山陰有数の「繁華街」♪


*山陰有数の「繁華街」♪
9月17日(金)に鳥取へ帰りました。終業後八尾市のマンションを17時26分に出て鳥取市の家には19時45分に着きました。
直後に鳥取県内では米子市の朝日町と並ぶ繁華街である「弥生町(やよいちょう)」のたまに訪問するスナックに行ってきました。
しかし上の写真、本当に場末の地方都市の繁華街です・・・・・(涙)。

このお店「輪桜(わざくら」さんに入ります。

夜11時頃までビールを飲んで、ママや女の子と楽しい時間を過ごしました。酔った勢いで、この写真を撮ってくれた男前の兄ちゃんにビールを奢りました(笑)。
なお左に座っているのが加藤輪歌子ママです。ママもバイトの女の子も「目隠しはいらない」と言っていたので、顔もバッチリ写っています!(爆)。
なお右端の女の子はよく大阪に遊びに行っており、大阪人よりも大阪について詳しい「寺町(鳥取市内の地名)の姉ちゃん」です。彼女の右隣は新人で、私の顔を見るのは初めてです。

車で弥生町まで行ったので、代行で帰りました。鳥取は公共交通機関の便が悪いので、かなり昔から代行運転業者がありました。
いつも末広温泉通りのローソンでビールを買って、アリスト車内で飲んで代行の運ちゃんと話しをするのが楽しみです!

「輪桜」さんの住所などは下記の通りです!

〒680−0832
鳥取県鳥取市弥生町375 楢山ビル2階
電話(0857)20−0108
定休日 月曜日
営業時間 19時〜1時
ホームページ http://www.wazakura.info/

大探検!

*大探検!
9月18日(土)は前にも述べた通り、小中学校時代の友人たちと会う予定でした。しかし前日に急遽中止に(悲)。理由は「思ったより参加者が集まらなかった」とのこと。
でも面白いもので、鳥取の神様は私を温かく見て下さっています。この日鳥取市叶(かのう)にある「因幡っ子」(地元の仕出し会社である「マルテ食品」が経営しとんさる弁当・惣菜販売のお店、中で食事もできます)に行くと、なんと今夜行う予定だった飲み会の幹事役の「あっちゃん」とばったり!。
マツケン〜!」と呼ばれた直後、さすがの私もびっくりでした。一緒に昼飯を食いながら参加予定者のことを聞くと、殆どが来れないという状況なので、「10月に延期」ということに(喜)。
「大探検」という題目ですが、前置きが長くなりました。

この日はこんな所に行ってきました! 鳥取県岡山県の県境をなす、国道373号線の志戸坂峠の旧道です。言うまでもなくこれは旧道の廃隧道(トンネル)でございます。新トンネルは昭和56年に竣工しており、この旧トンネルは現役時代に父親が運転する車で通過したことがあります。
ご覧の通り一応2車線ですが、大型車同士の行き違いはかなり困難です。入り口の高さ制限4メートルを示すH鋼が威圧感をさらに強めています。国際規格のコンテナは絶対通れません! この旧トンネル内で車にひき殺された女性がおったという話も。真偽はともかく・・・(冷汗)。

しかし鳥取県側はごらんの通り、今も活用されいます。この中では「板井原(いたいばら)ごうご」という、鳥取県八頭郡智頭町(やづぐんちづちょう)特産の「幻の漬物」と言われるものが樽漬けされています。これだけゴロゴロ樽があったら、幻と言えるかどうかと思うが?(爆) 
そういえば鉄道の廃トンネル内部でも、キノコを栽培しとるという話も聞いたことがあります。まあトンネル内は程よい湿気もあり、年中気温も安定しているので、このような再利用にはうってつけだと思います。

旧トンネル鳥取県側坑口を背に撮った写真です。本当に廃道そのもの!(笑)
Uターンするのに苦労しました!(爆)

朽ち果てた「鳥取県」「智頭町」を示す標識です。しかし現在のものと比較して、とても小さいです。
これじゃいつ鳥取県に入ったのか分からんっちゃ!(トンネルを通過したらイヤでも分かるだろっ!)

鳥取県側をちょっと下ると左側に窯元があります。この上部に森林作業中の青いトラックが林道を走っていました。
しかしどう考えても、いくら鳥取県人が運転しているとは言え、大阪ナンバーのアリストがこのような場を走っているのは不自然です(大爆)。

県境を現在のトンネルで越え、岡山県側の国道373号線旧道に入りました。
旧トンネルより下に公園があり、ここから志戸坂峠の旧「旧道」となります。道は結構整備されているらしいです。鳥取藩の池田家のお殿様も参勤交代時にここを通ったのでしょうか? 
なお志戸坂旧トンネルは長さ500数十メートルで、昭和9年か8年に完成しています。私の父親より1歳か2歳年上です♪ 
しかしその当時としてはかなりの技術を投じての工事だったことでしょう!

旧トンネルの岡山県側に到着しました。坑口右下に不適切な絵や言葉が書かれていましたので、消してあります。
道路自体は岡山側の方が綺麗です。しかし1兆円もらっても、1人でこの中には入りたくありません。

入りたくてもご覧の通り、フェンスに鍵が掛けられています(笑) このフェンスも新調されています。
前は鍵がかかっていなくて、中にも入り放題でした。心霊スポットでも有名な旧志戸坂隧道ですので、当局も鍵を掛けたのでしょう。無理して入ったら器物破損+不法進入の罪に問われること間違いなし!

フェンスだけでなく、坑口下部はコンクリート壁がありますので、戦車で来ない限り内部突入は不可能です。
アリストも志戸坂旧トンネルを恐れて、引きまくりです。冷や汗をかいているような?(笑)

旧トンネル内部です。フェンスの中にカメラのレンズを突っ込んで撮影しましたが、真っ暗で何のことやらさっぱり分かりません。でも霊魂が漂っているような・・・・(怖)。

トンネル内部はもちろんのこと、廃道内に侵入するの法に触れないのだろうか?
なおこの旧トンネル内探索を実行された勇者のホームページは下記の通りです。貴重な写真が多く載っていますので、これを見ないことには死んでも死にきれません♪

tunnel webさん
http://www.tunnelweb.jp/
ホームの「トンネルリスト」を選択して(鳥取県の)廃隧道を選択して、「志戸坂隧道」をクリックしたら内部写真が出てきます。

絆(きずな)の道♪♪


*絆(きずな)の道♪♪
これは現在使用中の志戸坂トンネルです。内部には故障車の待避所もあり、旧トンネルとは格段に利便性が向上しています。現在のトンネルの上に旧道が通っています。
なおこのトンネル部分だけ一般道扱いで、高規格自動車専用道路である志戸坂戸峠道路(なぜか智頭〜西粟倉間は「鳥取自動車道」とは言わない)の中でも異彩を放っています。
トンネル内は時速40キロ制限ですが、守っている人は誰もいません(笑)

言うまでもなく、ここから鳥取県です!! 鳥取県の県章は日本一かっこいいっちゃ!

志戸坂峠道路(鳥取自動車道)の福原高速バス停にて。向こうは智頭・鳥取側です。まさにこの道は私にとって鳥取市と八尾市を結ぶ「絆(きずな)」の道です! 
私が八尾市に来た当初は3時間半近くかかっていた両都市間が、今では信じられないくらい時間短縮がされました。2年半後に岡山県側の西粟倉西粟倉)〜大原(おおはら)間8キロが完成したら、鳥取自動車道は全通です! 
なお現在鳥取市桂木から、中国道佐用ジャンクションまでの所要時間は1時間です。この区間だけでもなんと30分も時間短縮されています。僅か8キロとは言え、西粟倉〜大原間が開通すれば、さらに7分の時短が図られると思います。
そして早いうちに鳥取自動車道が4車線化しますように(祈)。でも智頭町の場合、高速バスの停留所が町の中心から山奥の福原に移転したので、智頭町民の高速バス利用は不便になったのでは?

これが福原バス停です。東京・京都・大阪・神戸・姫路方面からの高速バスが沢山到着します。
バス停付近には駐車場もあり、家から自分の車でバス停まで行って、高速バスに乗り遠出も可能です。でも智頭へ帰るバス車内で酒を飲んだらダメですよ♪(笑)
少し離れたところには智頭町営のすぎっこバスの停留所もあります。

歴史的建造物!


*歴史的建造物!
志戸坂峠から鳥取市に帰る途中、「板井原集落」へ行って来ました。板井原は2ヶ所あり、ここ鳥取県八頭郡智頭町は「上板井原」です。ここから北西の旧八頭郡「用瀬(もちがせ)町」(現鳥取市)にある集落は単に「板井原」です。

これは江戸時代に建てられた? 藤原家住宅です。江戸時代〜明治時代は農業や炭焼き、養蚕で栄えましたが、昭和期にトンネルができて、上板井原住民は、麓の智頭町中心部に移住しました。
しかし歴史的建造物や日本の田舎原風景が評判を呼び、今では一大観光地になっています。なお現存する建物はもちろん個人資産ですので、うっかり家の奥まで行かないように注意しましょう。

昔の家はお風呂が離れにありました。五右衛門風呂でしょうか? 私が住んでいた鳥取市古市の家も当初は薪を焼いて湯を沸かしていましたが、電気温水器に一気に進化しました。

お風呂沸かし口の拡大写真です。左の薪を焼いて湯を沸かすのでしょう。
そういえば農家の便所も外にあったな〜。

上板井原の中心道路である「六尺道」です。幅は2メートル未満ですので、今まで自動車が進入したことはないとのことです。
近くでおばあさんが作業をしていましたので、あいさつしました。この集落の風景はは本当に心が洗われる思いです。

でも中には田舎大好きの方もいます! 旧家を改造した喫茶店「野土香(のどか)」さんです。経営者の女性は兵庫県尼崎市からこの智頭町にIターンして、この喫茶店をされています。
交通の便が悪い集落にもかかわらず、今や鳥取県下でもたくさんコーヒーが売れるお店として有名らしいです。私も妻子と一度アイスクリームをここで食べました。2階はギャラリーになっています。
この他にも「火間土(かまど)」さんと言う、日曜日だけ限定の食堂もあります。

これが「火間土」さんです。日曜日に行けば、店の名の通り、昔ながらの「かまど」で炊いたご飯を食べることが出来ます♪
それにしても上板井原集落は、2つの飲食施設があるなんて、大した村です(驚)!

「火間土」さんのお店前にある看板です。「水車精米」「かまどめし」「コーヒー」と商品案内もバッチリです♪
ビールや酒は無いのだろうか?

藤原家住宅裏側です。家から川に直接行けます。昔はここで洗濯していたのでしょうか? 
まさにおばあさんがここで洗濯中に、桃がドンブラコと流れて来て、桃太郎誕生!という感じです。

六地蔵の北側に水車小屋(そこそこ新しい)もあります。中には何があるのでしょうか?

隣の小屋の壁に中国電力の色あせた看板が付けられていた(昭和60年の)ので、水車小屋で発電? ではないでしょう。そもそも送電線がないし(笑)
「火間土」さんの精米をここでしとったりして?(マジで!)。
なお私は中国電力関西電力の二社に電気代を払っています(爆)!

六尺道の西の集落はずれに立つ「六地蔵」です。お地蔵さんに、赤い頭巾や涎掛けを着させてあげたいです♪。これから寒くなるので。

六地蔵とともに、上板井原集落を守護する、上板井原神社?です。

藤原家住宅と野土花さんの裏側です。木々の間から放たれる木漏れ日が美しいでちゅ。

こちらは旧用瀬町(現在は鳥取市)の「板井原集落」です。昭和50年に20数戸の村民が離村したみたいです。しかし家の保存状態は良いし、田畑も現存していますので、旧住民が定期的に来ていると思われます。
智頭町の上板井原もそうですが、ここにもお墓がいくつかありました。やはり離村して智頭町中心部や鳥取市、大阪などに移住しても、死んだ時は生まれ育った場所の土に帰りたいものです。
なお私の先祖の墓は鳥取県日野郡江府町にありましたが、現在は米子市に移転しています。

鳥取県東部と関西・山陽を結ぶ大動脈♪


鳥取県東部と関西・山陽を結ぶ大動脈♪
国道373号線沿いの(今では下道ですが)鳥取県八頭郡智頭町毛谷から見える、智頭急行線と志戸坂峠道路(鳥取自動車道)です。智頭急行線高架よりさらに上を志戸坂峠道路は走っています。
1994年(平成6年)12月に智頭急行が開通して、スーパーはくとが走る以前は、本当に鳥取県東部は陸の孤島でした。それでも日本交通の山陰特急バスは鳥取駅〜大阪梅田間を3時間15分(智頭・佐用インター経由)で走っていたのは大したものでした。
この前私が勤める中小企業団体の大阪府下を束ねる上部団体の人から、「マツケンさん(実際は本名で呼ばれています)、鳥取から八尾に通勤したら?」と言われました。嬉しい限りです。毎日通勤はゼニカネの問題はもちろん体力的に大変ですので無理ですが(笑)。
でも子どもが高校生になったら「毎週末鳥取帰省」にしたいです!
それにしても智頭急行も開通して16年なのに、いつまで「智頭急行開業」の看板を出しているのでしょうか? 
今なら「スーパーはくと時速160キロ運転を!」という看板を出すべきだっちゃ!

鳥取市民も知らない? 秘境!


鳥取市民も知らない? 秘境!
板井原から鳥取への帰りは、赤波川渓谷に沿ってアリストを走らせました。しかし道は狭いので、でかい車でこの道を走るのはお勧めではありません(涙)。
写真では値打ちあるものには見えませんが、ここ旧鳥取県八頭郡用瀬(もちがせ)町(今は鳥取市)にある、「赤波川おう穴群(あかなみがわ おうけつぐん)」です。
板井原から1キロ以上にわたり花崗岩が侵食などされて出来た自然の美です。旧用瀬町の方ならこの秘境を知っている人が多数だと思いますが、
私のように旧鳥取市出身者で知っている人はいないのでは? 9月も下旬に近づいているのに、セミがまだ鳴いていました(笑)。

これは花崗岩むき出しで美しいです! 赤波川の向こうにはアリストが佇んでいます♪

このような湧き水も、山や渓谷の「お約束」です(笑)。「鬼」「マタタビ」と縁がある湧き水のようで・・・・。

「赤波川渓谷おう穴群」の観光案内+説明看板です♪ それにしても年間何人の観光客がここを訪問するのでしょうか? 

「山火事注意、火の用心」です! 放火魔訪問禁止! 火消しの「まとい」を持ったリスはあまり可愛くありません(爆)♪

もう一つ東側にある道を走っていたら、不思議な横穴が出現! 穴があったら入りたいでちゅ。
それにしても何の穴でしょうか? 鳥取市大路にある「大路山」にあった、防空壕みたいなものでしょうか?。それとも何かの遺跡? 
本当に世の中にはよく分からないものが沢山あります(汗)!

この滝は掛値なしに素晴らしいです! 高さは何メートルあるのだろうか? でも滝つぼとみたいなのはなかったです。

大「鳥取」!


*大「鳥取」!
鳥取市の空山(そらやま)展望台から見た、大「鳥取」市の景色です。私はこの景色が好きで、鳥取に帰省した時たまに見に行きます。
まさに江戸時代に池田家32万石で栄えた城下町の気品に満ち溢れています!
鳥取の旧市街地もよく見ると結構建物が密集しています。今話題の市民が車に頼らず買い物・通院ができる「コンパクトシティ」の素質が鳥取市には十分あるのではと思います。

HOT3500系も忘れるな!


HOT3500系も忘れるな!
JR因美線津ノ井駅南側の踏切(パンのマーブルキッズさん向かい)を通過する智頭急行HOT3500系気動車です。1両につき特急用のHOT7000系(スーパーはくと)と同じコマツディーゼルエンジンを一機搭載しています。
なおHOT7000系は355PS×二機搭載ですので、1両あたりの出力は760PSで、普通列車用のHOT3500の倍の走行性能があります。しかしエンジン一機とは言え、智頭急行線内では時速110キロ走行も可能です。
冬場鳥取に帰る時は智頭急行を利用しています。昨年は特急は一切乗らずに、八尾〜鳥取間を新快速と智頭急行などの普通列車を乗り継いで帰りました。私の妻子とも同じように帰省したことがあります。(私の配偶者は安かったら文句を言わないので)
智頭急行の車両なのに、JR因美線内だけの運用も結構あります。まあ若桜鉄道もそうですが(笑)。田舎の路線でも「相互乗り入れ」が進んでいるとは、なかなか大したものでは?

やった! ガイナーレ勝利!!


*やった! ガイナーレ勝利!!
9月18日(土)は鳥取県プロスポーツ史に大きな歴史を刻んだ日となりそうです。J2昇格を目指すJFLで首位の「ガイナーレ鳥取」の試合観戦にこの日の夜行ってきました。
なお写真は鳥取市の田園地帯のど真ん中にある「とりぎんバードスタジアム」です。新しい歴史はここから開かれます。しかしこの写真を見ると、鳥取市にUFOが降りてきたみたい(笑)。余談ですが、UFOさんといえば鳥取、いや山陰地方では有名なパチンコ屋さんです。

少しピンボケの写真ですが、良く言えばガイナーレ鳥取および、対戦相手のSAGAWA SHIGAの両選手の動きが素晴らしいので、躍動感溢れる写真とも言えます(笑)。
なおこの試合には私の小中学校の仲間も何人か観戦に来ています。席の種類が違うので残念ながら出会うことはなかったです(悲)。
プロスポーツ観戦ですが、八尾に来た当初は甲子園で阪神戦を、八尾市の隣にある藤井寺市にあった藤井寺球場近鉄戦を見に行ったことがあります。最近ではプロレス観戦ぐらいでしょうか。
もちろんサッカー観戦は初めてです。ビールが旨かったっちゃ!

北側の自由席に貼り出されている「LOVE TOTTORI」の横幕に感動! もちろん私も同じ思いです。「ガイナーレトットリ!」と連呼した時は最高でした♪ 鳥取愛炸裂!! 
ハーフタイムの時には、特別最強サポーターとして、竹内鳥取市長もピッチに登場して、市民に挨拶+選手や他のサポーターを激励して下さりました♪ なお竹内市長を生で見るのは初めてです(笑)!
なおこの試合は「Run for J〜1万人でGOAL!!〜」と銘打たれた試合で、J2昇格のもうひとつの基準である、平均観客数増加を目指した本当に重要な試合でした。なお実際の観客数は9499人で、人口規模の小さい鳥取市としては頑張った数だと思います。
しかし鳥取県高校野球も一回戦敗退が多く、今では地元出身のプロ野球選手もいない状態です。しかし以前は名選手(阪神の土井垣や米田哲也、巨人の角、南海の加藤、江川事件の犠牲になった小林繁など)も沢山輩出していました(喜)。
やはり地元にプロスポーツがあるのは嬉しい限りです。なおこの日のゲームは3対1でガイナーレが勝利! なんとSHIGAには初めて勝ったみたいです。そういえばSAGAWA SHIGAのサポーター席に、「上に(J2)上がりたかったら勝ってみろ」という横幕が掲げられていました。
先制点を挙げた小井出選手、加点した梅田選手、とどめの3点目を奪った美尾選手ありがとう! でも「野人」岡野雅行選手が出場していなかったのは残念でした(泣)l。

とりぎんバードスタジアムでもらった日本海新聞の号外です。「指令! バードニ終結セヨ!」という檄文が何とも言えません(笑)。 
私も1万人の熱狂空間の仲間入りを果たしたことで、鳥取県人としての義務を見事遂行しました!!
なおガイナーレ鳥取と、とりぎんバードスタジアムのホームページは下記の通りです!

ガイナーレ鳥取 http://www.gainare.co.jp/

とりぎんバードスタジアム http://www.tottori-bird.com/

妙見山城


妙見山
9月19日(日)は昼前より鳥取市内を自転車で徘徊です。桂木の家からそんなに遠くない「妙見山城」に行きました。地図を見ても「妙見山城」の地名は出ていなく、よほど郷土歴史に詳しい人でないと鳥取市民でも知らない方が多いのでは(私もその1人)? 
桂木の北にある町である杉崎に杉崎神社があり、この辺りが妙見山城みたいです。写真は杉崎神社の入り口で、右手には深相寺があります。

ちょっとした小山を登る感じで、杉崎神社の境内に到着、小さい社がぽつんと建っています。
賽銭を入れてお参りを済ませ、「この辺にどのようなお城が建っていたのだろうか」と色々考えました。かなり妙見山城は歴史が古いみたいですので。
なお詳しい妙見山城の情報は、こちら「トミー」さんのホームページを参照して下さい。

西国の山城
http://saigokunoyamajiro.blogspot.com/

「西国の山城さん」ホームページの過去の記事で、2010年のボタンをクリックして、その後4月をさらにクリックすれば、妙見山城はもちろん、鳥取市鹿野町を中心とした鳥取の山城情報が出てきます。

鳥取の家近くの景色


鳥取の家近くの景色
鳥取市桂木の家付近の景色です。東には鳥取県鳥取工業高校があり、その向こうには扇ノ山もうっすら見えます。

南側の山には「桂木神社」があります。私も1回だけ行きました(結構山の中です)。
南東の方には全国的に有名な、鳥取醤油ラーメンの名店である「鳥人(ちょうじん)」さんがあります。私も昨年1回だけ行きましたが、1杯500円でとても美味しいラーメンが食えたことに感激しました。
昨夏は「冷夏」だったので「今年は冷やし中華が全然売れない」とボヤいていました。今年と対象的です(笑)。鳥人さんには関西や九州からも食べに来る人が多い、鳥取ラーメンの名店です! 
なお私の家は「桂木・津ノ井団地」のど真ん中にあり、朝は鳥のさえずりで目が覚めます。八尾市のマンションでは、いつも朝7時半に近くの高架橋(大阪府道)を通過するバイクの爆音で目が覚めます(爆)。

故郷「鳥取市古市」♪


故郷「鳥取市古市」♪
ここはJR鳥取駅から歩いて10数分(駅から南西方向)にある我が故郷「鳥取市古市(ふるいち)」です! 
これは町の入り口にある「お地蔵さん」で、盆過ぎには八尾市と似たような「地蔵盆」みたいな行事もあります。

右手の「長坂・・・」と看板があるところに、私が育った家がありました。2階建てで部屋数は5部屋+台所+食堂、そして風呂とトイレでした。
結構古い家で、押入れ内部の壁紙から「大阪読売新聞」と書かれた古い新聞が出てきた時は驚愕そのものでした。小中学校の友人からは「マツケンの家は忍者屋敷だっちゃ!」とも言われていました。
8月にある千代川(鳥取砂丘に砂を運んだ大河)市民スポーツ広場の花火大会も家の2階から良く見え、姉と一緒に鑑賞したのも幼少時代の大切な思い出です(涙)。
私は1969年(昭和44年)12月5日(金)10時35分に、鳥取市立病院(現在ははジャスコの駐車場)で生まれました。市立病院も今は的場(まとば)に移転しとるけど。
余談ですが私の配偶者は八尾市立病院で生まれています。夫婦そろって市立病院生まれも凄いのでは?(笑)。もっとも八尾市立病院も老朽化のため、八尾市の太子堂からJR久宝寺駅の南に移転しています。

住んでいた家の前に立っている見事なシュロの樹です。小さい時はこの樹にナシの実が成ると思っていました。古市町内にはもう一つシュロの樹があります。
場所は忘れましたが、バナナの樹もありました。古市は熱帯気候に属するのだろうか?(爆)

家があったところの北隣にある「古市作業場」です。ここで農業作業、つまり脱穀などを行っていました。今でこそ田んぼも激減の古市ですが、昔は本当に田んぼばっかりでした。昔は鳥取駅の南側は開発が進んでいなかったので(汗)。
なお家族でお出かけ(外食など)した時、タクシーで親が「古市の作業場まで」と目的地を行ったら、ちゃんと家まで着きました。
冬になったら石焼き芋も車で販売に来とったし、思い出深いのは、屋台のラーメン(車ですが)がきたことがあり(私が小学校低学年の時?)、家の前で姉たちと食べたことがあります。
この経験のおかげか、近鉄八尾駅やJR八尾駅付近に冬場になったら出現する屋台のラーメン(こちらは本当の人力屋台)をたまに食べます!

古市の中心部である公民館付近です。真ん中の立派な門構えの家付近(今は知らないが、古市の区長)で、幼稚園時代、送迎バスを待っていました。公民館はさすがに新しくなっています。

田んぼもすっかり減った古市町内ですが、残り少ない田んぼの中に、何故かお墓があります。小さい時からこれは謎でしたが、未だに理由は不明です(笑)。

鳥取駅南を流れる袋川に架かる古市橋より、鳥取市街中心部を望みます。
古市橋も私が幼稚園の時は木の橋で、車は当然通行不能でした。小学校2年か3年の時にこのような二車線の立派な橋に変わりました。

「母校」


「母校」
私の母校である「鳥取市立美保小学校」です。写真右側にある石碑に校訓が刻まれています。「自主・協力・不屈」の精神は今でも私の心の中にあります!(マジ?)。
なお私が在籍当時、美保小学校は鳥取市で一番多く児童を抱える小学校でした。その前は稲葉山小学校が児童数一番でしたが、岩倉小と分割されたので、我が母校が児童数一番となりました。
もっとも美保小も今では分割されて、大路川を挟んだ南側に、「美保南小学校」ができています♪。

二宮金次郎銅像も、美保小の名物です! それにしても最近の小学校では二宮金次郎銅像は見なくなりました。鳥取市的にも珍しいかも。
なお八尾市内の小学校では見た覚えがありません。そもそもこの歳になって小学校内に入ることもありませんが、教師じゃないのだし(爆)。

どこの自治体でもそうですが、天災地変時に学校のグラウンドは、重要な避難場所です。それにしても鳥取市の市章は本当に難しいデザインです。八尾市は単純明快だけど・・・・。
なお八尾市の市章は松江市の市章に凄くそっくりです!!

こちらも母校の「鳥取市立南中学校」です。南中の校訓は「真理・正義・友愛」です。在学時の校長先生が全校集会時にいつも話していた「嘘をつくな、弱い者いじめをするな、先生の言うことは良く聞け」の言葉は今でも頭に焼きついています! 
なお私が中学生現役時は、美保・日進・倉田の3小学校地域が南中の校区でしたが、今ではさらに美保南小学校が追加されています。

南中学校北校舎の職員・来賓用の入り口です。校長室や職員室、事務室も当然この校舎内にあります。
4月には全校文集用のために、この玄関前でクラスごとの写真を撮影していました(笑)。

南中校舎西側の生徒入り口です、右のシャッターおよびトラック車寄せは、給食搬入口です。今日も給食を沢山食べて、勉強に部活に恋愛に頑張ろう!!!

南側の袋側土手から見た南中です。建物はかなり年季が入っていますが、耐震工事も行われているみたいです。校庭では野球部が練習をしていて、吹奏楽部の楽器の音色も聞こえてきました。後輩たち頑張れ!! 
なお校舎北側からは鳥取駅に入線する列車も良く見えました。キハ82系「まつかぜ」「あさしお」や、181系の「はまかぜ」が見えた時は興奮モノでした。
ご覧の通り鳥取市民の象徴である「久松山(きゅうしょうざん)」も偉大に見えます(笑)。

校舎南側からはこのような景色が見えます。ただしこの写真は袋川の土手上で撮っていますので、多少違うかもしれません(爆)。
左にある大路山は私にとって「霊山」です。仲間内では「ケツ山」と呼んでいます。下品な表現ですが、本当にお尻みたいな形をしています(大爆)。
なお大路山の向こうに、現在鳥取市の家がある津ノ井(桂木)地域があります。

参考までに、我が母校の鳥取市立美保小学校のホームページは下記の通りです。
http://www.torikyo.ed.jp/miho-e/

残念ながら鳥取市立南中学校のホームページはないみたいです(汗)。