(3)日本のメディアと脱原発

(3)日本のメディアと脱原発


日本のメディアを代表するNHK朝日新聞福島原発事故後世論が脱原発へ加速していくなかで、これまでの国策である原発推進政策を容認する姿勢から脱原発を求める姿勢に転換したことは、驚くべき変化であり、日本においてもメディアの健全性の光が微かながら見えてきたと言えよう。
もちろん福島原発事故直後は、相変わらずNHKはこれまでの原発推進政策を担ってきた御用学者を登場させ、安全性を強調し、政府報道を無批判に追従し、迷走を繰り返したことも事実である。
しかし視聴者の厳しい批判や世論の大きな変化を受けて、現在ではNHKの解説委員さえ脱原発という方向で意見が一致して来ている。
2011年7月23日の放送「双方向解説そこが知りたい!−どうする原発、エネルギー政策」では、最初嶋津解説委員が多様なエネルギー選択肢の必要性を述べ、原発も選択肢の一つとして残すことを主張した。しかし他の8人の解説委員は脱原発の方向に立ち、当面天然ガスタービンを導入によって脱原発を押し進め、将来的に再生可能エネルギーによる分散型社会へ移行させることで一致した。
そうした意見の一致するなかでは嶋津解説委員さえ従わざろう得ず、NHKの革命的変化の兆しが感じられた。
何故なら嶋津解説委員以外の解説委員一人一人が、原発を選択肢として残すことは再生可能エネルギー伸展の障害となることをよく理解し、現在の日本産業界を代弁する嶋津解説委員の主張を論破したからだ。
しかもこの議論は双方向で視聴者に開かれており、瞬時に視聴者の洪水のような脱原発を支持する意見が字幕で流され、まさにNHKが国民によって担保され始めたといえよう。
しかし日本の公共放送NHKは、ドイツの公共放送ZDFと比較した場合余りにも怠慢で、国民への奉仕精神に欠けている。莫大な予算を豪華な番組制作で浪費し、道路公団などのように沢山の子会社やファミリー企業を作り出し、官僚のように天下りが慣習化し、過去に数回の渡りで莫大な褒賞を得ている人も耳にする。
そのため料金徴収では、一般受信、衛星放送受信、プレミア衛星受信などと選別化し、さらにインターネットでも分別して有料配信しており、利益追求むき出しの印象が強い。そこでは社会や政治への関心を喚起して国民を育成する責任感が、まったく感じられない。
これまでは日本の公共放送NHKはそのような怠慢で、国民への奉仕精神や責任感の欠如が許されてきたとしても、グローバル化され、視聴者と双方向化されるなかでは許されない。
ZDFでは世界の関心のある誰でも、受信契約なしでインターネットでZDFで放映された主要なドラマからニュースやドキュメンタリーに至るまでが、通常2年間に遡って無料で見ることが出来る。(詳しくはhttp://www.nhk.or.jp/bunken/summary/resarch/report/2008_12/081203.pdf
しかもテーマや事象などで検索することが可能なので、誰もが無料で百科事典的にZDFを利用することができる。さらに社会や政治問題などのフイルムの大部分は、インターアクティブという解説動画で整理され、視聴者の理解を様々な創意工夫で助けている。
例えば「大いなる虚勢ー政治の間違った約束」フィルムのインターアクティブでは、原発の電力料金、原発の安全性、最終処分場、再生可能エネルギーへの転換、原発運転期間延長の5項目に分類されている。
そして各項目の画面では、政治家、学者を含めた専門家、電力会社のスポークスマンを選択することで、出典つきの発言の要約及び発言の動画ビデオが見られるようになっており、放送フィルムを教科書的に学ぶことも可能としている。
このようなZDFの無料インターネットサービスは1996年から開始されており、2006年にはZDF社内から有料化案が浮上したが、「ドイツの公共放送は国民に開放される方法こそ模索されなくてはならない」というZDF管理評議会委員を兼ねる連邦文化・メディア大臣の発言で、現在も完全な無料化が実施されている。
その背景には、ドイツでは公共放送は国民への奉仕と基本法の求める市民育成の義務が求められているからだ。

したがって未来を担う子供の番組は多彩で充実しており、毎日の子供ニュース番組てある「ZDFロゴ」では、インターネットで教科書的に動画で学べ、索引検索で百科事典的にも利用できるように工夫されている。
公共放送NHKにもそのような国民への奉仕と憲法の求める市民育成の義務が求められることは明らかであり、たとえ早急にZDFのようなインタネット利用の完全無料化は出来ないとしても、少なくとも国民に見せるべき番組や記録フィルムは(例えば水俣病や薬害の記録フィルム、チェルノブイリ原発事故終わりなき人体汚染などのアーカイブの貴重なフィルム)は、無料で公開すべきである(現在はこれらの貴重なフィルムが、必要と感じる市民によってUチューブで次々に流されると、NHKは消しまくり、一つの業務にさえなっており、嘆かわしさを通り越している)。
また戦後の日本の民主主義を代弁してきた朝日新聞を私自身父の時代から購読し、民主主義の真実を求める報道に心を動かされることもしばしばあった。
しかしそのような報道が、レーガンサッチャー、そして中曽根政権の産業利益を最優先する新自由主義に徐々に蝕まれていき、小泉新自由主義政権では構造改革を全面的に支持し、郵政民営化解散選挙では選挙日当日に小泉一郎を絶賛するまでに変わり果てた。
2008年の金融危機後に一時的に新自由主義批判に転じようとしたこともあったが、2011年の元旦社説が示すように、弱者により厳しい負担を求める「税制と社会保障改革の一体改革」と強者の利益を求める「自由貿易協定(TPP)」を柱に掲げ、新自由主義を推し進めようとしてきた。
しかしその朝日新聞が大震災後一変し、社説では弱者の視点に立ち新自由主義と決別する気構えさえ感じられた。
これまで朝日新聞原発に関しても、日本の原発推進政策を容認するだけでなく、実質的には新自由主義の世界に原発を倍化する「原発ルネッサンス」を支持していたが(朝日新聞の「Globe」第45号で特集を組み、原子力発電所を海外に売り込めとしているーhttp://globe.asahi.com/feature/100802/index.html)、2011年7月13日の朝刊で社説特集「提言原発ゼロ社会」を掲載し(http://www.asahi.com/special/10005/)、脱原発へと大変身した。
そこではNHK解説委員の議論でなされたように、論理的に脱原発社会への転換が必要であることが述べられ、希望が感じられるものであった。
しかし終わりに掲げられた社説「推進から抑制へー原子力社説の変遷」では、朝日新聞の社説が1986年のチェルノブイリ原発事故を契機に推進から抑制へ転換したと述べている。
これはどのように好意的に見ても事実と異なるもので、ジョージオーエルの『1984年』が描いた全体主義の監視社会のなかで、歴史的事実を改ざんしようとする真理省のことが思い出された。
この原子力社説の変遷は社内にも批判があるようで、同じ朝日新聞の「WEB RONZA」では、「朝日新聞脱原発社説をどう読むか」が特集され(http://webronza.asahi.com/business/2011072000002.html)、ブログ&コラム一覧には「朝日が黒歴史をしようとしている」(http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110713/1310515487)、「朝日が原発賛成に転じた日」(http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/24f6afcee15fb065b5233126d7479ed4)などの厳しい批判が載せられていた。
希望的に見れば、まさに大きな転換の岐路にあると言えよう。

次回からは日本のメディアも現在のドイツのように公正で開かれたものとなることを願い、ZDFフィルム「大いなる虚勢ー政治の間違った約束」のドイツ語字幕を日本語に翻訳することにした。
このフィルムがどのようなストーリで、政府の打ち出した原発運転期間延長を間違った政策であると結論づけているかを、理解してもらいたいからだ。