ポエカフェ、6年ぶりの大手拓次篇

明治20年(1887)11月3日、群馬県碓氷郡西上磯部村(現安中市)にて誕生。磯部温泉「鳳来館」営む父、宇佐吉(23)母のぶ(24)の次男坊。
兄、姉、弟、妹の5人兄妹。
7歳で父、9歳で母を失い、拓次はおばあちゃんっ子。青白くひ弱で内気。

明治33年13歳、磯部尋常小学校卒業。群馬県安中中学校入学。
明治37年17歳、中耳炎で中学5年を退学。翌年、同校再入学したのち、高崎中学に転校。

明治39年19歳、高崎中学卒業。兵役志願するも虫歯で甲種合格ならず。虫歯だとだめなのか、ふうむ。兄の孫平家出で家督相続命じられるも弟に譲る。
早稲田大高等予科入学。

明治40年20歳、馬場下町で下宿。早稲田大学英文科に入学。
詩の投稿を開始。筆名は紅子(くれないし)
明治41年大学、落第、留年。
明治43年23歳、ボードレールに烈しく傾倒。『仏蘭西現代詩集』や彼の『惡の華』を原書で取り寄せ、仏詩の翻訳を初めて開始。これ、相当、大変だっただろうねぇ。

明治45年(大正元年)25歳、早稲田大学英文科卒業。

北原白秋主宰「朱欒」に初めて口語自由詩二篇投稿。この頃、群馬〜東京、たびたび、往復。

大正5年29歳、白秋より初の書簡を受け取る。
ライオン歯磨本舗小林商店広告部入社。どこぞの中也とかと違って、ちゃんと就職するんですよ、このお方。
牛込区袋町(現新宿区)清栄館に下宿。拓次、ここに20年もの住むんです、凄いわ。家賃滞納せず、信用されてたんやろね。このお方、部屋に何百という香料を置いてたらしいねんけど・・・

社友で画家の逸見亨らと「異香詩社」結成。もうね、香という文字をつけるだけ、拓次らしいわ。
萩原朔太郎から初書簡届く。

1917年30歳、「感情」にボードレール、モレアスなどの訳詩発表。
1918年31歳、逸見らと詩画集「黄色い帽子の蛇」「あをちどり」発表。
祖母ふさ逝去。翌年祖父万平逝去。
33歳の時、親友の逸見が結婚。

大正10年〜眼病患い、会社を長期欠席。白秋より励ましの手紙が来る。「現代詩集」に詩が掲載される。
中耳炎で入院。通院しながら、通勤。新入社の山本千代(安英)に淡い思慕よせるも、半年で千代は退社。夕鶴の舞台女優さんですね。

大正12年35歳、関東大震災にてライオン歯磨本店全焼。丸ビル内に本店移転。
大正13年36歳、逸見と詩画集など製作。白秋をつうじ、処女詩集刊行の予定をすすめるも実現せず。このあたりは『迷乱の果てに 評伝大手拓次』(関口彰)や『娶らざる詩人 大手拓次の生涯』(生方たつゑ)などにも載っていて、あぁ、白秋さん、なんとかしたってよ!と歯痒い思いをしながら面白く読んだ。

大正15年(昭和元年)39歳、大木篤夫(惇夫)との交流深まる。白秋をつうじ「アルス・グラフ」に本名で詩を発表。だが「藍色の蟇」と題して白秋にまた詩稿送るも詩集刊行とならず。詩集1冊出すのがどんなに大変なのか前述の本を読んでても思う。白秋はさんざん、拓次にあなたはもう世の中にでていないといけない逸材ですとかすごい才能認めていたのに、諸事情が厚い壁となって立ちはだかった・・・悲しい。
白秋の三羽烏として拓次、犀星、朔太郎は言われるけど、拓次は生前に詩集がでぇへんかったんよなあ・・・
お米10㎏が3円の時代に2000円用意してほしいと言われ、用意できなかったり、拓次の内気な性格、社交的でない気質なども災いした。そういう意味で拓次は不運だった。
40代に入ってから眼と耳の病気が悪化。たびたび、入退院繰り返す。
昭和9年(1934)47歳、4月18日、肺病にて死去。20日、白秋夫妻、朔太郎、犀星、大木惇夫、逸見亨他40名の詩友、社友に見送られて上野駅から磯部へ。

拓次の詩で一番多いのが薔薇の詩。拓次といえばまず薔薇と答えればいいのである(おい)
といいつつ薔薇の詩じゃないものをご紹介。
「雷」はわずか6行の詩。
雷!

胸に鳴る。

短い詩じゃけ、全部書いてもいんだけど、この胸に鳴るというのがこの詩の個人的に気に入ったとこ。
「罪の恩恵」は最後のあたりを少し。

罪よ、
お前は此上もない美貌である。

罪なくして
神の存在は空(うつろ)なものである。

罪という言葉を恋愛に置き換えるとこの詩はさらに興味深いものになる。

「陶器の鴉」拓次の詩が簡単だとは思えないんだけど、それでも気になるフレーズやこれ、いいじゃんと言いたい1行はある。
この詩だと最後の行。
この日和のしづかさを食べろ。

この詩にでてくるあをい鴉、これは何をイメージしたものだろうか。陶器のカラス?題名でまず、何だろう、と立ち止まらせる。
この詩にはなめらかな母韻という語句もでてきて、さらに私の頭の中で謎めかせていく。

「色」という詩には赤から始まって、醜き売女の背の色とか、30個ちかくもの色がでてくるのだけど最後に
而して真理の色と虚偽の色と。

と哲学的な1行でもってこれはそんな単純じゃないよと私に警告している。だけどもこんなに色がでてくる詩ってあっただろうか。

「はなたれた言葉」もう題名だけでちょっと好きだよと言うてもいいなと思って読むと、そう簡単にはこれも掴ませてくれない。
わたしは今この手から言葉をはなつ。その言葉は鳥と
なつて空をかけりゆき、魚となつて水中を泳ぎゆく。

とこしなへに若く、はなたれた言葉は空間と時間とに
生きるのである。

断然、最初の1行がいい。詩人らしい、手でひたすら詩を創ってきた拓次らしい1行だ。拓次の生前には詩集をだせなかったけども拓次の放った言葉がぴっぽさんによって、平成のポエトリーカフェという空間に響きわたる。

「足をみがく男」タイトルが足をかぐ男じゃなくてよかったと真っ先に思ってしまった・・・許して、香りフェチの拓次さん。

もう二度とかへらないわたしの思ひは、
ひばりのごとく、自由に自由にうたつてゐる。

足をみがくという行為に何を託しているのだろう。最後の行で見知らぬ足、そのままに動いてをれと。

わたしの思ひを恋愛ととってもいいし、拓次の詩でもいいのかなとも思う。

香料や薔薇の詩で私を煙に巻くかと思えば、草野心平の蛙のような詩でもって更に私を混乱に陥れる拓次さん。
「夜の時」
ちろ ちろ ちろちろ

ぴるぴるぴるぴる ぴる

短いけど、朗読泣かせというか、難しいわ、これ。
「水に浮く花」
みづのなかに うかべる花
こゑをはなてり

朗読したけど、短い詩って短い故にわからない。長い詩よりわからない。想像と迷宮の渦が果てしなく広がっていく。
内気で社交的じゃなかったらしい拓次が詩の中でだけは言葉を、声を放って、自分の想いを託そうとしていたのかもしれない。

視覚的にも面白い、でも朗読はしたくないのが「香料の表情に就いて〜漫談的無駄話〜」抄
香水を選ぶさいに次にあげる25種の「感じ」を参考にせよみたいなことが書いてあるねん。
1速度感に始まり、25生長感 で図解参照を乞ふと・・・いや、もう、おなかが香料で一杯です・・・
香料マニアの拓次さんにはかないません・・・恐れ入り谷の鬼子母神

2012年5月のポエカフェの「大手拓次」篇がこちら。リンク貼っておきまする。薔薇より今日のおやつがほしいますく堂
http://d.hatena.ne.jp/mask94421139/20120527/1338068589