Where is my “Huis clos“?

 どうしても中村恩恵のダンスを生で観たくてたまらなくなっていたので『DEDICATED 2014 OTHERS』を10/24のソワレで観に行きました。サルトルの『出口なし』が演目に入っていたのもあって。

http://www.kaat.jp/d/dedicated_others

 前半の「ジキル&ハイド」は、首藤康之の肉体や舞踏はとてもリリカルな個性が宿っているもので、それは浅田真央の特徴とよく似ていると私は思っているのですが、浅田真央の持ち味をタラソワがうまく活かさないのを見てやきもきするのと同じような感覚になりました。その肉体にラフマニノフのそういった曲を背負わせないで、ラフマニノフ浅田真央も勿体なくなるから、と叫びたくなるあの感覚。あとマイムがそのまま過ぎて説明過多で胃もたれしがちなところも一緒でした。
 途中でドン・キホーテの音楽が入って、そこでバジルのバリエーションみたいなものをやるところだけ、浮き上がって綺麗で、目が醒めて、その浮き上がり方によって、他の部分でいかに無理してるのかというのも伝わってくるのがいささかまずいことのように思えました。

 後半の「出口なし」も、構成・演出は別人なのにそういう感覚は通底していました。

 サルトルの原作を読んでから会場に行ったので*1、ガルサン=首藤康之・イネス=りょう・エステル=中村恩恵の配役はこれしかないだろうと思いつつも、ガルサンは原作のまま首藤康之に背負わせるのは重いだろうし、イネスとエステルは読んでいて直感で当てた配役とあえて逆にするのも場合によってはあるだろうな、などと考えていたのに、思った以上にそのままだった。ダンスとして『出口なし』をやるのか演劇として『出口なし』をやるのか軸がぶれていて、そのせいでダンサーと役者の長所ではなく専門外の部分の方が悪目立ちしていた。それぞれのキャストが力量のある人たちなので、台詞を喋ると役者がうますぎてダンサーの台詞回しが霞む。踊らせるとダンサーの動きがしっかりしているので、役者のぎこちなさが目立つ。原作に基本的に忠実に進行しているのに、一向にサルトルの良さもダンサーの良さも役者の良さも出てこない。素材は申し分ないのに料理がうまくできていない。ガルサンのキャラクターをもっと首藤康之に近づけた造型に料理しないとちょっと個性が違いすぎるからそこをどうするんだろうと思っていたら、原作のガルサンと首藤康之自身の持ち味が乖離したまま料理せず放り投げ。原作を読みこまなかったら、こんなに歯車が噛み合わない感覚にならなかったのかなと後悔したほどだ。やたらと原作の戯曲に忠実に進行しているのに、一つだけ大きく逸脱したシークエンスがあるのだけども、そこも何故あえてそうしたのか、という意図が読み取れなかった。ベジャールの『出口なし』を観にいった時に、いまいち消化不良で、自分にしっくり来るこの原作作品を見つけたいなというのが大きな動機でもあったのだけど、「他人は地獄だ…地獄とは他人のことだ…」とフラストレーションを余計に募らせて帰ってきただけでした。

 私が欲する『出口なし』ってこんなに親切に説明しなくてもいいし、そのくせ大事な部分は説明不足になるようなものでもないんです。役者・ダンサーそれぞれのぎこちなさだって、うまく使えばそれが見せ場になるはずなんです。中途半端が一番良くない。Noismの『カルメン』も役者を使っていたけれども、そこでは狂言回しに徹底していたし、ダンサーは一切言葉を喋らなかった、あれは英断だったのだなとこうやって他の作品を通して深く理解した。ダンサーは肉体のムーヴメントで語る、役者は肉体を使った声で語る、拠って立つ場所が違う。違うものを共存させるためのアイディアはそれなりに方法があると思いますが、ここは残酷なほど力量が問われるものだなと、同じ劇場で観た演目で深く感じた次第です。

 Noism1の新作『ASU〜不可視への献身』のチケットを劇場で買って帰ったので、これを励みに今年は乗り切りたい。音楽が1部スティーヴ・ライヒ『ドラミング』!コリン・カリーグループとスティーヴ・ライヒ本人来日公演で生で聴いて、これを使ったダンスが観たい!ローザス来日待たないときちんとしたものは無理かな…と思ってたらNoism1で観れる!嬉しい!『ドラミング』はステージ上での演奏者のフォーメーション自体がばっちり決まっていて美しかった。演奏者は演奏に徹していてその姿が美しかったけど、ダンサーはまた違う美しさが出るはずだから、その差異を楽しみにしてる。
http://www.kaat.jp/d/asu
http://www.noism.jp/schedule/2015/01/
これ、第1部-Training Piece-の方で『ドラミング』使うけど、第2部-ASU 〜不可視への献身-の方は日本語の起源説の一つ、アルタイ語使うんだな。国語学(日本語学)に興味を持った時に、大野晋を読むことを勧められてたからアルタイ語族説にはあまりなじみがないのですけど、なじみがない分先入観もないのでこちらも楽しみ。
http://www.kaat.jp/public_kanagawa-arts.or.jp/img/userfiles/files/Noism1_ASU_Press%20Release_0905.pdf

私のコリン・カリー・グループによるスティーヴ・ライヒ『ドラミング』ライヴ感想も含まれてるエントリあった。
http://d.hatena.ne.jp/marginalism/20121215/1355581266

って中村恩恵さんもライヒで踊るの!?12月!?お金かき集めた方がいいの…?
http://www.hakujuhall.jp/syusai/16.html

*1:サルトルの『出口なし』って一般教養の域にあるはずの作品だし英語や仏語のものは検索すればすぐネット上に無料で全文転がってるのに、日本語で読もうと思っても絶版になってて簡単に読めなくて、函付きのサルトル集みたいなのを古本で探してやっと読めるという状況をどうにかしてほしい。こういう作品こそ一刻も早く電子書籍にしてほしい