中、鹿が死んで葬られた地が、
現在の「江戸川区鹿骨」とか。
鹿島から連れられた鹿は、
今奈良にいる鹿の先祖です。
そして現代、鹿島神宮にいる鹿は
この奈良の鹿を里帰りさせたものなんだそうです。
閑話休題、
さて藤原氏の隆盛とともに栄華を極め、
やはり藤原氏の氏寺であった、
興福寺と徐々に一体となり、
神仏習合で興福寺の本尊・不空絹索観音が、
武甕槌命の本地仏と考えられるようになったとか。
明治維新後の神仏分離により、
再び分かれて今に至ります。
ちな神紋は、枚岡神社や我が家と同じ下り藤。
式年造替の覆いを仰ぎ拝し、
御假殿で四柱に参拝してから、
一旦楼門から回廊の外に出て、
御蓋山浮雲峰遥拝所へ。
この御蓋山浮雲峰は、
奈良時代の初めに平城京守護の為、
武甕槌命が白鹿の背にお乗りになり、
天降られたという神蹟で、
今も禁足地として入山が規制され、
ここから遠く遥拝するのみです。
春日大社には沢山の燈籠が奉納されておりますが、
全部で三千基以上の燈籠があるそうで、
その一部がこの重文・万燈籠再現の
藤浪之屋にあり公開されています。
二月の節分と、八月十四・十五日の、
年三回行われる万燈籠神事が再現されていて、
なんとも幻想的な雰囲気を感じることが出来ます。