ラテンアメリカ医学史へのグローバルなアプローチ  Espinosa, "Globalizing the History of Disease"


 ラテンアメリカを対象とした医学史をグローバルヒストリーの枠組みから描くことは古くからおこなわれている。クロスビーのColumbian Exchange(1972年)があるからである。クロスビーは検討の対象を人間だけでなく、動物、植物、微生物といったものにまで広げ、これらが旧大陸と新大陸のあいだを移動するなかで、双方にいかなる影響を及ぼしたかを検討している。このような先例にもかかわらず、ラテンアメリカの病気、医療、公衆衛生の研究はかならずしもグローバルな視野から行われていない。現在の研究は二つのカテゴリーに大別できる。一つはナショナルヒストリーである。ある国において例えばどのような公衆衛生政策が行われたかが検討される。もうひとつはコロニアル、ないしはネオコロニアルと呼びうる研究である。そこではたとえばラテンアメリカ諸国の外からもたらされた公衆衛生政策が、いかに現地での要請にこたえながら調整を施され、定着していくかが調べられる。

 これらの動向に著者はグローバルなアプローチを対置する。グローバルなアプローチにおいては、ある場所(とりわけラテンアメリカ)で起きた出来事が、その一地域を超えて、世界全体に影響を及ぼしたことに大きな注意がはらわれる。たとえば薬の原料となる植物がラテンアメリカ原産であるとしよう。その病気への対応を大英帝国がせまられていたとしよう。そのときその植物をめぐる駆け引きは世界規模の意味を持つ。それを確保することが大英帝国を支えるのである。またラテンアメリカの研究者や医師の発見が、その後の医療研究の突破口となることがしばしばある。これもまたラテンアメリカという地域で起きたことが世界規模の意義をもった事例である。だがここでグローバルなネットワークにより世界がつながっていながら、それが意図的に切断される事例に出会う。ラテンアメリカの医師や研究者による発見はしばしば意図的に無視される。発見者として記録されるのは、それらの成果に依拠してさらなる研究を行ったアメリカの研究者にしばしば記されるのである。

 以上のようなグローバルな視野をもって、ラテンアメリカの病気、医療、公衆衛生の歴史にアプローチすることで、医学史を脱中心化できるのではないかと著者は考えている(ただし地域間にある不均衡は無視しない形で)。

事例1

 メキシコに生育するバルバスコという山芋の一種からは、ジオスゲニンという物質が抽出できる。この物質は各種ホルモンを合成するのに使うことができる。そうしてつくられたホルモンは痛み止めのステロイドなどのさまざまな薬剤として使用可能である。というわけで各国の製薬会社がバルバスコを仲介のブローカーから買い求めた。このブローカーたちは、メキシコ現地の農民からバルバスコを買っていた。農民はバルバスコを地面から引き抜き調達した。こうしてメキシコはさまざまな薬剤の原産地となった。この薬剤に世界各地の人々が依存するようになった以上、メキシコにおける薬剤原料の調査はグローバルなものといえる。

事例2

 1630年代にペルーにいたイエズス会の司祭たちは、ケチュア族の人々がキナ皮の筋肉を弛緩させる性質を利用して、寒気からくる震えを止めていることに気がついた。そこから司祭たちは、この効果をマラリアから来る寒気にも利用できるのではないかと考えた。果たして、キナ皮は効果を発揮する。というのもそこに含まれていたキニーネが偶然にもマラリアを引き起こす菌を殺すからであった。その後キナ皮は欧州各地に輸出されることとなる。1850年までにイギリス政府は年間5万3千ポンドを費やしてペルーからキナ皮をペルー、ボリビア、アクアドル、コロンビアから輸入していた。インドとアフリカに駐屯する軍をマラリアから守るためであった。こうしてラテンアメリカのキナ皮は大英帝国を支えるに際して決定的な役割を果たすことになる。その後、イギリスとオランダはキナ皮の種子や苗木を密輸し、自国領内のプランテーションで育成することに成功した。こうして19世紀末にはアンデス原産のキナ皮は市場から駆逐されたのであった。熱帯での帝国主義を可能にしたという点で、キナ皮の輸出はラテンアメリカを超えるグローバルなイベントであったと言える。

事例3

 19世紀の後半、米国南部をたびたび襲っていた黄熱病はキューバから来ていた。だがその出所であるキューバではこの病気は問題視されていなかった。そこでは人々は若いころに黄熱病に罹患しており、それにより免疫が形成されていたからである。また当時キューバを統治していたスペインは、黄熱病に対処することはしなかった。南部で黄熱病による数千人の死者が出て、パニック状態が生まれ、経済活動が数ヶ月停滞する事態を受けたアメリカ政府は、スペインに宣戦布告し、キューバを占領する。その後米国がおうねつびゅおうを駆逐してキューバから撤収して以後も、衛生をめぐる問題は両国間の懸案として残り続けた。これはラテンアメリカに由来する病気の拡大がグローバルな帰結をもたらした例である。

事例4

 経口避妊薬の原料となるノルエチンドロンを最初に合成したのはLuis Ernesto Miramonteというメキシコの化学者である。だが経口避妊薬開発の歴史における彼の業績は数十年のあいだ認められず、現在においてすら歴史書の多くは彼の名前に言及していない。これはラテンアメリカがグローバルな科学コミュニティに接続されていながら、そこに切断が見られる事例である。