『腹腹時計』『罵詈雑言』

molmot2007-06-01


 嘗て、高橋洋足立正生について、何故かちゃんと観れないというようなことを言っていた。つまりは、なかなか上映の機会が無いと言うのに、悉くその貴重な機会を台無しにしてしまうという。体調不良だったり、二日酔いだったりで、スクリーンに対面はするものの、寝てしまったり、意識が朦朧としたりして、画面を覚えられないと。
 自分にとっての渡辺文樹は、正にそれだという思いがあって、一応今回の東京、横浜上映で、『ザザンボ』『御巣鷹山』『腹腹時計』『罵詈雑言』と順不同に観ているのだが、マトモに完全に観ることが出来たのは『御巣鷹山』ぐらいで(それでも一瞬クラっと寝入りそうになり、同伴者が小突いてくれなかったら寝ていたと思う)、後は、会場に到着するのが遅れて頭数分を逃したり、無事着いても途中で何度か意識が混濁したりして不完全鑑賞になってしまう。
 これは、今回の東京、横浜上映に限らず、11年前に『罵詈雑言』を地元の市民会館で観た時も同様で、思わぬ障害で会場に着くのが遅れた上に、ようやく席についても安堵して途中で思いきり寝てしまった。自分にとっての渡辺文樹は、何故か完全に観ることが出来ない存在である。


 と、理屈付けてはいるが、単純に前日寝て、会場の場所をよく確認しておけば良かっただけのハナシで、関西在住時の土地勘が関東では全く機能せず、東西南北が未だに分からないので、しょっちゅう道に迷うという、どうしようもない事実を自身が認めたくないから、これまでの失敗経験を反省せずに、毎回地図で詳細に場所を確認するということをしない、駅に着いても付近図を見ずに、いきなり自分の思う方向に向かって駆け出し、そして思い切り反対方向に向かっていたことを、大分経ってから自覚し、仕方なく正しい方角へ向かうが、その結果、30分以上前に駅に着いていたにも係わらず、現地到着に15分ほど遅れるという失態を繰り返すということになる。よくこんなんで、制作進行とか卒業後しばらくやってたなとか思うのだが、関西だから何とかなってたが、東京では一発でクビものだと思う。


 というわけで、今回も電車は特急と普通を乗り間違えるわ、現地に付いてからも反対方向に大分歩くわで、盛大に時間を無駄にし、会場到着は上映開始から15分後という見事な失態を引き起こしたが、兎に角観る事にした。
 会場は、近くまで来ると音で分かる。何せ、街宣車が何台も連なって公会堂を周回しながら、「反日監督ワタナベ出て来い!!」などと喚きたてているからで、前日のガンダーラ映画祭で、横浜上映はエライことになっているとは聞いてはいたが、想像以上のモノモノしさで、既にその段階でこっちは腰が引けていた。
 ライトウィングな方々がこれだけ集結なさると、神奈川県警も動くというワケで、会場全体を取り囲むオマワリの皆さんの数もその倍以上で、裏口は閉鎖されているので、右翼団体構成員と見分けが付かないが、たぶんオマワリさんと思われる方に会場入り口を聞くと、教えてくださる。ただし、無線で「一人向かいます」などと連絡され、自分が会場入り口に向かうまで、延々と並んでいる方々の前を無線で介しつつ監視されているようで、この段階からして既に映画観るような気分ではなくなる。
 正面入り口まで来ると、街宣車の数がまた多くて、入り口をガッチリ固めるモノモノしさには引きまくりで、その間をすり抜けてようやく受付まで行く。受付は相変わらず、渡辺監督の妻子がいつもと変わらない調子でやっておられる。受付周りの公安関係者の数も多く、その上、自分が財布を鞄から取り出そうとしたが、なかなか出てこないので鞄の奥を漁っていると、不審に思った公安が鞄を覗き込んできたりする。
 会場は、東京の時よりもかなり広く、その上、平日の午前中だから、実質的な観客は15人ほどで、周りに、明らかに公安関係者と分かる風体の男たちがそこかしこに座っている。せっかくだから、映写している監督の近くに座った方が面白そうだと座ってみたが、ペットボトルを取り出す際に床に落とすと、前後に座っていた公安がガバっと立ち上がって注視してきたので、驚かされる。いやいやペットボトル落としただけやと。キュルキュルキュルと蓋を回して放り投げてみるかと思ったが、連れ出されたら敵わないので止める。
 まあ、これだけガードがきつければ、何ぞあっても安心だと思った直後、後方から一条の光が明滅して、渡辺監督が立ち上がり、続いて公安も立ち上がる。爆発物でも投げられたのかと一瞬思うも、二階の部屋の明かりを誰かつけたらしい。
 一本目の上映が終わり、ロビーに出てみると、相変わらず公安ばっかりで、『腹腹時計』の上映が終わったから警戒を縮小するということもないようで、相変わらずモノモノしい。それにしても、東京会場との余りの雰囲気の違いに、同じ映画を上映しているとは思えないほどで、むしろ都内での上映の方が危ないと思うのだが、無線で「客席21人、上映前に監督の発言あり」云々とレポしている様子を近くの椅子から眺めつつ、ヤバい映画臭が満席の東京会場では全く感じなかったが、ここでは嫌でも感じさせられる。嘗て、『赤軍PFLP・世界戦争宣言』や『天使の恍惚』なども、こんな雰囲気で上映されたのだろうかと思う。『山谷─やられたらやりかえせ』や、公開時に物議を醸した作品の上映を後追い的に観ることはあったが、現在の上映で問題になることは無く、それだけに、ここまでの影響を映画は持ち得るのだということを感じさせられた。
 しかし、次回待ちの間、公安の間の空いてる席で携帯見たりしてたら、妙な視線を感じたり、落ち着かないことこの上ない。別に、こっちは後ろめたいことがあるわけではなし、映画観にきているだけなので、何らビクつくこともないし、鞄の中身も万が一見せろと言われようが、問題のあるものなど―、と思っていたら、何を入れてるっけ、と思い出すと、知人の誕生日用に『日本映画古典名作シナリオ傑作集』や『アカデミー賞を獲る脚本術』が入っているが、これは別に問題ない。しかし、知り合いに貸すので入れている『八つ墓村は実在する』『丑三つの村』『漫画実話ナックルズ』は、見られたら恥ずかしい気がしてくる。その上、裏モノのDVDが2本入れたままになっていることを思い出し、これは見られると不味いよなー、と思って気が重くなる。が、今、自分が読んでいる文庫本があるではないかと思い出す。佐々淳行著『わが上司 後藤田正晴―決断するペシミスト』がそれで、こんなの読んでるんだから、悪い奴とは思うまい、ウチの親も公務員だしな、などとくだらないことを考えている内に次の上映時間となる。
 上映終了後、渡辺監督の娘が「ありがとうございました」と叫ぶ声を耳にしながら、早々に立ち去ったが、せっかくだから写メでもと思うが、右翼も公安も係わりたくないのでそのまま帰る。一応、帰り道を歩きながら急に振り返ってみたりするが、特に何もなし。
 渡辺文樹の映画を観に行くという行為自体が既に映画的体験であるということを改めて思った。


 作品については、不完全鑑賞なので何も言えないが、『腹腹時計』の終盤の活劇ぶりには瞠目させられた。と同時に『御巣鷹山』に至る解体されていく映画の原点がここにあると思った。それは『ザザンボ』と『腹腹時計』と間に撮られた『罵詈雑言』を観ればより明確で、『ザザンボ』 の延長上にありながら、ドキュメンタリーが入り込むことで、映画の枠組みがより解体されていく。それによって『腹腹時計』『御巣鷹山』に見られる、現実の事象に基づいて製作されたフィクションは、単なるメタフィクションを超えた、もはや映画の枠組みすら形骸的にしか残らない孤高の作品となってスクリーンに展開されている。それが何なのかは、作品を完全に見返さないと何も言えないし、もっと言えば、自主映画時代からの諸作も含めた全作品を観ることで、何らかのヒントを見つけることができるかもしれない。

138)『腹腹時計』 (横浜市青葉公会堂) 不完全鑑賞につき評点なし 

年 日本 “腹腹時計”全国上映委員会 カラー  分
監督/渡辺文樹    脚本/渡辺文樹     出演/糸井リエコ 渡辺文樹 八巻マサオ 花城清英 行之内博 

139)『罵詈雑言』 (横浜市青葉公会堂) 不完全鑑賞につき評点なし 

1996年 日本 MAKPASO PRODUCTIONS カラー ビスタ 114分
監督/渡辺文樹    脚本/渡辺文樹     出演/渡辺文樹 佐々木龍 石黒修子 須藤タケ子 田中源太郎