音楽と社会フォーラムのブログ

政治経済学・経済史学会の常設専門部会「音楽と社会フォーラム」の公式ブログです。

第15回研究会の内容をご紹介します! その1

 梅雨があけ、暑さの厳しい今日この頃です。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 今回は、東京大学本郷キャンパスにおいて、2016年7月9日(土)15時30分より行われた第15回研究会の内容をご紹介します。

 瀬戸岡紘さん(駒澤大学)による「典型的な近代芸術としてのロマン派クラシック音楽の形成と終焉」と題したご報告でした。

 多岐にわたる内容のご報告でありましたので、今回の記事では、以下にご報告におけるのメインのレジュメを掲載いたします。

 次回の記事では、当日配布された4種のサブのレジュメを掲載いたします。瀬戸岡さん、まことにありがとうございました!


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典型的な 近代芸術としての クラシック音楽の 形成 と 終焉
―― だれもが 目前の課題と 時間と に 追われる 現代から考える ――
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1. クラシック音楽の大作曲家は 一時期だけに集中して 誕生していた

バッハ(1685〜1750)           
ヘンデル(1685〜1759)       
ハイドン(1732〜1809)          
モーツァルト(1756〜1791)          
ベートーヴェン(1770〜1827)         
ヴェーバー(1786〜1826)            
ロッシーニ(1792〜1868)         
シューベルト(1797〜1828)            
ベルリオーズ(1803〜1869)
メンデルスゾーン(1809〜1847) 
シューマン(1810〜1856) 
ショパン(1810〜1849)
リスト(1811〜1886)
ヴァーグナー(1813〜1883) 
ヴェルディ(1813〜1901)
ブルックナー(1824〜1896)
ブラームス(1833〜1897)
チャイコフスキー(1840〜1893)
ドヴォルジャーク(1841〜1904)
グリーグ(1843〜1907)
ドビュッシー(1862〜1918)
シベリウス(1865〜1957)
ラフマーニノフ(1873〜1943)
ラヴェル(1875〜1937) 


2. クラシック音楽は 人類が生みだした 最高の芸術だった

文化とは ―― 人があつまれば成立する
芸術とは ―― 洗練に洗練をかさね,不純物を排除,エッセンスだけをとりだし体系化

クラシック音楽の特質とは
何を表現するか ―― 近代的な人間の魂(自立した自由な個々人の心のうち)
どう表現するか ―― 近代的な哲学との相性( → ヘーゲル哲学)
何をもって表現するか ―― 歌曲で / 近代的な楽器で / 合唱で / 管弦楽
                  ピアノ や ヴァイオリン
                  合唱やオーケストラは ときとして100人超

人類の到達した 最高の思想を 最高の方法で 最大の規模で 芸術化する
芸術だから,たとえ100人超の大集団によるものでも,
たったの一人の誤りも,手抜きも,出しゃばりも 許されぬ(わかってしまう)
自立した自由な個々人が集合し,全体の均整を完全にとりきらないと 成立しない

近代芸術とはいえ,美術・建築・・・などには見られない 高度な特質


3. クラシック音楽に見る 近代性 = 自立した個人と そういう個々人の緩やかな連帯の表現

近代は,ルネッサンス を端緒として
 その思想を 宗教改革 で確立し(思想革命)
 その思想を 市民革命 で実現しようとしてきた(政治革命)

Martin Luther : A mighty Fortress is Our God ―― 近代クラシック音楽の端緒をひらく
近代を最も端的に表現した標語 = 「自由・平等・友愛」 Liberté  Égalité  Fraternité

近代的な( = 自立した)個人は,つねに迷うもの
その最も端的な表現 = To be, or not to be, that is the question !(これでいいのか,いけないのか,それが問題だ!)
今年はシェークスピア没後400年――あらためて 彼の思想を考えてみよう

その思想は,クラシック音楽の神髄として,多くの曲の展開のなかにかくされている

Beethoven : Piano Sonata No. 14

また,近代的な自立した個人は,つねに連帯をもとめているもの
自立した他の個人と緩やかにつながっていること
自立した女性は,自立し続けるために,つねに愛されることを求めているがゆえに,つねにみずから愛の心で満ちている(もちろん男性も同じ)

Bądarzewska : Modlitwa dziewicy (La prière d'une vierge 波/乙女の祈り

Schubert : Ave Maria ―― マリアになぞらえて自分(女性)の心を表現

フランツ・シューベルト (1797 〜 1828) ―― もっとも典型的な近代的作曲家

Schubert : An die Musik ―― ピアノは伴奏ではない = 歌い手と対等
両者は異なる音楽を奏でているのに,見事に協調できている

Schubert: Die Forelle(ます)―― その進歩性 = 民主性
参加者(演奏者=5人)は みんな 平等
みんなが 順番に 主題を演奏,そのとき 他者は 伴奏者に


4. クラシック音楽が たくさん生まれた時代 とは

大作曲家が最も多く誕生した時代は,1800をはさむ前後100年たらずの短い時代(1750年代 〜 1840年代)
それは,市民革命の時代(その前史としての啓蒙思想の時代をふくむ時代)だった(1750年代〜)

モーツァルト 33歳でフランス革命  前夜の啓蒙思想の時代に活動,影響うける(先駆者 = 堕落貴族には対抗しつつ近代的市民としての自覚のもとに活動)

ベートーヴェン 18歳の多感な年にフランス革命 フランスにほど近い地方で育つ(飛躍へ = 近代的市民の芸術としてクラシック音楽を完成の域に)

シューベルト フランス革命(1789〜1799年)の最中に生まれ,余波を感じて育つ(頂点に = 自由で自立した個人の心情を音楽に表現=ロマン主義


なぜ 市民階級出身の作曲家は 傑作を つぎつぎ 書けたのか?

人間の創造的行為は,それを理解する者,期待する者,賞賛する者によって支えられる
教師のしごと,科学者の活動,技術者の努力・・・を見れば よく理解できよう
 
人間の創造的活動の大きさは,周囲の者の理解,期待,賞賛の度合いに応じて増幅する
一般に,新時代に入ると,いろいろな分野での 創造的活動が 高まる
たとえば,明治期,第二次世界大戦後の日本などにも 見られた
新しい時代は 人々の姿勢が 建設的な方向に向かいがち

モーツァルトベートーヴェンシューベルトらは
高度な理解力をもつ市民たちの 熱い期待を日常的に受け,作品は絶賛されていた


ついでに : なぜ 当時の音楽家たちは 短命だったのか? ―― 背景の要因は?
 ・ 音楽のしごとは,きわめて神経を消耗する(美術と比較せよ)
 ・ 市民たちの期待と称賛があまりに大きい
 ・ 音楽家たち自身が高い能力をもっていた(期待に応える実力があった)
それゆえ, → 理解できる市民から期待されるので作曲する/能力もあるから作曲 → いっそう高まる賞賛 → ますます作曲 → 体力・精神力を消耗しつくす
 (あまり能力のない人って,幸せだと思いません?)


5. クラシック音楽の 大創作時代は なぜ あっけなく 終焉に むかった のか?

傑作は19世紀(1800年代)とその若干前後する時期にだけ集中的に創作されている= 思想と政治が近代化し,経済が近代化 (= 資本主義化) していない わずかな時期

その後,傑作は あまり多くは 創作されて いない

音楽にしたしむ機会の圧倒的増大(ラジオ,テレビ,コンサートの圧倒的普及)
楽器(たとえばピアノ)の圧倒的・大衆的 普及
音楽教育の普及(義務教育化 → すべての人が音楽教育を受ける)
音楽大学の圧倒的な数の設立(日本では毎年1万人以上の音大卒生が誕生)

なのに,モーツァルトも,ベートーヴェンも,ショパンも出てこない ・・・ なぜ?

クラシック音楽の「理解者」,「期待者」,「絶賛者」の消滅
← 第1世代の市民(「町の人」としてのブルジョアジー)の資本家階級への転化
← 産業革命による資本主義の確立 (「第1世代の市民」は消滅)

資本主義の成立 → 中世より はるかに忙しい時代 = 精神的余力のない時代へ

資本家階級と化したブルジョアジーの関心事は,「芸術」から「資本蓄積活動」へ
     時間的余裕が なくなる
     精神的余力が なくなる
     金銭的余力もない
―― 激烈な競争の只中にあっては 資金は すべて 投資へ

では,労働者階級は「高度な芸術」の担い手に なり得たか? ―― 否
     時間的余裕が ない
     精神的余裕も ない
     むろん経済的余裕もない
プロレタリアートは 資本の奴隷として 芸術にふれる余力はない
→ 「発散」(疲労の / 苦痛の / 不安・・・の発散)の文化だけが
→ 退廃の文化の 発生 と 展開 (20世紀初頭の文化的環境)

Time is Money (Benjanin Franklin)とは,よくぞ言ったもの
時間的貧乏 は 金銭的貧乏 に 負けず 劣らず 同じ程度に重要な 貧乏の指標
(多くの経済学者が 金銭的貧乏にのみ 関心を集中させている愚かさを 知れ!)


6. ポピュラー音楽の普及 と 音楽の商品化が 追い打ちを かける

資本主義の飛躍的発展 (欧米先進諸国では19世紀末 〜 20世紀初頭)
→ 大量の労働者階級の出現 + 労働問題の発生 + 資本も余裕を失う

労働運動 + 社会政策 → 労働者階級の状態の 多少の 改善
= 労働者階級が労働者階級の生産物を消費する時代
= 新たな装いの市民の出現

第2世代の市民 (Bourgeois にたいする Citoyen)とは?

第1世代の市民は,いわば ES細胞 またはiPS細胞 (将来どの方向にも進化可能)
第2世代の市民は,いわば 通常の細胞(自己の役割が決められている=希望もてぬ)

「第2世代の市民」は(個々人はともかくとして)階層としては,
「あきらめ」,「消極」,「不安」,「不満」,「怒り」,「絶望」などに つつまれている
「第2世代の市民」には「発散の文化」が受容されやすい

「発散の音楽」は,最も「発散」を必要としていたアメリカ黒人から発生
 → ジャズ と ロック の発生 = 現代ポピュラーミュージック の誕生
(ポピュラーミュージック一般では なく,あくまで 現代アメリカ発のそれ)

くわえて,録音・再生技術の発達,ラジオ・テレビの普及,興行としてのコンサート
→ 音楽の商品化(史上はじめて,芸術さえ商業化される時代に遭遇)
→ 音楽の商品化が ポップスを とらえる (「発散」の需要が膨大なるがゆえ)
→ ジャズと ロック(アメリカ産ポップス)が 国境をこえ,20世紀世界を風靡

なぜ? ―― 見逃せない ジャズとロックに秘められた 強烈な「毒性」
(「毒性」? : 誕生のいきさつ = 史上最強の「発散」の必要 ―― が語る)

その強烈な「毒性」のまえに クラシック音楽は 浸透する隙間を 見失う

ひとたび ロックに はまると,「もう クラシックは聞けない」という若者たち
生後まもなくロック調の音楽を聞きはじめて育った子たちは,「クラシックは退屈」
あたかも コーラを飲んで ハンバーガーを食べて 育った子たちの 多くは
緑茶 や 薄味の和食に 手をださない ように

ついでながら,商業化された「発散の文化」は,ほかにも・・・代表例は,
 ・ 賭博(象徴 = ラスヴェガス
 ・ 映画(象徴 = ハリウッド)――映画一般ではなくハリウッドに象徴される映画
 ・ 娯楽(象徴 = ディズニー)――娯楽一般ではなくディズニーに象徴される娯楽


7. 健全にして高度な芸術・文化の大創作時代は とりもどせるのか?

健全にして高度な芸術・文化の大創作時代の再来は
積極的な担い手(かつての第1世代の市民のような)なくして ありえない

第2世代の市民の自己変革 = 「資本の奴隷」から「全面的に発達した人間」へ
= 第3世代の市民 への脱皮

では,第3世代の市民は,どのようにして生みだせるのか?




補論 : 現代社会は,武力をもつ者 (= 人間) が支配した中世の社会とは異なって,政治的には 「法」 が支配している (「法治国家」) ように,経済的には 「資本」 が,要するに「人間」 ではなく 「人間がつくりだしたモノ」 が支配者となっている。
 そして 「資本」 の支配が,物品や金銭ばかりでなく,人間から 時間まで 奪いとって「個々人の全体的な発達」 を阻害している。 人間が完全な 「自由」 を手にいれ,「友愛」の精神でむすばれていくためには,人間は 物品や金銭だけでなく,人間的に過ごす時間をも取りもどし,各自が 「人間として全面的に発達」 できるようにしなければならない。というのも,もともと人間は,きびしい自然のなかで生きていくほかなかったために,いろいろなことができるように発達してきたハズなのだから。 そして,そういう 「全面的に発達した人間」こそが,だれからも慕われ,頼りにもされ,また,そういう人たちがいっぱい集まってこそ,人間らしい社会が形成され,社会の構成員が 「生きる喜び」 を感じられるハズなのだから。
 フランス革命のスローガン 「自由」,「平等」,「友愛」 の精神は, 産業革命をとおして大きくそこなわれた。 第2世代の市民が 第3世代の市民に 脱皮していくことは,フランス革命の基本理念をよみがえらせる行為でもある。ついでながら,自立した自由な諸個人が緩やかに連帯して,警察も 軍隊も ない,したがって 税金も いらない 社会を つくる とした アメリカ建国の理念 も,フランス革命の理念と,表現する言葉こそことなれ, おなじ思想にもとづくもので, 参考にすべきことを付言したい。