さよなら萩

あと少しで東京に帰る新幹線がやってくる。4日間の萩の旅もこれで終わり。

1日目:萩到着〜商店街・菊屋家住宅周辺・菊ケ浜の記録
→「東京から萩へ」「萩の中心地を巡る

2日目:松蔭神社〜浜崎・萩漁港周辺〜城下町〜堀内周辺〜萩城跡の記録
→「海を見に行く」「スーパーから萩を覗く
浜崎地区のことを少し。萩城下の港町として古くから栄えてきたこの地域は物資の流通を始めとして萩の経済を支えてきたところ。海産物問屋など立派な屋敷が今も残る街並みの一区画。通りかかった船具屋のおじさんが話しかけてくれ、店を案内してくれた。江戸時代から続くこの店は「ごろごろと」古い貴重な品が置いてある立派なお宅。この界隈はそういう家が多く、街おこしとして整備したものの止まった感のある萩の中心地から更に離れたこの古き街並みをおとづれる人は少ない様子。「浜崎マップ」を作ったり、お宝持つ家が多いことから「鑑定団」のイベントやったり、このおじさんが中心となって頑張っているようだった。
近くの駐車場に観光バスが止まって、この通りを「見物」して去っていくというのが今の状況。この日ももうすぐ団体客がやってくるとのこと、私たちのようにふらりとやってくる個人旅行客などあまりいないらしい。外側はキレイになったもののただ古くからの店が並んでいる印象が残った。漁港ならではの食事処などがないのも残念なトコロかなあ。。
こういう「昔からの街並み」を見せようとすると「テーマパーク」的になってしまうのは致し方ないのかしら。


「観光バス」と書いたけど、萩市内、中心の商店街のまわりをぐるりと大型バスで回りやすくなっていた。萩城跡や松蔭神社等「観光スポット前」は道路拡張、新しい道が作られて大きな駐車場が用意され、改修真っ最中だった。恐らく萩→津和野を「観光バス」で巡り「SLやまぐち号」に乗って長門峡へ、そしてまた「観光バス」に乗って新山口へ、というようなコースがあるのだろうな。「観光バス」が回れないところは観光地として衰退してしまうんだろうな。


3日目:青海島〜下関の記録
→「奇岩城は見えずの青海島
山陰の線を巡る」「みすゞ潮彩」号に乗るの巻」「萩のかわいいもの

4日目:津和野の記録
→「萩から津和野へ」「津和野でうどんをすすりながら」「津和野でママチャリ」「SLやまぐち号に乗るの巻
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萩だけでこんなにエントリ書いた私って・・・
そうそう。萩に着いてまず目に入ったこの建物、

てっぺんに「UFO」とあったからそのまま「UFOビル」と呼んでいた。遠くから見てもボロボロで近づくとその手前に○○横丁みたいな古きよき呑み屋街があり、しかもそこは火事があったらしく焼け跡であり、猫の棲み家となっていた。外灯もなくって夜はコワイわあ。UFOビルも廃墟と思いきやバー(思い切り80年代な)やカラオケなどぽつぽつと営業中、しかし中に入る勇気はなかった。
萩のランドマークみたいなここ、ずっとこのまま残り続けるのだろうか。

バスセンターにあったこの看板、すっごく気になってた。「男なら」・・・。
このネーミング、どんなお菓子だと(うなぎパイ的な?)と思ったら白餡のおまんじゅうみたい。山口の民謡「男なら」から来てるらしい。隣の「夏みかんサブレ」も昔のまんまのパッケージが愛らしい、夏みかんをかたどったサブレ(まんまだよ)。味はともかくとして。(こういう昔からのお菓子ってこのごろ乙女界隈でもてはやされてるけど、味はたいてい美味しくないよねえ。←暴言。昔からのモノがプレゼンの仕方でこうも印象変わるんだなあと思わされる。)



事前に周知の風景や店(私の場合お菓子とパン)、美術館などがまずありきの旅をしがちななか、今回の未知の旅はとても面白かった。情報は最低限に抑えたことでその土地を短い期間のなかではあったけど充分感じることができた。しかも萩、という場所がよかった。
おみやげらしいものもなく、手元にあるのは現地でもらった地図とかチケットとか。もっと地元のモノを買わなきゃいけなかったわ、悪い観光客であった。
でもからだには、美しい風景や面白い風景や獲れたばかりの美味しい魚や街中で出会った人々や、萩の風土そのものが吸収されたのだ。
住む場所、尋ねる場所、生まれた場所、暮らす場所、街というものを改めて考えさせられたいい旅でした。
最後に新幹線から、広島は福山の工業地帯の風景を。


というわけで長く続いた萩日記もこれにて。